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2015年2月の28件の記事

2015年2月28日 (土)

吉田松陰と久坂玄瑞/河合敦

Photo 松陰という人は、人の長所を見抜くことに天才的な能力を持っており、それを本人に知らしめてやることで、門弟たちは飛躍的にその才能を伸ばしていくことができたのである。

高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋ら、明治維新をになった多くの若者たちを輩出した松下村塾。

松陰の教え方の特徴は、長所に気づかせそれを伸ばすというもの。

これは日本の教育のスタンダードとは一線を画すものではないだろうか。

日本の教育はどちらかというと短所を克服する、いわば減点主義の教育である。

そのため、平均的な人材を輩出することはできるが、一芸に秀でたとんがった人材は中々出てこない。

しかし、世の中を変えるのはとんがった人材である。

スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツはいわば変人である。

しかし、このような人物が世の中を変える。

日本からはどうしてのような世界を変える人材が出てこないのか。

今一度、松陰に学ぶ必要があるのかもしれない。

2015年2月27日 (金)

アメリカはどれほどひどい国か/日下公人、高山正之

Photo 米中ともに、自己都合でくっついたり離れたりする国、腹黒い国であると認識することですね。

本書は、日下氏と高山氏との対談。

出版されたのが2009年。

つまり、リーマンショックの翌年。

この当時、オバマ大統領はスピーチのCDが出るなど大人気、日本企業は「バスに乗り遅れるな」と、先を争って中国に進出していた時代である。

しかし、二人の対談の主な内容は、米中に警戒せよ、というもの。

その後、アメリカではトヨタの大規模リコール問題が起こり、中国では反日デモが起こり、日本企業はどんどん中国から撤退して行った。

それを考えると、二人の指摘は見事当たっている。

表面的な情報に惑わされず、本質を見る目を養うことが必要だということであろう。

2015年2月26日 (木)

キレる女 懲りない男/黒川伊保子

Photo_2 左右の連携がいい女性脳は、目の前をつぶさに観察して、わずかな変化も見逃さない。この高い「察し」の能力によって、物言わぬ赤ん坊を無事に育て上げるのである。
 また、「感じたことが、即ことばになる」ため、今日の出来事や今の気持ちなどを、目的もなく垂れ流しあう癖があるのだが、こうして得た「とりとめのない情報」を何十年経っても瞬時に引き出す能力がある。
 この二つの特性が、見事な臨機応変力を作りだしている。(中略)
 一方、左右の連携が悪い男性脳は、目の前の些細な変化にはとんと疎いが、そのおかげで脳の局所を心置きなくフル回転させて、マニアックな機能性を発揮する。

男と女の違いは脳によるところが大きい。

これが本書で言っていること。

だから男も女も自分のモノサシで相手を見ないこと。

理解できなくて当たり前なのである。

これは非常に大事なことだと思う。

例えば、私の妻はよく長電話する。

2時間くらい、ずっと話している。

こんな芸当、私にはできない。

2分間話せば、ほとんどの要件は相手に伝わる。

だから、これ以上話しても意味がないと思ってしまうし、そもそも話し続けることなどできない。

これも脳の構造が違うからだといえばそれで良いということ。

男と女、他の生物と考えたほうがよいのかもしれない。

そう考えると気が楽だ。

理解できなくて当たり前なのだから。

2015年2月25日 (水)

世界で稼ぐ人 中国に使われる人 日本でくすぶる人/キャメル・ヤマモト

Photo 特に、「余る人」化という点で注目されるのは、「男性、大卒、正社員」の日本人である。グローバル化と情報化とフラット化の波か、日本企業の根幹部分まで押し寄せてくるとき、これまで恵まれていたこの人材区分の人たちの間から、どれだけ「全球人=稼ぐ人」が出るのか?あるいは「安い人」として生き残るのか?もし、この人材区分の人々が、アジアのもっと安いところにアウトソースされれば、「余る人」の発生源になりかねない。

今、経済はグローバル化している。

この波は、日本の多くの人材を「余る人」にしてしまう、というのが著者の主張。

そしてそうならないためには、語学と専門性を身に付ける必要があるという。

私も専門性についてはその通りだと思うのだが、語学はどうだろう。

日本にくすぶっている人はすべて「余る人」になるかというとそれも違うと思う。

日本にとどまることによって、日本独自の価値を創造し、それを世界に向けて発信するという生き方があってもよいのではないだろうか。

2015年2月24日 (火)

