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2015年10月の31件の記事

2015年10月31日 (土)

逆説の日本史〈15〉近世改革編/井沢元彦

15 日本人はあまり意識していないが、戦国末期の日本という国は、おそらく世界最大最強の陸軍国であった。動員できる兵は少なく見積もっても二十万人。それもただの農民を徴兵してきたというのとは違い、戦国の争乱で練りに練った精兵である。鉄砲の装備率は世界最高であったであろうし、「中間管理職」の部課長クラスも極めて優秀なのがっている。数だけで言うなら中国(当時は明)に負けるかもしれないが、レベルは日本の方が上であったろう。

日本は、戦国時代末期に世界最強の陸軍国であった。

ゆえに江戸時代には武装中立国となることができた。

面白い視点だが、確かにそうだと思う。

これは逆に言えば、日本は世界一安全な国でもあったということ。

世界最強の陸軍国であり島国でもあった。

こうした環境の中、秀吉政権の後を担った徳川家康は海外発展策をあきらめた。

そして、結局、家康の子孫たちはキリスト教禁止を優先して、西洋との海外貿易はオランダ一国に限定するという、極めて消極的な政策をとった。

これが「鎖国」と呼ばれるものである。

これは実は、軍事的に見れば日本は「武装中立国」になったということである。

逆に考えれば「武装中立」を維持するためには強力な軍事力を維持していなければならないということ。

ということは、軍隊を持たない現在の日本はそんなことはできないということ。

ましてや一時さかんに議論されていた「非武装中立」など、論理的にあり得ないということになる。

武装していなければ中立は守れない。

だから「武装中立国」は有り得ても「非武装中立国」などというものは有り得ないのである。

大真面目に「非武装中立」を議論する日本という国。

日本の常識は世界の非常識と言われる所以ではなかろうか。

2015年10月30日 (金)

逆説の日本史〈14〉近世爛熟編/井沢元彦

14 もともと「労働は神聖なもの」という禅のもたらした文化に、江戸初期の禅僧鈴木正三が「労働は仏行(仏道修行)に等しい」という考え方を加えたのが、日本資本主義の精神の形成につながった。

日本人の勤勉さの源流がここにある。

日本人は剣も茶も華も、そればかりか儒教などでは「賤しい」とされる職業に打ち込むことによっても「悟り」に入れると考えた。

だから、日本には何代にもわたって技を伝える職人や芸人がいる。

例えば、儒教の教えの根強い韓国にはそれがない。

儒教は「労働」を軽し「商売」を「悪」ととらえるからである。

油にまみれて働く職人や芸人は「賤しい」職業だと考える。

多くの韓国人にとって息子を大学に入れて官僚にしたり、やサムスン等の大企業に就職するのが正しい道である。

だから韓国には老舗が無い。

日本では創業100年を超える老舗もある。

この強みにはもっと注目してもよいのではないだろうか。

2015年10月29日 (木)

逆説の日本史〈13〉近世展開編/井沢元彦

13 江戸時代には確かに「外から見たら鎖国と言わざるを得ない体制」があったことは事実だ。だがその「事実としてある体制」が政府の主体的な意思というよりは、長期的視野を欠く場当たり的な「問題先送り体制」によって作られたことが問題なのである。

江戸時代、鎖国が行われたことは誰でも知っている。

しかし、それは幕府が政策として行ったわけではない。

実態は「なしくずし」に「なってしまった」体制に過ぎない。

つまり、実際に幕府のやったことは、海外からの情報を可能な限り遮断することであった。

それによって、「武装中立」が「永世」に続くと自らも錯覚した。

別の言葉で言えば、幕府は現状を客観的に把握する能力を欠いていたと言ってもいいかもしれない。

幕府が異国船を追い返すことができるのは、異国船に負けないだけの武力があるからだ。

だがこの優位はいつ崩れるかわからない。

だったら当然幕府は、手を打たねばならない。

ところが幕府が実際にやったことと言えばその逆であった。

林子平が『海国兵談』で「このままでは危ない」と警告を発しても、その警告自体を抹殺した。

オランダ国王が「蒸気船というものが出来て鎖国は難しくなった」と忠告しても、まったく真剣に考えようとせず、問題を先送りした。

何が欠けているのか?

歴史に対する認識である。

「なぜそうなったか」を忘れ「状況は変わり得る」ということも忘れる。

そして「一時の現状」に過ぎないものを絶対化する。

これは今も同じではないだろうか。

2015年10月28日 (水)

逆説の日本史〈12〉近世暁光編/井沢元彦

12 少なくとも、「将軍家に万一のことがあった場合、第一に尾張が継ぎ、第二に紀伊が継ぐ」などという明文はない。だからこそ紀州の吉宗が八代将軍を継ぐ時に、尾張との間で散々もめた。問題は「なぜ明文化されていないのか」ということだ。ヨーロッパや中国では基本的に有り得ないことだ。相続の優先順位というのはきちんと決めておかねば、必ず相続争いを招く。にもかかわらず日本ではこういうことを決めないのは、日本には言霊思想があるからである。
「起こって欲しくないこと」は日本では口にしても書いてもいけない。

