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2015年4月の30件の記事

2015年4月30日 (木)

人の育て方/桐村晋次

Photo 松陰の歴史教育は、常に地図をそばに置いて行われた。
 村塾の授業は、毛利氏の動きを時間とともに追って、いちいち地図で検討する。
 吉川氏が単独で家康と和睦してしまったとか、小早川氏が松尾山をおりる場面になると、「君ならどういう戦法を考えるか」と質問し、その答えをめぐって全員で議論をする。松陰ひとりが指導するのでなく、その場の一人ひとりが自分の頭で考え、意見を述べ合う。

松陰の教え方の特長は、「君ならどうする?」と当事者意識を持たせて考えさせ意見交換をさせるというもの。

当事者意識をもたせ自分の頭で考えさせる

これは重要なポイントである

議論をする場合、とかく、議論のための議論になりがち

それを「君ならどうする?」と問いかけることによって責任ある議論ができるようになる。

「君ならどうする?」と問われて、十分な答えができないと、自分の勉強の足りなさがわかってくる。

自分に何が不足しているかを知ることは、自己啓発の第一歩である。

何が不足しているかを、他の人の指摘によってではなく、自分で気づくことによって、自分でその不足を補う努力をするようになる。

分析力が深まり、理解力の幅が広くなり、判断力のレベルが上がっていくのは、実はこの「自分の頭で考え、自分の意見を練り上げる」ことの積み重ねの成果である。

そしてそこで得た解は、すぐ行動につながる。

松下村塾からは多くの国を変えるために行動する人物が排出された。

おそらく松陰の教え方も重要な要因になっていたのではないだろうか。

2015年4月29日 (水)

国が溶けてゆく/林信吾

Photo ヨーロッパ統合の歴史と現実が教えてくれるものは、国境とか国土というものは、血を流し、命を賭けてでも守り抜かねばならない、といった考え方はもはや古い、ということである。むしろ、資源を共同で管理し、経済的な障壁を取り払い、国境を有名無実化し、ついには撤廃して行くことが、平和で、より豊かな社会を築く道であることは、はっきりした。

著者はユーロ容認派である。

本書もユーロを肯定する論調で述べられている。

ヨーロッパの歴史はある意味、血塗られた歴史だった。

それは、国境があるゆえの争いだった。

もし国境がなければそのような争いは起こらなかったのではないか、というのである。

ユーロによって、ナポレオンやヒトラーが、当時の世界では最高レベルの軍事力をもってして、ついになしえなかったヨーロッパ統合が、平和裏に実現した。

これは評価してもよい。

しかし、国境を有名無実化し、ついには撤廃して行くことが、平和で、より豊かな社会を築く道である、と断言してもよいものだろうか。

私はその点については懐疑的である。

2015年4月28日 (火)

悪いのは私じゃない症候群/香山リカ

Photo 攻撃は最大の防御なりとばかりに自分を守り、「悪いのは全面的にそっちだ」と他罰的に相手を攻撃する「ギスギスした職場」が、結局はすべてを崩壊させてしまう。現在の「ビジネスパーソンのうつ病」をめぐる事態は、まさに企業と労働者の〝他罰合戦〟と言えるのではないだろうか。

「悪いのは私じゃない」と必死に自分の正当性や責任のなさを強調しようとする人が増えている、と著者は言う。

そのせいで、自分も結局はさらなる窮地に陥り、「あなたのせいですよ」と責められた人との関係も悪くなる。

それが広がれば、社会全体の雰囲気も悪くなる。

いわば、世の中全体が「悪いのは私じゃない症候群」にかかってしまったかのよう。

かつて、日本人は「私が悪うございました」と何でも自分のせいにして、謝罪、おわびばかりすると言われていた。

企業の不祥事でも学校の事故でも、必ず経営者や校長らが並んで、カメラの放列の前で「申し訳ございませんでした」と深々と頭を下げる。

「社員は悪くないんです」とカメラの前で号泣した社長もいた。

しかし、これは「私が悪うございました、申し訳ありません」と一方が頭を下げると、もう一方は「まあまあ、そんなに自分を責めないで」などと、相手を大目に見て許すという相互の暗黙の約束事があったからこそ成り立ったもの。

いかにも日本的な人間関係が根底にあったような気がする。

そう考えると、今、その人間関係そのものが変わってきたといえるのかもしれない。

2015年4月27日 (月)

