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2013年12月の31件の記事

2013年12月31日 (火)

ニッポン貧困最前線/久田恵

Photo  ナレーションは、あいかわらず百合子の死を、生活保護基準から九万円も低い収入で一方的に保護を打ち切られ、借金に苦しみ病気になり、助けを求めた福祉事務所の窓口でケースワーカーから冷酷に扱われて、絶望して餓死したと、運動団体のデータや主張をそのまま伝えていた。
 むろん、中野照子も登場した。いつもの科白を繰り返していた。
「見るに見かねて行っているうちに、みるみる痩せていったんです。役所が殺したと断言していいです」
 抗議集会で男が言った。
「(保護の申請に行った者を)虫ケラのように追い返すんだ」
 さらに、事件後テレビ局にかかってきた三百本以上の電話のほとんどが、福祉事務所の窓口に対する怒りの声だったというナレーションに続き、体験者の声が流れた。
「ドロボウしてでも食べていけ、と言われた。そんなことをするくらいなら死んだ方がましだ、と言ったら、そうしなさい、と言われた」

1987年1月、札幌市白石区の市営住宅の一室で、女性が衰弱死しているのが発見された。

女性には3人の子供がいた。

札幌・女性餓死事件である。

この時から、福祉事務所への凄まじいばかりのバッシングが起こる。

新聞・テレビ・週刊誌は「福祉事務所が彼女を殺した」と繰り返し報道する。

そして、事件から九カ月後、日本テレビ系列札幌テレビ制作のドキュメント番組が全国放映された。

ドキュメンタリーと言いながら、内容は福祉事務所を犯人と決め付ける客観報道とは程遠いもの。

いつも繰り返されるパターンである。

マスコミの存在価値は真相究明にある。

ところが、今のマスコミは単に大衆を煽っているに過ぎない。

例えば、この「札幌・女性餓死事件」にしても真相は全く別のところにあった。

ところが、そんなこと、マスコミは全く報道しない。

でも、今のマスコミのレベルが国民のレベルといってもよいのだろう。

どっちもどっちといっても良いのかもしれない。

2013年12月30日 (月)

「アベノミクス亡国論」のウソ/上念司

Photo  元ボクシング・ヘビー級王者のマイク・タイソンのトレーナーのカス・ダマト氏は、次のようなことを述べています。
 「恐怖心は火と同じで、使い方によっては自分を助けてくれるけど、使いようによっては自分を滅ぼすことにもなる」(中略)
 国家破産が心配だというのは、まさに恐怖心の表れです。しかし、その恐怖心はその使い方ひとつで、自分を助けてくれたり、自分を前向きにしてくれたりすることもあります。逆に、間違ったネガティブな方向に使って、逃げよう、守ろうとしていると、かえって自分を滅ぼすかもしれません。もちろん恐怖心から逃げようとして積極的に攻めたところで、恐怖からは逃げられず、逆に自分が滅びる場合もあります。
 まさに恐怖心は火と同じで、使い方によっては、自分を助けてくれる場合もあれば、自分を滅ぼすことにもなります。

アベノミクスで好景気に向かいつつある日本だが、まだまだメディアの世界では「反アベノミクス論」が大勢を占めている。

彼らは金融緩和で日本が破産するというウソを平気で垂れ流す。

しかし、これがいかに根拠のないものであるか、本書は論破している。

例えば、マネーを刷りすぎるとハイパーインフレになり、国家は破産するという主張。

これも考えてみたら根拠は希薄である。

例えば、第二次世界大戦終了後、日本のインフレ率は約60%まで上昇した。

ところが、この激しいインフレは長続きしなかった。

1949年3月には「ドッジ安定化政策」という金融引き締め政策が実施され、それから1年ほどの間に物価上昇率は一気にマイナスになるまで低下してしまった。

戦後すぐの国土が荒廃した状態ですらハイパー状態は約2年程度の短期間で終息してしまった。

しかもこのあと日本は破滅どころか高度経済成長によって大発展している。

つまり、戦争直後の超インフレですら、国家破産本が言うような、日本が破滅するくらいのハイパーインフレとは言えない。

1974年にも「狂乱物価」が発生したが、このときのインフレ率は年換算で21%程度で、こちらも1年で収まっている。

そして、その後、バブル景気が来ている。

そもそもインフレとはモノの値段が上がるということ。

モノを持っている人が圧倒的に有利になる。

その意味では、650兆円という世界最大の資産を持っている日本政府はホクホクのはず。

もし万が一ハイパーインフレにでもなれば、天文学的な金額に相当する資産を持つことになる。

ということは、ハイパーインフレで政府は倒れないということ。

物事には様々な見方がある。

だから、「このままいけば国家は破産する」と主張するもの結構。

しかし、一方、「景気」の「気」は「気分」の「気」ともよく言われる。

その意味で、いたずらに国民の危機感を煽る国家破産本の罪は重いといえるのではないだろうか。

2013年12月29日 (日)

商売で大事なことは全部セブン-イレブンで学んだ/岩本浩治

Photo セブン‐イレブンの強さの秘密は、決算諸表を分析したって分かりません。
 セブン‐イレブンのすごさの発見は、個店をいくら見学したってできません。
 それは、1品1品の商品に対する対応の仕方の中に隠れているからです。
 それは、彼らの発注スタンス、品揃えに対する考え方、発注数量を導く手順のみならず、商品管理全般に関する理念、習慣、思考回路の中に宿っているからです。

セブン‐イレブンの強さの秘訣は単品管理にある。

「単品管理」はトヨタの「カイゼン」と同様にセブン‐イレブンを象徴する言葉。

単品管理の原型は、1960年代にアメリカから持ち込まれたユニットコントロールという概念にある。

ユニットコントロールとは商品(在庫)を数量で管理すること。

「商品は金額で管理したってうまくいかない。1品ずつ、数量で管理していくしかない」という教え。

しかし、それから30年、現在のセブン‐イレブンの単品管理にユニットコントロールの面影はほとんど残っていない。

「管理の道具」が「拡販の武器」に化けたとでも言ったらよいかもしれない。

「技術」が「思想化」したとも言える。

「分析論」が「実践論」に移行したとも言える。

単品管理の真骨頂は、過去の情報の流れから妥当な数量を導くのではなく、根拠をもって異常な数量に挑戦し、それを達成することにある。

これを「仮説」という。

仮説を立てて実行する、

結果を踏まえてまた新たなる仮説を立てる、

この繰り返しが「売れる商品と売れない商品をかぎ分ける嗅覚」を発達させる。

「もうすぐ売れなくなることを察知するアンテナ」が磨かる。

どれとどれを隣り合わせに並べれば相乗効果が出やすいか、

売場のどこをどういじれば数字が変化するか、

データを分析するまでもなく直感的にそれが分かる。

そんな人材がどんどん育っていく。

これが単品管理の真骨頂だという。

単品管理はセブン‐イレブンそのものと言ってもよいのだろう。

2013年12月28日 (土)

セブン-イレブン 終わりなき革新/田中陽

Photo「これはチャーハンではない」
 九八年十月、セブン‐イレブン本部でチャーハンを試食していた鈴木敏文が激怒した。
「売れているからといって、この程度の商品しか扱っていないのかと思われたら、信用は失われてしまう。
 このチャーハンは人気商品として消費者から支持を集めていたにもかかわらず、直ちに「セブン‐イレブン」の店頭から姿を消した。

コンビニ業界の中で独り勝ちを続けるセブンイレブン。

そこには様々な要因があるが、その中の一つに妥協を許さない商品開発があるのは間違いない。

幾たびかの改良を加えてできあがったチャーハン。

しかも、人気商品。

ところが、鈴木氏の一言でこのチャーハンは店頭から姿を消す。

まさに、“鶴の一声”

