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2013年10月13日 (日)

歴史の真実と政治の正義/山崎正和

Photo じつは歴史というものは、そこからさまざまな虚妄のスローガン、人工的な意味付けを抜いて眺めると、これほど儚く、それゆえに面白く、つまり人間的なものはほかにない。司馬さんが生涯にわたって嫌ったものは歴史主義であって、本来の意味での歴史そのものではなかった。カール・ポパーが言うような、煽情的な歴史思想を司馬さんは拒否し続けたのであり、その無言の表明として「裸の歴史」を眺め続けたのだといえるかもしれない。
 歴史にありもしない目的を与え、その観点から個人に善悪のレッテルを貼り、一つの時代への参加を呼びかけ、しかももっとも残酷なかたちで参加した者を罰するのが、歴史主義である。そして日本の戦後は、戦前に劣らぬほど、政治的な歴史的使命感が社会を支配した時代であった。司馬さんはこの圧倒的な暴力と戦うために、あえて火中の栗をひろって、意味や目的や使命感抜きに歴史を見ようとしたのであった。

歴史は、それをありのまま見ることができれば、これほど面白いものはない。

ところが、その歴史に一定の主義や思想を加味し、それを軸に組み立てようとすると、危険な道具になる。

例えば、司馬氏が青春を過ごした昭和初期という時代は、まことに過酷な歴史主義の時代にほかならなかった。

皇国史観と呼ばれる歴史主義が、学校も家庭もジャーナリズムをも支配していた。

同時代のヨーロッパでも歴史的使命感のヒステリーが狂奔していた。

ナチス・ドイツは二十世紀半ばのドイツを「第三帝国」と呼び、神聖ローマ帝国の歴史的意志の後継者として位置づけた。

さらにその背後には、最大の歴史主義思想というべきマルクス主義の脅威がのしかかっていた。

世界中が右も左も歴史について熱狂し、「歴史をつくる」「歴史に参加する」と絶叫の大合唱を繰り返している時代であった。

これは歴史に対する正しい姿勢ではない。

ありのままを見るから歴史なのである。

そのスタンスをきちんと守って歴史を見れば、これほど教訓に満ちたものはない。

大きな歴史のうねりの中で、人々がいかに生き、動き、考え、生活し、何を守るために戦ってきたのか、

それらはそのまま今に生かすことができる。

ところが、歴史に特定の意味をもたせ、それによって何かの主義や思想を正当化しようとすると、それは危険な道具になる。

歴史はありのままを見るべきである。

大事な視点だと思う。

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