異形の日本人/上原善広
「ほんまにな、一般的にいうリラックスなんか必要ない。ほんまのリラックスちゅうのは有り余る力がある中で、力の入ってる状態をいうんや」
そう言うと溝口はぐっと握ったこぶしを曲げ、さらに言葉を継いだ。
「一五〇キロのバーベルをただ手に持って下げてても、俺の手首はこうして曲がったまま。普段からこうしてトレーニングしてるから、力抜いてるつもりでも自然とこうなる。これが俺の言う、リラックス。ただ力抜いてブラブラしとるんと違う。例えばロック・クライマーが岩に手をかけて片手でぶら下がってるとき、完全に力抜いてるわけじゃないやろ。指先にはすごく集中して力こもってる。そういう感じ。だから俺はいつも、『一般的にいうリラックスなんかせえへん』ていう意味で言うてたんや。力だけで投げる言うんもそう。外人との差はなんやと。それはパワー、力や。だったらそれをつけたらええだけやんけ」
本書に登場するのは、ターザン姉妹と呼ばれた知的障害者、解放同盟に弾圧され続けた漫画家、パチプロで生活する元日本代表のアスリート、難病を患いながらもワイセツ裁判を闘った女性等々である。
彼らに共通するのは、その異形であるが故に社会から排除されたということ。
冒頭の抜き書きは溝口和洋の言葉。
現やり投げアジア・日本記録保持者。
オリンピック出場二回。
日本人として初めて国際グランプリを転戦し、1989年度は総合二位となっている。
自己最高記録は87メートル60。
それは当時の世界記録に、あと6センチと迫る大記録だった。
それから20年以上たった今日でも、溝口のこの記録は破られていない。
彼は現役を終えた後、パチプロとして生活する傍ら、中京大学で室伏広治ややり投の三宅貴子をボランティアで指導した。
彼が異形とされたのは、その発言が当時の陸上指導者の教えに反するものだったから。
彼はリラックスなど必要ないという。
そして大きな筋肉ではなく、末端の筋肉に注目し、これを徹底的に鍛えた。
当時、一般の多くの指導者は「大きな筋肉を使おう」と指導していた。
そして末端の筋肉はできるだけ「リラックス」させる。
これが当時も現在も、最も一般的な陸上界のトレーニング理論。
ところが溝口はそれを真っ向から否定した。
そうでもしないと、今まで指導していたトレーニング法はいったい何だったんだとなる。
彼は「やりは力で投げるものだ」と言う。
それは彼なりに練習を重ねて掴んだ身体的な感覚だったのだろう。
日本は同じであることを求める社会である。
それに反する人は排除しようという有形無形の力が加わる。
日本に個性的な人間が中々育たないのも、このようなところにあるのではないだろうか。
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