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2016年12月の31件の記事

2016年12月31日 (土)

インバスケット実践トレーニング/鳥原隆志

Photo 「知る」と「発揮する」、または「応用する」は大きく違うのです。

インバスケットでは60分間で20の案件を処理することが求められる。

単なる知識を求められるのではなく、問題を発見し、分析し、深掘りし、解決する能力が求められる。

20の案件は実際の仕事でもよく起こる身近な問題である。

本書では優先順位設定力、問題発見力、問題分析力、創造力、意思決定力、洞察力、組織活用力、当事者意識、というテーマに分けて問題が出されている。

それぞれ違った頭を使うことを求められる。

やってみて分かったのは、これらを解くことによって、少なくとも自分にはどの能力が不足しているのかが把握できるということ。

人にはそれぞれ強みと弱みがあるもの。

それを網羅的に把握することは、能力開発という面から考えると必要なことではないだろうか。

その意味でもインバスケットという手法は案外使えるかもしれない。

2016年12月30日 (金)

シンプルだけれど重要なリーダーの仕事/守屋智敬

Photo 「あなたがこれまでで、一番感動したことは何?」
 「あなたがこれまでで、一番悩んだことや辛かったことは何?」
 「これまで出会った人との間で、一番心に残っているエピソードは何?」
 これらの質問の答えから、メンバーが何を大切に仕事をしているのか、価値観が見えてきます。

リーダーは部下を使って仕事を成し遂げる。

同時に、仕事を通じて部下を育てる。

これは車の両輪である。

そのためには何が必要か。

部下を知ることである。

では部下の何を知る必要があるのか?

経験、年齢、能力、人間性、等々、いろいろあるが、一番重要なのか価値観なのではないだろうか。

社員が会社を辞める理由の多くは価値観の不一致である。

社長と価値観が合わない、上司と価値観が合わない。

これらが会社を辞める理由となる。

また、辞めないまでも、人間関係がうまくいかなくなり、仕事の成果が上がらなくなる。

価値観とはそれほど大事なものである。

逆に言えば、社長や上司が部下の価値観をしっかりと把握し、理解し、受け入れていれば、能力の不足は何とかなる。

たいていの能力は伸ばすことができる。

表面ではなく本質。

説得ではなく共感。

支配ではなく信頼。

言葉ではなく行動。

損得ではなく感謝。

これからの時代は、感性と共感が主役で、理性と説得が脇役となる右脳社会。

共感するリーダーは、相手の感情を受け止め、理解し、自分の感情を重ねて、行動する人。

信頼は、言葉ではなく、行動の積み重ねの中から生まれる。

こんなリーダーに部下はついていく。

そのためには部下の価値観を知る必要がある。

でも、そのための努力、意外とやっていないのではないだろうか。

2016年12月29日 (木)

人間は9タイプ/坪田信貴

9 「服を選ぶ」のですら、その人の体型(個性)に合わせて選んでいるのに、「その人への接し方」や「教育」「付き合い方」に関しては、どうでしょうか?

本書の著者、坪田氏は、映画「ビリギャル」の原作者。

学年ビリの女子高生をわずか1年で慶応大学に現役合格させたということが話題になった。

実はこのビリギャルの主人公となった女の子はタイプ7、楽天家タイプだった。

モチベーションが下がりそうになったら、

「慶應に受かったら、キラキラした友達や、おしゃれなイケメンの知り合いがいっぱいできるよ。」

「就職先も選び放題で、君のがんばりが映画になるかも……」

と言って、やる気を喚起したという。

これはタイプ7だから効く言葉であって、他のタイプであれば「何言ってるの?」と、そっぽを向かれるかもしれない。

つまりタイプごとに通じる言語があるということである。

ところが多くの人は、誰に対しても同じ言葉を使う。

そのため、ある人には効果的だが、その他の人には全く効果なし、ということが起こる。

「人間、みな同じ」「日本人なんだから同じ」という思い込みがそうさせる。

著者は、エニアグラムの「9分類」を活用した手法が、学習指導上一番効果が高い、と言っている。

著者は教育者だが、それに限らず、誰もが人と接することが必要となる。

そして誰もが円滑な人間関係を築きたいと思っている。

人間は9つのタイプに分類される、ということは覚えておいた方がよいだろう。

2016年12月28日 (水)

