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2013年8月の31件の記事

2013年8月31日 (土)

祖国へ、熱き心を/高杉良

Photo_2  午後二時五十七分、天皇陛下が「第十八回近代オリンピアードを祝し、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します」と開会を宣言、聖火台の下でファンファーレが鳴りわたった。
 和田は、涙がこぼれてならなかった。
「日本はこれで一等国になったのや」
「ええ」
「戦争に敗れて、四等国になったが、よう立ち直った。日本人は皆よう頑張った」
「天皇陛下とマッカーサー元帥の並んでる写真は忘れられませんねえ。新聞であの写真を見たときパパが悔し涙をこぼしたのを憶えてますか」
「あたりまえや。あんなショックは生れて初めてやった。マッカーサーはノータイで、シリのポケットに両手をつっこんどった。天皇陛下はモーニング姿の正装だったのに……」
 和田が涙を拭きながらつづけた。
「天皇さんがオリンピックの開会を宣言したことは、日本が一等国になった証やと僕は思う。ほんまよかった」

東京オリンピックが開催されたのは、私がまだ小学生の頃。

印象に残っているのは、マラソンのアベベの圧倒的な強さ。

君原が最後の最後、トラックで抜かれたシーン、

女子バレーの金メダル、・・・等々

この東京にオリンピックに招致するために世界中を奔走した日本人がいた。

日系米人、フレッド和田である。

私もこの小説を読むまでこんな人がいたとは知らなかった。

彼の働きがなければ東京オリンピックがあの時期開催されたかどうかはわからなかっただろう。

でも、どうして彼はあれほどまで必死になったのか?

第二次世界大戦中、米国在住の日系人はさまざまな苦難を受けた。

和田は、その中で日系人を守るために戦い続ける。

おそらくそのような経験が、かえって日本人としてのアイデンティティーを目覚めさせたのではないだろうか。

日本人としての誇りを取り戻す必要がある、と。

そんな中、戦後まもなく、ひょんなきっかけで米国で開催された水泳の世界大会に出場する日本代表チームのホームスティを買って出る。

当時、水泳ニッポンと呼ばれ、世界最強だった。

和田も日本人選手を必死に応援した。

スポーツには貧富、家柄、人種にもとづく階級的な不公平は存在しない。

スポーツでは、各人は自身の功績いかんによって勝者となり、敗者にもなる。

このときの体験がエネルギーとなり、彼はオリンピック招致に必死になる。

その働きは超人並みである。

東京オリンピック開催の影にこのような人物がいた、というのは新しい発見である。

2013年8月30日 (金)

なるほど!「ポーターの競争戦略」がイチからわかる本/徳留慶太郎

Photo_3 AKB48のテレビCMでブレイクした商品に、アサヒ飲料の缶コーヒー「ワンダ モーニングショット」があります。
 缶コーヒーのジャンルでは、コカ・コーラ社の「ジョージア」が第1位のシェアを占め、さらにUCCなど、強豪ライバルがひしめき合っていました。その中にあって、アサヒ飲料は「朝専用缶コーヒー」を発売します。
 〈朝専用〉などと銘打ってしまうと、午後や夜には買われなくなるという懸念も残りますが、アサヒ飲料はライバルと差別化するため、あえて〈朝専用〉としたのです。
 43パーセントの人が缶コーヒーは朝飲む、さらに、コンビニのPOSデータでも60パーセントが午前中に売れていたという事実がありました。
 では、ほかの商品と中身が違ったのかというと、当初はまったく同じだったと言います(のちに、眠気覚ましのためカフェインの量を増やしました)。
 これらの差別化戦略によって、「ワンダ モーニングショット」は大ヒット商品となりました。

昨日に引き続き、ポーター関連の書籍を読んでみた。

ポーターというと「5つの競争要因」(ファイブフォース)が有名だ。

〈1〉新規参入企業(新規参入の脅威)

〈2〉競争企業(企業間のライバル関係)

〈3〉代替品(代替製品・代替サービスの脅威)

〈4〉買い手(買い手の交渉力)

〈5〉売り手(売り手の交渉力)

がその5つの競争要因。

この中から自社がどのようなポジションを取るかを探っていくというもの。

そして基本は、トレードオフ、つまり、やらないことを決めるということ。

上記抜き書きはそのひとつの例だが、それ以外にも多くの事例がある。

たとえば、沢井製薬のジェネリック医薬品などはその代表例だろう。

ジェネリック医薬品とは、特許が切れた医薬品をほかの製薬メーカーが製造、供給する医薬品のこと。

確かに、新薬を開発できれば大きな利益を上げることができる。

しかし、新薬を開発するには、研究開発費に加え、数多くの試験を繰り返し、許認可を申請して実際に認可されるまで長い時間がかかるなど、莫大なコストがかかってくる。

一方、ジェネリック医薬品なら低コストで薬を製造できるので、低リスクとなる。

沢井製薬は、ジェネリック医薬品に注力し、安定した業績を上げ続けている。

この会社の成功の要因は、高コストの新薬開発を「トレードオフ」したこと。

つまり、特定のセグメントに経営資源を集中すれば、そのセグメント内では「向かうところ敵なし」という環境が作れるということである。

当然、収益率も各段によくなる。

日本人は戦略的思考が欠けているとよく言われる。

逆にいえば、日本だからこそ、トレードオフをうまくやれば、差別化することができるということではないだろうか。

2013年8月29日 (木)

マイケル・ポーターの競争戦略/ジョアン・マグレッタ

Photo「戦略とは競争においてトレードオフを行なうことである。戦略の本質とは、何をやらないかを選択することだ」

本書はマイケル・ポーターの競争戦略をわかりやすく書いたもの。

原書は5年くらい前に読んだことがあるが、ページ数が多く、難解で、なんだかよく分からないというのがホンネの部分だったのだが、こちらのエッセンシャル版はわかりやすく書いてある。

ポーターは、戦略の本質は何をやらないかを選択することだ、という。

人間は本来、トレードオフを行なったり捨てたりするのがとても苦手だ。

ほとんどの経営者がトレードオフを行ない、制約を受け入れることを嫌がる。

それよりは、より多くの顧客に対応し、より多くの機能を盛りこんだ方がいいと必ず考える。

経営者は「多いことはつねによいことだ」と考える傾向にある。

顧客、製品、サービスを増やせば、売上や利益もついてくるはずだ。

何でもありの戦略をとればいい。

その方が大きな成長と利益が見こめると信じずにはいられない。

企業は、あらゆる顧客の声に耳を傾け、その要望に応えようとする。

しかし、ここにボタンの掛け違いがある。

戦略の目的は、あらゆる顧客を幸せにすることではない。

戦略を立てるからには、対象とする顧客とニーズを定めなくてはならない。

それ以外の顧客やニーズについては、そう、期待に添えないという現実を受け入れなくてはならない。

この課題は特に経営資源が限られている中小企業ほど真剣に取り組む必要があるのではないだろうか。

2013年8月28日 (水)

アメリカ型ポピュリズムの恐怖/齋藤淳

Photo 二〇〇八年秋から一〇年春頃にかけて、アメリカで立て続けに発生した三つの危機、すなわち、①住宅バブル崩壊に伴うサブプライム住宅ローン問題などに端を発した「金融危機」、②GMやクライスラーが経営破綻した「米自動車危機」、③大規模リコールや急加速疑惑に絡んで前代未聞の激しいバッシングを受けた「トヨタ危機」は、一見、全く関連性のない別々の事象のように見えるが、筆者個人は、これら三つの危機は、むしろ起こるべくして起こった、つながりの深い連続的かつ必然的な事象と考えている。

