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2015年11月の30件の記事

2015年11月30日 (月)

緑衣の女/アーナルデュル・インドリダソン

Photo_2「魂の殺人を断罪する裁判所がありますか?」と彼女は続けた。
「教えてくれますか?魂の殺人をしたとがで、人を裁判にかけ、有罪にすることができますか?」

この小説、凄まじいばかりのドメスティックバイオレンスの描写が印象的だ。

最後は自分の息子に殺されることになる男は妻に対して暴力を繰り返す。

しかし、体がどんなに傷つこうが、どんな苦しみがあろうが、ひどい殴打、骨折、青あざ、目の潰れ、唇の裂けがあろうが、それは魂への暴行に比べたらなんでもない。

決して止むことのない、日々の、絶え間ない恐怖。

それでもまだ最初のころは、まだ生きる力が彼女の中にあったころは、彼女は助けを求めたり、実際に逃げたりもした。

でもそのたびに彼は探し出し、彼女の耳に娘を殺して山に埋めるぞとささやく。

脅しではない、彼なら本当にそんなことをやると彼女にはわかっているから、うなずいてあきらめる。

あきらめて、生きるも死ぬも、すべてを絶対的な力をもつ彼にゆだねる。

彼女は抵抗しなくなる。

それといっしょに生きる力もなくなった。

生きながら死んでしまった。

魂の殺人である。

小説だからこそ書ける内容であろう。

人間の生とは何なのかと考えさせられた。

2015年11月29日 (日)

そんなバカな!/竹内久美子

Photo 私の予想は全く逆で、政府が特に対策を立てなくても出生率はあっと言う間に盛り返す。そして今度は増えすぎる若齢人口のために、国家は破産寸前にまで追い込まれるだろうということだ。なぜそんな正反対の結論が出るかと言えば、進化の観点を導入したからである。

今、少子化が問題になっている。

しかし、進化の観点で考えると、まったく心配いらないという。

女にもいろいろあって、子を欲しいとは全然思わない女もあれば、人並みには欲しいと思う女、いや世間の出生率がどうあれ体力の続く限り産む、という女までいる。

進化論的に物事を考えるには、平均値よりこのばらつきこそが重要。

要するに、なるべく多く子を儲けたいと思う人は、現在はかなり少数派かもしれないが、次の世代には必ず増加する。

なぜなら、それらの人々の、子を多く儲けたいという遺伝的性質を受け継いだ子どもらが繁殖年齢に達するからである。

彼らも当然多くの子をもつだろうから、その次の世代になると、子だくさんを望む人々の勢力はさらに増す。

こうして「子だくさんを望む」遺伝子が個体群の中に広がっていく。

つまり、日本人の出生率はこの先しばらくは減少傾向にあるだろうが、その後必ず増加に転ずるときがくる。

それ以降、人口は着々と増加し続ける。

進化論的に導かれるのはこういう結論だとのこと。

「ナルホド!」である。

2015年11月28日 (土)

遺伝子が解く!美人の身体/竹内久美子

Photo 2004年のアテネ五輪のときのことです。イギリスのR・A・ヒルらはこんな研究をしました。ボクシング、テコンドー、レスリングのグレコローマンスタイルとフリースタイル、の四つの種目に注目する。いずれも一対一で戦う格闘技で、しかも赤か青のユニフォーム、または用具をつけて行ないます。すると驚いたことに、どの種目でも赤い服や用具を身につけている方が勝ちやすい。四種目を総合すると、赤の勝率が55%であるのに対し、青の勝率は45%なのです。(中略)
 で、次に実力が伯仲している選手どうしの争いかどうかを区別し、四種目を総合して調べると。もちろん、実力が伯仲しているときにこそ赤の効果!勝率は何と、赤が62%に対し、青は38%だったのです。

赤い色とは多くの場合、オスが、男性ホルモンの一種であるテストステロンによって、オスとしての質を他者にアピールする信号であるとのこと。

非常に強い赤い信号を発するオスは、テストステロン・レヴェルが高く、実際にケンカが強い。

本人もそれを自覚していて自信を持っている。

他方、そういう信号を見せつけられたオスは、こいつにはとても勝てないぞ、とびびってしまう。

こうして赤には威嚇の効果があるというのである。

これを読んで、まず頭に浮かんだのはサッカーの日韓戦。

日本代表のユニフォームの色は青、対する韓国代表は赤。

両者が対峙すると、どうも負けそうな雰囲気が漂う。

日本代表のサムライブルーは何かひ弱な印象を与える。

これも色の効果なのだろうか。

この際、日本のユニフォームを赤を基調にしてはどうだろう。

日の丸が赤と白なので、違和感はないと思うのだが。

2015年11月27日 (金)

浮気人類進化論/竹内久美子

Photo 人間の男は浮気をする。そのときパートナーがいることを隠したり、隠さないにせよ、「彼女とはいずれ別れるつもりだ」などと言って女を口説く。浮気をした後にはパートナーにバレないようにいろいろ工作、バレそうになったらあれやこれやと言い逃れる。これらもやはり「戦術的な騙し」ではないだろうか。人間は浮気を通じて脳を発達させたという私の仮説。霊長類における戦術的な騙しが新皮質の発達を促したというこの研究。かなり共通するものがあるような気がするのである。

