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2015年1月の29件の記事

2015年1月31日 (土)

マッキンゼー流入社1年目問題解決の教科書/大嶋祥誉

Photo 思考を深めるという作業が、どうすればうまくできるのか。じつは、その鍵をにぎっているのは母国語の能力だと思うのです。

本書は、マッキンゼーに入社した新人が、1年目に身に付ける様々な仕事術やフレームワークについて紹介している。

ただ、読んで感じたのは、たとえばフレームワークを使うにしても、ただの物まねではあまり効果がないのではないかということ。

マッキンゼー流の「問題解決」の技術も、使いこなす前提には、言語力の深さが要求される。

なぜなら、マッキンゼーには知的レベルの高い人しか入社できないから。

それ以外の人は、入社の時点でふるい落とされる。

つまり、ある程度の知的レベルがあることを前提に訓練が与えられるのである。

一般の人は、まずは、そのための基礎力を身に付ける必要があるのではないかということが率直な感想である。

そしてそのためのカギを握っているのが日本語の能力。

日本人である私たちは日本語で考える。

日本語での語彙の豊富さがなければ、思考を深めることはできないであろう。

その意味では、幼い時から英語を習得することも、必ずしもプラス面ばかりではないということは言えるのではないだろうか。

2015年1月30日 (金)

マネジメント革命/天外伺朗

Photo かつて、元気のよかったころのソニーには、多くの格言が飛び交っていたが、その中のひとつにこんなのがあった。
──本当に面白いと思うアイディアを思いついたら、上司に内緒で物を作れ!──
「これは面白い」という感覚は、そのアイディアがユニークであればあるほど、言語で他人に伝えるのは困難だ。そんな無駄な努力をするより、内緒で物を作って、それを見せた方が早い、というのがその趣旨だ。

本書は元ソニーの社員であった著者のマネジメント論。

ソニーがおかしくなったのは、欧米の合理的経営手法を取り入れてからだと著者は主張する。

かつてのソニーには自由闊達な雰囲気があった。

技術者は、報酬など気にすることもなく、ただ技術者としてのプライドや仕事そのものの面白さに惹かれて寝る間も惜しんで働いた。

そこから多くのヒット商品が生まれた。

健全な組織というのは、上司の権威など屁とも思わない部下と、そういう元気のいい部下を頼もしく思う上司から成り立っている。

そこに見られるのは、自由に発想し、自由に行動する部下と、その部下を包容する上司との信頼関係。

合理性一辺倒では組織はおかしくなっていくということは、今のソニーを見れば明らかである。

欧米の経営手法に比べ、日本は遅れているという固定観念は、捨てる必要があるのではないだろうか。

2015年1月29日 (木)

中国目覚めた民衆/興梠一郎

Photo 中国はもはや共産党の中国ではない。表向きは鉄壁に見える一党独裁体制だが、五億人を超えるネットユーザーが生み出す世論のうねりが政権を包囲し、その支配を根底から揺るがしつつある。これからの中国を読み解くカギは、目覚めた民衆の「民意」である。

様々な問題を抱えている国、それが中国である。

そのため、中国は崩壊するという類の本はしょっちゅう出版される。

ところが、中々そうはならない。

普通の国であればとっくに崩壊しているのに、そうならないのは中国が共産党の一党独裁の国だからである。

選挙もないため、民意が政治に反映されることもない。

汚職まみれの党幹部がいても、選挙で落とすこともできない。

ところがここにきてネットユーザーによる世論のうねりが政権に影響を及ぼすようになってきているという。

ネットはどんなに規制しようとしても限界がある。

今後、ここから何が生まれるのか、注視していく必要があると思う。

2015年1月28日 (水)

巨大市場/深井律夫

Photo「サッカーで言うシュートや。日本人は、シュートを打たへんねん。打っても、めったに入らへん。組織を重視するあまり、決めたことしかできない。そしてその組織は減点主義や。あのヨーゼフを見てみい。俺たちが得点しても絶対褒めてくれへんけど、シュートを打つために、少しでも組織の枠を崩そうとすると、大騒ぎするやろ。これが日本人組織やねん。だから、どうしても、最後の一発が弱い。一人で困難な局面をドリブルで打開せなあかんときでも、組織で決めた以外のことをして責任を追及されたくないから、ついつい利他的にパスしてしまう。結果的に、誰も責任を追及されない仲良しクラブと化す。」

このセリフを読むと、先日のアジアカップでの対UAE戦敗退の場面を思い出す。

あの試合も日本は圧倒的にボールを支配しておりながら、最後のシュートが決まらず、結局PK戦で負けた。

このセリフ、日本人および日本の組織の課題を見事にいい当てている。

でも、逆に言えば、これこそ「日本人らしさ」だとも言える。

問題は「日本人らしさ」は失わず、個の力が発揮できるような組織を作り上げることではないだろうか。

難しい課題だが。

2015年1月27日 (火)