2009年秋から約1年にわたりアメリカで起こった「トヨタたたき」は、すさまじいものだった。

著者はそれを、民主主義がまさにポピュリズムと化した象徴的な出来事だと述べる。

もし、アメリカでサブプライム問題を背景とした「金融危機」が発生していなければ、GMなどが破綻する「米自動車危機」は発生していない可能性が高かった。

そして、「米自動車危機」が発生していなければ、急加速疑惑の高まりで前代未聞の激しいバッシングを受けた「トヨタ危機」も発生していなかったと推察される。

アメリカは外国企業の進出に対しても門戸を大きく開いているが、アメリカ企業が自国の市場で外国企業に負けることに対しては、さすがに手放しでは喜べないようだ。

特にアメリカには、小さい頃から「愛国心」教育を植え付けられ、「アメリカが世界ナンバーワン」という自負心に凝り固まった国民も数多くいる。

アメリカ市場でトヨタがGMからトップの座を奪い取るということは、ある意味ではアメリカ人のプライドをも傷つけかねない「危険水域」に入るということを意味する。

ということは、現在業績好調のトヨタは、再び「危険水域」に入ってしまったといえる。

同じことが繰り返されなければいいのだが。

2013年8月27日 (火)

100円のコーラを1000円で売る方法3/永井孝尚

Photo_2 「イノベーションのジレンマは日本のあらゆるところで起きている。戦後、貧しかった日本企業は、リスクを取ってたくさんのイノベーションを生み出してきた。ソニーのトランジスタラジオやウォークマン、ホンダの北米オートバイ市場進出、キヤノンの卓上コピーなど、MBAの教科書にも載っている事例もあるわ。でも、1990年のバブル崩壊以降は、日本発のイノベーションは激減してしまった」

シリーズ3作目となる本書は「イノベーションとリスクへの挑戦」をテーマに記されている。

内容はまさにクリステンセンが『イノベーションのジレンマ』という本で言っていることであり、それをストーリー形式で記している。

日本企業は顧客の声を聞きながら、一つ一つ改善を積み重ねていくことに長けている。

ところが、イノベーションのジレンマは、既存のお客様の課題を満たそうと努力し続けると、かえって失敗するという状況を指す。

今の自社商品やサービスを否定することから始めなければ、破壊的イノベーションは起こらないからである。

それを具現したのが、ジョブズが健在だったころのアップルだった。

2001年、パソコン事業が中心だったアップルは音楽プレイヤーのiPodを発表する。

好きな音楽を手軽にダウンロードできるiTunes という革新的な仕組みがウケて、iPodはまたたく間にヒット商品になった。

アップルはさらに、2007年のiPhoneによって、スマートフォンという新しい市場を生み出す。

iPhoneは音楽プレイヤーとしても使えるので、iPodの売れ行きが鈍る。

自社のヒット商品をみずから否定し、乗り越えていった。

そして、2010年のiPadの登場。

ここからタブレット市場が立ち上がり、今度はパソコン市場を食いはじめている。

つまり自らの商品を否定する商品をあえて出す。

この破壊的イノベーションができたところにアップルの強さがあった。

日本が停滞しているのはバブル崩壊やデフレ、少子高齢化のせいだと言っていが、原因はそれだけではない。

日本全体がイノベーションが起こせなくなっていることが根本的な問題。

失敗を恐れず、みずからリスクを取って新しいことに取り組まなければ、イノベーションは起こせない。

評論家のように言うことは立派だが、行動しない。

守りに入って、新しいことにチャレンジしない。

目の前の仕事をひたすらこなすだけで精いっぱい。

それでは未来は開けない。

2013年8月26日 (月)

100円のコーラを1000円で売る方法2/永井孝尚

Photo_2 「プランに完璧を求めてはいけないってことですか?」
「そうです。PDCAのPは〝計画〟というよりも〝仮説〟です。要するに、先にコンセンサスありきで、関係者の意見を調整しながら細部まで練り上げた計画を実行するのか。それとも、とにかく実行ありきで、叩き台をつくってとりあえず実行してみて徐々に意見を集約していくのか。動きながら修正を加えていく後者のほうが、当然、意思決定のスピードは上がりますし、環境の変化にも柔軟に対応できます。日本企業では、意思決定に時間がかかりすぎて、実行する段階ではタイミングを逸しているケースが珍しくありません。変化の激しい時代に求められるのは、完璧なコンセンサスではなく、意思決定のスピードと柔軟性です」

ビジネスマンであれば誰もが知っているPDCA。

この中で、多くの人はPは「計画」だと理解し受け止めている。

しかし、Pの部分は「仮説」だという。

PDCAで大事なことは、最初にストーリーを思い描くこと。

最短距離でゴールに到達するにはどうすればいいか?

仮説(Plan)を立てて、実行して(Do)、その結果を検証して(Check)、次の行動(Action)につなげる。

最初に立てるのは仮説なので、間違っているかもしれない。

その場合は軌道修正すればいい。

やってみて、もっといいやり方が見つかったら、すぐに改善する。

そうやって一歩一歩着実によりよい方向に進んでいくのがPDCAの本来の姿だと。

しかも、PDCAは一度やって終わりではない。

『仮説→実行→検証→改善』のサイクルを何度も回していく。

1回1回は小さな改善でも、何度も積み重ねれば、大きな変革につながる。

螺旋階段を1周すると1段階上がるように、PDCAをくり返すことで、どんどん高みに昇っていく。

そしてPDCAは本来、1週間とか半月とかの短いスパンでどんどん高速回転させてはじめて威力を発揮する方法。

ところが、多くの人はPを「計画」だと理解し、1年に1回、しっかりとした計画を立て、それを忠実に実行することが大切だと勘違いしている。

この間違いをもっとも犯しているのが行政機関。

計画は時間をかけ綿密に立てるが、実行についてはあまりにもお粗末。

そしてやったことの検証はされない。

また、これは硬直化した組織にもっともよく現れる特徴である。

それと同時に、何事も合議制で決まる、日本企業の最も弱い部分ではないだろうか。

2013年8月25日 (日)

ファスト&スロー(下)/ダニエル・カーネマン

Photo_2   私たちの考えと行動は日常的にはシステム1に導かれているが、だいたいにおいて正しい。とりわけ驚嘆に値することの一つは、じつにゆたかで詳細な現実世界モデルが連想記憶の中に維持されていることである。おかげで、連想記憶は通常の出来事と予想外の出来事とを数分の一秒で識別し、その出来事について何を予想していたのかを瞬時に思い浮かべ、予想外のことと本来起きるはずだったことについて、因果的説明を自動的に探すことができる。
 記憶にはまた、私たちが生まれてこのかた習得してきた幅広いスキルも蓄えられており、直面した難問に対して自動的に的確な解決を示してくれる。ここで言うスキルとは、行く手を遮る巨大な岩を乗り越える方法から、顧客の怒りの徴候を見抜いてうまくなだめる方法まで、じつに多種多様である。

私たちの行動の大部分はシステム1、つまり速い思考に導かれているという。

システム1は認知容易なものを記録し、それを頼りに情報を処理する。

処理の結果が現実にはあり得ないような答になってしまっても、警告を発する機能は持ち合わせていない。

システム1は時にバイアスがかかる。

こうしたバイアスに対して何か打つ手はあるのだろうか。

私たちは、自分自身の判断や意思決定をどうしたら向上させられるだろうか。

一言で言えば、よほど努力をしない限り、ほとんど成果は望めないという。

直感的思考は、自信過剰、極端な予想、計画の錯誤に陥りやすい。

システム1に起因するエラーを防ぐ方法は、原理的には簡単である。

認知的な地雷原に自分が入り込んでいる徴候を見落とさず、思考をスローダウンさせ、システム2の応援を求めればよい。

しかしシステム2は怠け者なので、これをやりたがらない。

世の中で、多くの人が誤った判断を繰り返すのも、このようなことが原因である。

大事なことは、強制的にでも重要なことについてはシステム2が働く仕組みを作り上げることではないだろうか。

個人では難しいかもしれないが、少なくとも、組織のレベルではこのことが必要だろう。

2013年8月24日 (土)

