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2016年1月の31件の記事

2016年1月31日 (日)

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと/和田一郎

1812 組織人には、4種類の人間がいるという。
 ①できるが使いにくい人間
 ②できる上に使いやすい人間
 ③できない上に使いにくい人間
 ④できないが使いやすい人間
 ゲームに勝ち抜き、組織の中で将来重きをなそうとするのであれば、はっきりと意識して②の「できる上に使いやすい人間」を目指すべきだった。

上記の中で一番扱いが難しいのは、①の「できるが使いにくい人間」ではないだろうか。

特にこの「できる」というのがクセモノ。

ここでいう「できる」というのは、独りよがりな「できる」である。

会社のニーズに合っていない「できる」である。

入社後、若くて覇気のある人たちは得てしてそういう風になりがちだが、「若いから」と目をつぶってもらえることも多い。

だが、それなりの地位になっても、その状態のままだとどこかで壁に突き当たる。

「できるが使いにくい人間」は、自分で将来の昇進のチャンスを潰しながら上に進もうとしているようなものである。

また、このような人は、転職しても同じことを繰り返す。

このことは会社組織におけるシンプルな真実である。

2016年1月30日 (土)

心を削らない働き方/山口由起子

Photo_2 自分軸の生き方になると、自分の感じたこと・考えたことに基づいて、行動するようになります。ときにはひとに合わせたり、ルールに従うこともあるでしょう。でも、それを「選ぶのは自分」という前提なので、無理に合わせていた違和感はなくなります。自分軸で生きていると、自然と穏やかに、元気になるはずです。

「心を削る」とは極端な表現である。

しかし、これほど現代の働く人の心は疲弊しているということであろう。

ではどうしてこんなに心を病むのか?

それは他人軸で生きているからである。

いつも人の目を気にし、それを軸に働く。

これは疲れる。

やはり自分軸の生き方が必要なのだろう。

自分軸の生き方は、自己中心的な生き方ではない。

自己中心的なひとは、「他人よりも自分」という枠組みのなかで生きている。

そのため、いつも自分の利益になるように選択をする。

他人軸の生き方のひとは、「自分よりも他人」という枠組みなので、ひとのために頑張って自分を押し殺す。

これでは自分はどこかへ行ってしまう。

一方、自分軸の生き方は、自分=他人という対等の位置づけである。

対等なので、自分のための選択をしたうえで、相手の選択を冷静に受け止めることができる。

そしてお互いが一致する点を探ることができる。

そのためにはまず自分を否定せず、好きになることであろう。

本当の意味で自分が好きな人は、他者も好きになれるものである。

2016年1月29日 (金)

アドラー人生を生き抜く心理学/岸見一郎

Photo 「意味は状況によって決定されるのではない。われわれが、状況に与える意味によって自らを決定するのである」

アドラー心理学の大きな特徴は「目的論」であるということである。

目的論では、例えば、怒りに駆られて大声を出すのではなく、大声を出すために怒ると見る。

不安なので外に出られないのではなく、外に出ないために不安になると見る。

何かをする、あるいはしないという目的がまずあって、その目的を達成する手段を考え出す。

怒りという感情が私たちを後ろから押して支配するのではなく、他の人に自分のいうことをきかせようとして怒りを使う。

また、他の人からの同情を引くために悲しみの感情を創り出すのである。

人は自分が経験したことを、ある目的のために意味づける。

好意を持っている人に対しても、自信がない人は、その人との関係を先へ進めることをためらうために、相手が目を逸らしたのは自分を避けたからだと意味づける。

ある人から離れたい人は、自分とその人との経験の中から、その人の嫌なところを探し出す。

逆に言えば、その意味付けを変えれば、状況も変化するということである。

目的論は目を過去ではなく、未来へと向ける。

これよって、現状の追認から抜け出すことを可能にする。

現状を変えたいのであれば、自分にとっての過去、現在、未来の意味を変えることである。

このことなくして何も起こらないということであろう。

2016年1月28日 (木)

アドラー心理学実践入門/栗原武夫

Photo 嫌われることは自由に生きるために支払わなければならない代償であり、逆に、誰かが自分を嫌っているとすれば、それは、自分が自由に生きているということの証であるということができます。

私たちは多かれ少なかれ人の目を気にして生きている。

人から見た自分を意識しながら生きている。

これはプラスに働くこともあるし、マイナスに働くこともある。

人から見た自分を意識するので私たちは身なりをキチンとするし、言葉遣いにも気を付ける。

人は一人では生きていけないのだから。

ただ、人の目を意識している故に、本当の自分を見失うということも良くある。

ありのままの自分でいることを妨げる。

やはりそのような生き方は疲れる。

自分らしく生きるためには人の目からも自由になることである。

ありのままの自分でいるというのは、あくまでも他の人からの評価に一喜一憂しないこと。

人がどう見るかという、人の自分についてのイメージから自由になるということ。

親であれ、社会であれ、人が自分に持っている、あるいは持つべきだ、と暗に、あるいは、はっきりと命令するイメージに合わせないことには勇気がいる。

そのイメージは、他の人が自分について持つ期待ということもできるからである。

そのようなイメージに自分を合わそうとしなければ、自由になることができる。

また、他の人の目を気にして、自分を実際以上によく見せることもなくなる。

このことは、現実のありのままの自分を見せるという決心をするということなので、勇気がいることである。

私たちが、人が自分をどう見るかということが気にならなくなり、このありのままの私でいいのだと思えた時、すでに大きく変わっているのではないだろうか。

2016年1月27日 (水)