人間は浮気をすることによって知能を発達させてきた。

夫が浮気をする場合、いかに妻にその事実をさとらせまいと様々なウソをつく。

一度ウソをつくと、そのウソを正当化するために更にウソをつく。

これは非常に頭を使う作業である。

著者は人間はこのようなお互い、相手を欺こうと戦術を立てることによって知能を発達させてきた、という。

特に他の霊長類と比較して、人間は「言語的コミュニケーション」の能力が発達している。

男は女を口説くために、また女は男に関する情報交換を行なうために、どちらも言語的能力を進化させてきた。

現代においても、女がおしゃべり好き、噂話好きであることに変わりはない。

男はまず浮気の場で女を口説くために、ひときわ優れた言語能力を必要とされる。

さらに男の浮気に対して女は同盟を結び、情報交換をする。

実際、電話や路上や喫茶店で人の噂話をしながら長々とおしゃべりをするのは圧倒的に女の方だ。

そして男は、女を口説く際に必要となった、相手を思わずその気にさせてしまううまい言葉遣いの能力を様々な分野に応用している。

接客の商売はもちろんのこと、司会者や芸人、政治家や企業のトップなど話術の巧みさがものを言うあらゆる分野に応用している。

女を口説く能力と、人間を相手にするあらゆる職業において言葉を自在に操る能力とは本来表裏一体のものではないだろうか、というのである。

ただ、これはあくまで著者の仮説である。

でもこの仮説、非常に面白い。

2015年11月26日 (木)

職業としてのAV女優/中村淳彦

Photo かつては「たくさん稼いで、早く足をあらいたい」だったものが、いつの間にか「できるだけ長く続けたい」というものが一般的になっている。ただ生きるには希望がなく-、女性たちが裸になってでも誰かに承認されたいと願う社会が、セックスを売るAV女優たちに敏感に反映されているのである。

「自分のカラダを売って稼ぐ」にはよほどの覚悟がいると普通は考える。

ところが実際には驚くほど軽い気持ちでAV女優をしている女性たちが多い。

平成生まれの若い女性たちは、恋人や人によっては親にまで許可をもらって堂々とAV女優をしている。

人の前で裸になって誰かとセックスすることに後ろめたさや恥ずかしさはなく、「バレたらどうする?」という不安や焦りは古い感覚になっている。

かつてAV女優になる入口は路上で女性たちに声をかけるスカウトだった。

しかし、現代は自分から出演したいと志願し、応募してくる女性が中心となった。

しかも誰でもよいというわけではなく、AV出演を希望する女性はルックスやスタイルや性格を吟味され、ある水準に達していないと末端のAV女優にさえなれない。

つまり狭き門なのである。

女性たちがカラダを売る理由やその仕事に対する意識は必ず今の社会を反映している。

つまり、このような感覚こそが「今」を反映しているのである。

世の中、変わったものだ。

2015年11月25日 (水)

日本人の歴史観/岡崎久彦、北岡伸一、坂本多加雄

Photo 田中にしても宇垣にしても、まだ国家というものを考えていた点で上等ですが、次には組織のことしか考えない人間が出てきて、最後は自分のことしか考えない人間になる。明治と昭和の指導者の違いということがよく議論されますが、戦後の大きな欠点というのは国益という言葉を使わなくなったことです。

国益という言葉を聞くと、何か戦前の日本に戻るような印象を持つ人がいる。

いわゆる「先祖返り」ではないかと。

しかし、そもそも日本国民であれば日本の国益を第一に考えるのは当たり前のこと。

戦後は、国益がないから省益、会社益、地方益、私益などというのがまかり通るようになった。

国益ではなく組織や個人の利害が中心になるので、様々な問題が起こる。

今の沖縄の辺野古問題も、国益という考えがあれば、あれほどもめないはずだ。

原発問題しかり、安保問題しかりである。

いちばん困るのは、それによって情勢判断が曇ってくることではないだろうか。

2015年11月24日 (火)

どんな業界でも記録的な成果を出す人の仕事力/伊藤嘉明

Photo これからはいまある職種がどんどん消えていく。一説によれば20年後には今の仕事の8割はなくなると言われている。私はそれにまったく同感だ。

20年後には、今の仕事の8割はなくなる、ということ。

この説、確かにその通りだと思う。

そうなってくると、当然、一人ひとりのキャリア形成にも影響を及ぼす。

例えば、「20年後にはこんな仕事をしたい」とそれを目指して勉強をしていても、

20年後に、その「こんな仕事」がなくなっていたら、どうなってしまうのか。

まさにキャリアショックである。

だからこれからのキャリア形成は、それを前提にしたものでなければならない。

たとえば情報処理系の仕事は全部機械に取って代わられるだろう。

いまから経理・財務のプロを目指して勉強している人はどうだろう。

同じ仕事を、インド、フィリピン、中国に、日本人の人件費の数分の1で発注できる現状を考えると非常に厳しい。

今やっている日々の仕事が、時間の経過とともに価値として見られないことが今後数多く起こるだろう。

善し悪しの話ではなく、それが現実なのである。

ということは、どんな時代、どんな業界に行っても通用する武器を、いつも身につけておく方が得策だということになる。

しかも、その武器は、時代に合わせて持ち替えなければいけないから、複数用意しておく必要がある。

ずっと「槍1本」で戦えるわけではない。

そんな時代がすでにきていることを認識すべきであろう。


2015年11月23日 (月)