ファスト&スロー(上)/ダニエル・カーネマン

Photo 心理学では、魔法のように見える直感も魔法とは見なさない。この点に関する最高の名言は、おそらくあの偉大なハーバート・サイモンによるものだろう。サイモンはチェスの名手を調査し、彼らが盤上の駒を素人とはちがう目で見られるようになるのは数千時間におよぶ鍛錬の賜物であることを示した。サイモンは次のように書いたが、この一文からも、専門家の直感を神秘化する傾向にむかっ腹を立てていたことがうかがえる。
「状況が手がかりを与える。この手がかりをもとに、専門家は記憶に蓄積されていた情報を呼び出す。そして情報が答を与えてくれるのだ。直感とは、認識以上でもなければ以下でもない。」

本書のタイトル、ファスト&スローとは、人間の持つ、速い思考と遅い思考のこと。

速い思考を行うのがシステム1、遅い思考がシステム2とし、そのシステムの解明と相互作用に紙面の大半を割いている。

そして、最近の研究成果によれば、経験から学んだことよりも直感的なシステム1のほうが影響力は強いとのこと。

つまり多くの選択や判断の背後にあるのは、システム1だということである。

何か問題に直面したとき、たとえばチェスで次の一手をどうするかとか、どの株を買うかといったことを決めるとき、直感的思考というマシンは自分にできる最善のことをする。

しかるべき専門知識を持ち合わせているなら、状況を認識したうえで頭に浮かぶ直感的な解決策はおおむね正しい。

複雑な局面を目にしたチェスの名人に起きるのは、まさにこれである。

彼が思いつく選択肢は、どれも十分な根拠がある。

ただし、この速い思考は間違いも侵しやすい。

ハロー効果などはその代表例。

ハローとは後光のことで、初対面の印象や、最初に起こった現象、言葉、そういったものに思考が引きずられてしまい、間違った判断を下してしまうというもの。

だから、直感を過信するのも、それはそれで問題がある。

自分が直感で判断したものを、後から検証するために遅い思考は働く。

また、より困難な問題に直面したとき、私たちはより時間をかけて頭を使う熟慮熟考へとスイッチを切り替える。

これが「遅い思考」である。

通常、私達はこの速い思考と遅い思考を無意識の内に切り替えながら生活している。

このことを本書では科学的に究明しているわけだが、自分が普段どのような思考に引きずられているのか、それを知るには非常におもしろい本である。

2013年8月23日 (金)

日中韓2000年の真実/拳骨拓史

Photo  毎年騒がれる首相や閣僚による靖国神社参拝問題も、中国の内政干渉を呼び込んだのは朝日新聞のご注進からであった。
 朝日新聞は、昭和六〇年八月に中曽根康弘首相(当時)の靖国神社公式参拝を、「中国が厳しい視線で凝視している」と書いた。
 中国の『人民日報』はこれに呼応し、中曽根首相を批判し、八月十四日にいたっては、中国外務省スポークスマンが「アジア各国人民の感情を傷つける」と、公式に「中曽根首相の公式参拝」に反対し、日本への内政干渉を開始した。これが靖国神社参拝が問題化するきっかけである。
 結局のところ、われわれが「日中問題」「日韓問題」だと認識しているそのほとんどが、じつは反日日本人による政治活動に端を発した「日日問題」なのである。

最近、日中、日韓の関係がこじれてしまっているが、ネックになっているのは歴史問題である。

では、そもそもどうして靖国や従軍慰安婦が歴史問題としてクローズアップされるに至ったのか。

それを振り返ってみると、きっかけは、反日日本人による政治活動に端を発した「日日問題」だった、と著者は述べている。

ひところ、左寄りであることが知識人だと思われていた時代があった。

オピニオンと言われる新聞の代表格は朝日新聞、雑誌は朝日ジャーナル。

知識人はほとんど反日であり反米だった。

例えば、従軍慰安婦が問題になったのは、1983年に出版された、吉田清治の『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』から。

その著書の中で、吉田は、慰安婦205名を調達するため、韓国済州島で強制連行したと証言した。

これは初めての「加害者による証言」だと韓国で大々的に報道されたのだが、調査したところ〝事実無根〟であることがわかった。

後に調査したところ、吉田は「人権屋に利用された私が悪かった」と反省の弁?を述べたという。

しかしこれが、日韓ともに大きな傷跡を残して現在に至っている。

つまり今の日中、日韓問題の多くは、反日日本人による日日問題だと言って良い。

もちろんその主張が歴史の事実に基づいているのではあればよいのだが、ある偏った思想によって捏造されたものであれば問題だ。

日本人は近代史に疎い。

高校の日本史の授業でも近代史はほとんど学ばない。

間違った歴史認識に対する理論的武装ができていない。

改めて歴史教育の重要性を再認識させられた。

2013年8月22日 (木)

韓国 反日感情の正体/黒田勝弘

Photo  筆者の見立てによると、韓国人の歴史観というのは歴史を「あった歴史」より「あるべき歴史」で考えるということだ。民族あるいは国家として「こうあるべき歴史」を前提に歴史を考え、記録しようとする。

著者は韓国在住30年という、ベテラン韓国ウォッチャーである。

その著者が冷静かつ客観的に、韓国の反日感情について述べており、実に信憑性があり説得力がある。

韓国が日本を非難するときいつも持ち出すのは歴史問題である。

竹島、慰安婦、靖国、この反日3点セットも、歴史問題に行き着く。

ところが問題は、彼らが問題としている歴史が「事実としての歴史」ではなく、「あるべき歴史」だということ。

つまり、韓国にとって都合のよい「こうあるべき歴史」「こうでなければいけない歴史」だということ。

このような「あるべき歴史」を持ち出して、「歴史を忘れた民族に未来はない」などと言われても、不愉快になるのは当たり前のこと。

例えば、今問題となっている慰安婦問題には多くの虚偽が含まれている。

その虚偽もまた「あるべき歴史」観の産物である。

この問題は本来は簡単なことだ。

1965年の日韓国交正常化に際し、日本は韓国側に補償的な意味で5億ドルを提供した。

過去にかかわる「補償」は韓国政府が代表し日本から一括して受け取ったわけだから、個人には韓国政府が対応すれば済む話である。

国と国とが条約に合意し調印したとはこういうことである。

にもかかわらず日本への要求が執拗に続いている。

しかも、この当時の条約は無効との判決まで出てしまう始末。

韓国は著者がいうように必ずしも法治国家ではないのだろう。

「法治」より「情治」

その「情」とは、事情であったり人情であったり感情、情緒であったりする。

かなりの場面で情が優先する「情治社会」。

そして法の番人であるはずの、検察も裁判官も世論に実に敏感である。

だから驚きの判決が出る。

オピニオンリーダーたるべき韓国のメディアも何ごとについても「こうあるべき」が優先するいわば〝べき論〟の世界。

したがってニュースでは必ずといっていいほど「問題になっています」がつく。

これは問題が存在するというより、記者が主観的に問題にしている、あるいは問題にしようとしているという意味。

でも、こうした歴史観は国際的にどれだけ通用する話だろうか?

韓国では日本に対ししきりに「歴史歪曲」といい「歴史認識の一致」を要求する。

時にはそれを外交問題にして日本を非難、糾弾する。

しかし歴史に対する考え方が違っていたのでは一致するもなにもない。

いや一致などできない。

無理難題というものだ。

韓国人の独特で特異な歴史観、

韓国の反日の根本にはこれがあると断言してもよさそうだ。

2013年8月21日 (水)

大地の子(四)/山崎豊子

Image  一心は、今さらのようにあの文化大革命とは何であったのだろうかと顧みた。それは毛沢東の描く理想郷を信じて多くの人民が身を投じ、犠牲になり、特に多くの知識人が罪もなく殺された苛酷な歴史の一コマであった。そこから得られた教訓は何一つない。

あの文化大革命とは何であったのだろうか?

