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2014年7月の31件の記事

2014年7月31日 (木)

勝ち残る人財の原理原則/新将命

Photo 日本人であるからには日本人としての誇りやアイデンティティーを失ってはいけない。そもそも民族が違えば生まれた環境も違う。価値観も違う。向き合って話をしている相手は違う人間なのだから違って当たり前なのだ。その違いをまず知り、かつ尊重(リスペクト)することがグローバリストの第一の条件であろう。

本書は、グローバル化する世界の中で、勝ち残る人材となるためには何が必要か、という視点で書かれた本である。

グローバル人材というと、英語が堪能で、どんな国の人間ともコミュニケーションをとれる人というイメージを持ちやすいが、それは必ずしも当たってはいない、という。

もちろん英語ができないよりもできた方が良いに決まっているが、それは絶対条件ではない。

世界に打って出ても堂々と振る舞えるような、勝ち残る日本人になるためには三つの原理原則があるという。

第一に、自国をよく知っていること。

日本の歴史、文化、芸術、宗教、経済といったあらゆる面で日本をよく知っていること。

第二に、自国に対する誇りを持ち、自国を愛していること

日本人だから、日本に誇りを持ち愛していると思いたいのだが、実際にはそうではない人が多い。

第三に、日本人としてのアイデンティティーを持っていること

日本には昔から尊ぶべき教え、武士道がある。

今こそ日本人の魂である武士道を取り戻すべき時ではないか、と著者は言う。

こうしてみると、一般に言われているグローバリストのイメージと、実際とはずいぶん違うということに気づかされる。

極端に言えば、グローバリストとなる前提は、ナショナリストになること、ということではないだろうか。

2014年7月30日 (水)

一流の部下力/上村光弼

Photo 本書でいう「一流の人」とは、仕事を通じて自己実現や社会貢献をしたい人です。つまり「志や夢を持った人たち」です。
 では、そういう一流の人にとって「上司の機能」とは何でしょうか?
 一言でいうと、「銀行機能」です。つまり「人・モノ・金・情報・時間など、自分の仕事をスムースに行うための経営資源を引き出す銀行」です。

会社という組織では社長以外にはみんな上司がいる。

そして上司をいかに使うかが仕事をうまく進めるためのポイントとなる。

上司の機能は「銀行機能」だという著者の考え方、非常に面白い。

つまり、必要な時、必要なモノを引き出す銀行の機能を持っているのが、上司である、と。

仕事を進めるためには、「人、モノ、金、情報」という資源が豊富にあった方が有利である。

そして、残念ながら、それらの資源は上司が握っている場合が多い。

例えば、次のようなものである。

「人」について言えば、社内メンバーや社外取引先、自分が持っていない人脈など

「モノ」については、場所・机・電話・PC・ファイル・キャビネット・車など

「金」については、仕事を実行するための予算、果ては自分の給料など

「情報」については、社内外の情報、表に出てこない情報、ノウハウなど

すべて上司が握っているのである。

だったら、これらをうまく引き出す術を持っているほうが良いに決まっている。

ところが、上司には感情がある。

当然、好き嫌いがある。

上司に好きになってもらわなければ、この「銀行」を活用できない。

その意味では、一般の銀行と同様に「信用第一」ということではないだろうか。

まず上司の信頼を獲得して、自由に人・モノ・金・情報・時間を使わせてもらえる関係を作ることが一流の部下力ということであろう。

2014年7月29日 (火)

ニッポンの懸案/櫻井よしこ

Photo 日本人は、一方が申し訳なかったと謝れば、水に流して前向きにいこうとしますね。向うが潔く謝ったら、それを責め続けるのはみっともないことだと考える。
 ところが、韓国人や中国人はそうではありません。許さないんです。一度、相手が「悪かった」と認めたら、そこを大きく取り上げて追及し続けます。日本人は美意識で生きていますが、朝鮮半島の人は、まず「善か悪か」です。日本人が悪いことを認めたなら、どこまでもその罪を追及し続けなけらならないのです。

本書は、櫻井氏の対話集。

対話の相手は、慰安婦、靖国、竹島、尖閣、改憲、歴史認識をめぐり、ダライ・ラマ法王、洪炎、呉善花、百地章、村井友秀ら七名の論客。

上記はその中の一人、呉氏の発言。

彼女が昨年、空港で韓国への入国を拒否されたことは記憶に新しい。

対話で浮き彫りにされたのは、日本人と中韓とのメンタリティの違いである。

たとえば、「謝る」という行為に対する受け止め方。

日本では潔く謝ることを良しとする文化がある。

そして謝られた側も、相手の潔さに免じ、水に流す。

いつまでもそのことにこだわり続けることは、人間としてみっともないとされる。

ところが、中韓では、謝ったということは、過ちを認めたということ。

だったら、後は、徹底的な謝罪を求め、いつまでも過ちを追及し、賠償を求め続ける。

どちらが良いか悪いかということではなく、おそらく日本人のメンタリティの方が世界の中では異質なのだろう。

謝罪外交は、これ以上続けてはならないということではないだろうか。

2014年7月28日 (月)

トップ1%のサッカー選手に学ぶ成功哲学/水野俊哉

Photo「日本に欠けていたのは殺し屋の本能、チャンスがあったら絶対にそれをものにするという気迫。それがないから勝てなかった」 イビチャ・オシム

先のワールドカップで、日本代表は予選敗退と残念な結果に終わった。

原因はいろいろあげられているが、オシムの上記の言葉は本質をとらえていると思う。

日本人選手は確かにうまくなった。

海外で活躍する選手も多くなった。

でも、ここ一番での何かが足りない。

過去ワールドカップで優勝したことがあるのはわずか8カ国だけだ。

彼らは勝ち方を知っている。

勝者のメンタリティがある。

ちょっとしたことのようにも思えるが、この差は大きいような気がする。

2014年7月27日 (日)