リーダーのための「レジリエンス」入門/久世浩司

Photo_2 レジリエンスの高い人は、
・自分の強みは何かを把握している
・自分の強みを平時から磨いている
・自分の強みを有事に活かすことができる
 という点に特徴があります。

レジリエンスとは、「逆境や困難、強いストレスに直面したときに、適応する精神力と心理的プロセスと」定義づけられる。

いわゆる「折れない心」といえる。

ただ、「折れない」というのは、鉄のような強靭さではなく、竹のようなしなやかさ、である。

復元力といってもよいかもしれない。

たとえば、だれもが失敗して落ち込むことはある。

しかし、落ち込んだままでなく、すぐにその状態から立ち直ることができる、ということ。

そのためには、「自分の強みを把握し、磨き、活かす」ことが必要とのこと。

第一歩は「自分の強みを把握する」ことだが、どうすれば自分の強みを把握することができるのか?

心理テストを受けることも一つの方法ではあるが、そうしなくても自分の過去の体験から知ることもでき、とある。

自分の強みは、人生における「どん底」ともいえる逆境体験を乗り越えたときに発揮されていることが多い。

つまり、自分の過去を振り返って、自分がどん底のとき、何をきっかけに立ち直ったのか?

それをしっかりと把握することである。

さて、私の場合、何だろう?

2015年11月22日 (日)

なぜ一流の人はストレスが溜まらないのか/西脇俊二

Photo 成功者は他人に期待しませんし、誰かに自己重要感を満たしてもらおうとも思いません。彼らは知っているのです。
「他人への期待を捨てることから、自分の人生が始まる。他人に期待しているうちは、自分の人生を生きられない」と。

ストレスのない人はいない。

ストレスが全くない状態は、むしろ異常である。

しかし、世の中、ストレスに押しつぶされている人も多くいる。

一方、はたから見るとストレスがありそうに見えるのに、本人はそうでもない、ということもある。

特に一流といわれる人にそのような人が多い。

中にはストレスを楽しんでいる人すらもいる。

この違いはどこからくるのか。

本書ではその要因の一つとして、「他人に期待しない」ことをあげている。

「他人に期待しない」というとニヒリストのようにとらえられがちだが、そうではない。

これをこれを言い換えると「自分にコントロールできること、できないことをきっちり分けた上で、コントロールできる部分のみを大切にする」ということになる。

人は自分の立ち居振る舞いや思考はコントロールできるが、他人のことはコントロールできない。

期待すればするほど、その期待を裏切られたときのガッカリやイライラが大きくなる。

「こうしてくれるはず」「ちゃんとやってくれるはず」と他人に期待をしてしまうと、それがストレスの種となる。

「自分にコントロールできないことには執着しない」ことを心がけていれば、他人への期待も手放すことができる。

一流の人は、そのような仕分けがうまくできているのであろう。

2015年11月21日 (土)

ベラ・チャスラフスカ 最も美しく/後藤正治

Photo_2《しかし、もし署名を撤回したなら、私は自分の姿を鏡に映してみることもできなかったでしょう。朝、起きて鏡を見ながら髪をとかすときに、良心の呵責に耐えられなかったと思います。私は、裏切り者や詐欺師にはなりたくありません。私は、「二千語宣言」に署名するに当たって、だれからも強制されたわけではありません。私は1968年の「プラハの春による自由」を信じたまでで、残りの人生をおカネに不自由なく暮らすために、自分に背きたくはなかったのです》

東京オリンピックで印象に残っているシーンがいくつかある。

東洋の魔女と言われた日本女子バレーボールの金メダル、

ゴール前のトラックで英国のヒートリーに抜かれ銅メダルとなった君原、

そして女子体操で優勝したチャフラフスカの圧倒的強さと美しさである。

しかし、チャフラフスカの人生は決して順風満帆というものではない。

困難な時代、人がもつ良きもの、そうでないものを数多経験する。

人は自分の信条をどんなにはやく裏切ってしまうものであるかを知る。

政治体制は人の心をどんなにたやすく折り曲げることができるかを知る。

そして幾多の苦難を乗り越え、それでも信念を曲げなかった一個人の歴史、

ここに人間としての本当の美しさがあるのではないだろうか。

2015年11月20日 (金)

誇り/木村元彦

Photo ストイコビッチは試合に負けると悔しくてその夜は眠れない。夜通し、妻のスネジャナにとつとつとその日の出来事を話し、ビデオで試合の模様を何度も繰り返して見る。そうすることでようやく、ささくれ立った気持ちのクーリングダウンが終了し、就寝できるのだ。この日もそうなるだろうと思いながら移動のバスに乗りこんだ。
 ところが、発車してしばらくすると、イビキが聞こえてきた。妖精は驚愕した。日本の選手はこんな状況の中でも平気で眠れてしまうものなのか!サッカーのゲームはストイコビッチにとって人生の再生に等しいという。たとえるなら、90分の間に自らの存在が生まれ、躍動し、眠りにつく、それくらいの思いがある。