会社ごっこ/泉美木蘭

Photo 恐れるに足らん。と、いうような勢いで、返して返して返しまくって、ほとんど東京に負けそうになりながらも、最後まで欲しがりまくって怒涛の毎日にしがみつくうち……イェーイ、お見事。すべて完済とあいなったわけで。なんとかなった。なんとかしてやった。いやあ、どうなのよ、これ。私ったら、やっぱりすごいかも。

一人の田舎娘が東京でのOL生活にあこがれて、渋谷のベンチャー企業に就職。

ところがこれがとんでもない会社。

会社はすぐに立ち行かなくなり倒産。

挙句の果てに、勢いあまって起業。

女起業家として祭り上げられ、多大な借金を負う羽目に。

しかし、崖っぷちに立つと、人間強いもので、その借金を完済したというストーリー。

なんとこれは実話だというから驚きだ。

でも、この人、普通の女性にはとうてい考えられない体験をしたのだから、お金では買えないものを得たと考えてよいのではないだろうか。

2015年1月26日 (月)

ミッドウェー戦記/豊田穣

Photo 破孔のなかでは、人間が燃えていた。原形を止めているものは少なかった。人間は物体として、高熱の炉のなかで熔かされていた。ふと、橋本は真珠湾攻撃のことを想起した。おれたちはあのとき、魚雷や爆弾で、アメリカの軍艦や建物を破壊した。戦勝と武勲のかげに、どれだけ多くの人間が、〝もの〟として、消散して行ったかを考えなかった。――今までおれが考えていたのは、戦争の表側にすぎない。いまおれが見ている〝もの〟こそ戦争の本質なのだ。これからが本当の戦争なのだ――

戦艦がB17の爆撃を受けたときの艦上の状況を描いている。

非常にリアルな模写である。

でも、実際に体験したものにとっては、これでもまだ表現され切れていない部分が多いに違いない。

今、日本では集団的自衛権等の問題で、戦争が語られることが多い。

しかし、何か言葉が上滑りしている感があるのは、このリアルさが欠如しているからではないだろうか。

戦争とは悲惨で残酷なものだ。

二度と起こしたくはない。

問題は、平和を唱えていれば戦争が起こらないわけではないということである。

2015年1月25日 (日)

ミッドウェー海戦 第二部 運命の日/森史朗

Photo 赤城の錨甲板に引き返すと、支柱にロープで身体を縛りつけた青木艦長が一人で立っていた。三浦と増田の二人が交互に説得に当たった。
「艦長、いまここで死ねばあなたは軍神ですが、それでは誠のご奉公にはなりません。それよりも生き残って、これからはつぎの若い世代を育てねばなりません。指導者が死んでしまえば、だれが若い人を導いてくれるのですか」

赤城の青木艦長は艦と運命を共にした。

日本人のメンタリティーでは、これを潔いと受け止める。

しかし、これで本当に責任を取ったことになるのだろうか。

本当に責任をとる行為とは、死ぬことではなく生き続けることではないだろうか。

生きつづけ、二度と同じ失敗を繰り返さないために、敗因分析をし、対策を立てること。

これが本当の責任の取り方ではなかろうか。

もちろん、セウォル号の船長のように乗客を置き去りにして真っ先に逃げるなど論外なのだが。

リーダーシップからフォロワーシップへ/中竹竜二

Photo 私自身のスタイルを例に挙げながらスタイルの重要性を説いてみよう。まず、私のスタイルの大きな特徴は「日本一オーラのない監督」であること。これは自分でも気に入っているキャッチフレーズの一つでもある。その他、周りの期待に応えないと同時に、他人に期待しないスタンスを持っている。また、指導している選手たちを怒ることよりも、逆に私が謝ってしまう。さらに、私自身がスタイルを重視していると同様、選手たちにもスタイル確立を勧めている。

リーダーというと、一定のイメージを持ちやすい。

そして、理想のリーダー像としていつも上がるのは、歴史上の偉人。

チャーチル、ケネディ、リンカーン、ナポレオン、アレキサンダー等々。

多くの場合、彼らは強いリーダーシップを発揮している。

でも本来、リーダーシップにはいろんな型があって良いはず。

リーダーシップが他者に影響を与え一定の方向に動かすことを目的とするのであれば、それほど一定の型にこだわる必要はないはず。

むしろ、固定概念を持つことによって、自分本来の良いものを発揮できずに終わってしまうことにもなりかねない。

早大ラグビー部の監督である著者のスタイルの大きな特徴は「日本一オーラのない監督」であること、だという。

別にリーダーにオーラがある必要はないのである。

リーダーにとって大事なことは、自分のスタイルを貫くこと。

むしろ、これが大事なんだと教えられる。


2015年1月24日 (土)

