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2015年9月の30件の記事

2015年9月30日 (水)

正しい目標管理の進め方/中嶋哲夫

Photo 職場が目指すべき成果は、その職場の存在理由によって決まってきます。つまり、存在理由をきちんと果たせたかどうかこそが、職場が成果を上げたかどうかの判断基準です。

本書は、今週行くセミナーの課題図書となっているので読んでみた。

目標管理というと成果主義とセットになっているような気がする。

90年代、成果主義を大手企業が競って導入していた時、それは目標管理を導入することと同義語であった。

ところが、目標管理を導入してそれがうまくいった企業はごく一部にしか過ぎない。

それほど目標管理は運用が難しいものなのである。

そもそも「成果とは何か」ということが問題となる。

ただ単に売上の数字を上げればよいのか?

だったら事務職はどうするのか?

そんな様々な問題が発生する。

本書では、その成果の定義を明確にしている。

成果とは「職場の存在理由を果たす」ことだと。

ということは、職場の存在理由を確かめ、それに見合った判断基準を準備することが、出発点となることになる。

この視点は非常に面白いと思った。

なぜなら、マネジメントの基本は、職場の課題を見つけ、課題解決が可能な担当者を決め、実行して、その結果を公正に評価することにあるからである。

セミナーが楽しみになってきた。

2015年9月29日 (火)

現代語訳武士道/新渡戸稲造

Photo 武士道は、語られず、書かれてもいない掟でありながら、それだけにいっそう武士たちの内面に刻み込まれ、強い行動規範として彼らを拘束した。それは、有能な者の頭脳が作り出したものでもなければ、有名な人物の生涯にもとづくものでもない。数十年、数百年におよぶ武士たちの生き方から自然に発達してきたものである。

歳を重ねてくると、自分のルーツはどこにあるのか、といったことを考えるようになる。

日本人の考え方や倫理観、発想、感受性の源はどこから来ているのか?

その意味で新渡戸稲造の著した「武士道」は様々なヒントを与えてくれる。

現代人は、もはや武士道とは関係のない生活をしているように見える。

しかし、その考え方を省みてみると、明らかに欧米人とは違うことを実感する。

「義」や「礼」といった言葉になんとなく魅かれる自分が存在する。

欧米人のようにドライにはなれない自分がいる。

おそらくそれは武士道に代表されるような日本人独自のものが心の奥深くにあるからではないだろうか。

そのことをもっと掘り下げることも必要かもしれない。

2015年9月28日 (月)

ペンタゴン式 目標達成の技術/カイゾン・コーテ

Photo ペンタゴンには、こんな言葉があります。
「呼吸を制するもの、勝負を制す」
 呼吸が短時間で高いパフォーマンスを発揮するのに「最適な」心身状態をつくることを可能にすることから、生まれた言葉です。

ペンタゴン式目標達成の技術で、真っ先に挙げられているのが「呼吸法」である。

これは意外であった。

ペンタゴンのような生死を賭けた任務を遂行するころでは、まず、「絶対目標を達成する」という「意志」や「意欲」が真っ先に来ると思っていたからである。

でも考えてみたら、心と身体とは不可分な関係にある。

身体の状態は結局は心に影響を及ぼす。

その意味では、「呼吸法」は真っ先に来る要素なのであろう。

著者によると、正しい呼吸法を身に付けている人はほとんどいないという。

特に現代人は「呼吸が浅い」という。

何と肺容量全体のわずか18%から20%しか使っていないというのである。

正しい呼吸法を身に付ける必要性を考え直させられた。

2015年9月27日 (日)

紅い白猫/松本清張

Photo_2……自分のデッサンに行詰りを感じていたぼくは、偶然の機会から平和学園を訪れ、そこに展示されたヒロシの絵を見て仰天した。ぼくは、ぜひ、その子供に会いたかった。担当の先生が上田吾一だった。ヒロシの両親に会ったところが、まもなく、ヒロシは実の子でなく、赤ん坊のときの貰子だったことが分った。ぼくはそれを聞いてヒロシを学園からおろさせ、誰にもその絵を見せない約束で金をうんと両親に与えた」

小説の主人公、原野葉子は、美術大学を卒業し新進気鋭の商業デザイナーである葛山正太郎の葛山産業美術研究所にはいる。

しかし、葛山のもとで働いている内に、彼女は葛山の人格と作品に矛盾があることに疑問を持つ。

調査をすすめるうちに、彼女は、知恵遅れのヒロシという少年と出会い、その少年がそのカギを握っていることに気づく。

自分のデザイナーとしての資質に行き詰まりを感じていた葛山は、ヒロシの描いた絵をアイデアのヒントにすることにより、一躍時代の先端を行く新進気鋭のデザイナーとしての名声を手にしたのである。