Jリーグの草創期、多くの有名外国人選手が各チームで活躍した。

ジーコやリネカー等々である。

ジーコやリネカーが全盛期を既に過ぎいてたのに比べ、ストイコビッチのプレーには光るものがあった。

祖国には内戦のため帰れず、世界各地のクラブチームを渡り歩いていたピクシーが選んだのがJリーグの名古屋グランパスであった。

彼にとってサッカーとは単なるゲームではなく戦いである。

その勝ちにこだわる生き方が、周囲と多くの摩擦を生んだ。

彼にとっては試合に負けても、笑顔で話すチームメートが信じられなかったのであろう。

でも、分かるような気がする。

確かに現役時代のピクシーのプレーには人を感動させる何かがあった。

単に高度な技術を身に付けているということだけではない、魂に訴えかける何かがあるのである。

それと比較すると、確かに今の日本選手にはどうしても物足りなさを感じてしまう。

先日の日本代表の試合にもはっきり言って失望させられた。

勝にこだわる姿勢がプレーに見られず、イライラしてしまう。

ピクシーにあって日本選手にないもの、それが「誇り」なのではないだろうか。

2015年11月19日 (木)

ぼくらの真実/青山繁晴

Photo イギリスの国旗ユニオンジャック、アメリカの星条旗、フランスの自由、平等、友愛を表す三色旗。いずれも血塗られた惨たる歴史を持っています。しかし誇りを持って空に掲げられ、それぞれの民主主義に生きる国民はその国旗を仰ぎ見て、胸に手を添え、国歌を歌いあげます。
 一度戦いに敗れたからといって国旗を拒み、国歌を生徒に歌うなと求める教師がいる国は、この広い世界のどこにも日本以外には存在していません。

おそらく国旗や国歌を否定する国民は日本人以外にはいないであろう。

日本以外の国ではたとえリベラルな人であっても国旗や国歌を否定することはしない。

しかし、日本では、公立学校で君が代を斉唱することを義務化することが大真面目で議論される。

教員たちで組織されている日教組などはいまだに国旗や国歌を否定している。

次の世代を担う子供たちを教える立場の人たちにこのような人たちがいることは国家としては大きな問題ではないだろうか。

自由というものをはき違えているように思えてならない。

2015年11月18日 (水)

人事部の嘘と誠/新井健一

Photo よくコンサルティングの現場で「うちの会社は特殊ですから、その事例や方法論は当てはまらないです……」というような意見を聞くが、果たしてそうだろうか。
 会社の抱える問題がすべて特殊なものであれば、外部から招へいされたCEOやコンサルタントが問題解決に乗り出して成果を上げることなど、まずは不可能であろう。
 会社の抱える問題が特殊になるのは、特殊であると訴えたくなるのは、多くの場合その問題にある種の〈感情論〉が紛れ込むからである。

「うちの会社は特殊ですから」という言葉、

確かにほとんどの企業でそのようなことを言われる。

しかし、そのような会社と深く関わっていく中で感じたことは、特殊な会社など一つもなかったということである。

確かに私が人事コンサルを依頼され関わる企業は、業種・業態・規模等、様々である。

一つとして同じ会社はない。

では、それを特殊といってよいのであろうか。

一つ一つの会社の違いは、むしろ当たり前のことであって、特殊というものではない。

会社にはそれぞれ独自の戦略や儲ける仕組みがある。

そしてその戦略に基づいて人事制度は作られる。

会社によって戦略が違う以上、人事制度も会社によって違う。

でもそれは当たり前のことであって、特殊ではない。

ある会社の人事制度は、他の会社の人事制度とは全く違う。

会社により、社員の成長や夢の実現、自己実現、

幹部になれる可能性や幹部になるための要件、

権限移譲の範囲や程度、〈がんばり〉の定義や〈がんばり〉への報い方、

そして職場環境は異なる。

だから人事制度も会社によって違うのである。

でもこれは当たり前のことであり、特殊なことではないのではないだろうか。

2015年11月17日 (火)

日本型リーダーはなぜ失敗するのか/半藤一利

Photo 戊辰戦争の時も総大将となった有栖川宮の役どころは、「指揮官」というよりまさに「ミカドの名代」。御維新からたかだか十年、官軍が自らの正統性を示すパフォーマンスはまだまだ重要だった。いきおい総大将はおごそかなる権威があればいい、実際の指揮官たる参謀長および幕僚さえしっかりしていれば、戦さはうまくいくと考えたのです。ここに日本型リーダーシップの発祥がありました。

