逆説の日本史〈1〉古代黎明編/井沢元彦
言うまでもなく聖徳太子が「和を以もって貴とうとしと為なせ」と命じたから、「わ(和)」が日本人の原理になったのではない。そうではなくて、これは古代から、それこそ「日本」という名すらなかった頃からの「環」の住民たちが、基本原理としてきたことなのである。だからこそ聖徳太子は、自らは仏教信者でありながら、日本人全体にさとすべき言葉としては、まず「和を大切にせよ」と言ったのである。
最近、気になっていることがある。
それは「日本人とは何か?」ということ。
様々な事象を省みるにつけ、日本人の特殊性に突き当たる。
おそらくそれは太古の神話の時代から連綿と受け継がれている「何か」があるからであろう。
その「何か」を探るために、井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズを読んでみることにした。
この巻で井沢氏は、日本人の行動を拘束する原理は「和」である、と述べている。
この国では、和が最も大切である。
人々が和を大切にして話し合えば、どんなことでも、おのずから道理にかない、うまくいくと思っている。
「話せばわかる」という、この「話し合い至上主義」も、その源流となっているのは「和」の原理である。
つまり「和」は古代から現代に至るまで、日本人を拘束する原理であるということ。
それは出雲の神話にも、現代の永田町の政治状況にも、影響を与えている。
「和」こそ、日本人の行動を解くキーワードといってよいのだろう。
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