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2014年9月の30件の記事

2014年9月30日 (火)

儲かる会社に変える貧乏人の発想、金持ちの行動/大谷将夫

Photo もし私が社長の役割を別の仕事にたとえるなら、オーケストラの指揮者だ。
 指揮者はオーケストラのなかで、すべての演奏者から見える場所に立つ。そして、オーケストラ全体の動きに目を配る。楽譜という原則にしたがいながら、自らの感性で演奏者たちに細かな指示を出し、観客に最高の音楽を聴かせようと努力する。観客とじかに向き合ってはいないが、客席に最も近い場所で、観客の反応を意識しているのだ。
 ときには大きなアクションをもって曲の盛り上がりを表す。反対に繊細な動きで、丁寧な演奏を促すこともある。
 なにより私が気に入っているのは、指揮者がひとつのポジションにすぎないということだ。優れた才能はあるだろうが、別に偉いわけではない。

著者の「社長はオーケストラの指揮者」という考え方、素直に共感できる。

オーケストラの主役はあくまでバイオリンや管弦楽を演奏する人たち。

彼らの持てる力を最大限に引き出し、最高の音楽を作り上げていくのが指揮者の役割。

同様に会社の社長の役割とは、社員の力を最大限に引き出すことを通して、経営目標を達成すること。

つまり組織における役割を表すものであり、決して地位や偉さかげんを表すものではない。

こう考えると非常にスッキリする。

でも現実は、社長に限らず「部長」「課長」という役職も、組織の中の役割としてとらえず、身分ととらえている会社が多いような気がする。

身分とはつまり「誰が偉いか」ということ。

会社の役職が身分制度となってしまっている現実。

ここからまず変える必要があるように感じる。

2014年9月29日 (月)

天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある。/山口真由

Photo まずは、「努力すること」を具体的にとらえることが大事。「努力すること=○○をすること」と具体化することが一番重要なポイントです。努力することが苦手だと思っている人の中には、「努力しろ」とか「もっと頑張れ」とか言われて、具体的に何をどうしたらいいのか分からないまま、ただ、今の自分を否定されたように感じて、「努力」という言葉に苦手意識を持たれた方も多いのではないでしょうか。

「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。」

これは本書で紹介されている王貞治氏の言葉。

では、努力とは具体的に何か?

それはあることを反復継続すること。

「1万時間の法則」という言葉がある。

世の中の「天才」と呼ばれている人たちを調査してみると、例外なく、世に出る前に1万時間、その専門分野の技能習得のために費やしている、というもの。

つまり、「天才」とは「努力の天才」だということ。

逆にいえば、どんな人であっても1万時間、反復継続すれば一流のレベルになることができるということ。

著者はそれを地でいっているような人である。

そして「努力」には方法論がある。

「努力」という言葉で終わらせることなく、「○○をする」という言葉に置き換える。

これだけでも結果が違ってくるのではないだろうか。

2014年9月28日 (日)

社長!リーダーは「1年」で育て上げろ!!/宮田慶

Photo 多くの経営者が抱く「任せて、自由にやらせれば伸びる」という発想を、私は『放置プレイ・マネジメント』と呼んでいるのですが、このように社長が思い込む原因は、リーダーとして求められる先天的な部分に重きを置き過ぎているからだと考えています。

中小企業は良きにつけ悪しきにつけ、社長しだいである。

ただ、その社長の力にも限界がある。

社長の意思がほぼ全員に浸透する限界を考えると、社員数は7人程度まで。

10人以上になると、7〜8割程度しか理解しておらず、さらに30人、50人と人数が増えるにしたがって、その割合は下がっていく。

50人を超えるレベルになると、ほとんど浸透していないというケースも珍しくない。

すると、どのような事態が発生するのか。

社内での一体感が弱まり、社員の定着率が悪化していく。

そのため、新たな社員を補わざるを得ず、頻繁に中途採用を繰り返すようになる。

そこで社長は、社長の右腕になるリーダーが必要だと考えるようになる。

そして、大抵はベテラン社員に部長や課長という役職を与える。

「場が人を育てる」とよく言う。

では、役職を与えれば、人はリーダーとして育っていくのか。

残念ながら、その答えは「否」である。

多くの場合、部長や課長という役職を与えられても、それまでと同じ一般社員の仕事しかやらない。

リーダーの仕事はやろうとしない。

なぜなら、何をすればいいのかわからないから。

そして誰もそれを教えてくれる人がいない。

これが大問題である。

中小企業に蔓延しているのは、著者の言う『放置プレイ・マネジメント』である。

人は育て方によって「人罪」にも、「人財」にもなる。

人財が育つ企業は、どんな不況下でも勝ち残っていく。

中小企業は、リーダーの育成を真剣に考えるべきである。

2014年9月27日 (土)

モリー先生との火曜日/ミッチ ・アルボム

Photo めげるものか。死ぬことは恥ずかしくなんかないんだ。
 死を人生最後のプロジェクト、生活の中心に据えよう。誰だっていずれ死ぬんだから、自分はかなりお役に立てるんじゃないか? 研究対象になれる。人間教科書に。ゆっくりと辛抱強く死んでいく私を研究してほしい。私にどんなことが起こるかよく見てくれ。私に学べ。
 モリーは、生と死の架け橋を渡るその道すがらの話をしようと考えた。

