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2013年11月 9日 (土)

日本辺境論/内田樹

Photo 私たちがふらふらして、きょろきょろして、自分が自分であることにまったく自信が持てず、つねに新しいものにキャッチアップしようと浮き足立つのは、そういうことをするのが日本人であるというふうにナショナル・アイデンティティを規定したからです。世界のどんな国民よりもふらふらきょろきょろして、最新流行の世界標準に雪崩を打って飛びついて、弊履を棄つるが如く伝統や古人の知恵を捨て、いっときも同一的であろうとしないというほとんど病的な落ち着きのなさのうちに私たちは日本人としてのナショナル・アイデンティティを見出したのです。

著者は日本人を辺境人と規定している。

日本人にも自尊心はあるが、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。

それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している、一種のかげのようなもの。

ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。

おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろう。

たとえば中国は世界の中心は自分たちであるとの中華思想がある。

だから、ある意味横暴にもなり得る。

しかし、日本にはそれはない。

日本人にあるのは、ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」があるという考え方。

だから、それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定さる。

しかし、著者はこのことを決して否定的にはとらえていない。

むしろ、積極的、肯定的にとらえている。

考えてみれば、極東にあるこの国がここまで発展してきたのも、外部のどこかに絶対的な価値があると信じ、それに必死にキャッチアップしようとしてきたからではないだろうか。

その意味では辺境人として生き抜くということも良しとすべきであろう。

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