徳川家康という人は日本史上屈指のリアリストである。

にもかかわらず「言霊の国」では決してそういうことは書けなかった。

家康自身が「書け」と命令しても部下がそれを拒否する。

コトダマの世界では「そう書く」ことは「それを望んでいる」と誤解されるからである。

現代ですら「有事立法を許さない」という政治家がいて、来年の参議院選挙ではそれを争点にしようとしている。

世界の常識では考えられない国が日本だ。

「有事のための立法」は必ずなされなければならない。

不測の事態から国民を守るのが国家の義務だからだ。

もちろんその内容については大いに議論すべきである。

しかし、そもそも「有事立法は認めない」というなら政治家として国民を守る義務を最初から放棄している、と批判されても仕方がない。

そんな政治家は、日本以外の国ではそもそも議席を得ることすらできないはずだ。

ところが日本ではそういう政治家が当選してしまう。

これだけ危機管理が叫ばれるようになっても、だ。

危機管理にとって一番大切なことは何か。

それは想像力である。

それがどんな不吉な事態であれ、「起こり得る」事態ならば想定して対策を練らねばならない。

問題は起こり得る不吉な事態をどれだけ冷静に想定できるかということだ。

ところが言霊思想は、そのことを否定する。

先の国会でも、有事立法に反対しそれを「戦争法案」と言ってしまうメンタリティ。

つくづく日本は「言霊の国だな」と思ってしまう。

2015年10月27日 (火)

逆説の日本史〈11〉戦国乱世編/井沢元彦

11 そして、「唐入り=朝鮮侵略」という、日本歴史学界における「矮小化」は、もう一つ重大な錯覚を生んでいると思う。
 それは、秀吉の計画はあくまで「唐入り(中国征服)」であるにもかかわらず、「朝鮮侵略」という用語を使用すると、それが当初からの目的であったように見えてしまうことだ。秀吉の狙ねらいはあくまで明(中国)であって、朝鮮はその「付録」に過ぎないということでもある。

歴史を見るとき、注意しなければならないことは、現在の価値観で歴史上の事実を見て決めつけるということである。

たとえば、侵略について。

現在では侵略は悪である。

しかし、一般的な理解で、そうは思われていない時代があった。

例えば、ジンギス・ハーンやナポレオンやアレクサンダー大王。

彼らは現在の価値観でいえば明らかに侵略者である。

しかし、外国へ侵略し異民族を征服する者、これこそ前近代における英雄の条件であった。

今は違う。

現代では人を一人殺しても殺人者である。

だが、それは近代法治国家というものが成立しているからだ。

だから、それ以前の人間、たとえば織田信長や豊臣秀吉が人を殺しているからといって、必ずしも倫理的糾弾ができない。

日本人に人気のある坂本龍馬だって人を殺している。

また英雄的行為も国が違えばとらえ方も違う。

以前、韓国に行ったとき、独立記念館に行ったことがある。

そこでは豊臣秀吉は大悪人として展示されていた。

しかし、それも日本から見ればまた違ってくる。

豊臣秀吉のいわゆる朝鮮出兵も当時の価値観でみれば、また違った見方ができるのではないだろうか。

2015年10月26日 (月)

逆説の日本史〈10〉戦国覇王編/井沢元彦

10 信長は本来寛容な、別の言葉で言えば「優柔不断な男」であった。「源頼朝」ではなく「足利尊氏」なのである。特に、身内に対しては「甘え」ともいうべき、強い信頼感を抱いている。たとえば弟信行にしても、一度は許している。それを殺したのは、彼が改心せずにさらに反乱を企てているとわかったからだ。しかし、平和な江戸時代ですら、反乱者の息子は殺されるのが普通なのに、信長は家臣として働かせているのだ。

信長は本来寛容な男であったという記述は意外に思える。

しかし、信長の言動を粒さに調べてみると、そのことは頷ける。

例えば、信長は、本願寺側の先制攻撃や奇襲攻撃を受けても本願寺側が講和を求めてきた時は、必ずこれに応じている。

むしろ自ら申し込んだ講和を破って、常に信長を「だまし討ち」にしているのは本願寺の方である。

完膚なきまでに弾圧しようとしているのは、実は本願寺の方である。

最終的に信長は本願寺が降伏してきた時は、顕如を始め一切の幹部、信徒を赦免し、信仰の自由を全面的に認ている。

「戦いなんかしなくても話し合えばいい」という日本人は多い。

だが、この考えには前提がある。

それは、話し合いというのは、当事者が、相手を尊重する、約束したことは守る、という姿勢がなければ成立しないということ。

信長にはそれがあるが、顕如の側にはこれがない。

では、本願寺との抗争を収めるにはどうしたらいいのか?

武力に訴える以外にないではないか。

このような結論に帰結する。

こう考えると、信長は単に残虐なのはなく、日本人には珍しく合理的判断のできる人物だったといえるのではないだろうか。

2015年10月25日 (日)

逆説の日本史〈9〉戦国野望編/井沢元彦

9 信長が戦国武将の中で卓越しているところは、初めから日本をどのように変えるか、つまり「日本国改造計画」があったということだ。
 もちろん、これは文書の形では残されてはいないが、信長の行動は一貫しているので、その後をたどれば明確にわかる。それは言うまでもなく「寺社勢力を中心とする中世の、日本をダメにしているシステムをすべて解体し、新しい世の中をつくる」ということである。

信長で思い出すのは、桶狭間の戦いや比叡山の焼き討ちである。

特に後者は信長の残虐性を示す例として使われることが多い。

ただ、その理由を調べてみるとそれなりに納得する理由がある。

信長が行ったのは、旧勢力の徹底的な破壊である。

信長の目指したのは寺社勢力の、武装集団、利権集団、政治団体としての「解体」であって、決して宗教そのものの弾圧ではない。

だから、比叡山を焼き討ちしても、天台宗禁教令は出してはいない。

新しい世の中を作るためには、どうてもそれをする必要があった。

そのために信長はそれを果敢に実行したということであろう。

その意味でも信長は自らビジョンを描き、それを実現するために一つ一つを着実に実行に移した、日本の指導者としては極めてまれな人物だったといえよう。

2015年10月24日 (土)