伝えてますか、あなたの気持ち/木村久子

Photo 怒りは決して「悪い感情」ではありません。
 自分が怒っているのだと気づくのは大切なこと。それをきちんと認めずにいると、「あなたはいけない人間だ!」と相手を責めて結果的に怒りをぶつけてしまったり、トゲトゲした態度で怒りをにじませたりしてしまいます。自分の気持ちをきちんと認めて、「私は怒っている」と言葉で相手に伝えればいいのです。

誰もが怒りを覚えることがある。

相手から不当な扱いを受けたり、相手に不正がありそれを正そうとしないとき私たちは怒りを覚える。

その場合、その感情をそのまま相手にぶつけると、たいていの場合、相手と喧嘩になる。

感情的にぶつかり合い、非常に後味の悪いものになる。

では、黙っていればよいのか?

それでは相手の言動は改まらない。

自分自身もストレスをため込むことになる。

これも決して良い選択ではない。

ではどうすればよいのか。

「自分は怒っている」ということを感情的にならずに、相手に受け入れやすい言葉で伝えることである。

キーワードは「対等」「率直」「誠実」「自己責任」

「対等」というのは、自分が相手よりも上だとか、相手より下だとか、そういう考えにとらわれることなく、同じ立場の人間として向き合うこと。

「率直」とは、遠まわしに言ったりくどくど言いわけしたりせず、気持ちや意見をシンプルな言葉にすること。

「誠実」とは、自分にも相手にも正直に、心をこめて向き合うこと。

「自己責任」とは、自分がどうするかを自分で決め、結果にも自分で責任を持つこと。

人の言いなりになったり、人のせいにしないことである。

確かにトレーニングすることによって向上しそうである。

身に付けたいスキルの一つである。

2016年12月27日 (火)

英語化は愚民化/施光恒

Photo ホイットニーは、日本文化の「進歩」のなかには、「母国語を豊かにする」ことが含まれなければならないと説いた。豊かになった「国語」こそ、日本の文化を増進する手段であり、それが一般大衆を文化的に高めることにつながるというのである。

「公共の場での会話は英語のみに限定する」「販売される書籍・新聞は英語媒体とする」

2014年8月、内閣官房管轄下のクールジャパンムーブメント推進会議が「公用語を英語とする英語特区をつくる」という提言を発表した。

おそらく、この提言の背景にはグローバル人材の育成ということがあるのだろう。

しかし、これは愚策である。

実はこれとよく似た議論が、およそ140年前の1870年代に展開された。

「これからの日本が世界に負けない国づくりをするには、英語を重視しなければならない。初等教育から学校では英語を教授言語とし、政府機関で用いられる言語も英語にすべきである」

という主張である。

その「英語公用語化論」の急先鋒だったのは、のちに初代文部大臣もつとめた森有礼だった。

この森の主張に反対したのがアメリカ言語学協会の初代会長であるイェール大学教授ウィリアム・D・ホイットニーであった。

日本人はすべてのことを日本語で考える。

日本人の発想の根底には日本語がある。

例えば、日本人の創造性は優れたものがある。

創造性をもたらす要因についてはさまざまな議論があるが、母語のもたらす感覚との密接なつながりは否定できない。

新しく何かを作り出す時は、必ず、新しい「ひらめき」や「カン」「既存のものへの違和感」といった漠然とした感覚を、試行錯誤的に言語化していくプロセスが求められる。

このプロセスを母国語以外の言語で円滑に進めることは、ほぼ不可能だ。

ということは母国語を豊にすることが豊かな創造性につながるということである。

そしてそれが日本人「らしさ」を生み出す。

それこそがグローバル人材ではないだろうか。

英語がペラペラしゃべれるのがグローバル人材ではない。

問題はその人間の中身である。

このことは覚えておくべきであろう。

2016年12月26日 (月)

退職歓奨/江上剛

Photo 所詮、サラリーマンは死ぬまでサラリーマンだ。朝起きて、仕事に行く、定められた仕事をこなし、帰宅する。この繰り返しを絶対に崩すな。仕事の中身じゃない。このパターン化した生活が、心の安定をもたらすんだ。

本書は「退職」をテーマにした短編集である。

それを通して私たちにとって「働く」とはどういうことか、を考えさせられる。

私たちはなぜ働くのか?