その後、中華料理の専門家が作ったものとの徹底比較を行い、原因究明を行い、改良に改良を重ねる。

そして1年8か月後、「本格チャーハン」として生まれ変わり、店頭に並ぶようになる。

一事が万事、こんな調子である。

「たかがチャーハン、されどチャーハン」ということであろうか。

一切の妥協を許さない、この姿勢がセブンイレブンの強さを形作っているといってもよいだろう。

2013年12月27日 (金)

マイナス50℃の世界/米原万里

50  どれも、現地ではあり得ないことばかりだった。
 寒くて雪が溶けないから、氷柱なんて出来ない。雪は思いっきり乾いてサラサラしているから雪合戦用の雪玉も雪だるまも作れない。現地の子どもたちは口々に言ったものだ。
「スキーや、スケートは、春先の、暖かくなったときの遊びさ」
 寒い→氷→滑る、これは私たち暖かい国に住む人間の常識だったのだ。
「寒いと氷は滑らない」
 これがサハの人たちの常識。
 そういえば、理科の時間に習ったではないか。氷そのものが滑るのではなく、氷の上を動くものと氷との摩擦で熱が生じ、その熱で氷の表面が溶けて水の膜が出来る。この水の膜が滑る原因。あまりにも寒いと、たかが摩擦熱で氷は溶けないのだ。

本書は、ロシア語同時通訳としてテレビ番組のシベリア取材に同行した著者が、現地での体験をレポートしたもの。

そこには日本人の常識を覆す驚きの日常があった。

マイナス50℃とは、どんな世界なのか?

氷は滑らない。

これには驚いた。

でも確かにそうなのである。

氷が滑るのは、氷の上に動くものと氷との間に薄い氷の膜ができているから。

ところが、マイナス50℃の世界では、氷の膜はできない。

だから、氷は滑らない。

ナルホド、である。

マイナス50℃の世界では吐く息が凍りついてみな眉毛やヒゲが白い。

家の窓は三重。

プラスチック、ナイロンなどの石油製品が寒さでまるで通用しない。

人の息やら車のガスやら家の湯気やらすべてが凍りつくためにいつも霧の状態という街。

うっかり鉄の柵をなめて舌がくっつき、舌を切り取ってどうにか命が助かった子のエピソード。

一つひとつが驚きである。

しかしヤクートの人々は、このような過酷な環境の中でも見事に適応しながらたくましく生活している。

この人間の適応力と生命力にも驚かされる。

本書は、55歳にして亡くなった米原真理氏の処女作。

惜しい人をなくしたものだ。

2013年12月26日 (木)

権威主義の正体/岡本浩一

Photo 残念ながら、「権威主義とは必ず悪いものなのか」という問いへの答えは「イエス」である。後に詳しく見るように、権威主義は、ホロコーストに代表される非倫理的な集団行動の根本原因と位置づけられており、「よい権威主義と悪い権威主義があります」という立場を社会科学ではとっていない。

著者は「権威主義は悪」だと断言する。

世の中で、「悪」と断言できるものはそう多くはない。

「こういう悪い点がある反面、このような良い面もある」というものがほとんどである。

そもそも権威主義とは何なのか?

「権威」と「権威主義」とは違う。

権威は、元来、はっきりした裏づけにもとづく勢力の源泉である。

たとえば、将棋の名人は、将棋の強さを裏づけとした権威である。

総理大臣にしても、正当な選出過程を経ることによって裏づけられる権威である。

茶道や華道の家元は、一定の出自に加えて一定の訓練と手続きを経て、技能知識もふさわしいと認められることを基盤とした権威である。

これらの権威は、それぞれの裏づけを満たしている限り、それぞれに正当な勢力の源泉である。

権威ある地位にいる人は、その権威にもとづいて他者の行動に影響を与えることができる。

ある意味、世の中の秩序は権威によって保たれているといっても良い。

では権威主義とは何か?

権威主義は、本来的な権威のない人が無理に発しようとする圧迫感のことである。

よく「トラの威を借りた」と表現されるのがソレである。

部下を頭ごなしに怒鳴りつける上司

「鶴の一声」で全てが決まってしまう会社

正義をふりかざし世論を誘導するマスコミ

それらの背後には権威主義が潜んでいる。

そしてその最悪の例としてナチスのホロコーストを上げている。

その過程において同調や服従が増幅され、結果としてナチスの暴走を許した。

本書を通じて、自分の周りの人々や組織が権威によって動いているのか、あるいは単なる権威主義によるのか、しっかりと見極めることが必要だと考えさせられた。

2013年12月25日 (水)

1年で成果を出す P&G式10の習慣/杉浦里多

110  私がP&Gに入社してすぐに抱いたP&G社員の印象は、「金太郎飴みたい!」でした。
「金太郎飴」というと、やることなすことすべて一緒で面白みがないネガティブな表現に聞こえるかもしれません。
 しかし、私が「金太郎飴」と思ったのは、社員のアウトプットの質の高さについてです。
 社員が共通してもつ情熱、まじめさ、そして思考のプロセスはそのまま発言や行動(誰もが「目的は?」の質問をするetc)に反映されます。
 それにより、均質の、高いアウトプットが生まれます。
 また、思考のプロセスが標準化されたとはいっても、個性が均一化するわけではありません。むしろ、発揮できるのだと思います。

P&Gは、アメリカに本社を置く日用品雑貨メーカーで、売り上げは約7兆円、世界最大の消費財メーカーである。

売り上げが素晴らしいだけではない。

数字以上に特徴的なのは「社員能力1」の企業である、という点。

アメリカのビジネス雑誌「フォーチュン」で、P&Gは「社員の能力」で世界ランキング第一位(2008)に選ばれている。

また、GEやマイクロソフト、ディズニーなど、世界有名企業の幹部や社長の多くが、P&G出身者である。

いわば世界規模での、人材輩出企業といえる。

では、その秘訣は何か?

それは「型」にある、と言える。

この「型」は、「これさえやっておけば8割いける」成功法則で、成功の土台とも言える。

この「型」を身に付けることにより余計なことに費やす時間や労力をスルーし、より上位のことに頭や労力や時間を使うことができるようになる。

結果的に、最低限のルールに則りながら個性や能力を存分に発揮し、イノベーションを起こすことができる。

例えば、P&Gといえば、マーケティングの最高峰として名高く、MBAのケーススタディにもよく取り上げられる。

だから、複雑なマーケティングフレームがあるのだろう、と思われがちである。

しかしP&G内で、巷で使われるマーケティング用語を聞くことはほとんどない。

P&Gのマーケティングフレームは

1.目的と戦略の設定
2.取り巻く環境の分析
3.WHO(お客様理解)
4.WHAT(お客様に提供する価値)
5.HOW(お客様との関係づくり)

という、いたってシンプルなもの。

小難しい用語やフレームは一切なく、誰もが理解でき実践できる、「結果を出す」シンプルなエッセンスであるこの5つのステップに凝縮されている。

のシンプルな5ステップは、「実証・検証済みの、最強の成功法則」

175年間、180カ国で数多くのブランドを展開しているP&Gが成功も失敗も含め、徹底的に研究してきた、超シンプルだけど奥深い「結果を出す」エッセンス。

このシンプル化された成功のエッセンスが、成功の原理原則として定型化され、思考のプロセスとして標準化され、全世界で共有されている。

P&Gのマーケティングは、顧客の心を掴んで成果を出すことをスタンダード化しただけでなく、成果を出すまでの考え方が定型化・標準化されていて、全世界で共有されている。

世界中のP&Gの社員は、この「型」を習慣化するまで徹底的に実行し身に付ける。

これがこの企業の強さの秘訣である。

「型」というと、あまりいいイメージを持たない人が多い。

しかし、スポーツの世界でも芸術の世界でも、一流と言われる人はみんな「型」を持っている。

そして、その上で自分の独自性を生み出している。

「型」が身についているからこそ個性が際立つといっても良い。

「型」がいかに大事か、P&Gの成功がそれを実証している。

2013年12月24日 (火)