本書は、スポーツコラムニストとして活躍する著者とモリー教授が死の床で行った「ふたりだけの授業」の記録である。

毎週火曜日、飛行機に乗って700マイルも離れた恩師を自宅に見舞い対話する。

この対話は恩師が死ぬまで続く。

売れっ子コラムニストとして多忙な日々を送る著者にとっての生きがいは仕事だった。

仕事人間だった著者は、恩師とも対話の中で仕事よりも大事なことに気づいていく。

毎週、会うたびに、恩師の体は蝕まれていく。

その様子が手にとるように伝わってくる。

「人生に意味を与えられる道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創り出すこと」

このモリー教授の言葉、人生の意味を深く考えさせられる。

2014年9月26日 (金)

「待つ」ということ/鷲田清一

Photo 意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、じぶんを超えたもの、じぶんの力ではどうにもならないもの、それに対してはただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことなくただそこにじっとしているしかないもの。そういうものにふれてしまい、それでも「期待」や「希い」や「祈り」を込めなおし、幾度となくくりかえされるそれへの断念のなかでもそれを手放すことなくいること、おそらくはそこに、〈待つ〉ということがなりたつ。

今の世の中、何でもスピードが求められる。

地球の裏側の情報がすぐに伝わってくる、

郵送や訪問でしかできなかった書類のやり取りも、メールによって瞬時に行うことができる。

便利な世の中になったものだ。

早いことは良いことという価値観が蔓延しているように感じる。

逆に言えば、待つことが苦手な人が増えたのではないだろうか。

「待たない社会」、そして「待てない社会」の到来である。

しかし、待つことによってしか得られないものがある。

意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、

偶然を待つ、じぶんを超えたものにつきしたがう、

時が満ちる、機が熟すのを待つ、

そういうものが私たちの周りにはたくさんある。

これらは待つことによってしか得られないものである。

時間とどうやって付き合っていくのか、大事なテーマだと思う。

2014年9月25日 (木)

ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神/水間政憲

Photo 本書を上梓するにあたって、朝日新聞社が戦前に発行していた『北支事変画報』や『日支事変画報』『支那事変写真全集』『支那事変画報』、そして『アサヒグラフ』は、創刊号からすべて調べ尽くし、数千枚の写真を収集しました。
 朝日新聞が一九七五年に『アサヒグラフに見る昭和前史』や『アサヒグラフに見る昭和の世相』と、たて続けに出版した中に掲載されなかった写真に、朝日新聞社内で勃発した組合側による革命(一九六八年)以降、朝日が中国に配慮し、隠したい「日中戦争」(支那事変)の真相があると判断しました。

一枚の写真が訴えかける情報量は、百聞は一見にしかずとの格言どおり、薄っぺらな歴史認識論争を終結させる威力がある。

本書は、特に朝日新聞社が世に出さなかった写真を中心に構成されている。

その新聞社の本音は「何を報じたか」ではなく「何を報じなかったか」によってわかる。

本書に掲載されている数々の写真は、中国の市民から歓迎されてる日本兵等、朝日新聞社にとっての「不都合な真実」ばかりである。

今、朝日新聞社が批判を浴びているが、どうもその根っこはかなり深い部分にあるようだ。

2014年9月24日 (水)

年収300万円の残念な働き方/鈴木康弘

300 喫茶店や居酒屋の店員さんにタメ口で「コーヒー!」などと注文する人がいます。私の経験上、そういう人は100%、ビジネスパーソンとしてはダメな人です。
 「できる人」は「スミマセン、コーヒーいただけますか?」と丁寧な言葉を使えます。

著者は、リクルートのキャリアコンサルタントとして、また、転職Barの店主として1万人以上の人生相談にのってきたという。

それだけの人と会って話すと、どんな人が年収が上がるのかがわかるというのも頷ける。

その中で言っているのは、相手の気持ちを考えることのできない人は、結局は就職しても出世はできないし、年収も上がらないということ。

世の中にある仕事の99%は、誰かがやりたくないことを代わりにやることでお金を貰う。

人助けをして、お給料を貰うのである。

どんな会社にも、お客様である顧客がいる。

だから会社は、その顧客を人助けすることができる人を社員として採用する。

言われてみれば当たり前のことなのだが、このことがわかっていない人は意外と多いのではないだろうか。

2014年9月23日 (火)

会社再生ガール/田中伸治

Photo 「うちの社員はみな優秀な人間ばかりだ。でも、人をまとめるのは頭の良さとか、経験だけじゃない。経営者の心情を心から理解でき、そのうえで経営者にとって鬼にもなれる人間が必要だ」
 「まるで阿修羅ね」
 麗子がおしぼりをたたみながらつぶやいた。
 「阿修羅だ。何面もの顔を持ち、それでいて強く、不況という悪魔たちから恐れられる存在でなくてはいけない。単なる債務整理や事業継続に主眼を置いたコンサルティングなんて必要ない。経営者の犠牲のうえに会社が再生しても、それは真の会社再生なんて言えないだろ? 俺が目指しているのは、『経営者の再生』つまり、現在の経営者による経営継続なんだ。真の意味での再生とはな、会社や事業の再生だけじゃなく、経営者とその家族を含む人生の再生なんだよ」

本書は、過剰債務に苦しむ老舗旅館を救うために奮闘するコンサルタント・相馬明日美の会社再生物語。

それなりに面白く読み進むことができ、その中で、会社のピンチを救う実践的スキームが理解できる。

赤字まみれの会社を再生させるのはきれいごとではいかない。

ただ、本質は上記抜書きにあるように、

「真の意味での再生とは、会社や事業の再生だけじゃなく、経営者とその家族を含む人生の再生」

ということではないだろうか。

2014年9月22日 (月)