ミッドウェー海戦 第一部 知略と驕慢/森史朗

Photo ミッドウェー作戦の図演資料に敵情分析があり、米海軍機パイロットの実力として、
「搭乗員の技倆は一般に低劣で、その戦力はわが海軍の六分の一、特に雷撃はほとんどできないと判断される」
 との一項がある。
 おどろくほどの見くびった評価だが、その根拠となったのは源田航空甲参謀の判断と推察される。日本機一機で十分に米軍機六機と対抗しうる――何をもってこのとほうもない優越感を抱いたかは不明だが、たしかに零式戦闘機は優秀で中国戦線では圧倒的な勝利を誇った。だが、米海軍グラマン戦闘機との本格的対戦は未知の分野である。はたして一対六の対決が互角の戦いであるのかどうか、まもなく結論が出ることであった。

戦いは油断した方が負ける。

上記抜書きを見ると、日本は明らかにアメリカを見くびっている。

真珠湾攻撃の勝利がそのようにさせたのだろうか。

そしてその代償はあまりにも大きなものとなった。

人間とはなんと愚かな存在なのだろうか。

驕慢と萎縮、これをシーソーのように行ったり来たりしている。

2015年1月23日 (金)

山本五十六(下)/阿川弘之

Photo このころには海軍部内でも、ことに少壮の士官たちの間で、もはや開戦に踏切るべき時だという空気は、かなり濃くなっていた。

日本ではカリスマ的なリーダーが意思決定して集団を動かすということはほとんどない。

ほとんどの場合、意思決定は「空気」がする。

国の行く末を決める開戦の決定も、結局のところ「空気」が行ったといってもよい。

この「空気」にはどんな強いリーダーも抗えない。

これに逆らったが最後、その人物は立ち行かなくなる。

ましてや戦前の日本。

この「空気」の存在は絶大。

日本の戦争責任があいまいになるのも、結局、「空気」がその主体だったからだろう。

これは外国人には到底理解できないことである。

2015年1月22日 (木)

山本五十六(上)/阿川弘之

Photo 山本の論旨は、
「そんな巨艦を造ったって、不沈という事はあり得ない。将来の飛行機の攻撃力は非常に増大し、砲戦が行われるより前に、空からの攻撃で撃破されるから、今後の戦闘には大戦艦は無用の長物になる」
 というのであったが、証拠を出してみろと言われれば、世界の海戦史で飛行機に沈められた戦艦は、未だ一隻も無い。山本の所論は、今でこそ当然至極のものに見えるかも知れないが、当時は少しも当然でない。一部の人には、過激で非現実的な書生論のように思われたらしかった。

この巨大戦艦建造を巡っての議論は興味深い。

この当時、積極的建造賛成論と航空主兵説が対立し、「大和」「武蔵」の建造をめぐって度々激しい口論になった。

山本の主張は、大戦艦が勝敗の優劣を決する時代は終わった、というもの。

しかし、軍中枢の判断は「世界の海戦史で飛行機に沈められた戦艦は、未だ一隻も無い」ということで、山本の意見は拒否された。

結局、巨大戦艦は建造されたわけだが、山本の主張が正しかったことは、歴史が証明している。

時代を先取りした提案や意見が「前例がない」ということで拒否されることは今でもよくある。

人間は同じことを繰り返す存在。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言ったのはドイツの名宰相ビスマルク。

本当にその通りだと思う。

2015年1月21日 (水)

人を動かせるマネジャーになれ!/ブライアン・トレーシー

Photo「上陸は失敗した。われわれの軍は撃退された。ノルマンディーに上陸することはできなかった。この作戦にともなうすべての決断において、責任はすべてこの私にある」

上記抜書きは、連合軍総司令官のドワイト・アイゼンハワー元帥が、作戦が失敗に終わったときに備えて用意しておいたメモだという。

作戦が失敗に終わったとき、マスコミに発表する内容を書いたもの。

つまり、アイゼンハワー元帥は、腹をくくって指揮を執っていたということ。

マネジャーの仕事とは、部下の能力を最大限に引き出して成果をあげること。

そのためには部下をそれこそ手足のように動かせなければならない。

でも、上司がいうようにはなかなか動かないもの。

特に、人には感情があるからやっかいだ。

だから、人を動かすとは、人に感情的な影響を与えることだともいえる。

著者も「人の能力を最大限に引き出すには、学歴や知識、経験よりも、感情的な影響を与える接し方や言動のほうが重要だ」といっている。

マネジメントはテクニカルな面だけではないということであろう。

2015年1月20日 (火)

プロフェッショナルマネジャーの仕事はたった1つ/髙木晴夫

Photo マネジメントに関しては、「経験から学ぶ」というやり方だけでは通用しません。マネジメントについての体系的な知識を学ぶ必要があります。

「場が人を育てる」とよく言われる。

経験がなくても、チャレンジングな仕事に挑戦させることによって、成長するという考え方である。

人は自分の力で壁を乗り越えたときに成長するものだ。

その意味ではこの考え方は間違っていない。

ところがマネジメントに関しては「経験から学ぶ」というやり方だけでは通用しないという。

なぜか?