あなたが知らない太平洋戦争の裏話/新名丈夫

Photo 「もしも海軍の新しい戦闘機〝烈風〟が、予定どおり一年以上早くできていたなら、戦争はこんなみじめな負けいくさにはならなかったであろう」
 海軍の最後の航空本部長だった和田操中将は、終戦直後、部長室を訪れた私にたいし、長時間にわたって海軍航空部隊の開戦前からの辛苦を語ったのち、こういって身をふるわせた。
「烈風」――これこそは「零戦」よりはるかにすぐれた性能をもち、アメリカの新しい戦闘機を打ち負かし、戦局を一気にくつがえすものとして、日本海軍が最後の期待をかけた戦闘機であった。
 しかも、ほんとうをいえば、「烈風」はマリアナの戦い(昭和十九年六、七月)よりまえに生産されていたはずであった。もしもそうだったら、マリアナを基地とするB29が日本本土空襲をはじめたのは二十年三月だったから、そのまえなら内地の生産も順調にすすんだ。そのうえ、「烈風」への集中生産、その実戦部隊の急速な整備、燃料の確保があれば、たしかに戦局はちがったものになっていただろう。
 それがなんとしたこと、部内の意見の不一致などがたたって、あたら一年以上もおくれてしまったのである。

今、「零戦」が静かなブームになっている。

映画「風立ちぬ」や「永遠の0」の影響だという。

「零戦」は三菱重工業の堀越二郎技師によって設計された。

その同じ技師によって設計されたのが「列強」である。

しかし、「列強」の生産は予定から一年以上も遅れてしまった。

なぜ遅れたのか。

それは日本海軍内部の戦略・戦術に対する考え方の不一致による。

ハワイ攻撃とマレー沖の海戦は、それまで長い間、世界海軍の宿題だった「戦艦か、飛行機か」という問題にたいし、「飛行機の方が強い」という決定的な解答をあたえた。

アメリカはただちに軍備を飛行機中心に切りかえた。

艦隊は一大機動部隊編成へとめざし、航空兵力による基地の前進によって太平洋の渡洋作戦をおこなおうと計画した。

それだのに日本海軍は、古い「艦隊決戦」を考えていた。

「飛行機の戦争」でなく、「大砲の戦争」を夢見ていたのである。

日本海海戦いらいの、猛訓練による「百発百中」で勝利がえられるものと思っていた。

これが「列強」の生産が遅れた原因である。

つまり日露戦争での成功体験を捨てられなかったのである。

過去の成功体験によって変化に対する対応に遅れてしまうことは、企業の戦略を決める時によく起こる。

その意味でも「歴史に学ぶ」ことは大事なことである。

2013年12月23日 (月)

教科書には載っていない!戦前の日本/武田知弘

Photo 小林多喜二は、昭和8年(1933年)2月20日に、東京赤坂で逮捕されると、その日のうちに亡くなっている。報道発表の死因は、〝心臓麻痺〟だった。
 しかし、実際の死因がそんなものでないことは、少しでも教養のある者なら皆分かっていた。遺体の検案に立ち会った作家の江口渙は、その時の様子を次のように残している。
「何という凄惨な有様であろうか。毛糸の腹巻の半分ほどに隠された下腹部から、左右の膝頭にかけて、下っ腹といわず、尻といわず、前も後もどこもかしこも、まるで墨とべにがらをいっしょにまぜて塗りつぶしたような、何ともいえないほどの陰惨な色で一面におおわれている。その上、よほど内出血があったと見えて、腿の皮膚がぱっちりハリ割れそうにふくれ上がっている」


戦前の日本には、現代社会に通じる部分が数々あった。

しかし、なかには現代ではまったく理解不能な、絶対に受け入れることができないような野蛮な面も持ち合わせていた。

特に戦前の特高警察と治安維持法による検閲制度は絶対に受け入れがたいものであろう。

当時、ありとあらゆる表現は当局の監視下にあった。

新聞や雑誌、書籍はもちろん、演劇や映画といった類まで、当局の監視の目は及んだ。

その象徴的な出来事がプロレタリア文学の旗手、小林多喜二の拷問死である。

小林多喜二は「蟹工船」の作家として近年急に注目されるようになったが、財閥や大企業による搾取を目の当たりにし、次第に共産主義にのめりこむようになった作家である。

そして1933年、特高警察に拿捕され、激しい拷問の末、息を引き取った。

このような戦前の暗黒の歴史を知ると、「あんな時代は真っ平だ」と思ってしまう。

しかし、あの時代の検閲と先日の特定秘密保護法を結びつけるのはあまりにも無理がある。

そして、そのような似て非なる二つの法律を強引に結び付け、世論操作をしようとするマスコミの姿勢そのものに、むしろ危機感を覚えてしまう。

2013年12月22日 (日)

ハイエク 知識社会の自由主義/池田信夫

Photo だからイノベーションを高めるうえで、政府が積極的にできることは何もない。大手企業を「情報大航海プロジェクト」に集めてグーグルに対抗しようとしたり、政府が「ICT国際競争力会議」に財界の首脳を集めて旗を振ったりする産業政策は時代錯誤だ。情報通信産業は、製造業のように目的があらかじめ決まってはいないので、正しい目的を試行錯誤によって探り当てることがもっとも重要だからである。

現代のような不確実な世界を正しく予測していた、ほとんど唯一の経済学者として評価されているのが、ハイエクである。

彼は生涯を通じて、社会主義と新古典派経済学に共通する「合理主義」と「完全な知識」という前提を攻撃し続けた。

ハイエクは、人々は不完全な知識のもとで慣習に従って行動をすると考えた。

それは若いころからの彼の一貫した信念であり、社会主義やケインズ的な「計画主義」が全盛だった1930年代に、彼はほとんどたった一人で、その通念に挑戦した。

そして今、ハイエクが改めて注目されてきているという。

例えば今、イノベーションが課題となっている。

なぜ、日本ではアップルやグーグルのようなイノベーティブな企業が生まれないのか。
ハイエクの理論によると、この分野で政府が積極的にできることは何もない。

しかし、政府が消極的にやるべきことは山ほどある。

最大の役割は、ボトルネックをなくして参入を自由にすること。

とくに世界でもっともきびしい日本の著作権保護は、イノベーションを阻害している。
この他にも様々な規制がイノベーションを阻害している。

だからこのような規制を取っ払い、それによって偶然性がうまれる土壌を醸成すること。

イノベーションは偶然性という要素がどうしてもつきまとう。

人々が不完全な知識のもとで慣習に従って行動することと偶然性という要素が絡み合ってイノベーションが生まれる。

国が計画的にイノベーションを生み出すことなどできないということである。

2013年12月21日 (土)

人間の叡智/佐藤優

Photo ポピュリズムに対抗するにはエリートの強化しかないのです。言いかえれば専門家の強化で、素人が専門的な問題にくちばしを差し挟むことを抑制する文化をきちんとつくることです。知的エリート、パワーエリートが国際基準のインテリになり、ノブレス・オブリージュを果たすことができるかどうかに成否がかかっている。
 私のいうエリートとは、いわゆる偏差値エリートのことではありません。自分のいる場所を客観的に認識して、それをきちんと言語で説明できるのがエリートの条件です。人間の叡智を備えた人々のことです。