人事部だけが知っている あなたの評価を上げる方法/高野美佳

Photo 長年、人事部で働いてきた経験から断言できることが、2つあります。
 ひとつは、「人事評価は不公平である」ということ。
 本来、人事評価は公平であるべきですし、ある程度、客観性をもたせた人事評価制度を導入している企業も多くあります。
 しかし、現実には、社長や上司の好き嫌いで給与や昇進、リストラが決まることがあります。人間には感情がありますから、完璧に客観的な評価を下すことは、そもそも不可能なのです。

「人事評価は不公平」

残念ながらこれが現実である。

人が人を評価する以上、公平公正な評価などできないに決まっている。

では、公平公正でなければ、人事評価は機能しないのか?

そんなことはない。

むしろ大事なことは人事評価の本質を知り、それをうまく利用することである。

これによって、仕事に対する姿勢は随分変わってくるのではないだろうか。

2014年7月26日 (土)

日本大復活の真相/三橋貴明

Photo 財政関連の経済記事がどう作られるか、ご存じだろうか。財務省の記者クラブ「財政研究会」で財務官僚が資料を配り、新聞記者はそれをそのまま載せるのである。ほとんどコピー&ペーストだ。
 一度、ある新聞社が財務省の意向に逆らったことがあるらしい。本来は一面に「国の借金900兆円!」と書かなければならないところを、別の記事にしたところ、「なぜ一面ではないのですか?」と、財務省から「質問」がきたという。ほとんど、財務省による言論統制である。

本書では、日本をダメにした多くの「戦犯」が挙げられている。

小泉純一郎、竹中平蔵、鳩山由紀夫、菅直人、等々・・・

でも、個人的に一番罪が重いと感じているのは、財務省とマスコミである。

財務省は「国の借金が1000兆円を超えた。このままでは国家は破たんする」と恐怖心をあおる。

そして、マスコミはそれを批判することなく垂れ流す。

その結果としての消費税の増税である。

でも、正確には「国の借金」ではない。

「政府の借金」である。

では誰から借りているのか。

それは「国民」である。

でも、これを伝えるマスコミは皆無といってよい。

これは言論統制である。

ところがそのマスコミも、現安倍政権に対しては批判的である。

しかも、根拠のない、感情的な批判を繰り広げている。

今回の集団的自衛権の問題も、どうして「徴兵制」まで結び付けてしまうのか。

論理の飛躍というより、何かの悪意を感じる。

その意味で、一番変わるべきはマスコミであろう。

2014年7月25日 (金)

女ゴコロがわからなくてビジネスができるか!/宮村浩気

Photo 女性は男性と違っていろいろなことを複数同時に進行できる脳を持っているそうです。ですから会話の最中にいろいろなことを思いついて、話が脱線してしまうこともあるかと思います。結論がどこにあるのか? いったい何の話をしたいのか? 男性には全くわからなくなってしまうシーンもあるでしょう。
 でも、そんな場合も「で、結局何が言いたいの?」などと言ってしまってはいけませんよ。

今、女性の活用が政府でも最優先課題として挙げられている。

今後、人口減少社会に突入する日本にとって当然のことであろうし、

そうでなくとも、モノを売るにしても女ゴコロがわからなければ成り立たない。

企業内でも、女性の管理職を出すことが課題になっている。

ところが、なかなか進まない背景として、やはり男と女の違いがあると思う。

身体が違うのはもちろんのこと、脳が違うのである。

上記の複数同時に進行できる脳力、

これなど男性には到底不可能、

不可能であると同時に理解不能である。

よく妻が長電話をする。

1時間以上話している。

内容を聞いてみると、1時間前を同じことを話している。

話題がグルグル回って、元に戻ってきている。

こんな思考回路、男性にはない。

私などは、5分も話せば、話すことがなくなってしまう。

お互いの違いを理解することから始めるべきだろう。

2014年7月24日 (木)

「任せ方」の教科書/出口治明

Photo 山本五十六(海軍大将・元帥・連合艦隊司令長官)が残した名言、
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ。
 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」
 にあるように、相手を信頼し、任せるからこそ人は育ちます。合理的な根拠のない精神論では、決して人は育たないのです。

山本五十六の有名な言葉である。

しかし、1段落目は知っていても、それに続きがあるのを知っている人は意外と少ないのではないだろうか。

そして、2段落目、3段落目が実は大事。

そこではっきりと言っていることは、「信頼して任せる」ことの大切さ。

日本にはプレイイング・マネージャーが多い。

なぜなのか?

本人に聞くと、「忙しいからやらざるを得ない」のだという。

しかし、それはウソ。

本当は、マネージャーとしてやるべきことがわかっていないから。

次に、任せ方を知らないから。

そして最後に、部下を信頼していないから。

それによって、部下の成長する機会を奪っている。

その機会損失は大きい。

その現実に目を向けるべきだろう。

2014年7月23日 (水)

午後6時の経済学/竹内宏

Photo 世の中には裕福な人と貧困な人がいる。裕福になれた一番大きな要因として、次の4つのどれかをあげるという国際比較調査がある(阪大の大竹文雄教授による)。
 ①勤勉努力
 ②学歴
 ③コネ
 ④運
 アメリカではもちろん、中国でも①勤勉努力と②学歴をあげる人が80%近く占める。真面目に働き、勉学にいそしめば、裕福になれると考えているのだ。ドイツやフランスになると、少し比率が下がるが、それでもこの2つの項目をあげる人が多い。
 ところが、日本になると、大部分の人が③コネと④運をあげる。つまり多くの日本人は真面目に働き、熱心に学んでも、報われないと考えている。世の中ではコネと運が大切だ。失業した人や貧しい人はコネがなく、運がなかったからだ。そういう考え方に立つと、彼らを救うのは国家の仕事になり、日本の社会保障費は最近20年間でみるみる拡大し、ついに日本は世界最大の財政破綻国になった。