彼はそのことを秘密にするために様々な工作をし、その事実を隠そうとする。

彼女はそれを一つ一つ暴いていくといったストーリーである。

それにしてもデザイナーに代表されるクリエーターという職業、

その華々しさの裏に、才能の枯渇という恐怖といつも戦っている、極めてプレッシャーのかかる職業なのであろう。

おそらく小説家である清張も、多作であるが故に、同様のプレッシャーにいつもさらされていたのではないだろうか。

2015年9月26日 (土)

「就活」と日本社会/常見陽平

Photo どこまで平等という幻想を続けるのか。これが就活というものを通じて、我々が問いかけるものである。

就活は、日本独特のものである。

それは新卒一括採用というシステムから派生するもの。

大企業は、優秀な学生を獲得するために在学中から様々な形のアプローチを重ねる。

いわゆる青田刈りである。

国は様々な規制をかけるが、企業はその盲点をつく。

そもそも、どの企業に就職しようが個人の自由であるため、規制にも限界がある。

そんな中でいつも叫ばれるのが、平等という言葉。

しかし、「就活」という競争に平等はない。

だから、平等でないということを学生は理解し、受け入れる方が、負担は軽減されるのではないだろうか。

大学における就職指導においても、平等という幻想を上手く手放した方が学生の負荷を減らしつつ、よりマッチした職場に入社する可能性が高まると見るべきである。

平等という幻想を手放せば、学生にとっての就活も、企業にとっての採用活動も、無駄な努力を軽減することができるのではないだろうか。

もう、平等という幻想にしがみつくのはやめるべきだ。

競争が平等ではないということに気づくべきだ。

そんなことを考えさせられた。

2015年9月25日 (金)

一流の人がやる気を高める10の方法/中野ジェームズ修一

10 幸福度を高めてやる気を引き出すためには、実現する可能性が50%、実現しない可能性が50%というフィフティ・フィフティのレベルを目標にするのが最適です。

やる気を高めるための秘訣は、実現する可能性と実現しない可能性が50対50の目標を立てること。

これは目標設定の大事なポイント。

ところが、アスリートと違い、ビジネスの世界ではこれは本当に難しい。

そもそもビジネスの世界では、目標設定自体が難しい業種がある。

営業の仕事であれば目標設定は比較的容易だが、事務職などはそもそも目標設定自体が難しい。

できないことはないのだが、それにはかなりのテクニックが必要となる。

また営業マンの場合も違う問題がある。

多くの場合、目標達成と報酬がリンクしているので、その場合、営業マンは比較的達成しやすい目標を立てるのが常である。

そうでなく、上司から「この数字をやれ」と命じられることもある。

こうなると、仕組として、やる気を高める目標設定ができなくなっているともいえる。

目標を通してやる気を高めるには、この辺りの課題を整理することが大事なのではないだろうか。

2015年9月24日 (木)

この世から苦手な人がいなくなる/伊庭正康

Photo ソーシャルスタイル思考を実践するうえでは、3つのルールがあります。
①戦わない(説得しない)
②相手のルールに合わせる
③目的に誘導する
誰にでも苦手な人はいる。
しかし、ソーシャルスタイル理論を実践することによって、それを極力減らすことができる。
ポイントは、相手にとって好ましいと思える接し方をするということ。
まず人を、感情表現が大きい人、小さい人、意思表示が強い人、弱い人を軸に、4つに分類する。
この4つのタイプ別に、好ましい接し方、話し方が違うことを理解する。
そして、相手にとって好ましい接し方をするトレーニングをする。
それによって、人間関係を良好にすることができる、というもの。
人は自分は正しいと思いがち。
そのため、相手を説得しようとする。
しかし、相手を説得し変えるのはそう簡単にできるものではない。
これが人間関係を壊す。
相手を変えるのではなく、相手に合わすのである。
これによって、良い人間関係ができるのであれば、実践して損はないのではないだろうか。

2015年9月23日 (水)

聞かなかった場所/松本清張

Photo つまり、ぼくにはこれ以上失うところはないわけだ。……ところがだ。ぼくが君を脅迫罪で告訴したら、君は役人をしていられなくなる。裁判で判決があるまでは首はつながっているだろうが、係長の椅子からはすぐ転落さ。いや、その前に週刊誌などが書き立てる。君は役所にいられなくなる。君は、長年お世話になった役所や上司の顔に泥を塗ったままではいたくないだろうからな」