一心の波瀾の人生を通して著者が言いたかったことの一つがこれではないかと思う。

一心自身、冤罪で寧夏回族自治区に次いで、内蒙古自治区の労働改造所へと流刑にされた。

釈放されて北京へ帰った後、日本語が役だち、中日合作の国家的プロジェクトに参加し、訪日ミッションにも加えられた。

だが、そこで機密文書漏洩の冤罪により、再び内蒙古に追いやられる。

まさに歴史の繰り返しである。

そして今の中国を見ても、何度も同じことを繰り返しているように感じる。

共産党の一党独裁は今後も続くであろうし、13億を抱えるこの巨大な国家は内側に様々な問題を抱えている。

人権、環境、高齢化、秘密主義、格差・・・等々

しかも日本にとってお隣の国であるだけに、好むと好まざるとに関わらず、影響を受けることは避けられない。

今後、この巨大な国家はどんな方向に進んでいくのだろうか?

この小説を読んだ後、ますます興味が沸いてきた。

2013年8月20日 (火)

大地の子(三)/山崎豊子

Photo 「あつ子、母ちゃんは、お前がその右手に火傷をした時、死んでしまったんだよ、父ちゃんは戦争に行ったままだから、戦死したかどうか解らない、お前があつ子、私がカッチャンで、二人が兄妹だということだけが今、はっきりしたのだ、両親の名前も開拓団の名前も解らないのだ、だが、早速、県の外事科から紅十字会を通して、日本政府に父ちゃんの消息を調べて貰うことにするよ」
「兄ちゃん、どんな遠うても、日本の土を一度だけでも、踏んで死にたい、母ちゃんと父ちゃんの国、日本を一目だけでも、見て死にたい」
 もう長くはなさそうだと云われている病んだ体で、一心の両腕に取り縋った。
「あつ子、お前が日本へ行けるようになったら、兄ちゃんが背負うてでも連れて行って、日本を見せてやる、見せてやるとも……」
 一心は、狂ったように妹の体をかき抱き、嗚咽しつつ、人間の運命を思った。自分は陸徳志という慈悲深い第二の養父に恵まれて育ったが、妹は戦争孤児として日本の大人たちの犯した罪を、幼い体で償い、農村で牛馬の如く酷使されながら、生きて来たのだった。できることなら、自分の生命を削ってでも、不倖せな妹に与えてやりたかった。

陸一心が幼いころ生き別れになった妹と中国の農村で再会したとき、妹は既に瀕死の状態だった。

やがて妹は一心の必死の努力も虚しく死んでしまう。

フィクションとは言え、多くの中国に残された戦争孤児が似たような境遇に置かれていたことを想うと、複雑な思いにかられる。

多くの戦争孤児は、これと同様に、貧しい農家に労働力として買われ、家畜のごとく酷使されてきたのだろう。

元はといえば、国の政策に根源があるわけだから、国家とは何かということを改めて考えさせられる。

2013年8月19日 (月)

大地の子(二)/山崎豊子

Photo  一体、あの日本人たちの精神構造は、どのように成りたっているのだろうか。曾て武力を以て中国大陸を侵略し、無辜の人民まで殺戮しておきながら、国交回復では、『遺憾』という曖昧な表現で、過去の罪業を詫びたのみであった。自分はその世代の日本人たちの犯した過去の罪悪に、幼い頃から小日本鬼子と軽蔑され、絶えず、頭を垂れて生きて来たのだった。

この小説では中国人から見た日本人が描かれている。

中国人に育てられ、中国共産党の反日教育を受けてきた陸一心の側からみた日本人である。

例えば、日本の政治家が日中国交回復のとき語った『遺憾』という言葉。

反日感情で凝り固まっている中国人からみれば、「あれだけの侵略戦争を行い、虐殺をしておきながら、『遺憾』の一言で片付けるのか!」、という感情になるのは理解できる。

かなりの部分は中国の反日教育に原因があるのだが、このような感情の部分というのはなかなか理解し合えないというのが現実なのではないだろうか。

今、日中の関係がおかしくなっているが、相互に複雑な感情が行き交う中、本当の意味で理解し合うというのは困難を極める。

おそらくどこかで落とし所を探り、お互いが妥協するという形でなければ、関係修復は難しいのではないだろうか、と考えさせられた。

2013年8月18日 (日)

大地の子(一)/山崎豊子

Photo  八月十五日、誰も日本が降伏したことを知らず、ソ連機と匪襲を怖れて、夜は火を焚かず、木の下で夜露を避けて、さらに野宿を重ねた。日に日に、満軍の銃声が近くなり、中国人集落からも発砲されるようになったが、日本の敗戦を知らない兵隊たちは殺気だち、避難民の列を足手まといにした。特に幼児の泣き声は、敵に察知される因だとし、「五歳以下の子供は殺せ!それが全滅から助かる唯一の道だ」と命令した。
 逃避行に疲れ果て、前途を悲観した若い母親たちは、自分の手で殺すのにしのびず、顔をそむけて、兵隊に幼児や赤ん坊を手渡した。子供たちは叢に俯せにされ、首を締められた。母は五歳のあつ子を六歳と偽り、絶えず、兵隊の眼につかぬよう庇った。

この小説では中国に戦争孤児として取り残された陸一心を中心にストーリーが展開さる。

第一巻では、その生い立ちと、労働改造所に送られてからの苦難の日々がつづられている。

山崎氏の著書は実在の人物がモデルになっていることが多いのだが、この小説の主人公は珍しく創作上の人物である。

ただ、かなり綿密な取材の上で書かれているので、その周辺で起こっている出来事は事実に基づいている。

上記記述は、敗戦が決まった8月15日の出来事。

中国に取り残された日本人がどのような目にあったのか、その悲惨さは言葉では語り尽くせない。

またこんな悲惨な出来事が起こるのが、戦争なのだろう。

追い込まれた人間がどうなってしまうのか、それは頭で考えてもわかるものではない。

人間の本性がむき出しになった世界がそこでは繰り広げられる。

合理性とは対局の世界がそこにはある。

小説とは基本的にフィクションなのだが、他の歴史書では語られなかった真実がその中にある。

その意味では、たまには小説を読むことも大事なことではないだろうか。

2013年8月17日 (土)

これだけ!4P/安部 徹也

Photo  AIDMA自体は1920年代にアメリカのローランド・ホールによって提唱された理論であり、プロモーション戦略を組み立てる際に、長年にわたって活用されてきましたが、最近の社会環境では、より効果的な考え方も生まれています。 そのうちの一つに「AISCEAS(アイセアスもしくはアイシーズ)」があります。
 AISCEASとは、インターネット時代の消費者の行動プロセスを表したものであり、注意(Attention)、興味(Interest)、検索(Search)、比較(Compare)、検討(Examination)、行動(Action)、情報共有(Share)の頭文字を取ったものです。
 現在のインターネット時代では、消費者は企業からのプロモーション情報に触れた際、まずは注意を促され、それから興味を覚え、関連情報をインターネットで検索して、同様の商品と価格や評判を比較し、検討した上で最終的に行動を起こして、SNSなどで購買体験をシェアするのが典型的なパターンというわけです。

本書は様々なフレームワークの手法について書かれている。

タイトルの4Pとは、Product(製品)、Price(価格)、Place(流通)、Promotion(プロモーション)の4つの頭文字を表したもの。

この4つのPを組み合わせて最大限の効果を生む戦略を考えることができる。

さらにはこの4P一つ一つについても、様々なフレームがある。

例えば、上記抜き書きにあるAIDMAやAISCEAS。

これはプロモーション戦略を考えるときの代表的なフレーム。

AIDMAは昔働いていた会社の研修で習ったことがある。

消費者の購買に至るまでの心理的なプロセスを並べると、

注意(Attention)、興味(Interest)、欲望(Desire)、記憶(Memory)、行動(Action)になる、というもの。

これもナルホドと当時思ったものだが、最近はこれに加えてAISCEASというフレームが出てきた。

たとえば、人はテレビや雑誌、新聞などで気になる広告メッセージや商品画像が目に飛び込んでくると、その情報に注意(Attention)が向くようになる。

次にその商品に興味(Interest)を持ち、

いろいろと情報を仕入れるうちに欲しく(Desire)なってくる。

それから、その商品を記憶(Memory)に留めておいて、

お店などで見かけた際に購入に至る(Action)というプロセスを辿る。

確かにインターネット時代の今の消費行動を表している。

これらを知っているだけでは単なる頭でっかちだが、ゼロから考えるより、先人が考えたこれらフレームをうまく活用すれば、かなり効率的に戦略を考えることができる。

使えるものは使う、というスタンスで活用すればよいのではないだろうか。

2013年8月16日 (金)