日本型リーダー像の原型は、戊辰戦争時の総大将、有栖川宮にあったと著者は述べている。

それは、リーダーは権威さえあればよく、実際の作戦は参謀が行う、といったもの。

いわゆる、参謀任せの「太っ腹のリーダー像」である。

トップに君臨するだけで、現場の指揮には口出しをしないのが優れたリーダー。

現場の指揮をするのは参謀。

日露戦争はそれでうまくいったが、大東亜戦争では、その参謀に問題があった。

現場を知らないエリート参謀が指揮をするようになり、日本は敗北した。

にもかかわらず、この「太っ腹のリーダー像」、今も日本の理想のリーダー像になっているような気がする。

2015年11月16日 (月)

好きになってはいけない国。/菅野朋子

Photo「日本は好きになっちゃいけない国って思っていた」
「日本ってずっと悪く言われてきたから、イイ感情を持っているかって言われると、ちょっと違う」
「国史で習うと昔いろいろあったから、好きとは言えない」──。
 J-POPに〝夢中になっている〟十代、二十代の韓国の若者たちに〝日本〟について尋ねると、決まってこうした答えが返ってくる。

本書は10年以上前の韓国の若者たちの様子を中心に記されている。

日韓ワールドカップの前後であり、またヨン様ブームが起こり、追っかけのオバサン達の韓国旅行が盛んになった時期である。

この当時と今の日本人の韓国人に対する見方は大きく変わっている。

今は韓国に対して悪い印象を持っている人たちが多い。

しかし、韓国はというと10年前も今も、ずっと反日である。

ところが、国を挙げて反日を行っている韓国であっても、若者たちの中にはJ-POPや日本のアニメに夢中になっている人たちが多かったということである。

しかし、そのことを大っぴらには言えない。

日本の大衆文化は好きだけれど日本は好きになってはいけない国。

この辺りに韓国人のジレンマがある。

反日を口にしていながらも、なんとなく日本が気になってしようがない。

悪口を言いながらも、罵詈雑言を並べながらも、意識の底には常に〝日本〟が漂流している。

そんな韓国の人たちの姿が、そこにはある。

日韓関係を考えた場合、このことも頭に入れておくべきだろう。

2015年11月15日 (日)

あなたの隣のモンスター社員/石川弘子

Photo 実務でK坂が先輩から「こうした方がいいよ」とアドバイスを受けても、「そんなやり方しているから、この会社の体質はいつまでも古いんだ」と反抗する。同僚が、K坂の書類のミスを指摘すると、「俺の仕事に口出すな。お前みたいな程度の低い人間に指図されたくない」などと暴言を吐く。更に、宴会の席で、上司に向かって「その程度で課長になれるなんて、よっぽど会社は人材不足なんですね」「あんたらみたいなバカの下で働く部下は大変だ」など、誹謗中傷する。

本書で紹介されているモンスター社員。

それと似た例には私自身も遭遇したことがある。

一昔前では存在しなかった社員。

それがモンスター社員である。

以前も問題社員という言葉はあった。

しかし、モンスター社員は、単なる問題社員とはまったく違う。

巧みに噓をつくかと思えば、すぐにバレる見えすいた噓をつき、逆切れする。

周囲に恐怖を与えるような攻撃性を備えていたりする。

他人と健全なコミュニケーションが成立しない。

自分は悪くなく、周囲が悪いというのが共通している。

そしてその多くはメンタルの問題を抱えている。

問題はこのような社員が増加傾向にあるということである。

2015年11月14日 (土)

護憲派メディアの何が気持ち悪いのか/潮匡人

Photo そもそも、守るべきは「平和主義」ではなく、平和そのものではないだろうか。「平和主義」を死守した結果、平和を失う。それこそ本末転倒であろう。

今だに日本人の多くは平和を唱えていれば平和になると思っている。

それを煽っているのが日本の護憲派マスコミである。

護憲派マスコミが唱える「平和主義」とは何なのか。

護憲派も、個別的自衛権と自衛隊、さらには在日米軍の駐留まで認めている。

さすがに自衛隊は憲法違反とまでは言わない。

その上で「集団的自衛権行使」を「平和主義に反する」と咎めている。

憲法違反だと主張する。

「アメリカの戦争に巻き込まれる」と不安を煽る。

挙句の果て、「徴兵制になる」と根拠のないデマを流す。

確かにこのような護憲派マスコミは、異常を通り越して気持ち悪い。

2015年11月13日 (金)

走ることについて語るときに僕の語ること/村上春樹

Photo 走ることは、僕がこれまでの人生の中で後天的に身につけることになった数々の習慣の中では、おそらくもっとも有益であり、大事な意味を持つものであった。そして二十数年間途切れなく走り続けることによって、僕の身体と精神はおおむね良き方向に強化され形成されていったと思う。

本書は、村上春樹氏の走ることについてのエッセイである。

村上氏は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできたと語っている。

どの程度、どこまで自分を厳しく追い込んでいけばいいのか?

どれくらいの休養が正当であって、どこからが休みすぎになるのか?

どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか?

どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?

どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか?

