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2014年3月の31件の記事

2014年3月31日 (月)

反日教育の正体/一止羊大

Photo 私はある学校で『日本の心』という講座を一年間担当し、日本の歴史や文化・伝統の輝かしい側面に光を当てて講義をしたことがあります。(中略)
 「歴史を見る目」をテーマにした授業のとき、私が「歴史とは何か」と問いかけると、中国人留学生の一人は、即座に「政治のツール」と答えました。「ツール」とは「道具」のことです。私は、「あっ」と声を上げそうになるほどその答えに驚きました。同時に共産主義のもとで育った人間の思考の本質を見た思いがして、「なるほど、共産主義とはそんなものか」と妙に納得したことを覚えています。

戦後の日本をおかしくしたのは、反日に凝り固まった政治家、マスコミ、教員であろう。

特に教員の場合、無防備な子供たちに反日の教育を施すわけだから罪は重い。

著者は、公立高校の校長として、そのような教員に苦しめられた経験を持つ。

彼らはことあるごとに「歴史」を持ち出す。

「日本は、台湾や朝鮮や中国を侵略して、たくさんの人を殺した」と。

これは中国や韓国の言っていることとも共通する。

中国人留学生が言ったという「歴史」とは「政治のツール」という言葉。

今、中国韓国との間で問題となっている歴史問題の本質をついているのではないだろうか。

彼らにとっては「歴史」の真実は問題ではないのである。

なぜなら「歴史」とは「政治のツール」なのだから。

2014年3月30日 (日)

嘘だらけの日中近現代史/倉山満

Image_2 たとえば、夫婦喧嘩でも日中の国民性は違うと言われます。
 日本人の場合は、相手と罵り合います。もちろん、家の中で。
 中国人の場合は、家の外に出て、相手の非を第三者に訴えます。夫と妻のどちらが「観客」の支持を得るかで勝者が決まるのが中国の夫婦喧嘩です。
 両国外務省の国際宣伝にしても、この通りです。幣原喜重郎に代表される典型的日本人は相手と直接話し合って解決しようとします。一方の中国人は国際社会に日本の非道を徹底的に訴えますから、日本は常に出遅れます。かくして、「日本悪魔化」が完了し、国際世論は日本の敵となるのです。

現在の中国との戦いは情報戦だといってよい。

そして、この情報戦において日本は後手に追いやられている。

中国のプロパガンダは今に始まったことではない。

ワンパターンと言ってよいほど、同じことを繰り返している。

満洲事変期における中国のプロパガンダもそうだった。

中国は軍事的には全戦全敗でありながら、口先だけで状況をひっくり返した。

世界の世論を味方につけたのである。

そして、この行動様式を今も繰り返している。

おそらくこれは戦略というより中国のDNAといっても良いのかもしれない。

ただ、日本人とはあまりにも違うために違和感や嫌悪感を感じるだけであろう。

しかし「こんなデタラメを信じるバカはいないはずだ」では通らない。

明らかなウソであってもそれを言い続ければ、国際社会はそれを本当の事だと思ってしまう。

だから、中国のプロパガンダを放置することは、明らかに国益を損ねる。

日本はある意味、上手なケンカの仕方を身に付けるべきだろう。

2014年3月29日 (土)

大統領を殺す国 韓国/辺真一

Photo 残念ながら、韓国は完全な三権分立とは言えない。
 三権分立とは言うまでもなく、立法府(政治)、行政府(行政)、裁判所(司法)が独立し、互いを監視できる仕組みのことだが、韓国では大統領の権限が圧倒的に強い。
 たとえば私が現職の大統領のスキャンダルを韓国のマスコミで暴いたら、逮捕されて留置場に入れられる可能性が十分にある。それほど大統領は絶対的な権限を持っている。

韓国の大統領のほとんどすべてが、退任後、在職中の「罪」を問われ、亡命、隠遁、逮捕、死刑宣告といった「罰」を受けている。

こんな国、韓国以外に私は知らない。

日本で政権交代後に、罪に問われたのは田中角栄くらいだろう。

しかし、韓国はもうそれが、お家芸になっている。

なぜ、こんなことになってしまうのか。

韓国は大統領制をとっている。

任期は5年、再選はない。

そのかわり5年間は絶対的な権力が与えられる。

大統領制はトップダウン方式だ。

スピーディな決断と実行は大統領制のメリットであろう。

ところがデメリットもある。

手にした権力が絶大なだけに、大統領が任期中にやったことを司法が問うことはめったにできない。

材料を揃えておいて、退任を待つほかはない。

だから、大統領の任期が終わり、一般市民に戻ったときに、権力をふるって好き勝手にやったことのツケを払う。

その結果が毎回のように繰り返される大統領とその家族、親戚、側近の収賄、不正蓄財といったスキャンダルとして表に出てくる。

また、国民もそのことが分かっているので、任期が後1年というあたりから、決まってレームダック化が始まる。

でも、大統領制をとっているのは韓国だけではない。

アメリカもそうだし、他にも多くある。

でも、退任後すぐ罪に問われることなど韓国以外まずありえない。

やはり、制度の問題というより、国民性の問題と考えた方がよいのではないだろうか。

2014年3月28日 (金)

若者を殺し続けるブラック企業の構造/川村遼平

Photo この「残業代ゼロ法案」を、過労死の遺族やその支援者は「過労死促進法案」と呼んでいる。繰り返し見てきた通り、この社会では残業代の支払いが唯一の〝働きすぎ〟の防波堤となっている。だから、残業代が支払われないことそのもの以上に、過労死のリスクを高めることが懸念されているのである。
 日本の法制度は、〝働きすぎ〟を更なる形で容認するかもしれない、そういう岐路に立たされている。