世界史の中の満洲帝国/宮脇淳子

Photo 歴史学は、政治学や国際関係論とは違う。歴史は、個人や国家のある行動が、道徳的に正義だったか、それとも罪悪だったかを判断する場ではない。また、それがある目的にとって都合がよかったか、それとも都合が悪かったかを判断する場でもない。私の夫の岡田英弘が『歴史とはなにか』(文春新書)で書いているように、歴史には、道徳的価値判断を介入させてはいけない。歴史は法廷ではないのである。

満洲については、正直あまりよく知らない。

せいぜい満洲事変があった地域という程度の認識である。

ところがこの地域の歴史が、国の思惑によってゆがめられてしまっているとしたら問題だ。

かつての満洲帝国の領土は、いま現在、中華人民共和国の国土である。

中国では、太古までさかのぼって、これを中国史として処理しようとする。

満洲についての客観的な歴史書が、中国において書かれる可能性は、今後ともまったくない。

いま現在、存在する国家や個人にとって都合のいいように過去を解釈しなおすのは、本当の意味での歴史ではない。

歴史とは、史料のあらゆる情報を、一貫した論理で解釈できる説明のことである。

文化の違いや個人の好みを超えて、国家の枠組みや書かれた時代を離れても、なるほどそういうことだったのかと、多数の人が納得できる普遍性をもつものが歴史なのではないだろうか。

2015年4月26日 (日)

悲しい歴史の国の韓国人/宮脇淳子

Photo 韓国のいまの反日も歴史問題から出ていることは確かですが、台頭する中国により近い自分たちは、周辺の日本よりも偉いという事大主義の側面もないとは言えません。事大主義は歴史的に古くからある体質として、いまだ逃れられない彼らコリアンの宿痾です。

少しでも権力に近い人は、権力から遠い同族に威張る。

これを事大主義という。

いまの韓国にもこの事大主義的な思考パターンが残っている、と著者はいう。

朝鮮半島は地政学的な条件によって、隣接する大国との関係のなかでの興亡という、外的要因によって国がつくられてきた歴史しかない。

朝鮮半島だけで歴史が成り立った時代は一度もなく、常にその領域も支配層も入れ替わってきたというのが朝鮮半島の歴史の真実である。

そのような歴史的な背景のもと、「反日」が国家のアイデンティティとなっているとしたら、「悲しい」という他ない。

2015年4月25日 (土)

かわいそうな歴史の国の中国人/宮脇淳子

Photo_2 中国の歴史観は独特です。すべて結果ありき、結果から過去を判断するのです。「成功したから正しい」「失敗した奴には天命がなかったのだから悪い」というわけです。
 だから、いま、中国大陸を統治している中華人民共和国の言うことはすべて正義で、戦争に負けて(中国にではなくてアメリカに負けたのですが)、大陸から追い出された日本のしたことは、すべて悪かったとされるのです。それが、中国人にとっての「正しい歴史認識」で、中国人は、日本人のように、史実を追求したい、本当のことが知りたい、というような気持ちは持ったことがありません。

今、日中間で問題になっている「歴史問題」

しかし、中国の歴史は、王朝が変わるごとに塗り替えられている。

そもそも中国共産党によって1949年に建国された中華人民共和国を「中国」といま私たちは呼んでいるが、それ以前の清朝とはまったく違う国と言っても過言ではない。

よく「中国四千年の歴史」と言うが、これは真っ赤なウソ。

中国という国が連綿と歴史と伝統を受け継いできたわけではない。

大陸では、次々と新しい一族が王朝を建てて、前の王朝の一族を滅ぼしてきた。

王朝が変われば、前の王朝の歴史は否定され、新しい王朝に都合よく歴史は塗り替えられる。

そんなことを念頭に中国の主張を聞くと、その本質と本音が見えてくるのではないだろうか。

2015年4月24日 (金)

ドラッカーが教える実践マーケティング戦略/早嶋聡史

Photo 自ら未来をつくることにはリスクをともなう。しかし、自ら未来をつくろうとしないことのほうがリスクは大きい。成功するとはかぎらない。だが、自ら未来をつくろうとせずに成功することはない。

非常に考えさせられる言葉である。

未来をつくることは確かにリスクが伴う。

未来の顧客のニーズを予測し、ターゲットを決め、商品を開発し、販売計画を立て、投資をしなければならない。

予測が外れれば、多大な損害が発生する。

しかし、未来をつくろうとしないことのほうがはるかにリスクが大きい、とドラッカーは言う。

近年のソニーなどはまさにそうなのではないだろうか。

先週の日経ビジネスでソニーの特集をやっていたが、かつてのソニーらしさが失われているというのがソニーOBの共通した見解。

自由闊達な風土は失われ、保守的になってしまったとOB達はいう。

未来をつくるには、それに挑戦する組織風土が不可欠。

今年、ソニーは人事制度を変えたという。

年功的な要素を排し、役割によって給与を決める制度だという。

マイナスに働かなければ良いのだが。

2015年4月23日 (木)