CIA諜報員が駆使するテクニックはビジネスに応用できる/J.C.カールソン

Ciajc 優れた諜報員は目を引く外見でなくても、人をひきつけることができる。詮索好きではないが、他人への興味は強い。やたらに陽気ではないが親しみやすい。決してひけらかしはしないが、知識が豊富なことは明らかだ。傲慢ではないが自信にあふれている。そして何より大切なことは、彼らが非常に「聞き上手」だということだ。

CIAの諜報員は世界最高の「セールスマン」だといえる。

諜報員の仕事の中でもとくに大切なのは、協力者を得ること。

敵側の関係者の中に、自分の代わりに諜報活動をしてくれる人間がどうしても必要になる。

協力者は時に誓約や義務、法律までも破らなくてはならない。友人、同僚、家族でさえ裏切ることにもなる。

諜報員は誰かを説得して、そんなことをさせなくてはならない。

一般に、CIA諜報員が新たな協力者を得る仕事は、「狙いをつける」「評価する」「人間関係を築く」「勧誘する」「実際に動いてもらう」という5つの段階に分けられる。

協力者を得る第一段階は、「狙いをつける」ということ。

そのためにはプロファイリングというスキルが必要。

そのための訓練は参考になる。

それは、対象者を遠くから観察し、対象者についての「物語」をつくってみる、というもの。

まず、誰でもよいので、対象者を決める。

そして観察する。

観察の結果、得られた情報をもとに、対象者についての「物語」をつくる。

この人は誰なのか?

どこから来たのか?

最終学歴は?

職業は?

宗教は?

所得階層は?

結婚歴は?

趣味人柄は?

社交的だろうか?

知性的か?

ユーモアのある人か?

等々、その人自身の態度と周囲の人の態度を見ていれば、遠くからでもだいたいの人となりはわかるもの。

それによって物語を作ってみるのだという。

やってみると面白いと思う。

2015年2月23日 (月)

ラクに勝ち続ける働き方/小室淑恵

Photo_2 一つの仕事を大ぐくりにとらえてすべてが非定型的で裁量が少ないと分類しがちですが、細分化してみるとその仕事を構成するパーツのうちには定型的なものや裁量の多いものが含まれています。

仕事の生産性を上げるためには、定型的で自社で裁量可能な仕事は標準化し、誰もができるようにすることが必要となる。

仕事はルーチン業務化することによって効率があがり、ミスも少なくなる。

また、それにより非定型的で創造的な仕事をする時間が生まれ、イノベーションが起こりやすくなる。

つまり、イノベーションを起こすには、その環境を整えることが必要だということ。

ところが、多くの社員に聞いてみると、自分の仕事は非定型的で裁量が少ないという答えが返ってくる。

本当にそうだろうか?

仕事を大ぐくりにとらえると非定型的な仕事に思えても、それを更に細分化してみると、そのプロセスにおいて、定型的な作業が大部分で、非定型的な作業は一部であることがわかってくるものだ。

これは実際、関与先企業でやっていて実感しているところでもある。

仕事の生産性を上げ、効率化するために、大切なポイントだと思う。

2015年2月22日 (日)

PDCAが面白いほどできる本/川原慎也

Photo_3  マネジメントは「やりくり」一般にマネジメントは「管理」と解釈されるが、わかりやすくいえば、「やりくり」だ。経営者なら経営資源のやりくりがマネジメントであり、営業マンなら時間のやりくりがマネジメントである。
「マネジメント」は通常「管理」と訳される。
しかし、日本語の「管理」という言葉には対象物をがんじがらめにするというマイナスイメージがある。
昔、「管理野球」という言葉が流行ったことがあった。
当時常勝球団だった西武ライオンズの広岡監督の手法をさしてそのように名づけたわけだが、どうしてもそのような負のイメージがある。
マネジメントとは対象物の手足を縛り、自分の思い通りに動かすことではない。
だからマネジメントを「やりくり」と訳すと、しっくりくる。
特に中小企業ではそうだ。
ヒト・モノ・カネ、すべてが十分でない中小企業では、それらの不十分な資源を「やりくり」しながら事業の目標を達成するのである。
つまり「管理職」とは「やりくりする人」である。
これこそ実態を表している言葉ではないだろうか。

2015年2月21日 (土)

集中講義!アメリカ現代思想/仲正昌樹

Photo 2001年9月11日に、ハイジャックした旅客機を世界貿易センタービルとペンタゴンに激突させるという、それまでになかったタイプのテロ攻撃が、アメリカの中心部で同時多発的に起こったことで、アメリカの政治は大混乱状態になった。「自由と平等」「正義と善」「自由と価値多元性」「自由主義と民主主義」「国内的正義とグローバルな正義」などのテーマをめぐってそれまで盛んに行なわれていた政治哲学論議は、「9・11」の圧倒的な衝撃によって完全に影を潜めてしまった。政治思想的な関心は、ポスト「9・11」のアメリカの現実政治の流れを肯定的に評価するか、否定的に評価するかの一点に集約されてしまったかのような観を呈した。

