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2014年8月の31件の記事

2014年8月31日 (日)

会社に行きたくない/牟田武生

Photo ここで忘れてはならないのは、新型うつ病の人は、そのような自分の状態を、悩みながらも、心地よく思っているのは、まだよいのですが、中には悩みがないのにうつになる場合もあります。自分は心地よいのに、家族や他人からは怠けだと批判される。だから、うつ病だと診断されることは、彼らにとって実は好都合である場合も多いのです。
 彼らは、「これで親からうるさいことを言われずにすむ。」「のんびりとこれからは好きなことを心おきなくできる」と胸を張ります。
 極端な場合は「そうか、自分は精神病なんだ。もしかしたら、障害者年金が貰えるかもしれないし、これからはのんびり好きなことをやって暮らせることが保証されたようなものだ!」と内心喜んでいたりするケースさえあります。

新型うつが社会的な問題になっている。

問題は、外から見ると単なる怠けに見えてしまうこと。

主な症状は次の通り。

抑うつ気分の継続はなく、仕事中はうつ的気分になり、私生活では元気に過ごせる。

欠勤しても自分が悪いという罪責感があまりなく、この状態になったのは、会社が悪いからだといった世間や他人に責任を転嫁する傾向がある。

仕事に失敗すると、習ったことや教えられたことがないと主張し、責任を転嫁する。

他人との人間関係が上手くいかないと、自分に合わせてくれない相手が悪いと主張する。

そして、逃げ場がなくなったり、追いつめられると、自分はうつ病であると主張する。

実際、医者にかかると「うつ病」と診断されてしまう。

うつ病と診断されると、会社を辞めずに、傷病手当や休暇をもらい旅行などに出かけ自由に元気に過ごすことが多い。

「ふざけるな」と言いたくなる気持ちもよくわかる。

この状態を甚だ疑問だと考えるのは私だけではないはずである。

しかし、彼らは堂々と「うつ病」の診断書を会社に提出する。

でも、これを病気ととらえていいものだろうか。

本来は、社会性の欠如と人間関係のスキル不足として考えなければならない問題ではないだろうか。

私は医師ではないので軽々と発言することはできないのだが、そんな気がする。

2014年8月30日 (土)

男性論/ヤマザキマリ

Photo やっぱり「変人」はおもしろい。ルネサンスに「変人」はつきものではないか。ジョブズを生んだのが、競争にシビアでありながら、野心ある人に対して懐深く、多様な人材を受け入れる土壌を持つアメリカであることもまた、偶然ではないでしょう。であれば、空気を読むことや、変人すぎないことをつねに求められる現在の日本において、ルネサンスの風は吹きにくいのでしょうか? わたしがひそかに憂う問題はそこ。

イタリア人と結婚し、イタリアで暮らす著者にとって、男性としての魅力という面では日本人は劣っているよう見えるようである。

それはよくわかる。

以前、イタリアと同じラテン系のギリシャに旅行し、男性の顔の彫深さを見たとき、「これはかなわない」と思ったものだ。

本書を読み、姿かたちだけでなく、内面を見ても、日本人男性は魅力がないのではないだろうか、と思ってしまった。

日本では空気を読むことが求められる。

個性的であれと言われながら、一方で空気を読むことも求められる。

これで個性的な人材など生まれるはずがない。

もし個性的な人材を求めるのであれば、「空気を読みすぎない」または「空気を無視する」ことが必要ではないだろうか。

でも、この発想自体、日本的なのかもしれない。

2014年8月29日 (金)

命のビザを繋いだ男/山田純大

Photo 杉原が発給したビザはあくまでも日本を通過することを許可するビザであり、彼らに許された日本での滞在日数は多くても十日ほどであった。
 たった十日間で目的地の国と交渉し、船便を確保するのは不可能である。ユダヤ難民たちはビザの延長を求めたが、その願いは叶わなかった。
 もし、ビザが延長されなければ、ユダヤ難民たちは本国へ強制送還されることになる。それは彼らにとって“〝死”〟を意味していた。
 そんなユダヤ難民たちの窮地を救った一人の日本人がいた。
 その人の名は小辻節三。

俳優の書いた本ということで、あまり期待しないで読んだのだが、いい意味で期待外れだった。

正直、感動した。

命のビザを発給した杉原千畝は、「日本のシンドラー」として有名だが、小辻節三という人物がいたということは本書を読むまで知らなかった。

杉原の大英断によって多くのユダヤ難民たちがホロコーストを逃れ、日本へ向かった。

ユダヤ難民たちが日本へと押し寄せた当時、ナチスドイツはナチス親衛隊の幹部を日本に常駐させ、日本にやって来た難民たちへの迫害を画策していた。

もし、開戦後もユダヤ難民たちが日本に残されたままだったとしたら、彼らの身にナチスの魔手が襲いかかった可能性は大きい。

そんな中、小節三は次々と神戸に辿り着くユダヤ難民たちの窓口となり、日本政府と様々な形で交渉し、ビザの延長を実現させる。

それだけではなく、ビザがないため日本に入国できず、日本海の船上で助けを待つユダヤ難民たちに救いの手を差し伸べたり、彼らが日本で安心して生活を送れるように尽力した。

また、目的地へ向かう船便の確保のために船会社と交渉するなど東奔西走した。

当時、日本とドイツが同盟を結んでいたことを考えると、それは生命を賭した闘いだったといってよい。

このような人物がいたということ、同じ日本人として誇らしい。

2014年8月28日 (木)

思考をやわらかくする授業/本田直之

Photo みんなに喜ばれそうな人、いわゆる「優秀な人材」の存在価値は下がる一方だ。
 誰にも嫌われないように生きている人は、つまり誰も欲しいとは思わない。
 いてもいなくてもいい人物だから、その人はクビを恐れて、組織にしがみつくしかなくなる。
 もっと自由に生きたいと思うなら、普通の人たちには嫌われることだ。
 普通の人からしてみれば、おかしい。バカげている。とんでもない。
 それでいい。
 嫌われる覚悟さえあれば、すべてが「自由」に向けて動きだす。

著者は「優秀な人材」の存在価値が下がっている、という。

しかし、むしろ、「優秀な人材」の内容が変わってきているのではないだろうか。

高度成長期の日本企業において、「優秀な人材」とは、上から言われたことをキチンとやる人材だった。

確かに何もしなくても企業の業績が上がっていく時代では、ある意味、変わったことをやることは最大のリスクだった。

そして、そのころ出来上がった「優秀な人材像」がずっと続いてきたような気がする。

しかし、時代は変わった。

今や何も新しいことにチャレンジせず、同じことを続けることは最大のリスクである。

当然、「優秀な人材像」も変わってくるはずである。

しかし、これについては全く変わっていない企業が大部分ではないだろうか。

2014年8月27日 (水)