転換期の日本へ/ジョン・W・ダワー、ガバン・マコーマック

Photo 拉致が重大犯罪であるということは言うまでもありません。しかし、朝鮮戦争の終戦協定がいまだに結ばれず、北朝鮮の緊張が長期に継続しているなかで起こったことです。かつて日本や韓国の政府の手で実行された拉致と搾取が、北朝鮮の拉致とそれほど異なるものではないという事実も考慮に入れて問題を見た方が良いと思います。一九三〇年代と一九四〇年代に、何十万人という朝鮮人労働者と慰安婦が皇国日本のために強制的に奉仕させられたことはよく知られています。

本書の共著者の一人、ジョン・W・ダワーは、『敗北を抱きしめて』という作品でピュリツァー賞を受賞した著名なアメリカの歴史学者。

もう一人の著者のガバン・マコーマックは、東アジア現代史、日本近現代史の研究者として京都大学などで客員教授も経験したオーストラリアの歴史学者。

本書を読むと、欧米の知識人の日本に対する見方に、東京裁判史観およびサンフランシスコ体制が大きく影響を及ぼしていることがよくわかる。

彼らのような知識人であっても、日本に対する見方はかなり偏見に満ちている。

上記抜書きにも、今問題となっている慰安婦問題が取り上げられているが、おそらくこれが欧米人の常識的考え方なのであろう。

しかし、これも日本が積極的に情報発信してこなかったことによる。

今は情報戦争の時代である。

日本の主張や考え方を、世界に向けて、戦略的に発信していくことが求められているということではないだろうか。

2014年9月21日 (日)

5年で売上2倍の経営計画をたてなさい/小山昇

Photo なぜ、「5年で売上2倍」の経営計画が必要なのでしょうか──。
 それは「いまと同じやり方では会社は成長しない」ことに気付いてもらい、「いままでの経営を変え、成長する」ことを決定してもらうためです。
 つまり、「5年で売上2倍」の経営計画をたてることで、「今までの経営を変える」必要が出てくる。「会社として新しいことにチャレンジする」必要が出てくるのです。

著者は、自ら主宰する経営塾で、塾生に「5年で売上2倍」の経営計画を立てさせるという。

今の時代、「5年で売上2倍」は不可能に近い。

事実、著者自身もできるとは思っていないという。

ではなぜそれを勧めるのか。

発想の転換を促すためである。

例えば、「毎年5パーセントの売上アップ」という目標であれば、それは今の経営は変えないで、部分的に改善すれば達成できる。

ところが、「5年で売上2倍」ということになると、「改善」では不可能。

「改革」をする必要がある。

しかも、今までの経営手法を根本からガラリと変える「改革」をする必要がある。

おそらくそこに狙いがあるのであろう。

今のような変化の激しい時代、一番足を引っ張るのは「過去の成功体験」である。

ここから脱却するには、一見無謀な目標や計画を立てる必要がある。

多くの社長は、「敵はライバル会社」だと考えているが、そうではない。

敵は「時代」である。

つまり、時代とともに移り変わる経営環境に応じて会社を変革していかなければ企業経営は成り立たない。

これからは「物事を長期的に考え」「世の中がどう変わっていくかを予測し」「その対策を取る」ことを怠れば、誰でも時代に取り残されてしまうであろう。

「5年で売上2倍」の経営計画の中にはそのような意図が含まれているようだ。

2014年9月20日 (土)

幸せな経済自由人の60の習慣/本田健

60 ビジネスで成功する人は、そんな日常のイライラを新しい商品やサービスのネタにして、成功しています。電話料金が高いという憤りを感じ、新しい電話会社の設立を決めた人。学生でも飛行機チケットを買えるシステムがあってもいいじゃないかと思った人。彼らは、ただ単にイライラしただけでなく、その不便や理不尽さをビジネスの原動力にしているのです。

経済的に自由になること。

これは多くのサラリーマンが望んでいることではないだろうか。

なぜ、毎日、決められた時間に出勤し、決められた時間まで働き、場合によっては、残業までして働くのか?

なぜ、嫌な上司の下で働き続けるのか?

給料を得るためである。

なぜ、給料が必要なのか?

それがなければ生きていくことができないから。

もし、ここから解放されたならどんなにいいだろう。

多くのサラリーマンがそう思っていることだろう。

しかし、そのように発想すること自体、経済の奴隷になっている証拠。

もし、経済自由人になろうとするならば、今の現状を変えるために、その自らの不満を新しいアイデアに変えるはず。

そして、自らアクションを起こすはず。

幸せな経済自由人は、言い訳を一切しない。

なぜなら、自分で人生を変えられると考えているから。

目の前の状況に満足できない場合、その現状を変えるか、受け入れるかのどちらかしかない。

目の前の状況に対して、文句を言っていたところで、何も変わらない。

言い訳、弁解でとどまっている限り、結局今の現状を抜け出すことはできないということであろう。

2014年9月19日 (金)

思考の「型」を身につけよう/飯田泰之

Photo 大学で特定の専門分野を学ぶ意味とは、社会に出てからの思考のベース、つまりは「型」の習得なのです。決して実践的とは思えない問題を繰り返し解くことは、型稽古のようなもの。繰り返し何度も問題を解くことで、少しずつそれぞれの専門分野の「思考の型」を身につけているわけです。
 大学教育がちっとも役に立ったように感じられないのは、「思考の型を伝えているのだ」という点に無頓着な教員が多いこと、学生側が「今は型稽古をしているのだ」という意識を持っていないこと──という二重の不幸が原因です。

