パンツの面目ふんどしの沽券/米原万里
見られることそれ自体が恥ずかしいというよりも、むしろ恥じていないこと、言い換えれば、これを恥として自覚する文化教養を身に付けていないことが恥ずかしいのである。
9歳から14歳まで少女時代の5年間、チェコのプラハにあるソビエト大使館付属学校に通っていた著者。
著者が日本に帰国し修学旅行で行った温泉や大浴場の更衣室で、クラスメイトたちが平気で人前で下着を剝ぎ取り素っ裸になるのに度肝を抜かれたという。
しかも、素っ裸になると彼女たちは一様に手ぬぐいで前を隠す。
何を今更と感じたという。
素っ裸になった上で同性の目からわざわざタオルで前を隠すのはどういう感覚なのか。
こういう感覚はその文化の中に浸っていると集団催眠のように風景の一部になってしまって気がつきにくい。
しかし、外国人が見ると奇異に感じるという。
これが日本独特の「恥の文化」
つまり、「恥じていないのが恥ずかしい」という感覚。
確かにこれは外国人にはわからないであろう。
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