チェ・ゲバラ伝/三好徹

Photo わたしは三十九歳になった。ゲリラ戦士としての自分の将来について考えねばならぬ年齢に、容赦なく近づいている。いまのところ〝文句なし〟である。

革命家として生き続けたチェ・ゲバラ。

歴史は多くの革命家を生んだ。

多くの革命家は、いったん権力を手にすると、権力者に変貌する。

そして弾圧する側に回る。

いったん権力を手にした革命家がみずからその地位を放棄して、困苦にみちた新たな戦列に加わったという例はかつてない。

チェがそれをなした史上最初の革命家であった。

このようなまっすぐな生き様がいまだに彼の信奉者が多い理由なのかもしれない。

2015年4月22日 (水)

問題解決のジレンマ/細谷功

Photo「私自身は、顧客に問いを投げかけたり、コンサルティング課題と向き合ったりする際に、業界についての知識や経験をよりどころにした覚えはありません。むしろ正反対です。知識や経験にはまったく頼らないのです。何も知らない白紙の状態で臨みます。どの業界のどのような問題を解決するにせよ、顧客の役に立つためには、何も知らないことが最大の武器ですから」

これはドラッカーの言葉。

ドラッカーは、問題を発見するにあたって業界知識はかえって邪魔になる、という。

無知こそが最大の武器だといっている。

これは確かにその通りだと思う。

私自身、よく、顧客企業の方から「あんたどのくらいうちの業界のことを知っているの?」という疑問を投げかけられることがある。

しかし、業界知識はプラスになることもあるが、コンサルの場合、むしろマイナスに働く。

なぜなら業界知識が豊富であればあるほど、業界の常識の枠組み内でしか発想できなくなるから。

これでは問題の本質にたどり着けない。

さらに無知がポジティブに働くこともある。

決断においてリスクをとる場面がそう。

時として「知りすぎていること」は決断を鈍らせる。

リスクをとる決断は、基本的に未知の変数が多数ある場面において必要とされる。

知識が豊富であることは往々にして「できない理由」に向かっていく。

このような場面では、むしろ「知らないこと」がプラスに働く。

知識不足は、活かし方さえ心得ていれば、決して悪いことではない。

過去の経験にもとづく知識を活かすのではなく、頭のなかをまっさらな状態にして問題と向き合うことが必要ということであろう。

2015年4月21日 (火)

仕事に才能はいらない/金田博之

Photo 実は最初に任されたDM発送の仕事に手を抜かず懸命に取り組み、工夫を加え効率化したことで、私は入社1年目に「社長賞」をいただきました。「悔しい!」という気持ちが、雑用のような仕事でも、工夫しながら懸命に取り組み、付加価値をつけるという、心のもち方(マインドセット)につながったのです。

著者の言っていることは、仕事の基本さえ身体で覚えてしまえば、これといった才能や特技がなくても、会社から信頼され、より大きな仕事を与えてもらうことができる、というもの。

例えば新人の時、責任のある仕事を任せられるはずがない。

多くの場合、単純な仕事である。

しかしそこで腐ってしまっていい加減な仕事しかしないか、

それとも創意工夫して成果をあげるか、

それによってその後が決まってしまう。

著者がいう仕事の基本とは

第一に、雑用のような仕事でも、与えられた仕事には全力で取り組む

第二に、プライドを捨てあらゆる人に教えを請い、いいところを真似る

第三に、視点を変え「もっといい方法はないか」と工夫し続ける

というもの。

大事なポイントだと思う。

2015年4月20日 (月)

掟破り/原田泳幸

Photo 失敗を振り返るとき、戦略が悪かったのか、それとも実行に問題があったのかを考えます。そして、そのほとんどは実行の失敗です。つまり、どんな戦略でも、ほとんどは「○」なのです。

戦略の良し悪しが企業の業績を左右するのではなく、問題は実行力だという。

戦略の決定に時間をかけるよりも、決断した戦略をどのように確実に実行するかに力を注ぐほうが圧倒的に成功の確率は高まる。

つまり、戦略に絶対的なものを求めないで、実行に力を注いだ方が効果的だということ。
ただ実行はそんなに簡単なことではない。

組織として実行するには、各人の役割分担を明確にし、業務プロセスを明確にしなければならない。

実はこれが全く出来ていない企業が多いのが実態である。

2015年4月19日 (日)

