逆説の日本史〈11〉戦国乱世編/井沢元彦
そして、「唐入り=朝鮮侵略」という、日本歴史学界における「矮小化」は、もう一つ重大な錯覚を生んでいると思う。
それは、秀吉の計画はあくまで「唐入り(中国征服)」であるにもかかわらず、「朝鮮侵略」という用語を使用すると、それが当初からの目的であったように見えてしまうことだ。秀吉の狙ねらいはあくまで明(中国)であって、朝鮮はその「付録」に過ぎないということでもある。
歴史を見るとき、注意しなければならないことは、現在の価値観で歴史上の事実を見て決めつけるということである。
たとえば、侵略について。
現在では侵略は悪である。
しかし、一般的な理解で、そうは思われていない時代があった。
例えば、ジンギス・ハーンやナポレオンやアレクサンダー大王。
彼らは現在の価値観でいえば明らかに侵略者である。
しかし、外国へ侵略し異民族を征服する者、これこそ前近代における英雄の条件であった。
今は違う。
現代では人を一人殺しても殺人者である。
だが、それは近代法治国家というものが成立しているからだ。
だから、それ以前の人間、たとえば織田信長や豊臣秀吉が人を殺しているからといって、必ずしも倫理的糾弾ができない。
日本人に人気のある坂本龍馬だって人を殺している。
また英雄的行為も国が違えばとらえ方も違う。
以前、韓国に行ったとき、独立記念館に行ったことがある。
そこでは豊臣秀吉は大悪人として展示されていた。
しかし、それも日本から見ればまた違ってくる。
豊臣秀吉のいわゆる朝鮮出兵も当時の価値観でみれば、また違った見方ができるのではないだろうか。
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