本書は、ブラック企業問題を扱っているが、「とにかく企業が悪い」という一方的な論調が目立つ。

確かに社員の幸せを全く考えていない企業も存在するのだろう。

しかし、槍玉に挙げられている企業の多くはそうではない。

例えば、ブラック企業の代名詞のように報道されているワタミとその元社長、渡邊氏。

私の印象では、渡邊氏は優れた経営者である。

社員の幸せも真剣に考えている。

社員の中には渡邊氏の考えに賛同して、喜んで残業しているものも多く存在しただろう。

しかし、著者はそのような面は全く触れようとせず、一方的な書き方をする。

上記抜き書きのホワイトカラー・エグゼンプションの法案もそうである。

著者はこれを「残業代ゼロ法案」と言って批判する。

しかし、一方では、時間に縛られずに働きたいと望んでいる社員も多く存在するのも事実。

ところがこのことは全く書かれていない。

ブラック企業問題は確かに放置できない大きな問題なのだが、それだけにもっとまともな議論をして問題解決をしてほしいものである。

2014年3月27日 (木)

それでもドキュメンタリーは嘘をつく/森達也

Photo ある程度はキャメラの存在に馴れたとしても、絶対にゼロにはならない。自分に照準を向けるレンズの威圧感は凄まじい。市井で普通に生きる人にとって、キャメラは永遠に異物のままだ。まずはその現実を撮る側が自覚するところから、ドキュメンタリーは始められなければならない。ありのままの事実など撮れない。キャメラのフレームに映りこむ世界は、キャメラという異物によって触発され、加工された虚構によって再構築される現実なのだ。

ドキュメンタリーは事実を映像化したものだと思っている人は多い。

多くの場合、被写体は確かにプロの俳優ではないかもしれない。

でもキャメラの前で彼らが演技をすることなどいくらでもある。

いや、むしろ、普通の人であっても、レンズを向けられた途端、その人はキャメラの前で演じるようになる。

つまり噓をつく。

自覚的な噓の場合もあれば、無自覚な場合もある。

撮る側は時にはこの噓を利用し、時には別の回路に誘いこむ。

こうして撮る側の作為と撮られる側の噓が縦糸と横糸になって、ドキュメンタリーは紡がれる。

被写体はキャメラの前で作り話を演じる。

そして噓が多くなればなるほど、作り話は艶を増す。

つまりドキュメンタリーが捉える現実は、結局のところ虚構なのだ。

そもそも、どんな題材を選ぶかという段階から、ドキュメンタリーは事実ではなくなる。

そこに作者の主観が働くからである。

そして、被写体をキャメラに収めるという作業が始まる。

しかし、どの場面を撮るのか、時間内に収めるために、どの場面を切り捨て、どの場面を残すのか?

全て、撮ったものの思想や考え方が反映される。

その時点で、事実はかなりゆがめられる。

結果として、一つの作品として完成したドキュメンタリーは事実をきりばりした虚構となる。

最近の、佐村河内氏の問題など、その顕著な例である。

キャメラの前で、彼は確かに演じていた。

そして、あたかもそれが事実であるかのようにNHKは映像を垂れ流した。

ドキュメンタリーは虚構である、

このことをしっかりと肝に銘じておく必要がある。

2014年3月26日 (水)

稲盛和夫 最後の闘い/大西康之

Photo 稲盛の話が始まると、その多くが唖然とした。
「利他の心を大切に」
「ウソを言うな」
「人をだますな」
 稲盛が説いたのは、まるで小学校の道徳の教科書に出てくるような話ばかりだった。
「このくそ忙しいときに、なんでこんな話を聞かなければならないのか」
 いまの窮地を脱するための秘策を求めて集まった役員たちの期待は、不満に変わった。

誰もが不可能と思ったJALの再生を見事成し遂げた稲盛氏。

その秘訣はどこにあったのか?

本書を読んでみると、稲盛氏のやったことは特別なことではなかったということがわかる。

一言で言えば「当たり前のことを当たり前にやる」ということ。

特に、稲盛氏がJALに乗り込んだ最初の200日は、

「会社とはこういうものだ」というJAL役員の既成概念と、「会社はかくあるべし」という稲盛氏の哲学がぶつかり合った期間だった。

JALの役員は、言わば超エリートである。

その彼らに対して、小学生でもわかるような当たり前のことを話す稲盛氏。

その光景が目に浮かぶ。

おそらく彼らにとって稲盛流の意識改革は苦痛であったろう。

心の底では馬鹿にしていたかもしれない。

しかし、それを心底その通りだと思えるようになったとき、JALの再生がスタートしたといっても良い。

稲盛氏は当たり前のことを当たり前にやったに過ぎない。

きちんと利益が出ている会社なら中小企業でもやっているようなことである。

それを稲盛氏はすさまじい精度と深度、驚くべきスピードでやってのけた。

「ウソをつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ」と。

子どもの頃親や先生に教わった人間として守るべき当然のルール。

そうした『当たり前』の規範に従って経営も行っていけばいい、と。

JALでも稲盛氏はそれを繰り返した。

経営とは何なのか?

改めて考えさせられるエピソードである。

2014年3月25日 (火)

原田泳幸の仕事の流儀/原田泳幸

Photo そこで私は、原因はあくまで内部にあるということを話し、「基本に戻れ」「悩んだときには店に行って、基本を見つめ直したならば、答えは出てくる」と言い続けたのだ。  

業績が悪くなったとき、外部に原因を求めることが多い。

普通に考えても、不況になれば業績が振るわなくなるのは、ある意味当たり前である。

ところが、そんなとき、「原因は内部にある」と断言することができるかどうか。

ここが生き残れる企業かどうかの違いではないだろうか。

優れた経営者の書いた本を読んでみると、外部の環境のせいにせず必ず原因を内部に求めるというところに共通点がある。

そして基本に立ち返ることを徹底する。

社員にもそのことを繰り返し話す。

経営トップがこのことを信じ込んでいるので、社員も影響を受ける

社員の意識や行動が変わってくる。

業績が回復してくる。

原田氏が日本マクドナルドの社長に就任したとき、業績は最悪だった。

しかし、それを見事に立ち直らせた。

企業が倒産する原因は、外部要因ではなく、内部要因であるというが、確かに本当のことなのだろう。

2014年3月24日 (月)

うっかり一生年収300万円の会社に入ってしまった君へ/平康慶浩

Photo「実際のところ、誰も評価ルールなんて覚えてないんですよ。制度導入時に評価者研修は実施しましたけど、その後私は任から外れたので知りません。私がその後研修を受けてないってことは後任は実施してないんでしょう。評価基準だって長々と書いてあるから読む気はしません。だから評価をするときにはまず結果を決めるんです。こいつはCだ。こいつはAだ、って。それから評価基準ごとに適当に点数をつける。そんなもんですよ、実際」