本書は、アメリカの現代思想の流れをまとめたものだが、その中でも「9・11」は大きなターニングポイントになったようだ。

これを契機にして、ブッシュ政権の内部で、軍事力に訴えてでも世界に自由民主主義を広めるのがアメリカの使命であるとする「新保守主義(ネオコン)」の人脈に属する人たちの発言力が強まった。

「西欧文明世界vs.野蛮な非西欧世界」という、善悪二項対立図式が強調されるようになった。

このことを考えると、日本においてもISによる日本人殺害は大きなターニングポイントになるかもしれない。

今後の言論界やマスコミ、政治の流れに注視してゆく必要がある。

2015年2月20日 (金)

会社の目標を絶対に達成する「仕組み」の作り方/石田淳

Photo この仕組み作りに重要なことは、「再現性」です。「いつやっても」「誰がやっても」「どこでやっても」、同じように高い成果を出すことができるのが、再現性です。

「再現性」というキーワード、仕組み作りをする場合、極めて重要だ。

企業の中に特定の人材にしかできない仕事があることは企業にとってはリスクになる。

仮にその人が会社を辞めてしまった場合、そのビジネスは立ち行かなくなる。

だから、企業は仕事の属人化を避け、仕組化を進める必要がある。

では仕組化を進めるためには何が必要か?

それはプロセスを洗い出すことである。

対象となる仕事のプロセスを行動レベルで洗い出すこと。

誰もが、同じようなプロセスを踏めば、同じような成果を上げることができるようにする。

これにより、「再現性」が可能になる。

面倒くさい作業だが、これが仕組化の第一歩だということを認識する必要がある。

2015年2月19日 (木)

仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか/相原孝夫

Photo 結局、モチベーションという言葉は、〝思考停止のキーワード〟ともいえる。便利な言葉なので、安易にその言葉に飛びつきがちなのだ。

私の経験から言っても、「モチベーション」とか「やる気」にこだわる会社ほど業績は悪い。

そのような会社は、業績が悪化すると、「やる気をだせ」、「がんばります」ということばが社内のいたるところで飛び交う。

しかし、それで業績が回復することはほとんどない。

逆に、業績の良い会社は、モチベーションに関わらず、やるべきことをやる社員がおり、それが仕組化されている。

だから「モチベーション」とか「やる気」とか「がんばる」という言葉は、「思考停止言葉」だと私は思っている。

そもそも仕事とはやる気があってもなくてもやるものだ。

「やる気が出ないからやらない」

これは仕事ではない。

モチベーションが上がらなくても一定の完成度の仕事ができる仕組みを作ること。

経営者が考えるべきことはこれではないだろうか。

2015年2月18日 (水)

「クビ!」になる人の共通点/キャメル・ヤマモト

Photo 会社にいる間に、せいぜい意味のある失敗をすることだ。成功によっては、自分が限界をさぐることはできない。
 成功とは、あなたの力の限界内で動いていることだからだ。失敗すると、自分の限界の向う側を覗くことができる。失敗を通じて、はじめて自分の殻を破って、自分の器を大きくすることができる。

十年以上前、「稼ぐ人、安い人、余る人」という同じ著者の本を読んだことがある。

その中で、日本は「余る人」になってしまっている人、又はその予備軍が多い、という記述が印象に残っている。

あれから十年以上経って、正にそのことが現実になっているように感じる。

では、「余る人」にならないためにはどうすればよいのか?

これが本書の主題である。

著者は「余る人」に積極的な意味を持たせることも大事だと述べている。

会社で「余る人」になっているということは、その組織の本流からなんらかの形で外れてしまっているから。

しかし、その時がチャンス。

その時こそ、自分を養い高める取り組みをすべし、というのである。

確かに今の時代、一生一つの会社で過ごし、定年を迎えるという生き方は少なくなってきつつある。

だったら、あらゆる機会をとらえて自分に対する投資をすべきだろう。

人生の最終章で「余る人」になってしまわないために。

2015年2月17日 (火)

組織戦略の考え方/沼上幹

Photo 創造性や戦略性を強調する政策をとろうと考えている企業も、まず自社の官僚制機構という足腰のチェックをするべきである。官僚制組織という足腰が揺らげば、どれほどきらびやかな戦略も絵に描いた餅にすぎないのであり、そもそもミスへの対処に忙しくなって、戦略を考えるヒマなどなくなってしまうのである。