コミックでわかるアドラー心理学/向後千春

Photo いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック——いわゆるトラウマ——に苦しむのではなく、経験の中から目的に適うものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって、自らを決定するのである。

アドラー心理学を理解するためにマンガを読んでみた。

難しい理論の全体像をつかむには無理をせずマンガを読んだ方が効果的である。

この中で、印象に残ったのは、アドラーの上記抜き書きの言葉である。

私たちはよく「過去のトラウマ」ということを問題にする。

つまり、何かできない理由として「トラウマ」を持ち出す。

それによって自己正当化するのである。

アドラーはこのことをあまり意味のないことだと断じている。

そんなことをしても何も変わらない、と。

それより私たち自らの意志で状況に意味を与えることが重要。

つまりそれによって自らを決定することができる、という。

これは非常に面白い考え方である。

つまり未来を創るのは自分だということであろう。

2016年1月26日 (火)

職場も人生も好転する感情のトリセツ/篠崎龍治

Photo「人間は自分の人生を描く画家である。あなたを作ったのはあなた。これからの人生を決めるのもあなた」byアルフレッド・アドラー

最近、アドラー心理学という言葉をよく聞くようになった。

そこで、アドラー心理学というものがどのようなものなのかと思い、その入門書を読んでみた。

アドラー心理学では、「全ての感情には目的がある」と唱えている。

感情が湧き上がるのには理由がある、という。

たとえば、怒りの感情の正体は何なのか?

一言で言うと、「自分で創った思い込み」である。

例えば、怒りの原因は、悲しみ、寂しさ、苦しみである。

それらが「怒り」に転化する。

その思い込みに反応して生じるのが「怒り」である。

もし悲しみ、寂しさ、苦しみを素直に表現することができれば、怒る必要はなくなる。

本当の感情を感じる素直な心を持ち合わせていれば、怒ることは減っていく。

本当の感情を知るほど、よく笑い、よく泣き、自分自身や周囲への感謝が湧いてくることが増えていく。

他人への関心も増えていく。

それだけで生活は豊かになっていく、というのである。

そう考えると、自分の人生にどんな画を描くかは自分自身なのだといえよう。

2016年1月25日 (月)

〈育てる経営〉の戦略/高橋伸夫

Photo 誤解を恐れず明言しよう。給料を上げれば勤労意欲が高まるという前提自体が、科学的根拠のない迷信である。もらったときにはうれしい金銭的報酬が、すぐにあなたの心を蝕みはじめる。仕事から喜びを奪うことすらあるのだ。

多くの経営者は給料を上げればやる気がでると思っている。

しかし、これこそ迷信である。

確かに一時的にやる気がでることはある。

しかし、せいぜい1ヶ月くらいであろう。

それを過ぎればもとに戻ってしまう。

では、どうすればやる気がでるのか?

それは仕事そのものの面白さを実感させることである。

そんなことを言うと、「それほど面白い仕事はない」というかもしれない。

そうではない、面白くするのである。

一見、面白そうもない仕事もやり方によっては面白くなる。

この創意工夫が本当の意味でやる気を引き出す。

そして仕事によってさらに達成感や成長実感を感じられれば更にやる気がでる。

元々、日本型の人事システムの本質は、給料で報いるシステムではなく、次の仕事の内容で報いるシステムである。

一つの仕事を達成したら、次に、より大きな仕事が。

それを達成したら、さらに大きな仕事が……

と与えられることで、動機づけがおこなわれていた。

そうやって与えられる新しい仕事、次の仕事を通して、人は仕事の面白さに目覚め、成長していった。

金では人は育たない。

次の仕事を与えられることで、はじめて人は育つ。

パフォーマンスが向上し、やがては会社の真の成長につながっていく。

この原点にもう一度立ち返るべきであろう。

2016年1月24日 (日)

出世する部長の仕事/安藤浩之

Photo 部長は「本質思考」であるべきです。本質思考とは、物事の本質を見極めることであり、根源的であることです。何かの不具合があって原因を究明している時においては、表層的な原因を見て判断するのではなく、その奥底深くにある根源を見極めなければなりません。

課長について書かれている本はたくさんある。

一方、同じマネジメント職であっても、部長の仕事について書かれている本は多くない。

部長と課長、どこがどう違うのか。

違いが明確になっていない会社もあるのだが、やはり明確にすべきであろう。

課長が個を見て、マネジメントをするのに対して、部長は組織を見てマネジメントをしなければならない。

人間の集合体である組織が戦略の実現に寄与しているのかをマネジメントするのが部長の仕事。

課長は部長に比べ、より現場に近いポジションにある。

一方、部長は課長に比べ、より経営に近い。

その分、責任も重くなる。

経営に近いということはどういうことか?

