乱読のセレンディピティ/外山滋比古
一般に乱読はよくないとされる。なるべく避けるのが望ましいと言われる。しかし、乱読でなくてはおこらないセレンディピティがあることを認めるのは新しい思考と言ってよい。そうすれば、人文系の分野にも、セレンディピティが生まれることがはっきりする。
かつて、本は熟読が望ましいと考えられていた。
行間を読むように何回も何回も繰り返し読む。
それによって、本質に近づくことができる、と。
しかし、それはもしかしたら本が希少だった時代の神話だったかもしれない。
いまや本は巷に溢れている。
これほど本が多くなったら、良書より悪書の方が多いと思わなくてはならない。
でも良書と悪書を見分けるのは至難の業である。
悪書にひっかかるのを怖れていれば、本など読めるものではない。
結局、読んでみなければわからないということになる。
だったら、乱読をしてみることである。
乱読することによって、セレンディピティが生まれるようにすることが今風の読み方かもしれない。
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