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2014年9月 3日 (水)

司馬遼太郎が描かなかった幕末/一坂太郎

Photo 司馬遼太郎は多くの人間が持つ出世欲、権力欲、名誉欲といったものを大いに刺激し、かきたててやまない。だからこそ、政治家や実業家に、司馬遼太郎作品はとびきり受けがいい。一方その下で支配されているはずの者たちも、小説の主人公に我を忘れてのめり込むことにより、権力を握ったかのごとく錯覚して現実逃避出来るから、一服の清涼剤として司馬遼太郎作品を読み続けるのだ。

著者は高杉晋作、吉田松陰、坂本龍馬に関する著書を多く著している。

その著者が司馬遼太郎の作品を若干批判的に書いている。

事実と違うことが書いてある。

それにより、地元で語り継がれた「本物の歴史」は掘り下げられることなく忘れ去られ、

司馬遼太郎が紡ぎ出した「英雄物語」が逆輸入され、

いつのまにか現地に伝わった話であるかのごとく都合良く喧伝されていると。

しかし、私個人としては、それほど問題視すべきだろうか、と思ってしまった。

多くの読者はそれを織り込み済みで読んでいるのではないだろうか、と。

司馬遼太郎は国民的作家と言われる。

その作品の多くは歴史上の人物を主人公にした歴史小説。

時代小説と歴史小説の違いは、前者が完全なフィクションであるのに対して、後者は事実が含まれているということ。

しかし、歴史小説といえどもノンフィクションではない。

当然、作者の創作の部分が含まれる。

特に歴史上の資料を集めても、空白になっている部分については、作者が想像力を働かせて埋める以外にない。

読む者も、それを前提に歴史小説を読むのではないだろうか。

また、司馬遼太郎も自らの著書をノンフィクションだとは言っていない。

それは代表作「竜馬がゆく」のタイトルに現れているように思う。

本当は「龍馬」であることは百も承知だったろう。

それをあえて「竜馬」と表記したのは、「この作品は事実ではない、創作上の竜馬だ」ということを暗示しているのではないかと思っている。

よく、司馬遼太郎作品の読後感として聞くのが、 「元気が出る」「勇気が湧く」「日本という国に誇りが持てる」 というもの。

でも、それはそれで良いのではないだろうか。

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