逆説の日本史〈8〉中世混沌編/井沢元彦

8 教団とはその宗教(宗派)を広めるために組織された団体である。つまり、あくまで宗教が「主」で教団は「従」でなければならない。
 しかし、人間社会の皮肉は、しばしばこの「主従関係」が逆転することである。教義(理念)を広めるために組織がどうあるべきかではなく、組織を維持拡大するために教義をどう変えるべきか、という発想になってしまう。まさに本末転倒だが、仏光寺派を中心とする真宗各派が、そういう方向へ進んだのも、そういう歴史上しばしば見られる逆説の一つだったのである。

ある理念・目的をもって組織は作られる。

しかし、組織を作った途端、その本来の目的はどこかへ行ってしまい、組織を維持発展させることそのものが目的になってしまう。

それは宗教という組織であっても、企業であっても自治体であっても同じである。

組織というものは、いったん生まれてしまうと本来の理念・目的からはずれてしまうことがよくあるのである。

たとえば戦前の大日本帝国の軍隊がそうだし、戦後の労働団体がそうだ。

軍とは本来国を守るためのものなのに、戦前の陸軍は無理な戦争を起こして国を滅ぼした。

また労働団体とは本来労働者の権利を守るために存在するのに、日本の労働団体の多くは政治運動に熱中した。

しばしば無理なストライキを行なって同じ労働者である国民の権利を侵害した。

宗教も本来の理念・目的をもって組織を作るのだが、その途端、その宗教団体を維持発展させるために教義そのものを変えてしまうようになる。

そしてその組織は権力と結びつくようになる。

織田信長の比叡山焼き討ちも、そのようなことが背景にある。

組織の自己目的化。

歴史は繰り返すとよく言うが、歴史を見ていると、その通りになっていることがよくわかる。

2015年10月23日 (金)

逆説の日本史〈7〉中世王権編/井沢元彦

7 では、頼朝や家康に比べて尊氏には何が欠けているのか。
 ここで気が付くことは、頼朝・家康にあって尊氏に無いものは「非情さ」だということだ。
 頼朝が「非情の人」とされるのは弟義経を死に追いやったからだ。家康が「非情の人」とされるのは、豊臣家を完全に滅亡させたからだ。特に非難されるのは、かつての「主君」であった豊臣秀吉の孫を幼児であるにもかかわらず、京の六条河原で処刑したことである。もちろん何の罪もない。ただ、豊臣の血筋を断つためにそうしたのである。

「頼朝は義経を殺さずに助けてやればよかったのに――」

「家康は豊臣家を滅亡させないで一大名として残してやればよかったのに――」

この「If」に対する答えは何だろう。

頼朝は弟義経を暗殺しようとして失敗すると、奥州藤原氏に圧力をかけて殺させた。

なぜ義経を許せなかったのか。

簡単に言えば義経の行動を認めてしまえば幕府そのものが崩壊する危険性があったからだ。

弟義経は殺さねばならなかったのである。

家康の場合はどうだろう。

豊臣家は家康以前に天下の主であった。

その直属の家来であった大名も大勢いる。

しかも家康は老齢で豊臣家の秀頼は若い。

家康が死んでしまえば、豊臣家に味方する大名も多く出るだろう。

おそらく全国が、また関ヶ原の合戦の時のように真っ二つに分かれ、戦乱の巷になっただろう。

だから、秀頼は殺されねばならなかった。

つまり、本当の指導者は非情さを兼ね備えていなければならないということである。

私情に流されて決断をしないことはかえって状況を悪化させる。

足利尊氏は「いい人」であったが故に、南北朝という大混乱の時代を招いたといえる。

絶対的権力を確立すれば、社会の秩序が整備され真の平和が訪れる。

これは歴史を見ればよく分かる。

しかし、日本人はなかなかそういう評価はしない。

日本人は独裁者を嫌う。

逆に言えば、日本人は歴史に学ぶことの下手な民族だといえるのではないだろうか。

2015年10月22日 (木)

逆説の日本史〈6〉中世神風編/井沢元彦

6 日本人には独裁的政治家を嫌うメンタリティがある。たとえば、織田信長にしても井伊直弼にしても大久保利通にしても、ろくな死に方をしていない。この三人の政治家は暗殺されている。
 日本に来た外国人が昔から困惑することは、「日本では誰が最終決定権を持っているかわからない」ということだ。
 江戸時代でも幕府の決定は将軍というよりは老中の合議で行なわれた。たまに非常の決断をするために大老を置いたりすると、たちまち暗殺されてしまう。

日本は強いリーダーが生まれにくい風土がある。

組織のトップになるのは、多くの場合、当たり障りのない人物。

つまり可もなく不可もなく、いわゆる調整型の人物である。

それは聖徳太子の十七条憲法を見てもわかる。

第一条では「和を保つのが一番大切」「そのために上も下も話し合え」と言っている。

さらに、最後の第十七条でもう一度「物事は決して独断で決めるな。皆で話し合え」と念を押している。

つまりみんなで話し合い、みんなで決めることが求められているのである。

だから、独断で決めるリーダーが登場すると、みんなで潰してしまう。

安倍総理がマスコミに評判悪いのも、そんなところからきているのかもしれない。

2015年10月21日 (水)