本書のタイトルにもなっている「年収300万円の会社」は特別な会社ではない。

中小企業の大半がこのような会社だと言って間違いない。

では、この状態から脱するにはどうすればよいのか。

その会社の中で、昇進昇格して役職者になるか、転職するか、であろう。

でも転職するのはリスクが大きい。

実際、転職して収入が増える人は少数派である。

リスクを最小限にして増収するためには社内で出世することが一番の早道。

では社内で出世するにはどうすればよいのか。

定期的に行われる人事評価で良い評価を得ることである。

では、会社の人事評価はどのようにして行われているのか。

人事評価表は会社によってまちまちである。

でも、共通していることがある。

それは、人事評価は上司の主観で行われているということ。

どんな人事評価表を使っていても、そんなことは問題ではない。

上司が部下を評価する場合、「こいつはよくがんばった」と思っていれば「A評価」、

後は、そうなるように点数を操作する。

これが実態。

上記抜き書きの人事担当者の言葉、案外本質をついている。

2014年3月23日 (日)

それでもあきらめない ハーバードが私に教えてくれたこと/林英恵

Photo ハーバードの学生たちは、ポジティブな言葉のシャワーを徹底的に浴びる。
「将来、リーダーになる君たちは……」
「この分野の改革者になるであろう君たちに……」
「それぞれの国や地域から選び抜かれた諸君は……」
「社会の問題を解決する任務を背負ったあなたたちは……」
 などなど、自分の身のひと回りも2回りも、いや、それ以上に大きな言葉をかけられるのだ。このようなポジティブな言葉の「連打」は、入学式のような特別なシチュエーションだけに限らない。通常の授業でも、教授たちはあらゆる修飾語をつけて学生たちを鼓舞する。

著者の話によると、子どもの頃からずっとハーバードを目指し、何の挫折も経験せず、合格通知を手にしたという人を、まだ見たことがない、

むしろ、「選ばれなかった」という経験を経て、人生の分岐点で悩んでいたときにハーバードという目標が見つかったという人ばかり、ということ。

ハーバードに入学する人は、人生のエリートコースを歩んできた人たちという印象をもっていた私にとってこれは意外であった。

そして、ある程度、人生の挫折を味わった学生がバーバードで味わうのは、ポジティブな言葉のシャワー。

これによって人生や物事に対する考え方が変えられていく。

よくよく考えてみると、人生を変えるのは、その人の知識や能力ではない。

その人の考え方である。

稲盛和夫氏も「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」だといっている。

人生に対して正しい考え方をしてさえいれば、多少能力が劣っていても、必ず道は開けるものである。

「正しい考え方」がいかに大事かということを再確認させられた。

2014年3月22日 (土)

フランスに学ぶ国家ブランド/平林博

Photo フランス人は、近代フランスの誕生をもたらしたフランス革命、その成果を守るために戦った革命軍とその後のナポレオンの戦いに対し、大きな誇りを持っている。国威の発揚の観点からは、この国歌に勝るものはない。
 ラ・マルセイエーズは、フランス内外で、フランス人によってあらゆる機会に歌われる。革命記念日の行事やオリンピックやサッカーのワールド・カップといった国際的スポーツ・イベントばかりではない。文化行事や学校行事でも、必ず歌われる。平和的な行事においても、軍歌ともいえるこの国歌を歌う神経は、フランス人でないとわからないであろう。

フランスの国家、ラ・マルセイエーズは革命歌である。

歌詞は「武器を取れ、市民たちよ、隊列を整えよ!進め!進め!不浄なる血でわれらの田畑を染めるべく」という血なまぐさいもの。

ラ・マルセイエーズは、ブルボン王政を倒したフランス革命を守るための戦いの中で生まれた。

しかし、この国歌を歌ったり演奏することを拒否する国民などいない。

国民はそれぞれ誇りを持ってこの国歌を歌っている。

そして、それがそのまま国に対する誇りにつながっている。

一方、日本はどうであろうか。

日本の国歌である「君が代」は、歌詞はいたって平和的だ。

天皇の御世の永遠なることを願う内容だ。

「ラ・マルセイエーズ」の主体は軍、「君が代」のそれは天皇、

前者は戦闘を鼓舞し、後者は平和を願う。

対照的だ。

国歌としては平和を願う「君が代」の方がふさわしい。

にもかかわらず、日本人は日本の国歌に誇りを持っていない。

日の丸においても然り。

中には歌うことを拒否するものもいる。

日の丸も拒否するものがいる。

戦後の自虐史観が、このような国民を多数生み出したような気がする。

2014年3月21日 (金)

俺のイタリアン、俺のフレンチ/坂本孝

Photo ビジネスの戦いに勝つ条件は、そのビジネスモデルに「競争優位性」があること。そして、参入障壁が高いことです。私は事業家として歩んできた人生の中で、この法則を学んできました。
 私はこの競争優位性を、飲食業の中で追求しました。私が行ったことは、一流の料理人が、一流の料理をつくり、かつてないおいしさとリーズナブルな価格で提供し、そしてお客さまに驚くほどに「おいしい!」「安い!」と感じていただくことでした。

「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」が繁盛しているのは偶然ではない。

しっかりとした競争優位のビジネスモデルがあるからである。

まず、顧客ターゲットがしっかりとしている。

顧客ターゲットは、単に20代の女性とか、女子高生とか、独身の男性といったものでは弱い。

あまりにも漠然としている。

もっと、はっきりイメージできるものである必要がある。

その意味で、「丸の内で働く30代の女性3人連れで、肉料理をガンガン食べて、白ワインと赤ワイン、ボトル1本ずつじゃぶじゃぶ飲んで、『明日も仕事がんばろう』と思っていただける……そんな人たち」という顧客ターゲットは非常に具体的であり、かつ、イメージしやすい。

