福沢諭吉の「脱亜論」と<アジア蔑視>観/平山洋
批判とは、誰もが同意可能な基準をあらかじめ定め、その基準からの逸脱を具体的に指摘することで相手の不当性を明らかにするあり方のことです。
いっぽう蔑視とは、もともと何らの基準をもたぬまま、相手をより劣った存在とみなすことです。この観点からいって、福沢のアジア関連論説において、しばしばアジア蔑視と批判されている事柄は、単なる批判にすぎないといえます。
福沢諭吉の脱亜論は1885年3月16日、新聞「時事新報」に掲載された社説である。
「学問のすすめ」を書いた、同じ著者が、これを書いたというのは紛れもない事実である。
当時の日本の風潮から考えても、この社説はとんがったものだったのではないだろうか。
だが、ここで展開されているのは中国、韓国の蔑視ではない、
あくまで中韓の批判である。
そして、今改めて読んでみると、それは、現在の日本における中韓への批判と通じるものがある。
まるで、100年以上前に現在の中韓との関係を予告していたともいえるものである。
そのような観点でこの「脱亜論」を読んでみると、非常に面白い。
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