非常に考えさせられる調査結果である。

明らかなのは、日本人には「他責」「他力本願」の人が多いということ。

自分が貧困なのはコネや運がなかったからで、決して自分の努力不足ではないと考えている人が多いということ。

これは決して健全な姿ではない。

この発想でいくと、「自分がこうなったのは社会が悪いからだ」ということになってしまう。

日本では今、社会保障費が年々増加傾向にあるが、

問題の根本にこのような日本人の考え方があるような気がする。

2014年7月22日 (火)

ブランド/岩田松雄

Photo かつてフリードリヒ・ニーチェはこう語りました。
「脱皮できない蛇は死ぬ」
 これは、過去の自分の意見や体験に縛られてしまうと、脱皮できない蛇のように、精神が死んでしまうことを言っていて、まさにその通りだと思います。
 走り続けること、自分のミッションを追求し続けることが大切なのです。過去の成功体験を大切にしすぎると、革新を起こせず、ひとつ覚えのように自慢話を繰り返すようになってしまいます。過去の成功体験が強烈であればあるほど、より強い力で自分を縛ってしまう。ここが落とし穴です。

「脱皮できない蛇は死ぬ」

考えさせられる言葉である。

しかし、それは単にすべてを捨て去ればいいというわけではない。

脱皮するということは、核になる確固たる自分があるということが前提である。

単なる変化ではない。

核となるべき自分がないと、脱皮という行為が、根なし草的変化となってしまう。

これだと同じことの繰り返し。

大事なことは、脱皮するごとに一回り大きな自分になるということ。

つまり、成長するということ。

ブランドとは他者が認めて初めて成り立つ。

ではどうすれば、他者から認めてもらえるのか。

それはぶれない言動である。

自分のミッションを明確にし、それを追い続けること。

これがひいては自分ブランドの確立につながるのではないだろうか。

2014年7月21日 (月)

1回の会議・打ち合わせで必ず結論を出す技術/斎藤岳

Photo どんな会議であろうと、その中で「発散」の局面と「収束」の局面があります。これだけ意識して会議を進めてください。それだけ覚えていれば、「会議の進め方」に関する知識は十分です。

仕事の関係で、会議の司会をすることが多い。

その意味でも、会議の導き方のスキルは必須だと思う。

では一番悪い会議はどんな会議だろう。

私は、何も決まらない会議だと思う。

各人が貴重な時間を割いて会議に出席し、何も決まらなかったということでは、不満が一気に噴出する。

では決める会議にするためにはどうすればよいのか?

そのポイントが上記の「発散」と「収束」である。

そもそも「発散」と「収束」とでは脳の使う部分が違う。

「発散」で必要なのは、自由な考え方、独創性、柔軟性、等々

主に、右脳が使われる。

一方、「収束」で必要なのは、論理性や判断力、

これらでは主に左脳が使われる。

発散の場合は「批判しない」「質より量」である一方、

収束の場合は「代替案あれば批判OK」「根拠ある発言」と異なってくる。

つまり、両者では明らかに頭の使い方が違うのである。

ところが、実際の会議では、両者がごっちゃになってしまっていることがほとんど。

アイデアだしをしているときに、批判的な意見がでたり、

そろそろ結論を出そうとしているときに、新なアイデアがでたり、

これでは決まるはずがない。

会議の司会者が「発散」と「収束」のギアチェンジを意識して行うことだけでも、随分と違ってくるのではないだろうか。

2014年7月20日 (日)

マッキンゼー流最強チームのつくり方/伊賀泰代

Photo 教育現場においても職場においても、〝チーム〟をどの程度、重視するか、という点において日米の差はきわめて大きい。
 筆者から見れば、日本ではアメリカよりも、より個人の成果が問われることが多いと感じる。たとえば日本の高校、大学の入学審査は、ほぼ完全に〝個人の成績〟で決定されている。一方、アメリカでは大学、大学院の入学時審査の際、ごく当然のようにリーダーシップやチームでの高い成果の達成経験に関するエッセイが課される。
 日本企業で働いていた時の業績評価においても、管理職になる前の若い間は、主に個人の成果や能力が問われていた。しかし、マッキンゼーでは若手からシニアまでが常に「チームが高い成果を出すために、あなたはどう貢献したのか」という視点で評価を受ける。

普通、私たちは、日本は集団主義、欧米は個人主義という考えを持っている。

でも、本書を読んでみると、どうもその考え方は間違っているようだ、ということに気づかされる。

個人主義といわれることの多いアメリカで、日本よりもチームで働くことの価値、成果が、より頻繁に問われているという事実がある。

特に今のビジネスは高い成果を要求される。

その高い要求水準を満たすためには、個人の働きでは限界がある。

やはりチームで成果を出すということが求められる。

これはビジネスの世界に限らない。

政治、経済、社会のあらゆる面でチームで成果を出す力は求められている。

金融危機への対応や原発事故の処理、大気や海洋の環境問題、感染症対策などに関しては、一国内での解決は難しく、世界中の専門家がチームを組んで問題解決に当たる必要がある。

そんな時代に、「優秀な個人が一人で必死で頑張る方式」しか知らないということは致命的である。

「チームを組むことで、個人の能力で行ける地点より、はるかに高い場所に到達できた」という経験を積む必要がある。

個人とチームのあり方をもう一度考え直す時期に来ているのではないだろうか。


2014年7月19日 (土)

