捏造だらけの中国史/黄文雄
中国のもっとも代表的な文化や中国人の性格について聞かれたら、躊躇なく「詐」の一字につきると即答するのがほとんどである。それは日本人の「誠」とはきわめて対照的である。
日本人は神代の時代から「誠」であって、いわゆる清き明るき「誠心」「至誠」に至る道徳的な徳目にもなっている。
だが、中国では五倫や五常から四維八徳に至るまで、仁や義をしきりに強調しても、この「誠」はなかった。というのは、日本人社会は古代から「誠」や「至誠」だけでも生きていくことができるが、中国社会では「詐」でないと生き残れない。「詐」が必須だからこそ、中国人は逆にこの「誠」だけを語ってきたのだ。
久しぶりに日中首脳会談が行われたことが話題になっている。
習近平氏の硬い表情が印象的だったが、その映像が放映されることを考えると、あそこで笑顔を見せることはできなかったのだろう。
今後も日中の間では様々な駆け引きが行われることが予想される。
その意味でも、上記の中国人の性格は「詐」であるとの指摘は非常に参考になる。
ではなぜ中国人は「詐」でなければ生きていくことができないのか。
それは少なくとも歴史的に見て、中華世界はいつでも華夷対立の歴史環境におかれたからだ。
その華夷という地理環境的・歴史文化的対立の中には、さらには有限資源をめぐる人間の争奪戦という歴史的環境がある。
中国では伝説や神話時代の史前だけでなく、有史以来ほとんど戦争のない年はなかった。
「兵は詐をもって立ち、利をもって動き、分合をもって変をなす」という中国の象徴的な戦略思考とは、一言でいえば相手をいかにして欺くかという手段である。
出来るのに出来ないふりをし、必要なのに不必要と見せかける。
敵の無防備なところを攻め、敵の意表をついて行動する。
もちろんそれは戦場にかぎらない。
日常生活は、人の話はまず相手の言っていることが「誠か」という懐疑からはじまり、買ったものが「ニセものではないか」と疑うことからはじまる。
「詐」の生き方でないと生き残れない国、それが中国なのである。
相手はしたたかな「詐」の国であることを日本政府はしっかりと頭に置いて交渉してほしいものだ。
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