まず頭に浮かぶ理由は「食べるため」であろう。

しかし、それだけではない。

それは仕事を失ったときはっきりと分かる。

本書のなかで、定年退職をし趣味の庭いじりに没頭し、はたから見れば悠々自適の生活をしていたかのように見えたが、精神に異常をきたし病院に入院した男が登場する。

その男が見舞いに来た後輩に語ったことばが上記抜き書きである。

私たちにとって働くとは単に食べていくためではない。

どんなに小さな仕事であっても、それは社会の一端で一定の役割を担っている。

私たちは仕事をすることによって社会とつながっている。

仕事と趣味との決定的な違いがこの点である。

だから仕事を辞めた途端、自分が社会と切り離されてしまったということを実感する。

精神が不安定になる。

人間は社会的動物であるということであろう。

2016年12月25日 (日)

EQ こころの距離の近づけ方/高山直

Photo EQによる研究でも「ビジネスで成功した人のほとんどは、対人関係能力に優れている」という結果が出ています。「こころの距離」は、いうならばそういった対人関係に賢くなり、強くなるための方法論ともいえます。

人は誰でも、他者に対する距離感を持っている。

心理的な距離であり、こころの距離である。

この距離感によって、人と人との関係や実際の物理的な距離も左右される。

こころの距離が近ければ、組織の生産性も上がる。

こころの距離が近ければ、どんな言葉も励ましになる。

しかし、こころの距離が遠ければ、励ましの言葉もただのおせっかいである。

こころの距離は社会的関係性、個人の嗜好や価値観、そして、感情の三つから成り立っている。

この三つは互いに独立したかたちでこころの距離に反映されることもあるが、多くの場合、それぞれが関連しあうかたちでこころの距離が形成され、対人関係がつくられていく。

そして、こころの距離を決定づける三つの座標軸の中で、最も大きな要因となるのが、この「感情」である。

なので、心の距離を近づけるために、まず、大事なことは、人の心、感情、気持ちに関心を持つことである。

人は、人の気持ちをわかろうとする人の気持ちをわかろうとするもの。

人は誰しも、他者のこころや気持ちに無頓着な人の気持ちをわかろうとはしないもの。

人が本当にやる気になるのは、自分を本当に認めてほしいと思ったときに認められ、本当に自分を誉めてほしいと思うときに誉められ、「この人はわかってくれている」と気づいたときである。

その時にエネルギーが生まれる。

まず人の感情に関心を持つこと、そして感じる力を鍛えること。

これが心の距離を近づける第一歩だといえよう。

2016年12月24日 (土)

禁断の心理話術/岸正龍

Photo それぞれに気質の無意識化には、それぞれの「恐れ」が刻み込まれています。その恐れから逃れるためそれぞれの「欲求」が無意識化で生み出されます。無意識化の欲求はそれぞれの「人生のルール」を作りだし、私たちはそのルールに「無意識的に」したがってこの世界を生きているのです。

本書はエニアグラムを活用した会話術の解説書。

エニアグラムの特徴的なところは、人間の自我・気質に目を向けている点。

私たちの性格は環境や経験によって変わることがある。

同じような自我・気質をもって生まれた人であっても、貧しい家庭に生まれた子と裕福な家庭に生まれた子では、おそらく性格は変わってくるだろう。

しかし、人間の自我・気質は環境には影響されない。

一生変化しない。

そして、人間は9種類の自我・気質を持っているというのがエニアグラムの考え方である。

さらに、それぞれが根源的な恐れを持っている。

例えばエニアグラムのタイプ1は「完璧主義者」である。

イチローなどはこのタイプに属する。

イチロー野球において完璧を目指す。

ちょっとした妥協も許さない。

そして世の中にはそのようなタイプの人が存在する。

では、どうして完璧をめざすのか?