逆説の日本史〈5〉中世動乱編/井沢元彦

5 彼らは「口だけ」で何もしない。そして、さらに悪いことには、それにもかかわらず、自分たちは「実効あることをした」と思い込んでいる。それだけではない、そう確信しているから、往々にして物事に実効的に処置した人間を邪魔にし叱責すらする。

平安時代では歌とは最も有力な政治手段であり、むしろ「政治」そのものであった。

言うまでもなく、それは言霊信仰があったからである。

言霊を皆が信じている世界は、外交も軍事も有事立法も何一つ必要ない。

ただひたすら良い歌を詠み「鬼神」をなだめていれば、平和が訪れ世の中は豊かになるのだ。

言わば、言霊の呪力による呪術政治である。

もちろんそれは、コトダマとケガレという信仰が公家たちにあったためだ。

正確に言えば、彼等は「無責任」なのではない。

いや、実体としては無責任なのだが、主観的には「歌を詠み、歌集を編む」ことによって政治責任を果たしている「つもり」なのである。

平安時代にはこういう公家が政治の実権を握っていた。

でも、これは今もそれほど変わらないのではないだろうか。

2015年10月20日 (火)

逆説の日本史〈4〉中世鳴動編/井沢元彦

4 どうして、日本人はこんなに「おかしく」なってしまったのか。その原因は平安時代にある。

以前、「日本の常識は世界の非常識」と言った人がいた。

日本人は平和を唱えていれば平和になると思っている。

そんなことあり得ないのだが、それが世論となってしまう国、それが日本である。

そのルーツはどこにあるのか?

著者は、それは平安時代にある、といっている。

平安時代の日本には軍隊にあたるものが存在しなかった。

軍隊は既に桓武天皇が廃止していた。

そして他国と軍事同盟を結ぶということもなかった。

すなわち「非武装中立」である。

しかし、それでは国内の治安を保つには不安があるので、警察機構を若干強化した組織を作った、この「警察予備隊」的組織を検非違使という。

ただしこの組織は実質的には軍隊の代わりなのだが、当時の最高法である律令には規定されていない「令外の官」である。

そして公家たちは「平和」「平和」と歌を詠んでいた。

そのコトダマの力によってあらゆる神や怨霊がなだめられ、日本は平和になると信じていた。

侵略は現代の視点で見れば明らかな「人災」だが、古代人はこれも悪霊の働きかけによるものと信じていた。

したがって歌の力でこういう悪霊をなだめておけば、そもそも侵略など起こり得ない、と思っていた。

これでは危機管理どころの騒ぎではない。

このメンタリティが現代にも通じているということであろう。

2015年10月19日 (月)

逆説の日本史(3)古代言霊編/井沢元彦

3 古代では『万葉集』に「言霊の幸はふ国」とか「日本国は言霊の祐くる国」とあるように、言葉には霊力があって、一種霊妙な働きをなすものとされていた。これがいわゆる言霊の信仰で、それは祝福の言葉を述べれば幸福が招来され、呪詛その言葉を述べれば不幸に至るという信仰である。

言霊とは『万葉集』の基本概念であると同時に、現代の日本人をも拘束する「信仰」でもある。

言霊の世界では、「外国が攻めてくる」などという「不吉」な想定は一切排除し、「平和、平和」と叫んでいればいい。

それで平和は保たれる。

もし「外国の侵略があったら、どうするのか?」という意見を言うヤツがいたら、「平和の敵」としてその口を封じればいい。

言霊の世界では「外国の侵略」などというヤツは、「侵略されることを望んでいるヤツ」である。

だから、集団的自衛権の法整備をしようとする安倍首相は、「戦争を始めようとする危険なヤツ」である。

日本を守るためには戦争という言葉は一切口にせず、平和を叫んでいればよい。

だから、憲法9条を変えるなどトンデモナイ。

マスコミも政治家も国民も全て言霊で動いている。

まともな議論ができないわけである。

2015年10月18日 (日)

逆説の日本史〈2〉古代怨霊編/井沢元彦

2 では、太子以後の、諡号に「徳」の字がある天皇たちを調べてみよう。
 実は六人しかいない。
 第三十六代孝徳天皇以下、第四十八代称徳、第五十五代文徳、第七十五代崇徳、第八十一代安徳、第八十四代順徳である。実は、この他にももう一人いたのだが、この天皇のことはすぐ後で触れることにする。この天皇は重大な鍵を握っている。(中略)
 実はこの六人が六人とも、まともな死に方をしていないのである。事実上殺された人もいれば、島流しにあった人もいる。また一見幸福な生涯を送ったように見えるが、実は「無念の死」であり「憤死」であると認められる人もいる。

聖徳太子の「徳」という字は、「無念の死を遂げた怨霊」に贈られる「専用」の字なのだったと著者は言う。

日本では、怨霊が次々に発生し世を惑わす、そういう怨霊は鎮魂して「御霊」すなわち「良い霊」に変えなければならない。

その悪霊から善なる神に転化した時、その転化した人を、当時は「聖」と呼んだらしい。

つまり、「聖」というのは、本来怨霊となるべき人が、善なる神に転化した状態を表現した文字。

これが御霊(怨霊)信仰というもの。

怨霊と御霊の違いは、怨霊はこの世に災いをもたらすタタリ神だが、ひとたびこれを祀り丁重に鎮魂すれば、「私たちを御加護下さ」る「御神霊」になる。

この善なる神に転化した状態を御霊という。

だから、その「聖」と「徳」の名を持つ聖徳太子という名には大きな意味がある、というのである。

著者の大胆な仮説であるが、歴史をこのような視点で見るのは非常に興味深い。

2015年10月17日 (土)