真実/高田昌幸

Photo 記者は人脈が勝負だ。何か起きたとき、電話一本で真相を語ってくれる人をどの程度持っているか。それですべてが決まる。
 小樽は平和だと言っても、いつ、何が起きるか、わかったものではない。「その日」に備え、人脈を広げる努力を欠くと、そのとたんにこの商売は終わりである。
 デスクからは「とにかく情報源をつくれ。親しい警察官をつくれ」と言われていた。

北海道新聞は2003年11月から約一年半、北海道警察の裏金を追及する大キャンペーンを張った。

「道警は組織全体で長年、裏金をつくってきたのではないか。それをひた隠しにしてきたのではないか」

それが報道の主眼だった。

本書は、その時の中心記者だった著者の記録である。

そもそも警察と新聞記者とは持ちつ持たれつの関係である。

質の良い情報を得ようと思えば、警察との良好な人間関係は不可欠である。

その警察を敵に回すということは新聞記者にとっては死を意味する。

そしてそれを著者は体験した。

警察は組織を守るためにそこまでするのかといった感じである。

しかも、新聞社も記者の後ろ盾になってくれない。

場合によってはトカゲのしっぽ切りにあう。

悲しいことだがこれが現実である。

真実を追い続けることがいかに困難なことであるかということを本書は教えてくれる。

しかし、少数派であっても、このような記者がいるので、ジャーナリズムの健全性は保たれているのであろう。

2014年8月26日 (火)

1分間モチベーション/ケン・ブランチャード、シェルダン・ボウルズ

1「〝やりがいがある〟という言葉には、〝重要だ〟よりももっと大きな概念があるんですよ。ここで学ぶポイントは三つ。ひとつ目は、仕事は重要だという理解を持つこと。二つ目は、仕事をよく理解して共通の目標を持つこと。三つ目は、しっかりした価値観を持ち、それに基づいて計画し、決定し、行動すること。この三つを実行して、初めてやりがいがある仕事ができるんです。要するに、それがリスの精神なんですよ。」

著者は、リーダーがずば抜けたパフォーマンスを上げるには3つの秘訣があるという。

それは、

「リスの精神」……やりがいがある仕事をする

「ビーバーの行動」……自己管理をしながら目標を達成する

「ガンの贈り物」……仲間に惜しみない声援を送る

の3つ。

中でも「リスの精神」を持つこと、つまり、やりがいのある仕事をすることは重要である。

やりがいという言葉は頻繁に使われる。

でも、どうすればやりがいをもてるのか?

やりがいは、

①仕事は重要だという理解をもつ、

②仕事をよく理解して共通の目標を持つ、

③しっかりした価値観を持ち、それに基づいて計画し、決定し、行動する、

ことによって得られるという。

この文章を読んで、私が一番大事だと思ったのは③の価値観である。

組織の構成員が一体感を持てなければ、モチベーションは上がらない。

そしてそのためのキーワードは「価値観の共有」ではないだろうか。

自分の仕事を重要だと思えるかどうかも、価値観によるところが大きい。

共通の目標を持つにしても、共通の価値観に基づく目標でなければ、一体感は得られない。

問題は「価値観」である。

では、共通の価値観を持つためにはどうすればよいのか。

そのために重要なのは、リーダーの言葉ある。

リーダーが自らの価値観を繰り返し繰り返し、手を変え品を変えて、うまずたゆまず語り続けること。

これ以外にない。

松下幸之助や稲盛和夫に代表される優れたリーダーはみんなこれをやっている。

ではこの価値観はどこから来るのか。

それはそのリーダーの生き様だと思う。

ただ、頭で考えた表面的な言葉の羅列では人の心は動かない。

リーダーの語る言葉にウソがなとが実感できるので、人はついて行こうと思うのではないだろうか。

2014年8月25日 (月)

サッカー日本代表を惨敗させた「信じれば奇跡が起こる」の弊害/小林弘潤

Photo 昭和初期の日本の中には「日露戦争で欧米列強でも一、二を争うほどの強国ロシアに勝った」という成功体験(それに基づく自信)が根強く残っていたため、それによって太平洋戦争の開戦前には「日本は強いから戦争になっても勝てる」とか「負けそうになっても奇跡が起こって勝つ」という雰囲気が蔓延していたと言えます(日露戦争も「奇跡的な勝利」という様相があったため、「米国との戦力差が大きすぎるから勝てない」という慎重論が出ても、「最後は日露戦争のように奇跡が起こる!」という声に圧倒されてしまった、という言い方ができる)。

本書は電子書籍版だが、タイトルに興味があり、読んでみた。

今年のブラジルワールドカップでの日本代表の成績は予選敗退。

予選での成績は2敗1引き分け。

1勝もできずに終わった。

実はこの成績、8年前のジーコジャパンの成績と同じである。

成績だけでなく、日本代表への国民の期待と感情も驚くほど似ている。

象徴的に思えるのが、絶体絶命の中で迎えた第3戦の前の報道。

多くのマスコミが「信じれば奇跡が起こる」と期待値を上げた。

もちろんポジティブに物事をとらえることは大事である。

しかし、それと現実を無視したものいいとは別である。

そして、そのメンタリティは実はあの戦争での日本人のメンタリティと酷似している。

その意味で、「現実を直視できずに強いと錯覚し、奇跡に頼って自滅した」ことは、

単に「8年前と同じことが繰り返された」という問題ではなく、

「数十年、あるいは数百年からそれ以上という長いスパンで繰り返されている現象」という言い方ができる。

それは日本という国の文化や伝統の中に「追い詰められた状況に置かれても現実を直視することができず、信じれば奇跡が起きるという発想に陥ってしまう傾向」があるからだと著者は述べる。

確かに日本人の感覚のどこかに、現実を直視することから逃避し、ファンタジーの中に浸ってしまうようなところがあるのではないだろうか。

2014年8月24日 (日)

プロマネはなぜチームを壊すのか/伊藤健太郎

Photo プロジェクトマネジャーは、狩猟を行うチームの頭です。獲物(成果)はどんどん動き回るかも知れません。獲物を捕獲しないと、食べ物にみんなありつけません。獲物は予期しない動きをします。計画は必要ですが、メンバー間のコンフリクトやモチベーションの低下など、予想外のこともいろいろ起こります。
 これがプロジェクトです。

本書の内容は、社内でプロマネとして任命された場合の、成功や失敗のポイントをまとめたものである。

私自身は人事コンサルとして関与先と関わる場合、大半はプロジェクトを組んでそれを推進することによって行う。

その意味でも、プロジェクトをマネジメントするスキルはコンサルタントにとっても必須スキルといってよい。

そして、何度やってもプロジェクトのマネジメントは難しいというのが実感である。

うまくいかなくて空中分解しそうになったことも何度かある。

しかし、プロマネやると成長を実感できる。

それはプロマネには高度のコミュニケーションスキルやリーダーシップが要求され、これが鍛えられるからである。

たとえば、プロジェクトにコンフリクトは付き物である。

全員賛成などありえない。

そして、プロジェクトの成功に必要だと思われるコンフリクトからは逃げないで、正面から立ち向かう勇気が必要。

こんな壁を一つ一つ乗り越えることが成長につながるのであろう。

2014年8月23日 (土)