言葉が人を動かす/坂根正弘

Photo  ミドルがよく機能している会社は強い。社長のトップダウンはもちろん必要である。だがそれだけでなく、それに加えて課長によるミドルアップ、ミドルダウンが機能している企業は強くなる。最も多くの部下を直接率いる立場にある課長がトップの意向をよく理解して、「社長が言っていることは、俺たちの仕事で言えばこういうことだよ」と嚙み砕いて具体的に下へ展開する。そして上には、「社長はそんなことを言っているけれど、現場の状況を考えると、ちょっと違うんじゃないですか」とフィードバックする。こういう動きができる会社は強い。

「ダントツ経営」で有名なコマツの会長、坂根氏の著書。

赤字体質だったコマツを数年で黒字化した経営手腕から、強いリーダーシップを想起させる著者だが、

会社が強くなるためには、それと同時に、ミドルの働きが決め手になると述べている。

ミドル、つまり課長クラスの役割は、トップと現場との連結ピンである。

ただ、一頃、このミドル不要論が随分語られた。

早い意思決定が求められる時代にあっては、トップと現場が直結している組織が望ましい。

途中、ミドルが入るとスピードが損なわれてしまう。

しかも、現在のITを駆使すれば、ミドルは不要なのではないか、と。

いわゆる「中抜き論」である。

事実、そのように組織を変えた企業も多くあった。

組織のフラット化である。

ところが、うまくいかない企業が大半で、結局元に戻す企業が続出した。

少なくとも日本の企業ではそうだった。

どうしてなのか?

たとえば、米国流儀でいうと課長は「余分なもの」である。

英語で階層のことをレイヤーというが、課長などはジャストレイヤー、ただの中間介在物。

「そんなものはいらない、トップがボトムと直結していればいい」

ということになる。

ところが、日本では、ミドルが上から言われたことを咀嚼して下に伝え、下の意見を上に伝えるという気風がある。

ミドルが実権を持っているという組織のあり方は、昔からの日本独特のものかもしれない。

社内のコミュニケーションにおいても、最も重要な役目を果たすのは課長である。

もしも「現場の状況を知っていたら、とてもそんな指示は出せないはずだ」というような無茶な指示が下りてきたときは、課長がその旨を上にフィードバックしなければいけない。

あるいは上からの指示に抜けているところを補足して下に伝えるといったことも課長の仕事だ。

場合によっては、「責任は自分が取る」と言って「やり過ごす」

先日他界した、東電の吉田所長などは、その典型例。

なんといっても、よくも悪くも職場のムードを決めるのは課長である。

極論すれば、トップがボンクラでも、ミドルがしっかりしていれば企業は強くなれる。

良きにつけ悪しきにつけ、これが日本の企業の強みであり、逆に弱みでもある。

米国流の経営手法を日本でそのまま実践してもうまくいかない理由も、こんなところにあるのではないだろうか。

2013年8月15日 (木)

21世紀のキャリア論/高橋俊介

Photo  キャリアラボの代表である花田光世教授の言葉を借りると、最近の若者の中には「理解型」と「納得型」がいる。「理解型」の人は、やり方がわかるとさっさとやる。しかし、「納得型」の人は、なぜそうなのかを深く腹落ちしないとなかなかやらない。だから「理解型」の若者のほうが、一見効率的に早く成長するように見えるが、実際には「納得型」の若者のほうが、最初は若干時間を要しても後でグンと伸び、結果的にはより成長する。多くの大学生や大学院生を指導し、卒業後も面倒を見てきた花田教授が、実感としてこの傾向を感じているという。理解することではなく、納得することが大事なのである。やり方がわかるだけではなく、なぜそうなのか、本質を理解するまで考え続けること、これが普遍性の高い学びをするうえで重要な部分になる。

以前、同じ著者が書いた『キャリアショック』という本を読んだことがある。

その中で著者は、今まで積み上げてきたキャリアが環境の変化によって短期間のうちに崩れ去り、ゼロからキャリアをつくり直さなければいけなくなる時代がやって来る、と述べている。

あれから十数年たって、まさに現在のキャリア環境とは、このキャリアショックの時代であることがはっきりしてきた。

日本人は「この道一筋」という生き方が大好きだ。

一つの職を生涯にわたってやり続け、その道を極めるという姿に美意識を感じる。

だが、今のような時代はそういう伝統的なキャリアのイメージが最も危ない。

変化が非常に小さい時代は、一つの仕事を生涯かけて習熟し続けることが大切だった。

昔ながらの「職人」は、生涯を通じてずっと習熟し続け「極み」に達する。

それに対して、変化の激しい時代、すなわち想定外変化の時代はどうか。

キャリアを構築している途中で想定外変化が起きて、それまでの仕事とは一見無関係な仕事に就かざるをえなくなる。

その結果、それまで積み上げてきた知識やスキルが一見意味のないものに見えてしまう。

まさにキャリアショックが起きる。

キャリアの積み木崩し状態である。

では、このような想定外変化の時代にはどうすればいいのか?

著者は「普遍的能力」を身につける必要がある、と言う。

「理解型」ではなく「納得型」になる必要があるのだと。

普遍性の高い能力を蓄積できているかどうかは、普遍性の高い学びをしているかどうかによる。

例えば、具体的な知識やスキル、資格などの勉強は、キャリアショックによって積み木崩しになる可能性が高い。

だが、その経験の中で培ってきた普遍性の高い学びは、次のフェーズでも必ず生きてくる。

そのような能力こそが、普遍性の高い能力である。

この能力は何によって身につけることができるのか。

たとえば、「なぜ」を繰り返す、どうしてそうなるのかを徹底的に追究する、こうした思考によってできる。

考え抜くことで、本質がわかってくるのである。

あるいは、表面的なノウハウものではなく、歴史や哲学といった実利には直結しない本を読み深く思索する。

これによって物事の本質を納得できるまで追究する。

問題は、このような一見遠回りで無駄と思えるようなことをコツコツと続けられるかどうかだ。

急がば回れということではないだろうか。

2013年8月14日 (水)

データ分析できない社員はいらない/平井明夫、石飛朋哉

Photo  現在のような先行き不透明なご時勢を盲目のまま突き進むというのは、コンパスを持たずに大海原に船出するようなものです。経営者は会社の今後を決める大事な意思決定の際には、必ず指標となるものを必要としています。
 その指標となるものを導き出すのがデータ分析です。

会社には様々な指標がある。

売上高、営業利益、労働分配率、自己資本率、等々

これらの指標がどのような意味をもっており、そしてそれをどのように経営の改善や戦略の策定に生かしていくか?