業種・業態を問わず、創造的な思考が必要な時代になってきた。

しかし、創造力は決してゼロから全く新しいものを生み出す力ではない。

むしろ、創造とは、何らかの素材を加工したり、結び合わせたりし、そのことによって化学反応を起こし、新しいものを生み出す作業である。

だとしたら、その創造のプロセスはパターン化することができるはず。

そして、そのパターンさえ身に付ければ、もっと生産性は上がるはずである。

そしてそれを身に付ける大切な場が大学教育であると著者はいう。

しかし、近年の傾向は、大学教育に「すぐ使える知識や技能」の習得を求める傾向があるのではないだろうか。

確かに彼らを受け入れる企業としては「即戦力」、つまり「すぐ使える人材」を求めるのもよくわかる。

しかし、今のような変化の激しい時代では、その「すぐ使える人材」が「賞味期限切れの人材」になる速度も速い。

その意味では、汎用性のある「思考の型」を身に付けた人材の育成ににもっと注力してよいのではないだろうか。

2014年9月18日 (木)

人は感情によって進化した/石川幹人

Photo じつは、集団のメンバーの自己呈示欲が強いと、集団の協力が促進されます。メンバーの特徴が明確になれば、分担作業がうまくいくからです。このように、自己呈示欲は集団の生き残りに貢献するので、私たちに身についてきたのです。

人には感情がある。

感情はプラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともある。

人の評価にしても「あの人は感情的だ」と言われれば、昇進するのは難しいであろう。

しかし、「あの人は感情豊かだ」と言われれば、評価はまた違ってくる。

また上記抜書きの例のように、「自己呈示欲」は一般には否定的に捉えられがちだが、それがあることによって集団の協力が促進されるという面もある。

要は、感情というものを否定しないで、有効に活用することを考えることではないだろうか。

2014年9月17日 (水)

成功体験はいらない/辻野晃一郎

Photo 日本人は元来、「捨てる」ことが得意だった。 「捨てる」といっても、古いものや過去の蓄積をやみくもにかなぐり捨てることではない。よき伝統や習慣をしっかりと踏襲しながら、不要なものを整理して手放し、新たな気持ちで心機一転スタートを切るということだ。

本来新しいことにチャレンジすることは楽しいものである。

新しい体験や発見があるのだから。

ところが、チャレンジを躊躇させるものがある。

それは過去の「成功体験」である。

これにしがみついている限り、チャレンジはできない。

これ以外にも「持つことのリスク」は多くある。

常識的に考えても、たくさんのものを持ちすぎることはよくない。

体を動かすのに必要な筋肉であっても、持ちすぎると、体が重くなり、動きは鈍くなる。

人脈も持ちすぎると、その人間関係に縛られ、それがしがらみとなり、自由が奪われる。

情報はどうだろうか。

今はクラウドが浸透してきているので、多くのデータはそこに保存できる。

つまり、多くのものを抱え込まなくてもよい時代なのである。

「もつ」ことは、いまや大きなリスクになりうる。

これからは、いままで以上に「もたない」勇気や「捨てる」決断が問われている時代だといえる。

2014年9月16日 (火)

ミッションの経営学/田中道昭

Photo ヨーロッパのある国で、核廃棄物の処理地を巡ってさんざん悩んだ挙句、結局ある村が最終候補に挙がりました。村民の意志を選挙で確認したところ、約50%の住民が受け入れに賛成の意志を示しました。そこで、受け入れ賛成の住民をもっと増やすべく、行政は一戸あたりの補償金をさらに増やすことにしました。そして改めて住民投票を行ったのです。
 補償金を増やしたのだから当然賛成が増えるはずだと、行政だけでなく誰もがそう想像したでしょう。ところが、再投票の結果は意外なものでした。受け入れ賛成派は、何と20%くらいまでに減ってしまったのです。(中略)
 その後の住民への聞き取り調査で、その理由が明らかになりました。それは最初に賛成した人の中には、処理施設が危険だということは重々承知しながら、受け入れることが国民のためになる、自分たちが受け入れなければみんなが困るという自己犠牲の精神で賛成した人が多かったのです。つまり、それを受け入れることが自分たちの使命であると認識したからこそ賛成したのです。
 そのような悲壮な覚悟に近い決心であったのに、政府がそれをお金で解決しようとしたわけです。お金というインセンティブで自分たちは動いているのではない、自己犠牲に近い自分たちの行動が、まさに踏みにじられた形になったわけです。

人は利害関係だけで動くわけではない。

場合によっては、自分が不利益をこうむることがわかっていて、動くことがある。

内なる使命感から動く場合がそうである。

上記の、ヨーロッパの核処理施設受け入れのエピソードはそのことを示している。

人は使命感を持つことで常識的には考えられないような、自己犠牲に近いほどの行為を選択する。

個人にとっても、企業という組織にとっても、ミッションがいかに大事かということであろう。

では企業のミッションとはなんだろうか。

ミッションとは普遍性、社会性を帯びた概念と言える。

顧客に対してはもちろんのこと、広く社会全体にとって自分たちの活動はどのような意味と意義を持っているのか?

翻って自分たちはそもそも何者であるか?

企業の存在の根本を問い、それを明確にしたものがミッションである。

このミッションを明確にすることが、ドロ沼の価格競争から抜け出るための一つの有効な手段となる。

商品に「こだわり」もなく、単にモノを作って売ればいいという経営姿勢からは付加価値の高いものはまず生産できない。

他社と同じような商品であれば、結局低価格競争に巻き込まれてしまう。

その結果、経営的に苦しい立場に追い込まれてしまう。

「わが社のミッションとは何か?」

経営者はこのことを真剣に考える必要がある。

2014年9月15日 (月)

侮日論/呉善花

Photo 韓国では「日本人には無礼を働いてもかまわない」という通念が、世間一般に広くあります。なぜかというと、多くの韓国人が無意識のうちに「日本人は侮辱するに価する人々」と考えているからにほかなりません。

なぜ、韓国人は反日なのか?