現代中国悪女列伝/福島香織

Photo この頃から、開来は「平気で邪魔な人間を殺せるような怖い女」とささやかれるようになった。当時大連に進出していたある日系企業関係者は「法律上のトラブルは彼女の事務所に依頼しておけば百戦百勝。いざとなったら相手を事故や自殺を装って殺してしまうことだってできるんですから」と本気とも冗談ともいえない口調で述懐していた。

本書には、中国の様々な悪女が登場する。

上記の薄熙来の妻、谷開来もその中の一人であるが、

開来も文革で大勢の人々を死に追いやった江青の残虐さには遠く及ばない。

だが、自分の中の卑屈さと闘いながら、男たちを踏み台にして、欲しいものを次々と手に入れていく様子は共通している。

そしてそのスケールと悪さ加減において、日本の悪女とは格が違うという印象である。

おそらくそれは彼女らは中国という国家の環境が作り出したものだからであろう。

中国は先の大戦後の状況だけをみても、繰り返される動乱と苛烈な宗教・思想の弾圧、社会・経済の二元化と対立の激化で、安心感をかもす要素は何ひとつない。

才能と努力だけではどうしようもない厳しい社会階層があり、生まれた場所や家庭が人生を決定的にふりわけてしまう。

報われない人たちを慰める思想も信仰もない。

女たちは悪女にならねば、プライドどころか命も人生も虫けらのようにつぶされかねない。

生きるために持てる武器を総動員して戦っていけば、頂上近くに勝ち残った者は誰もが程度の差こそあれ悪女になっている。

彼女らの人生は読み物としては面白いし、痛快な面もあるのだが、

もし自分の近くにいたらと想像するとゾッとする。

日本に生まれてよかったとつくづく思ってしまった。

2014年8月22日 (金)

君の働き方に未来はあるか?/大内伸哉

Photo 最終的にめざすべきことは、「やりたくない仕事はしなくてよい」と言えるような自分になることです。たとえば、不本意な仕事であると思うならば、会社を辞めて転職できるようにするのです。あるいは、そもそも人に命じられず、自分の力で働く自営業者になるという道もあります。
 そのときに大事なことは、「仕事のプロになる」ことです。

今は働き方が多様化してきている。

昔は正社員とパート・アルバイトしかいなかった職場が、

今は、正社員、限定正社員、パート・アルバイト、契約社員、派遣、請負、外国人労働者、と様々な働き方をする労働者が一つの職場で働いている。

そして正社員として働くことが当たり前だった頃と違い、今は正社員は狭き門となってきている。

だが、正社員とは、「いつでも」「どこでも」「何でも」する労働者のこと。

「いつでも」とは、正社員になると長時間労働を避けることができず、残業は当たり前になるということ。

「どこでも」とは、転勤があるということ。

「何でも」とは、やるべき職務が限定されていないということ。

「社畜」という言葉がある。

その言葉に象徴されるような働き方を求められるのが正社員。

つまり正社員いなったはなったで、様々な問題を抱えることになるのである。

もちろん、すべての正社員がそのような働き方をしているわけではないのだが、法的にはそうなってしまっている。

やりたくない仕事をさせられ、行きたくないところへ赴任し、しかも長時間労働が当たり前という世界。

ここから抜け出すには著者が言うように「プロ」になることが一番。

早く一人前になり自分で仕事を選べる存在になること。

そうならない限り、その状態から抜け出すことはできない。

現状を嘆くばかりでなく、主体的に自分のキャリアを築きあげる生き方が求められているのではないだろうか。

長い道のりだとは思うのだが。

2014年8月21日 (木)

日本はなぜアジアの国々から愛されるのか/池間哲郎

Photo 私は色黒で、すぐに現地に溶け込む顔をしている。誰も日本人とは思わない。日本人であることを隠して、「日本人をどう思う?」と何度も質問した。
 すると多くの方が言う。
「日本人はスゴいよな~!」
「日本人は真面目でやさしい」
「日本は平和で豊か」
「日本は原爆まで落とされて、徹底的に国が破壊された。それでも頑張って世界の経済大国になった。私たちも見習うべきだ」との言葉も数多くいただいた。

日本人の中には「日本はアジアの人々から嫌われている」と思っている方が多い。

しかし、アジアの国々へ200回近く足を運び、現地の人々と触れ合ってきた著者によると、それは全くの間違いだという。

徹底的に反日教育を続けるあの3か国は別として、それ以外のアジアの人々は日本が大好き。

著者はそれを現地の人々と触れ合って実感したという。

多くの日本人はアジアの人々と直接触れ合う機会は少ない。

だから、情報源は限られてくる。

しかもその情報はマスコミを通して与えられるものが大半である。

そのマスコミの報道によると、「日本はアジアで嫌われている」となる。

だから「反省とお詫びをしなければならない」となる。

先日の戦没者追悼式の首相の式辞の中に、「アジアの人々に対するお詫びの言葉がなかった」といって批判する。

ある意味、これは反日プロパガンダ報道といってもよい。

自国を必要以上に悪く言うのは日本のマスコミ位のものではないだろうか。

最近はネット等の影響で、その異常さに気づき始めた人も多いようだが。

2014年8月20日 (水)

さらば東京裁判史観/小堀桂一郎

Photo 日本国民の精神はアジア否全世界の他の諸民族に対する日本の民族的優越性を主張する有害なる思想に依り組織的に蠧毒せられたり。日本に存したる議会制度は広汎なる侵略の道具として使用せられ且当時ドイツに於てヒットラー及びナチ党に依りイタリアに於てファシスト党に依り確立せられたると同様の組織が導入せられたり。日本の経済的及び財政的資源は大部分戦争目的に動員せられ、為めに日本国民の福祉は阻害せらるるに至れり。

上記は東京裁判起訴状の一部であるが、いわゆる東京裁判史観はこの起訴状に集約されている。

ここでいっていることは、日本の一部の「犯罪的軍閥」が日本を侵略戦争に導いた。

日本国民は被害者だった。

ということ。

つまり軍閥と国民とは利害の対立する存在であり、前者が後者を圧迫し、その福祉を侵害し続けたのが昭和の歴史であったと見做す。

いわゆる東京裁判史観のうちの代表的な脈絡の一筋がここに現れてくる。

そしてこの史観は現在も続いている。

中国や韓国が日本を批判するときも、「日本の一部の政治家が~」という形で行う。

つまり一部の為政者が善良な日本国民をだまして日本を戦争に駆り立てているという文脈。

これは明らかな分断工作である。

そしてたちの悪いことに、日本のマスコミもそれに同調して、あたかもそれが世界の声であるかのように吹聴する。

いい加減、この東京裁判史観というたちの悪い洗脳から脱してもらいたいものである。

2014年8月19日 (火)

