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2015年10月27日 (火)

逆説の日本史〈11〉戦国乱世編/井沢元彦

11 そして、「唐入り=朝鮮侵略」という、日本歴史学界における「矮小化」は、もう一つ重大な錯覚を生んでいると思う。
 それは、秀吉の計画はあくまで「唐入り(中国征服)」であるにもかかわらず、「朝鮮侵略」という用語を使用すると、それが当初からの目的であったように見えてしまうことだ。秀吉の狙ねらいはあくまで明(中国)であって、朝鮮はその「付録」に過ぎないということでもある。

歴史を見るとき、注意しなければならないことは、現在の価値観で歴史上の事実を見て決めつけるということである。

たとえば、侵略について。

現在では侵略は悪である。

しかし、一般的な理解で、そうは思われていない時代があった。

例えば、ジンギス・ハーンやナポレオンやアレクサンダー大王。

彼らは現在の価値観でいえば明らかに侵略者である。

しかし、外国へ侵略し異民族を征服する者、これこそ前近代における英雄の条件であった。

今は違う。

現代では人を一人殺しても殺人者である。

だが、それは近代法治国家というものが成立しているからだ。

だから、それ以前の人間、たとえば織田信長や豊臣秀吉が人を殺しているからといって、必ずしも倫理的糾弾ができない。

日本人に人気のある坂本龍馬だって人を殺している。

また英雄的行為も国が違えばとらえ方も違う。

以前、韓国に行ったとき、独立記念館に行ったことがある。

そこでは豊臣秀吉は大悪人として展示されていた。

しかし、それも日本から見ればまた違ってくる。

豊臣秀吉のいわゆる朝鮮出兵も当時の価値観でみれば、また違った見方ができるのではないだろうか。

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