このスキルはどうしても必要になってくる。

経験上、儲かっている会社と儲かっていない会社の社長の差も、この数字に対する姿勢に現れているように感じる。

儲かっている会社の社長は数字によって具体的に語ることが多いのに対して、儲かっていない会社の社長はアバウトである。

当然、危機感の持ち方も違う。

社員に対する説得力も違う。

これらが会社の経営に影響を与えているようだ。

会社というのは、どんな形であれ社会に貢献し、その見返りとしてお金を得ている。

そして、継続して社会に貢献していくために会社は存続していかなければならない。

そのためには利益を出し続ける必要がある。

そのためには業績向上のためのデータ分析スキルを身につけることである。

この本では、業績を上げるための数字の見方について記されている。

でも、一番役立つのは、巻末にあるエクセルによるデータ分析の仕方。

習うより慣れろ、これに尽きると思う。

2013年8月13日 (火)

本当のブランド理念について語ろう/ジム・ステンゲル

Photo 企業やブランドがコミュニケーションに成功するか失敗するかという問題を考えるとき、私はロシアの文豪トルストイの言葉を思い出す。小説『アンナ・カレーニナ』の冒頭の一節だ。
 「幸福な家庭はすべて似たように幸せだが、不幸な家庭はすべて異なる形で不幸せである。」
 きわめて急速に成長し続け、きわめて高い利益率を記録し、きわめて活発にイノベーションをおこなっている企業やブランドには、ある共通点がある。それは、質の高いコミュニケーションを実践していることだ。あらゆる要素がブランド理念を表現し、それを後押ししているのである。

商品のコモディティー化が進む中、企業にとっての大きな課題は、いかにして、ブランド価値を高めるか、ということである。

ブランドがあれば、価格競争に巻き込まれるのを免れることができる。

そうすれば利益を増やすことができる。

利益が増えれば、それを次の投資に回すことができ、よい循環が生まれる。

多くの企業がそのようになることを願っている。

しかし、ブランド価値を高めるのであれば何でもよいというわけではない。

やはりそこには振れてはならないものがある。

それは「 人々の生活をよりよいものにする」ことを目指すブランド理念をもつこと。

これは、社員に始まり顧客にいたるまで、その企業やブランドが関わるすべての人々を末永く味方につけ、連帯させ、行動の背中を押し続ける唯一の手段である。

また、社内の人々がいだく中核的信念とその企業やブランドが奉仕する人々が重んじる基本的価値を結びつける要素でもある。

その結びつきがなければ、言い換えればブランド理念がなければ、どのようなビジネスも本当の意味で抜きんでた存在にはなれない。

それは成長し続けている企業に共通していえること。

とかく方法論に陥りがちだが、それよりも大切なものは理念であるということを本書は教えてくれる。

2013年8月12日 (月)

バンダルの塔/高杉良

Photo  サイトではNF部門と称しているが、東京からの指示は、NF部門の工事を急ぎ、可及的速かにLPGを産出して、プロジェクトの資金的負担をできるだけ軽減したい、といった思惑が読みとれる。
 しかし、ヘッド・オフィスもサイトも、工事の継続など物理的にも不可能なことがはっきりしていただけに、相談役会の結論に憤慨した。
「冗談じゃない。コントラクターは全員帰りじたくをしてるよ。なにが工事の継続だ」と、最も頭に血をのぼらせたのは明野である。資材は予定どおり搬入されてこない。在庫の資材はアリババ(どろぼう)にあったり損傷が著しくて使いものにならない。コントラクターの作業員はイラン人労働者の投石、集団暴行で作業場につけない。こんな状態の中で、どうやって工事を継続すればいいのか、といきりたつ社員も少なくなかった。

70年代、日本の石油資源確保のためにイランと共同の民間プロジェクトが立ち上がる。

日本から多くの技術者やリーダーが派遣され、現地の労働者とともに中東の巨大プラント建設事業が始まる。

オイルショックによる建設費の高騰、想像を絶する炎暑、民族性の違い、オイルショックによる経済の混乱、様々な苦難との闘い。

しかし、それだけの情熱を傾けたプロジェクトもイスラム革命によって断念を余儀なくされる。

在庫の資材の盗難、損傷、イラン人労働者の投石、集団暴行・・・。

どう考えても継続は不可能。

ところが、本社からは工事継続の指示。

現場を知らない経営トップからの一方的な指示、混乱する現場。

でも、これに似た話、状況は違えども、どこの企業でもよくあるのではないだろうか。

2013年8月11日 (日)

理性の限界/高橋昌一郎

Photo 会社員 私事で恐縮なのですが、実は私も、近い将来、ある女性と結婚しようと考えておりまして……。ところが、本当にそれでよいのか、もっと別の生き方があるのではないかなどと考えて、なかなか決断できずにいるのです。このような問題にも、理性的な解決がありうるのでしょうか?
哲学史家 それは人生の岐路における大選択ですな。
 近代論理学の基礎を構築した哲学者ライプニッツは、あらゆる問題を理性的に解決できると信じていました。いかに複雑な問題であっても、論理的に緻密に解きほぐして計算すれば、明確に答えを得ることができると……。そこで彼は、自分が結婚に迷ったときも、理性的に解決しようとしました。
会社員 それは、いったい、どのようにして?
哲学史家 結婚した場合に想定されるあらゆる可能性を、紙に書き出したわけです。プラスとマイナスを箇条書きにしてね。(中略)
会社員 それで、どうなったのですか?
哲学史家 もちろん、ライプニッツは、結婚をとりやめましたよ。理性的に計算すれば、そうなるに決まっているじゃないですか!

私たち人間は、何を、どこまで、どのようにして知ることができるのか?

いつか将来、あらゆる問題を理性的に解決できる日が来るのか?

あるいは、人間の理性には、永遠に超えられない限界があるのか?

本書ではこの問題について、会社員、経済学者、哲学史家、運動選手、生理学者、科学社会学者等、様々な立場の人物がディスカッションする形で進められている。

当然、結論は出ないのだが、たまにはこのような「永遠のテーマ」について様々な角度から考えるのもよいのではないだろうか。

2013年8月10日 (土)

利益や売上げばかり考える人は、なぜ失敗してしまうのか/紺野登

Photo  ドラッカーは、みずからを社会生態学者と称していましたが、その一方で、経営コンサルタントという顔を持っていました。これは有名な話ですが、彼はクライアントとの最初のミーティングで、開口一番、「ホワット・イズ・ユア・ビジネス?」(どんな事業をなさっているのですか)と質問するのがもっぱらでした。
 「ドラッカーともあろう人が、クライアントのことを事前に調べてこないのか」なんて、やぼなことは言わないでください。彼は、この質問をきっかけに、「その会社の使命は何か」「顧客はだれか」など、当たり前だけれども日頃まじめに考えていない質問を投げかけながら、その会社の「あるべき姿」、ついには「目的」を引き出していくのです。

今、戦略論が盛んだ。

特にマーケットがグローバル化した結果、多くの企業が海外に進出することを余技なくされている。

そのためには戦略が必要になる。

その意味で、戦略論が盛んになるのは当たり前であろう。

ただし、戦略とは方法論である。

方法論の前に大目的が必要なのではないか?これが本書の主張である。

大目的とは、「あなたの事業とはそもそも何なのか?」「その会社の使命は何か?」「顧客はだれか?」というもの。

つまり、そもそも論、である。

企業の不祥事が起こるのも、多くの場合、その原因は、大目的を見失ってしまったことによる。

企業の大目的をしっかりと見据えて事業をし、それが社員に共有されていれば、不祥事など起こるはずがない。

そして現在の日本のリーダー層に問われるのが、目的の設定能力であることに疑いの余地はない。

世のなかや関係者の多様な小目的群を調整し、大目的に根差しながら中目的に向けて実践するための知力。

とりわけ不確実で複雑な環境にわれわれが置かれた時、仮説を立て、社会と関わりながら行動を起こしていく実践力。

これらがリーダーに求められているのではないだろうか。

2013年8月 9日 (金)

プロフェッショナル・ネゴシエーターの頭の中/藤井一郎

Photo  ダン・アリエリー『不合理だからすべてがうまくいく──行動経済学で「人を動かす」』(早川書房)で紹介されている実験によると、被験者を2つのグループに分け、ひとつのグループには、憤りを感じる映画のワンシーンを、もう一方のグループには、幸せを感じる映画のワンシーンを見せて、似たような自身の体験を書かせたうえで、被験者にとって不公平と感じられる提案をしました。その結果、憤りを感じた人たちのほうが不当な提案を拒否する確率がずっと高かったということです。
 つまり、悲しいときは相手の要求を飲みがちになるのに対して、怒っているときは相手の要求を拒否しがちになるということです。

交渉は様々な場面で必要になる。

営業、上司と部下、企業間取引、親と子、夫婦間、自治体と市民、等々

おそらく交渉ぬきに生きていくことはできないだろう。

それだけに交渉力があるかどうかということは重要だ。

交渉とは何か?