逆説の日本史〈1〉古代黎明編/井沢元彦

1 言うまでもなく聖徳太子が「和を以もって貴とうとしと為なせ」と命じたから、「わ(和)」が日本人の原理になったのではない。そうではなくて、これは古代から、それこそ「日本」という名すらなかった頃からの「環」の住民たちが、基本原理としてきたことなのである。だからこそ聖徳太子は、自らは仏教信者でありながら、日本人全体にさとすべき言葉としては、まず「和を大切にせよ」と言ったのである。

最近、気になっていることがある。

それは「日本人とは何か?」ということ。

様々な事象を省みるにつけ、日本人の特殊性に突き当たる。

おそらくそれは太古の神話の時代から連綿と受け継がれている「何か」があるからであろう。

その「何か」を探るために、井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズを読んでみることにした。

この巻で井沢氏は、日本人の行動を拘束する原理は「和」である、と述べている。

この国では、和が最も大切である。

人々が和を大切にして話し合えば、どんなことでも、おのずから道理にかない、うまくいくと思っている。

「話せばわかる」という、この「話し合い至上主義」も、その源流となっているのは「和」の原理である。

つまり「和」は古代から現代に至るまで、日本人を拘束する原理であるということ。

それは出雲の神話にも、現代の永田町の政治状況にも、影響を与えている。

「和」こそ、日本人の行動を解くキーワードといってよいのだろう。

2015年10月16日 (金)

廃藩置県/勝田政治

Photo 王政復古クーデター・版籍奉還・廃藩置県という、明治中央集権国家が誕生する節目で重要な役割を演じたのが大久保利通であった。

一つの体制が維持されるためには、それにより利益を享受する人たちが存在する。

何かを変えようとすれば、様々な既得権と戦わなければならない。

だから、改革には痛みが伴うのである。

維新後の新政府にとって、中央集権化にあたって最大のネックとなったのは藩の体制であった。

江戸時代の体制は幕藩体制と呼ばれている。

それは幕府と藩を基軸とした政治社会体制である。

したがって、幕府の倒壊だけではなく、藩をも消滅させなければ、真の意味で江戸幕藩体制の時代が終ったとはいえない。

廃藩置県は、江戸時代の幕藩体制に終止符をうち、真の意味での「明治国家」を誕生させたという重要な意義を有するものである。

そして、明治維新の三大改革といわれる、学制・徴兵令・地租改正をはじめとする近代化政策は、その直後から急速に進められる。

そしてそのキーマンとなったのが大久保利通であった。

この人物、もっと評価されてもよいのではないだろうか。

2015年10月15日 (木)

大久保利通/勝田政治

Photo 征韓論をめぐって西郷隆盛と大久保が対立した時、西郷は「冒険的な夫」であり、大久保は「用心深い妻」であった。大久保は如何なる犠牲をはらっても、日本国内の「平和」を増進しようと努めた。大久保のほうが「新事態」には、よりよく「適応」していた。

明治維新期における、最大の国家的課題は、迫り来る欧米列強の圧力という国際環境のもと、いかにしたら日本の独立を維持できるのかということ。

さらにはいかにしたら列強と肩を並べることができるのか、どのような国家体制でそれは達成できるのか、ということであったと考える。

大久保が直面したのもこの課題である。

大久保は廃藩置県などの明治政府の中央集権体制確立を行った。

内務省を設置し、自ら初代内務卿として実権を握ると、学制や地租改正、徴兵令などを実施した。

そして「富国強兵」をスローガンとして、殖産興業政策を推進した。

朝鮮出兵を巡る征韓論論争では、西郷隆盛ら征韓派と対立し、西郷らを失脚させた。

今から振り返ると大久保の方が正しい判断を下していると思うのだが国民的人気があるのは西郷のほうである。

大久保はその業績の大きさに比べて人気はない。

しかし、政治がポピュリズム化している今の日本に必要なのは、派手さはないが着実に仕事をすすめる大久保のような政治家なのかもしれない。

2015年10月14日 (水)

高杉晋作/一坂太郎

Photo いかに生き 、いかに死ぬべきかをつねに真剣に考えて来た晋作である 。勝敗は問題ではなく 、自分自身が真っ先に 、成算の無い戦いに身を投じる 「決意 」を見せる事こそが大切だったのだ 。そうすれば 、たとえ自分は敗れて死んでも 、後の誰かが奮起してくれると考えたのだろう 。

高杉晋作の言動は過激であり、また魅力的だ。

そしてその生き方は、師である吉田松陰にも通ずるものがある。

それは 、計算や根回しから出た判断ではない 。

物事を義と公に照らして恥じないならば 、断固 、行動すべしという陽明学の正道を歩む行動だったと言える 。

成算の有無など 、尋ねる方が筋違いだといってもよい。

早々に表舞台から消え去った高杉晋作は、いつまでも美しい。

しかし、ただそれだけのことかも知れない。

もし晋作が若くして病死しなかったらという「if」がある。

ただ、晋作の言動はあの時代であればこそ輝いたのだと思う。

それが明治の近代化の波に順応出来たかは甚だ怪しいのではないだろうか。

2015年10月13日 (火)