マネジメントの仕事は、それまでの仕事の延長線上にないから。

それまでやってきた仕事の延長線上でのチャレンジは、それを乗り越えることによって人は成長する。

ところが、たとえば営業マンとして働いてきた人が、営業マネジャーに急に立たされ、それまでの延長線上で部下をマネジメントすると、多くの場合、失敗する。

それは営業の仕事とマネジメントの仕事は全くの別物だからである。

営業の仕事の延長線上にマネジメントの仕事はない。

多くのトップ営業マンが優れたマネジャーになれないのはそのような理由からである。

著者によると、マネジャーの本質的な仕事とは、部下たちの疑問や悩みを解決する「適切な情報を配る」ことだという。

部下たちはこのことがわかると確実にやる気になり、惜しみなく力を発揮してくれる。

そしてマネジメントについて、

①マネジメントという仕事の基本は何か

②マネジメントのどこに難しさのポイントがあるのか

③効果を上げるためにどのようなスキルが大事なのか

という3つの観点からまとめられている。

多くのマネジャーは最低限、これを知る必要があるのではないだろうか。

2015年1月19日 (月)

パワハラ防止のためのアンガーマネジメント入門/小林浩志

Photo カチンときたら、数を1から6までゆっくり数えます。なぜ6秒数えるのかというと、諸説ありますが、怒りの感情のピークは長くても6秒だといわれているからです。つまり、6秒間違うところに意識をもっていくことで、怒りに対する反応を遅らせ、衝動的な行動に至りづらくさせるのです。

今、パワハラが問題になっている。

厚労省の統計によると労働相談件数のトップが「いじめ・いやがらせ」、つまり「パワハラ」である。

パワハラは、上司が感情をコントロールできず、部下とのコミュニケーション不全が原因で起こることが少なくない。

逆に言えば、上司が感情のコントロールに長け、部下とのコミュニケーションを上手に取れれば、パワハラを防げるということ。

よく、怒ることと叱ることとは違うという。

違いのポイントは、「自分の損得のために」が「怒る」であり、「相手の成長のために」が「叱る」という行為だということ。

怒るは、自分が困りたくないから、不利益を被りたくないからという理由の自分本位型のコミュニケーションであり、

叱るは、改善提案や相手の成長を促すことが目的の相手本位型のコミュニケーション。

ところが頭では分かっていてもつい怒ってしまうのが現実である。

そして、その怒りの感情をマネジメントする手法がアンガーマネジメント。

怒りの感情を「マネジメントする」とは、「怒らなくなること」ではなく、怒りの感情と「上手に付き合う」ことを意味する。

本書ではそのための30のテクニックが紹介されている。

上記抜書きはそのなかの一つで、これならすぐにでも実行できると思ったもののひとつ。

自分に合ったものを幾つか身に付けるとよいと思う。

2015年1月18日 (日)

凡人でもエリートに勝てる人生の戦い方。/星野明宏

Photo_2「自分をプロデュースする」視点とは、「自分が所属する組織を客観的に眺め、まだ誰もやっていないこと、誰も担っていない役割を探すこと」です。

著者は自分のことを凡人だという。

では、凡人である著者がどうして世間の関心を引くような実績をあげられたのか。

それは、「自分をプロデュースする技術」を電通時代に身に付けたからだという。

「自分をプロデュースする」とは、自分の手で、ゼロから「理想の自分」をつくりあげていくこと。

ポイントは、ふたつ。

第一に、組織における自分の立ち位置を明確にして特長をつくる。

第二に、能力やスキルではなく、凡人流の発想術で勝負する。

このふたつを心がけることで、凡人のままでもエリートと勝負できる人間になれる。

この考え方、マーケティングのポジションングの考え方とよく似ている。

いわゆる、マーケティングのニッチ戦略である。

規模や能力で劣る中小企業は大企業とまともに戦ったのでは勝てない。

そこでニッチを探し、そこの資源を集中させる。

同様に凡人も組織の中でのニッチを探し、そこでどう自分の特長を生かすか考えよ、ということ。

確かに、どんな組織にも、必ず組織の役に立ち、かつ自分を最大限に活かせる立ち位置が存在するはず。

この視点、組織で生きる人間にとって大事だと思う。

2015年1月17日 (土)