どの面下げての韓国人/豊田有恒

Photo 相撲は、世界でただひとつ、競技の開始を競技者同士で決めるスポーツである。ボクシングのようにゴングが鳴るわけでもないし、陸上競技のようにピストルが鳴らされるわけでもないし、F1レースのように旗が振られるわけでもない。もちろん、相撲にも行司というレフリーは存在するが、競技のスタートを決めるのは、あくまで対戦する力士同士なのだ。双方とも、対戦相手より早く立とうとするから、よほどの信頼と和がなければ、なりたたないスポーツである。つまり、暗黙の談合が機能するからこそ、力士双方の阿吽の呼吸で立合いが可能になるのだ。

日本が、いかに和と談合の社会であるかは、相撲の立ち合いを見ればよくわかる、と著者はいう。

日本人は、そういうものだと思っているから、別段奇異にも感じないのだが、外国人の目で見ると、異常なくらい奇妙なルールらしい。

相撲の立ち合いは、双方が阿吽の呼吸で同時に立つ。

どちらかが試合を有利にしようと一呼吸遅く立ち上がったら仕切り直しとなる。

これが日本人のコミュニケーションの基本にある。

つまり相手は自分のことを分かってくれるものだという前提の上に立ったコミュニケーションなのである。

日本人同士であればそれでもよいのだが、相手が外国人だとこれは通用しない。

「日本ではこれがルールなのだ」といっても相手にはわかってもらえない。

特に日本人と韓国人は、人種的にも言語的にも近縁であり、そのため文化も共通していると思われがちである。

しかし、当たり前と言えば当たり前だが、韓国人は、日本人とは、まったく異なる行動様式を取る。

たとえば、日本人は、言動がぶれることを嫌う性向がある。

ところが、韓国では、言動がぶれても、お得意の「ケンチャナ」(かまわない)で、あっさり済んでしまうことが多い。

なにしろ、ほぼ2000年のあいだに、960回も異民族の侵入を受けている。

これまで、確かだと思えたことが一晩でひっくりかえってしまったことなど、日常茶飯事である。

したがって、前言を翻しても、なんとかして生き延びる手立てを講じなければならない。

そして、悲惨な歴史の繰り返しだったため、他人の意見に耳を傾けることをしない国民性ができあがってしまった。

自分の主義、主張と反する意見に対して、事細かく論拠を上げて、論証したり反駁したりする習慣が、育たなかった。

自説と対立する意見には、恫喝するか、威嚇するか、激怒するしか、方法論を持たない。

では無視すればよいのか。

よく日本では相手の挑発的な言葉にいちいち反論しないのが「大人の態度」だと思われがちである。

「また、韓国人が騒いでやがる。放っておくのが、大人の態度というものだ」

この傍観主義が日本の立場を悪くしてきた。

世界では反論しないことは認めたことになる。

そのことに、多くの日本人は気づいていない。

世界を相手にする場合は、相撲の立ち合いのような阿吽の呼吸は通用しない、ということをしっかりと認識することだ。

2014年8月18日 (月)

常識を疑うことから始めよう/ひすいこたろう、石井しおり

Photo「サラリーマン金太郎」の1巻の前書きでこう書かれています。
「私は、幸いなことに、絵が下手である。
 マンガ家のくせに絵が下手なことが、なぜ幸いなのか。
 下手だから、絵を人にまかせられる。おそらく日本中でいちばん、机の前に座っていないマンガ家だろう。ブラブラする時間があることは、他のマンガ家にくらべ、私は有利だと思っている。何事もそうだ。自分の欠点を逆に活かせば、それは他人にない武器となる」

 

本宮氏は、漫画家にもかかわらず、なんと絵が下手なのだそう。

にわかには信じがたいが、本人がそう言っているのですから間違いないのだろう。

誰にでも欠点はある。

多くの人は、その欠点を何とか直そうとする。

あるいは隠そうとする。

しかし、本宮氏の例はそれとは違う視点があることに気づかせてくれる。

それは欠点を活かすという発想である。

欠点も活かせば武器になりうる。

欠点こそ、魅力になり、味わいになり、そして、自分の武器になりえるのである。

この視点を持つことによって人生はもっと可能性が広がっていくのではないだろうか。

2014年8月17日 (日)

知的創造企業/野中郁次郎、竹内弘高

Photo 形式知と暗黙知の区別が、西洋と日本の「知」の方法論の違いを理解する鍵である。形式知はコンピュータ処理が簡単で、電子的に伝達でき、データベースに蓄積できる。しかし、主観的・直観的な暗黙知を、体系的・論理的に処理したり伝達したりすることは難しい。暗黙知を組織内部で伝達・共有するには、だれにでもわかるように言葉や数字に変換しなければならない。このように暗黙知が形式知へ、そしてあとで見るように、また逆に暗黙知へ変換されるときにこそ、組織の「知」が創られるのである。

以前、ドラッカーが、これからは知識社会になるとその著書に書いて以来、知をいかに創造するのかが大きな課題になってきた。

ところがその創造のプロセスを研究してみると、欧米と日本とでは大きな違いがあるという。

日本の知の創造のカギを握るのは「暗黙知」である。

欧米は人の技能や仕事の流れを形式知にすることに優れている。

一言で言えばマニュアル化がうまいということ。

それによって素人であっても短期間で一定のレベルの仕事ができるようになる。

誰もが一定のレベルの製品をつくることができるようになる。

マクドナルドを見ればよくわかる。

一方、日本は本物の技能は形式知にすることができないという考えが強い。

一流の職人の指先の微妙な感覚や経験に裏打ちされたカンなどは、百万語を費やしても表現しきれるものではない。

しかしそれでは技能伝承などはできなくなってしまう。

本書はそのような課題に一つの解を与えるものである。

日本の企業は、暗黙知から形式知へ、形式知から暗黙知へ、これを繰り返すことによって知の創造をしてきた。

すなわち、

(1)個人の暗黙知からグループの暗黙知を創造する「共同化」、

(2)暗黙知から形式知を創造する「表出化」、

(3)個別の形式知から体系的な形式知を創造する「連結化」、

(4)形式知から暗黙知を創造する「内面化」。

この4つのサイクルである。

これは日本の企業独特のものかもしれない。

そしてそれこそが日本の企業の強みといえよう。

特に多くの商品がコモディティー化している現在、日本の強みとして再認識する必要があるのではないだろうか。

2014年8月16日 (土)

