「明治」という国家/司馬遼太郎
薩摩の藩風は、物事の本質をおさえておおづかみに事をおこなう政治家や総司令官のタイプを多く出しました。
長州は、権力の操作が上手なのです。ですから官僚機構をつくり、動かしました。
土佐は、官にながくはおらず、野にくだって自由民権運動をひろげました。
佐賀は、そのなかにあって、着実に物事をやっていく人材を新政府に提供します。
この多様さは、明治初期国家が、江戸日本からひきついだ最大の財産だったといえるでしょう。
明治という時代、はじめて国家という意識が日本人の中に生じた。
それまでは徳川将軍家であっても、諸大名のなかでの最も大いなる大名に過ぎなかった。
せいぜい、徳川家とは大名同盟の盟主という位置づけである。
その盟主が、国家の統治権をもっていた。
その統治権の法的合法性は、京都の天皇からもらう「征夷大将軍」という職によって確立していた。
それが明治維新で江戸幕府が倒れ、国家というものが出来た。
そこから急速に近代化への道を突き進むわけだが、そのエネルギー源となったのは多様な人材だったのではないだろうか。
世界史のどこに、新国家ができて早々、革命の英雄豪傑たちが地球のあちこちを見てまわって、どのように国をつくるべきかをうろついてまわった国があっただろうか。
それに比べると今の日本、人材が均一化してしまい、面白味に欠ける。
今の政治を見ていて物足りなさを感じるのも、こんなところから来ているのかもしれない。
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