仕事に効く 教養としての「世界史」/出口治明
これは人によって解釈が違いますが、バークやトクヴィルの保守主義とは何か。大前提になっているのは、次の認識だと思います。
「人間は賢くない。頭で考えることはそれほど役に立たない。何を信じるかといえば、トライ・アンド・エラーでやってきた経験しかない。長い間、人々がまあこれでいいじゃないかと社会に習慣として定着してきたものしか、信ずることができない」
こういう経験主義を立脚点として、次のように考えます。
「そうであれば、これまでの慣習を少しずつ改良していけば世の中はよくなる。要するに、これまでやってきたことでうまくいっていることは変えてはいけない。まずいことが起こったら、そこだけを直せばいいだろう」
こういう考え方が、バークやトクヴィルの「保守」の真の意味だと思うのです。
英国のエドマンド・バークとフランスのトクヴィルは、近代的な「保守主義」という考え方の元祖ともいうべき人物。
国をつくるのに、よるべとする歴史のないアメリカは、憲法という理念を礎に建国した。
その影響がフランス革命に、行きすぎた平等性や人工国家性を持ち込むことになった。
アメリカの建国やフランス革命を見ていて彼らが懸念したのは、人間の理性、すなわち人間の頭ってそんなに賢いものだろうかということ。
そこから、理性を信じ人間が頭で考えることが正しいと慢心した人工国家に対する反動として、近代的な保守主義が生まれた。
と、そのように著者は述べている。
私たちは、一つのイデオロギーによってもたらされた悲劇をイヤというほど見てきた。
イデオロギーも所詮は人間の頭で考えだした仮説に過ぎない。
それを絶対的なものと信じ込んでそれをもとに社会を変えようとするところから、悲劇が生まれる。
逆に、真の保守主義には、イデオロギーがない。
観念的な上部構造が持っている世界観と、保守主義は無縁である。
人間がやってきたことで、みんなが良しとしていることを大事にして、まずいことが起こったら直していこう。
それが保守の立場である。
フランス革命やアメリカ革命はイデオロギー優先である。
自由・平等・博愛とか憲法を旗印にしていて見た目はカッコいい。
それらは確かに頭で考えたら正しくて素晴らしい思想には違いない。
しかし人工国家的はどこかでひずみがでてくるもの。
バークやトクヴィルが、提起したのは、人間の理性に対する一つの懐疑としての保守主義であった。
人間ってそんなに賢いのだろうか?・・・と。
大上段に思想を振りかざすのではなく、要するに、社会を少しずつよくしようという地についた考え方。
とても共感できる考え方である。
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