本書では「立場や利害が異なる相手と何かを取り決めるために行うコミュニケーション」と定義している。

そして、良い交渉とは、

第一に、交渉プロセスの中で、双方の信頼感が醸成される、そういう交渉。

第二に、交渉で取り決めた合意事項が問題なく履行されること。

と述べている。

そう考えると、交渉にはテクニックの問題と同じくらいに、いや、場合によってはそれ以上に「感情」の問題があることがわかる。

デール・カーネギーの言葉、

「およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということをよく心得ておかねばならない」

これに集約されるのではないだろうか。

2013年8月 8日 (木)

シェア/レイチェル・ ボッツマン、ルー・ ロジャース

Photo  物理的なモノと私的所有と自己のアイデンティティの関係性は、根本から進化しつつある。私たちは、CDが欲しいのではなく音楽を聴きたいのだ。ディスクよりもその中身が欲しい。留守電ではなくてそこに吹き込んであるメッセージが必要だ。DVDはいらなくて、映画が見られればいい。言い換えれば、私たちはモノ(それ自体)よりも、それによって満たされるニーズや経験を求めている。所有するものが非物質化した形のないモノになっているため、所有そのもののコンセプトも変化し、「自分のモノ」と「他人のモノ」と「みんなのモノ」の間が点線でつながるようになりつつある。こうした変化によって生まれる世界では、「利用」が「所有」に勝る。

車、自転車、工具といったモノから時間、空間、知恵、スキル等、あらゆるもののシェアが広がっている。

その大きな原動力となっているのはインターネットとソーシャルネットワークである。

歴史を振り返ってみると、特に近年は大量生産、大量消費の時代だった。

そのために人類は、天然資源を使い尽くし、有害ガスを大気中にばらまき、私たちが死んだあとも消えてなくならない廃棄物を生みだしてきた。

私たちは、与えるつもりも返すあてもなく、ただ取り続けてきた。

それらはすべて「所有」を前提とした考え方である。

「所有」することによって人間は自らの欲求を満たすことができる。

ところが、インターネットやソーシャルネットワークの出現によって、「所有」の概念が変わりつつある。

これまでは自分の手元に置いておくこと、イコール、「所有」だった。

ところが、ネットの出現によって、必ずしも手元に置いておく必要がなくなった。

また、「所有」するために新たに生産する必要もなくなった。

ネットが、ある一つのモノがいらなくなった人と欲しい人とを結びつけることによって、生産しなくても「所有」することが可能になった。

いらなくなったものや飽きてしまったもの、または余りものを活用して、必要なものを手に入れるという考え方は、理にかなっている。

シェアが可能なのは、モノに限らない。

スキル、時間、空間などのシェアも可能である。

私たちはだれしも、これまでの人生で、なにがしかのスキルを身につけている。

自動車を修理できる人もいれば、税金に詳しい人もいるし、また野菜を育てるのが得意な人もいる。

時間に比較的余裕のある人もいれば、自分だけの空間やモノや専門的な知識を持っている人もいる。

これらを結びつけることによって、これからまだまだこのシェアビジネスは広がっていきそうである。

2013年8月 7日 (水)

「空気」の構造/池田信夫

Photo  集団主義というのが集団の意思を個人に優越させるという意味なら、中央が出先に命じて軍を動かせるはずだが、そういう意味では日本軍は集団主義ではなかった。むしろ分権的に現場の意思で動くのだが、それは特定の個人の意思ではなく、人間関係を壊さないように行動するのだ。
 結果として演繹的・論理的に戦略が決まるのではなく、戦況から帰納した参謀本部の「空気」で作戦が立てられ、それが現場に伝達されると師団や連隊の中の「空気」を守るようになし崩しに物事が決まってゆく。そのとき重視されるのは、客観情勢や味方の戦力などから論理的に導かれる作戦ではなく、将校の「顔をつぶさない」ように利害調整することだ。

日本人の意思決定の大きな特徴は「空気」によって決まるということ。

だから、何か事が起こったとき、「誰が最終的に決めたんだ」と追及しても、なかなか出てこない。

あえていうならば、「空気」が決めたということになる。

「空気」はあらゆるところに顔を出す。

身近な人間関係から国の意思決定まで。

帝国陸軍のインパール作戦から東電福島第一原発の事故対応に至るまで。

いったんこの「空気」が発動すると、そこに待っているのは「思考停止」と組織の崩壊である。

例えば、原発の問題。

今、日本の原発は止まったままだ。

別に法律によって止めると決まったわけではない。

ただ、原発は怖いという「空気」が止めている。

法にもとづかないで原発が止められ、電力会社は巨額の赤字を計上し、日本経済に莫大な損害を与えている。

「空気」が、憲法を超える強い拘束力をもつ日本。

これは外国人には決して理解できないだろうなと思う。

2013年8月 6日 (火)

首魁の宴/高杉良

Photo  杉野は大蔵省など経済官庁の高級官僚を手なずけるために、モチ代と称する小遣い銭を与えていた。金額は三十万円から五十万円。
 ホテルの特別室や杉野良治事務所に呼びつけて、〝寸志 杉野良治〟と毛筆で書いた封筒を手渡す。この習慣は十年に及ぶ。金額はいまよりも少ないが、杉野からモチ代を受け取った高級官僚で、日銀総裁にまで上り詰めた者もいる。
 情報は只ではない、という信念に根ざしていると言えば恰好がよすぎるが、カネで動かぬ官僚は少ないし、受け取らぬ者も少ない。
 官僚たちが政治家に強い杉野の威光を恐れている面もある。受け取りを拒否して、杉野の逆鱗に触れたくない、という思いもあるかもしれない。

この小説の主人公、杉野のモデルは、雑誌「経済界」の主幹である佐藤正忠。

またその他の登場人物も実名は使っていないものの、ほんとんど実在の人物。

しかも、中曽根元首相を曽根田元首相とするなど、実名をにおわす偽名が使われている。

内容は、カネ、カネ、カネ、である。

そのカネは政界、財界、官僚にばらまかれる。

それによって杉野は影響力を強めていく。

逆らう者は、自らが主幹を務める「経済界」でたたく。

そんな世界である。

カネにまみれた政界、財界、官僚の大物たちが日本をダメにし、失われた20年となったのだと考えると、その罪は計り知れない。

2013年8月 5日 (月)

しくみづくりイノベーション

Photo  当事者である生活者に、直接コミュニケーションをとることでニーズをくみ取ることができるのではないかという発想もある。しかし、顧客は無意識にニーズをもっているのであって、明瞭かつ明確に言語化されているわけではない。また、顧客自身が自らの欲求や欲望に気づいていない場合も多い。なぜならば、彼らのニーズはまだサーチライトで照らし出されていないからだ。
 アメリカにおけるATM(銀行の現金支払い装置)導入前の調査結果は、その好例である。ATMがまだ市場に導入される前の聞き取り調査で、預金の引き出しを利用するかという意向を聞くと、ほとんどの人が利用しないと答えたという。今から考えると、想像できないような事実があった。

多くの商品のコモディティー化が問題となっている現在、イノベーションが多くの企業にとっての課題になっている。

そのため、「顧客に聞け」とまずリサーチを始める。

しかし、これには限界があるという。

そして一つの例としてATMのことを取り上げている。

導入前の調査では、多くの人は「ATMは利用しない」と答えた。

当時の人びとは、ATMをまず見たことがない、聞いたことがない。

あるいは現状のサービス以外の可能性を想定できないような状況では、「問い」そのものの意味がないといっても過言ではない。

たとえATMがいかに優れたものであっても、従来は銀行マンを信用しているのだから取引ができたのに対し、機械ではそんなことができるはずがない。

こういった先入観を持った人びとにとって、機械によるサービスは不自然に映ったのであろう。

当然のことながら、「利用しない」、「利用したくない」といった反応がほとんどだった。

そんなATMも、今日では必要不可欠なものとなっている。

ATMでお金を引き出すという場合、あくまでそれはATMあるいは銀行を使いたいからではなく、何らかの目的がある。

「ドリルではなく、穴を求めているのだ」という言葉があるように、目の前にある物事のみにとらわれると近視眼的になってしまう。

何が本質的な顧客のニーズなのか?