これによってやるべきことが明確になる。

例えば、「日本人1億人の中で、3万円の料理を日本全体の何%の人が食べるのだろうか?」と考えてみる。

でも、「一流の料理人が、一流のおいしい料理をつくり、それを驚くほどのリーズナブルな価格で提供する、こんな店があったら……」と、さらに考えを進めていく。

ここから「一流の料理を立ち飲みスタイルで出す」というビジネスモデルが出てくる。

立ち飲みスタイルで出す事によって、店舗に来るお客様の回転率があがり、その儲かったお金をよりよい食材の購入費に充てることができる。

さらに料理人に最大の裁量権を与える。

各店舗のシェフが現金100万円を懐に入れて毎朝築地へ行って、「あれちょうだい」「これちょうだい」「それ全部ちょうだい」と言える。

これで料理人のモチベーションも上がる。

やる気の高まった一流の料理人が良い食材で最高の料理を提供する。

結果、お客様からも喜ばれる。

リピーターも増える。

これが勝ちパターンにつながる。

ビジネスで成功するためには、差別化をいくつつくれるかが勝負。

「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」の差別化とは、

まず、原価率を高くして、優秀な料理人によって価値を高めていく。

そして価格を、大衆の手の届くところにきちっと決めるというもの。

これで繁盛しないはずがない。

この「俺の」シリーズを率いるのは坂本孝氏。

坂本氏は「ブックオフ」の創業者であり、16年間で1000店舗に成長させた人物である。

でも坂本氏がこれまで立ち上げたビジネスは、ブックオフを含めても2勝10敗だという。

逆に言えば、負けたことを肥やしにして今があるということであろう。

2014年3月20日 (木)

評価経済社会/岡田斗司夫

Photo 人々のニーズをつかみ、最も効率よくそれを生産して販売することによって、多くの富を得られるのが、貨幣経済競争社会。
 それに対し、人々の不安や不満をつかみ、最も効率よくそれを解消する方法を提案することによって、多くの人に影響を与え、尊敬と賞賛を得られるのが、評価経済競争社会。
 得られる利益は貨幣的利潤ではなく、評価利潤、つまりイメージである。
 これが「評価経済社会」の定義です。

今、貨幣経済競争社会から評価経済社会へとシフトしてきている、

これが著者の主張。

貨幣経済社会においては、何を買うかが最大の関心事だった。

これに対して、評価経済社会では、豊富にある価値観や世界観、つまりイメージから何を選ぶかというのが最大関心事になる。

そして人々はお互い、どんなイメージを選んだかで相手を値踏みする。

そして、同じ価値観を持つ者同士がグループを作り出します。

情報化社会の本質とは、大きな事件の解釈や感想が無限にあふれ出す社会。

IT社会以前は、マスコミによる一方的な価値観の押しつけが行われてきた。

ジャーナリズムとは、「報道主義」という意味。

もちろんそれは「主義」なので、「暗黙の前提」を内に含んでいる。

それは「報道という行為は正しい」という前提である。

ジャーナリズムは、一見「事件」などの情報を流し、「意味を伝達」しているかに見える。

しかし実際は「こんな大変なことが起こった」イコール「この事件はみんなにとって大事なことだと思え」という、意図の強制を行っている。

これはある種の洗脳である。

ところがITにより情報は双方向になった。

フェイスブックやブログ等によって、誰もが情報の発信者になれる。

その中で、人々は自分の価値観にあった情報を選び取る。

そしてグループを作る。

こんな社会が生まれてきている。

今、私たちは大きなパラダイムシフトの真っただ中に生きていると考えても良いのかもしれない。

2014年3月19日 (水)

10年後の自分のために今すぐ始めたい36の習慣/松富かおり

1036 情報を吟味、整理していく中で、「自分はどう感じるか、自分はどう考えるか」を見極めていけば、自分の視点を持つことができます。
 それが知的な自分を育てる道なのです。
 ただ沢山のことを知っている人が知的なのではありません。自分の視点、自分の考え方をしっかり持っている人のことを「知的」な人、と言うのだと私は思います。

何かを知っているということに対する価値が以前に比べて下がってきている。

以前は、とにかくたくさんの知識を持っている人が優秀とされていた。

ところがITが進化してきた結果、情報は巷にあふれるようになってきた。

グーグルの検索機能を使えば、一般的な知識はすぐに得ることができる。

だから、たとえ百科事典的な知識を持っていても、今は昔ほどの価値はない。

むしろ大事なのは、得た情報をその人独自の視点で見、独自の切り口で加工し、発信することである。

情報に対する付き合い方が違ってきたといえよう。

2014年3月18日 (火)

世界史の誕生/岡田英弘

Photo 十三世紀からあとの歴史は、それまでのように、地中海・西ヨーロッパ世界の歴史と、中国世界の歴史とを、それぞれ別々に叙述することは、もうできない。モンゴル帝国が、一方で起こった事件が、ただちに他方に影響を及ぼすような世界を創り出したのだから、どうしても一本の世界史として書かなければならない。つまり、世界史は、モンゴル帝国から始まったのである。

本書で著者が述べているのは、世界史はモンゴル帝国の出現から始まったというもの。

歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである。

歴史は文化であり、人間の集団によって文化は違うから、集団ごとに、それぞれ「これが歴史だ」というものがあって、ほかの集団が「これが歴史だ」と主張するものとはずいぶん違う。

そう簡単に、世界の人類に共通な歴史、つまり世界史が可能になるはずはない。

そして、世界広しといえども、自前の歴史文化を持っている文明は、地中海文明と、中国文明の二つだけであった。

歴史は最初から普遍的な性質のものではなく、東洋史を産み出した中国世界と、西洋史を産み出した地中海世界において、それぞれの地域に特有な文化であった。

それが13世紀のモンゴル帝国の出現によってはじめて双方の融合が始まった。

現代の世界のインド人、イラン人、中国人、ロシア人、トルコ人という国民は、いずれもモンゴル帝国の産物であり、その遺産。

現代の世界の指導的経済原理である資本主義も、モンゴル帝国の遺産。

さらに、特記すべきことに、世界最初の紙幣を発行して成功したのもモンゴル人であった。

13世紀のモンゴル帝国の建国が、世界史の始まりだというのには、四つの意味がある。

第一に、モンゴル帝国は、東の中国世界と西の地中海世界を結ぶ「草原の道」を支配することによって、ユーラシア大陸に住むすべての人々を一つに結びつけ、世界史の舞台を準備したこと。

