« 任せる技術/小倉広 | トップページ | 論理的に話す技術/出口汪 »

2013年11月25日 (月)

論理的に考える技術/出口汪

Photo  ずばり、これまでの日本人に欠如していたのは、「他者」という意識だったんだね。ここでいう「他者」とは、単なる「他人」というような粗雑な捉え方ではなくて、「根本のところではどうやってもわかり合えない存在」という、ある種の絶望感といってもいいものがその奥底にはある。

日本人は論理性に欠けると言われる。

その根本には、日本人は同一民族でお互いに分かり合える民族だという前提があり、それが「他者意識の欠如」につながっているという。

論理性はどうして必要か?

それは相手に自分の意思を伝えるため。

お互いに分かり合えない他者に自分の意思や考えを伝えるには、どうしても筋道を立てて言葉を構築し伝える必要がある。

そんな環境から論理性は鍛えられる。

良く言われるのは日本は農耕民族であり、ヨーロッパはは狩猟民族だということ。

日本人は農耕民族で、共同体の和を大切にしてきた。

ある意味で、日本という国そのものが大きな共同体、村だったといってもいいかもしれない。

みんな仲間だから、そのいい関係を乱すようなことをいってはいけない、すべてをはっきり言わなくても、相手はわかってくれる、そんな意識を常に持ってきた。

ヨーロッパは基本的に狩猟民族だ。

狩猟民族もときには協力して大きな獲物を獲ることはあるが、もし、目の前にいる動物が自分の家族の飢えを満たす程度の大きさしかなかったら、他の人間はライバル、敵になる。

だから、他人は、「何となくわかり合える存在」には決してなりえない。

では、アメリカはどうなのか?

アメリカは移民によってつくられた国。

隣に住んでいる人は自分と文化も習慣も考え方もまったく違う人かもしれない。

隣の人とでも、「何となくわかり合う」ことは不可能な社会。

極端なことを言えば、彼らにとって、自分以外の人間はすべて他者、「根本のところではわかり合えない存在」。

だから、コミュニケーションを取ろうとしたら論理が必要になる。

日本人が論理性に欠けるの原因は、他者意識の欠如にある。

確かにそうかもしれない。

« 任せる技術/小倉広 | トップページ | 論理的に話す技術/出口汪 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 論理的に考える技術/出口汪:

« 任せる技術/小倉広 | トップページ | 論理的に話す技術/出口汪 »