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2014年2月25日 (火)

誰が坂本龍馬をつくったか/河合敦

Photo 龍馬の若いころにこんなエピソードがある。
 龍馬が信太歌之助という柔術の達人と立ち合ったときのことだ。
 龍馬は簡単に組み伏せられ、しめ落とされて気絶してしまった。勝負あったわけだが、龍馬は正気に戻ると、「まだまだ」と言って、再び信太に飛びかかった。しかし結果はまたも同じ。それでも懲りずに、何度も挑みかかった。最後はついに信太のほうが根負けし、「お前のような強情な奴は初めてだ」と呆れたという。
 そんな負けずぎらいの性格が、龍馬の実行力をさらに強固なものにしたといえる。そして、この粘り強さが、当時不可能といわれた「薩長同盟」実現に結びつくのである。

人生は出会いで決まる、という。

本書は坂本龍馬がその成長過程において様々な人々との出会いがあり、それがいかに龍馬の人格形成や思想形成に大きな影響を及ぼしたかを記している。

薩長同盟や大政奉還、あるいは船中八策といった龍馬が実現していった数々の政策や構想は、そもそも龍馬の独創ではなかった。

その大半は、龍馬が出会った第一級の人びとがすでに唱えていたことだった。

ただ、龍馬のすごさは、そうした人びとの意見をうまくまとめあげ、盛んに運動して、これらを実現せしめたことにあるといえる。

薩長同盟斡旋の経緯をみてもわかるように、龍馬は何事につけ、とにかくしぶとかったようだ。

いったん取り組んだ事物については、途中で投げ出すようなことは絶対にしない。

うまくいかなくても、二の矢、三の矢を放ち、最後まであきらめない。

この龍馬がもともと持っていた良い素材が様々な人びととの出会いで磨かれ、花開き、私たちが知っている坂本龍馬が誕生したといって良い。

いずれにせよ、勝海舟、久坂玄瑞、西郷隆盛等、多くの人びととの出会いなくしては、歴史上の偉人としての坂本龍馬は誕生しなかったといってよい。

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