「反日主義」や「反日感情」以前に伝統的な「侮日観」があること。

ここがわからないと、戦後七〇年近く経った現在に至ってもなお、なぜ強固な反日感情、反日イデオロギーが韓国から消え去ることがないのかがわからない、

というのが著者の主張である。

多くの日本人は韓国人が平気で日本人を侮辱し蔑むのは、「日本帝国主義による植民地支配」があったからだと思っている。

しかしそうではない。

近代以前、王朝時代の朝鮮半島では、正式文書以外では日本人とは呼ばずに「倭人」「倭賊」「蛮」「蛮夷」などの蔑称を用いることが、ごく一般的に行なわれていた。

これが現代では、「日本奴」、「倭奴」、「猪足」などの言葉で普通に使われている。

日本人に対して侮蔑的な表現をする習いは、近年にはじまったことではなく、朝鮮半島の古くからの伝統だった、というのである。

そして韓国の反日民族主義は三つの要素で形成されている。

第一に、日本には一連の日本民族特有の朝鮮侵略史観があり、今なお変わることがないとする歴史認識。

第二に、日本は中華世界秩序の周辺に位置する野蛮な夷族だという、伝統的な中華主義の世界観。

第三に、祖先が受けた被害については、子孫はどこまでも恨み続け、罪を問い続けていくことが祖先への孝行だという儒教的な道徳観。

これが韓国の正統的な反日民族主義の考え。

こうなってくると、もはや、「話せばわかる」というレベルの問題ではない。

著者がいうように「韓国とは距離を置く」ことが一番の策のような気がする。


2014年9月14日 (日)

コクヨの「3秒で選び、2秒で決める」思考術/下地寛也

Photo 落語家の立川談志氏が「型のある人が型を破ることを型破りといい、型のない人が型を破ることを型無しという」ということを弟子に言っていたそうです。あれだけ奇想天外な落語をつくってきた人でも型をもったうえで自分なりのアレンジを加えて創作していたわけです。

本書ではより効率的により創造的な仕事をするための様々な手法を示している。

つまり「型」の紹介本である。

今は創造的な仕事ができるかどうかが企業の未来を決める時代である。

ここで多くの人が誤解するのが、決められた仕事を規格通りに作るには「型」が必要だが、創造的な仕事には役に立たない、というもの。

しかし、そうではない。

創造的な仕事にも「型」は必要。

いやむしろ、「型」を身に着けていない人には創造的な仕事はできない。

「型」とは先人が積み上げてきた「うまくやるための手順書」である。

その「型」をまず身に着け、それにアレンジを加える。

それによって新しいものを創造することができる。

「守破離」という言葉が示す通りである。

2014年9月13日 (土)

最終戦争論/石原莞爾

Photo われわれの常識から見れば結局、二つの代表的勢力となるものと考えられるのであります。どれが準決勝で優勝戦に残るかと言えば、私の想像では東亜と米州だろうと思います。
 人類の歴史を、学問的ではありませんが、しろうと考えで考えて見ると、アジアの西部地方に起った人類の文明が東西両方に分かれて進み、数千年後に太平洋という世界最大の海を境にして今、顔を合わせたのです。この二つが最後の決勝戦をやる運命にあるのではないでしょうか。軍事的にも最も決勝戦争の困難なのは太平洋を挟んだ両集団であります。軍事的見地から言っても、恐らくこの二つの集団が準決勝に残るのではないかと私は考えます。

石原莞爾と言えば、関東軍作戦参謀として、柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者であるとされている。

この人物、「好戦家」というイメージがあるが、その著書を読んでみると、そう単純に言いきれるものでもないようだ。

平和な世界が訪れるためのやむを得ない手段として、武力による世界統一が必要だと考え、それが「世界最終戦争論」となる。

この結論に至る論理の展開には、興味深い部分もあるが、それが最後は東西を代表して日米が最終決戦をすることになるという考え方は、今の時代から考えれば極端すぎる。

ただ、当時の日本人には珍しく、日本の未来について壮大なビジョンを描いていた人物だったことは確かなことのようだ。

2014年9月12日 (金)

静かなリーダーシップ/ジョセフ・L・バダラッコ

L シュバイツァーは多くの人の人生を変え、無数の人々に感動と励ましを与えたが、世界を形成する偉大な人の役割について、自伝の中で次のように書いている。
 人間の理想を貫こうとする人のうち、大衆の目に留まる行動を示せる人はごくわずかしかいない。その他の人はすべて、人目につかない小さな行いに甘んじている。しかし、そうした小さな行いの積み重ねは、大衆に広く認められる行動よりも、何千倍も強いものだ。小さな行いの積み重ねが深い海洋なら、大衆に認められる行動は、その海洋に浮かぶ波の泡のようなものである。

リーダーシップという言葉から受けるのは、高い理想と強い信念でみんなをグイグイと引っ張っていくというイメージだ。

ケネディ大統領、サッチャー首相、チャーチル首相等が思い浮かぶ。

しかし、本書で著者が語っているリーダー像はそれとはまったく違う。

ほとんどの場合、最も実践的なリーダーは大衆のヒーローではなかった。

高尚な理想を掲げた人でもなく、またそうなりたいと思っていた人でもなかった。

倫理的な使命観をもって周りを率いている人でもない。

真のリーダーとは、忍耐強くて慎重で、一歩一歩行動する人、

犠牲を出さずに、自分の組織、周りの人々、自分自身にとって正しいと思われることを、目立たずに実践している人だった、というのである。

サーバント・リーダーシップがこれに近い考え方なのかもしれない。

ただ、リーダーらしくない人が、実は組織の見えないところで、大事は働きをし、組織を動かしていたという例は意外と多いのかもしれない。

特に、会社の中間管理職には、そのような「静かなリーダーシップ」が求められるのではないだろうか。

2014年9月11日 (木)