もし長距離を走り始めなかったとしたら、自分の書いている作品は、今あるものとは少なからず違ったものになっていたのではないかという気がすると言っている。

これを読んで、村上氏のような長編小説を書くということは、知的作業というより肉体労働であり、身体と切り離しては成り立たないものなのかな、と思ってしまった。

2015年11月12日 (木)

察しない男 説明しない女/五百田達成

Photo 男と女のコミュニケーションは、外国の人と接するよりももっと難しいのです。「男と女は、異星人だ」と言ってもいいほどです。

世の中の半分は男であり、半分は女である。

ということは、男である私にとって、接する人の半分は異星人だということになる。

そう考えると、「自分のやってもらいたいことを相手にもする」という単純なことではコミュニケーションギャップが起こるのは当たり前ということになる。

男と女が違う以上、男である私がやってもらいたいことが、女の人にとってはやってもらいたくないことである可能性がある。

たとえば、これは本書に事例として載っていたことであるが、

男性の上司が部下の女性に「これ、簡単だからやっておいて」と仕事を頼んだとする。

部下の女性はどのように感じるのか?

上司のほうは、「『君にとっては』簡単な仕事だから、短い時間で片付けられるはずだよ、お願いね」という軽い気持ちで言っていたとしても、これではまるで伝わらない。

それどころか、「君にはこれくらい簡単な仕事がお似合いだ」と言われたような気分になる女性さえいる。

こんな些細なやり取りから、人間関係がギクシャクしてしまう。

こんな事例をいくつも読んでいると絶望的な気持ちになってくるのだが、そうも言っておれない。

何しろ、この世の中の半分は女なのだから。

やはり謙虚になるべきなのだろう。

2015年11月11日 (水)

日本サッカーはなぜシュートを撃たないのか?/熊崎敬

Photo わたしは改めて、日本の社会について考えた。それは自分の身の周りを考えるということ。コンビニで買い物をする。地下鉄に乗る。サッカーを見に行く──。その中で浮かび上がってきたのが、他者と駆け引きをせずに物事を済ませられる快適な社会だった。相手の不在。これは日常的に耳にする、「自分たちのサッカー」という思考につながっているではないか。

確かに日本代表の選手はよく「自分たちのサッカー」という言葉を口にする。

たとえ、点が入らなくても「自分たちのサッカー」をすればよいという口ぶりである。

でも、サッカーは点を取るスポーツである。

はっきり言って、得点のないサッカーは面白くない。

特に日本代表の試合は、シュートを中々打たずイライラすることがある。

確かにパスはきれいにつながるのだが、泥臭さがない。

ゴールに迫る怖さがない。

それが「自分たちのサッカー」だと言うのだろうか。

「自分たちのサッカー」とは、パスをキレイに回してポゼッションを重視し、キレイにゴールを決める。

つまり計画的にゴールを決める予定調和的なサッカー。

しかし、サッカーは相手との駆け引きのスポーツである。

また、意外性のスポーツでもある。

つまり不確定要素があまりにも多いスポーツなのである。

日本のサッカーがスリリングでないのは、日本人の日常生活がそうであるからかもしれない。

あまりにも快適になりすぎた日本の社会の象徴、それが日本のサッカーなのかもしれない。

2015年11月10日 (火)

世界一タフな職場を生き抜く人たちの仕事の習慣/ずんずん

Photo 外資系勤務の人はいつ解雇されるかわからないため、転職を前提として日々働いています。つねに自分の転職市場での市場価値を高め、給料を上げるチャンスを狙っているのです。

外資系企業に働く人間は、いつクビになっておかしくない。

逆に言えば、いつクビになってもいいように、転職前提の働き方をしている。

自分の市場価値を高めることができれば、次の転職先でより高い報酬で雇ってもらえる。

そのようにして働いているというのである。

外資系が全て良いとは限らないが、日本の企業に働く人も、この点は見習うべきではないだろうか。

日本で働く人は、どちらかと言えば、企業におんぶ抱っこの意識がある。

いい会社に就職できれば、その後、自分の市場価値を高めようとする努力をあまりしない。

そのため、いざ解雇されると、潰しがきかない。

そして、多くの場合、次の転職先では給料は下がる。

日本の終身雇用も安心して働けるといういい点はあるのだが、それが甘えにつながるようだと問題だ。

今、働く人の意識改革が求められているのではないだろうか。

2015年11月 9日 (月)

「天職」がわかる心理学/中越裕史

Photo「もし妖精が願いを叶えてくれて、身の安全と成功が保障されたら」と考えたとき、自分のやりたいことが頭に浮かぶ人は、かなりたくさんいらっしゃいます。あなたは、どうですか?