誰が太平洋戦争を始めたのか/別宮暖朗

Photo 今でも日本では、「首脳同士」で詰めよという議論が外交紛争のたびに起きる。しかし、その前に両国の下僚の間で妥協点を詰めておかねば、首脳同士でいくら話しても無駄なのである。首脳外交は、ヤクザの親分同士の手打ち式のようには進まない。木戸幸一は、
 「日本が二階に上って美しい景色を見ようと誘うと、アメリカは予めどんな景色か言えという。日本は、とにかく上ったら判ると主張する。それで結局話ができなかったようなものだ」と評した。

日本は歴史的に外交下手である。

その原因の一つに、日本人のメンタリティがあるような気がする。

日本人の中には「話せばわかる」という思いがある。

思い込みといってもよい。

だから、「膝を突き合わせて」とか「腹を割って」という言葉が出てくる。

しかし現実はそうではない。

話してもわからないことばかりである。

「話せばわかる」という前提で話し合うのと、「話しても分かり合えることはない」という前提で話すのとでは、期待する成果に大きな違いが出てくる。

前者は、話し合うことに多大な期待を持つ。

一方、後者は、そんなものは最初から持たない。

そのうえで、適切な妥協点を探る。

結果、この方が現実的で、勝ち取る成果も大きくなる。

日本人の外交下手、交渉下手の原因に日本人のメンタリティがあるのは明らかだ。

2014年8月15日 (金)

他人より年商10倍「稼げる」社労士になる方法/萩原京二

10 「仕組み」とは、「誰が」「いつ」「何度」やっても、同じ結果を出すことができる再現性のあるシステムのことです。
 みなさんも聞いたことがあるかもしれません。「仕組み仕事法」や「やっぱり仕組みをつくった人が成功している」など──。多くの成功者が、「仕組み」をうまく利用して成果をあげています。
 「仕組み」はいったんつくってしまえば、やるべきことが明確になります。そのため誰でも取り組むことができ、継続することも簡単です。

私はこの手の本はあまり好きではない。

ただ、著者は、12年前、私が社労士として独立しようとしたときに参加した開業塾の講師をしていた方なので、興味を持ち、読んでみた。

本書に記されている内容も、基本的には当時と変わっていないという印象である。

内容は共感出来る部分もあるが共感できない部分もある。

共感できない部分としては、顧問先を持たないという点。

著者は、顧問先を持ってしまうと、それに縛られてしまい、自由な発想や活動の障害になるという。

確かに「稼ぐ」ということだけに焦点を当てればそうであろう。

しかし、私は自らの「成長」のために、顧問を中心に活動すべきだと考えている。

顧問先を持つと、継続的にその企業と関わっていくことになる。

そのような立場に立った時、初めて企業の抱える様々な人に関する問題と向き合うことになる。

それが自らの成長にもつながる。

そう考えるからである。

しかし、共感できる部分もある。

その一つは、上記の「仕組作り」である。

これについてはその通りだと思う。

「仕組み」がない人の仕事というのは、いつも行きあたりばったりで長続きしない。

特に顧客を獲得する仕組みは独立開業しているものにとって必須ではないだろうか。

特に私の同業者である社労士の中には仕組を持っていない人たちが多いような気がする。

2014年8月14日 (木)

英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄/ヘンリー・S・ストークス

S 大東亜戦争は、日本の自衛のための戦いだった。それは戦後マッカーサーがアメリカに戻って議会で証言した「マッカーサー証言」によっても明らかだ。東京裁判は裁判の名にも値しない、無法の復讐劇だった。「南京大虐殺」にしても、信用できる証言は何一つとしてなく、そればかりか中国が外国人記者や企業人を使って世界に発信した謀略宣伝であることが明らかになっている。「慰安婦問題」については、論ずるにも値しない。

上記の内容を右翼の人間が言うのであればわかるが、これはニューヨークタイムズの東京支社長を長年務めた英国人ジャーナリストの言葉である。

本書を読んで、英国人の中にも日本の歴史を色眼鏡なくきちんと見てくれる人がいることを知った。

先週、朝日新聞が従軍慰安婦問題の発端となった吉田清治証言が全くのデタラメだったことを初めて認めたが、いまだにそのことの謝罪はしていない。

日本の異常さは、朝日新聞に代表される東京裁判史観の宣伝機関のようなメディアや団体、個人が多く存在するということ。

そして多くの国民はそれにすっかり洗脳されてしまっている。

また、私自身も長い間、それを盲信していた。

そこから解放されたのは、多くの歴史関連の書籍を読むようになってからである。

大事なことは歴史をしっかり勉強し、色眼鏡なしに事実を事実としてしっかりと見ることではないだろうか。

その意味で、本書は一読の価値がある。

2014年8月13日 (水)

なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか/加瀬英明、ヘンリー・S・ストークス

S 私はマクロイがトルーマン政権による原爆投下の決定に参画したことを、知っていた。
 私は広島・長崎に対する原爆投下を話題にして、「あの時、日本がもし原子爆弾を一発でも持っていて、アメリカのどこかに落とすことができたとしたら、日本に核攻撃を加えたでしょうか」と、たずねた。
 すると、レストンが「なぜ、答がわかっているのに、質問するのか」と、口をはさんだ。
 私は「原爆投下の決定に参画した人に会ったことがないので、確かめてみたかった」と答えた。
 マクロイが「もちろん、あなたは答を知っているだろう。もし日本があの時に原爆を持っていたとしたら、日本に対して使用することはありえなかった」と、いった。

先日、広島で平和記念式典が行われた。

原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」という言葉が刻まれている。

でも、これだと、何か原爆を落とされた日本が悪かったような印象を与える。

もし、「過ちはくりかえしませぬから」というならば、

反省すべきは、原爆を落として約14万人の非戦闘員を殺傷したアメリカ側ではないかとつい思ってしまう。

もっと深読みするならば、日本の本当の過ちは、抑止力としての原爆を持っていなかったからだともいえる。

もちろん日本が核を持つことは許されない事だろうし、私自身も反対なのだが。

2014年8月12日 (火)

そして、メディアは日本を戦争に導いた/半藤一利、保阪正康

Photo 『朝日新聞』は自社の七〇年史で書いています。
 「昭和六年以前と以後の朝日新聞には木に竹をついだような矛盾を感じるであろうが、柳条溝の爆発で一挙に準戦時状態に入るとともに、新聞社はすべて沈黙を余儀なくされた」とお書きになっていますけれど、違いますね。
 沈黙を余儀なくされたのではなく、商売のために軍部と一緒になって走ったんですよ。
 つまり、ジャーナリズムというのは、基本的にはそういうものでね、歴史を本当には学んでいないんですよ。

毎年この時期になると、テレビでは、あの戦争のことについての番組が多くなる。

しかし、その時期のメディアの責任について論じる番組はほとんどない。

本書では、戦前・戦中の著作の多い2人がメディアの責任について論じている。

大戦前、朝日新聞をはじめとするメディアは、こぞって日本の参戦をあおった。

そして、戦時中は大本営発表をそのまま報道した。

戦後は、それまでのメディアの責任の総括がなされないまま、今度は東京裁判史観に基づいた報道を繰り返している。

「あの戦争は侵略戦争だった。日本は悪い国」だと。

この変わり身の早さと、無責任さはあきれるばかりである。

ジャーナリズムの本来の役割は何だろうか?