報道されない沖縄/宮本雅史

Photo 沖縄は今、無言のうちに、日本人全員に国家とは何か、国防とは何かを問いかけている。

鳩山元首相が「最低でも県外」と宣言して以来、沖縄が揺れている。

沖縄には、自分達は被害者で差別され続けているのだという根強い不信感。

我々は被害者なのだから少々の無理を通すのは当然という発想。

それを反基地闘争に動員しようとする活動家の思惑。

琉球新報、沖縄タイムスに代表される偏った沖縄のジャーナリズム。

こんなさまざまな思いと思惑が混在し、絡み合っている。

その意味で、沖縄という小さな島に、日本の問題が集約されていると見てよいのではないだろうか。

2015年10月12日 (月)

日本はなぜ日露戦争に勝てたのか/瀧澤中

Photo 勝つ見込み、勝つ算段ができたうえで戦った日露戦争と、勝つか負けるか、一か八かで戦った大東亜戦争は、その決断をした為政者たちの責任はまったく違うと思っているのです。

日露戦争当時、日本の海軍力は266万トン。

ロシアの海軍力は80万トン

陸軍力に至っては、日本の陸軍兵力は31万5000人(13個師団)

ロシアの陸軍兵力は350万人(130個師団)

つまり約十分の一。

この圧倒的な戦力の違いがあるものの、勝利した日露戦争と敗北した大東亜戦争とどこがちがったのか?

これは当時の指導者たちの責任感の違いだと著者は述べている。

その責任感は、逃げることのできない責任、から生じるものであった。

日露戦争の指導者たちは、勝利ではなく、負けないためにはどうすべきか、そのことを徹頭徹尾考え抜いた。

その結果が、金子堅太郎の外交、高橋是清の外債募集、小村寿太郎の講和外交に活かされた。

負けないための国家をつくるという意味では、富国強兵、武器の国産化、財政の安定、軍人の養成につながっていく。

対する昭和の指導者は戦争になるかどうか、勝てるかどうかわからないが、日本もドイツの快進撃に乗り遅れてはいかん、という理由で同盟を結んだ。

調べれば調べる程、戦略性において、その決断の質において、違いが明らかになる。

それらを比較してみると、大東亜戦争は負けるべくして負けたといってもよいのかもしれない。

2015年10月11日 (日)

日清・日露戦争をどう見るか/原朗

Photo 韓国併合条約(「韓国併合に関する条約」)については、日本と韓国が国家として対等の立場で合意したもので、国際法上も合法であり、日本の韓国併合を正当化する議論もみられますが、併合までの日本の強引なやり方を見ていくと、それはきわめて一面的な、歴史の流れをふまえていない見方のように私には思われます。少なくとも、韓国の側から見れば、先にお話ししたように、韓国併合とは、日本によって自分の国が奪われた「恨の歴史」にほかなりません。

本書は、日清・日露戦争を韓国を植民地化するための戦争であったと述べている。

日本がおこなった日清・日露という二つの戦争はともに朝鮮半島が戦場となり、戦争の目的も朝鮮の支配だった。

この二つの戦争は、「第一次・第二次朝鮮戦争」と呼ぶほうがふさわしいと述べている。
その見方はかなり偏っているように見える。

韓国併合条約についても、日本のやり方を非難している。

でも、当時の世界の情勢から見てどうだったのか、という視点がどうも欠けているように感じられる。

ただ、歴史には様々な見方がある。

これも一つの歴史観であり、このような見方をする日本人が多いのも事実である。

これだから歴史は面白いともいえよう。

2015年10月10日 (土)

かくて昭和史は甦る/渡部昇一

Photo 大英帝国が日本と同盟を結ぶことに至ったのは、この北清事変で日本軍が文明国の“模範生”として行動したことが大きかった。当時の北京にいた世界中の先進国の人々を前にして、日本の軍人は飛びきりのファイン・プレーを示したのだ。
 アジアの小さな有色人種国家にすぎないと思われていた日本が、かくも規律正しく、勇敢に動いたことが彼らの印象を一変させ、「同盟相手として信ずるに足りる国である」という評価をもたらした。

日英同盟が結ばれた原因として、北清事変での日本軍の模範的行動にあった、というのは、他の歴史書では書かれていない事実である。

結局、この日英同盟があったからこそ、日露戦争に勝利したわけだから、このことは大きかったといえる。

北清事変では、たくさんのイギリス人将校が救援軍に参加していた。

イギリスの「タイムズ」紙の記者なども現場にいた。

彼らが日本の模範的行動を見て、親日的感情を抱いたのは想像にかたくない。

日英同盟の場合、イギリスはアジアの植民地を守るためのパートナーとして、イギリスの国益のために日本を選んだ。

もし、「日本は信頼できる国である」と言う人たちがイギリス政府部内にいてくれなければ、別の相手と同盟を組んだであろう。

結局、国家間の外交も、最終的な決め手となるのは、やはり人間的な信頼ではないだろうか。

そのことを、この北清事変は教えてくれる。

2015年10月 9日 (金)

日本史から見た日本人 昭和編/渡部昇一

Photo 戦後ずっと私の頭を離れなかった「昭和史の謎」とは何かと言えば、どうして日本人は日露戦争の時代から見ると、あんなにも外交下手になったのか、また被統治能力を失ったのか、ということであった。

昭和史については、これまで何冊が読んだことがある。

ただ、歴史には様々な見方がある。

あの戦争一つとっても、太平洋戦争と呼ぶか、大東亜戦争と呼ぶかによって、ある程度著者の歴史に対する姿勢が垣間見える。

そして日本はなぜあの戦争を始めてしまったのか?