「妄想大国」韓国を嗤う/室谷克実、三橋貴明

Photo しかし韓国人は、「根拠が必要」という発想にはならない。たぶん、そこがポイントで、韓国人にとって歴史というのは、「こうあるべき」論なのでしょうね。「こうあるべきだ」という歴史こそが、彼らにとっては正しい歴史なのだと思う。

たまに中央日報や朝鮮日報の日本語版を読んでみると、「あるべき論」が非常に多いことを感じる。

そこで展開されている議論には、「事実」というファクターが欠落している。

マスコミがファンタジーの世界に生きているといってもよい。

私はこれまで3回、韓国に行ったことがあるが、国民性の違いは明らかである。

肌感覚でも、お互い分かり合うことは不可能だろうな、と思ってしまう。

その意味では今の日本と韓国との関係、案外、理想的な関係ではないだろうか。

2014年7月18日 (金)

予想どおりに不合理/ダン・アリエリー

Photo この本で紹介した研究からひとつ重要な教訓を引きだすとしたら、わたしたちはみんな、自分がなんの力で動かされているかほとんどわかっていないゲームの駒である、ということだろう。わたしたちはたいてい、自分が舵を握っていて、自分がくだす決断も自分が進む人生の進路も、最終的に自分でコントロールしていると考える。しかし、悲しいかな、こう感じるのは現実というより願望──自分をどんな人間だと思いたいか──によるところが大きい。

本書で言っていることを一言でいえば、「人間は不合理な存在だ」ということ。

ふつうの経済学は、わたしたちが合理的であると考える。

つまり、決断に役立つ情報をすべて知っていて、目の前のさまざまな選択肢の価値を計算することができ、それぞれの選択による結果を何にも邪魔されずに評価できると想定している。

そのため、わたしたちは論理的で分別のある決断をするものと見なされる。

そして、たとえときにまちがった決断をするにしても、ふつうの経済学の見方によれば、自分の力で、あるいは「市場原理の力」に助けられて、その失敗からすぐに学べることになっている。

経済学者は、このような前提にもとづいて、買い物動向から法律や社会政策にいたるあらゆるものについて影響力の大きい結論を導きだしている。

しかし、本書の多くの実験結果が示すのは、わたしたちがくだす決断は、従来の経済理論が仮定するほど合理的ではないどころか、はるかに不合理だ、というもの。

だとすれば、ふつうの経済学を修正するのが賢明ではないだろうか、

経済学は、人がどのように行動すべきかではなく、実際にどのように行動するかにもとづいているほうがはるかに理にかなっているのではないだろうか、と著者は主張する。

確かに自分自身の行動を振り返ってみても、合理的とは言えない行動を毎日繰り返している。

でもその人間の不合理性もパターンがあり、ある程度予測することができるという。

人間とは本当に面白いものだと思う。

2014年7月17日 (木)

平成経済事件の怪物たち/森功

Photo 彼らはそれぞれの分野で先頭を走り、ある意味で時代を切り開こうとしたつもりだったのかもしれない。時代の寵児という呼び方も間違ってはいないだろう。
 だが、その現実の歩みに目を凝らすと、やはり怪しさが浮かぶ。みずからの進路を見失い、法の枠から外れたというほかない。一般社会からその行為を見ると、彼らが世間に向けて発してきた高邁な主張とは裏腹に、おのれを誇示し野望を満たそうとしているだけのようにしか映らなかった。平成の事件の怪物たちが嵌った過信と驕りの陥穽は、時代の教訓として語り継がれるのではないだろうか。

本書に登場する人物は、いずれもその名前を聞けばだれもがピンとくる者ばかりである。

リクルート事件の江副浩正、住銀の磯田一郎、イトマン事件の許永中や興銀事件の尾上縫、

彼らが世間をにぎわしたのはかなり昔のことという印象があるが、平成で起こった事件だという。

記憶に新しいものと言えば、村上ファンドの村上世彰やライブドアの堀江貴文、

それぞれ活動の分野は異なるが、並はずれたバイタリティの持ち主ばかりだ。

特に村上世彰や堀江貴文は一時期、マスコミに盛んに登場し、革命児と絶賛された。

でも、当時の騒動を振り返ってみると、「あれはなんだったんだろう」とつい思ってしまう。

彼らが登場したのはいずれも「失われた20年」と呼ばれた、閉塞感漂う空気が蔓延した時代。

もしかしたら、そのような空気が彼らを生み出したのかもしれない。

そう考えると、彼らもまた「時代の子」だといえるのではないだろうか。

良きにつけ悪しきにつけ。

2014年7月16日 (水)

歴史を動かした会議/加来耕三

Photo 合戦も会議も、流れをより早く、より深く読んだものが勝利者となるもののようだ。
 正論を吐いているから勝てる、などとは夢にも思わぬことである。

日本史を振り返ったとき、会議がそのターニングポイントとなったことが多くある。

一つの事実が浮かび上がってくる。

それは、会議を制する者が戦いに勝利するということ。

信長の後継者になるために秀吉が清州会議で行った周到な根回し、

海軍創設を急ぐ勝海舟が言い放った大言壮語、

坂本龍馬に学ぶ交渉術、等々、

会議は重要な節目となっている。

そして一つ言えることは、会議では正論を主張する者が勝つわけではないということ。

それ以外の要素によって決まっていることが大部分であるということである。

これなどはビジネスの世界でも同様のことがいえるのではないだろうか。

2014年7月15日 (火)