女たちのサバイバル作戦/上野千鶴子

Photo 最後にこういう団体には男の尻馬に乗る女がかならずいます。夫婦別姓選択制に反対する急先鋒は高市早苗ですし、「男女共同参画」を批判するのは長谷川三千子、嫌中をあおるのは櫻井よしこ、フェミニズムが世の中を生きづらくしたと責めるのは山下悦子(『女を幸せにしない「男女共同参画社会」』洋泉社、二〇〇六年)……と、オヤジメディアが重宝がる女性言論人の出番が用意されています。この女性たちもオヤジメディアにいいように使われて、使い捨てられるだけということに気がついてほしいものですが。

本書の著者、上野氏は日本のフェミニズムの代表的存在。

特にフェミニズムに批判的な女性に対しては、男に利用されて最後は使い捨てされるだけだと強く批判する。

しかし私自身、著者の主張するところは、ほとんど共感できない。

なぜかといえば、批判するだけで何の対案も出していないから。

対案らしきものは言っているが、それでは日本社会はめちゃくちゃになってしまう。

言論の自由が保障されている以上、何を主張してもよいのだが、問題は「責任ある発言」をするということ。

無責任な発言は害悪をまき散らすだけである。

フェミニズムに対して多くの日本人が共感できないのもこんなところにあるのではないだろうか。

2014年9月10日 (水)

おとなの教養/池上彰

Photo ボストン郊外にあるエリート女子大学ウェルズリーカレッジは、ヒラリー・クリントンやクリントン政権時代のオルブライト国務長官の出身校として知られています。ここもまた四年間、徹底したリベラルアーツ教育を行っています。
 同校を訪れた際、女子学生が学内を案内してくれました。とても利発そうな黒人の女子学生でした。彼女は「私は経済学を学んでいる」と話してくれたのですが、それと同時に「でも、経営学は学ばない」と言うのです。
 なぜかと尋ねると、経済学は世の中の仕組みを分析する上で必要な知識である、つまり人間の教養として必要だから学ぶ。でも経営学は、会社に就職をして働く上で役に立つ学問だから、すぐに役に立ちすぎるので大学では教えない、と言うのです。私はビックリすると同時に、目からウロコが落ちた思いでした。

すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる。

本当の教養というのは、すぐには役に立たないかもしれないけれど、長い人生を生きていく上で、自分を支える基盤になるもの。

その基盤がしっかりしていれば、世の中の動きが速くてもブレることなく、自分の頭で物事を深く考えることができるようになる。

それが池上氏が本書で言っていること。

ここでいっているリベラルアーツとは、ギリシャ・ローマ時代に源流を持ち、ヨーロッパの大学で学問の基本だとみなされた七科目のことを指す。

具体的には①文法、②修辞学、③論理学、④算術、⑤幾何学、⑥天文学、⑦音楽の計七科目。

かつてはこうした科目に習熟することが、教養人の条件だったという。

そういえば、最近、朝日新聞に連載されていたコラムの掲載拒否の件で、池上氏が話題になっている。

そのコラムで池上氏が言っているのは「間違えたら訂正すべし、訂正したことは謝罪すべし」という当たり前のこと。

それをできない朝日新聞は「教養がない」と言われても仕方がない。

2014年9月 9日 (火)

超転職術/田畑晃子

Photo●ビジネス筋力のレベル
【レベル1】上司の指示のもとでなんとかできる
【レベル2】上司の管理、補助のもとで普通にできる
【レベル3】自立してその業務ができる
【レベル4】自立して業務を遂行し、自ら工夫や企画にも取り組んでいる
【レベル5】これまでにない新しい戦略に取り組んでいる

本書の中に「ビジネス筋力」という言葉がでてくる。

あまり聞かない言葉だが、この「ビジネス筋力」こそ転職に成功するポイントになる。

いや、転職だけでなく、仕事のできる人になるための重要なポイントとなるであろう。

今、企業が求める人材の内容が変化してきている。

かつては、【レベル2】の人材、つまり、上から言われたことをキチンとする人材がよい人材と言われていた。

しかし、今は最低【レベル3】の人材が求められる。

そして「仕事のできる社員」とは、【レベル4】以上、つまり言われたことだけでなく、自ら進んで工夫改善し、結果を出す人材である。

企業も個人も、時代を意識して戦略的にやるべきことを決める必要があるということであろう。

2014年9月 8日 (月)

警察の裏側/小川泰平

Photo 警察というものはタテ社会である。階級だけでなく実力でもタテ社会である。○○班長が言ったのだから間違いない。○○部長が落としたのだから絶対だ。という思い込みが非常に強いのが現実であり、これに異を唱えることができない「不文律」がある。裏付け捜査ひとつにしても、警察サイドに立った裏付け捜査には力が入るが、被疑者に有利な裏付け捜査には自然と力も入らない。
 捜査の段階で「○○がホシだ!」と言ったベテラン捜査員の言葉を間違いないと「思い込み」、○○班長が落としたのだから間違いないと「思い込み」、異を唱える者がいない現場が「冤罪」という不幸を生み出しているのである。

冤罪はあってはならないことである。

特に殺人事件で死刑執行された場合は取り返しのつかないことになる。

ところが現実には冤罪が後を絶たない。

どうしてそのようなことが起こるのか。

著者は、その原因の一つは警察という組織の構造的な問題だという。

つまり、「上の言ったことには逆らえない」という考え方が蔓延している組織。

そのような組織では自浄作用が働かず、冤罪は繰り返される。

こう考えると、このタテ社会型の組織を変えない限り、抜本的な解決はできないといえよう。

2014年9月 7日 (日)