この小説の主人公、浅井は農林省課長補佐。

彼は神戸の出張先の宴席の最中、妻の急死を知らされる。

妻は外出先で心臓麻痺を起し、代々木の化粧品店に倒れこみ、医者が駆けつけた時には息絶えたという。

その死因に疑問を持った浅井は、その真相を探るために動き回り、ついに妻が不倫の現場で亡くなったことを突き止める。

そして不倫の相手の男を問い詰めた所、逆に脅されてしまい、正気を失って相手を殺してしまう。

つまり前半では被害者として描かれていた主人公が、後半は加害者となり捜査におびえる男として描かれている。

その中で、その行動の根底にあるのが小利口だが小心者で保身に走る役人の性分である。

浅井は、役人に共通する心理として本省の名誉と、自分のかち得た地位の保持に執着し、かつ、小心であった。

それに対する防衛心が思ってもみなかった犯罪を誘発した。

最後はその小心の故に自ら墓穴を掘ってしまう。

役人の行動特性・思考特性を念頭にこの小説を読んでみると非常に面白い。

2015年9月22日 (火)

メガヒットはたった7つのキーワードで生まれる/新井庸志

7 現場が示すものは〝今〟だけではない。〝未来〟も映し出してくれる。

マーケティングというと、様々なデータを分析して、未来を予想するというイメージがある。

しかし、データとはあくまで過去のものである。

過去起こったことを数値化したものがデータである。

更にデータにはそれほどの独自性はない。

そのため、過去データをもとにしたマーケティングでは、どこも同じような答えになってしまう。

それではオリジナリティは生まれない。

著者が何よりも重視しているのは「現場」だという。

例えば、マクドナルドが今のような状態になるずっと前に、現場を見ればそのことは予測できたという。

これから景気がよくなるかどうか、それは経済指標を見るよりも、タクシーの運転手に聞いた方がよくわかる。

現場を見る目をどのように養うか。

これはマーケティングに限らず、全ての仕事に当てはまるのではないだろうか。

2015年9月21日 (月)

未来のことは未来の私にまかせよう/黒木奈々

Photo 今は目の前にある現実に一歩一歩取り組んでいく。きっと結果はついてくる。
「生きてさえいればなんとかなる。今やるべきことは今の私が全力で取り組んでいく。その先の未来のことは未来の私にまかせる……」
 ドイツのまきちゃんの言葉を思い出した。
 そうだ、未来のことは未来の私にまかせて、私は今できることをやり続けるしかないのだ。

一昨日、黒木奈々さんが死去した。

それで改めて本書を読んでみた。

享年32歳。

若すぎる。

まだまだやりたいことがあったろうに。

さぞかし無念だったろうと思う。

ご冥福をお祈りします。

2015年9月20日 (日)

危険な斜面/松本清張

Photo 男というものは、絶えず急な斜面に立っている。爪を立てて、上にのぼって行くか、下に転落するかである。不安定な位置だった。社会の、あらゆる階層のたいていの男がそうだった。

この小説は、女を自らの出世のために利用するだけ利用し、挙句の果て殺してしまう男の物語である。

印象に残ったのは「男というものは、絶えず急な斜面に立っている」というフレーズ。

でも、これ、今の日本の男にも言えるのだろうか?

この小説が書かれた時代の日本は、高度成長期である。

多くの男は、上を目指していた。

上に登ろうとして、中には危険をおかしてしまう者もいた。

そんな男は足を踏み外して転落する。

こんな時代背景があった。

しかし、現代はどうだろう?

多くの日本人には、今、上昇志向はない。

ギラギラしたものがなくなってしまった。

それが今の日本ではないだろうか。

2015年9月19日 (土)

プレゼンスのつくり方/クリスティ・ヘッジス

Photo 言葉には力があります。自信と情熱に満ち溢れ、真のプレゼンスに裏づけられていれば、言葉は人を変えることができます。

「プレゼンス」日本語に訳せば「存在感」

特にリーダーにはこれはどうしても必要なものであろう。

そしてプレゼンスを高めるには言葉が重要。

プレゼンスは、総合的なコミュニケーションの仕方によって伝わる。

その一部は、その人選ぶ言葉。

言葉を通じてインスピレーションを与えるというのは、未来図を描くということ。

この本で「リーダーは未来を描く」というフレーズがあり、非常に印象に残っている。

優れたリーダーは言葉によってプレゼンスを高めてきた。

ジョン・F・ケネディ、キング牧師、最近ではスティーブ・ジョブズ、いずれも印象に残る言葉を残している。

リーダーは言葉によってインスピレーションを与える。

インスピレーショナルな言葉は、私たちをもっと大きな目標へと向かわせてくれる。

小さくまとまっていたのでは、インスピレーションを与えることはできない。

日本人のもっとも苦手な分野である。

2015年9月18日 (金)

