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2013年9月26日 (木)

失敗の本質/野中郁次郎・他

Photo ガダルカナル島での正面からの一斉突撃という日露戦争以来の戦法は、効を奏さなかったにもかかわらず、何度も繰り返し行なわれた。そればかりか、その後の戦場でも、この教条的戦法は墨守された。失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくということは驚くほど実行されなかった。これは物事を科学的、客観的に見るという基本姿勢が決定的に欠けていたことを意味する。(中略)
 これに対して、米軍は理論を尊重し、学習を重視した。ハルゼー麾下の米第三艦隊参謀長ロバート・B・カーニー少将はレイテ島攻略を前にして次のように語った。
「どんな計画にも理論がなければならない。理論と思想にもとづかないプランや作戦は、女性のヒステリー声と同じく、多少の空気の震動以外には、具体的な効果を与えることはできない。」

大東亜戦争において、日本は悲惨な敗戦を味わった。

そして、それに関連する様々な本が書かれている。

多くは、国力に大差ある国々を相手にどうして日本は無謀にも戦争を始めたのか、という内容のものである。

対して、本書はむしろ、なぜ敗けたのかという問いの本来の意味にこだわり、開戦したあとの日本の敗北を決定づけた各作戦での失敗、すなわち「戦い方」の失敗を扱っている。

そして、これは現在の企業経営にもそのまま当てはまることが多い。

企業経営とは、ある面、利益を最大化するための合理性と効率性を追求するものである。

そして軍隊もまた、勝つための合理性と効率性を追求するものであるはずである。

何しろ、国の命運が、そして人の生死が関わってくるのだから。

ところが、日本軍は、戦争に勝利するというその組織的使命を果たすべき状況において、しばしば合理性と効率性とに相反する行動を示している。

つまり、日本軍には本来の合理的組織となじまない特性があり、それが組織的欠陥となって、大東亜戦争での失敗を導いたと見ることができる。

日本軍は初戦の真珠湾攻撃では勝利したものの、ミッドウェー海戦では敗北し、その後は敗北につぐ敗北。その間、敗北の原因を分析することもなく、同じ失敗を繰り返し続け敗戦に至る。

組織のなかでは合理的な議論が通用せず、状況を有利に打開するための対策も立てられない。

大東亜戦争中一貫して日本軍は学習を怠った組織であった。

日本軍のなかでは自由闊達な議論が許容されることがなかった。

情報が個人や少数の人的ネットワーク内部にとどまり、組織全体で知識や経験が伝達され、共有されることが少なかった。

作戦をたてるエリート参謀は、現場から物理的にも、また心理的にも遠く離れており、現場の状況をよく知る者の意見がとり入れられなかった。

したがって、教条的な戦術しかとりえなくなり、同一パターンの作戦を繰り返して敗北するというプロセスが多くの戦場で見られた。

そして戦局が厳しくなると、挙げ句の果て、全軍突撃を敢行する戦術をとるという愚かしさ。

およそ日本軍には、失敗の学習をし、合理的な対策を立てるというリーダーシップもシステムも欠如していたというべきであろう。

一方、米軍の戦闘展開プロセスは、まさに合理性と効率性の追求にほかならなかった。

太平洋の海戦において一貫して示されたアメリカの作戦の特徴の一つは、たえず質と量のうえで安全性を確保したうえで攻勢に出たことである。

数が明らかに優勢になるまでは攻撃を極力避け、物量的に整って初めて攻勢に打って出ている。

これはある合理的な法則に基づいて作戦をたて、実行するという意味で極めて演繹的なアプローチであるといえる。

そう見てみると、日本の敗戦は単なる物量の差だけではなかったということがわかる。

日本軍の持つ組織的欠陥が敗北を招いたのである。

そして、問題は、この旧日本軍の体質のままの企業が、今も多く存在しているということである。

本質的に日本人は戦前も戦後も、そして現在も、ほとんど変わっていないということは言えるのではないだろうか。

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