イチローに学ぶ「天才」と言われる人間の共通点/児玉光雄
フランスの心理学者、ド・シャームは、人間を二種類に分類している。「指し手」と「駒」である。「指し手人間」は、「自分の運命は自分が支配している」と考えられる。事がうまく運んでいるときはもちろんのこと、たとえ自分が逆境にあるときにも、決してへこたれない人たちのことをいう。
いっぽう、「駒的人間」は、上司から言われたことだけをこなす人間である。上司にとっては使いやすい人間である。しかし、「駒的人間」に創造性や自主性はまったく期待できない。
「指し手人間」と「駒人間」、面白い分類である。
そしてイチローは「指し手人間」であると著者は述べている。
イチローは、いつも自分から発信していくタイプである。
決して「受け手」のままで終わらない。
「自分を殺して相手に合わすことは、ボクの性には合いません。まして、上からいろいろ言われて、納得せずにやるなんてナンセンスだと思います」
これがイチローの口癖である。
自分の意思で行動を決める。
イチローの生き方の根本にはこれがある。
そして、高校時代の中村監督、プロになってからの仰木監督と、イチローの生き方を認めてくれる指導者がいたことも見逃せない。
会社の中にも、部下を「駒」としか考えない上司がいる。
これでは部下の創造性はまったく封じ込まれてしまう。
日本人は創造性に欠けるとよく言われる。
しかし、責任の大半はリーダーにあるように感じる。
部下の創造性を封じ込めてしまうリーダーに大きな責任がある。
いまだにスポーツの世界では、体罰の問題が出てくる。
体罰とは、暴力によって、選手を「駒」のように動かす手法と言って良い。
しかし、選手や部下を「駒」としてしか扱わないリーダーのもとから、未来のイチローが生まれてくることはないであろう。
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