官僚制組織というと、何か硬直化した融通の利かない組織、という印象があるが、それは一面しか見ていない。

決められたことを決められた手順でミスなく効率よく行うという点に関して官僚制組織は極めて優れている。

一回その手順とルールの全体プログラムを開発し、皆がその実行に慣れ親しめば、その組織は非常に複雑な作業をいとも簡単に成し遂げることができるようになる。

しかも同じ案件に関しては、常に同じ処理をしてくれるのだから、人の気まぐれに左右されることなく顧客に対して平等に信頼性高く対応することができる。

繰り返し出現する問題を解決する手順やルールがあらかじめ決められていて、各人が自分に割り振られた役柄をそれぞれきちんとこなせば、大量の複雑な仕事を驚くほど効率的に、しかも信頼性高く遂行できる。

組織をつくるメリットはここにある。

これは組織の足腰にあたる部分である。

どんなに高度なスキルを身に付けていても、足腰がしっかりしていないアスリートは優れた成績を残すことはできない。

企業もこれと同じである。

今は戦略性や創造性がなにかと強調されるが、その前提として企業の足腰をしっかりさせることが必要なのではないだろうか。

2015年2月16日 (月)

クリエイティブ喧嘩術/大友啓史

Photo アメリカは、とにかく論理やノウハウをきちんと言語化してすべての人に伝えていきます。つまり、才能や才覚というものは、一個人のなかで自然と育っていくものではなく、社会全体が育てあげるものだという認識がある。(中略)
 一方、日本は「現場で背中を見て覚えろ」という文化が、自分も含めて、未だ主流であるように思います。連綿と続いてきた職人の世界に象徴されるように、具体的に教えないことが美学とされています。だから、現場に一〇年張りついて、師匠の背中を見て覚えていく。つまり、気づく奴は気づくし、気づかない奴は気づかないでいいという文化なのです。

NHKで「ハゲタカ」や「龍馬伝」の演出をし、その後独立して映画監督となった著者。

その彼が2年間ハリウッドで映画を学んだときのこと通して、日米の違いに言及している。

一番の違いは技術やノウハウを伝える手法。

アメリカでは、ほとんどの映画作りのノウハウが言語化されているのに比較し、日本は「現場で背中を見て覚えろ」ということが主流だという。

これは映画作りだけでなく、企業内での仕事の現場でも同じ。

日本の多くの企業で技術伝承がうまくいかないのは、「仕事は盗むもの」という考え方が今だに根強いからだと考える。

確かに熟練した技能は言語化することが難しい。

しかし、多くの基本的な技能については言語化することができるはずである。

それを行わないのは単なる怠け以外の何物でもないような気がする。

日本の良いものは残しつつ、劣っているものについては固定概念にとらわれず取り入れることが必要なのではないだろうか。

2015年2月15日 (日)

レイヤー化する世界/佐々木俊尚

Photo たとえば、ふくらませた風船をイメージしてみましょう。風船のなかに入ることができれば、風船の膜が境界になって、ウチとソトができる。でも風船の表面を歩いていると想像してみてください。風船の表面は球形になっていて、ウチとソトはありません。ソトを目指してどんどん歩いて行っても、気がつけばぐるりと一周して元のところに戻ってくるだけです。これが境界のない世界。レイヤーは、こういう境界の存在しない形状をしているのです。

レイヤーは、「重ね合わせているもの」という意味。

フォトショップみたいな画像を加工するソフトウェアでよく使われていることば。

つまり、情報技術の進化によって、今や国家や国境という概念があいまいになってきている。

「自分たちこそが、同じ民族の自分たちひとりひとりが結束していることこそが、最大のよりどころなんだ」

これこそが国民国家のスタート地点だった。

国家という概念は、外に敵を作ることによって強固なものとなってきた。

さらに国民国家は「国民」がひとつであるということを維持するために、ソトに敵をつくりたがる。

「外部に敵がいる。一致団結しよう」

「国民総動員で戦わなければ、敵に侵略される」

と言い続けることで、愛国心をあおり、それによって国民国家を維持するというしくみが開発された。

つまりは国のウチとソトを厳密に分けることで、ウチの団結心を高めようと考えた。

しかし、今や、情報は全世界を駆け巡り、企業も多国籍化してきた。

もはや、内と外を明確に区別することはできなくなってきている。

これを著者はレイヤー化という。

今、世界でその変化が起きている。

これをしっかりと見極めることが必要。

もう歯車のように、自分をカチリとはめこむことのできる場所を見つけることはできない。

不安だけど、アメーバのようにくねくねと動き回りながら、自分の居場所をみつける努力を一生続けること。

未来は、このような姿になる。

これが本書のメッセージである。

非常に考えさせられる。

2015年2月14日 (土)