第二に、モンゴル帝国がユーラシア大陸の大部分を統一したことによって、それまでに存在したあらゆる政権が一度ご破算になり、あらためてモンゴル帝国から新しい国々が分かれた。

それがもとになって、中国やロシアをはじめ、現代のアジアと東ヨーロッパの諸国が生まれてきたこと。

第三に、北シナで誕生していた資本主義経済が、草原の道を通って地中海世界へ伝わり、さらに西ヨーロッパ世界へと広がって、現代の幕を開けたこと。

第四に、モンゴル帝国がユーラシア大陸の陸上貿易の利権を独占してしまった。

このため、その外側に取り残された日本人と西ヨーロッパ人が、活路を求めて海上貿易に進出し、歴史の主役がそれまでの大陸帝国から、海洋帝国へと変わっていったこと。

13世紀のモンゴル帝国の建国を、世界史のはじまりと見る著者の考え方は、確かに一理ありそれなりの説得力がある。

2014年3月17日 (月)

勝利は10%から積み上げる/張栩

10僕は「あたりまえのことをあたりまえにできる人」を尊敬しています。
あたりまえのことが確実にできる人こそ本当に力がある人です。

「当たり前のことを当たり前にする」ことが大事、

一流と言われる多くの人たちが、このことをいう。

「できてあたりまえ」、「やってあたりまえ」……。

そんなあたりまえのことこそ難しいという。

とかく人間、一つのことである程度のレベルに達すると「当たり前の事」をおろそかにしがちになる。

もうそんなことは「卒業した」と思ってしまうのであろう。

でも、その瞬間、成長はストップする。

何かがおかしくなってしまう。

しかし、一流の人たちは、この「当たり前のこと」をとても大事にする。

紙一重の違いだが、これが大きな差を生み出すのであろう。

2014年3月16日 (日)

さらば愛しき女よ/レイモンド ・チャンドラー

Photo 私はエレヴェーターで一階まで降り、市役所の正面の階段に立った。一点の雲もなく晴れあがり、空気が冷たく澄みきっている日だった。はるか遠くまで見とおすことができた──しかし、ヴェルマが行ったところまでは見えなかった。

久しぶりにこの本を読んでみた。

何度も読み返している本がある。

チャンドラー著の本もその中の一つである。

何度も読んでいるので、小説の筋書きはもうわかっている。

その意味では新鮮味はない。

ではなぜ、何度も読み返すのか?

その文章の言い回しや小説の持つ雰囲気を味わうためである。

私立探偵フィリップ・マーローを主人公とし、すべて一人称で語られる。

全体に行き渡るリリシズム。

ひねったセリフ回し。

独特の雰囲気がある。

願わくは、原文の英語が読めれば、なお良いのだが。

こればかりはハードルが高い。

2014年3月15日 (土)

社労士は食えるか!?/川嶋 英明

Photo 社労士で食っていくというのは、社労士である自分自身や、社労士の商品を自分以外の他者に売っていくことにほかなりません。だから、社労士として食えるかどうかは、当人が「社労士の商品を売っていく自信があるか」にかかっています。売っていくことができれば食えるし、できなければ食えない。ただそれだけの話で、だからこそ。誰にでも共通する明確な答えなんてあるはずもない。

タイトルが気になり読んでみた。

というのは、私自身が社労士だから。

そして事実、「社労士って食えるの?」と聞かれることがよくある。

その質問に対する答えは「食える人もいるし、食えない人もいる」というもの。

社労士は開業する人も多いが、それとほぼ同程度、廃業する人もいる。

でもこんなこと、他のアントレプレナーでも全く同じではないだろうか。

新しく事業を起こしても、その中で成功するのはごくわずか。

社労士も例外ではないということ。

私自身、この仕事を11年間やっている。

ちゃんと食えている。

要はやり方しだいということであろう。

2014年3月14日 (金)

明るいコストダウン/片桐明

Photo本格的に取り組むなら、過去は問わない。これを、絶対厳守することだ。

企業の第一の使命、それは「存続し続けること」、

すなわち、「倒産しない」ことである。

不況は定期的にやってくる。

またどんな企業でも、倒産の危機に見舞われることはあるもの。

その時、どうやってそれに耐え、存続し続けるか、である。

その意味で、コストダウンは避けられない課題といえよう。

コストダウンはどちらかと言えば、企業業績が悪い時に行われるもの。

そのため、どうしても暗くなり、後ろ向きになりがちになる。

でも、どうせやるなら明るくやりましょう、と言っているのが本書である。

ではそのために何が必要か?

それは「過去は問わない」これを、絶対厳守すること。

コストダウンに取り組み、様々な無駄が明らかになってくると、次に出てくるのは犯人捜しである。

「誰がこんなことを放置していたんだ」という話が必ずでてくる。

そうすると、どうしても社内の雰囲気は暗くなる。

「過去は問わない」、大事なポイントである。

2014年3月13日 (木)

ハゲタカ(下)/真山仁

Photo「この国の人間は、文化や伝統など世界でも有数の長い歴史を刻んできた先達の偉業に対して、敬意を示そうとしない。金になるなら、どんなものでも破壊する。保護するという人間の大半だって同じだ。その裏にある金に目がくらんでいるか、稼ぎすぎた金を上手に捨てて売名行為をしようという連中ばかりだ。だからいざ懐が寒くなれば、伝統も文化もかなぐり捨てて、自分達だけ生き残ろうとする。いいか、もし足助銀行が、日本のどこかの銀行の傘下に入ったが最後、日光、中禅寺湖、そして鬼怒川にあるホテルや旅館は全部整理されて、今まで守られてきた環境は、ぶち壊される。京都しかり熱海しかりだ。こういう場所は、本当に価値が分かる人間が、莫大な金を投下して守るべきなんだ」
「悪いけど、私、そんなきれい事信じないわよ」
 リンの言葉に、鷲津は静かに笑みを浮かべて言った。
「これは、きれい事じゃない。俺の日本人としての証だ」

ある時、周囲からハゲタカと呼ばれ恐れられている鷲津の口から意外な言葉が語られる。

それは「日本人としての証」という言葉。

その言葉を聞いたビジネスパートナーの女性は、きれいごとだと揶揄する。

でもこれ、意外と本音かもしれない。

人間は結局、カネだけのために仕事をすることはできない。

使命感や意義というものがなければ、どんな仕事も長続きしないものである。

2014年3月12日 (水)

ハゲタカ(上)/真山仁

Photo「おっしゃる通り、日本には、経営のプロも再生のプロもいない。いるのは、一つの企業の中でしか通用しないルールの中で生き抜いて、たまたまトップになったという井の中の蛙だけだ。」

本書の主人公はニューヨークの投資ファンド社長鷲津政彦。

彼は強烈な妨害や反発を受けながらも、次々と企業買収の成果を上げていく。

周囲は彼をハゲタカと呼び、警戒する。

でも、そもそも放漫経営や無理な投資をし、企業をおかしくしてしまっている素人経営者こそ問題なのではないのか?

