慧眼/大前研一
なぜ日本人は「What' If~?」の思考法が不得手なのか。理由は2つ考えられる。
1つは、1000年以上にわたり中国や欧米から文明を受け入れてきたため、自分でゼロから考えなくても、どこかに存在しているはずの答えを見つけてくればいいことに慣れきってしまったこと。日本人にとって答えは考えるものでなく、探すものなのだ。
もう一つは、日本特有の言霊信仰。悪いことはなるべく考えない。言ったら本当にそうなってしまいそうだから口にしない。言霊に対する畏れが日本人のDNAに組み込まれていて、最悪の場合を考えることを避けて通るクセがついてしまったのではないか。
物事をゼロから考える、日本人はこれが苦手である。
頭が良い、悪いの問題ではなく、苦手なのである。
原因は教育の問題と、日本独特の思考特性である「言霊」の問題だと考える。
特に、日本の戦後の教育は「答えを自分で探し出す」という教育を放棄してきた。
回答を求めて知識を詰め込もうと、ノウハウ本を次から次へと買う人は多い。
しかし、知識やノウハウをいくら詰め込んでも、それはしょせん、他人の意見。
重要なのは、がぶ飲みするのではなく、自分の頭で考える力である。
そしてもう一つの問題、「言霊」について。
これは日本人の思考法の根っこの部分を支配している。
それだけにたちが悪い。
言霊とは自分の口から発した言葉に魂が宿り実現してしまうという考え方。
そうなると「もしも・・・」という考え方ができなくなる。
「もしも、中国が攻めてきたら・・・」
「もしも、原油の輸入がストップしたら・・・」
こう発言した途端、「縁起でもない」ということになってしまう。
これを脱するには、まずそのような実態を知り、それを変える訓練を繰り返す以外にない。
未来永劫絶対に変わらないものだと考えないことである。
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