プロファシリテーターのどんな話もまとまる技術/田村洋一

Photo 「話がまとまる」ための心構えは、「問題解決」のための心構えとは根本的に異なります。「問題解決」が厄介なものを取り除こうとするのに対して、「話がまとまる」考え方は望ましい成果を生み出そうとしているのです。これは似ているようで全く違うマインドの持ち方です。

話をまとめる技術は組織の中で仕事をする人にとっては必須のスキルだと思う。

テクニック的なものももちろんあるが、それ以上に大事なことはマインドの問題だ。

例えば会議を行うにしてもそこにはいろんな感情が行き交う。

そして話がまとまらないことの多くは感情のぶつかり合いによることが多い。

「あの言い方はなんだ」とか「あんな言い方はないだろう」といったことから会議は紛糾する。

これらをどのようにして、いい方向に持っていくのか?

ある程度場数を踏むしかないような気もするのだが。

2015年4月18日 (土)

テレビの裏側がとにかく分かる「メディアリテラシー」の教科書/長谷川豊

Photo「メディアリテラシー」。一言でいうと「メディアを一度、疑ってかかること」。
 真実を語っているのかどうか、本当かどうかをしっかりと見極める。見極めきれないなら、とにかく、全部を一度に信じ切らないこと。
 簡単なように見えて、実は多くの日本人に最も欠けている能力と言える。

そもそも客観報道なるものがあるのだろうか?

民放でニュースにスポンサーが入っている段階で「公平・公正」な訳はない。

放送局といえども民放は民間の一企業である。

民間企業はお金を儲け、その利益を株主に還元するために存在している。

お金を儲けるためには、スポンサーからの収入が重要になる。

スポンサー収入を上げるためには視聴率がネックになる。

視聴率の低い番組にスポンサーは付きにくい。

視聴率を上げるためには、視聴者に視てもらわなければならない。

公平とか公正じゃないとか関係ない。

商法の管轄下にある株式会社なのだから「売れる商品を並べる」必要がある。

そこからヤラセが生まれる。

つまり枠組みがそうなっているのだから、ヤラセがあって当たり前だといえる。

結論としてはテレビを通して垂れ流されてくる情報を鵜呑みにせず「自分の頭で考えろ」ということだと思う。

2015年4月17日 (金)

No.2理論最も大切な成功法則/西田文郎

No2「優秀なナンバー1がいるのに潰れた会社はゴマンとあるが、優秀なナンバー2がいる会社で潰れたところはほとんどない」

会社の経営で一番重要なのは実は№2だと著者は言う。

優秀な№2でまず頭に浮かぶのはホンダの藤沢武雄氏である。

経営には全く関心がなく財務諸表なども見たことがなく壮大な夢を追い続けた本田氏だけではホンダを世界的な企業に育て上げることはできなかったであろう。

ホンダ躍進の陰には藤沢氏の働きがあった。

ホンダという会社は一企業として見れば、実質「藤沢商会」だったと言う人もいるほどである。

それほど藤沢氏の経営センスは抜きん出たものだった。

立場は№2でも傑出した経営者であり、自分がトップになっても相当の実績を残したことだろう。

その人が自ら№2になろうと覚悟した。

そしてそれに徹した。

なかなかできることではない。

でも私自身がこれまで関わった企業で、このような優秀な№2の出会った経験は皆無である。

逆に言えば、それだからこそずっと中小企業でとどまっているのかもしれない。

2015年4月16日 (木)

わが友 本田宗一郎/井深大

Photo 以前、本田さんから「牛の角はどうやってついているか、知っているかい」と聞かれたことがあります。雄の牛には角がはえているということは、私でも知っていますが、角が前か耳が前かと聞かれて、私も目をシロクロさせてしまいました。本田さんは絵を描きながら、得意になって説明してくれましたが、じつは牛の角のことを知らないのは私だけでなく、ふだん牛をよく目にしている農村の若者たちでさえ「さあ、どうやってついてたかなあ」とわからないのだそうです。結局、本田さんがいろいろな人に聞いてまわったところ、ちゃんと答えられたのは、画家の人たちだけだったということでした。

普段からものをよく見ることがいかに大切かということであろう。

私たちは、目をあけてものを見ているようでいて、案外、見ていないことが多い。

これでは創意工夫などできっこない。

よく「見る」と「視る」とは違うという。

「見る」とは、ただボーッと見ること。

一方、「視る」とは、問題意識をもって細部にまで注視し全身全霊を傾けて視ること。

ここから独創的な発想が生まれる。

本書はソニーの創業者井深大氏がホンダの創業者本田宗一郎氏を偲んで記したものだが、両者に共通するのは独創性の優れた人物だったということ。

かつて、イノベーティブな企業の代名詞がソニーとホンダだった。

でも今の両社、そのDNAが薄まってしまっているのではないだろうか。

原点に立ち返る時なのかもしれない。

2015年4月15日 (水)