この世で自分のやりたいことを職業にしている人はどの位いるのだろう。

おそらく少数派ではないだろうか。

でも、残りの大部分の人たちに「あなたは何をやりたいのか」と問うた場合、はっきりした答えが出てくる人はそれほど多くはいないのではないだろうか。

それは、「自分の本当にやりたいこと」を考える思考を、いつも押さえつけてきた結果ではないかと考える。

自分のやりたいことを職業にするにはリスクが伴う。

当面の問題として、「食っていけない」というリスクが出てくる。

特に家族持ちの場合、そのリスクがあると、一歩を踏み出しにくい。

逆に考えれば、やりたいことを見つけられる人は、やってみたいと思っていることに、不安でも一歩、踏み出せる人だといえる。

なぜなら本当にやりたいことは、行動してみて初めて分かるからである。

「行動してみて、初めてわかることがある」とよく言う。

でも実際は、「行動しないと、ほとんどのことはわからない」。

こっちが正解だと思う。

でも世の中、実際には、「食うために選んだ仕事が天職になった」という人が多いのではないだろうか。

2015年11月 8日 (日)

プロカウンセラーの聞く技術/東山紘久

Photo ワイドショーで取り上げられた事件のあった学校で、事件後何が一番のストレスだったかを調査したことがあります。保護者・教師・児童(生徒)を対象としたアンケートで一番だったのが、マスコミの取材です。まだつかまらない犯人よりもマスコミがストレスになっているのです。

著者によると、今まで、話すより聞くほうが好きだという人にお目にかかったことがない、ということである。

それほど、聞くことは難しい。

専門的な聞く技術が必要となる。

教師や親には打ち明けないことを、スクール・カウンセラーに話す子どもたちはたくさんいる。

スクール・カウンセラーが、事実を聞きだそうとする教師と同じような態度をとると、子どもはけっして話してくれない。

愛されている、だいじにされている、自分の味方だと思う相手には、子どもは自分から非行を認めて話すものである。

それにしてもマスコミはある意味、「聞くプロ」であるはず。

それなりに相手の話を聞く技術を訓練しているはずである。

そのマスコミが犯罪人よりもストレスを与える張本人になっている事実。

いかに聞くことは難しいかの悪い事例ではないだろうか。

2015年11月 7日 (土)

「辞めさせない」マネジメント/石田淳

Photo 人の行動の積み重ねが、最終的に組織としての結果を生む。
ですから、組織の生産性を高めるには、組織の構成メンバー一人ひとりの行動を変えればいいということ。
 会社で考えれば、社員一人ひとりの行動に着目し、結果に結びつく望ましい行動を取らせ、同時に結果に結びつかない望ましくない行動を取らせないようにすることが、効率的なマネジメントといえます。
 「行動の積み重ねが、結果を生む」
 繰り返しになりますが、これは人間の行動原理です。

企業活動とは行動の積み重ねによって成り立っている。

その一つひとつに着目し、アプローチしていく手法が行動分析学である。

人間は行動した結果、好ましい結果(好子)が出現した場合、その行動を無意識のうちに繰り返す。

逆に、行動した結果、好ましくない結果(嫌子)が出現した場合、その行動は消滅する。

これをうまく利用しマネジメントの手法として活用する。

それによって組織全体を変えてゆくというものである。

今後マネジメントの手法として提案してゆきたいと思う。

2015年11月 6日 (金)

高学歴社員が組織を滅ぼす/上念司

Photo 簡単な問題を100問正確に解く能力と、何度間違えても難問に立ち向かっていく能力はまったく違います。まして、実社会で直面する問題にはほとんど答えがありません。むしろ、答えだと思ったものは実は違ったということのほうが日常茶飯事です。

多くの人が錯覚するのは、高学歴社員、イコール、仕事のできる社員、だということ。

しかし、いわるの頭の良さとハイパフォーマーとは相関性はない。

仕事の成果を上げるためには、むしろ困難に立ち向かう勇気であったり、折れない心であったり、そういったものの方がむしろ大切になってくる。

頭の良さについては、悪いよりは良い方が良い、といった程度のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。

むしろ、高学歴社員が自分は仕事ができると錯覚することの方がよっぽど弊害が多い。

特にそのような人材が組織のトップに居座る企業は最悪である。

できない理由ばかりあげ、結局無難なことしかしないということになってしまう。

そのような企業はいずれは衰退する。

人を採用する場合も、有名大学を卒業し大企業で働いた履歴があると、特に中小企業の社長などは「きっとわが社にきてくれれば貢献してくれるだろう」と思いこんでしまう。

しかし、採用してみると、それがとんでもない人材であったという話は、よく聞くものである。

人材を見極める時の大事な視点だと思う。

2015年11月 5日 (木)

オシムの言葉/木村元彦

Photo ミックスゾーンにいた勇人は、悔しくてたまらなかった。そこに記者が話しかけた。
「監督に、最後の佐藤のシュートが残念でしたね、と聞いたんだよ。そうしたら、『シュートは外れる時もある。それよりもあの時間帯に、ボランチがあそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか』と言われたよ」
 全身が痺れた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。

リーダーはメンバーからの支持によって成り立っている。

単なるポジションパワーによって組織を率いていても、それではよいチームはできない。

チームには様々な役割がある。

中には、目立たない役割を担う人もいる。

そして、それはチームのためには重要な役割である。

その目立たない貢献に対して、ちゃんと目を向け、関心を払い、スポットライトを当てる。

それができるのが優れたリーダーであろう。

オシム氏はそれを日常の中でちゃんとやっていた。

オシム氏が監督として率いる日本代表がワールドカップで活躍する姿を一度見てみたかった。

2015年11月 4日 (水)

