祖国へ、熱き心を/高杉良
午後二時五十七分、天皇陛下が「第十八回近代オリンピアードを祝し、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します」と開会を宣言、聖火台の下でファンファーレが鳴りわたった。
和田は、涙がこぼれてならなかった。
「日本はこれで一等国になったのや」
「ええ」
「戦争に敗れて、四等国になったが、よう立ち直った。日本人は皆よう頑張った」
「天皇陛下とマッカーサー元帥の並んでる写真は忘れられませんねえ。新聞であの写真を見たときパパが悔し涙をこぼしたのを憶えてますか」
「あたりまえや。あんなショックは生れて初めてやった。マッカーサーはノータイで、シリのポケットに両手をつっこんどった。天皇陛下はモーニング姿の正装だったのに……」
和田が涙を拭きながらつづけた。
「天皇さんがオリンピックの開会を宣言したことは、日本が一等国になった証やと僕は思う。ほんまよかった」
東京オリンピックが開催されたのは、私がまだ小学生の頃。
印象に残っているのは、マラソンのアベベの圧倒的な強さ。
君原が最後の最後、トラックで抜かれたシーン、
女子バレーの金メダル、・・・等々
この東京にオリンピックに招致するために世界中を奔走した日本人がいた。
日系米人、フレッド和田である。
私もこの小説を読むまでこんな人がいたとは知らなかった。
彼の働きがなければ東京オリンピックがあの時期開催されたかどうかはわからなかっただろう。
でも、どうして彼はあれほどまで必死になったのか?
第二次世界大戦中、米国在住の日系人はさまざまな苦難を受けた。
和田は、その中で日系人を守るために戦い続ける。
おそらくそのような経験が、かえって日本人としてのアイデンティティーを目覚めさせたのではないだろうか。
日本人としての誇りを取り戻す必要がある、と。
そんな中、戦後まもなく、ひょんなきっかけで米国で開催された水泳の世界大会に出場する日本代表チームのホームスティを買って出る。
当時、水泳ニッポンと呼ばれ、世界最強だった。
和田も日本人選手を必死に応援した。
スポーツには貧富、家柄、人種にもとづく階級的な不公平は存在しない。
スポーツでは、各人は自身の功績いかんによって勝者となり、敗者にもなる。
このときの体験がエネルギーとなり、彼はオリンピック招致に必死になる。
その働きは超人並みである。
東京オリンピック開催の影にこのような人物がいた、というのは新しい発見である。