よく問題になるポピュリズム

これに対抗するにはエリートの強化しかないと著者は述べている。

どうしてポピュリズムが良くないのか。

それは、たとえば政治が大衆迎合になってしまえば、人気のない、あるいは民衆が理解することの難しい政策は一切取り上げられなくなる。

その結果、政治がおかしな方向にいってしまう。

エリートというと、特権階級という印象があるが、エリートは各層ごとにいるし、いなければならない。

下士官のエリートもいるし、小隊長のエリートも必要。

小隊長としてはエリートの機能を果たすけれども大隊長としては無理な人もいる。

あるいは参謀総長としては有能だが中隊長としては能力を発揮できない人もいる。

エリートは多重であって、それぞれ求められる資質が違うので、多様性の中の一致が必要。

エリートとは「選ばれた人」ということ。

選ばれた人であるからこそ体を張った決断と行動ができる。

ノブレス・オブリージュという言葉があるが、これこそエリートの役割を一言で表した言葉であろう。

英国のエリートは、国家の危機である戦争では最前線で活躍し、戦死者も一番多かったという。

ノブレス・オブリージュを体現したわけだ。

日本は何でも平等が良いと考えてしまう向きがある。

そしてエリートに対しては拒否感がある。

しかし、エリートを養成する教育や、それを受け入れることのできる社会を作ることも、これからの時代、必要になってくるのではないだろうか。

2013年12月20日 (金)

国家の存亡/関岡英之

Photo「平成の開国」は、「改革」の名の下に犯してきた数々の愚行を、こんどは「開国」の名の下に推し進めようということに尽きる。
「開国しなければ日本は取り残される」という思慮の足りないワン・フレーズは、あの小泉政権時代にヒステリックに連呼された「改革しなければ日本は取り残される」という使い古しのプロパガンダの焼き直しそのものではないか。

本書の著者の主張はTPP反対論である。

TPP参加問題は国家を二分するほどの対立を生んだ。

TPPは24の幅広い分野で検討される。

農業問題だけがクローズアップされているが、医療、投資、労働、金融など、国のかたちを変えるほどの大問題なのだ。

しかし、マスコミは構図として農協と経済界の対立ばかりを取り上げ喧伝する。

そして決め手は「バスに乗り遅れるな」という感情論である。

私自身はTPPには参加すべしと思っているが、その議論の進め方は問題があると考えている。

あまりにも矮小化されているし、また議論が偏っている。

もっと論理的なな幅広い議論をしてもらいたいし、またマスコミもその中の一部だけをとりあげ、事実を見誤らせるような報道はやめてもらいたい。

これは日本のマスコミの特徴かもしれない。

今回の特定秘密保護法案の時もそうだったが、国民を煽るような感情論があまりにも多い。

国民がマスコミに求めるのは客観的な幅広い、そして本質をついた報道である。

しかし、特に新聞やテレビでそのような報道は皆無といってよい。

この点で日本のマスコミは確かに遅れていると感じる。

2013年12月19日 (木)

日本人というリスク/橘玲

Photo  八〇年代アメリカは製造業を中心に大規模なリストラが相次いで、日米貿易摩擦がもっともはげしくなった時期です。それでもアメリカの製造業の労働者たちは自分の仕事に満足していて、友人にもこの仕事を勧めたいと思っており、タイムスリップして入社時に戻ることができてももういちどいまの会社に就職すると答え、自分の仕事人生は合格点だと感じています。
 それに対して八〇年代後半の日本経済はバブルの絶頂期で、〝ジャパン・アズ・ナンバーワン〟といわれて我が世の春を謳歌していました。それにもかかわらず日本の労働者(サラリーマン)は自分の仕事に不満で、友人にはこの仕事を勧めないと語り、就活をやり直すことができたらこんな仕事はぜったいに選ばないと答え、自分の会社人生は不合格点だと思っていたのです。

1980年代後半、リンカーン(カリフォルニア大学)とカールバーグ(サウスカロライナ大学)の二人の研究者により、日本人とアメリカ人の仕事観を調べる目的で、日本の厚木地区と米中西部インディアナポリス地区の製造業七業種の労働者それぞれ4000人を対象に、調査が行われた。

それによると、「今の仕事にどれほど満足ですか?」という質問に対して、「満足」と答えたのが、アメリカは34%、日本は17.8%、「不満足」と答えたのがアメリカは4.5%、日本は15.9%

「あなたの友人がこの下位者であなたのような仕事を希望したら、あなたは勧めますか?」という質問項目では、「勧める」と答えたのが、アメリカは63.4%、日本は18.5%、「勧めない」と答えたのが、アメリカは11.3%、日本は27.6%だった。

ほとんどの人は、日本とアメリカのデータが逆になっていると思うだろう。

それほどまでにこの調査結果は衝撃的で、「日本的経営」についての私たちの常識を根底から覆す。

この国では、年功序列と終身雇用は労働者を幸福にする理想の制度で、それを「市場原理主義者」が成果主義で破壊したためにみんなが不幸になった、と信じられている。

しかしこの調査が明らかにしたことは、愛社精神も仕事への献身度もアメリカの労働者のほうがずっと高く、サラリーマンはむかしから会社が大嫌いだった、という事実。

つまり年功序列と終身雇用は、サラリーマンを会社に縛り付ける制度だったということ。

これは、世の中で「常識」とされていることが、単なる「思い込み」であったということを示す一つの事実ではないだろうか。

「常識を疑う」ことの大切さをこの事実は教えてくれる。

2013年12月18日 (水)

上司の心得/童門冬二

Photo わたしは上司に対してひとつのイメージを持っている。言葉で表わせば次のようになる。
「上司は強くなければ信頼されない。上司は優しくなければ資格がない」
 読んだ方はすぐお気づきになるだろう。これは有名なアメリカの大物推理作家レイモンド・チャンドラーが世に送った名探偵、フィリップ・マーロウの台詞をもとにしたものである。正しくは、
「(男は)しっかりしていなかったら、生きていられない。優しくなれなかったら、生きている資格がない(別訳に、男は強くなければ生きられない。男は優しくなければ生きる資格がない、というのもある)」
 というものだ。男の胸を疼かせるいい言葉だ。わたしはこれを、そのまま上司に当てはめてモノサシにしている。

管理職は部下にとっては上司である。

しかし、その管理職にとっても社長や役員は上司である。

サラリーマンである以上、上司・部下というこの枠組みのなかで生きていかざるを得ない。

そして「良い上司」と出会うことは稀である。

ここで著者はレイモンド・チャンドラーの著書「プレイバック」の中でのフィリップ・マーローのセリフを引用し、

「上司は強くなければ信頼されない。上司は優しくなければ資格がない」

と上司としての条件を述べている。

「強く」「やさしく」生きるということは、部下から見て、

組織目的を深く信頼し、それを成し遂げていく強い信念を持っている

その実行を妨げるような勢力に対しては、常に勇気を持ってこれを排除してゆく

組織内においては、組織目的達成のために必要な人材を確保し、必要な予算を獲得する、つまり、ヒトとカネを確保する十分な力を持っている

人事は常に公正であり、誰もが納得する異動を行なう

上に対しては厳しく、下に対しては非常に優しい

ということだと著者は述べている。

「理想的な上司像」は中々いないものである。

おそらくこのような上司に出会うことは宝くじにあたるようなものであろう。

しかし、戦国武将の中にはこれを地でいったような人物がいたものまた事実である。

この本を読むにつけ、現代人は小粒になったものだと感じてしまった。

2013年12月17日 (火)

これからのリーダーに知っておいてほしいこと

Photo  中村氏の当時の経営判断においてとくに際立つもの、それは神話化や形骸化していくものの中で〝変えてはならないもの〟と〝変えるべきもの〟をしっかりと見極め、〝変えるべきもの〟を見定めてその改革に専心した、ということです。
 結果としてその改革は大きな成果を生み出し、二〇〇二年三月期、最終赤字四二七八億円という危機的状況から、二〇〇六年三月期に最終黒字一五四四億円を計上、当時は〝松下のV字回復〟として、世間、マスコミから大きく評価されることとなりました。