イシューからはじめよ/安宅和人

Photo 「理解することの本質は既知の2つ以上の情報がつながること」

本書を読んで一番印象に残ったフレーズはこれ。

読んだ瞬間、「ナルホド!」と思った。

私たちは日々多くの情報に接する。

しかし、それらがすべて自分の記憶にとどまるわけではない。

しかし、触れた瞬間、「ナルホド!」と思った情報はしっかりと記憶にとどまる。

つまりこれが「理解する」ということ。

これは脳科学的にも、マイクロレベルの神経間のつなぎ、すなわちシナプスに由来する特性として「つなぎを何度も使うとつながりが強くなる」ことが知られている、という。

たとえてみれば、紙を何度も折ると、折れ線がどんどんはっきりしてくることに似ている。

これはヘッブという人が提唱したことから「ヘッブ則」と呼ばれているという。

何度も情報のつながりを想起せざるを得ない「ナルホド!」という場面を繰り返し経験していると、その情報を忘れなくなるというのである。

「理解する」ということがやっと理解できた。

2015年2月13日 (金)

犯罪/フェルディナント・フォン・シーラッハ

Photo 銀行強盗は、かならずしも常に銀行強盗であるとはかぎらない。私たちはミハルカのなにを責めることができるだろう?私たちみんながうちに抱えていることを行動に移しただけではないだろうか?彼の立場にいたら、みんな、同じ行動を取ったのではないか?愛する者の許へ帰りたいという思いは、人間だれしも持つ憧れではないか?

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。

しかし、実際に犯罪人を見ると、その言葉はむなしく響く。

単なる理想論のようにも感じる。

ましてや、犯罪被害者には、到底受け入れがたい言葉ではないだろうか。

この短編集の著者の職業は弁護士。

そして本書に登場する多くの主人公は実際に自分が接した犯罪者。

彼らがどうして犯罪に手を染めるに至ったのか、克明にしるしている。

犯罪者も、最初から犯罪者なのではない。

あるきっかけで犯罪者になってしまうのである。

そんなことを考えさせてくれる本である。

2015年2月12日 (木)

「長生き」が地球を滅ぼす/本川達雄

Photo_2 戦後のたった六〇年間で寿命が一・六倍にもなりました。延びた部分は自然状態では見られないものであり、生物学的には積極的な意味をもたない期間です。いわば「おまけ」。そこでこの部分を「おまけの人生」と呼ぶことにしましょう。次世代の生産に当たらない年寄りが長生きすれば、子供の食糧を横取りして食いつぶし、結果として自分自身の子孫の数を減らしてしまいます。これは生物学的には大変に困ったこと。「おまけの人生」は子孫に対して「うしろめたい人生」でもあるのです。

生物学者の著者によると、多くの生物は生殖活動を終えたら死んでいくという。

つまり、生殖機能を失った生物は、生物学的には生きている意味がない。

だから死んでいく。

唯一、例外なのが人間。

人間は、子供を産み、子育てを終え、生物としての使命を終えても生き続ける。

だからそれは「おまけの人生」なのだと。

でも、これからの日本、「おまけの人生」を生きる人がどんどん増えていく。

生物学的にはあり得ないことがおこっているのだから、地球がおかしくなってもあたりまえなのかもしれない。

2015年2月11日 (水)

未来の働き方を考えよう/ちきりん

Photo 長生きの可能性が高まると、いくら貯金=ストックをもっていても不安は尽きないけれど、稼ぐ力=フローを得る力がある人は、ストック型の人より安楽に構えていることができます。いわば、「過去に貯めた資産をもつ人から、稼げる人へのパワーシフト」が起こるのです。

日本人の平均寿命が年々増えている。

男性は80歳を超え、女性は90歳に近づいている。

そして今後もこれは伸びると予想されている。

そうなってくると、長生きはリスクととらえることも必要になってくる。

長生きすると当然お金がいる。

年金財政が厳しい状態で、これ以上年金が増えることは考えられない。

だったらどうするか。

方法は二つある。

一つは、どんなに長生きしても悠悠自適な生活を送れるよう十分な貯蓄する。

もう一つは、どんなに年を取ろうが、環境が変わろうが、稼ぐ力をつけること。

著者は今後何歳まで自分が生きるか分からない今の時代では「稼ぐ力」をつけることが必要だと主張する。

100歳まで生きるかもしれない時代に、過去に貯めた資産を後生大事に握りしめ、資産が減らないか、これで十分か、と心配しながら生きる人生は、楽しいものではない。

そうではなく、組織を離れても稼げる力や、年齢を重ねても新しいものに挑戦できる好奇心や前向きな姿勢、見知らぬ人とも良好な関係を築ける人付き合いの能力などが、人生の豊かさを決めていく。