ハーバード流キャリア・チェンジ術/ハーミニア・イバーラ

Photo「考えてから行動する」「計画して実行する」といった順序は合理的だとされている。だが人の学ぶ過程を研究した結果によれば、キャリア・チェンジのような大きな変化ではむしろ順序が逆になる。

本書でキャリア・チェンジについて一貫して語られているのは「行動してから考えよ」ということ。

新しい可能性を見いだす過程では、自己認識を修正せざるを得なくなる。

だが自分を見つめたり抽象的に考えたりしても実際にはアイデンティティーは確立されない。

アイデンティティーは「行動して学ぶ」という混乱した試行錯誤を繰り返して確立されるものだからである。

何が妥当で好ましいかを認識するのに役立つのは、ずっと以前の経験ではなく今この場の経験である。

自分を形作る過程は一生続く。

どんな人になりたいか。

どんな道のりが一番すばらしいか。

その道を進みやすくするにはほかに何が必要か。

こうしたことを知るには行動を起こすしかない。

行動してから自らを省みる、これを繰り返すことにより、アイデンティティーは確立される。

確かに自分の経験に照らし合わしても、天職する度に新たな自分を発見できた部分がある。

この著者の主張、自分の経験とも合致する。

2015年9月17日 (木)

ひきこもり500人のドアを開けた!/宮淑子

500 家族療法の治療で一番大切な点は、症状を持っている本人だけが悪いのではなくて、家族全員にそれぞれ責任があることを、たがいに心から認め合うことである。そして、そこに辿り着いて初めて、家族の「心底からの変化」が始まるのだが、そこまで持って行くために、水野は面接を繰り返すのである。

今、引きこもりは社会的な問題となっている。

この場合、どうしてもその原因を探りたくなるものだが、原因究明は必ずしも良い方向に向かわない。

なぜなら、このような問題の原因は、様々なことが複雑に絡み合っており、一つだけに集約することが難しいから。

そして、これをやろうとすると、どうしても犯人捜しになってしまうから。

犯人捜しは必ず「自分は悪くない」「悪いのは相手」ということになり、家族の人間関係は益々悪化する。

これが引きこもっている本人にも影響し、状況は益々悪化する。

自分は正しい、間違っているのは相手だと、相手を責めてきた家族同士の、その絡んだ糸を解いていくのはそう簡単ではない。

この問題、専門家の介入がどうしても必要なのではないだろうか。

2015年9月16日 (水)

要領よく出世する人/村上賀厚

Photo_2 日本では、競争という言葉を聞くとこのようにネガティブにとらえる人が多いのですが、要領よく出世する人たちは、その競争社会のよさをよく知っており、自分や自分の部下がどこでどのような競争をすればいいのかを、しっかりと認識しています。

「要領よく出世する人」というと、「イヤな奴」という感覚が強い。

上司におべっかを使い、その場その場を要領よく立ち回るお調子者、そんなイメージである。

特に日本人的なメンタリティーでは、拒否反応を示す人が多いのではないだろうか。

しかし、冷静に考えてみて、単に要領がいいだけで出世できるのであろうか。

上司もバカではない。

表面的な要領よさはすぐに見抜かれるものである。

出世する人はそれなりの理由がある。

そして出世できない人にも、やはりそれなりの理由があるものである。

おそらく要領よく出世する人とは、会社という組織の中での自分を立ち位置をよく理解し、自分の役割を全うしている人であろう。

だから、評価され出世する、というのが本当のところではないだろうか。

そして出世できないのは自分中心で周りがよく見えていない。

自己主張ばかりで、自分が何を求められているのか、よくわかっていない。

そんな人ではないだろうか。

その意味で、負け犬の遠吠え、をしている人は意外と多いのではないだろうか。

2015年9月15日 (火)

一生食っていくための「士業」の営業術/原尚美

Photo オオカミやライオンという「儲けてナンボ」の異業種に豊かな牧草地帯の存在を気づかれていないうちは、柵の外に出て「おいしい牧草」を食べることもできていました。しかし今や、オオカミやライオンが柵のすぐ外にまで迫っていて、一歩でも外に出ようものなら襲われてしまう。仕方なく、柵の中で牧草を食べるしかない……。
 品種改良したり、新しく種をまいたりという努力をせず、柵の中の牧草を食べているうちに、次第に牧草は生えてこなくなる。豊かな牧草が生えてこないと嘆いている。
 ……今、士業はこのような状況に置かれていると思うのです。