物事の本質を見極め、決断することが求められるということ。

決断とは、何かを捨てて何かを手に入れること。

この捨てることができないと、やるべきことが増える一方で、結果として中途半端に至ることがある。

そして、そのように本質を見極め、先の見えない不確実な状況の中で、新たな事業への進出を決断し、部を動かしていく部長が役員クラスまで上り詰めるのであろう。

2016年1月23日 (土)

軍師の戦略/皆木和義

Photo_4 世界には、きみ以外には誰も歩むことができない唯一の道がある。
 その道はどこに行きつくのか、と問うてはならない。ひたすら進め。
 ───────ニーチェ

世の中には確かに、自分しか歩むことのできない唯一の道があるに違いない。

しかし、それを発見したとき、その行き着く先を考えてしまうのではないだろうか。

だが、その時点で、独自性は失われてしまう。

その歩みも鈍ってしまうに違いない。

でも、それが普通の人である。

行き着く先を考えずに、ひたすら突き進むことが出来る人。

そのような人が未来を創る人であろう。

非凡と平凡の違いかもしれない。

2016年1月22日 (金)

プロフェッショナルの条件/P.F.ドラッカー

Photo_3 あらゆる組織が、「人が宝」と言う。ところが、それを行動で示している組織はほとんどない。本気でそう考えている組織はさらにない。ほとんどの組織が、無意識にではあろうが、一九世紀の雇用主と同じように、組織が社員を必要としている以上に、社員が組織を必要としていると信じ込んでいる。

久しぶりにドラッカーの著書を再読してみた。

何度読んでみても、多くの気づきを与えてくれる。

また珠玉の言葉であふれている。

ここでドラッカーは多くの組織が「人が宝」といっておりながら、本気でそれを実践していない、といっている。

全くその通りだと思う。

特に日本では「わが社は人を大切にする会社です」という経営者は多い。

しかし、本当にそうだろうか?

それは外向けの体裁をとり繕った言葉になっていないだろうか?

そういう会社に限って、実際にはサービス残業やパワハラがはびこっているという例は枚挙にいとまがない。

ドラッカーは、「組織は、製品やサービスと同じように、あるいはそれ以上に、組織への勧誘についてのマーケティングを行わなければならなくなっている」といっている。

「組織は、人を惹きつけ、引き止められなければならない」

「彼らを認め、報い、動機づけられなければならない」

「彼らに仕え、満足させられなければならない」と。

大事なことは経営者の本気度だと思う。

2016年1月21日 (木)

日本人が知らない集団的自衛権/小川和久

Photo_2 第二次大戦後から今日まで欧米をはじめとする主要国が行使を続けている集団的自衛権は、戦争をするための権利ではなく、「戦争を回避するための権利」なのです。「万が一、攻撃をしかけてきたら全員で仕返しするぞ」と宣言し、そのための軍隊を維持することによって「戦争が起きないよう抑止するための権利」、といってもよいでしょう。

昨年の国会での安保法制をめぐるのドタバタは何だったのだろう。

「戦争法案」と揶揄されたが、冷静になって考えてみると、国家として当たり前のことを決めたに過ぎないということがわかる。

今の日本に、あえて戦争をしたいと思っている人は何人いるのだろう?

戦争が起これば、みんな損する。

人、モノ、カネ、全てが浪費される。

誰かそんなことを望むのか?

だからこそ、戦争を起こさないことが大切なのではないだろうか。

そのためには自衛が大事。

自衛権には2つある。

一つは「個別的自衛権」

自国の安全を自国の軍事力によって守る権利である。

もう一つは、「集団的自衛権」

自国の安全を同盟国などの軍事力を使って守る権利である。

どちらも「自衛のための権利」であって、他国を守ることが優先されているわけではない。

あくまでも自国の防衛が最初にあってこその他国の防衛であることが、日本の議論では忘れられている。

そんな国際社会の常識を一切無視して「集団的自衛権は戦争する権利だ」などと言い放つ輩は、一体どんな思考回路をしているのだろう。

2016年1月20日 (水)

「心の報酬」の与え方/中昌子

Photo 心の報酬は「役立ち感」「成長感」「絆・連帯感」の3つに分類することができます。

報酬という言葉を聞いて、すぐに思い浮かぶのは「お金」である。

しかし、お金はモチベーションにつながるのであろうか。

例えば、月給が5万円アップしたとする。

生活は楽になるかもしれない。

ほしいものが買えるようになるかもしれない。

しかし、1ヶ月もすればそれが当たり前になる。

モチベーションもそれほど上がらない。

それが現実ではないだろうか。

そこで登場するのが「心の報酬」

モチベーションを考えた場合、もっと他に効果的な報酬の与え方があるのではないか。

本書で紹介している「心の報酬」とは「役立ち感」「成長感」「絆・連帯感」の3つ。

「役立ち感」とは、自分がよい仕事をすると、人に喜んでもらえる、という実感。

「成長感」とは、この仕事をしていると、自分が成長するのを実感できる、というもの。

「絆・連帯感」とは、この人たちと働いていると楽しい、というもの。

私たちは、仮に金銭的報酬が十分でも、こうした心の報酬が欠けていると「働きがい」を感じることができない。

特に金銭的報酬を与えるのには限界のある中小企業こそ、このような「心の報酬」の与え方を真剣に検討する必要があるのではないだろうか。

2016年1月19日 (火)