督促OL修行日記/榎本まみ

Photo お客さまの中には「馬鹿野郎!」「ふざけるなテメェ!」とか「ブス! 不細工!」(電話じゃ顔も見えないのに……)といった罵詈雑言を口癖なのか、と思うほどいちいち会話に挟みこんでくる人もいる。
 理不尽なことを言われて、きっと大変だろうな。そう思っていたのに、突然M井さんから「ストレスを感じない」と聞かされて私はビックリした。
  「実はボク、お客さまに言われた悪口をコレクションしてるんです。いつか自分だけの『悪口辞典』が作れるといいな~と思って」
 M井さんはにっこりと笑うと、ピンク色のB5サイズのノートを出してきた。その中には、日付と、お客さまに言われた悪口や罵詈雑言がぎっしりと記録されていた。

本書は、新卒で信販会社に入社し支払延滞顧客への督促を行うコールセンターに配属された著者の奮闘記である。

多重債務者や支払困難顧客から怒鳴られながらお金を回収する日々。

担当者は常に十数件のクレームを抱えていて、お客さまからの罵声を浴びない日はない。

時には1本の電話で2~3時間ひたすら怒鳴り続けられることもある。

しかも謝るだけで終わらないのが、この督促という仕事の難しいところ。

怒鳴られながらも、最終的にはお客さまを説き伏せて入金をしていただかなければならない。

当然、心を病んで辞めていくものも多くいる。

彼らにとってストレス解消は死活問題であろう。

そんな中、著者はストレスとうまく付き合う方法を発見していく。

たとえば、お客様の罵詈雑言を記入して「悪口辞典」をつくる。

そしてノートが悪口で1冊埋まったら、すごい贅沢をしようと計画する、というもの。

何とそれだけで、ストレスから解放されるという。

それどころか、怒鳴られることが待ち遠しくなるそうだ。

「ナルホド!」と思ってしまった。

知恵を使えば、多くの壁は乗り越えられるということであろう。

2014年9月 6日 (土)

「パレスチナが見たい」/森沢典子

Photo パレスチナといえば、私たちはたいてい、過激派による自爆テロを思い浮かべます。そしてインティファーダといえば、自爆テロか投石による抵抗運動のことだと思っています。
 でも、私が見たインティファーダは違いました。
 侵攻を受けて家を壊され、家族を殺されても、花を植え、パンの宅配を続ける町の人たち。冗談を飛ばし、大声で笑い、旅人をもてなす家族。
 爆撃を受けて壁に大きな穴が開き、外から丸見えの部屋で、人々はコーヒーを飲みながら家族や友人たちと過ごす穏やかな時間を楽しんで、私と目が合うと「ウエルカム!」とミントティーを差し出したり、笑いかけたりしていました。ふだん通りの暮らしを続けること、それこそが人々のインティファーダ、抵抗運動でした。

本書の著者はジャーナリストでもなく、普通の元幼稚園教諭。

彼女の見たパレスチナの人々の日常が記されている。

ただ、私たちの日常と違い、その日常とは、家を壊され、知人・友人・家族を殺される日々。

その日常を素直な目で綴っている。

本当に悲惨だし、いたたまれない。

本書を読むと、イスラエル側がいかにも横暴で血も涙もない人たちのように思える。

イスラエルのシャロン首相などは、横暴な独裁者のように映る。

しかし、この地域の問題は複雑だ。

本書ではパレスチナ側からの視点で書かれているが、おそらくイスラエル側から見ても、同じような光景が描かれるのであろう。

そして戦争で犠牲になるのはいつも女性や子供たち。

当然、戦争のない世界になるのが理想なのだが、現実はそう単純ではない。

パレスチナの問題も数千年という歴史があり、複雑だ。

日本人的なヒューマニズムで見ない方が良い。

現実的な解決策を模索することであろう。

2014年9月 5日 (金)

大づかみ日本の近現代史/倉山満

Photo 世論が期待したのは青年将校である。農村出身者が多く、政党や財閥の腐敗を糾弾する彼らの不満を、荒木貞夫陸相や真崎甚三郎参謀次長らが吸収した。民政党政権で陸軍部内に権勢を振るった宇垣閥を人事で一掃した彼らは皇道派と呼ばれた。「下克上」の機運が盛り上がる。
 そして5月15日、三上卓海軍中尉らが首相官邸に乱入し、「話せばわかる」と応対する犬養を「問答無用」と射殺した(五・一五事件)。この武器を持った軍人による無抵抗の老人への凶行を、世論は賛美した。
 長い不況の中ですさんでいた国民は、景気回復と武力制裁に沸くだけでなく、暗殺をも容認し始めた。

タイトルにあるように、歴史というものを大づかみでとらえることは重要なことであろう。

五・一五事件は、1932年5月15日に日本で起きた反乱事件。

武装した大日本帝国海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した。

ところが、当時の政党政治の腐敗に対する反感から犯人の将校たちに対する助命嘆願運動が巻き起こり、将校たちへの判決は軽いものとなった。

このことが二・二六事件の陸軍将校の反乱を後押ししたと言われている。

ここから政治は腰が引けたような状態になり、あの戦争への道を歩みだす。

問題は世論であり、マスコミである。

特にマスコミの役割は重要だ。

当時から、マスコミの性質は変わっていない。

つまり、世論に同調し、世論をあおる。

客観的な、頭を冷やす、冷静な報道をするのでなく、むしろ扇動する。

そして政治もそれに動かされる。

この構図、今も全く変わっていないように感じる。

2014年9月 4日 (木)