パナソニックにとって創業者松下幸之助は圧倒的なカリスマである。

このようなカリスマ創業者の後を継ぐ経営者のプレッシャーは並大抵なものではないと想像する。

特に創業者が導入したものはすべて聖域となっていることが多く、それを変えようとすると内外から批判を浴びることを覚悟しなければならない。

松下電器にとって当時、終身雇用や年功序列、事業部制というものは当時聖域となっていた。

カリスマ創業者の行動軌跡というものは、得てして〝伝説化〟され〝神話化〟され〝形骸化〟していくもの。

それは優れた創業者の才覚によって生まれた企業において、いつの日か遭遇せざるを得ない現実となってその後を継ぐ経営者の前に立ちふさがる。

中村氏は、そのような中で「創造的破壊」を標榜して大胆な改革を実行し、見事V字回復を実現する。

その場合のポイントとなったのは「〝変えてはならないもの〟と〝変えるべきもの〟をしっかりと見極め、〝変えるべきもの〟を見定めてその改革に専心した」ということであろう。

今は変化の激しい時代である。

変わり続けなければ生き残っていけない。

しかし何でもかんでも変えればよいというものではない。

やはり変えてはならないものがある。

それをしっかりを見定め、変えるべきものを大胆に変えていくことが現代の経営者には求められているということであろう。

2013年12月16日 (月)

続・日本の歴史をよみなおす/網野善彦

Photo これまでの歴史研究者は百姓を農民と思いこんで史料を読んでいましたので、歴史家が世の中に提供していた歴史像が、非常にゆがんだものになってしまっていたことは、疑いありません。これは江戸時代だけでなく中世でも同じですし、古代にさかのぼってもまったく同様です。百姓は決して農民と同じ意味ではなく、農業以外の生業を主として営む人々――非農業民を非常に数多くふくんでいることを、われわれはまず確認した上で、日本の社会をもう一度考えなおさなくてはならないと思います。

日本の社会が、少なくとも江戸時代までは農業社会だったという常識は、非常に広く日本人の中にゆきわたっている。

たとえば高校の日本史の教科書をみると、「封建社会では農業が生産の中心で、農民は自給自足の生活をたてまえとしていた」と書いてある。

その根拠は、当時の人口の圧倒的多数が農民であったという前提がある。

それは当時の資料の「百姓」という記述を「農民」と思い込んで読んでしまうことによっておこる。

では当時の「百姓」という記述は本当に「農民」を表していたのか。

まずそのことを疑ってみる必要があるのではないか、と著者は述べている。

言われてみれば、「百姓」という単語をそのまま読むと「百の姓」となる。

つまり「多くの普通の人たち」という意味。

たとえば、現在の中国や韓国では、「百姓」ということばは意味どおりに使われている。

中国人の留学生に、「あなたの国で使っている『百姓』をどのように日本語に訳しますか」と聞いてみたら、「普通の人」と答えるそうだ。

「お百姓さん」といえば農民に決まっているじゃないかという理解は日本人に広くゆきわたっている。

しかし、ほんとうに百姓は農民と同じ意味なのか、本来、「百姓」ということばには「農」の意味はないのではないかと問いなおしてみると、こうした常識が意外に根拠のないことがわかってくる。

つまり江戸時代までの日本は必ずしも農民が中心の社会ではなかった。

もっと多様な職業を営む人たちで成り立っていたということになる。

言われてみればその通りで、そうすると、よく言われる「日本人は農耕民族、大陸は狩猟民族」という考え方も根本から考え直さなければならないということになる。

新しい目が開かれた思いだ。

2013年12月15日 (日)

日本の歴史をよみなおす/網野善彦

Photo ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスの書いた、『日欧文化比較』という小さい書物があります。(中略)
 その第二章に「女性とその風貌、風習について」という一節があります。フロイス自身もびっくりしたのでしょうが、われわれ自身もこれを読むと、ちょっとドキっとするようなことが、そこにいくつかあげられております。
 たとえば、「日本の女性は、処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ結婚もできる」。「ヨーロッパでは財産は夫婦のあいだで共有である。ところが日本では各人が自分の分を所有している。ときには妻が夫に高利で貸し付ける」。
 さらにまた、「ヨーロッパでは妻を離別することは最大の不名誉である。日本では意のままにいつでも離別する。妻はそのことによって名誉を失わないし、また結婚もできる。日本ではしばしば妻が夫を離別する」というように、これまでの常識から考えると、これは本当かな、と思うようなことをのべているわけです。

フロイスは16世紀の中ごろ、1562年に日本に来て、1597年に世を去るまで、35年間、日本で生活をした人物。

その生活のなかで、日本の習俗とヨーロッパの習俗との間に非常なちがいがあることをつぶさに見て、その違いを『日欧文化比較』に記している。

その記述は、女性が公的な世界から排除され、抑圧されつづけていたというのは、「これまでの常識」にすぎないということを教えてくれる。

これまでの通説では、江戸時代は女性には離婚する権利がない、嫁に行っても夫やその親の気に入らなければ簡単に離縁される、嫁のほうから離縁を求めることなどとてもできなかったと、考えられてきた。

ところが、フロイスの著書には、それとはまったく違った内容が記されている。

更にまた、「日本では娘たちは、両親に断りもしないで、一日でも数日でもひとりで好きなところへ出掛ける。日本の女性は夫に知らせず、好きなところに行く自由を持っている」とか、

「日本では、堕胎はきわめてふつうのことで、二十回も堕した女性がある。日本の女性は、赤子を育てていくことができないと、みんなのどの上に足を乗せて殺してしまう」

と、いったことが記されているという。

フェミニストの人たちが読んだら全否定されそうな内容である。

考えてみたら、江戸時代の女性の立場については、私たちの中に固定概念があるような気がする。

女性は弱い立場、という固定概念があったように感じる。

少なくとも江戸時代の女性の立場は男性によって非常に抑圧されていた、まったく自分の主張ができなかったいうのは、私たちの先入観であった可能性が高いということが言えるのではないだろうか。

2013年12月14日 (土)

感動する!日本史/白駒妃登美

Photo クラーク博士が札幌に滞在したのは、わずか八ヵ月。けれども、人間の影響力は、時間の長さに比例するわけではないのです。たとえ時間は短くとも、お互いを信頼し合い、密度の濃い時間を過ごせれば、人間の影響力は絶大です。
 Be gentleman !……そこには、「自分のことは自分で処することのできる人間になってほしい」という学生たちへの思いが溢れています。この自由・独立・人間尊重を基盤としたクラーク博士の人生哲学が、学生たちの意識の底に眠る武士道を呼び覚まし、その二つが混じり合うことで、凛とした独特な校風ができ上がっていったのでしょう。

クラーク博士に直接教えを受けたのは、一期生16名にすぎない。

しかし、彼の帰国後も、その校風を引き継いだ札幌農学校からは、『武士道』を著した新渡戸稲造、『代表的日本人』の著者・内村鑑三、土木工学の広井勇、植物学の宮部金吾ら、多彩な人材が輩出された。

彼らは北海道開拓のみならず、その後の日本の発展に大きな影響を与えることとなる。
つまり、人間の影響力とは時間の長さに比例するわけではない、

短期間であっても、圧倒的、決定的な影響を与えうるのだということである。

短期間で強い影響を与えたということに関して、まず思い出すのは、吉田松陰の松下村塾である。

松下村塾から、高杉晋作、久坂玄瑞をはじめとして、のちの内閣総理大臣2名、国務大臣7名、大学の創立者2名など、明治日本の屋台骨を背負って立つ人材が数多く輩出された。

松陰が松下村塾で子弟の教育にあたった期間は、長く見積もっても2年10ヵ月。

人の影響力は時間の長短によらないということであろう。

2013年12月13日 (金)

