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2015年10月26日 (月)

逆説の日本史〈10〉戦国覇王編/井沢元彦

10 信長は本来寛容な、別の言葉で言えば「優柔不断な男」であった。「源頼朝」ではなく「足利尊氏」なのである。特に、身内に対しては「甘え」ともいうべき、強い信頼感を抱いている。たとえば弟信行にしても、一度は許している。それを殺したのは、彼が改心せずにさらに反乱を企てているとわかったからだ。しかし、平和な江戸時代ですら、反乱者の息子は殺されるのが普通なのに、信長は家臣として働かせているのだ。

信長は本来寛容な男であったという記述は意外に思える。

しかし、信長の言動を粒さに調べてみると、そのことは頷ける。

例えば、信長は、本願寺側の先制攻撃や奇襲攻撃を受けても本願寺側が講和を求めてきた時は、必ずこれに応じている。

むしろ自ら申し込んだ講和を破って、常に信長を「だまし討ち」にしているのは本願寺の方である。

完膚なきまでに弾圧しようとしているのは、実は本願寺の方である。

最終的に信長は本願寺が降伏してきた時は、顕如を始め一切の幹部、信徒を赦免し、信仰の自由を全面的に認ている。

「戦いなんかしなくても話し合えばいい」という日本人は多い。

だが、この考えには前提がある。

それは、話し合いというのは、当事者が、相手を尊重する、約束したことは守る、という姿勢がなければ成立しないということ。

信長にはそれがあるが、顕如の側にはこれがない。

では、本願寺との抗争を収めるにはどうしたらいいのか?

武力に訴える以外にないではないか。

このような結論に帰結する。

こう考えると、信長は単に残虐なのはなく、日本人には珍しく合理的判断のできる人物だったといえるのではないだろうか。

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