織田信長のマネー革命/武田知弘
なぜ織田軍は大量の鉄砲を揃えることができたのか?
なぜ武田軍は鉄砲を揃えることができなかったのか?
ここに実は信長の経済戦略の真骨頂が隠されているのである。信長は、武力によらず経済戦略で武田を追い詰めていった。この戦いが始まる前にすでに、信長は経済で武田方を圧倒していたのである。信長は、勝つべくして買ったといえるのだ。
長篠の戦いで武田の騎馬軍団を織田、徳川の連合軍が打ち破り、武田軍に壊滅的な打撃を与えた。
武田信玄亡き後といえども、武田の騎馬軍団は戦国最強と言われていた。
しかし信長は、この戦いで相当数の鉄砲を投入し、その威力によって勝利した。
では武田勝頼は鉄砲の威力を知らなかったのか?
軽視していたのか?
そうではなく鉄砲を揃えようにも揃えられなかったのである。
信長は当時の交易の中心地である堺、大津、草津を直轄地にした。
それは明らかに東国の経済封鎖を念頭に置いてのことだった。
つまり武田軍は経済封鎖によって戦う前から敗れていたというのである。
そう考えると、信長は単なる軍事の天才ということではなく、むしろ、当時の武将には珍しく経済感覚をもった人物だったと言えよう。
経済と軍事が密接なつながりがあるという考え方は、現代では当たり前であるが、あの当時、そのような考えを持ち、具体的な政策を打っていたのは信長だけだった。
やはり当時の日本では突然変異のようにして生まれてきた人物だったと言えよう。
その意味では興味が尽きない。
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