中国はなぜ無茶をするのか/サーチナ
中国では「ルールといってもしょせん、人がつくったもの。つくった者が、自分らに都合がよいように定めたもの」との考えが強いのです。ルールをつくるものと適用される者では「立場」が違うのですから、「ルールがあっても、賢い者は抜け道を見出して、成功への道をつかむ」と発想する場合が多いのです。
日本人や欧米人は、法律などのルールを守るのはあくまで最低限の義務だと考える。
また、世の中には、ルールだけでは語り尽くせない社会規範が存在するのだということも無意識のうちに理解している。
それ以外に、日本はムラ社会なので、ムラの掟というものが存在し、それを守らなければならないという暗黙のルールもある。
だから、中国の領土・領海問題、国連安保理決議違反、知的所有権・商標権訴訟問題など、ルール無視の行為を見ていると、「中国は信用できない」となってしまう。
しかし、本書によると、中国と日本とではそもそもルールについての受け止め方が違うのだという。
「都合が悪いルールは守らなくてもよい」あるいは「都合の悪いルールは変えてしまえばよい」という感覚が中国にはある。
これが他国と様々な摩擦を引き起こす。
しかし、日本人が受け身的に、粛々とルールをただ守るだけというのも、ちょっと問題かもしれない。
スポーツの世界などで、日本人選手に不利なルールに突然変わってしまうことがある。
とくに日本の強い分野でそれが起こり、日本は不利になってしまう。
しかし、ルールとは所詮人間の作ったもの。
都合が悪ければ変えればよいという発想は、日本もある程度持つべきではないだろうか。
そうでなければ、各国がしのぎを削っている国際競争の世界では後手後手に回ってしまうのではないだろうか。
もちろん、中国のようになれと言っているわけではないのだが、ある程度のしたたかさは持つべきであろう。
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