あの戦争は何だったのか/保阪正康
私はこれまで、太平洋戦争中に戦争指導者たちが行ってきた「大本営政府連絡会議」を始め、様々な会議の資料をずいぶん当ってきた。しかし、一度として「この戦争は何のために続けているのか」という素朴な疑問に答えた資料、あるいは疑問を発する資料さえ目にしたことがない。
彼らが専ら会議で論じているのは、「アメリカがA地点を攻めてきたから、今度は日本の師団をこちらのB地点に動かし戦わせよう」といった、まるで将棋の駒を動かすようなことばかりであった。それで二言目には、「日本人は皇国の精神に則り……」と精神論に逃げ込んでいってしまう。物量の圧倒的な差が歴然としてくるにつれ、彼らは現実逃避の世界に陥っていくしかなかった。
資料に目を通していて痛感した。軍事指導者たちは〝戦争〟しているだけなのだと。おかしな美学に酔い、一人悦に入ってしまっているだけなのだ。兵士たちはそれぞれの戦闘地域で飢えや病いで死んでいるのに、である。
本書は「あの戦争はなんだったのか?」という著者の素朴な疑問から書かれている。
本当に真面目に平和ということを考えるならば、戦争を知らなければ決して語れないだろう。
歴史を語ろうとすると、必ず「侵略の歴史を前提にしろ」とか「自虐史観で語るな」などといった声が湧き上がる。
戦争が良いか悪いかの善悪二元論で語りたがる人がいる。
日本人はやたらレッテルを張りたがる。
しかし戦争というのは、善いとか悪いとか単純な二元論だけで済まされる代物ではない。
あの戦争にはどういう意味があったのか、何のために310万人もの日本人が死んだのか、事実を事実としてきちんと見据えなければならない。
そして、著者が多くの資料や体験者のインタビューを積み重ねてきてわかったことは、当時、誰一人「この戦争は何のために続けているのか」という素朴な疑問に答えられるひとはいなかったという事実。
これはひどい。
「何のために」という目的を持たない組織は必ず内向きになる。
足の引っ張り合いが常態化する。
例えば、「大本営発表」
どうしてあのような虚偽の発表が行われたのか?
それは「陸軍」と「海軍」の足の引っ張り合いが原因。
戦争の後半になると、両軍お互いの意地の張り合いが、目に付くようになっていく。
バカげたことに、それぞれが自分たちの情報を隠しあってしまう。
大本営「陸軍報道部」と「海軍報道部」が競い合って国民によい戦果を報告しようと躍起になる。
やがてそれがエスカレートしていき、悪い情報は隠蔽されてしまう。
そして虚偽の情報が流されるようになっていく。
「大本営発表」のウソは、この時期からより肥大化が始まる。
まさに組織の末期症状である。
「日本は太平洋戦争において、本当はアメリカと戦っていたのではない。陸軍と海軍が戦っていた、その合い間にアメリカと戦っていた」などと揶揄されてしまう所以である。
「あの戦争は何だったのか?」
これは歴史家が語ればよいのではない。
平和を求める一人一人が、自分の中に何らかの答えを持つべきではないだろうか。
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