明治維新という過ち/原田伊織
歴史に「もし」(ヒストリカル・イフ)は禁物、とよくいわれるが、敢えて「もし」と考えてみる。もし、長州・薩摩のテロを手段とした討幕が成功せず、我が国が「明治維新という過ち」を犯さなかったら、我が国はその後どういう時代を展開し、どういう国になっていただろうか。私は、徳川政権が江戸期の遺産をうまく活かして変質し、国民皆兵で中立を守るスイスか自立志向の強い北欧三国のような国になっていたのではないかと考えている。
よく売れている本だというので読んでみた。
著者の主張は、私たちが学んできた幕末維新に関わる歴史とは、「長州・薩摩の書いた歴史」である、というもの。
勝者が歴史を書き換えるのは、常なることである。
戦後の世界は、確かに戦勝国史観である。
しかし、だからといって、吉田松陰はテロリストという主張はあまりにも一方的である。
ましてや、『もし、長州・薩摩のテロを手段とした討幕が成功せず、我が国が「明治維新という過ち」を犯さなかったら、国民皆兵で中立を守るスイスか自立志向の強い北欧三国のような国になっていたのではないか』という記述には、ちょっと笑ってしまった。
歴史は様々な見方がある。
また、あるべきだと思う。
だからこそ、「自分の主張こそ正しい」という論調には正直辟易してしまう。
本書は、明治維新の一つの見方としては非常に面白い。
但し、あくまで歴史の一つの見方である。
私たちは歴史に対してもっと謙虚であるべきではないだろうか。
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