「続ける」技術/石田淳

Photo 何かを続けたい人は、まず自分の「具体的な行動」そのものに着目することです。
 なぜ続かないかを、行動を分析することで明らかにし、続けるための具体的なプログラムを組み、自分の行動を変えていく。
「行動しやすくする」
 あるいは、
「行動しづらくする」
 これが継続の近道です。

「継続は力なり」という言葉が示すとおり、ダイエットもスキル習得も勉強も、重要なことは「続ける」こと。

多くのことは「続ける」ことにより獲得できる。

ところが、これがなかなかうまくいかない。

多くの場合、三日坊主で終わってしまう。

どうして続かないのか?

「継続力がないから」と、これまた元々持っている資質や根性論に終始してしまう。

しかし、本書で言っていることは「継続は科学である」ということ。

継続できないのは、そのための資質がないわけでもなく、根性がないわけでもない。

継続のコツを知らないだけ。

そしてそれには科学的な根拠がある。

それさえ知れば、誰でも「続ける」ことができる。

マネジメントスキルのひとつとして身に付けたいものである。

2015年1月16日 (金)

君よ憤怒の河を渉れ/西村寿行

Photo_2 林から降りてくる杜丘をみて、伊藤は、そのあとのことばが出なかった。杜丘はトレンチコートを着ていた。三カ月前の検事時代の杜丘は、俊鋭といわれる中にも風貌にはまるみがあった。どことはない育ちの良さを示すふくよかさがあったのだが、いまの杜丘にはそのおもかげはなかった。あれは仮面であったのかと思った。
 贅肉が落ちたのか、瘦せたのか、一本の枯木に止まった鷲に似た精悍さがあった。いや、精悍ではなくてまがまがしいするどさに、伊藤にはみえた。犯罪者はどんな大男でも小さくみえるものだが、逆に杜丘は伊藤を威圧するものを持っていた。

昨年高倉健さんが逝去したことをきっかけに何本か主演映画を観た。

その中で本書を原作にした同名映画が印象に残ったので読んでみた。

この映画、中国で文化革命後に上映され大ヒットしたという。

この小説の中で描かれている一人の男。

濡れ衣を着せられ検事の職を追われ、逃亡生活に入る。

そして逃亡しながらも真犯人を追い続ける。

この小説で表現されている男の風貌。

まさに野性そのもの。

もしかしたら、現代人が失ってしまったものかもしれない。

なぜか健さんの風貌がダブって見えた。

2015年1月15日 (木)

上杉鷹山に学ぶ 財政破たんを数う感動改革!!/本郷陽二

Photo 一九三五年にヒトラーが台頭すると、ベルサイユ条約を一方的に破棄し、再軍備開始を発表した。没収された領土を軍事力を使って取り返すと、さらにオーストリアを併合するという暴挙に出たのである。
 それでもチェンバレン首相はヒトラーの行為を黙認し続けた。このチェンバレンの弱腰な態度を見て、ヒトラーはより大胆になった。チェコスロバキアのズデーテン地方を要求したのだ。ところが、チェンバレンは、「平和を守るため」と妥協してしまったから、勢いづいたヒットラーは、ポーランドへ侵攻。さすがのチェンバレンも重い腰を上げて宣戦布告する。妥協せずに、強硬姿勢で挑んでいれば、第二次世界大戦も回避できたのではないかと評されている。

政治でも仕事でも、「妥協によって前進する」という手法を取ることがある。

誰もが妥協すればよい方向に進むのでは、と考えがちだが、残念ながらその可能性は薄い。

むしろ、妥協することで新たな問題にぶつかる事態が往々にして生まれる。

争いを避けたいという理由で妥協したとしても、根本の原因は解決していないため、結局は争いに発展する。

しかも、譲歩しても相手は満足せず、さらに譲歩し続ける相手に敬意を感じなくなり、「もっと奪ってやろう」と思いはじめることにもなる。

結果、妥協した側は更なる妥協を迫られることになる。

妥協することによって表面上は解決できたとしても、必ず問題は再燃する。

しかし、ただ単に強硬姿勢を貫くことがよいのではない。

大切なのは、根本原因を究明し、それに立ち向かうことではないだろうか。

2015年1月14日 (水)

指揮官/児島襄

Photo アイゼンハワー大将は、モンゴメリー将軍はじめ各指揮官の意見を求めたが、大将の両眼の周囲は黒ずみ、疲労しきっていた。そして、約二分間、両手を組み、眼を閉じ、祈るように沈黙したのち、決定を下した。
「諸君、私は決定を好まない。しかし、私が決定しなければならない。では……行こう、諸君」