「会いに行けるアイドル」を大成功させた“7つの法則”/溝上幸伸

Photo AKBは明日どうなるかは誰にもわからない。プロデューサーの秋元氏本人にもわかっていない。
「これはエンタテインメントに限らず、人生にも言えること。すべて計算通りにいくなんていうことはありません。だからこそ、おもしろいと思うんですよ。2つの分かれ道があったときに、どちらが正解なのか。それを絶対に間違えたくないために一生懸命、先輩に経験をきいたり調べたり、場合によっては市場調査をしたりする人もいるかもしれません。それでも間違えるときは間違えるんですよ。答えは、やってみなければわからないんですね。だとしたら、その時間を悩んでいるよりも、見切り発車でもいいから、とにかく、どちらかにまずは走ってみる。それから臨機応変に軌道修正すればいいと思うのです」

秋元氏の考えを一言でいえば、「まず見切り発車する、それから臨機応変に軌道修正する」ということになるのではないだろうか。

よく言えば臨機応変、悪く言えばいいかげん、ということになる。

しかし、この考え方、実に今の時代に合った考え方である。

近年、ビジネスの環境が激変した。

3カ年計画を作ったとしても、半年で修正を迫られるということもザラである。

特に、エンタテインメントというのは次に何が起こるかわからない世界だ。

計画的にヒットを創り出すことなど不可能。

ヒットを出すためには必死に風を読み、タイミングを計ること以外にはないが、それでも完全ではない。

そういう先の見えない分野で、正解の道を選ぶためには、常に臨機応変の対応が取れる体制を整えておかねばならない。

その体制とは、〝直感〟なのだろうと思う。

判断における反射神経でもある。

秋元氏にはその才能があったということだ。

だが、その直感を磨くために秋元氏が不断の努力をしていることも見逃せない。

彼はAKBメンバーの声やファンの声を大事にする。

大局的な判断を下すために、秋元氏は常にメンバーのブログをチェックするし、メールに返事をし、またファンの声をすくい上げる。

風が吹き始めたのか、どっちの方に吹こうとしているのか、それを見分けるために日々の努力を積み重ねている。

その上に立った臨機応変だということである。

他のビジネスにもそのまま応用できる考え方である。

2014年7月14日 (月)

呆韓論/室谷克実

Photo 韓国人にとって大切なことは外面を華やかに飾ることだ。だから女も男も美容整形に走る。内面は二の次、三の次だ。
 《外華内貧》とは、朝鮮半島で創作された数少ない四字熟語だ。「見栄っ張り」「格好つけ屋」……いろいろと言い換えはできるが、「外華」のためなら、噓をつくことを躊躇わないのが韓国人とも言える。この四字熟語ほど韓国人の何たるかを示す言葉はない。私はそう思っている。

最近の嫌韓の風潮に乗ってベストセラーになった本である。

読んでみて、日本と今後も分かり合えることはないだろうな、ということを強く感じた。

日本の親韓派議員がよく使う「自由と民主主義の価値を同じくする韓国とは……」というフレーズ。

この言葉自体にまやかしがある。

自由と民主主義、その他あらゆる価値観を同じくしない国、これが韓国だといってよい。

たとえば仕事に対する価値観。

日本人には額に汗して働くことは尊いという価値観がある。

それによって職人文化が生まれ、それがすそ野の広い基幹産業へと発展していく。

ところが、韓国人は額に汗する仕事そのものを蔑視し、そうした仕事をする人を露骨に軽蔑する。

そして、そうした仕事に携わる人自身も、自分の職業に何らの誇りも持っていない。

就職希望はサムスンのような大企業に集中する。

ところが、サムスンも部品は日本から供給している。

でも、その頼みの綱のサムスンも最近はおかしくなってきた。

今、韓国に明るい材料は何もない。

おそらくこれから反日感情はますます激しくなってくることだろう。

そんな中で日本のなすべきことは、話し合えば分かるという幻想を捨て、距離を置くことではないだろうか。

2014年7月13日 (日)

ビジネスに効く! 孫子の兵法/福田晃市

Photo 上兵は謀を伐ち、
 その次は交を伐ち、
 その次は兵を伐ち、
 その下は城を攻む。

上記を現代語に訳すると、

敵の策謀をうち破るのが最善です。

敵の外交をうち破るのは次善です。

敵の軍隊をうち破るのは三番目です。

敵の城を攻めるのは最悪です。

ということになる。

つまり、たくみに情報を操作し、戦わないで勝つべし、ということ。

戦わないで勝つための手段が、謀略である。

その基本は、情報を操作することにある。

今の中国は、日本に対して情報戦を挑んできているように感じる。

国際世論に働きかけ、日本を孤立させようと試みている。

正に孫子の兵法そのままである。

2014年7月12日 (土)

ビジネスパーソンの誘う技術/ベリッシモ・フランチェスコ

Photo イタリアには「肉でもない 魚でもない」ということわざがあります。イタリアの食事は、肉のコースか魚のコースのどちらかなので、そのどちらでもない中途半端な人、という意味です。
 そんなの、誰にも食べてもらえません。肉になるか、魚になるか、自分で決めてキャラクターをつくっていくことが、成功のポイントなのです。

ビジネスで成功するためには、誘う技術を身に付けるべし。

これが著者の主張。

確かに、人を採用するにしても、仲間をつくるにしても、モノを売るにしても、基本となるのは誘う技術。

ではそのためにはどうすればよいのか?