それは、「自分が不完全であることは許されない」という根源的恐れを持っているから。

その恐れがエネルギーになり完全・完璧を目指す。

口癖は「~であるべき」「~でなければならない」

このような人を動かすには、その根源的恐れに目を向けること。

エニアグラムは単なる表面的な対人対応術ではない。

かなり奥が深い。

キチンとした科学的根拠のある心理学なので身に付ければかなり使えると思う。

2016年12月23日 (金)

「仕事のプロセス」の教科書/鳥原隆志

Photo 本当の実力者とは、持続して成果を出し続ける人で、一発屋ではありません。

「仕事は結果がすべて」

営業系の人からよく聞く言葉である。

確かに努力したことだけを主張し、結果が全く出ていない人は評価に値しない。

でも、だったら、仕事とは結果がすべてなのかというと、それは話が違う。

結果を出すためには正しいプロセスが不可欠である。

プロセスが誤っている、またはプロセスをカットしている進め方は、短期的な利益をもたらしたとしても、長期的な利益はもたらさない。

プロセスで物事をとらえることで、成果があがるだけではなく、まわりから信頼されたり、自分自身も楽になる。

また、結果よりもプロセスを評価する考え方で物事を見ると、物の見方がまったく変わってきて、見えないものも見えるようになってくる。

さらに、プロセスを重視しない管理職は部下を育てることができない。

部下に「結果を出せ」とだけ言って、プロセスを教えようとしない管理職は部下を育てることはできない。

あのスティーブ・ジョブズもこんな名言を残している。

「即戦力なんて存在しない。だから育てるんだ」

仕事は結果がすべてではなく、プロセスがすべてなのである。

2016年12月22日 (木)

中・韓「反日ロビー」の実像/古森義久

Photo_2 『ザ・レイプ・オブ・南京』がアメリカで一気に有名になっていく間、日本側からの反論や批判はまったく出なかった。

アメリカでは中国系・韓国系の団体による反日ロビー活動が活発化している。

南京大虐殺の記念館が建てられたリ、慰安婦像が建てられたリしている。

それが本当のことであればまだしも、根拠があいまいでねつ造に近いものが大部分である。

アメリカでのロビーとは、ごく簡単に述べるならば、議会や政府への働きかけのことである。

いちばんの基本は立法府である議会に対し、特定の目的を持って働きかけ、説得し、請願する、というような活動を指す。

過去を理由に日本を非難する中国系・韓国系の団体がアメリカで旗上げし、活動を始めたのは、ちょうど日本側で「河野談話」や「村山談話」を出した時代だった。

1994年~95年という時期である。

むろん、日本側での動きが触媒だった。

ところが、このようなロビー活動に対して、日本は全くと言ってよいほど対策をとっていない。

反論もしない。

日本人の「言わなくてもわかってくれる」という意識が根底にあるのかもしれない。

確かに日本人同士だったら、そのような意識を持つことが人間関係を円滑に進めることになることもある。

日本人独特の美意識というものである。

しかし、外国ではこれは全く通用しない。

反論しないということは認めたということ。

やはりキチンと反論すべきであろう。

2016年12月21日 (水)

人生は、うまくいくようになっている/ジェームズ・アレン

Photo目の前に起こる出来事は、
自分が抱きつづけている思いが引き寄せているのです。
偶然を装いながら……。

著者の言っていることは、上記の言葉に集約される。

愛が欲しければ、人を愛すること。

人を愛すれば、愛される。

逆に嫌えば、自分をを嫌いになる人が現れる。

すべては、「原因と結果の法則」に従って起きている。

出来事には偶然はない。

必然だけ。

原因をつくるから、結果が生じる。

人は、自分と同じ考え方をする人をつねに引き寄せている。

人から優しくされたいなら、優しすること。

人から愛されたいなら、愛すること。

人は、与えるものだけを受け取る。

まず、できる小さなことからでいいので、自分の考え方を変えてみることである。

昨日の自分と今日の自分を、ほんのちょっと変えてみる。

そこからがスタートだ。

2016年12月20日 (火)

映画にまつわるXについて/西川美和

X 私は、言葉の威力というものが怖い。ガイダンスや字幕のように短いセンテンスになればなるほど、描写力のエッジは強くなり、ずばりと型にはめていく霊力に似たものを発揮する。それゆえに、「言葉」に圧倒され、潰されていくのだ。映画の中の、「得も言われぬもの」が。それこそが、私たちが、死にもの狂いで捉えている映画の真骨頂なのに。

著者は『ゆれる』『ディア・ドクター』『夢売るふたり』等を撮った映画監督。

その著者が映画にまつわるXについて語っている。

Xとは、ヒーロー、裸、オーディション、音・・・等々。

このタイトル自体、「ご想像におまかせします」という著者の姿勢が感じられる。

映画を観たとき、それをどう受け止めるかは自由である。

その自由度が大きい映画ほど、感受性や想像力が必要となる。

では自由度が大きい映画とは何だろう?