人々に様々な考える視点や論点を与えることではないだろうか。

その意味では今の報道はあまりにも一方的で感情的な報道が多すぎる。

最近の集団的自衛権の「徴兵制の復活」や「巻き込まれ論」など、まともな議論ではない。

論理の飛躍がありすぎる。

メディアは戦前・戦後、そして現代と、全く変わってないといえるのではないだろうか。

2014年8月11日 (月)

人間における勝負の研究/米長邦雄

Photo 世の中には、人間の知識や論理では解明できない「不可解な力」があります。ことに、私のように「勝負」を生業としている者は、そう感じざるをえません。ただし、それがどれくらいの比重を占めるのか、どれほどの大きさがあるのかを正確に測ることはできません。しかし、相当に大きな「力」が存在し、私たちは、それにずいぶん影響を受けて生活しているのではないでしょうか。
 

勝負はカンとか運とか、そのような科学的に証明できない「不可解な力」によって決まってしまうことが多い。

こうした不可解な「力」を感じたとき、人間の対応には、二つのタイプがある、と著者はいう。

一つは、そういうわけのわからない「力」は、偶然の産物であって、それについて考えたり、思い悩んだりするのは馬鹿げているとして、これを無視する人。

もう一方は、不可解ではあるけれども、何かが存在することを認め究明しようとする人、だと。

おそらく、一流と凡人との差はこんなところに現れてくるのであろう。

一流と言われる人は、たとえそれが「不可解」と思われるような力であっても、それを無視するのではなく、そこに何かあるのではと究明を始める。

そして自分なりの確固たる考えを持つに至る。

事実、著者は「カン」についてかなりの紙面を割いて持論を展開している。

このこだわりが人を一流に引き上げるのであろう。

2014年8月10日 (日)

高血圧はほっとくのが一番/松本光正

Photo 実質的に8年で、基準値が180から130と、50も下がっている。10年にも満たない期間で、これほど大きく下がるのは、どう考えても異常である。(中略)
 これほど重大な決定は、よほど明白か、複数の研究を元にしなければならない。
 にもかかわらずWHOが変更に踏み切ったのは、多国籍企業の巨大製薬会社が関わっているためと言われる。(中略)
 WHOは予算の7割を製薬会社の寄付金に依存している。

私の周りで高血圧と診断され、薬を飲んでいる者が多い。

私自身も、今の基準値に照らし合わせると高血圧である。

ただ薬は飲んでいない。

妻からは盛んに薬を飲むようにいわれるのだが、拒否している。

そんなこんなで本書が目に留まり読んでみた。

読んでみて明らかになったのが、基準値そのものが全くあてにならない値であるという点である。

1987年、厚生省は「老人保健法による健康診査マニュアル」によって、要治療の基準値を上180、下100にした。

これは40歳以上の健診で用いられた数値で、94年版でも変わっていない。

ところが、1999年、WHOが基準値を160/95から、140/90に変えた。

上は一気に20も下げてしまったのだ。

当然、厚労省もこれにならった。

しかし、その決定にはどうも製薬会社が裏でからんでいるらしい。

何しろ、基準値が10下がると、1000万人の患者が生まれるというのであるから、これほどおいしいビジネスはない。

しかも、降圧剤は一生飲み続けなければならない。

さらに言えば降圧剤を飲むことによって脳溢血のリスクは高まるという研究結果もあるという。

そう考えると、やはり薬は飲むべきではない。

これが本書を読んだ結果、決めたことである。


2014年8月 9日 (土)

仕事は最高のエンターテイメントだ!/須田将啓、田中禎人

Photo 筋トレでは筋肉に負荷を与えて、一時的に細胞を破壊し、その後に十分な休息と栄養をとることで、以前よりも太く強い筋線維を「超復活」させる。
 それと仕事も同じかもしれない。ありえないような「無茶」を乗り切ることで、「自分たちはここまでやれるのか」と、能力がストレッチしたような感覚を覚えた。
 実は人は厳しい環境に順応する能力を持っている。しかし、それを知らずに自分で限界を決めてしまっていることが多い。だからこそ無茶をすれば、新しい自分と出会える。

仕事を筋トレに例えるこの考え方、非常に面白い。

確かに筋トレには「超回復」という理論がある。

筋肉に一定以上の負荷を与えると、細胞が一時的に破壊される。

しかし2日後に、筋繊維はより太くなった状態で回復する。

これが「超回復」

この原理を筋トレに応用すれば、筋肉は鍛えられる。

ポイントは過大な負荷と適切な休息である。

仕事にも同様のことが言える。

やはり仕事で成長しようと思うのであれば、一定の負荷をかける必要がある。

たとえば、最大限の力を発揮してやっと達成できるような高い目標を立て、それを達成するために取り組むとか、

これまでの経験が全く役に立たない新しい仕事に取り組むとか、

プロジェクトのリーダーを務めるとか、

このような取り組みが成長を促す。

ところが、今の世の中、これらのこと社員に課すれば、ブラック企業と言われかねない。

ワークライフバランスをあまりに強調しすぎるのもマイナスである。

そう考えると、今の時代、仕事で成長することが困難な時代だといえる。

大きな機会の損失といえるのではないだろうか。

2014年8月 8日 (金)

ブラック企業経営者の本音/秋山謙一郎

Photo 今、〝仮面社畜〟という言葉が新たに出てきている。
 企業に絶対服従しつつも、自分自身を見失わない。どんなに理不尽なことがあっても、〝こうした場〟だと割り切って逞しく生きていく。
 もし、ブラック企業に迷い込んでしまったならば、一歩も二歩も引いて、そのブラックぶりを楽しみつつ、次の就職先を決めるまでの繋ぎとして、逆にブラック企業を〝使い捨て〟にする。そんな視点を持ちたいところだ。

昨今、ブラック企業のことが問題となっている。

最初はネットで広まった言葉だが瞬く間に市民権を奪ってしまった。

長時間労働、パワハラが蔓延している環境の中で社員は社畜として奴隷のように働かされるというイメージである。

中でもやり玉に挙げられたのはワタミとファーストリテイリングである。

最近は「すき屋」等を運営するゼンショーが話題になっている。

ブラック企業問題の一連の報道を見ていると、確かに当たっている面もあるのだが、少し一方的、一面的な報道という感をぬぐいきれない。

物事は多面的に見る必要があるのだが、マスコミの報道はあまりにも偏っている。

そもそも盛んにブラック企業を攻撃するテレビ局そのものが現代の奴隷制度のような経営形態をとっている。

テレビ局の社員という高給取りの特権階級が外部の制作会社の社員や派遣、請負を低賃金でこき使っているという構図である。

よくも正義の味方面をして報道できるものだと思ってしまう。

そして社員もただ被害者面をするだけでなく、したたかであるべきだろう。

ブラック企業で働くことをむしろ楽しみ、それを将来の糧にする位の逞しさがほしいものである。

2014年8月 7日 (木)