ノルマンディ上陸を決断したときのアイゼンハワー大将の言葉。

指揮官は決断しなければならない。

軍の指揮官の場合、それによって多くの部下が死ぬ。

たとえ決断が正しくても部下が一人も死なないということはまずあり得ない。

そしてその部下一人ひとりには愛する家族がある。

その家族の幸せを奪うことになるかもしれない。

だから指揮官は、何をやっても非難される。

しかし、指揮官が絶対にやってはならないことがある。

それは決断しないこと。

何もしないこと。

あの時代、多くの指揮官がこのような葛藤の中で多くの決断をしてきた。

その重さは、今の時代に生きる私たちには計り知れないものがある。

そう考えると、今の感覚で、軽々に批判などできないと思ってしまう。

2015年1月13日 (火)

最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと/マーカス・バッキンガム

Photoすぐれたマネジャーはチェスをする

チェスの駒には、一つ一つ役割や能力の違いがある。

その一つ一つの駒を適切な場所に配置し、能力を最大限発揮させることによって勝負に勝つ。

チェスをする人にはそれが求められる。

それと同様にマネジャーにも同様のことが求められるというのである。

つまり、

第一に、キチンと人を選ぶこと

第二に、期待する仕事の内容をはっきり示すこと

第三に、褒めることと認めること

第四に、部下に気づかいを示すこと

要は、よい人選をし、期待する内容を明確に示し、よい仕事を認めて褒め、気づかいをしめすことが優れたマネジメントの4つの基本スキルだということ。

物事を本質を一言でズバリを示すことは中々できないものだ。

しかし、本書ではそれが為されている。

本書の完成度の高さはそんな所から来ていると思う。

2015年1月12日 (月)

新・金融腐蝕列島 混沌(下)/高杉良

Photo「あなた、北田を男にしてやってもらえませんか、と言われましたが、率直に言って、どういう意味ですか」
「それは言わずもがなでしょうが。察してくださいよ」
「全銀連の会長ですか」
「東亜銀行頭取にそのチャンスがめぐってきたんです。みんなその気になりますでしょうが。それが糠よろこびになろうとしとるんです。こないだの金曜日、北田は先約をキャンセルして、秘書役とわたしと三人で飲みましたが、ヤケ酒もいいところでえらい荒れて目も当てられんかったですよ。あけぼの銀行を追い出してまで、協銀さんを立ててきたのに、阿川さんはまったく人の心が分かっとらんと言っとったです」

この一連のシリーズ、振り返ってみるとポストの話ばかりである。

銀行の役員連中の話題は、誰がどのポストに就くのか、こんな話ばかり。

正直、うんざりしてしまう。

人間の名誉欲、権力欲とはかくも根深いものなのか?

組織の上層部の人間がこんなことばかりにうつつを抜かしているのであれば、組織がおかしくなってしまうのはあたりまえ。

よく、会社が潰れるのは外部要因ではなく内部要因によるというが、本当にその通りだと思う。

2015年1月11日 (日)

新・金融腐蝕列島 混沌(上)/高杉良

Photo_2「もし、協銀が合併方式を強引に押しつけてきたら降りる、と言ったのは威しでもなければ、ハッタリでもないと思います。保田のことですから、もう次のアライアンスを考えてるかもしれませんよ。協銀の大手行意識は気になる。強引にあとから割り込んでおきながら、弱者連合の東亜・あけぼのを救済してやる、という考えがちらっとでもあったら、三行統合は壊れる。少なくともあけぼのは間違いなく降りる、と言い切ってました」
 阿川が険のある三白眼で、竹中を見た。竹中は背筋がぞくっとなって、目を逸らした。
「竹中は、保田の話を丸吞みして、危機感に駆られてるようだが、あけぼのと組む相手がいるとは思えんな。結果的に救済合併になるんじゃないかと、わたしも考えんでもない。森山と宮田には、あからさまにそれを出さないように注意しといたが、竹中に対する保田の態度は個人的な感情論に過ぎんのじゃないか。遠からず、はっきりするよ」
 そうだろうか。阿川は、初心を忘れている。
 東亜とあけぼのにアプローチしたときの必死さは影をひそめ、大手行意識が頭をもたげてきた。

この「混沌編」では、銀行同士の合併をめぐるせめぎ合いが描かれている。

この当時、多くの銀行が合併・統合相手探しに奔走した。

一行だけでは生き残れないという背景があったのであろうが、当事者はどんな思いでいたのだろうか。

そもそも規模も風土も違う銀行が一緒になることがスムーズにいくとは考えにくい。

それぞれの銀行の誰がどのポストに就くのか、

そもそも誰が合併後、トップに就くのか。

多くの場合、たすき掛け人事が行われるわけだが、それとてもうまくいくことは稀。

やはり人に感情がある以上、感情的なしこりは必ず残る。

エゴ、野心、歪んだプライド、そして保身。

三行の銀行マンたちが牙を剥きだす。

だからこそ小説の題材としてはもってこいなのかもしれないが、実際にその場に置かれた当事者は大変な思いをしていたのではないだろうか。

2015年1月10日 (土)