山田昭男の仕事も人生も面白くなる働き方/山田昭男

Photo 日本の会社の97%は儲かっていない。
 だから、他社と反対のことをすれば儲かる。

未来工業の創業者、故山田昭男氏の著書。

この会社、何もかもが常識はずれである。

就労時間は1日7時間15分で、残業は原則禁止

年間休日は140日で、「日本一休みが多い会社」として表彰されたこともある

終身雇用と年功序列型賃金で、育児休職は最大3年

社員全員が正社員で、希望に応じて70歳定年制

会社全体にも各部署にも「売上目標」がない

個々人の「営業ノルマ」もない

これで儲かっているというのだからすごい。

儲ける秘訣は、他社と反対のことをすること。

でも、これを実行するには、かなり勇気がいる。

私が関与している会社の経営者からも、口癖のようにこんな言葉がよく出てくる。

「こんなこと他社もやっているんでしょうか?」

「うちの会社では・・・」

「我々の業界では・・・」

他社と同じことをしたら儲からないに決まっているのに、なぜか他社と同じことをやろうとする。

いかに私たちが、常識というものにがんじがらめにされているかということであろう。

2016年1月18日 (月)

明日から成果が出る「仕事脳」のつくりかた/中島孝志

Photo 習慣というのは凄いもので、どんなに酔っぱらっても間違えて隣家に帰ったという経験はほとんどないと思う。帰巣本能のおかげで、無意識に電車やバスを乗り継いでいるわけだ。
 これは少々寝ぼけている脳にも使える。起きてから、あれしてこれして次はええと……ではなく、出勤までにすべきことを公式化しておく。一度、身体に叩き込んでしまえば身体が覚えてしまう。「習慣は第2の性格」なのだ。

仕事のできる人と、できない人、どこが違うのだろう。

一言で言えば、「習慣」が違うのである。

「習慣」とは、無意識のうちにやってしまう思考・行動である。

無意識なので、無理なく継続する。

仕事で成果を上げるためには、継続することが大事。

自分の意志で継続することも可能だが、限界がある。

あまり無理すると燃え尽きてしまう。

しかし、習慣になっていれば無理なく継続できる。

成果を上げる人は、例外なく、成果のでるような行動・思考特性、つまり習慣を身に付けているものである。

上記抜き書きで「習慣は第2の性格」といっているが、うまい表現だ。

確かに、性格はなかなか変えられない。

習慣もなかなか変えられない。

だから「習慣は第2の性格」といってよいだろう。

2016年1月17日 (日)

世界を操るグローバリズムの洗脳を解く/馬渕睦夫

Photo 戦争については、原因からではなく結果から考えてみると見えてくることがたくさんあります。

原因からではなく結果から考える、とはどういうことか?

例えば、戦争が起こった場合、「なぜ戦争が起こったのか」と考えるのではなく「戦争の結果、誰が得をしたのか」という観点で考えてみる、ということである。

確かに、そのような視点は欠けていた。

また、結果から考えると、見えてくるものは「意図」である。

誰かが何らかの目的のために戦争を起こした、と見る。

そうするとこれまで見えなかったものが見えるようになるということである。

例えば、第一次世界大戦の結果、何が起こったのか。

一番大きな動きは、国際連盟が設立されたことである。

国際連盟設立で得をしたのは誰かを考えていくと、大規模な戦争が勃発した理由が推測できる。

国際連盟というのは国際主義を推進するための機関であり、言い方を換えると各国の主権を制限するもの。

そうすると、無国籍のグローバリストがそれを目論んだのではという仮説が成り立つ。

戦争というものは、突発的に起こることはまずない、という。

大戦争をすると利益を得る集団が世の中には存在する。

戦争で利益を得る軍産複合体のような勢力は軍拡競争を煽り、戦争を煽る。

よく「ナショナリストが戦争を起こす」などと言われるが、事実はまったく逆。

国を大切に思う人は、国が荒廃することを誰も望んでいない。

一方、国家意識を持たない人にとっては、自分が生まれ育った国が荒廃しても気にするほどのことではない。

むしろ、各国が戦争でつぶし合ってくれたほうが、世界中が荒廃して、自分たちの求める新しい世界秩序をつくりやすくなると考えているかもしれない。

歴史は因果関係で成り立っている。

因果関係の中で誰が得をするかを追っていけば、背後にある動きがわかる。

そのためには、資金の出し手、利益を得た者など、金融面を見ていかなければならない。

確かに、日本の新聞は全くそのような報道はしないが、そのよう視点を持つことは必要であろう。

本書に記されていることを、単なる陰謀説として片づけないことである。

2016年1月16日 (土)

部下のハートに火をつけるコツ

Photo それにはちょっとしたコツがある。冷静に情熱を燃やすといっても、それが部下に必ず伝わる保証はない。
 そこで自分のハート、やる気を燃やしながら今までの経験を語るのである。なぜ、今、自分はこのようなことを頑張ってしているのか、それまでにはどのような失敗をして、逆にどのような喜びがあったかを話すのだ。
 そうしてこれからチームが目指す目標にはどのような意味があり、その結果何を得られるのかを、自分の言葉で経験を交えて語りかけるのである。

リーダーは情熱がなければならない。

自らが情熱の火を燃やし種火とならなければ、部下のやる気には火がつかない。

しかし、とかく情熱を燃やすと、冷静さも失ってしまうもの。

情熱を燃やしつつ、頭はクールさを保つ。

これは中々難しい。

性格的に見ても、情熱的な人はとかく自分を見失いがち。

そして、冷静な人はどうしても冷淡になりがちになる。

しかし、リーダーとして目指すべきは、あくまで「冷静に情熱を燃やす」ということであろう。

そしてそのためには「自分のハート、やる気を燃やしながら今までの経験を語る」というのだが、

これも、下手をすると「説教おやじ」になってしまうので、注意が必要だ。

2016年1月15日 (金)