士業とは、弁護士、税理士、司法書士、社労士など、「士」が名称の最後につく資格のこと。

過去、これらの資格さえとれば、一生安泰という時代があった。

特に弁護士などはそうだと思う。

ところが、今は国家資格では最難関と言われる弁護士さえも、食っていけない人たちが増えてきている。

いわゆる「資格はとったんだけれども・・・」といった状態。

私は社労士という資格を所持しているが、確かに私の周りの同業者を見ていても、開業したもののうまくいかず、食うや食わずの生活を余技なくされている人は多い。

幸い私自身は現在お金に困ってはいない。

なぜかというと、私がやっている仕事で、社労士の資格がなければできない、いわゆる独占業務に属する仕事は絶対の1割にも満たないから。

大部分は、別に社労士の資格がなくてもできる仕事をやっている。

つまり、上記の例で言えば、「柵の外」で最初から勝負している。

だから将来、仮に社労士の独占業務がなくなったとしても全く困らない。

今や士業は淘汰の時代を迎えたといって過言ではないだろう。

私個人としては面白い時代がやっていきたと思っている。

2015年9月14日 (月)

日本の「運命」について語ろう/浅田次郎

Photo 歴史と史実は違います。歴史とはその国の人々の共通の記憶。つまり起こった事実の 捉え方ですから、客観的な事実、史実による議論を期待するのは難しい。

確かに、同じ出来事でも国によってとらえ方が違う。

それは歴史には様々な見方があるからであろう。

伊藤博文や豊臣秀吉は日本では偉人だが、韓国では悪の象徴である。

しかし、事実そのものを捻じ曲げることはどうだろう。

中国との間の南京大虐殺や韓国との間の従軍慰安婦の問題など、まず事実はどうだったのか、ということが問題となる。

捏造までその国の歴史観の一部ととらえていいものか、少し疑問が残る。

ただ、いずれにしても、歴史と史実とは違う、という考え方、非常に面白い。

2015年9月13日 (日)

脳地図を書き換える/生田哲

Photo_2 最近、発表された多くの研究によって、脳の構造そのものが生活習慣によって変化するだけでなく、毎日、脳内で神経細胞が誕生しているという衝撃の事実が明らかとなった。

一昔前、脳は成人してからは日々脳細胞は死んでいっており、一度死んだ脳細胞は復活することはないと言われていた。

ところが最近の研究によると何歳になっても脳細胞が誕生するというのである。

そして、頭を良くするための特効薬はエクササイズ。

例えば毎日ジョギングするだけで、脳内で神経細胞が誕生し知能が高まるというのである。
このことはヒトでもネズミでも証明されている。

例えば、ある研究所は、ネズミの研究を通して「エクササイズによって回転の速い脳ができる」という理論を発表した。

その研究所で行なわれたモリスの水迷路実験で、あるグループのネズミの成績が別のグループより格段に優れていることが確認された。

賢いネズミとふつうのネズミの違いは、ズバリ、「エクササイズ」

賢いネズミは、回転する車輪のあるカゴで飼われていた「エクササイズするネズミ」だったというのだ。

毎日のエクササイズは体を鍛えるだけでなく脳を鍛えることにもつながるというのは新しい発見だ。

2015年9月12日 (土)

国家と秘密隠される公文書/久保亨、瀬畑源

Photo 日本の安全保障に関するもので行政が秘匿する必要があると判断した情報を「特定秘密」に指定し、その漏洩に対しては最高で懲役10年という重い罰則を科すことができる特定秘密保護法は、2013年12月6日、自民、公明両党による強行採決によって成立しました。

本書は特定秘密保護法反対の立場で書かれている。

要は、内閣をトップとする行政が、「秘密保護」を名目に政策の決定過程やそれに関わる個々の責任を明らかにせず、国民にとって重要な情報を秘匿していくならば、政治権力は際限なく暴走する、という主張。

近現代日本の歴史でいえば、その結果もたらされたのが、無謀かつ悲惨な戦争。

さらに、薬害エイズや水俣病の惨禍、

さらには福島第一原発事故などで露呈された国民の安全と健康を顧みない行政。

これらのことが例としてあげられている。

ただ、これらの主張、かなり一方的である。

特に秘密指定について、日本が中国より酷いと主張するのはもはや悪意すら感じる。

確かに国家が情報を隠匿するという事実は過去にもあったし、これからも起こるのであろう。

ただし、国家には秘密にしなければならない情報があるのもまた事実である。

問題は、それまでは何が守られるべき情報であり、何年経ったらその特定情報を公開するのかというルールが明確でなかったということ。

その意味では特定秘密保護法はそのための第一歩になるのではないかと考える。

それにしても、いつも気になるのはマスコミや野党、そして学者が「強行採決」という言葉を盛んに使うこと。

民主主義のルールは議論を尽くして、あとは多数決で決めるというもの。

ところが多数決で決めると「強行採決」と非難する。

おそらく来週もこの「強行採決」という言葉がマスコミを中心に飛び交うことであろう。

正直、ウンザリである。

2015年9月11日 (金)

