昭和史 戦後編 1945-1989/半藤一利
所得倍増計画は十二月二十七日、あっさりと閣議決定されます。以後三年間の経済成長率は年平均九パーセントを保つように努力する、という大方針は二日後に大々的に発表され、池田さんは独特のダミ声で言いました。
「日本国民の所得はアメリカ人の八分の一、西ドイツの三分の一。この所得を倍にします。つまり国民の一人ひとりの月給を二倍にするのです」
「私はウソを申しません」
もっと詳しく言えば、国民総生産を今の十三兆円から倍の二十六兆円にする。昭和三十六年(一九六一)から四十五年(一九七〇)までの十年間にこれを達成する。そうすれば国民所得も約十万円から二十万円に、つまり月給が二倍になるというわけです。
ホントかよオイ、そんなことができるはずないじゃないか、とも思ったものの、まさにこれは日本の高度経済成長の幕開けとなり、皆がここを出発点に走りはじめました。
戦後の日本の高度成長のキッカケの一つに、池田内閣の「所得倍増計画」がある。
昭和35年のこと。
GNP(国民総生産)を毎年8.8パーセント上げていくと、十年後には2.3倍になる。
すると必然的に国民の月給は一人当たり1.9倍になるというもの。
ただ、実際は池田内閣ができたからいっぺんに経済成長がは じまったわけではなく、すでに昭和28年頃からある種の高度成長時代に入っていた。
朝鮮戦争の特需もあり、日本人の労働力はぐんぐん増してきて、昭和30年くらいには国民の生活はすでにかなり裕福になっていた。
そこへ池田内閣の「所得倍増計画」である。
この後、東京オリンピック、新幹線、万博に象徴される高度成長時代が到来し、日本は豊かになっていく。
国の政策を受けて、各企業は、「政府の後押しがあるならば」とさらにハッスルしする。
設備投資をもっと進めるようになる。
生産を上げるための設備投資によって生産が上がればさらに投資するというかたちで生産力をどんどん膨らませていく。
国民も、月給が二倍になるというのでマイホームへの夢を膨らませはじめる。
労働組合も、それまでのようにギスギスした闘争ばかりやっているのではなく、給料もどんどんベースアップしていくに違いないというので、かなり穏やかになっていく。
これらのことを振り返ると、国のトップが明確なビジョンを示すということがいかに大事かということがわかる。
そして、リーダーに求められることも、これなのだろう。
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