逆説の論理/会田雄次
ある友人だが、戦前あまり問題にされない人物を研究したことがある。ここで断っておくが、その人を研究したのは友人が別に識見を持っていたせいではない。全くの偶然からである。ところが彼が研究しているその人物が戦後急に話題となった。(中略)そこでこの若い友人に依頼が来た。彼はそれをひき受け、その本が当った。学会やマスコミで一躍有名になった。彼のいいところは、依頼された時点で変な謙遜や卑下に陥ることなく、不安やひねくれに陥ることもなく、一種のうぬぼれと背伸びした姿勢でこの評価に見栄を張って応じたことだ。つまり、もう少し俺は偉いのだという、悠々とした姿勢をもってである。そしてその努力をした。そうすると「不思議なもので」かれは学者としてもうんと上昇したのである。友人も先輩も彼があそこまで行くとは思っていなかったと驚くほどに。
見栄とは、実際の自分よりもよく見せようとする行為。
これは誰でも持っている。
見栄を持っていると、まともな人間なら必ずそれに達しようと努力をするようになる。
そのことで才能が開発されて行く。
実際は70の実力しかない人が、80点人間のごとく振る舞うとする。
そうすると、周囲もその人を80点人間だと見るようになる。
結果、その人は80点人間になるように努力をするようになるであろう。
人間は、自分の持っているイメージ通りに自分を持っていくという性質がある。
見栄をはるとは、そのメカニズムをうまく利用する行為の一つと言える。
見栄を張るということは、常識的にはあまりよろしくない、ということになっている。
しかし、見栄の効用をうまく利用する生き方もあっていいのではないだろうか。
特に何か壁に突き当たっている人にとって、これは一つの方法のような気がする。
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