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2013年10月27日 (日)

関東大震災/吉村昭

Photo  関東大震災の焼失図を見ると、東京市の大半は焦土をしめす朱色がべったりと塗りつけられている。が、その中に浅草観音境内、石川島、佃島、神田区和泉町、佐久間町一帯が焼失をまぬがれたことがわかるが、殊に和泉町、佐久間町の地域が、広大な朱色の焼失地域の中で焼け残り地区をしめす白地のままであるのがひどく奇異なものに映る。
 この一区画の焼け残りは、関東大震災の奇蹟とさえ言われた。
 震災後、大焦土と化した東京市の中で、その地域に家並が残されている光景に、人々は驚きの眼をみはった。それは、広大な砂漠の中に出現したオアシスのようだと表現する者さえあった。

1923年に起こった関東大震災。

死者・行方不明 10万5千余。

地震の揺れによる建物倒壊などの圧死があるものの、強風を伴った火災による死傷者が多くを占めたとされる。

そんな中で、和泉町、佐久間町の見事な焼け残りは、好条件に恵まれてはいたが、住民たちの努力によるものであった。

住民たちは、四囲を完全に火に包まれた中で町内にとどまり、火と戦った。

もしも防火に失敗すれば、町内には炎がさかまき、全員焼死することが確実だった。

住民たちは、ポンプ注水すると同時に家屋を破壊し、また数百名の住民は二列縦隊をつくって七個の井戸から汲み上げた水をバケツで手送りし、全力をあげて消火につとめた。

火との戦いは8時間にも及び、その夜の午後11時頃火勢を完全に食いとめることに成功した。

その結果、千六百余戸の家々が東京市の焦土の中で焼け残った、という。

この奇蹟的ともいえる和泉町、佐久間町の焼け残りは、すべて住民の努力によるもので、消防署は防火活動に全く従事していない。

どうしてこんなことができたのか。

原因として、その地域は、江戸時代の大火にも難をまぬがれたという事実が語り伝えられていたので、住民たちの間には焼けぬ土地という信念があった、というのが大きい。

そのためかれらは積極的に火流と戦い、それを阻止することに成功した。

つまり過去の言い伝えからくる成功体験が住民たちを不退転の消火活動へと駆り立てたと言うことができる。

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