『俺のイタリアン』を生んだ男/尾崎弘之

Photo 「一人前の寿司屋になるには10年かかると言われてきました。(中略)職人気質の寿司屋さんは『回転寿司なんて寿司屋じゃない』とよく言うけど、それは寿司マーケットの需要からみて違うのではないだろうか。(中略)極端な話、10年もかかるというのは能力がないだけなんじゃないの? ほんとは能力あるやつなら2年で覚えるんじゃないの? 私はそう思っているんですけどね」一人前の料理人になるのに10年かかる「10年育成説」に坂本が疑問を感じたのは昨日今日のことではなく、長年抱いていたテーマだったのだ。

「うちは飲食業でなく人材育成業です」

坂本氏が常々使う表現だという。

それ位、人材育成には力を注いでいる。

確かに一流シェフを売り物にしている以上、そのような人材を短期にいかに育成できるかということは緊急の課題であろう。

そしてその壁になっているのが「業界の常識」である。

料理人の世界には「10年育成説」というものがある。

坂本氏はその説にも疑問を投げかける。

何故、「10年育成説」は今でも残っているのか?

日本がまだ貧しかった頃は、小学校や中学校を卒業したばかりの子供たちが料亭で丁稚奉公をしながら修行していた。

「技は盗むもの」という考え方が根強くあり、先輩は後輩に教えない。

後輩は先輩の作った料理の皿洗いをしながら、なべの底に残ったダシを舐めながら味を盗もうとする。

先輩は後輩に技を盗まれないよう、なべ底に残ったダシに塩を混ぜて邪魔をする。

そんなこんなで時間はどんどん過ぎてゆく。

多くの者はその厳しさに耐えられず脱落してゆく。

そんな中でごく一握りの人間がブラックな環境の中で這い上がり一人前の料理人として育ってゆく。

そういう世界で「10年育成説」というのが生まれたのであろう。

おそらく今でも多くの料理人の世界では似たようなことが行われているのではないだろうか。

でも、今の時代、こういう修業は意味があるのだろうか。

料亭の見習いが皿洗いや庭掃除をすることは人間性を高めるために必要という意見もある。

ところが、今の料理専門学校を卒業した人達は20歳を超えており、大学を卒業して入り直した人も少なくない。

皿洗いは必要だろうが、修業中に料理技能を教えないというのは合理的でない。

そのような分析から「もっと短期に育成できるのでは」という発想が生まれる。

「常識を疑う」ということがいかに大事かということである。

2014年8月 6日 (水)

ガーバー流「仕組み」経営/堀越吉太郎

Photo 「多くの社長は、社長本来の仕事をサボっている」
 これがガーバーの根本的なメッセージである。
 社長の唯一の仕事は、「仕事を手放すこと」だ。
 社長が会社にいなくても、しっかりと仕事が回るような仕組みをつくることこそが、経営者の真の仕事なのである。

このガーバー氏の言葉、100パーセント同意できる。

特に中小企業の場合、社長が頑張りすぎているケースが非常に多い。

営業も社員に任せることができずトップセールスを繰り広げる。

社長がいつまでも自分の仕事を手放さないので、次が育たない。

そして社長が衰える時が会社の寿命となる。

しかも大抵、このようなワンマン社長の場合、晩年になるとおかしくなっていく。

かつてのカリスマ社長が晩節を汚す例は枚挙にいとまがない。

この負のスパイラルを逆走する必要がある。

そのためには何が必要か?

そのキーワードが「仕組化」である。

仕組化こそ社長の仕事だと認識すべきであろう。

2014年8月 5日 (火)

壁をうち破る方法/安澤武郎

Photo 老子の教えに、「聞いたことは、忘れる。見たことは、覚える。やったことは、わかる」というのがあります。
 アメリカではこの老子の教えを数値化した研究者がいます。
❶聞いたことは、10%程度記憶に残る
❷見たことは、15%程度記憶に残る
❸聞いて見たことは、20%程度記憶に残る
❹話し合ったことは、40%程度記憶に残る
❺体験(実践)したことは、80%程度記憶に残る
❻人に教えたことは、90%程度記憶に残る
 という結果が出たそうです。

これは自分の持っているスキルを人に教えることがいかに重要なことであるかを示している。

「一人前」という言葉がある。

一定のレベルの仕事ができるようになった時に使われる。

でも、自分ではできても、人にそのことを伝えられない人がいる。

その人は本当に一人前といえるのだろうか?

本当の意味での「一人前」とは、自分の持っている技能を部下や後輩に伝えられるようになることではないだろうか?

ドイツのマイスター制度では、後進を指導する能力が求められる。

教えられない人は一人前とはみなされない。

人に教えられるレベルまでしっかりと理解し身につけていなければ、真にスキルを身につけているとはいえないと、わかっているからだろう。

2014年8月 4日 (月)

折れない新人の育て方/船戸孝重、徳山求大

Photo ある会社の営業セクションでのこと。営業部員の人事異動に伴い、顧客の担当替えが行われた。会議の席で、「Aさん、君はBさんから引き継いで、下期から大手のX社を担当してくれ。Bさんは新たにベンチャー系の中小企業を担当してほしい」と課長が指示した。
 すると、入社一年目のBさんは、「嫌です」と即答。
 課長が「何でだ?」と尋ねると、Bさんは悪びれることもなく答えた。
「そのお客様を担当しても、私の成長につながらないからです」

「会社は君の成長のためにあるわけじゃないんだよ!」と突っ込みを入れたくなるようなシーンだが、当の上司は、あまりの驚きに声が出ず、二の句が継げなかったという。

上記の事例、私の関与先でも同じような新人がいるという話を聞く。

昔だったら、「こんなやつは使い物にならん」と切り捨てたのだろうが、今はそういうわけにはいかない。

今、日本は若者が減ってきている。

これからはもっと若者は少なくなってくることが予想されている。

そうすると、企業としては、これまでは「使い物にならん」と切り捨てていた人材も上手に育成していかなければ、企業自体が存続できなくなってしまう。

「そこそこ人材」であれば、その人材を戦力にできるかどうかは企業の責任という時代がすでにきている。

上記の事例であれば、この新人「成長したい」という思いは持っているわけだから、あとは指導の仕方でどうにでもなるような気がする。

たとえば、一見無駄だと思えるような仕事が後から振り返ってみると自分の成長につながっていたという経験は誰にもあるのではないだろうか。

それを丁寧に説明し、伝えてやれば、仕事に対する姿勢も変わるのではないだろうか。

時代が変われば、価値観や考え方が違うのは当たり前。

そのうえに立って新人を育成していく。

それがこれからは必要とされるのではないだろうか。

今、企業に問われているのは「育成力」ではないかと思う。

2014年8月 3日 (日)

