昭和史 1926-1945/半藤一利
何がこの事件の後に残ったのか。簡単です。松本清張さんに『二・二六事件』という大著がありますが、その結論で述べている言葉が一番適しているかと思います。「(これ以後の日本は)軍部が絶えず〝二・二六〟の再発(テロのこと)をちらちらさせて政・財・言論界を脅迫した。かくて軍需産業を中心とする重工業財閥を(軍が)抱きかかえ、国民をひきずり戦争体制へ大股に歩き出すのである。(日本の国がここでがらっと変わるのですが)この変化は、太平洋戦争が現実に突如として勃発するまで、国民の眼にはわからない上層部において、静かに、確実に進行していった。
日本が太平洋戦争に突入した経緯を見ていくと、二・二六事件がターニングポイントになっていることがわかる。
二・二六事件は皇道派の青年将校が起こしたとされている。
北一輝の『日本改造法案大綱』に影響され、
日本の貧しい窮状を救うためには、「改造なくして繁栄なし」
天皇をかつぎ、憲法で定められているところの大権を発動して、軍部が政治や経済をがっちり押さえてやらなければだめなんだと本気で考え出す。
こうして昭和11年2月26日に二・二六事件が起こるわけだが、
松本清張が言うとおりで、これ以後の日本はテロの脅しがテコになって、ほとんどの体制が軍の思うままに動いていくことになる。
戦争に反対した政治家も結局、軍に押し切られてしまう。
また当時のマスコミも軍を後押しするような形を報道が目立ち、国民をあおる。
こうして日本は太平洋戦争に突入するわけだが、一つの流れができてしまうと、歯止めがきかなくなり、マスコミも世論も一方に偏ってしまうという傾向は今の日本にもある。
その意味では、日本人は昔も今も全く変わっていないと言えるのではないだろうか。
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