防ぐことができなかったのか?

本当に勝てなかったのか?

なぜ、早くやめることが出来なかったのか?

様々なWHYが存在する。

それに対して、自分なりの考えを持つ必要があるのではないだろうか。

2015年10月 8日 (木)

世界のトップを10秒で納得させる資料の法則/三木雄信

10 秒刻みのスケジュールに追われ、資料にじっくりと目を通すひまなどない孫社長に提出する資料は、伝えたいことが即座にわかるものであることが必須条件だった。資料を読んでもらうのに許された時間は10秒だ。パッと見て内容がつかめるか。本質を把握できるか。勝負はわずか10秒で決まる。

説得力のある企画書を作るためには何が必要か?

最初の10秒で「もっと話を聞いてみたい」と思わせることである。

そうすれば、更に説明のチャンスが与えられる。

つまり、企画書は「つかみ」で勝敗が決まる、ということである。

最初の数秒で、相手の関心を得られなければ、それで終わり。

パッと見た瞬間に「面白そう」「興味深い」と感じて初めて、人は「もっと知りたい」「もっと読みたい」と思うようになることが大事。

面白くないと判断されれば、それで終わり。

よくできた企画書は「つかみ」で人を引きつけ、相手の心に迫っていく。

瞬間的に相手の関心を得る企画書を作りたいなら、まず、A4判1枚で内容をまとめることが必要だという。

何枚にもまたがっていてはダメ。

必ず1枚で完結すること。

企画書はA4で1枚。

この分量で、企画の趣旨やエッセンスを十分に伝えるスキルをぜひ身に付けたいものだ。

2015年10月 7日 (水)

世界トップ1%の「聞く力」/牧野克彦

Photo 相手に「イエス」と言わせるには、「話し方」よりも「聞き方」を磨いたほうが効果的です。「イエス」と言わせられる要因の9割以上は、「話す力」よりも、「聞く力」によると言っても過言ではありません。

相手に「イエス」と言わせることは、セールスの現場においても、また、部下指導の現場においても必要とされる。

ではそのためには何が必要なのか。

それは「聞く力」だと著者は言う。

「聞く力」を身につけると、相手の感情をマイナスからゼロへ、ゼロからプラスへと導き、最終的に「イエス」と言ってもらうことができる。

本書では、著者の営業現場での経験をまじえながら、相手が思わず「イエス」「欲しい」と言ってしまう聞き方を紹介している。

営業成績が思うようにあがらない

断られてばかりで営業活動がつらい

口下手だから営業に向いていない

と思っているこのような営業マンが「聞く力」を身につければ、すぐに成果が出るようになり、営業の仕事が楽しくなる。

また、「聞く力」を身につけることは、コミュニケーション能力を高めることにもつながる。

コミュニケーション能力というと、ついつい「話し方」に焦点を当てがちだが、実際には、「聞き方」が問題なのだということを教えられた。

2015年10月 6日 (火)

問いかける技術/エドガー・H・シャイン

Photo 現代のように複雑さが増してくると、仕事は形式的な官僚制の組織モデルに当てはめるのではなく、即興で演じる芝居やジャズバンドになぞらえて進めるべきだという認識が高まっている。

現在のように社会が複雑化してくると、従来型のモデルが通用しなくなってきているというのはその通りだと思う。

ある一定の方向が正解だというものがなくなってきている。

そうすると、リーダーシップのあり方も当然違ってくる。

本書では「謙虚に問いかける」というフレーズが何度も出てくる。

人間関係を築くのも、問題を解決するのも、物事を前進させるのも、すべては適切な質問があってこそうまくいくということである。

円滑なコミュニケーションをおこなうためには、人間関係が重要な役割をはたす。

課題を遂行するためには、コミュニケーションが円滑におこなわれていることが肝要だ。

良好な人間関係を維持するためには、「謙虚に問いかける」ことが、かぎとなる。

特にリーダーこそ、「謙虚に問いかける」ことが必要だ。

なぜかというと、物事が複雑に絡み合い、人が協力し合わなければ進められない仕事こそ、信頼に基づく良好な人間関係が欠かせないからである。

それなくしては、部下が安心して上司とコミュニケーションをとることはできない。

現場から上に向かう円滑なコミュニケーションがあってはじめて組織は力を発揮し、安全を確保することができる。

リーダーが本当にやるべきことは、謙虚に問いかけ、自分をあえて弱い立場に置くことだ。

本書で著者は、弱い自分を見せることが、関係性を深めるうえで最も重要だとも述べている。

それがよい人間関係を築き、風通しのよい、うまく機能する組織をつくるうえで、ますます必要になるのというのである。

そして「問いかける」という行為は、相手に対して興味や好奇心を抱くという態度から導かれる。

そこには、もっと率直に語り合えるような関係を築きたいと願う気持ちが含まれている。

また、謙虚になると相手から影響を受けやすくなり、その結果として協力を得やすくなることも示唆している。

「謙虚に問いかける」ことの本質がよくわかる本である。

2015年10月 5日 (月)

引きだす力/宮本亜門

Photo 僕なりの方法論である、「奉仕型のリーダーシップ」。これはコンプレックスから悩み、コミュニケーションの仕方を試行錯誤する中で徐々に身につけたものです。コンプレックスがあったからこそ、役者、スタッフと同じ目線でコミュニケーションをすることに喜びを感じ、全員が一丸となって、具体的に意見を交わし、進めていける環境作りを提供したいと思うようになれたのです。