経営のプロがいないからこそ、ハゲタカが暗躍する。

そんな問題提起を鷲津は投げかける。

以前のホリエモンのフジテレビ買収騒動を思い出す。

2014年3月11日 (火)

ダンナ様はFBI/田中ミエ

Fbi「犯罪者は世界中でドアの裏側にいる!」
 これがダーリンの持論である。そ、そりゃあ、部屋の真ん中で待っているわけはないと思うよ。アクションものの映画見たって、ほとんど待ち伏せているのはドアの裏だもん。(中略)
 しかし、ダーリンは日本の居酒屋のトイレでもどこでも入り方がFBIぽいのである。ドアの前に立ち、ドアノブのサインがブルーになっていて空いていることが分かっても、コンコンとノックし、数秒おいて再びノックする。いよいよ開けるというときには、ドアノブを握り5センチほど開いて、体を斜めにしながらドア裏、中を注意深く見てやっと大きく開いて入っていく。

本書はあるきっかけで、元FBI捜査官と結婚した著者の体験をもとにしたエッセイ。

アメリカ人と結婚するだけでも大変だと思うのだが、まして相手は元FBIである。

何しろFBIの流儀を日常生活の中に持ち込んでしまうわけだから、傍から見ればマンガのようなエピソード満載となる。

でも、同時にセキュリティーや安全確保という面では日本は非常に遅れているということを教えてくれる。

ただ、そんなカタイことを考えず、読むだけで楽しい本である。

また、そうやって読む本であろう。

2014年3月10日 (月)

「自分で考える力」の授業/狩野みき

Photo 意見を戦わせることの少ない日本社会では、「意見」と「発信者」を「同じもの」として見る傾向があるように思います。たしかに「意見」を作った張本人はその発信者なのですが、意見を戦わせるときに、その発信者という人格がいちいち背後霊のようにすべての意見につきまとっていたのでは、その発信者に遠慮してしまって意見そのものをきちんと「味わう」ことができなくなってしまいます。

日本人は議論が苦手だと言われる。

その障害となっているものの一つが、「意見」と「発信者」を同じものとみる傾向だと著者は言う。

確かに、日本人は自分の言っていることに反対されると、自分を否定されたと受け止める傾向がある。

自分の人格を否定されたと受け止めてしまうのである。

そうすると、感情が先に立ってしまって思考停止に陥ってしまう。

議論が先に進まない。

そんなことが起こる。

また、自分が意見すると相手との関係が悪くなることが分かっているので、相手に言いたいことを言わなくなる。

結果、思考が深まらない。

こんなところに「自分の頭で考えられない人」が増える風土がある。

日本は伝統的に「和」の文化である。

争いを好まない民族である。

しかし、これがマイナスに働いているということを自覚することも必要ではないだろうか。

2014年3月 9日 (日)

日本に殺されず幸せに生きる方法/谷本真由美

Photo「日本人はどうして時間を守ろうとしないんですか!」
 日本で働くインドネシア人が言っていたことです。日本の会社は始業時間の30分から1時間も前に出社するのに、「会議をいつまでに終わらせる」「何時までに帰る」といったことをまるで考えていません。
 会社に長くいるのが働いていることの証かのように、朝から晩まで、いつまでも会社にいて「さっさと終わらせて早く帰る」のがいいという考えが薄いのです。
 遅刻しないための1分1秒を守るよりも、数時間を無駄に過ごさないほうが、よっぽど時間を有効活用できています。そう考えると、実は日本人ほど時間にルーズな民族はいないのです。

日本人は時間をきちんと守る国民である。

そう思っていた。

電車のダイヤは秒単位で決められているし、それがきちんと守られる。

約束の時間もきちんと守る。

ところが、それは一面である。

仕事が終わる時間や、会議が終わる時間については、ルーズな国民。

確かに言われてみればそうである。

日本人の生産性が悪いのもこんなところに原因があるのかもしれない。

2014年3月 8日 (土)

戦略がなくなる日/小山和伸

Photo 修正され変更されてゆく戦略の、その変化のトレンドを知って、それら戦略の包絡線上に展開されるより高次元のグランド・デザインを、今後我々は持たねばならない。この進化したグランド・デザイン、つまり超戦略を「戦律」と名付けたい。戦律とは変化する戦略の包絡線上に描き得るトレンドであり、メタ原理に概ね即したものになるであろう。

現代にような変化の激しい時代では、戦略が追いつかない、通用しない、すぐ変更を余儀なくされるといったことが起こっている。

GMには戦略的発想があったが、激変する環境に適応しきれない戦略に拘泥したことが、経営破綻につながっている。

今日正しかった戦略が、明日も正しいという保証はない。

たとえ長期的展望に立って策定された戦略でも、加速度化する環境変化は、たちまちそれを陳腐化してゆく。

GMの破綻は、戦略時代の終焉を象徴している。

著者はこれをもってして、戦略の時代は終わったと述べる。

そして次は「戦律」の時代になるという。

「戦律」とは、進化したグランド・デザインのこと。

「律」には「ただす」の意があるので「戦略をただす」というイメージ。

あるいは、変化する戦略を大まかに支配する旋律というイメージ。

戦律とは変化する戦略の包絡線上に描き得るトレンドであり、「メタ原理」に即したものである。

「メタ原理」とは、大まかに普遍的に流れている論理、大局的に見て成り立つと考えられる法則。

いくつかの小さな例外を伴いながらも全体として進んでゆく大まかな方向性を意味する。

つまり未来に対して大まかなグランド・デザインを描き、細部については変化に応じてどんどん変えてゆく、こんなイメージである。

確かに今は、3年後のことを予想するのも難しい時代である。

「戦律」が新しいスタンダードになるかもしれない。

2014年3月 7日 (金)