様々なポイントがあるが、その中の一つに、「相手の望んでいる自分」になるというものがある。

「自分がなりたい」ではなく「相手が望んでいる」がポイント。

ある意味、キャラを作る技術といってよい。

たとえば、著者の場合、「静かなプライベートの自分」と「テレビに出るときのチャラい自分」と「ビジネスでビシッとしている自分」という、3人くらいがいるということ。

それを時と場合によって、使い分ける。

でもこれは普通の日本人でも無意識のうちにやっているような気がする。

たとえば、会社では上司や部下を演じ、家庭では父親を演じるということは私たちは無意識のうちにやっている。

それを意識的に極端に演じる、これが大事だという。

これはイタリア人と日本人との感覚の違いなのかもしれない。

日本人の場合、これをやると周囲から浮いてしまう可能性もある。

日本人には苦手な分野である。

2014年7月11日 (金)

使える 弁証法/田坂広志

Photo 「螺旋的発展の法則」とは、社会や市場の進歩と発展のプロセスにおいて、「未来進化」と「原点回帰」が同時に起こるという法則です。そのため、そのプロセスを見つめていると「懐かしいもの」が「復活」してくるという法則です。
 従って、最初に行うべきことは、「何が復活してくるか」を読むことです。

未来を読むことは難しい。

しかし、一定の法則を知ることによって、予測は可能になる。

それが「螺旋的発展の法則」

螺旋は上から見ると同じところをぐるぐる回っているように見える。

しかし、横から見ると、徐々に上に登って行っている。

同様に、過去存在したものが形を変えて復活するという法則。

たとえば、「コンシェルジュ・サービス」

これは「御用聞き」が形を変えて復活したもの。

「自律学習システム」、これは「寺子屋」が形を変えて復活したもの。

「電子メール」、これは「文(ふみ)の文化」が復活したもの。

このように今世の中で流行っているものは、過去流行ったものが形を変えて出現したもの。

このことを利用し、未来を予測することができる。

では、そのためにはどうすればよいのか。

まず、「何が消えていったのか」を、見る。

社会や市場の進歩と発展において起こる出来事の基本的な方向は、「合理化」と「効率化」。

従って、その「合理化」と「効率化」の流れの中で「消えていったもの」を考えること。

次に「なぜ消えていったのか」を、考える。

社会や市場の進歩と発展の「その段階」において、「なぜ消えていったのか」を考えること。

「その段階」において、なぜ「合理的」でなかったのか。

なぜ「効率的」でなかったのか。

そのことを考える。

最後に、どうすれば「復活」できるかを、考える。

未来を予測するというより、未来をつくりだすという発想である。

やってみる価値がありそうだ。

2014年7月10日 (木)

天下人の失敗学/伊東潤

84898776ba8133c19aedd0a7f0721589 結論から申し上げると、実は「組織や集団で仕事をしている人間には、この四種のタイプしかいない」のです。言い換えれば、「人間の個性は十人十色だが、社会生活(組織や集団で仕事をしていくこと)に適応していくためには、四つのスタイル(人格タイプ)に類型化(収斂)されていく」というわけです。

著者によると、すべての人間は4つの性格に分類できるという。

その4つの性格とは、

行動型(Ⅰ型)=織田信長タイプ

理論型(Ⅱ型)=明智光秀タイプ

創造型(Ⅲ型)=豊臣秀吉タイプ

協調型(Ⅳ型)=徳川家康タイプ

以上の4つ。

人間を4つのタイプに類型化することによって、接し方をパターン化できる。

また、自分がどのタイプに分類されるかを知ることによって、欠点がでないようにあらかじめ備えることができる、という。

世の中にはこれ以外にも、タイプ分けの手法は多くに存在する。

血液型などはその最たるもの。

本書に記載されているものもその一つであるわけだが、

少なくとも、血液型よりは実用性が高いと言えよう。

2014年7月 9日 (水)

ディズニー白熱教室/NPO法人WIL

Photo 「私は偶然を否定する。
誰だって自分の才能を見つけ出し、
心から信じれば自分の運命を決めることができる」
(ウォルト・ディズニー)

本書は、ディズニー白熱教室についての紹介本。

このプログラムを修了した卒業生たちが次々と自分の理想に向かって飛び立っていく。

たとえ荒波に揉まれても自ら何かを学び取り、前に進んでいく人、そんな人材はどうしたら育つのか?

この疑問にズバッと答えてくれたのが「働くこと」と「学ぶこと」を統合した、ディズニーの〝新しい教育の場〟だった、と、著者は言う。

多くに人は、

「自分の能力が活かせる仕事をしたい」

「もっとやりがいのある仕事があるのではないか」

と探し求める。

でもこれは徒労に終わることが多い。

むしろ、一見つまらなさそうに見える仕事でも、自分のものにすることで、仕事を取り巻く環境や位置づけ、改善点など、成長につながるヒントが見えてくるもの。

その為のポイントは、ものの見方、考え方を根本から変えること。

そしてそれは、ウォルト・ディズニーの冒頭の言葉に集約されているような気がする。

2014年7月 8日 (火)

嘘だらけの日韓近現代史/倉山満

Photo 日本は韓国とも北朝鮮とも戦っていません。むしろ、いっしょにアメリカや中国と戦っていた仲間なのですが、日本が負けた途端に裏切って、略奪や婦女暴行の限りを尽くしたのが当時の朝鮮人でした。こうした基本的な事実も知らずに、「相手があそこまで言うのだから、ここは譲って」とやるから、ますます話がこじれるのです。