決断の作法/新将命

Photo 人間の精神的老化・老衰には3段階があるという話である。
 第一段階は、人の名前が覚えられない。覚えてもすぐに忘れてしまう。
 第二段階は、トイレで用を済ませた後に、チャックを閉めるのを忘れる。
 そして最終段階は、自分はこの会社にとってなくてはならない人間だと思い込む。この段階に至ったとき、人は老化・老衰の極みに達しているという。

上記抜書きは、本書で紹介されているジョークなのだが、本当にそうだと思う。

社長の仕事は決断することである。

中でも一番重要でかつ間違いやすいのは、自らの引き際の決断である。

この決断を間違ったが故に、晩節を汚した例は枚挙にいとまがない。

今は変化の激しい時代。

数年前の勝利の方程式が通用しなくなることはよくあること。

この変化について行けなくなった経営者は潔く去るべきだろう。

難しい決断だが。

2015年4月14日 (火)

「見たいテレビ」が今日もない/長谷川豊

Photo 私もテレビの世界を知る人間ですから、「ヤラセはすべてやめろ!」などとは言えません。番組をおもしろくするための演出を仮に「ヤラセ」と言うならば、バラエティ番組はすべてヤラセになってしまいます。考えてもみてください。『ほこ×たて』の撮影を全部ガチンコでやれば、予測とまったく違った結果が出ることがあるのは当然です。それは同時に、見る者にとってまったくおもしろみのないものになってしまいます。

見たいテレビがない。

本当にそう思う。

顧問先にテレビ局がある関係で、その関連番組は見るようにしているが、それがなければ、地上波はほとんど見ないと思う。

なぜそうなってしまうのか。

制作者側の作為が見えてしまっているから。

例えばドキュメンタリーといっても、当然そこにはシナリオがあり、一定の方向に結論付けるために映像が構成されている。

それがミエミエなので、見る気をなくしてしまう。

今問題となっているクローズアップ現代のヤラセ問題も氷山の一角だと思う。

報道番組も客観報道とは程遠いものとなっている。

昔はテレビの影響力は絶大だった。

しかし、今は限定的なものとなっている。

つまり裸の王様状態になってしまっているのである。

まずこのことに当事者自身が気づくことが大事なのではないだろうか。

2015年4月13日 (月)

ドキュメント パナソニック人事抗争史/岩瀬達哉

Photo 元松下電器の上席役員のひとりが、いかにも寂しげに語っていた。
「要するに、時代に対応できるトップを選べなかった時期があったということでしょう。社長になる人ですからね、それなりの見識が備わっているというのが前提の話。だけど、それがなかったらどうしようもない。彼らを選んだ時はベストだと思っていたんですから、松下電器には、そんな力しかなかったんでしょうな」

日本を代表する企業として隆盛を極め、長く世界のトップブランドとして君臨してきたパナソニック(松下電器産業)。

しかし、パナソニックは創業者松下幸之助亡き後、長い間経営不振を続けた。

何が起こっていたのか?

本書はこのことを人事抗争という側面から記している。

そしてわかったことは、経営の迷走の原因は人事の迷走にあったということ。

「何が正しいか」ではなく「誰が正しいか」を重視する風潮の蔓延。

人事も「秀でた仕事をする可能性」ではなく、「好きな人間は誰か」「好ましいか」によって決定するようになる。

これらが経営をおかしくした。

「たかが人事、されど人事」ということであろう。

2015年4月12日 (日)

「部下なし管理職」が生き残る51の方法/麻野進

51 課長は自身が直接担当する仕事を抱えながら管理者として組織の人材マネジメントをこなさなければならない。だが現実には今年度の業務目標の達成が最優先されるべきミッションである。前項の人材マネジメントは手薄になっている。
 このシチュエーションは部下なし管理職が活躍できる絶好の機会だ。課長がやりきれない組織メンバーの人材育成・モチベーション向上の役割を担うことができるのは他にいない。

多くの会社が部下なし管理職の問題を抱えている。

実際、今、人事制度改革を進めている企業も、全社員の6割が管理職である。

当然、多くの部下なし管理職が存在する。

そして、何とかして彼らの給料を下げたいというのが、会社側の本音である。

業績が悪くなれば真っ先にリストラの対象になるもの彼ら。

では、彼らは退職するまで、会社のお荷物として勤め続けるしかないのか?