それはセリフですべてを語らない映画。

そのような映画は想像力を掻き立てられる。

例えば、「困った顔」をしている人が映し出されたとする。

しかし、「困った顔」の心情は、必ずしも困ってばかりいるとは限らない。

一人の既婚の女性がある日突然、愛を告白されたとしたら・・・

彼女は当惑し、夫への背徳感に苛まれ、その顔には心底困ったような表情が浮かぶだろう。

が、実際の腹の内は、さして悪い気もしていないかもしれない。

「まだまだ私も捨てたもんじゃない」と、妙な優越意識、

でもその心情を相手には悟られたくない・・・、

こんな複雑に入り組んだ思いが「困った顔」として映し出される。

その場面でもしその心情を説明するようなセリフを入れたら、観る人の想像力をある一つの型に押し込んでしまう。

水面下に潜っている曖昧模糊としたものがカットアウトされていく。

その意味で言葉は重要であり両刃の剣である。

映画の中の言葉は映像の捉え方を一つの型にはめる。

映画の中の言葉とは、言い換えると、情報である。

いまは情報過多の時代。

みんな、情報が欠落することにおびえ過ぎている。

著者は、『解りづらい』という相手には、とにかくあるだけの情報を全部ぶちまけておけばいい、という方法論でモノを作っていくと、間違いなく受け手の感受性や想像力は退化して行く、与えられたもの以上の推察をする力を失っていく、と言っている。

これは映画に限らず、すべての事に言えるのではないだろうか。

2016年12月19日 (月)

「アラブの春」の正体/重信メイ

Photo よくアメリカがいまのイラクのほうがいいでしょう? と発言するのですが、ヌーリー・アル=マーリキー首相はそれに応えて面白い発言をしています。「石器時代に等しかった二〇〇四年に比較すればたしかに良い」と。

2010年の暮れ、アラブの片隅にあるチュニジアという小さな国で、野菜を売っていた一人の青年が焼身自殺をしたことから、デモが始まった。

やがてそのデモは大きなうねりとなり、長年続いた政権を倒す。

そして、その動きは国境を越え、近隣の大国、エジプトに飛び火する。

民衆の行動は、ついにアラブ世界の大ボスの一人であり、長年にわたってエジプトを牛耳ってきたムバラク大統領を政権の座から引きずりおろす。

そして、さらにこの動きはアラブのほかの国へと伝播していった。

世界中のメディアがこの一連の動きを「アラブの春」と呼び、「民主化」への大きな前進だと称賛した。

しかし、それが今、どんな状態になっているのか。

ISによるテロが世界各地に広がり、大量の難民が発生し、世界中を混乱させている。

これら一連の流れを見て起こってくるのは、欧米型の押し付け民主主義では限界があるのではという疑念である。

以前読んだ本の中で、アラブの国家はほとんどが人工国家であり、ホッチキスで仮止めしてあるに過ぎないということが書いてあった。

そしてその仮止めしているホッチキスの針がムバラクやガダフィという独裁者たちだったというのである。

民主化の流れは、そのホッチキスの針を取り除いてしまった。

結果、国家がバラバラになってしまった。

アラブでは、地域には地域のリーダーがいて、みんなの面倒を見る。

そうした伝統的なコミュニティ中心の社会をつくってきた。

そうした社会では、かならずしも欧米的な民主主義が必要ではなかったのかもしれない。

例えばガダフィ大佐が独裁していたリビアに国会はなかった。

しかし、その代わり、昔のギリシアのようなダイレクト・デモクラシー、直接民主主義を行っていた。

選挙で選ばれた代表者を国会に送るのではなく、国民が直接、意見を言い、その意見が吸い上げられる。

ギリシア式民主主義と言われる、人類でいちばん古い民主主義のやり方である。

これは一つの例なのだが、アラブ人は自分たちの社会に一番似合う民主主義を考え出す必要があるのではないだろうか。

2016年12月18日 (日)