今後、人生100年の時代になれば、ストックが多いことより、その時々になんらかの価値を生み出し続ける「フローの力」の方が重要になる、と。

何れにしても、もはや一流の会社に勤めていれば一生安泰という時代は過ぎ去った。

誰もが自分なりの働き方を考えていく時代がやってきたといってよいだろう。

2015年2月10日 (火)

「レジリエンス」の鍛え方/久世浩司

Photo 経験した人であればご存じだと思いますが、失敗やミスをして一度精神的に落ち込むと、そこから元の状態に戻るだけでも難しいものです。海で渦に巻き込まれたが、何とか渦から脱出することができた。しかし次に待ち構えている挑戦は、海上まで泳いで上がることです。そのためには重力に逆らって上昇するための筋力と効率的に泳ぐためのスキルが必要となります。それが困難に立ち向かう力であり、逆境を乗り越えて再起するために重要な心理的筋肉なのです。本書で紹介しているレジリエンスの開発者である英国のイースト・ロンドン大学のイローナ・ボニウェル博士は、この筋肉を「レジリエンス・マッスル」と名付けました。

レジリエンスとは、逆境やトラブル、強いストレスに直面したときに、適応する精神力と心理的プロセス、のこと。

失敗を怖れて行動回避する癖を直し、失敗をして落ち込んだ気持ちから抜け出し、そこから目標に向かって前に進むことのできる力、それがレジリエンス。

失敗したことがないという人はいない。

もし、そのような人がいたとしたら、失敗しない程度のことにしかチャレンジしていないから。

高い壁を乗り越えようとすれば、失敗することは避けられない。

問題は、失敗を糧にして成長し続け、更に難易度の高いことに挑み続けるか、

それとも、失敗によって挫折し、二度とチャレンジしなくなってしまうかどうか、ということ。

当然、前者のような生き方をしたいものだが、そのためには「レジリエンス・マッスル」を鍛える必要がある、とのこと。

筋肉はきちんとしたメソッドのもとトレーニングすれば、誰でも鍛えることができる。

同様に、レジリエンス・マッスルを鍛えるのも、キチンとした方法論があるという。

ぜひ、身に付けたいものである。


2015年2月 9日 (月)

聖書vs.世界史/岡崎勝世

Vs ケインズは一九四六年に行った有名な講演、「人間ニュートン」で、ケンブリッジ時代のニュートンを「最後の魔術師」と呼び、「片足は中世におき片足は近代科学への途を踏んでいる」と特徴付けた。

世界史、特に西洋史や米国史はキリスト教抜きには理解できない。

世界は聖書を中心に回っているといっても過言ではない。

しかし、世界史を聖書ですべて説明しようとすると、当然そうできない部分が出てくる。

また、その中で当然、科学と宗教の問題が出てくる。

科学と宗教は矛盾するものか、統合し得るものなのか。

そのテーマについて、ニュートンについての記述は面白い。

ニュートンはキリスト教の信者であり、かつ科学者である。

彼は自分の中でどのように双方を統合していたのか。

宗教とは信仰の世界、科学は客観性を追求する世界。

その両者を統合する行為が「片足は中世におき片足は近代科学への途を踏んでいる」と特徴づけた。

非常に興味深い。

2015年2月 8日 (日)

執事だけが知っている、世界の大富豪58の習慣/新井直之

Photo お金のために働くことから解放されると、仕事ほど楽しいものはないようです。誰からも指図を受けないで、自分の思うまま仕事に没頭している大富豪たちを見ているとそのことがよくわかります。

本書は大富豪の習慣について記してあるが、共通しているのは、彼らは人生を楽しみ仕事を楽しんでいるということ。

そこにはワーク・ライフ・バランスという考え方はない。

印象としてはワークとライフの統合が為されているということ。

仕事と私生活の区別がなく、境目もあいまい。

むしろ、そのことを鼻から問題としない。

そのような特徴がある。

ただ、彼らは仕事に対してはめちゃくちゃ厳しい。

ハードな仕事の仕方をしている。

ただ、そのことを楽しめる人。

このような人が人生の成功者となれるのだろう。

2015年2月 7日 (土)