現代語訳 論語と算盤/渋沢栄一

Photo わたしは、常に「士魂商才」――武士の精神と、商人の才覚とをあわせ持つ、ということを提唱している。

渋沢栄一が大蔵省で手掛けた仕事は、大蔵省の機構改革から始まって、全国測量、度量衡の改正、租税制度の改正、貨幣制度改革、藩札の処理、会社の起業規則の制定と、多岐にわたっている。

退官後は第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わっている。

正にスーパーマンのような活躍だが、その彼は「士魂商才」を提唱している。

これは渋沢の「和魂漢才」を基にした造語である。

まず「和魂漢才」とは、次のような意味になる。

日本人たるもの、何より日本に特有のヤマト魂というものを基盤としなければならない。

しかし中国は国も古いし、文化もはやくに開けて孔子や孟子のような聖人・賢者を出しているため、政治方面、文学方面他において日本より一日の長がある。

それゆえ、中国の文化遺産や学問もあわせて修得して、才能を養わなければならない。

というもの。

「士魂商才」というのも同じような意味で、人の世の中で自立していくためには武士のような精神が必要である。

しかし武士のような精神ばかりに偏って「商才」がなければ、経済の上からも自滅を招くようになる。

だから「士魂」とともに「商才」がなければならない、と。

「士魂商才」という精神、現代の経営者にこそ必要なものではないだろうか。

2015年9月10日 (木)

亡国の集団的自衛権/柳澤協二

Photo この新たな展開を踏まえて、私は、どう答えていくか、迷いました。行きついた結論は、それでも物事の本質は変わらない、ということでした。それは、説得力のない政策は必ず破綻するという単純な真理です。

著者は集団的自衛権否定論者。

今回の安保法案についても反対の立場を取っている。

ただ、本書を読んでみると論理の飛躍やこじつけが目立ち、説得力に欠ける。

過去、日米安保の時も、戦争に巻き込まれるとマスコミや国民は反対した。

しかし、戦後70年経った今、むしろ日米安保があったからこそ日本は戦争に巻き込まれず平和を享受できたのだということがよくわかる。

結局、今回の安保法案も、歴史が証明する、ということになるのではないだろうか。

2015年9月 9日 (水)

日本人の9割が思い違いをしている問題にあえて白黒つけてみた/武田邦彦

Photo_2 肥満度の指標にはBMIというのを使う。体重(キログラム)を身長(メートル)で二回割った数値だ。たとえば、体重が70キロで、身長が1メートル70センチの人は、BMIが「24」になり肥満でも痩せでもない。
 この人がメタボを気にして体重を61キロまで落とすと、痩せることができるが、ガンにかかる可能性は14%も増える。反対においしいものをたっぷり食べ、ビールを飲み87キロまで体重が増えたとしても発がん率は変わらない。

メタボ検診が一般化し、肥満は体に悪いという認識が広がっている。

しかし、本当にそうなのだろうか。

そもそも日本人の肥満率は世界の標準よりはかなり低い。

10年以上まえ、ロシアに行ったとき、中年女性の尋常ではない大木のような胴回りに唖然とさせられたことを思いだす。

そして科学的なデータによると、小太りの方が長生きするそうだ。

むしろ、痩せすぎるとガンのリスクが増大する。

そう考えると、メタボ検診そのものがある業界団体の利益のためにあると考えても過言ではないような気がする。

2015年9月 8日 (火)

社長は君のどこを見て評価を決めているのか?/松本順市

Photo 経営者が幹部にする社員の第一条件として考えているのは、自分と価値観が合っているかどうかです。価値観が合わない部下は、たとえどれだけ能力が高くても、成果を上げていても、幹部にはしません。

中小企業の場合、必ずしも優秀な人が幹部になるとは限らないと著者が言っているが、その通りだと思う。

そもそも中小企業に優秀な人材は入らない。

そこそこの人材をなんとかやりくりして業績を上げようとしているというのが現実である。

いわばどんぐりの背比べ状態。

そんな中で社長と価値観を異にする社員が入ってくると、どうなるか?

まず、社員の中で排除の力が働く。

それはその社員がどんなに成果を上げても同じ。

それを見ている社長の評価は「困ったやつ」というもの。

これはレッテル張りだとは思うのだが、中小企業の場合、このような状態になるとまず出世できない。

少なくとも幹部には決してなれない。

良きにつけ悪しきにつけ、中小企業とはこのようなものだと理解すべきだろう。

2015年9月 7日 (月)

刑事失格/太田忠司

Photo「私は、警官になんかなるべきじゃなかったんです」
 私が言うと、二本目の煙草に火をつけていた係長は一服吸ってから言った。
「警官になるべき人間なんて、いやしないさ。しかし、誰かが警官をやらなきゃならないんだよ」