伊藤博文/羽生道英

Photo 「やられた」
 伊藤博文が叫んだ。かといって悲鳴ではない。
 この声を聞いて、中村是公満鉄総裁、室田義文貴族院議員貴族院議員らが、伊藤の身体を抱き留めたので、地面に叩き付けられることは避けられた。午前九時三十分くらいのことである。
 凶漢はロシア官憲により取り押さえられ、顔を下にして、ねじ伏せられたが、韓国語で「コリア、ウラー」と三回ほど絶叫した。「韓国、万歳」という意味である。
 これで凶漢が韓国人であることが判明した。あとで分かったことだが、安重根という者であった。
 中村満鉄総裁らは、伊藤を抱きかかえて列車の中に運んだ。重傷を受けながら、苦痛の声も発せずに、伊藤は、
「少し、ブランデーをくれないか。で、犯人は分かったのか」
 いつもと変わらない口調で、随員に訊ねた。
「韓国人らしく、ロシア官憲に捕らえられ、取り調べを受ける様子であります」
 随員の一人が答えると、
「そうか……。馬鹿なことをしたもんだ。統監として、韓国の独立を完全に成し遂げようと務めたというのに、何を、誤解していたのだ……」

最近、伊藤博文元首相を中国・ハルビンで暗殺した安重根をたたえる石碑を建立する計画が韓国と中国によって進められていることについて問題になっている。

韓国人にとって安重根が英雄であっても、日本人にとっては単なるテロリストであるから当然であろう。

また安重根自身、その経歴を見ると、初めから合併反対の政治運動に携わっていたわけではない。

商売をやっていた人だ。

商売がうまくいっていたら、朝鮮のなかの金持ちとして平和に暮らしただろう。

ところが、商売に失敗する。

それで朝鮮北部の方にいた反日分子のなかに飛び込んだ。

こういうことから考えると、商売に失敗した人間が破れかぶれでやったという要素が大きかったという人もいる。

また、伊藤は、韓国統監になったときはまだ合併に反対だった。

そういう穏やかな考えの伊藤博文を安重根が暗殺したから、日本人は怒った。

譬えていえば、大東亜戦争で日本を破ったマッカーサーを、占領下の日本人が暗殺したようなものである。

これを境にして日韓併合は一気に進むことになる。

本当に馬鹿なことをしたものだ。

2013年12月12日 (木)

理想的日本人/渡部昇一

Photo 考えてみれば、岸は命を張って生きてきた人だった。戦争中に東条に反対したのはまさに命懸けのことである。いまの政治家では考えられないほど腹が据わり、豪気さを持っていた。あれだけ勇気のある政治家はなかなかいない。
 それは明治の頃の良さを持っていたともいえる。斎藤隆夫が議会に行くときは、毎朝白い下着に着替え、いつ殺されても恥ずかしくないようにして出かけたというが、戦前の政治家はどこかに暗殺を覚悟する気構えを持っていた。

著者は日本文明の礎を築いた人物として12人を挙げている。

聖徳太子、織田信長、徳川家康、大久保利通、伊藤博文等は予想される名前だが、その中に岸信介を加えている。

岸信介と聞いて連想される言葉は、A級戦犯、60年安保という言葉である。

あまり人気のある政治家ではなかったという印象の人物である。

特に60年安保の時には、日本中から批判を浴びた。

にもかかわらず岸はこの法案を強行採決した。

しかし、もしあの時あの法案が通らなければ、日本はどうなっていたのだろう。

おそらくその後の池田勇人の所得倍増計画も高度成長期も平和な日本もなかっただろう。

その意味で、あの時の岸の決断は正しかったといえる。

その時は評価されなくても、後になって評価される政治家が優れた政治家である。

なぜなら、それだけ先見の明があったということだから。

今、安倍総理が特定秘密保護法を強行採決したからと言って批判を浴びている。

国会周辺では反対デモが繰り返されていた。

なんとなく60年安保の時とよく似ている。

しかし、どんなに批判を浴びようが、支持率が落ちようが、必要な法案を通すところは、岸とそっくりである。

隔世遺伝したのだろうか。

2013年12月11日 (水)

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 マクロ編/ティモシー・テイラー

Photo ブラジルは国内のコンピュータ産業を守るために、コンピュータの輸入を制限しました。その結果、1980年代の終わりまでに、ブラジルのコンピュータ業界は世界の水準から10年も遅れてしまうことになりました。コンピュータの世界で10年といえば、化石時代のようなものです。
 このことはコンピュータ業界だけでなく、コンピュータを使うすべての企業にとって大きな痛手となりました。金融も通信も製造業も、あらゆる産業が時代遅れのコンピュータで世界と戦わなくてはならなかったのです。
 コンピュータ産業を保護しようとしたばかりに、多くの産業が世界との競争に負けてしまったということです。

今、TPPの議論の交渉真っ只中にある日本だが、その議論の焦点になっているのが、重要5品目を守れるかどうかということである。

日本政府はこれを聖域として必ず守ると言っているが、本当にそれでいいのか疑問に感じる点も多々ある。

それは、ある業界を国が守るとほとんどの場合、その業界は競争力をなくしてしまうという例が多いからである。

上記抜き書きのブラジルのコンピュータ業界のこともその一例である。

保護貿易が有効に働いた例もなくはない。

たとえば、未成熟な新産業を国外との競争から守り、十分な競争力をつけさせるという目的をもって、一定の時期それを実施するということはよくある。

しかしそれはあくまで、一定時期という条件付きであって、いつまでも保護貿易を続ければ、その産業は競争力を失ってしまう。

未成熟産業が成長しないままに終わってしまうこともよくある。

そうすると、国内のほかの産業もダメージを受けることになる。

やはりこれも歴史から学ぶ必要があるのではないだろうか。

2013年12月10日 (火)

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編/ティモシー・テイラー

Photo企業は信用するけれど、政治家は信用できないという人がいます。
 逆に、政治家は信用するけれど、民間企業なんか信用しないという人もいます。
 経済学は、誰のことも信用しません。

著者によると、経済学は企業も政治家も信用しないという。

これは非常に大事な考え方ではないだろうか。

つまり、経済学は性悪説で物事を見ているということ。

世の中には、もしかしたらよい企業もあるかもしれない。

高品質の製品やサービスを安く提供し、従業員にすばらしい職場環境を提供する企業もあると思う。

しかし一方で、悪質なやり方で従業員をこき使い、自分だけいい思いをしている経営者がいるのも事実である。

世の中には、いい政治家もいるかもしれない。

未来を見据えた制度をつくり、人びとの暮らしの質を大きく高めてくれるような良い政治家もいるかもしれない。

しかし、人びとの利益よりも自分の立場を最優先し、私腹を肥やすことばかり考えている政治家もいるのもまた事実である。

だから、経済学は誰も信用しないということである。

政治家も企業も放置しておけば、悪いことをするのだ、と。

そこで必要になってくるのがガバナンスである。

ガバナンスとは、企業や政治家の働きをきちんと監視し、評価するということ。

政治家や経営者は求められるパフォーマンスをだしているのか。

私利私欲でなく、望ましい方向に向かって動いているのか、監視し評価することが必要だと。

特に度重なる企業や政治家の不祥事を見るにつけ、確かに「誰も信用しない」という経済学の基本的は非常に大事なことだと考えさせられた。

2013年12月 9日 (月)

40歳から年収1000万稼ぐ人のルール/田中和彦

Photo 山一証券の経営破たんが、日本の雇用環境を大きく変えたと言いましたが、実は、その山一証券の元社員の人たちのその後を追っていくと面白いことが分かりました。
 経営破たん後、多くの人材が一気に転職市場に出ていきました。公募している求人に応募する人や人材紹介会社に登録する人などが、とてもたくさんいたのです。
 そこで何が起きたかというと、山一証券で普通に出世コースを歩んでいた部長クラスの人たちの転職が一番厳しかったのです。
 彼らは、年収1000万円を優に超える人たちでした。しかし、山一証券での部長は務められても、それは山一証券の中でのマネジメントという世界だから通用したのだという見られ方をして、他の企業からすると、現場から遠ざかっているというハンディのほうに目が行ったのです。

山一証券が経営破たんしたとき、最も転職が難しかったのが部長クラスであったということ。

これは日本の管理職の問題を如実に表している。

つまり管理職でありながらマネジメントをやっていないということ。

もし山一證券の部長クラスがマネジメントをちゃんとやっていたら、文句なしに高額の報酬で再就職できたであろう。

マネージャーとはある種の専門職である。

マネジメントとは汎用性のあるスキルであり、転職してもそのまま通用する。

だから、アメリカではある企業で一つの部門のマネージャーが退職すると、その部下を昇進させるのではなく、外部からマネージャーを募集し採用する。

つまりマネージャーは専門職であるとの共通認識があるのである。

ところが日本ではマネジメントクラスとされる部長・課長は単なる身分である。

つまり部長、次長、課長、係長、主任というのは日本の場合は、誰が偉いかということを表す身分制度なのである。

そして大部分がゼネラリストである。

ここに日本の管理職のもつ根本的な問題がある。

2013年12月 8日 (日)

リフレは正しい/岩田規久男

Photo  もし日本にFRB(米連邦準備制度理事会)のベン・バーナンキ議長がいれば、日本はデフレから脱却することに成功していたでしょう。そして円相場は適正化されて輸出産業が現在のような苦境に陥り、これほど景気が悪化することはなかったでしょう。

日本は今やっとデフレを脱しようとしている。

日本はどうしてデフレになったのか?