人事部長が書いた年収倍増の教科書/永江信彦

Photo マッチングの度合いが強ければ強いほど、そしてマッチングする部分が会社にとって重要であればあるほど、評価が上がって年収がアップする。

自分の勤める会社で年収を上げるためにはどうすればいいのか。

それは、会社が求める貢献をすることである。

注意しなければならないのは、独りよがりの貢献ではダメということ。

自分がいくら会社に貢献したと思っていても、会社がそれを貢献と認めなければ昇給やボーナスアップにはつながらない。

一言で言えば、マッチングの問題である。

能力がいくらあっても、それが会社が求める能力でなければ全く評価されない。

例えば、どんなに英会話が上手であっても、会社がその英会話の能力を必要としなければ評価されない。

では会社は具体的にどんな能力を評価するのか。

多くの場合、それは人事評価表に記されている。

人事評価表に書いてある項目をよく読み、その項目の習得に努めることである。

例えば、会社がある項目について5点を求めているのに、自分は3点であれば、ギャップの2点を埋めることである。

そして評価項目におけるギャップを埋めていこうという行動は、とりもなおさず自分を成長させることになる。

まったくイコールといっても良いかもしれない。

自分が受ける評価というのは、一応は客観的な、自分に対する評価なので、それを向上させることは自分自身の成長になる。

考えてみれば当たり前のことなのだが、このことが分かっていない社員があまりにも多いのが現実なのではないだろうか。

2016年1月14日 (木)

日本企業の社員は、なぜこんなにもモチベーションが低いのか?/ロッシェル・カップ

Photo 社員は良い業績を残すことが必要で、雇用者は満足できる仕事の内容、報酬、職場環境などを提供することが必要となる。企業が社員を惹き付けてやる気を起こさせるためには、雇用の確保を約束するより、魅力的な機会を提供することの方が大切である。

現在日本に存在するのは、中途半端な人事管理アプローチの寄せ集めだと言える。

日本企業が安定した長期雇用を提供できた時代は過ぎ去った。

しかしながら日本企業は、周りの世界の変化に目を向けることを怠り、縮小する一方の正社員を対象とした伝統的な人事管理のモデルにしがみついている。

今の多くの企業は終身雇用を約束できるような環境にはない。

にもかかわらず、多くの企業は終身雇用を暗ににおわせ社員もそのことを期待する。

つまり企業と社員双方が相互依存の関係から抜け切れていない。

本来、企業と社員との関係はどうあるべきだろう。

それは上記抜書きにあるような自立した関係だと思う。

会社は社員に満足できる仕事の内容、報酬、職場環境などを提供する。

社員はそれに応えて、能力を発揮し、業績を残す。

この関係が一番よい関係であろう。

もちろん、企業は、雇用適性を保障するため、能力開発の機会を提供することも必要であろう。

これには、挑戦的な仕事を与えることで社員が学習し成長できるようにすることも含まれる。

しかしそのためには、双方が意識改革をする必要がある。

お互いの甘えの関係を断ち切る必要がある。

企業とそこで働く社員は、双方そのようなターニングポイントに立たされているのではないだろうか。

2016年1月13日 (水)

自分らしい働き方を見つける方法/堂本秋次

Photo 自分の中ですでに働くということが手段になってしまっているにも関わらず、それでも働くことに意味を見いだそうとするからこそ矛盾が生まれるのである。手段に意味はない。目的に意味があるのだ。

「何のために働くのか?」

多くの働く人にとって大きな課題ではないだろうか。

ところが、少なくとも現代の若者にとって、その問いかけ自体がピント外れになってしまうかもしれない。

平成25年度の厚生労働白書によると、働く目的について、若者の回答は、

第一位が「楽しい生活をしたい」

第二位が「経済的に豊かな生活を送りたい」

となっている。

つまり、働くこと自体は目的となっていないということ。

働くのは「楽しい生活」や「経済的に豊かな生活」をするための手段。

いわゆる「割り切り型」が増えているということ。

働く意味とは、現代においてはプライベートの充実のためであると言えそうだ。

良い悪いは別にして、これが現実だということはしっかりと認識しておく必要がありそうだ。

2016年1月12日 (火)

メダリストの言葉はなぜ心に響くのか?/青島健太

Photo「すごく楽しい42.195キロでした!」

この言葉はQちゃんこと、高橋尚子選手がシドニーオリンピックで金メダルを獲得したときの言葉。

マラソンは過酷な競技である。

42.195キロを走るなんて、尋常ではない。

そして練習はもっと過酷である。

練習で追い込む走りを「すごく楽しい」などとは言えないはずだ。

そう感じるようでは、まだまだ練習の強度が足りないということだろう。

もちろん彼女ほどの競技者になれば、きつい練習ができることを高い意識で喜んでいるはずだ。

しかし、レベルが上がれば上がるほど、「快心のレース」と評価できる走りも少なくなるはずだ。

日頃からもがき続けている。苦しさと戦いながら、走り続けている。

だからこそ「すごく楽しい42.195キロでした!」という言葉が生まれるのではないだろうか。

この言葉から伝わってくるもの

それは42.195キロという長距離を楽しく感じさせるほどの練習量。

日々の練習は決して楽しくない。

しかし過酷な練習があるが故に、試合が楽しく感じられる。

過酷な日々が、この言葉から見えてくる。

2016年1月11日 (月)