この小説の主人公は警官としてはあまりにも繊細で優しすぎる。

非情になれない。

そして過去を引きずっている。

もし、警官としての適性検査があるとすれば、明らかに「不向き」となるような人物である。

しかし、世の中、職業選択において明らかにミスマッチと思える人たちが多く存在する。

内気で口下手な営業マンなどはそうであろう。

ところが面白いことにそのような人がその職業に幅を持たせている。

「刑事失格」というタイトルにはそのような意味が含まれているような気がする。

2015年9月 6日 (日)

大局を読むための世界の近現代史/長谷川慶太郎

Photo 日英同盟は日本が一等国になるための大きな足がかりとなりました。ところがこの同盟は、イギリス側の強い不信感により、第一次世界大戦後に破棄されてしまいます。そのきっかけとなったのが、第一次世界大戦における派兵問題でした。

歴史は知恵や教訓であふれている。

今起こっていることは、過去にも同じようなことが起こっている。

歴史を学ぶことを通して、今、目の前に起こっていることについて正しい考えを持つことができるようになる。

例えば、1923年の日英同盟破棄の問題。

もし、この同盟が破棄されなければ、おそらく日本は大東亜戦争でアメリカと戦うことはなかったであろう。

では、どうして日英同盟が破棄されるに至ったのか?

それは第一次世界大戦にさかのぼる。

ヨーロッパで戦局が泥沼化し、イギリスは周辺諸国や同盟国に助けを求めた。

このとき、イギリスの同盟国だったポルトガルは、開戦時から貫いていた中立の立場を捨て、ドイツに宣戦布告する。

ところが日本は、日英同盟で多大な恩恵を受けておきながら、結局最後まで派兵要請に応じなかった。

結局、こうした日本側の姿勢がイギリスの不信を招き、1923年、期限満了による「日英同盟破棄」へと至った。

当時の基軸通貨国であるイギリスとの同盟が破棄されたことで、日本は国際社会から孤立の道を歩んでいく。

これは当時の日本政府及び軍部が、日英同盟の重要性をよく認識していなかったことが招いた〝悲劇〟ともいえる。

いま、同じ基軸通貨国であるアメリカとの関係を遮断するということは、日本が再び同じ過ちをおかすことにほかならない。

そのような観点で今回の安保法案を考えるべきではないだろうか。

2015年9月 5日 (土)

中国 無秩序の末路/富坂聰

Photo いまや世界が中国の観光客を奪い合う時代を迎え、都会では洗練された中国人が増えている。だが、やはり石を除けた下からハサミムシやゲジゲジが這い出てくるような世界は依然として大陸には厳然と存在している。中国という深い壺のなかでは、いくら上から水を撒いても、下の層までは決して届かない。そんな世界が失われることはないのだ。

私たちはマスコミを通して中国の現状を知る。

しかし、そこで伝えられるのは表面的なものに過ぎない。

いま目に映る中国という社会の表皮を一枚剝がしたとき、想像を絶する異世界がそこに現出する。

そんなディープな中国こそ、本当の中国である。

そして、この国を〝治める〟という視点に立つならば、彼らの存在は人口の点から見ても果てしなく重みを増す。

お荷物ではあっても、彼らを無視して中国を考えることはできない。

そしてそれこそが中国共産党の悩みなのである。

中国ではいま、社会に絶望した人間が「最後に社会に対して一生分の憎しみをぶつけて」死ぬといった〝報復社会〟を動機とした犯罪が増えている、という。

彼らは一線を踏み越えることに罪の意識を覚えない。

そして何より当局を困らせているのが、罰を恐れないということ。

つまり、刑罰の抑止力が通用しない社会なのである。

更に最近、株価の下落など、負の要素が表面化してきた。

今後、この国はどこへ向かっていくのだろうか?

注視していく必要がある。

2015年9月 4日 (金)

「怒らない」選択法、「怒る」技術/苫米地英人

Photo_2 そう。すべては言葉なのです。
 思考を続けるためのエネルギーも、勇気を振り絞るためのパワーもすべては言葉から生まれます。良い言葉を使えば、良い力が生まれるのです。