本書は、そのような部下なし管理職の生き残る道を示唆している。

その中の一つは「隙間」を見つけよ、というもの。

会社の仕事には、担当がはっきり決まっていないが大事な仕事が存在する。

もしその仕事に気づき、それを行えば、部下なし管理職は存在感を示すことができる。

マーケティングにおけるポジショニングの考え方とよく似ている。

いわば、「ニッチを探せ」というわけである。

いずれにしても、何らかの形で自分の生きる道を模索していくことが部下なし管理職には求められているのではないだろうか。

2015年4月11日 (土)

使える経営学/杉野幹人

Photo 経営では、ある程度の可能性が見込める「仮説」の解決策をもとにして、とりあえず前に進んでいく必要があります。一発で答えがでることなんてないのですから。そして、あとは、前に進みながらまた考えていくのです。このため、経営学の論理には一般性に限界があったとしても、新しい局面では、経営学の論理は「仮説」として役に立つのです。

経営学は使えるのか?

これが本書のテーマである。

結論は「仮説」として使える、というもの。

新しい局面での問題解決に挑戦するときには、その局面にフィットする特殊解を一からつくり出す必要がある。

しかし、一からつくりだすのは正直大変。

その場合、経営学の論理がその特殊解の一部となり得る。

少なくとも、手掛かりがないときに、手掛かりの仮説となり得る。

仮説だからダメだったらやめればよいのである。

つまり、経営学はあくまで「仮説」だということ。

それ以上でもそれ以下でもない。

つまり経営学に唯一絶対の解を求めれはならないということ。

このことを理解した上で経営学を勉強するのであれば決して無駄にはならないということであろう。

2015年4月10日 (金)

日本企業・底力/藤田薫

Photo 能力の限界とは、自分が頭の中に勝手に「ここまで」と線引きしたもの。「ダメ」と思えば力が出ない。「できる」と思えば人は「やる」のです。
 真実とは、実にシンプルです。

私たちは無意識のうち、自分の能力に線引きをしている。

気づきの根本はこの「能力の限界を作っている『枠』」に気づくこと。

『枠』とは多くの場合、ネガティブな自己イメージ。

「刷り込み」といってもよい。

自分の能力だけではない。

すべての事柄に私たちは『枠』を作ってしまっている。

まずこの『枠』に気づくことが第一歩であろう。

2015年4月 9日 (木)

苦手なタイプを攻略するソーシャルスタイル仕事術/室伏順子

Photo 生まれ落ちたときから、人はコミュニケーションをしています、生きていくために必死に。生まれたばかりの赤ちゃんは、お腹がすいたりおむつが濡れて不快を感じると泣いたり、お母さんの眼をじっと見ておっぱいを飲んだりしますね。そしてだんだんとごきげんなときに声を発するようになり、喃語(言葉のもとになる音声)を経て、言葉を獲得していきます。その頃から成人する頃までに、人は無数のコミュニケーションをとりますが、そのコミュニケーションのうち、うまくいったもの、つまり〝自分にとっていい結果をもたらしたもの〟がその人のコミュニケーションのクセ、つまりソーシャルスタイルとして固まると言われています。

ソーシャルスタイルとは、一言でいうと「人が幼少時から長い間かけて身につけた社会に適応するためのコミュニケーションのクセ」

ソーシャルスタイルではこれを「自己主張度」と「感情表現度」の二つの軸で4つのタイプに分類する。

たとえば、自己主張度と感情表現度が両方とも低い人を「アナリティカル」

自己主張度は低いが感情表現度は高い人を「エミアブル」

自己主張度は高いが感情表現度は低い人を「ドライビング」

自己主張度と感情表現度が両方とも高い人を「エクスプレッシブ」

戦国武将に例えれば、

アナリティカルは明智光秀

エミアブルは徳川家康

ドライビングは織田信長

エクスプレッシブは豊臣秀吉

と言った具合である。

人間、4つに分類できるほど単純ではないとは思うのだが、「人と自分とは違うのだ」ということを理解させる一つのツールとしては有効ではないかと思う。

少なくとも血液型によるタイプ分けよりは信頼性は高い。

2015年4月 8日 (水)

[新訳]戦争論/クラウゼヴィッツ

Photo 戦争を、国家にとっての安全で安価で有利な政治の手段とし、兵卒や銃後の暫労を永逸に転じてくれるだろうとの輿望を担うのは、国家の最高戦争指導者である。彼(または彼ら)は、軍勢を動かすと同時に外交も考える。彼(または彼ら)には、単なる陸軍総司令官としての「軍事の天才」を超える「政治の天才」が必要だ。