晴れの日に、傘を売る。/林秀信

Photo それまでの傘業界の営業といえば、「雨が降ったら、傘屋さんが車で運んでくる」という、非常に前近代的なスタイルでした。そんななかで僕は、「うちは、雨が降る前から運びますから」と胸を張って、他社に負けないような営業をしてきました。

「晴れの日に傘を売る」といっても別に金融機関の話ではない。

常識にとらわれず、隠れたニーズを発見することにより、ビジネスチャンスが生まれるということ。

雨の日に傘が売れる、それは当たり前の話。

だから、多くの業者はその顕在化したニーズに群がる。

そうすると競争が激化する。

しかし、もし、晴れた日にも売れる傘ができたら?

そこに新しい市場が生まれ、それを独占することができる。

常識にとらわれずに発想することがいかに大切かということを教えられる。

2015年2月 6日 (金)

住んでみた、わかった!イスラーム世界/松原直美

Photo イスラーム社会では許されない発言があります。たとえば、イスラームの教えや預言者たちの批判です。これを言うとお縄になりかねません。

今、表現の自由が問題になっている。

発端は、風刺週刊誌を発行している「シャルリー・エブド」本社に覆面をした複数の武装した犯人が襲撃し、12人を殺害した事件。

基本的に表現の自由は守られるべきである。

しかし、相手の嫌がることを何の配慮もせずに表現してもよいのか?

これには少し疑問符がつく。

例えば、今回問題となった預言者ムハンマドを題材にした風刺画。

これはイスラームの人にとっては許せない行為ではなかろうか。

暴力に訴えるのは間違っていると思うが、気持ちはよくわかる。

イスラームには他にも様々なタブーがあるという。

例えば、日本の民放テレビ局のバラエティ番組制作チームがザーイド大学へ来校したときのこと。

司会者は女子学生に、ある日本人男性お笑いタレントの容姿について感想を求めた。

しかし、UAE人は異性のことについてそれが褒め言葉であったとしても公にコメントすることはよくないと考えている。

学生たちがインタビューの質問に答えられなかったという。

これなども、明らかに相手の文化についての理解不足である。

他に、人間を動物にたとえるのも極めて失礼。

日本の動物占いはイスラーム教徒とはやらない方が無難。

同性愛に関することは冗談でも言ってはいけない、等々。

異文化、異民族の紛争が絶えない、昨今、非常に考えさせられる。

2015年2月 5日 (木)

キング牧師とマルコムX/上坂昇

Photo 前途に困難な日々が待ち受けている。しかし、わたしにとっては、どうでもよいのです。山の頂上に登ってきたのですから。もうよいのです。誰しも同じですが、わたしも長生きがしたい。長生きにはそれなりの意味があります。しかし、いまとなっては、それも気にかけていません。神のおぼしめしを行いたいだけです。神はわたしが山に登ることをお許しになった。周囲を見渡して、約束の地を見たのです。あなたたちといっしょに、そこには行けないかもしれない。しかし今晩、知ってほしい。わたしたちは一つの民として、約束の地に着くのだということを。今宵、わたしは幸せです。心配することは何もない。誰をも恐れていない。主の再臨の栄光をこの目で見たのですから。

上記は、キング牧師の最後の演説。

自らの死を予感していたのか、キング牧師は演説の最後を自分の死を予告する内容で締めくくっている。

この演説の翌日の夕方、食事に出かけようとしているとき、キング牧師はモーテルのバルコニーで狙撃された。

病院に担ぎこまれたが、間もなく息を引き取った。

39歳だったという。

キング牧師というと、

「わたしには夢がある。いつの日にか、ジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷主の子孫が、ともに兄弟愛のテーブルにつくことができるだろう、と。……」

という演説がすぐに思い出される。

キング牧師の言葉には力がある。

リーダーとは、自らが発する言葉によって、人々を感動させ鼓舞し動かすことのできる人だといえよう。

その意味でも、リーダーは言葉を持たねばならない。

2015年2月 4日 (水)

スター・ウォーズから学ぶ自分を成長させる方法/トニー野中

Photo 自動車王フォード氏はこのような言葉を残している。
「Whether you believe you can do a thing or not,you are right.(あなたができると思おうとできないと思おうと、どちらも正しい)」要するに、何ができるかは自分次第ということだ。これは、マスター・ヨーダがルークに投げかけた言葉とも重なる。