私たちの情動は、自分の予想していなかったことが起きた時に発生する。

その予想外の出来事が自分にとって好ましいものであれば喜びになるし、好ましくなければ怒りや悲しみになる。

喜びの時には素直に喜べばよい。

悲しみの時には悲しみ泣けばよい。

しかし、怒りの時にはそういうわけにはいかない。

怒りをそのままぶちまけたとき、当然自分に対する周囲の目も変わってくるし、また自分自身も感情的になり、冷静な思考ができなくなる。

だからどうしても怒りを抑えることになる。

問題はここ。

自分は正しいのに怒ることができない、

このジレンマこそが、怒りに関する最大の悩みである。

そもそも怒りは、それをもたらした相手をぶちのめしたときはじめて解消される。

ではそのためにはどうすればよいのか。

怒りを言語化する技術を身に付けること。

そもそも言語野は脳の中でも大きな領域を占めている。

言葉を使うこと自体、脳全体を活性化させるにはもってこい。

その上、思考を言語化することで、情動優先だった脳を論理的思考へ移行させることも可能になる。

しかもそこで使う言葉は、できる限り丁寧であることが重要。

怒りが高まったら、高まった分だけ、言葉も丁寧にする。

それによって、前頭前野はより良い方向に活性化していき、怒りの現場での勝利をもたらす。

怒りに全身を震わせながらも、自分に不利になる行動だけはしない。

これが怒りの現場を勝ち抜く方法。

確かに、その通りなのだろうが、これを身に付けるにはかなりハードルが高そう。

でも、やってみる価値はありそうだ。

2015年9月 3日 (木)

伊藤真の民法入門

Photo 民法の中でよく使う条文は、50もないくらいかもしれません。1年もたってしまえば、重要な条文はたとえば709条というと「ああ、不法行為の損害賠償の条文だ」とか、703条というと「ああこれは不当利得の条文だ」ぐらいはすぐにピンとくるようになります。

2か月前、祖母が死去し、その遺産相続について兄弟間で争いが起こっている。

骨肉の争いという言葉はよく聞くが、間近で見るとほとほとイヤになる。

そんな関係で民法の入門書を読んでみた。

読んでみて感じたのは、法律家ではなくても最低限の民法の知識は必要だということ。

これによって無用な争いを未然に防ぐことができる。

また知らないが故に法律を犯してしまうこともなくなるであろう。

今回のことを通してその思いを新たにした。

2015年9月 2日 (水)

なぜか結果を出す人の理由/野村克也

Photo_2 世の中には「多くの時間をかけて短所を直すより、長所をどんどん伸ばすほうが効率的でよりよい結果につながる」とか「短所を無理に直そうとすると、かえって長所を殺ぐことになりかねない」といった指導法を信じている人たちがたくさんいる。だが私は、それはウソだと思っている。少なくとも、野村再生工場の信条は、その反対だ。「長所を伸ばすためには短所を鍛えろ」と私は考えている。

この野村氏の言葉は意外だった。

野村氏の手法はてっきり長所を伸ばす指導法だと思っていた。

だから、野村再生工場といわれたのだと勝手に思い込んでいた。

しかし、実際には長所を伸ばすには、それを阻んでいる短所を鍛える必要があるという。

考えてみるとそれは一理ある。

人間は、せっかく長所があっても、短所がその長所の邪魔をしてしまうものだ。

人の性分でいえば、その人の中に、いい性格の部分と悪い性格の部分があると、せっかくいい性格を持っていても悪い性格が邪魔して、いい性格まで消えてしまうのだ。

そして仕事においても、それは同じだ。

せっかくいい仕事をしても、ただの1ヶ所の欠陥が全体を価値を損ねてしまうことはよくある。

短所にはキチンと目を向ける必要があるということであろう。

2015年9月 1日 (火)

大衆の反逆/オルテガ・イ・ガセット

Photo 人間の生がとりうる最も矛盾した形態は「慢心しきったお坊ちゃん」という形である。だからこそ、そうしたタイプの人間が時代の支配的人間像になった時には、警鐘をならし、生が衰退の危機に瀕していること、つまり、死の一歩手前にあることを知らさなければならないのである。

本書は、80年以上前に書かれた本である。

しかし、ここで書かれているのは今日的課題である。

「慢心しきったお坊ちゃん」と、オルテガが警鐘を鳴らす人間と社会の大衆化現象がもっとも顕著に見られるのが、実は今日の日本ではないだろうか。

今年は、大東亜戦争を終えてから70年目にあたる。

この間日本は、誰も予想しえなかった飛躍をとげた。

経済・技術面で瞬く間に先進国と肩を並べ、国際社会へも参入するようになった。

これを可能にしたのは、例外的と言うべき70年におよぶ平和国家としての歩みと民族的な特質としての勤勉さに負うところが大きい。

しかしその間に、人間としての自覚と歴史に対する意識がどのくらい働いていたのだろうか。

日本人として失ってきたものがあるのではないだろうか。

戦後70年を夢中で走り通してきた日本は、立ち止まってみると、個人も社会も、オルテガが言う「慢心しきったお坊ちゃん」になりきってしまっているのではなかろうか。

その結果が、今日の政治、社会、文化等の諸面に現われているように思える。

今一度立ち止まって生き方を考える時にきているような気がする。

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