白いネコは何をくれた/佐藤義典

Photo 「戦略」というと一見難しそうですが、「自分の強みが活きるところで戦う」などの当たり前のことです。ただ、それを使うのと使わないのとでは、長期的には大きな差が出ます。

本書の内容は、白いネコしゃべりだし、主人公である日向実直の人生を変えてしまうという物語。

人生の戦略を考える本である。

ある日、ダメサラリーマンである実直と不思議な白いネコボロが出会う。

そして、戦略BASiCSを使って人生の戦略を考え、実践していくことによって、人生を劇的に変えていく。

戦略を考える場合、一番キーになるのは「自分の強みは何か?」という点。

これを中核にして組み立てていくと、戦略は立てやすくなる。

ただ、この強みを考える場合、注意すべき点は「弱みの裏返しが強み」であるということ。

例えば、「自分中心である」、という弱みは裏返せば「自分の考えをしっかりと持っている」という強みになる。

このように考えると、意外な点が自分の強みとして認識できるようになる。

またそれによって戦略も幅が出てくるのではないだろうか。

本書は戦略というものをもっと身近なものとして考えてもらいたいという著者の思いがあるように感じる。

何れにしても戦略をもっと当たり前のこととして考える必要があるのではないだろうか。

2016年1月10日 (日)

リーダーの「新常識」/石田淳

Photo たとえばあなたが「飛行機を操縦しなさい」と言われたらどうするだろう。
 いきなり飛行機のコックピットに座らされ、
 「さあ、操縦していいんですよ。どうぞ、やる気を出して!」
 そのようなことを言われても、飛行機を飛ばすことはできない。
 具体的にまずどんな準備をして、次にどのような行動をすればいいのかを教えられなければ、やる気を出したからといって、空を飛ぶことなどできない。
 多くのビジネスパーソンは、この事実を見過ごしてしまっている。
 「部下の教育」に当たって、ざっと教えただけで「さあ飛べ」「とにかくやってみろ」とばかりに尻を叩いてしまうのだ。

多くの上司は部下に「やる気を出せ」という。

「やる気を出せ」は上司の決まり文句である。

しかし、この言葉ほど矛盾に満ちた言葉はない。

「やる気」とは内発的なもの。

内側から出てくるはずの「やる気」を外側からの刺激によって誘発しようとする。

これほど無謀なことはない。

そもそも「やる気を出せ」と言われて出るものではない。

もちろん、部下はやる気を出すフリはする。

しかし、あくまでそれはフリである。

そのフリを見て、「あいつもやっとやる気が出てきたな」と勘違いする。

何とも滑稽である。

でもこんな漫才のような場面が今も日本の多くの職場で展開されているのだろう。

2016年1月 9日 (土)

大前研一 日本の論点2015~16

201516 『企業参謀』はビジネスのことを知らない人間がどうやってビジネスを学んだかを書いた入門書だ。それがどういうわけか、経営者のマインドに刺さって大ヒットになった。後にマグロウヒル社から出た英語版『ストラテジックマインド』は世界中の言語に翻訳され、フィナンシャル・タイムズの「孫子の兵法以来の五〇冊の経営書」にも選ばれている。
 『企業参謀』が売れたおかげで、マッキンゼー東京事務所に次々と仕事が舞い込むようになった。しかも「大前さんにお願いします」という名指しの依頼ばかりだった。

大前研一氏は日本のコンサルタントの草分け的な存在である。

当時はマッキンゼーと言っても、誰も知らなかった。

それを一気にメジャーな存在にしたのは、『企業参謀』が大ヒットしたからに他ならない。

しかも、時代は日本経済が一番活力のあった時代。

石油危機や円高に見舞われても、日本企業はイノベーションや世界化で乗り越えようとする気概に溢れていた。

松下幸之助や本田宗一郎のような戦後第一世代の経営者が最前線で踏ん張っていた。

盛田昭夫や稲盛和夫といった第二世代も力をつけていた。

多くの企業が先を争って海外に出ていった時期でもある。

そんな時代の後押しもあって、『企業参謀』の著者であった大前氏に相談がどんどん舞い込んだのだという。

一言で言えば、運が良かったということ。

事実、大前氏本人もラッキーだったと言っている。

どの成功者にもこんな話が必ずある。

運も実力の内ということであろうか。

2016年1月 8日 (金)

「ビジネスモデル」のきほん/川上昌直

Photo 価格を1%上げると営業利益は23.2%上がります。
 安売りせず、価値を磨きましょう。

企業の目的はあくまでも「世の中に価値を生み続けること」である。

そのためには「お客さまを満足させ続けること」が必要。

そして、お客さまを満足させるためには、経営者は利益を生まねばならない。

ビジネスモデルは、目的としての顧客価値創造と、それを実現するための価値提供のプロセス、そして制約条件としての利益、を構成要素としている。

十分な利益がなければ、お客さまをさらに満足させるための改善活動もできない。

そもそも、取引先や従業員への支払いも、業績の裏付けがあってこそ可能になる。

安心して事業が継続できない、利益の薄い会社には、顧客満足を生み出し続けることはできない。

では、利益はどうやって生み出されるのか。

実はこれも、お客さまのことを真剣に考えることから導かれる。

つまり、「利益中心主義」は、「顧客中心主義」とほぼ同義だということ。

顧客にいかに価値を提案し、提供するのか、という目線と、いかにして利益を収穫するのかという目線を両輪として持つことが、ビジネスの神髄である。

ここ数年、安売り競争にも限界が見えだした。

今こそ、「価値提案」を真剣に考えるべき時ではないだろうか。

2016年1月 7日 (木)