著者は演出家である。

演出家と言えば、蜷川幸雄やつかこうへいといった人を思い浮かべる。

彼らのスタイルは自分の思い通りに役者を動かし、できない役者は叱り飛ばす。

映画の世界だが、黒澤明監督などもそういうスタイルである。

自分の頭の中に確固とした完成イメージがあり、役者をそれにはめ込む。

役者は道具というイメージである。

しかし、同じ演出家でも、著者はそれとはまったく違うスタイルをとっている。

演出家は、役者やスタッフ同士がいいものを作り出そうと話し合える環境作りをすることに専念し、あくまで役者の自主性を大切にする。

そのことによって現場で化学反応が起こり、良い作品が創られる。

これらいわゆるサーバント・リーダーシップという考え方である。

これはそのまま企業活動にも応用できる考え方ではないだろうか。

2015年10月 4日 (日)

稼ぐまちが地方を変える/木下斉

Photo そもそもまちの再生に必要なのは「経済」です。行政が税金の再分配で補塡するのではなく、「まち全体を見据えて、いかに稼ぐか」が重要なテーマなのです。よく「あたたかいまち」「心が通い合うまち」といったフレーズを聞くことがありますが、これらは全て無責任な〝きれいごと〟です。稼げなければ、衰退するしかない。これは歴史が証明しています。

地方の衰退が止まらない。

年々人口が減少し、活気がなくなってきている。

ここで必要なのは「稼ぐ」ことだという。

「稼ぐ」と言うと、私たち日本人は何か悪いことのように感じる。

「清貧」という言葉にむしろ魅かれる感性がある。

しかし、現実を見ると、稼がなければ結局は何もできない。

良いことも、稼ぎがなければできないのである。

著者はそのためには経営の手法を入れるべきだという。

つまり、まちを一つの会社に見立てて経営する。

資金調達し、投資し、回収して、利益をあげ、それを元手としてさらに新しい事業に再投資する。

このサイクルをまちの経営で徹底する。

つまり経営では当たり前にやっていることをまちでもやることだと。

民間は言うまでもなく、行政も含めて、まちを一つの会社と見立て、「稼ぐ」という意識で行動していくこと。

何事もきれいごとではダメだということであろう。

2015年10月 3日 (土)

人事評価の「曖昧」と「納得」/江夏幾多郎

Photo 評価制度の運用にまつわる構造的問題の構図を踏まえると、被評価者にとっては「曖昧だからよくない」という発想を一度やめることがかえって合理的なのかもしれません。

人事の世界には、「評価は公正、公平でなければならない」「曖昧であってはならない」という神話のようなものがある。

でも、この前提がある限り、評価制度はダッチロールを繰り返す。

そもそも評価とは評価する側と評価される側が納得すればいいのである。

極論すれば、基準が曖昧でも、公正・公平でなくても、お互いが納得すればよいのである。

逆に言えばこの発想に立たない限り、評価制度は決して完成しないのではないだろうか。

2015年10月 2日 (金)

小池一夫のキャラクター新論

Photo 確かにストーリーは大事ですが、「どんな話を創ろう」という考え方では、人を惹きつける作品は創れませんし、作品も完成しません。まず「どんなキャラクターを創ろう」から入るのです。そうすることにより、作品も創りやすくなります。

漫画を描く場合、ストーリーが大事だと私のような素人は思ってしまう。

しかし、その道のプロである著者によると、漫画はまずキャラクターありきだという。

読者が感情移入する魅力的なキャラクターがあり、そのキャラクターが動いていくことにより、物語も動き、読者の心も動かされる。

よく「キャラが起っている」というが、それは一言でいえば、キャラクターを読者に強烈に印象づけること。

読者の心にインパクトを与え、興味を抱かせ、その魅力で惹きつける。

これが「キャラが起つ」ということ。

漫画はキャラクター。

キャラクターが起っていれば、漫画はヒットする。

そう断言できるというのである。

確かに子供の頃に読んだ巨人の星の星飛馬や星一徹、花形満、佐門豊作など、みんなキャラが個性的で起っていた。

正に漫画の王道を行っていたのだといえよう。

2015年10月 1日 (木)

10人の法則/西田文郎

10 大成功者と呼ばれる人たちは、例外なく自分のことを「運がいい」「運のある人間だ」と錯覚しています。経営の神様と呼ばれた松下幸之助さんが常々、「自分は運の強い人間だ」と語っていたのは有名な話です。(中略)松下さんは大成功したから、「自分には運がある」と思ったわけではないのです。逆に、「運がある」と思っていたから、大成功できたのです。

確かに成功者と呼ばれる人は「運が良かったから」とよく言う。

でも、それは正確には「運いい」と錯覚したことにより、成功を引き寄せたといえるのではないだろうか。

「自分は運のある人間だ」という錯覚があると、自分に自信が持てるようになる。

自分のすることにも自信が出てくる。

脳が肯定的になり、最高のプラス思考になれる。

能力を制限しているマイナス思考のブロックがはずれ、脳全体が活発に働き出す。

成功、幸せがらくらくイメージできて、努力が苦労でなくなる。

だから困難にぶつかっても、あきらめなくなる。

つまり、人が成功するのに必要なものが回りだすのである。

この好循環をもたらすのが「私は運がいい」という錯覚である。

逆に言えば、錯覚をも成功者はうまく利用するということではないだろうか。

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