低成長時代に業績を伸ばす社長の条件/関根威

Photo 社長にとっての仕事とは、「つくる」もので、「する」ものではありません。仕事を「する」のは社員です。社長が創造した儲かる「仕事」を与えられて「する」のが社員です。
 逆に言えば、社長が新しく儲かる「仕事」をつくらない限り、社員には「する」ことがありません。そういう会社が、今業績を悪化させているのです。

この考え方は共感できる。

中小企業は社長しだいである。

社長が寝る間も惜しんで必死に働いてやっと存続を保っている。

だから、社長の口癖は「忙しい」である。

しかし、このことに疑問を感じることがある。

社長の仕事はもっと他にあるのではないか?と。

社長の本来の仕事は、未来を見据えて、儲かる仕事をつくることではないだろうか。

その仕事をやるのが社員の仕事。

ところが社長が社員がやるべき仕事を抱え込んでしまっているので、社長は本来の仕事をやれずにいる。

まず今、自分のやっている仕事を全部社員にやらしてみてはどうだろうか。

社員は意外とやるものである。

また、逆に考えれば社長が仕事を抱え込むことによって社員の成長する機会を奪ってしまっているといえなくもない。

極論すれば、社員が少々サボっていても儲かる、そんな仕事をつくるというのが、社長のもっとも大切な仕事ではないだろうか。

2014年9月 3日 (水)

司馬遼太郎が描かなかった幕末/一坂太郎

Photo 司馬遼太郎は多くの人間が持つ出世欲、権力欲、名誉欲といったものを大いに刺激し、かきたててやまない。だからこそ、政治家や実業家に、司馬遼太郎作品はとびきり受けがいい。一方その下で支配されているはずの者たちも、小説の主人公に我を忘れてのめり込むことにより、権力を握ったかのごとく錯覚して現実逃避出来るから、一服の清涼剤として司馬遼太郎作品を読み続けるのだ。

著者は高杉晋作、吉田松陰、坂本龍馬に関する著書を多く著している。

その著者が司馬遼太郎の作品を若干批判的に書いている。

事実と違うことが書いてある。

それにより、地元で語り継がれた「本物の歴史」は掘り下げられることなく忘れ去られ、

司馬遼太郎が紡ぎ出した「英雄物語」が逆輸入され、

いつのまにか現地に伝わった話であるかのごとく都合良く喧伝されていると。

しかし、私個人としては、それほど問題視すべきだろうか、と思ってしまった。

多くの読者はそれを織り込み済みで読んでいるのではないだろうか、と。

司馬遼太郎は国民的作家と言われる。

その作品の多くは歴史上の人物を主人公にした歴史小説。

時代小説と歴史小説の違いは、前者が完全なフィクションであるのに対して、後者は事実が含まれているということ。

しかし、歴史小説といえどもノンフィクションではない。

当然、作者の創作の部分が含まれる。

特に歴史上の資料を集めても、空白になっている部分については、作者が想像力を働かせて埋める以外にない。

読む者も、それを前提に歴史小説を読むのではないだろうか。

また、司馬遼太郎も自らの著書をノンフィクションだとは言っていない。

それは代表作「竜馬がゆく」のタイトルに現れているように思う。

本当は「龍馬」であることは百も承知だったろう。

それをあえて「竜馬」と表記したのは、「この作品は事実ではない、創作上の竜馬だ」ということを暗示しているのではないかと思っている。

よく、司馬遼太郎作品の読後感として聞くのが、 「元気が出る」「勇気が湧く」「日本という国に誇りが持てる」 というもの。

でも、それはそれで良いのではないだろうか。

2014年9月 2日 (火)

会社人間の皮を脱ぎすてよ/佐藤康行

Photo 知っておいていただきたいのは、会社には一秒たりとも現状維持はない、ということです。つまり、繁栄の方向に向かっているか、衰退の方向に向かっているか、その二つに一つなのです。

「会社には一秒たりとも現状維持はない」と著者は言う。

同感である。

現状維持という言葉が出てきた時点で、その会社は衰退への道を歩み始めている。

なぜなら世の中は常に変化しているからである。

世の中、会社から言えばマーケットが常に変化している以上、会社も常に変化し続ける必要がある。

言葉を換えて言えば、会社とは変化適応業といえる。

もちろん、会社の理念は変える必要はない。

いやむしろ、理念は変えてはならない。

そうしないと、単なる根なし草になってしまう。

では何を変えるのか?

戦略であり、そこから出てくる仕事の流れ、オペレーションの部分である。

会社はこの部分を常に変えていかなければならない。

でも、これを実行している会社はどのくらいあるのだろう。

2014年9月 1日 (月)

国土と安全は経済で買える/上念司

Photo 今、支那共産党は、太平洋の半分を自国の生存権として管理下に置こうとしています。それは、日本が掲げる「自由な通商と経済活動こそが人類の発展に寄与する」という考え方とは相容れない危険な思想です。私たちが採用すべき大戦略は、この考えをある程度共有できて、共に発展しようとする国々を応援することです。その国々とは、ロシア、インド、トルコ、ベトナムといった「陸からの圧力」をかけられる国です。

著者の主張することは、

日本は、積極的に支那と戦争をする必要はない。

ひたすらアベノミクスで経済力を強化しつつ、支那を取り囲む国々と経済的な連携を強め、「静謐を保つ」ことに専念すればいい。

放っておけば支那経済は自壊する、ということ。

そのことから考えれば、今、安倍政権がすすめようとしている特定秘密保護法や集団的自衛権等の法整備やアベノミクスや地球儀外交は重要な指し手であることがわかる。

日本に必要なことは長期的視野に立った国家戦略だということであろう。

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