なぜ「反日韓国に未来はない」のか/呉善花

Photo 韓国の反日主義は単なる一つの政治政策ではない。重要なことは、韓国は反日主義を国家の大義名分として出発した国家だということである。国家としての大義名分とはいうまでもなく、すべての国民が等しく守るべき根本的な道理を意味する。反日主義という大義名分が建国の精神を支えているといってよい。

今や日韓関係は最悪の状態である。

日本にも反韓や嫌韓が広がっている。

雑誌でも嫌韓の特集記事を組むと、すごく売れるという。

一時の韓流ブームがウソのようである。

しかし、韓国の反日は今に始まったことではない。

韓国はずっと反日である。

もし親日的な発言をしたらこの国では生きていけない。

社会的な地位も失ってしまう。

著者も昨年、韓国に帰国しようとして、空港で入国拒否されてしまったことは記憶に新しい。

著者は、韓国は建国の精神そのものが反日であると言っている。

日本敗戦から韓国建国までの3年間、激しい権力闘争があり、結果的に強固な反日主義者が政治的な実権を掌握していく中で、韓国が建国されたからだと。

国民全体が反日というファンタジーの中で生きているといってもよい。

こうなってくると、どんなに日本が今の姿勢を変えても全く無駄だということになる。

人間関係でも、言ってもわからない人に対しては、一定の距離を置いた方がうまくいく。

韓国に対しても、あまり相手が変わることは期待せず、一定の距離を置き、割り切って接する必要があるのではないだろうか。

2014年3月 6日 (木)

情報を読む技術/中西輝政

Photo 数ある情報の中から、価値ある情報を見つけ出す選別眼を養う方法があります。
 それは、新聞の「ベタ記事」に注目するということ。扱いの小さなベタ記事にこそ、重大な情報が隠れていることが多いのです。

今、日本は情報であふれている。

情報の洪水状態といってもよい。

その中で、何が本当の情報なのか、何が必要な情報なのか、何が価値ある情報なのか、判断する必要がある。

特にマスコミの情報は客観報道をうたっておりながら何らかの意図が含まれていることが多い。

その中で、価値ある情報を手に入れるにはどうすればよいのか?

著者は、「ベタ記事」に注目せよ、と言っている。

日本のマスコミは、ショッキングな情報、物議をかもしそうな情報、自社の方針に沿わない情報には、あえてフタをする傾向がある。

しかし、報道機関として「事実としてあったことは報じている」というアリバイが必要。

そういうときに彼らは、ベタ記事扱いにして、ことをすまそうとする。

こういう魂胆があるので、ベタ記事こそ、重要な情報が含まれているというべき。

重要でないから小さく扱われるのではなく、広く知られては厄介になるほど重大な情報だからこそ、あえて小さく扱われている、というのである。

ナルホド、この視点は大事だ。

でも、そうすると、どの情報も同列に表示されるネットはそれが難しい。

紙媒体の新聞であってはじめてそのことが可能になる。

逆に言えば、紙媒体の新聞を読む価値はそこにあるということができよう。

また、どんな記事を一面に し、何をベタ記事扱いにするかによって、その報道機関の根本の思想や考え方がわかる、ともいえよう。

2014年3月 5日 (水)

機械との競争/エリク・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィー

Photo われわれはいま、新しい病に取り憑かれている。おそらくは読者が名前も聞いたことのないような病だが、今後数年のうちにいやというほど耳にすることになるだろう。それは、「テクノロジー失業」という病気である。労働力を節約する手段が、その労働力の新たな活用先を見つけるペースを上回って次々に発見されていることがこの病気の原因だ。 ──ジョン・メイナード・ケインズ

 
ケインズのいう「テクノロジー失業」が現実のものとなってきている。

景気が回復しても雇用がなかなか回復しないという現象が起こっている。

その大きな原因は、デジタル革命による。

デジタル技術の変化のペースがあまりに速いため、企業も人間の能力も追いつけなくなった。

その結果、何百万もの人が取り残されている。

この人たちは職を失い収入を失い、デジタル革命前よりも購買力が減ってしまった。

経済というシステムでは価値の創造が雇用の創出に直結することが前提になっているが、この前提が危うくなっている。

いま起きているのは単なる景気循環ではなく、根本的な構造変化なのである。

特にITの進化はホワイトカラーの仕事をどんどん奪っている。

そしてこの流れは、実はまだ始まったばかり。

今後ますますその流れは加速することが予想される。

そうするとどうなるのだろう。

コンピュータが苦手な部分にしか人間は必要なくなってしまうかもしれない。

例えば、定型的なビジネス文章を作成することはコンピュータは得意である。

しかし、コンピュータのパワーとスピードをもってしても、創造性ということになるとほとんど能がない。

感動的な歌を作ることもおもしろい長編小説を書くこともできないし、新しいビジネスのアイデアを出すこともできない。

そして大事なことは、両者の共存共栄を図ること。

コンピュータは定型的な処理、反復的な計算、一貫性の維持といった面では圧倒的に強い。

さらに、複雑なコミュニケーションやパターンマッチングといった面でも急速にレベルアップしている。

だがコンピュータには直感も創造性も備わっていない。

あらかじめ決められた領域から少しでもはみ出す仕事を命じたら、もうできない。

幸いなことに、人間はまさにコンピュータが弱いところに強い。

したがってお互いに素晴らしいパートナーになる可能性は十分にある。

このパートナーシップがうまく行けば、コンピュータに仕事を奪われるという心配はなくなってくるかもしれない。

2014年3月 4日 (火)