今、日本で嫌韓が広がっている。

少し前までは韓流としてもてはやされていたのだから、隔世の感がある。

しかし、隣国同士で仲が良いことなどほとんどないわけだから、むしろ当たり前のことだといえる。

嫌韓になってしまう理由の根本は歴史問題に行き着く。

そもそも日本と韓国で歴史に対するとらえ方が違うわけだから、これはもうどうしようもない。

また、歴史には様々な見方があるわけだからそれを一致させることは不可能に近い。

どちらが正しいという以前の問題である。

本書を読んでみても感じるのは、韓国・北朝鮮はかわいそうな国ということ。

朝鮮半島の歴史は、主体性のある「国」ではなく、周辺諸国に常に蹂躙される「場」とされてきた歴史でもある。

そのためどうしても被害者意識になってしまうのだろう。

いつも自分を被害者だと主張し、相手に多大な損害賠償を請求する「当たり屋」のようなものである。

おそらく日本人の今の「嫌韓」もやがては疲れてくるだろう。

次に来るのは「離韓」

更には「忘韓」に行き着くかもしれない。

でもこの位でちょうどよいのではないだろうか。

2014年7月 7日 (月)

なぜ日本は誤解されるのか(ニューズウィーク日本版ペーパーバックス)

Photo 日本の政府関係者や学者、安全保障の専門家はしばしば「日本に軍隊はない」と口にする。しかし憲法9条に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあるにもかかわらず、日本は陸軍はもちろん、東アジア最強の海軍と空軍を有している。
 言葉と現実のずれは近隣国の人々の心に疑念を生む。なぜ日本政府は言葉を濁し、分かり切ったことを否定するのかと、彼らはいぶかる。
 日本政府が軍事力に関して率直に語っていないと考える隣人たちは、日本が軍国主義になることはないと言っても信じない。疑念に満ちた環境で日本の力が少しでも増せば、過剰なほどの注目と恐怖心を引き起こす。

本書は、過去約20年間にNewsweekに掲載された数多くの日本関連記事の中から厳選して再掲載したもの。

この記事を読んでみると、日本および日本人がいかに誤解されているかがよくわかる。

国が違えば、当然価値観も違うわけで、完全に理解してもらえるわけではないだろうが、それにしても日本という国が外国人にとって分かりにくい国であることは確かなことのようだ。

特に、憲法9条の問題はわかりにくい。

9条をそのまま素直に読めば、自衛隊は違憲である。

ところが、それを解釈の積み重ねによって、これまで乗り切ってきた。

しかし、憲法で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とうたっておりながら、外国からみたら軍隊以外の何物でもない自衛隊を持っていることが不信感につながる。

日本は憲法を守らない国と思われている。

今回も閣議決定で憲法の解釈の変更した。

やむを得ない措置であるとはいえ、もうそろそろ限界がきているのではないだろうか。

2014年7月 6日 (日)

国がダメでも「脳」がある/茂木健一郎

Photo 脳が喜びを感じるのは、昨日の自分を超えることができたときです。別の言い方をすると、自分が少しでも前に進んでいれば、脳は喜びを感じるようにできています。

私たちはとかく人と比較したがる傾向がある。

自分が劣っていれば劣等感を感じ、優れていれば優越感を感じる。

その度に感情はジェットコースターのように上がったり下がったりする。

これが精神衛生上よろしくないことはみんなわかっている。

でも、どうしようもないと感じている。

いや、それが人間なんだと妙に自分を納得させている人も多いことだろう。

でも、友だちの偏差値が高かろうが、同期が自分よりも先に昇進しようが、そんなことはどうでもいいこと。

進む速さは、人それぞれ。

速い人もいればゆっくりな人もいる。

肝心なのは、自分の中で少しでも進歩していればそれでいいと思うこと。

人との比較に、脳は喜びを感じない。

昨日の自分を超えたとき、脳は喜びを感じる。

意識的にこのことを実行することも大事なことではないだろうか。

2014年7月 5日 (土)

男の流儀入門【仕事編】/伊集院静

Photo 小説に才能は必要ない。
 量をとにかく増やせ。
 量が質を凌駕するという言葉がある。昔から言われているが、たくさん書いたものが素晴らしい質のものを越えていく。書きまくっているうちに質が上がってくる。これは私の経験からも言えることだ。

ワーク・ライフ・バランスが叫ばれている。

理想的な働き方といえよう。

また、少子化が問題となっている現在、プライベートも充実しなければならないということももっともな考え方である。

しかし、それを実現させるためには、人生のある時期、仕事漬けになるのも必要ではないだろうか。

仕事は圧倒的な量をこなしている内に、あるタイミングで量が質に転化する。

そうなったときが仕事の量を減らすタイミングである。

もちろん、成果物を減らさずに、仕事の量だけを減らすのである。

そうなったとき、本当の意味でワーク・ライフ・バランスが実現するのではないだろうか。

何事も順序が大切ということである。

2014年7月 4日 (金)

赤い中国消滅/陳破空

Photo 中国社会では「電力の虎、水の覇王。財政が親父で銀行がおふくろさん。工商税務は極悪人で、公安政法はやくざ者。白衣の天使は腹黒く、人民教師は蛭のよう。解放軍は麻薬密貿易を護衛する」という風刺を込めた言葉が、もうかなり前から定着しているのだ。
 人民解放軍将校の腐敗は中国共産党の政府役人のそれに負けず劣らずであり、甚だしきは、それを超えるほどである。しかし、近年処罰された軍幹部は同様の罪で処罰された政府役人よりもはるかに少ない

中国解放運動の中心メンバーで、現在ニューヨークに亡命中の陳破空氏の著書。

現在の中国共産党は金を中心とし、腐敗を接着剤とした巨大な利益集団となっている。

腐敗する人民解放軍の呆れた実態も深刻だ。

バカと甘ったれのドラ息子たちから成る軍隊。

一人っ子がどうしてやすやすと命を犠牲にするのであろうか。

論じる前に自明である。

人民解放軍の戦闘能力の虚像は、これらの点からもその一端を知ることができる。

さらに人民解放軍の軍艦が海上で麻薬密貿易に関与していることはすでに公然の秘密となっている。

現在中国では逃亡が流行している。

政府役人は、大がかりなものでは海外に家族と財産を移している。

中産階級の多くが海外に移民しようと考えている。

国民が国を信用していないのである。

中国は毎年国防費の予算を増加させている。

ところが、その国防費を治安維持費が上回るという。

これが示すものは中国は内部に抱える敵が外の敵よりも多くなっているということ。

中国が末日を迎える日も遠くはないということではないだろうか。

2014年7月 3日 (木)