一言でいえば、日銀の金融政策の失敗である。

それが顕著に表れたのはリーマン・ショック後の日本と諸外国の対応の違いである。

リーマン・ショック後、諸外国はどのような金融政策をとったか?

アメリカやヨーロッパは、日本の中央銀行である日本銀行とはまったく異なる金融政策をとった。

日本以外の主要国は、超金融緩和政策を採用した。

一方、日本銀行はそれに見合うような金融緩和政策はとっていない。

そのため、日本だけがデフレになり、あらゆる通貨に対して円が高くなってしまった。
しかも並の高さではなく、超円高になった。

そのため、日本経済の牽引役である製造業、特に家電産業は壊滅的状況になってしまった。

パナソニック、シャープ、ソニーといった日本を代表する家電企業が軒並みシェアを落とし、軒並み巨額の赤字を抱えるようになった。

今、日本では毎年3万人近くの自殺者がいる。

その原因のトップが経済的な理由による自殺である。

言ってみれば、日銀が殺したようなものである。

東電よりも罪は重い。

なぜデフレになるのか?

その理由はいたって簡単。

みんながデフレを予想するからである。

株価も、みんなが上がると思えば上がる。

みんなが上がると思うから株を買い、買い手が増えれば株価は上がる。

デフレになると株価が下がり、円高になり、所得も下がるので、需要も増えない。

今やっと安倍ノミクスによって日本はデフレを脱しようとしている。

やっと日本もまともな経済政策が取られるようになった、というのが実感である。

2013年12月 7日 (土)

ゼロから学ぶ経済政策/飯田泰之

Photo 昔のアメリカのジョークに「女の幸せとは、旦那の収入が妹の旦那より多いことだ」という話があるそうですが、これは参照点(この場合は妹の家の生活水準)より上か下かによって主観的な幸福の度合いが大きく異なるという行動経済学的な真理を衝いているわけです。

経済政策とは人々の幸福度を高めるために実施する。

そしてそのために成長政策、安定化政策、再分配政策の3つを行う。

人間の幸福度とは極めて主観的なものである。

傍から見て幸福に見えなくても、本人が幸福だと感じていれば幸福度は高くなる。

但し、こういってしまうと経済学という学問は成り立たないので、ある程度の客観的な指標が必要になる。

そう考えた場合、やはり人々の幸福度に大きな影響を与えているのは年収である。

「年収が高ければ幸福とは限らない」という議論も成り立つのだろうが、自分の年収が平均年収よりも高い人は満足度も高いという統計がある。

人間の満足度というのは、不思議なもので、「参照点(レファレンス・ポイント)」というものに大きく左右されるという。

例えば「大人の年収は500万円が普通だ」と思い込んでいたとすると、これを下回る450万だった場合は大幅に幸福度が下がり、550万だと幸福度が上がる。

こうした心理的な満足度の基準になる500万円という金額が、この場合の参照点といなる。

人々の幸福には参照点と現状との比較が大きく影響する。

私たちにとって最も身近な参照点は身近な同僚の年収や業界の相場であろう。

週刊誌などで業界の平均給与の特集をしたものはよく売れるという。

それだけ、人々は「参照点」に関心があるということであろう。

2013年12月 6日 (金)

いまアメリカで起きている本当のこと/日高義樹

Photo  アメリカ政府は、普天間は日本の国内問題だと考えている。自民党前政権との約束を民主党政権が勝手に破ったことに対して強い不快感を抱き、不満に思っているが、それほど深刻には考えていない。だが民主党政権が核兵器の持ち込みに反対し、秘密協定を暴露してしまったことには、心底ハラを立てている。
「岡田外相は二枚舌を使う。公式の席上では、アメリカの核は要らないと言いながら、ペンタゴンでのプライベートの話し合いでは核の傘は必要だと言っている」
 アメリカの新しい核戦略について検討しているシュレジンジャー元国防長官が、私にこう言ったが、アメリカ政府は、岡田前外相だけでなく、民主党政権の首脳たちに強い不信感を持っているため、積極的に話し合いをする気持ちにならないのである。

本書が刊行されたのは2011年4月、民主党政権の時代である。

その当時、日米関係は最悪であった。

ここでは当時の民主党政権がアメリカとの秘密協定をばらしてしまったことを述べている。

この時、アメリカ政府は心底腹を立てていたという。

そして日本の民主党政権に対する不信感は最高潮に達した。

それはそうだろう。

お互いの間の約束を守れない政府を信頼するはずがない。

国には国民に公表できない秘密がある。

そして、その秘密を守ることを前提に国と国との間で様々な交渉する。

もし相手の国が秘密を守れないとしたら、外交交渉は成り立たないであろう。

それは当たり前のことである。

ところが、その当たり前のことが中々理解できない国がある。

それが日本である。

今、国会で特定秘密保護法案について民主党が強硬に反対している。

自分たちが過去、アメリカとの秘密協定を暴露するという信義にもとる行動によって、日本を危険な立場に陥らせたのか、よく考えてもらいたいものである。

2013年12月 5日 (木)

日本人の底力/北尾吉孝

Photo 一九九九年に当時の文部省が、日本、韓国、米国、英国、ドイツの五カ国の小学五年生と中学二年生を対象に、アンケート調査を行ないました。すると「いじめを注意したことがある」という設問に「何度もある」と答えた子供は、米国の二八%に対し、日本では四%しかいなかったのです。
 ほかにも五カ国中、日本が最低だった項目はいくつもあり、「友だちのケンカをやめさせた」は韓国の二七%に対し、日本は八%、「体の不自由な人やお年寄りの手助けをした」はドイツの二二%に対し、日本は八%です。「父親から嘘をつかないようにとよく言われる」「弱い者いじめをしない」「人に迷惑をかけない」「友だちと仲良くする」といった設問でも、日本は最低でした。

日本人はどうしてこんなにジコチューになってしまったのか。

戦後、日本人が本来の良さを失ってしまったのは、マッカーサーの戦後政策によると著者は述べている。

日本は明治維新以降、日清・日露の戦いに勝ち、非常に短期間で経済発展を遂げ、西洋列強と並ぶようになる。

さらに第二次世界大戦では長きにわたり、アメリカを中心とする連合国陣営と戦った。

当時の日本軍が屈強であった理由をマッカーサーをはじめとする占領軍は、ひとえに日本人の高い精神性にあると判断した。

そこで日本を今後再び立ち上がらせず、戦争を起こさせない国にするために採った政策が「3R/5D/3S」だったというのである。

3Rとは、Revenge(復讐)、Reform(改組)、Revive(復活)