顧客が自分自身でも気づいていない隠れたニーズをどのようにして発見するのか?

見落としてしまいがちな視点である。

2013年8月 4日 (日)

「3年で辞めさせない!」採用/樋口弘和

Photo  中途採用で、たとえば建設業からサービス業へと業種が変わる場合でも、その人のコンピテンシーは基本的には変わりません。新しい業界の専門知識や経験は学ぶことができますが、行動特性は基本的には変わりません。これから新天地で頑張ろうという人は、実は過去にも頑張ってきた人です。それが明らかになれば「環境を変えればいい仕事をするだろう」というたしかな予測が成り立ちます。つまり「業界の経験や知識」よりも、コンピテンシーの高い人を採用したほうが、同じ教育という投資を行っても圧倒的に効果に差が出ます。将来的には会社の成長に繫がるのです。面接のポイントは、そこを確かめることにあります。

採用にはお金がかかる。

担当者はエネルギーも時間も取られる。

にも関わらず3年で辞める若者が増えている。

企業にとっては大損失である。

どうすれば戦力になる社員を採用できるのか。

これは企業の永遠の課題かもしれない。

絶対と言える決め手となるものは見つからないのだが、コンピテンシーはその中で重要なキーワードになる。

コンピテンシーを日本語に訳すと「能力」となる。

しかし、ただの能力ではない。

「成果に直結する能力」である。

人にはそれぞれ一定の行動特性を持っている。

これはなかなか変わらないもの。

そして高業績者には共通した行動パターンがある。

だから、対象者の行動パターンを見ることによって、戦力になる社員かどうかを見極めることが可能になる。

著者の調査によると、学生が社会人として成長するかどうかを見極めるポイントはコンピテンシーで表現するとたった三つだという。

一つ目は、高い目標を持ち、それをやりきろうとする「達成志向」。

つまり情熱のようなもの。

二つ目は、異年齢、異文化集団の中で相手の言わんとすることを理解し、対応できるかという「適応能力」。

柔軟性と表現しても良い。

三つ目は、成長する人間に不可欠な「素直さ」。

専門用語では、「自己認知」と言う。

これは参考にしても良いのではないだろうか。

2013年8月 3日 (土)

最強マフィアの仕事術/マイケル・フランゼーゼ

9784799310113  ビジネスとは、事前に明確な目標を定め、その目標に沿って計画的に仕事を進めていくものだ。見えない目標を達成することはできない。だからマフィアは、目に見える身近な相手をカモに選ぶ。
 目標は、具体的かつ達成できたかどうかが自分でわかるものでなければ意味がない。そういう目標を立てれば、なすべきことも自然と決まってきちんとした計画を立てられる。
 かのレオナルド・ダ・ヴィンチもこう言った。
「自分の目的に沿った仕事をせよ」
 これができなければ、結局は失敗する。

本書の著者、フランゼーゼ氏はニューヨーク5代ファミリーのひとつ、コロンボファミリーの元幹部。

その後マフィアから足を洗って、自ら刑に服した。

出所して書いたのが本書である。

マフィアのビジネスとはカジノ、覚醒剤といった言葉が思い浮かぶが、その多くが合法のビジネス、あるいは法律すれすれのグレーゾーンのビジネスだという。

実際、マフィアはあらゆるビジネスと関わっている。

司法省と警察は、マフィアが張り巡らせた巨大なビジネスネットワークを解体させようと、何十年も努力を重ねている。

しかし今でも、マンハッタンの会議室からハリウッドの華やかな撮影スタジオ、はては国家財政を扱う聖域にまでマフィアの影が及ぶ。

これは紛れもない事実である。

そしてビジネスとは「事前に明確な目標を定め、その目標に沿って計画的に仕事を進めていく」ものだという。

これも至極もっともなこと。

そしてビジネスで成功するためにはハードワークをせよ、という。

これもいわば当たり前のこと。

その意味でも、マフィアにも学ぶべきものは多くあるといえよう。

2013年8月 2日 (金)

最強スパイの仕事術/ピーター・アーネスト

Photo  私が唱える結果重視の思考とは、目標を達成するための方法というよりも、 目標自体も変えられるほど柔軟に物事を考えることだ。あらかじめ決めた目標に向けて進むのではなく、将来起こりうることを予測し、一番いい結果を出すには行動をどう積み重ねていけばいいかを考えることだ。

本書ではCIAにおいて25年間、スパイとして生きてきたピーター・アーネストが、そのテクニックを述べている。

そしてこのスパイのテクニックは民間の企業にもそのまま応用できる。

例えば、結果重視の思考について。

ここで著者は結果重視の思考とは、目標自体も変えられるほど柔軟に物事を考えること、と述べている。

これなど、企業で働く者にも求められるものである。

一度決めた目標は頑なに守り続ける企業と、状況によって目標の変更を良しとする企業とがある。

前者は比較的硬直化した企業文化をもっている会社に多い。

いつのまにか目標達成自体が目的になってしまい「何のためにこの目標を達成する必要があるのか?」が抜け落ちてしまうことにより、これが起こる。

結果重視の思考を実践するには、柔軟性や精神的なタフさが必要になる。

人間は「いつもこの方法でやってきたから」と、ごく当然のようにいつものやり方に戻したがる傾向がある。

変更は加えるもの、変更を当然とみなす企業文化を作ること。

これは今のような変化の激しい時代では、多くの企業にとって大切な課題ではないだろうか。

2013年8月 1日 (木)

軸のある人、ブレる人/山崎武也

Photo  カタチを学んでいけば、ココロがわかってくるのである。カタチはココロがなかったらカタチにならないし、ココロはカタチがなかったらココロにならない。人にココロを伝えようと思ったら、カタチという媒体が必要であり、カタチを整えようと思ったらココロという中身が必要なのである。
「心を込める」という表現があるが、ココロを入れるには、カタチという容器がなくてはならない。ココロだけではなく、カタチも重要である所以である。

形から入ることによって、心が伴ってくる。

これは誰もが体験することである。

例えば、電話で相手と話しているとき、しきりにお辞儀をする人がいる。

電話であるから、その姿は相手には見えない。

しかし、その形の中に込められている誠意やへりくだった心が相手に伝わっていく。

また、お辞儀一つにしても、心が表現されているお辞儀とそうでないお辞儀がある。

形が心を表す。

形から入るということで際立っているのは伝統文化であろう。

伝統文化で長年にわたって続いてきているものには、細部に至るまで決められた型があって、それらがそのまま継承されている。

茶道、歌舞伎、柔道、剣道、相撲、等々、みんなそうだ。

外部の人から見ると、すべてがルールずくめであって、きわめて堅苦しく感じられる。

だが、そのルールの一つひとつに意味があって、それを深く追究していくと、そこに魅力的な世界が現出してくる。

そもそも人生は繰り返しである。

日々の生活においても、朝起きて洗面をすることに始まり、食事、仕事、休憩などが規則的に行われて就寝までへと続いていく。

同じような情況が生きている間中ずっと続けられていく。

しかし、その繰り返しのパターンは個人によってみんな違う。

パターン化した生活習慣、これがその人の心や人生観、価値観を表しているといって良いのかもしれない。

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