続・金融腐蝕列島 再生(下)/高杉良

Photo「いまは非常事態なんだ。書生っぽみたいなことを言うなって。一にも回収、二にも回収。おまえ、支店長の立場がぜんぜんわかってないなぁ」
「優良取引先の口座凍結なんて、俺にはできない。銀行のあり方として、おかしいと思わないのか。自分で自分の首を絞めるようなことだろうに」

バブル崩壊後、銀行の貸し渋り、貸し剥しが社会的問題になった頃のことを思い出す。

「銀行は、晴れの日には傘を貸してくれるが、雨が降ったら傘を取り上げる」とよく言われたものだ。

原因は「銀行のミッションは何か?」ということへの自覚がなかったからではないだろうか。

銀行に限らず、すべての企業には「ミッション」がある。

「ミッション」とは「使命」であり「存在価値」である。

「わが社は何のために存在しているのか?」

この点が不明確だと、経営環境が厳しくなればどうしても利益の確保を優先させてしまう。

もちろん、利益を出さない限り、事業の発展はないわけだが、それが目的になってしまうと様々な問題が起こる。

「ゴーイングコンサーン」、「企業は永続させることが大事」だとよく言われるが、そうであるならなおさら、企業のミッションを真剣に考えるべきではないだろうか。

でもこんなことを言うとと「書生っぽい」と言われてしまうのだろうか。

2015年1月 9日 (金)

続・金融腐蝕列島 再生(上)/高杉良

Photo 杉本の腋の下を冷たい汗が流れた。掌も、汗ばんでいる。
「平成五年六月三十日に赤坂の料亭〝はせがわ〟で、北田と会食したことになってますが、事実ですか」
「なにぶんにも古いことなので、覚えてません」
「同じ平成五年七月二日に、新宿歌舞伎町の〝ろうらん〟、通称〝ノーパンしゃぶしゃぶ〟で北田をもてなしたようですが……」
「覚えてません」
「ふざけるな!」
 検事が平手でデスクを叩いて、大声で浴びせかけた。
「あなたのノートに書いてあるんですよ。北田は天地神明にかけて身に覚えはないと言ってるんだ。正直に答えなさい」

98年頃の「大蔵省接待汚職事件」を思い出す。

銀行のMOF担とよばれる行員が、大蔵官僚の接待に、歌舞伎町のノーパンしゃぶしゃぶ店を使っていた事が、マスメディアに暴露され、話題となった。

銀行も銀行だが、官僚も官僚である。

バブルに踊り、人としての正常な感覚を失ってしまっているという印象である。

本書はあくまでフィクションだが、あの頃の日本を思い出させてくれる。

バブルとは、日本という会社が放漫経営をしていた時代ともいえるのではないだろうか。

2015年1月 8日 (木)

金融腐蝕列島Ⅱ呪縛(下)/高杉良

Photo 北野がビールを飲んで、引っ張った声でつづけた。
「だけどねぇ、グローバルスタンダード、つまり市場万能主義のアメリカンスタンダード一辺倒で、いいんだろうかねぇ。日本型の年功序列主義の見直しは必要だとしても、セントラル自動車の社長さんじゃないけど、終身雇用は死守すべきだと思うんだが」
「外資系の金融機関で禄を食んでる俺が言うのも変だけど、外資系なんてろくなもんじゃないぞ。足の引っ張り合いはもの凄いし、上に対するゴマ擂りも相当なもんだよ。ゴマ擂りの度合いは、日本企業の比じゃないな。それと、稼いでも稼いでも、もっともっとっていう世界だからねぇ。収入はACBの倍以上に増えたが、まだ二年にもならないのに、ACBが懐かしいし、ACBに戻れるものなら戻りたいくらいだよ」

今、資本主義の限界が叫ばれている。

比較の問題でいえば、確かに共産主義よりは資本主義の方が良い。

でも、資本主義にも問題がたくさんある。

資本主義が拡大し続ければ結局、弱肉強食の世界になる。

更に最近は金融資本主義が世界中に拡散してきた。

そして経済はグローバル化してきた。

これにより貧富の格差はますます拡大されてきている。

では、資本主義に換わるものがあるのか?