スター・ウォーズにはフォースという言葉がたびたび出てくる。

「フォースを使えば、念じたことは大小に関係なく達成できる」、とか

「フォースは悪いものを引き寄せ、その悪のパワーは強力」、とか

「フォースは他人の思考を操る力をもつ」、と。

著者によると、スター・ウォーズの生みの親であるジョージ・ルーカスは、フォースに潜在意識の意味を持たせているという。

人間であれば誰もがもつ潜在意識の秘めたる能力とその欠点を、このスペースファンタジーストーリーに潜ませて描いているのだと。

成功する人と成功しない人の差は、努力や運ではなく、潜在意識を使っているか否かだけから生じると言っても過言ではない。

人が日常的に使用する顕在意識で捉えているものを〝常識〟とすれば、潜在意識は常識以外の「目に見えないもの」、つまり〝非常識〟と捉えることもできる。

そのため、常識しか見ていない一般人と比べて、成功者ははるかに多くの情報を得ることが可能で、何事も有利に進められる、というのである。

スター・ウォーズも、シリーズの中の2作位は見たことがあるが、ストーリーの流れに沿って全巻観てみると良いのかもしれない。

中々、それだけの時間を取れないのだが。

2015年2月 3日 (火)

イスラーム国の衝撃/池内恵

Photo また、「ISIS」とするにせよ、「ISIL」とするにせよ、欧米側ではthe Islamic Stateの部分を極力発語せずに略称でのみ呼ぼうとする傾向がある。この組織が「イスラーム」を代表するものではなく、「国家」としても承認しえないという意思表明なのだろう。アラブ諸国の政府やメディアも、「イスラーム国」が「イスラーム的」でも「国家」でもないと主張するために、アラビア語の頭文字をつないだ略称「ダーイシュ(Daish)」で呼ぶことが多いが、「イスラーム国」への共鳴者はこの語を強く忌避する。

日本人がイスラム国に殺害された。

何ともやりきれない気持ちである。

そもそも、この組織を「国」と呼ぶこと自体に違和感を感じる。

この組織は到底、国家とは言えないし、また、イスラムを代表しているとも言えない。

単なるテロ組織にしか見えない。

名は体を表すという。

まず呼び名から変える必要があるのではないだろうか。

2015年2月 2日 (月)

リーダーシップからフォロワーシップへ/中竹竜二

Photo_2 私自身のスタイルを例に挙げながらスタイルの重要性を説いてみよう。まず、私のスタイルの大きな特徴は「日本一オーラのない監督」であること。これは自分でも気に入っているキャッチフレーズの一つでもある。その他、周りの期待に応えないと同時に、他人に期待しないスタンスを持っている。また、指導している選手たちを怒ることよりも、逆に私が謝ってしまう。さらに、私自身がスタイルを重視していると同様、選手たちにもスタイル確立を勧めている。

リーダーというと、一定のイメージを持ちやすい。

そして、理想のリーダー像としていつも上がるのは、歴史上の偉人。

チャーチル、ケネディ、リンカーン、ナポレオン、アレキサンダー等々。

多くの場合、彼らは強いリーダーシップを発揮している。

でも本来、リーダーシップにはいろんな型があって良いはず。

リーダーシップが他者に影響を与え一定の方向に動かすことを目的とするのであれば、それほど一定の型にこだわる必要はないはず。

むしろ、固定概念を持つことによって、自分本来の良いものを発揮できずに終わってしまうことにもなりかねない。

早大ラグビー部の監督である著者のスタイルの大きな特徴は「日本一オーラのない監督」であること、だという。

別にリーダーにオーラがある必要はないのである。

リーダーにとって大事なことは、自分のスタイルを貫くこと。

むしろ、これが大事なんだと教えられる。

2015年2月 1日 (日)

「君ならまかせて安心」と言われる仕事術/中省吾

Photo 行動記録をとりはじめると、ほとんどの人に起こる変化があります。簡単に言うと「サボったり、ダラダラしたり」することが無くなるのです。これは行動記録をとることにより、自分の行動を客観的に見つめることができるようになるためです。

本書はタスク管理の手法を中心に書かれている。

タスク管理の中心はは情報整理術と時間管理術。

情報を整理し、時間をキチンと管理することによって、仕事の効率を上げることができるというもの。

そしてタスク管理の基本は記録にあるという。

自分がどんな時間の使い方をしているのか、それを把握するために行動記録を取ると。

ほとんどの人は、これだけで、行動に変化が現れるという。

おそらく、ムダな部分が見えるようになるためであろう。

いわゆる「見える化」である。

本書に書かれていることすべてを実行することはできないとしても、行動記録を取ることくらいはやってみてもよいのではないだろうか。

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