合理的なのに愚かな戦略/ルディー和子

Photo カナダの心理学者レイモンド・マー教授は、fMRIを使ったいくつかの実験に基づく研究結果として、小説をよく読む人間は、他人のことをよりよく理解し、彼らと共感し、彼らの観点から世界を眺めることができるようになるとしている。

小説を読んでいる読者は、登場人物が本のなかで感じていることやしていることを、まるで自分自身がしているかのような反応を脳のなかで起こしているという。

たとえば、主人公がクルマのハンドルを握ったという箇所では、読者の脳内の運動に関係する神経ネットワークが活性化する。

主人公がまわりを見渡しているときには、目の動きをつかさどる神経ネットワークが活性化する。

読者は小説のなかでの出来事を、自分自身の出来事として経験していることになる。

実は、このような感情移入の能力は、様々な場面で生きてくる。

企業の戦略を考え決断する際にも生きてくる。

知識、記憶、学習、思考を含む認知活動だけでは人間は決断を下すことはできない。

認知は行動を起こすためのプロセスではない。

行動を起こす、つまり決断を下すには感情を必要とする。

一流企業の頭脳明晰であろう経営者が、なぜ、同じ間違いを繰り返すのか?

MBA取得者が、なぜ、誰からも指摘されるような単純な間違いを犯すのか?

理由は簡単。

データや資料に基づいて戦略を立てるまでは論理の世界。

でも、それを実行するかどうかの決断は理性だけでは決められない。

ここからはむしろ感情の世界である。

そしてこの部分に問題のある経営者があまりにも多いのである。

今の経営者が高学歴であるにも関わらず、間違いを繰り返すのは、理性に偏重しすぎ感情を無視しているからなのかもしれない。

2016年1月 6日 (水)

砂の器(下)/松本清張

Photo_2 当時、本浦秀夫は新進作曲家として将来を嘱望され、また現大臣の愛娘と婚約しまして、まさに前途有望、バラ色の人生を迎えていたのでございます。
 しかるに、忽然として目の前に忌まわしき人物が現われたのでございます。もとより、三木謙一氏には他意はございませんでした。長い間別れていた秀夫の面影を伊勢で発見し、なつかしさのあまり、上京して面会したのでございますが、秀夫にとっては一大恐怖でございました。というのは、同氏の口から、もし、自分の前歴が暴露された場合、現在進行している婚約が破棄される可能性のあることはもちろん、そのような忌まわしい父を持っていたことも、また、せっかく、これまで経歴を詐称していたことも、ことごとく暴露するわけでございます。これは当人にとってはたまったものではございませんでした。おそらく、そのときの驚愕、苦悶は、言語に絶するものがあったと想像されます。

上記は担当刑事による実行犯の動機の解明の部分である。

犯人は自己の将来のために、あるいは自己の地位の防衛のために、三木謙一の殺害を思い立った。

これが蒲田操車場事件の殺人動機であったと。

将来有望な新進作曲家が過去を暴露されることを恐れて殺人に走ったというもの。

でも、現代だったらどうだろう?

らい患者を父に持ち、それにもめげずにのし上がって今は世間の注目を集めている男。

もしかしたら、暗い過去は世間の同情を集めるかもしれない。

かえって逆境にも負けない時代の寵児ともてはやされるかもしれない。

少なくとも、それによって葬られることはないだろう。

こんなところにも「あの時代」をバックボーンにした小説だといえる。

だれもが自分が生きた時代にほんろうされる。

それが人生だとも言える。

2016年1月 5日 (火)

砂の器(上)/松本清張

Photo「カメダ」というのは何だろう。
 係官の間には、これが異常な関心となった。彼らの話のなかで具体的に名前が出たのは、これだけである。
「カメダは、二人の共通の友人の名前だろう」
 と、推定の意見を出す係官がいた。だいたいこれは皆の賛成を得た。
 つまり、被害者と加害者とは前からの知合いであり、最近、しばらく、この二人は会わなかった。それが偶然に、久しぶりに会ったため、つい、手近なバーに立ち寄った。そうして、その「カメダ」という友人の話が出たのであろう。
 そうなると、半白頭の被害者の方が、最近「カメダ」という人物に会ったか、あるいは、交友関係を持っていて、被害者の連れの方、つまり、若い方の男は「カメダ」にしばらく会っていない、という推測がなりたつのである。

昔、本書を原作とした映画を見たことがある。

その原作を読んでみた。

原作と映画とはずいぶん細部で違うところがあるが、「カメダ」がキーワードになっている点は同じだった。

警察は最初、「カメダ」を人名と推測し捜査を進める。

実はこれは地名だったのだが、それによって捜査は難航するわけだが、一つの思い込みによって多大な無駄が発生するのはよくあることである。

特に問題なのは、過去の経験だと思う。

多くの人は「過去の経験によるとこれは~だ」と決めつける。

しかし、これが間違いのもと。

何事においても「もしかしたら間違っているかも」という謙虚さがほしいものである。

仮説はあくまでも仮説なのだから。

2016年1月 4日 (月)

ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則/ジム・コリンズ

Photo 良い企業を偉大な企業に変えるために必要なリーダーシップの型を発見したとき、われわれはおどろき、ショックすら受けた。派手なリーダーが強烈な個性をもち、マスコミで大きく取り上げられて有名人になっているのと比較すると、飛躍を指導したリーダーは火星から来たのではないかと思えるほどである。万事に控えめで、物静かで、内気で、恥ずかしがりどくち屋ですらある。個人としての謙虚さと、職業人としての意思の強さという一見矛盾した組み合わせを特徴としている。パットン将軍やカエサルよりも、リンカーンやソクラテスに似ている。

本書は「良い企業は偉大な企業になれるのか。そして、どうすれば偉大な企業になれるのか」ということをテーマにしている。

このテーマを検証するにあたり、まず頭に浮かぶのは、「どんなリーダーが必要か」という点だと思う。

そして、分析の結果は意外なものだった。

結論は、カリスマ的なリーダーは必要ないというもの。

むしろ、謙虚さと職業人としての意思の強さを兼ね備えているリーダーが特徴だというのである。

しかも、偉大な企業への飛躍を指導したリーダーは、まずはじめに新しいビジョンと戦略を設定したわけではなかった。

偉大な企業への飛躍をもたらしたリーダーは、まずはじめにバスの目的地を決め、つぎに目的地までの旅をともにする人びとをバスに乗せる方法をとったわけではない。

まずはじめに、適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、その後にどこに向かうべきかを決めているというのである。

この結果は意外であるとともに、ある意味、「ナルホド」と納得できる部分もある。

つまり一人のリーダーのカリスマ性で引っ張っていくという時点で、その企業は偉大にはなれない。

リーダーが全面に出すぎる企業は偉大にはなれない。

組織の力を最大化させることができる控えめで謙虚で強い信念を持つリーダーが、実は、偉大な企業に必要なリーダーである。

非常に考えさせられる分析である。

2016年1月 3日 (日)

田中角栄 その巨善と巨悪/水木楊

Photo 馬喰の伜、角どん、昭和の藤吉郎、今太閤、角さん、オヤジ、田中先生、大センセイ、コンピューター付きブルドーザー、大ぼらふき、陽気な大悪党、梟雄、乱世の雄、裏日本のロビンフッド、永田町のカサノバ、小菅の塀の上を歩く男、金権マシン、闇将軍、果断な宰相、孤独な独裁者……。
 これらのひとつひとつが真実である。
 しかし、それらは真実の一部であって、全部ではない。田中のスケールはそれほど大きい。

田中角栄という政治家にはどうしてもダーティーなイメージが付きまとう。

しかし、有能な政治家であったことには変わりない。

確かに権力のために金をばらまいたり、その方法論において問題は多々あった。

しかし、良い意味でも、悪い意味でも、きわめて日本的な政治家だったのではないだろうか。

善悪双方において比類なく傑出した人物だったと思う。

頭もいい。

理解力に優れている。

それに人の気持ちをつかむ感性にも優れている。

田中角栄は、高度経済成長期の日本人そのものだったのではないだろうか。

もうこのような政治家は現れないだろう。

2016年1月 2日 (土)

64(下)/横山秀夫

64 広報官の職責を果たした。ために多くを失った。長官視察に向け、さらに失うものが増えていくに違いなかった。しかし心は濁ってはいない。不安も悔恨も沈殿していく。上澄みが、救いのように胸にある。
 背後で笑い声が重なり合っている。
 三上は今この瞬間を嚙み締めた。
 ここで、刑事部屋ではないこの部屋で部下を得た──。

「部下を得た」というこの言葉、非常に印象的だ。

普通、職位の上下関係で部下は上司に従う。

しかし、問題はその従い方である。

心から上司を尊敬し信頼して従う部下もいれば、いやいやながら仕方なく従う部下もいる。

当然、パフォーマンスの上がるのは前者の方である。

しかし、世の多くの上司は後者に属する。

ポジションパワーによって従わせても、その成果は限定的である。

部下も成長しない。

この小説の主人公、三上は、広報官として困難な決断を下し、職責を果たした結果「部下を得た」

部下の尊敬と信頼を勝ち得た瞬間である。

このような瞬間を体験できる上司は幸せである。

2016年1月 1日 (金)

64(上)/横山秀夫

64 石井の性根はY署長の坂庭と少しも違わない。辻内と赤間に魂を差し出し、来年だか再来年だかの栄転を夢に見つつ日々の務めを当り障りなくこなしている。失敗を恐れるのではなく、上が失敗と見なすであろうことを恐れている。

「失敗を恐れるのではなく、上が失敗と見なすであろうことを恐れている」

この言葉、キャリアと呼ばれる人たちの感覚を見事にいい表している。

つまり、事実がどうであれ、「見た目が大事」だということ。

ある人から、『「成功」の反対語は「失敗」ではない、「何もしない事」です』という話を聞いた事がある。

上から失敗と見なされないためには何もしないことが一番。

という事は、彼らは永遠に成功しないという事になる。

「何もしない」ことを是とする組織に未来はない、という事ではないだろうか。

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