コーチングとは「信じること」/生島淳

Photo「選手一人ひとりにとって、何が必要なのか、それを見極めるのがコーチングにおける『アート』なんです。選手個々の能力を引き出すためには、どのようなコミュニケーションを取るべきなのか。それこそ数限りないケースが考えられるわけです。その見極めにこそ『アート』が生まれる余地があります」

ラグビーワールドカップにおける日本代表の活躍はセンセーショナルなものだった。

しかし、本書を読んでみると、それは決して奇跡ではなかったということがわかる。

むしろ、「勝つべくして勝った」のだ、

それだけの準備をしていたのだということが分かる。

特にエディー氏のコーチングによって選手は確実に変わっていった。

そのコーチングはプレーだけでなく、日常生活にも及んだ。

エディー氏は「チームの決まり事やペナルティを犯さないということだけが規律ではありません。本来、『生活のなかで正しいことをする』のが規律なのです。」といっている。

練習後、家に帰って、次の日のために食事をしっかりととって、ストレッチをやって、十分な睡眠を取る。

こうした当たり前のことを、規律がある選手は何も言わなくても出来るけれど、規律がない選手は出来ない。

規律が守られてこそのパフォーマンスだと言っている。

またエディー氏は五郎丸に、ワールドカップでのプレースキックの成功率を「85%」にまで高めることを要求したという。

2014年シーズン、日本代表での五郎丸の成功率は81%。

それを更に4%上げるように求めているのである。

選手個々に、ストレッチ目標を与える。

そしてそれを勝利に結び付ける。

「コーチングはアートだ」という所以であろう。

2015年11月 3日 (火)

逆説の日本史〈18〉幕末年代史編1/井沢元彦

181 こういう日本民族の欠陥を克服するためには、今の日本人の「宗教」を無視している歴史教育を根本から改めて、「言霊」とか「ケガレ」の基本概念を一から学び、それが歴史にどのような影響を与えたかを詳しく検証することだ。それが取りも直さず「歴史に学ぶ」ということであり、同じ過ちを何度も繰り返す日本の政治の欠陥をただすことになる。

本シリーズを読んでわかったことは、日本の歴史を考えるうえで、「言霊」や「ケガレ」の影響を抜きにすることはできないということである。

様々な意思決定にそれらの考え方が影響を与えている。

それはちょうど、西洋史を語る場合、キリスト教を抜きにしては考えられないということとよく似ている。

かつて山本七平氏は「日本教」や「空気」という概念を打ち出した。

同様に、井沢氏も「言霊」や「ケガレ」という概念から日本史を語っている。

人間は合理的に見えて、実は目に見えない様々な要素に動かされているものだ。

そしてそれは歴史上のことだけでなく、現代にも同じことが言えるということである。

2015年11月 2日 (月)

逆説の日本史〈17〉江戸成熟編/井沢元彦

17 敬親は後世「そうせい侯」と呼ばれた人である。
 「そうせい」つまり「それでよいからそうしろ」ということで、この人は守旧派にも倒幕派にも同じことを言った。だから幕末の名君を代表する四賢侯には数えられていない。しかし、この人こそ最大の「名君」ではないかという評価もないではない。優秀な若者を抜擢し、一度信頼したらすべて任せ、たとえば土佐の山内容堂が武市半平太を切腹させたような、家臣を殺すようなことは一切しなかったのだから。高杉晋作のような世をすねたような暴れ者も、この藩主を慕っていた。その師の吉田松陰を引き立てたのも敬親である。とにかく島津重豪とはまったく異なるタイプだが、家臣に対して極めて寛大だという点で、まさにこの人も「殿様らしい殿様」であった。

毛利敬親は「そうせい候」と言われた。

部下の進言に対して、「そうせい」と承認を与え、責任を持って任に当たらせた。

これはリーダーとして非常に重要な要素だと考える。

このようなトップがいると、組織は自由闊達な風土が醸成される。

また、それによって優秀な人材が育つものだ。

この時代の長州がそうだった。

敬親の治世のがなければ、吉田松陰や高杉晋作は活躍できなかったかもしれない。

リーダーには様々な型があるが、これも一つの型だといってよいだろう。

2015年11月 1日 (日)

逆説の日本史〈16〉江戸名君編/井沢元彦

16_2 江戸時代の日本における識字率は、専門家による様々な推計がある。しかし、男性においては40から60パーセント、女性については15から30パーセント程度というのが、大体の基本線だろう。これも実は大変な数字なのである。

この江戸時代の日本における識字率は当時としては画期的である。

当時、文明国というと東の代表は中国、西の代表はイギリスあるいはフランスである。

まず、中国は漢字という「エリート専用」の文字のみ用い、「ひらがな」「カタカナ」にあたるものがなかった。

当然、庶民の識字率アップなどというのは夢のまた夢である。

では、イギリスはどうか?

イギリスに限らずヨーロッパ諸国では、識字率は日本とは比較にならないほど低かった。

まず、庶民に「本を読む」どころか「文字を読む」習慣というものがなかった。

人間は言葉によって考えるものだ。

そう考えると、鎖国していたにも関わらず、江戸時代の文化が独自の発展を遂げたこともわかるような気がする。

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