中国のジレンマ 日米のリスク/市川眞一

Photo 豊かさを一度経験すると、豊かでない状況に後戻りするのは困難だ。むしろ、さらなる豊かさの追求が始まる。我慢を強いられる状況に陥れば、政治や政権に対する不満が強くなるのは自明のことだ。
 70年代、日本の政治が不安定化したのは、豊かになる過程で生じた矛盾への怒り、そして豊かさを奪われることへの不安、この両者が政権への強い不満になった結果と言える。

今の中国は70年代の日本とよく似ているという。

70年代、日本人は豊かになった。

豊かになったからこそ、公害や政治の金権腐敗が社会問題化した。

それを加速させたのが、メディアの台頭。

「3C」の一角であるカラーテレビが「一家に一台」となった。

映像を通して伝えられる情報は衝撃的だった。

衆議院予算委員会でのロッキード事件関係者に対する証人喚問は全国にテレビ中継され、証人が繰り返す「記憶にありません」は流行語になった。

そんな日本の70年代に今の中国はよく似ているというのである。

確かに今の中国は、環境問題、権力者の腐敗、メディア、特に今はインターネットの進化、等々、よく似ている部分がある。

ただ、根本的に違うことがある。

それは日本は民主主義の国だが、中国は共産党の一党独裁の国であるということ。

これが吉とでるか凶とでるか?

今は力で民衆を押さえつけているが、どこかでこのタガが外れるときが来るのではないだろうか。

著者はその時、中国には2つの道が考えられるという。

一つは、「覇権国家」としてより強固な体制になっていくという道。

もう一つは、「分裂国家」への道。

つまり、今のチベットやウイグル等の問題が広がっていくというもの。

どちらに向かうにしても日本への影響は甚大なものとなるであろう。

お隣の国であるだけに、上手に付き合ってゆきたいものだ。

2014年7月 2日 (水)

ナマケモノに意義がある/池田清彦

Photo アリの世界でも、ハタラキアリの中には何もしない怠けもののアリがいるようだ。ハタラキアリは、巣の掃除をしたり、餌取りをしたり、女王アリや卵をなめてきれいにしたりするが、何割かは働かないで怠けているという。
 しかし、この怠けもののアリたちを排除すると、今度は働いていたアリの一部が怠けもののアリに変わってしまうそうだ。反対に働いているアリを排除すると怠けもののアリたちの何割かが働きものに変わるという。なぜそうなるのかはわからないが、全員が真面目に働く必要はないということなのだろう。

組織の人材の構成比を表す「2・6・2の法則」というものがある。

組織の中の2割が優秀な社員、6割がまあまあ、2割がダメ社員、というもの。

では、その下位の2割の社員をクビにしたら、その組織からダメ社員はいなくなるのか?

どうもそうではないらしい。

まあまあ人材の6割の中から2割くらいがまたダメ社員に変わっていくというのである。

ということは、一見給料ドロボーのように見られている2割の社員にも存在価値があるということ。

また、何をもってダメ社員とするのか?

固定化した価値観で見てダメ社員のレッテルを貼っているだけではないか、という見方もできる。

見方を変えれば、必要不可欠な人材になるのではないか?

という考え方もできる。

全社員が一つの価値観のもと目標に向かって一心不乱に邁進している姿は、一見理想的な組織のようにも見えるが、ある意味「危ない」感じがする。

会社組織もクルマのハンドルみたいに遊びの部分がないとダメなにではないだろうか。

アリの社会も人間の社会も、怠けものの存在はそれだけを見るとマイナスかもしれないが、全体的なマクロの視点から見れば必ずしも悪いことばかりではないのではないだろうか。

2014年7月 1日 (火)

マーク・ザッカーバーグ史上最速の仕事術/桑原晃弥

Photo 確かに、大きなことをなしとげた人は、みんながみんな最初から壮大なビジョンを目ざしていたわけではない。やっていることが未来にどんな結果をもたらすかなど、そう簡単にわかるものではないのだ。
 ただ、彼らがすごいのは、小さなところからあと先かまわずスタートしても、ある時期に、「これはいける」「すごいものになる」と感じた瞬間から一直線に突き進むところだ。感じる瞬間が人よりはるかに早く、感じたら猛烈にギアチェンジすることが、成功者の共通点である。

アメリカではザッカーバーグを始めとして、イノベーティブなIT関係の創業者が多数、輩出されている。

アップル社のスティーブ・ジョブズ、マイクロソフトのビル・ゲイツ等、枚挙にいとまがない。

どうしてなのか?

本書を読んで感じたのは、ザッカーバーグのスイッチが入ってからの変化の激しさである。

それまで普通の学生だった男が、「これだ」というものに出会ったとき、猛烈にギアチェンジし走り出す。

この瞬発力とも言えるエネルギーはどうもアメリカの成功者の共通点のようだ。

今、行われているワールドカップを見てつくづく感じるのは、南米や欧州の選手のここ一番でのスイッチの入り方のすごさである。

おそらく普段の120%のパワーを発揮して初めて試合に勝つことができるのだろう。

それが日本との決定的な差のような気がする。

その意味で、日本人は農耕民族的なDNAが強く残っているのではと思ってしまう今日この頃である。

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