戦争は目的ではなく手段。

クラウゼヴィッツはこのことを繰り返し言っている。

政治目的を達成するための最終手段が戦争である。

もし戦争を起こしたくないのであれば、戦争のことをよく知ることである。

戦争が起こる前には必ず国同士の利害対立がある。

その対立が交渉によってはどうしても合意に至らない場合、そして一方の国がそれをどうしても自国に有利な方向に持っていきたいと考えたとき、戦争という暴力行為に訴える。

前提は、暴力行為に訴えたら自国は勝てるという見込みがあること。

ある本で「外交とは後ろ手にナイフを隠し持って交渉すること」と書いてあったことを思い出す。

これが外交というものなのだろう。

日本の外交力が昔から弱いのは、この非常なリアリティの上に立てないからかもしれない。

2015年4月 7日 (火)

「なぜか成果が出てしまう人」の習慣術/土井哲、高木進吾

Photo 正面跳びのレベルを改善するか、全く新しい背面跳びを発想するか?

私が子供の頃、走り高跳びの跳び方は「ベリーロール」だった。

選手たちはみんな同じ飛び方をしており、その中で少しでも高く飛べるよう日々研鑽を積んでいた。

ところが、1968年メキシコオリンピックの時、全く違う跳び方をする選手が登場した。

ディック・フォスベリーという選手が、背中からバーを飛び越えるというアプローチを発見、導入し、優勝した。

後にこれは背面跳びと呼ばれるようになる。

人体の構造や競技の特性から見て、ベリーロールより背面跳びの方が合理的なのはあきらか。

今はこれがスタンダートになっている。

このエピソードは「改善」と「イノベーション」の違いを明確に表している。

改善とは大きな枠組みを変えることなく、その中で努力すること。

それに対して「イノベーション」とは枠組みそのものを変えてしまうこと。

日本人の苦手とすることである。

そして、これからの日本の課題になってくるのがこの「イノベーション」である。

2015年4月 6日 (月)

戦争論 まんがで読破

Photo 戦争を嫌悪するあまりに戦争そのものから目を背けないことです。
 確かに戦争は多大な命の犠牲や憎悪の連鎖を生みますが、それから目を背けていてはその原因も本質も何ひとつ理解できなくなってしまうでしょう。
 ですが、落ち着いて「戦争」を突き詰めていけば、あるひとつの定義が浮かんでくるはずです。それは戦争が「相手に自分の意志を強要するための暴力行為である」ということです。
 つまり戦争はあくまで目的のための手段なのです。そしてどちらかの目的が果たされれば戦争は終了するのです。

最近、新聞の読者投稿欄では「いつか来た道」とか「戦争の足音が聞こえる」という文面が目立つ。

二度と戦争は起こすべきではない、という思いは誰もが持っていると思う。

集団的自衛権の法整備を進めようとしている現政権も同じ思いであろう。

問題は、戦争は憲法9条を保持していれば起こらないといった単純なものではないということ。

なぜなら戦争は「相手に自分の意志を強要するための暴力行為である」から。

つまり両国との間で合意できない部分があり、一方の国が自国の意志を力づくで強要しようとしたとき戦争が起こる。

話し合って合意できるのであれば戦争は起こらない。

それでは限界があるので、戦争という暴力行為にでるのである。

その場合、憲法9条は何の意味もなさない。

むしろ大事なのは相手国に「暴力行為に訴えても勝てない」と思わせること。

論理的に考えるとこういう結論に達すると思うのだが。

2015年4月 5日 (日)

1つ3000円のガトーショコラが飛ぶように売れるワケ/氏家健治

3000 原価率から値段を決めるのは、売り手側の都合しか考えていない証拠。大切なのはお客様の満足度。極論すると、1円のモノを1万円で売って喜んでもらえるなら、お互いにとってそれに越したことはありません。

1つ3000円のガトーショコラ、正直言って高い。

しかし、これが飛ぶように売れるという。

しかも最初1000円で始めたものを値上げするたびに売り上げが加速度的に増加していったという。

これがブランドというものだろう。

「うちは中小企業だか」らといってブランドとは無関係と考える経営者が多いのだが、

むしろ、経営資源に限りのある中小企業だからこそ、ブランド化に真剣に取り組むことが必要ではないだろうか。

そして一度ブランド化したら、それにとどまることなく変わり続けることが必要だ。

エルメスもグッチも出自は馬具メーカーである。

自動車の普及による馬車の衰退をいち早く予見して、馬車で培った皮革加工技術を活かしたバッグ作りや服飾製品の製造販売へと大胆に舵を切った。

結果、21世紀まで続く名門ブランドとしての地位を確立している。

伝統を守ることは大事だが、暖簾を次世代まで受け継ぐには革新も不可欠。

老舗が老舗でいられるのは、じつは変化を恐れないから。

ブランド化と革新、これからのキーワードになってきそうである。

2015年4月 4日 (土)