パラダイムの魔力/ジョエル・バーカー

Photo 「みなさんは、わたしの新しい目であり耳なのです。今後数週間、このホテルの中で奇妙に思えることをさがしてください。そして、どうすれば改善できるのか、考えてください。現在、わたしたちが解決しようとしているのとまったく違うやり方で、問題を解決する方法を考えてください」
 そして、何か思いついたら、自分の部屋に来るように告げた。総支配人は毎日、新人の話を聞くために、午後の時間をあけておいた。
 ただ、それだけのことである。それで、何が起こっただろうか。その後六か月間に得られたすばらしいヒントは、それまでの六年間より多かったというのである。

上記抜き書きは、アメリカのマリオット・ホテル総支配人の話。

そして、このエピソードは、いかに私たちがある種のパラダイムに縛られているかを示している。

誰もがパラダイムに縛られている。

誰もが、自分が大切にしているルールや信念で他人を評価する。

「汝すべからず」と思っていることがひとつでもあれば、パラダイムに縛られていることになる、と著者はいう。

だから、すばらしいアイデアがひらめくとき、それは仕事の初日である。

その次に、すばらしいアイデアがひらめくとき、それは会社を辞める日である。

イノベーションはどこからやってくるのか。

それは、周辺からやってくる。

「できない」ことを知らないアウトサイダーがいる所からやってくる。

理屈からいってそうなる。

私たちが普段、いかにパラダイムに縛られているか、

まずそれをはっきりと自覚することからはじめる必要がある。

 

2014年3月 3日 (月)

中国の全省でバカヤローと叫ぶ/中田和尚

Photo 無理な割り込み、追い越し、逆走、頻繁な車線変更は当たり前。見通しの悪い交差点でも、スピードを緩めずためらいもなく突っ込んでくる自動車、歩道を飛ばすバイク、赤信号を無視して横断する歩行者……そんな例を挙げればキリがない。
 こうした状況に疑問を感じ、オレは会社で中国人に尋ねてみたことがある。
「中国の道路では、優先順位とかないの?」
 答えは、オレの想像をはるかに超えるものだった。
「勇気あるものが勝あぁつ!!」
 いや、そんな。叫ばなくても……。

本書は、仕事で中国赴任を命じられた著者が、その合間を利用し、「全省踏破」を目標に旅へ出た体験記。

そこで見た中国は、マスコミで伝えられているものとは全く違うものだった。

異常な臭気が漂うトイレ、

反対車線を逆走するタクシー、

お尻丸出しの子供、

歩道を平気で走るバス、

ゴミ箱状態の道路、

ニセ札が堂々と行き交う市場、

パクリだらけのお店。

勤務中に堂々と寝る警官……。

見るものすべてが新鮮で、ありえない光景と出来事のオンパレード。

でも体験記として読むのは面白いが、住むのは真っ平御免といった感じである。

2014年3月 2日 (日)

ビジネススキル・イノベーション/横田尚哉

Photo リスク感性が磨くためのとっておきの方法をお伝えしましょう。ランチを食べにお店に入ったら、注文するメニューを0.5秒で決める。これだけです。瞬時の判断が、感性を磨くトレーニングになります。(中略)
 0.5秒で判断するのが難しいという人は物事を表面的な現象、すなわちカタチでとらえているのではないでしょうか。たとえば不動産探しで部屋を選ぶとき、「間取りが1DK」、「駅から歩いて5分」、「南向き」といった情報は、その部屋のカタチを示しているにすぎません。カタチに関する情報は大量で、それらを左脳的に処理しようとすれば、どうしても結論を出すまでに時間がかかります。

メニューを見て、料理一つひとつを吟味するのは、左脳的な処理である。

今自分がどの位お腹が空いていて、過去自分はどんなメニューを選んで食べたとき満足したのか?

ダイエットしているのであれば、それぞれのメニューは何カロリーなのか?

そのような情報を検証して、いま食べるべき一品を論理的に選ぶ。

しかし、0.5秒で選ぶとなれば、そんなことはできない。

理屈抜きに直感で選ぶしかない。

この時に発揮されるのは知性ではなく感性。

情報を瞬時に処理する右脳的能力が鍛えられる、というのである。

この0.5秒で決めるというのは何もランチメニューに限ったことではない。

いろんなことに応用できるだろう。

今、ビックデータという言葉が出現してきたように、ITの進化によって何でも他者が判断してくれる時代である。

アマゾンで本を買えば、自分の過去購入したデータが全部保存されており、それによって自分の好みや傾向が導き出され、「あなたへのお勧め本」が表示される。

表示されたものは概ね合っている。

しかしそればかりに依存していると、人間の持っている本来の右脳的判断力が衰えていくだろう。

そういった意味で、現代人はは右脳的な判断力がどんどん衰えていっているのではないだろうか。

あえて0.5秒で決める。

この取組、結構効果的かもしれない。

2014年3月 1日 (土)

雑談力が上がる話し方/齋藤孝

Photo 人間関係そのものを家にたとえれば、要件のある、意味のある話ができる力、あるいは日本人として日本語がきちんと話せる力などが土台・基礎工事になります。 その上に一個人、社会人として必要な人間性という骨組みがあり、さらにさまざまな社会的経験を積んで身につけるマナー、人との付き合い方、コミュニケーション能力で〝家〟が形作られていきます。 その中で「雑談」「雑談力」の担う役割が水回りなのです。 外観に直接は表れてこないけれど、建物にとって欠かせないのが水回り。ここが詰まったままでは、どこか苦しくて居心地の悪い家になってしまうでしょう。

雑談は中身のないムダ話である。

しかし、それは必要のない話ではない。

むしろ雑談は中身がないからこそ、する意味がある。

トップセールスマンは大抵雑談がうまい。

ダメセールスマンは雑談が下手で、する本題に入ってしまう。

そのため、売れない。

これは昔も今も変わらない。

雑談とは、会話を利用して場の空気を生み出す技術のこと。

だから雑談上手といわれるのは、話術が巧みな人よりも〝間が持てる人〟や〝話を聞いてほしくなる人〟。

要するに会話というよりも〝人間同士のお付き合い〟に近い。

言ってみれば、雑談には、その人の人間性とか人格とか社会性といったものがすべて凝縮されているということ。

そしてその「すべて」をたった30秒の何気ない会話の中で見破られてしまっているということ。

考えてみれば怖いことである。

その意味では、「たかが雑談されど雑談」といった感じ。

雑談にもまじめに取り組むことが必要だということであろう。

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