サッカー日本代表を惨敗させた「信じれば奇跡が起こる」の弊害/小林弘潤
昭和初期の日本の中には「日露戦争で欧米列強でも一、二を争うほどの強国ロシアに勝った」という成功体験(それに基づく自信)が根強く残っていたため、それによって太平洋戦争の開戦前には「日本は強いから戦争になっても勝てる」とか「負けそうになっても奇跡が起こって勝つ」という雰囲気が蔓延していたと言えます(日露戦争も「奇跡的な勝利」という様相があったため、「米国との戦力差が大きすぎるから勝てない」という慎重論が出ても、「最後は日露戦争のように奇跡が起こる!」という声に圧倒されてしまった、という言い方ができる)。
本書は電子書籍版だが、タイトルに興味があり、読んでみた。
今年のブラジルワールドカップでの日本代表の成績は予選敗退。
予選での成績は2敗1引き分け。
1勝もできずに終わった。
実はこの成績、8年前のジーコジャパンの成績と同じである。
成績だけでなく、日本代表への国民の期待と感情も驚くほど似ている。
象徴的に思えるのが、絶体絶命の中で迎えた第3戦の前の報道。
多くのマスコミが「信じれば奇跡が起こる」と期待値を上げた。
もちろんポジティブに物事をとらえることは大事である。
しかし、それと現実を無視したものいいとは別である。
そして、そのメンタリティは実はあの戦争での日本人のメンタリティと酷似している。
その意味で、「現実を直視できずに強いと錯覚し、奇跡に頼って自滅した」ことは、
単に「8年前と同じことが繰り返された」という問題ではなく、
「数十年、あるいは数百年からそれ以上という長いスパンで繰り返されている現象」という言い方ができる。
それは日本という国の文化や伝統の中に「追い詰められた状況に置かれても現実を直視することができず、信じれば奇跡が起きるという発想に陥ってしまう傾向」があるからだと著者は述べる。
確かに日本人の感覚のどこかに、現実を直視することから逃避し、ファンタジーの中に浸ってしまうようなところがあるのではないだろうか。
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