ドリカム・リーディング/中島孝志

Photo 読書にはリズムとスピードがもの凄く重要だと思います。たとえば、夢中になって読んでいる本があるとしましょう。このとき、脳はハイ状態=α波がどんどん出ているはずです。脳が発想、連想、空想、妄想モードへと切り替わっている瞬間です。こういうときにアイデアが浮かぶのです。

著者は年間3000冊本を読んでいるという。

これには到底及ばないが、私も1日に1冊は読書するようにしている。

読書に要する時間は1日30分から1時間くらい。

もうこれを5年以上続けている。

きっかけは仕事でどうしても大量のインプットが必要になるから。

世にある速読法を習ったこともないが、自然に早く読むようになってしまった。

やってみてわかったのは、本はゆっくり読めば理解できるというものではないということ。

人それぞれなのだろうが、わたしの場合、熟読するとかえって理解が遅くなるようだ。

むしろ、ある程度のスピードがあったほうが理解が早くなるし、アイデアや発想も湧いてくる。

上記抜書きに書いてある通りである。

2015年4月 3日 (金)

なぜあの会社は安売りせずに利益を上げ続けているのか/松野恵介

Photo 誰もモノなんて欲しがっていないから、モノの成分や仕様なんてお客さまは知りたくない。そのモノを使えば、どんな体験ができるのか、どんなイイことがあるかを伝えないとモノは売れない

これまでの「モノ」を中心としたビジネスモデル、とは、「何を」「誰に」「いくらで」売るのかということだった。

ところが今はモノ余りの時代。

日常生活で必要なものはほとんど持っている。

よほどのことがなければ「欲しい」とはならない。

ではどうすればよいのか?

「体験」を売ることである。

「モノ」を買うことによって得られる、そこでしか得られない体験、

これがあれば売れる。

つまり従来のビジネスモデルが変わっているということ。

このことに早く気付き、仕組み化する企業が生き残るのだろう。

2015年4月 2日 (木)

土漠の花/月村了衛

Photo「君達の経験したことは公式には発表されない。もちろん自衛官による戦闘行為など一切なかった。拠点内の隊員達は皆薄々は察しているようだが、厳重な箝口令を敷いてある。君達も決して他言してはならない。隊外は無論のこと、隊内であってもだ」

ソマリアの国境付近、墜落ヘリの捜索救助にあたっていた陸上自衛隊第一空挺団の野営地に氏族間抗争で命を狙われている女性が駆け込んできた。

自衛官は人を殺せるのか?

法的には明らかな違法行為。

自衛隊は軍隊ではないのだから。

しかし彼らはこの女性を守るために命を懸ける。

壮絶な戦いの末、隊員達の大半を失いながら、やっとのこと助け出される。

しかし、彼らのやった英雄的な行為は決して公表されることはない。

今の自衛隊が置かれている中途半端な状態を考えさせられる本である。

2015年4月 1日 (水)

「孤独」が一流の男をつくる/川北義則

Photo 「孤高」という言葉がある。「他とかけ離れた立ち位置にいる」ことだが、社会とは必ずしも孤立していない。たとえば、作家の永井荷風は孤高の人だった。荷風も一人孤独死した。だが、山の中で死んだ老人とは根本的に違う。荷風は社会から孤立してはいなかった。
 それどころか、毎日のように裸のきれいな女性がいる浅草のストリップ劇場に通っていた。自分のわがまま勝手に社会と交わって生きた。荷風は、孤高だが孤立ではない。

やたらに群れたがる人がいる。

一人でいることが何か社会と孤立しているように考えるのだろうか。

しかし、人間とは所詮は一人でこの世に生を受け、一人で死んでいくもの。

基本的に孤独な存在である。

ましてや、これからは一人暮らしの人が多くなっていく。

一人でいることにもっと積極的な意味を持たせる必要がある。

一人でいても、社会的に孤立していなければ、それはむしろ自由な生き方ではないだろうか。

孤独とどう向き合うか。

それが人間の強さ、豊かさの源といえるのではないだろうか。

これからは「ひとり社会」の時代になる。

いまは家族や友人たちが当たり前のようにそばにいても、いずれ「一人暮らし」のときがくる。

そのときになってうろたえないように、いまから孤独に強くなっておくことが必要かもしれない。

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