「待つ」ということ/鷲田清一
意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、じぶんを超えたもの、じぶんの力ではどうにもならないもの、それに対してはただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことなくただそこにじっとしているしかないもの。そういうものにふれてしまい、それでも「期待」や「希い」や「祈り」を込めなおし、幾度となくくりかえされるそれへの断念のなかでもそれを手放すことなくいること、おそらくはそこに、〈待つ〉ということがなりたつ。
今の世の中、何でもスピードが求められる。
地球の裏側の情報がすぐに伝わってくる、
郵送や訪問でしかできなかった書類のやり取りも、メールによって瞬時に行うことができる。
便利な世の中になったものだ。
早いことは良いことという価値観が蔓延しているように感じる。
逆に言えば、待つことが苦手な人が増えたのではないだろうか。
「待たない社会」、そして「待てない社会」の到来である。
しかし、待つことによってしか得られないものがある。
意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、
偶然を待つ、じぶんを超えたものにつきしたがう、
時が満ちる、機が熟すのを待つ、
そういうものが私たちの周りにはたくさんある。
これらは待つことによってしか得られないものである。
時間とどうやって付き合っていくのか、大事なテーマだと思う。
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