日本人は、第二次世界大戦で多くのアメリカ人や連合国の人々を殺した。

その日本人への復讐として、それまで脈々と受け継がれてきた精神性をこわそうとした。

そのための具体的方法が5Dで、Disarmament(武装解体)、Demilitarization(軍国主義の排除)、Decentralization(中央集権の排除)、Disindustrialization(工業力の排除)、Democratization(民主主義化)

さらに3Sは、これらを効率的に推進するための方法で、Sex(性)、Screen(映画、テレビ)、Sports(運動競技)

これらの政策を通して日本人を一億総白痴化に導いたというのである。

著者の主張をそのまま鵜呑みにするわけではないが、確かにそのような面はあるのだろう。

そしてそれらはいまだに日本人の精神構造に少なからず影響を及ぼしているのも確かなこと。

正にいまこそ「日本を取り戻す」必要があるということであろう。

2013年12月 4日 (水)

海洋へ膨張する中国/飯田将史

Photo  このようなトップリーダーの言動に代表される、国際社会に向けた中国による対日批判キャンペーンの中で特筆すべきは、日本による尖閣諸島の国有化をいわゆる歴史問題と関連付けて非難し始めたことである。中国側の主張によれば、中国をはじめとした連合国が日本に対する反ファシズム戦争に勝利した結果、尖閣諸島は一九四五年に中国に返還されたとされる。ところが戦後の日本では侵略戦争に対する反省が徹底されず、軍国主義が残存しており、近年はその影響を受けた右翼勢力が台頭しているという。右翼勢力の代表格である石原都知事が引き起こした尖閣諸島の購入問題をきっかけに、野田政権が尖閣諸島の国有化を行ったことは、日本政治の右傾化を証明すると同時に、連合国によって作られた戦後の国際秩序を否定する企みだというのである。

昨年の野田内閣による尖閣諸島の国有化以来、日中関係は最悪の状態が続いている。

昨年の反日デモなど、まだ記憶に新しい。

こんな中、いつも出てくるのは歴史問題である。

中国としては、歴史問題に関連させることで日本に譲歩を迫ることに加えて、この問題をめぐる日本と米国との協調に楔を打ち込むことだと著者は述べている。

中国としては何とか日米を離反させ、日本を孤立させたいのであろう。

中国にとって一番怖いのは米国なのだから。

その意味からいえば、最近の中国による防空識別圏の一方的設定はいささか勇み足だったような気がする。

かえって日米関係が強固になってしまったのだから。

「しまった」「こんなはずでは」と思っているのではないだろうか。

ともかくお互いのナショナリズムがヒートアップし、不測の事態に陥ることが一番怖い。

あくまでも冷静に対応してもらいたいものである。

2013年12月 3日 (火)

組織を伸ばす人、潰す人/柴田励司

Photo  組織のリーダーたるもの、一人ひとりの「志」を覚醒させ、相互が確認できるような場づくりに自分の時間を投資すべきです。最も簡単なやり方は、「なぜ、この組織にいるのか?」「どうしていきたいと思っているか」という問いかけを繰り返すことです。
 組織のミッションについて、改めて、みなで意見を交わす。こうした場を定期的に設けていくべきです。
 リーダーが「財務的な目標」しか口にしなくなると、「志」が消えていきます。そうすると、その組織の存在理由がはっきりしなくなります。そうしたリーダーの運営する組織に、「五年後」はありません。

大きな組織になればなるほど、その他大勢が多くなる。

これを放置していると組織は動かなくなる。

いわゆる大企業病といわれるものだが、中小企業でも同様である。

ではそうならないためには何が必要か?

その基盤になるのがメンバーの主体性である。

一人ひとりが組織の課題を自分の課題であると捉えている状態をつくる。

こうなると組織は誰かが号令せずとも自律的に動くようになる。

そのために必要なのが、メンバー間で情報を共有する仕組みである。

誰でも必要な情報にアクセスでき、この情報はあのヒトに役立つんじゃないかなと思ったら勝手に共有できる。

そういう仕組みがあると、メンバーが主体的に動くためのインフラになる。

ただし、インフラがあっても、メンバー相互の信頼関係がないと活用されない。

お互いに信じ、かつ助け合う。こうした関係ができていくにつれて、組織に主体性が生まれ、組織は自律的に適切な方向へ動いていく。

そしてどうしても欠かせないのが 「志を共有する」という、この一点。

組織運営上「志」とはミッションのこと。

社員がミッションの実現のために一丸となる。

そんな組織づくりが大切。

大事なことだと思う。

2013年12月 2日 (月)

課長になれない人の特徴/内山力

Photo 評価というのは、辞書によれば「価値を算定する」であり、さらには「高く価値を定めること」という意味もあります。評価のテーマは価値であり、成績ではありません。もう一歩つっこめば、人事評価は上司として部下の高い価値を見つけるものです。
 こう表現すればわかるとおり、評価は明日を見るものです。部下の昨日の仕事を評価する目的は、明日の仕事をやる上で、部下が本当は持っているのに隠れてしまっている価値(=能力)を見つけるものです。そう思わなければ人事評価なんてやってられません。

上司にとって部下の人事評価は大事な仕事である。

ところが、この自覚のない上司が多い。

仕方なくやっている上司も少なくない。

それは人事評価の意味や目的を理解していないところからくる。

その中でも多くみられるのは、人事評価を「査定」ととらえている上司。

つまり給料や等級を決めるためだけの目的に評価をしていると考えている上司である。

これだとどうしても評価する方もされる方も後ろ向きになりがちである。

しかし、上記抜き書きにあるように「部下の明日の価値を見つける行為」だと考えればまったく違ってくるだろう。

これこそ、まさに上司の仕事である。

部下がまだ気づいていない自分のポテンシャルに気づかせ、部下の成長に寄与する行為、それば人事評価なのである。

こう考えれば、上司も部下も人事評価に対してもっと前向きになれるのではないだろうか。

2013年12月 1日 (日)

なぜ、部下はリーダーの足を引っ張るのか?/小倉広

Photo  上場前のベンチャー企業を訪問し、株価の値上がりを予測。「これは!」と思う会社の株を推奨し自らも億単位で買い入れる。そんなカリスマ・ファンドマネジャーは株を買う前に必ずその企業を訪問し、会議室とコピー機を見るそうです。
 会議室の時計が狂っている会社の株は買わない。コピー機の周りにミスコピーした紙が散乱している会社の株は買わない。それはすなわち「誰かがやるだろう」という大企業病が風土として蔓延していることを表すから、だそうです。

リーダーがチームが一丸となるリーダーシップを真に発揮するためには、部下たちのフォロワーシップが欠かせない。

「組織の8割はフォロワーシップで決まる」と言われるほど、フォロワーシップは大事である。

フォロワーシップとは、チームや成功のために、メンバーがリーダーを全力で支える影響力のこと。

このようなフォロワーシップが機能しているチームは強くなる。

ところが、実際の現場を見ていると、リーダーの足を引っ張る部下が多いのが現実。

「リーダーのくせにあんなこともできないなんて、信じられない」とか、

「なんで、オレがあんなヤツの部下にならなくちゃいけないんだよ」とか、

何かと理由をつけてはリーダーの足を引っ張る。

しかし、世の中に完璧な上司はいない。

そもそも上司は完璧である必要もない。

そしてだからこそ、フォロワーシップが必要になる。

自らの意思で、リーダーの方針に深く賛同し、自ら積極的に率先して発言・行動し、リーダーの弱みを陰でこっそりと補い、リーダーの仕事を自ら引き受け、リーダーを楽にする存在が必要である。

フォロワーシップが機能しているかどうかは何を見ればいいのか。

それは、フォロワーシップが機能してないとどんなことが起こるかを考えるとわかる。

たとえば、上記抜き書きにあるように、会議室の時計が狂っているとか、コピー機の周りにミスコピーした紙が散乱しているとか、

つまり「誰かがやるだろう」という意識が蔓延していると、このようなことが起こる。
リーダーシップとフォロワーシップ、いかにこれらが機能するチームを作るか?

大きな課題だと思う。

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