なぜ繁栄している商店街は1%しかないのか/辻井啓作

Photo ここでとりあげた商店街の特徴は、いわゆる商店街活性化事業により活性化や再生ができた訳ではないということだ。中には、何らかの商店街活性化事業が行われているところもあるが、それは活性化した要因ではない。これらの商店街に共通して見られるのは、〝強い店〟があり、それが新しい店を呼んで、商店街が活性化していることだ。

著者は、元商店街活性化コンサルタント。

「元」だから言えることを語っている。

彼によると、よくある商店街活性化の先進事例の大部分は、ウソだとのこと。

先進事例集などに紹介されている商店街のほとんどが、実は活性化していない。

商店街活性化事業のほとんどは、せいぜいその場限りの成功で、商店街という場所全体を活性化することにつながっていない。

前向きに事業を拡大しようとする経営者は、商店街活性化の活動については、「敵を作らない程度につきあっておく」というぐらいにしか考えておらず、自身の商売については商店街ではない外部に活路を求めている。

商店街の存在は、前向きな経営者の視野に入っていない。

これが実態だ。

これらは商店街組合が中心となり活性化しようとする限り変わらないという。

成功事例はむしろ、これとは逆の発想から生まれている。

たとえば、〝強い店〟が生まれれば、その回りの商店街は活性化する。

〝強い店〟といっても、圧倒的な規模と品揃えで集客する大型店のような店ではない。

規模は小さくても、魅力的、個性的な商品やサービスで、周辺地域や、場合によっては広域から顧客を呼びよせる力のある商店、それが〝強い店〟だ。

そのような〝強い店〟は、次の店を呼ぶ。

ある店が繁盛すると、集客ぶりを見て、それを目当てにしたり、繁盛している雰囲気に引き寄せられて、別の店が開店する。

立地や商店街のとりくみがお客さんを呼んでいる訳ではなく、個々の店が商品やサービスの魅力で顧客を呼び、それが新しい店を呼ぶ。

こうした「店が店を呼ぶ」スパイラルがこれらの商店街を活性化していく。

また商店街を、金も人脈もない若い人の新規創業の可能性を広げる場としてとらえれば、まだまだ利用価値がある。

つまり、このような方向で具体策を考えてゆけば、まだまだ活路は開けるということである。

本当の成功事例を参考に可能性を模索してゆくべきであろう。

2014年8月 2日 (土)

F1 戦略の方程式/浜島裕英

F1 なかでもエンジニアとして最も学んだことは、実は「コミュニケーション術」です。もちろんエンジニアは技術系の職業ですから、専門知識に磨きがかかったと思われるかもしれません。たしかに開発という視点でみれば、専門技術を習得はしましたが、それよりも多く学んだことは、人とどうコミュニケーションを図るかという点でした。

本書の著者は、14年間、F1の世界に身を置いてきたタイヤエンジニア。

エンジニアと言えば、専門職の中の一つ。

専門職という言葉から、想起されるイメージは、メカニズムに精通したプロ。

しかし、著者の話によると、F1のチームの一員として参加したとき、もっとも学んだのは、テクニカルな面ではなく、「コミュニケーション術」であったということ。

F1は、チームの監督、エンジニア、メカニック、ドライバーなどたくさんの人が関わっている

そのうえ多国籍の世界。

そんな中で、コミュニケーションがスムーズにとれなければ、チームが求めるタイヤ開発ができるはずがない。

これは当たり前のことなのだが、意外と盲点になっている面がある。

エンジニアに代表される専門職は、どちらかというと自分たちの世界にこもりがちになる。

顧客が何を求めているのかということを無視して、良いものを作ろうとする。

それが顧客のニーズとのミスマッチを生む。

コミュニケーションが大事だという点では、ドライバーも同じ。

花形ドライバーであればあるほど、チームのメンバーが自分を支えてくれているということを本当によくわかっているので、コミュニケーションを密にとり、驚くほどスタッフに心配りをするという。

どんな仕事に就くにしても、コミュニケーション能力は必須スキルだといえよう。

2014年8月 1日 (金)

ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えたそしたら意外に役立った/堀江貴文

1000 そんな人たちにぜひ読んでもらいたいのは『「反原発」の不都合な真実』(藤沢数希)。タイトルは、地球温暖化をテーマにした書籍では金字塔とも言えるアル・ゴア(元アメリカ副大統領)の『不都合な真実』のパロディだ。
 パロディでいながら、中身はきちんとした本だ(当たり前だが)。原典をきちんと明記し、統計データに基づいた、反原発の人たちにとっての不都合な真実がしっかりと書かれている。福島原発のような惨事が10年に一度起きても、kWhあたり1・4円しか原子力の発電コストは上がらないなど、冷静な論調で語られる「原子力発電の真実」には発見も多い。
 自然エネルギーの是非についても詳細に書かれている。そのまま引用しよう。
〝資源エネルギー庁の資料によれば、日本では太陽光発電、太陽熱利用、バイオマス直接利用、風力発電、地熱発電など全てを足しても、これら自然エネルギーは日本のエネルギー消費全体の0・3%ほどにしかなりません〟

今、反原発、脱原発が世論の大半を占めている。

マスコミもそうだし、そのための団体も多く存在する。

また、このような空気の中で、原発推進を主張するのは勇気のいることだ。

私個人としては、どちらにするにしても、しっかりとした事実認識と科学的データと根拠に基づいて議論してほしいということ。

例えば、本書に記されていることとして、こんなデータもある。

WHOは大気汚染による年間死亡者数を115万人としている。

このうち発電所からの大気汚染物質は全体の3割だという。

さらに中国では、石炭火力で80%ほどを発電していて、毎年40万人ほどが亡くなると言われているという。

実は石炭にはウランやトリウムなどの微量の放射性物質が含まれており、通常運転している原子力発電所よりはるかに多量の放射性物質を放出しているという事実がある。

また、論争の的になった「100ミリシーベルト以下の被ばく」については、

「100ミリシーベルト以下を過度に怖がるデメリット」があるという。

つまり、「100ミリシーベルト」という科学的なデータによる裏付けもない領域について「危険」と強調しつづけ、ストレスを抱えて生活習慣が悪化すると、かえって発がんのリスクを高めかねないというもの。

ちなみに、家に閉じこもったりして引き起こされる運動不足は、100ミリシーベルトの被ばく以上にがんのリスクを高めるそうだ。

要は、その程度の脅威でしかないということ。

こう考えると、世の中の空気に流されて「原発反対!」と唱えることがいかに愚かなことであるかということがわかる。

一人ひとり、きちんと自分の頭で考えるべきだろう。

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