今、このことが問われているのではないだろうか。

2015年1月 7日 (水)

金融腐蝕列島Ⅱ呪縛(上)/高杉良

Photo「大銀行のトップが、愛人の旅館の女将に貸出しをさせて、それが弱みになって、川上や小田島に乗じられる。こんな公私混同がゆるされるんですか。こんな腐り切った銀行が、存在する意義があるんですかねぇ。朝日中央銀行は保たないんじゃないんですか。銀行は社会的信用機構とか経済の血液とかいわれてるが、反社会的勢力に与するような朝日中央銀行は、淘汰されて当然と思いますが」
 北野がうつむき加減に、低い声で答えた。
「ごく一部のトップの姿勢には疑問があります。佐々木もその一人かもしれません。しかし、九九・九パーセントのACBマンは、不正を憎んでいますし、ACBの存在意義を信じています。わたしたちは、ACB再生のために身を挺して、頑張ろうと思ってます」

東京地検での検事とのやり取りの場面が印象深い。

ほとんどの社員が真面目に一生懸命働いているのに、一部の人間が不正を働いた。

ほとんどの企業不祥事はこのパターンである。

しかし、そのごく一部が問題なのである。

バブルに踊った頃、多くの金融機関がこれと似たようなことに手を染めていたのではないだろうか。

事の大小の違いはあるものの。

2015年1月 6日 (火)

金融腐蝕列島(下)/高杉良

Photo「キレ者とは思いますけど、人間性についてはちょっと……。佐藤以外にも協立銀行には掃いて捨てるほどの人材がいますよ。プロジェクト推進部長の永井なんか、佐藤の二年先輩ですけど、部下の面倒みはいいですし、上にも向かっていきますし、総合点は佐藤よりずっと上です。」

「彼は仕事はできるんですけどちょっと人望が・・・」

どの会社でも、人事のことを話したとき、よく出てくるフレーズである。

会議の場でも、飲み屋でも、これに似たことが語られる。

日本では出世するのに、能力はそれほど重要なファクターとはならない。

むしろ「彼には人望がない」という、この一言で、その人の出世の道は絶たれる。

極論すれば、ゴマすりさえしていれば、ある程度の役職まで就くことができるということ。

それによって、無能力者が組織の上位を占めようになる。

確かになにもしなくても会社が伸びていった時代であればこれでよかったのかもしれない。

しかし、今は、リスクをとってでも新しいことにチャレンジしなければ生き残っていけない時代。

その意味で日本型の人柄重視の人事は、賞味期限切れなのではないだろうか。

2015年1月 5日 (月)

金融腐蝕列島(上)/高杉良

Photo「どうかおゆるしください。これをいただいたら、わたしは組織人としてもバンカーとしても失格です。なんと言われましても、先生に出入り禁止だと言われましても、お受けするわけにはまいりません。どうかわたしの立場をご賢察ください」
「おまえ、わしに恥をかかせる気か。一度出したものを元へ戻せると思ってるのか」
「申し訳ありません」
「ふざけるな! 舐なめた真似をすると承知せんぞ!」
 竹中は耳を押さえたくなった。

今、金融機関の人事コンサルを行っているため、そのこととの関連で読んでみた。

バブル期の銀行は多くの不正融資に手を染める。

その後始末のために奔走する中堅銀行マン竹中を描いている。

上記はその中で、大物フィクサーから年始のマージャンに誘われ、その帰りがけ、百万の封筒を渡されそうになった場面。

これを受け取るのは、当然、コンプライアンス違反である。

しかし、相手が相手だけに、断るのは勇気のいること。

そして事実、多くの銀行マンが自分の懐に入れていたのであろう。

そして受け取ったが最後、ズブズブの関係になってしまう。

これは小説なので断ったことになっているが、バブル期はこのような行為が横行していたのではないだろうか。

2015年1月 4日 (日)

世界の伸びている中小・ベンチャー企業は何を考えているのか/安西洋之

Photo 若い人たちがローカルの価値の見直しや活性化に対して関心を持ちはじめているのをご存知でしょうか。日本にもある現象ですが、ヨーロッパではさらに目をひきます。(中略)
 ヨーロッパは多数の言語と文化がある社会なので、そのなかで一つのコミュニティを作り上げるのも大変だという実感を持っています。ですから、むやみやたらに「グローバル」と浮き足立つのは実践的ではないと考える人たちが増えているのです。

今はどの新聞も「グローバル」という言葉が紙面をにぎわす。

グローバルは善でローカルは悪という風潮。

そして「バスに乗り遅れるな」という感覚。

でも、本当にそうなんだろうか?

なんでもかんでもグローバル化することが本当に良いことなのか?

一歩立ち止まって考える必要があるのではないだろうか?

今、叫ばれているグローバル化の内容は、アメリカ化である。

グローバルスタンダード、イコール、アメリカンスタンダード。

でも本当にそうなってしまったら、それこそ日本が沈没する。

積極的な意味で「ローカルへの回帰」が必要になってきているような気がする。

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