想像して創造する/尾崎里美

Photo イメージトレーニングがなぜ有効かというと、私たちの脳は催眠状態(イメージトレーニング中)のとき、それがイメージなのか実際に経験していることなのか区別できないからです。

イメージトレーニングはどうして有効なのか。

それは脳の特性による。

つまり脳は実際に経験したこととイメージしたこととの区別ができない。

これがポイント。

私たちがイメージしたことを、脳は実際に経験したこととして認識する。

ということはイメージすればするほど私たちの経験値が上がるということ。

成功したイメージばかりを積み重ねれば、成功者としての経験値が蓄積する。

そして、その成功者としての経験値が未来を創る。

ということは、イメージすることで自分の未来はいかようにも創ることが可能だということ。

今この現実は、すべて自分自身がイメージし、選び取った結果。

私たちは、常に信じたものを見ている。

そして自分が今信じ、今しゃべっているその言葉が、未来を創っている。

人は必ず変わることができるし、すべての人が望む本当のヴィジョンを手に入れることができるのである。

イメージトレーニングするのに最適な時間帯というのがある。

それは、朝起きた瞬間と、夜寝る前。

世界中の成功者も、この時間帯にイメージトレーニングをしていた。

朝起きた瞬間と寝る前は催眠状態で、アルファー波の状態。

このときは、潜在意識の扉が開いているので、プログラミングしやすい状態。

この時間に良いイメージを持つことによって人生は変わる。

そういう信念をもってイメージトレーニングすることは重要なことではないだろうか。

2016年12月17日 (土)

勇気の心理学 アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本/中野明

Photo 「どんな経験であれ、それ自体が成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは、自分たちの経験のショック――いわゆる外傷――に苦しめられるのではなく、その経験のなかからちょうど自分の目的に合致するものを見つけ出すのである。われわれは、われわれが自分の経験に与える意味によって自ら決定した者である。」

アドラー心理学では、決定論ではなく目的論の立場から、人間の行動や心理をとらえる点が大きな特徴になっている。


目的論では、行動の結果は原因によって決まるのではなく、あくまでも自らの選択だと考える。

通常、私たちは決定論(原因論)の立場で物事を考える。

決定論とは、世の中のあらゆる出来事を原因で説明する態度である。

この立場では「Aが起こった原因はBにある」のように、何らかの現象が生じた原因を人や物ごとに結びつける。

これに対して、人がとる行動はその人が持つ目的や目標に従った結果だと考えるのが目的論である。

アドラーは、トラウマであってもその人の行動の原因にはならないと断言する。

次の行動を選ぶのはあくまでも自己の自由な選択。

選択に影響を及ぼす要因はあまたあれど、その要因がその選択をさせたのではない。

意思決定をしたのはあくまでも自分自身。

泣いて暮らそうが、始終不平不満を口にしようが、原因はトラウマではなく、自己の選択。

これがアドラーの考え方である。

アドラー心理学では、人が生まれつき持っている素質よりも、それをいかなる目的に従って、どう使うかに注目する。

「上手にできないのは素質のせいだ」。このように考える立場が決定論。

これに対して「上手にできないのは誤った目標のせいではないか」「素質の使い方を間違っているのではないか」と考えるのが、目的論。

目的論と決定論、心理学的にはどちらの考え方も有りだと思う。

だが、目的論の立場を取った方が、より良い前向きな人生を送ることができるのではないだろうか。

最近、書店に行けばアドラー関連の書籍が並んでいるのも、このような理由からかもしれない。

2016年12月16日 (金)

一流の働き方/川北義則

Photo 「世の中で成功を収めるには、人から愛される徳と、人を畏怖させる欠点が必要である」(ジョセフ・ジューベル フランスの哲学者)

「人から愛される徳」が必要なのはわかる。

やはり成功を収めるためには人の協力が必要になる。

そのためには「人から愛される」必要がある。

その意味で「人から愛される徳」は必須であろう。

興味深いのは後半の部分。

つまり「人を畏怖させる欠点」が必要だと。

どうすれば「人を畏怖させる」ことになるのか?

「畏怖」とは恐れおののくこと。

でも、単に恐れおののくことだけではない。

それに加えて敬意が必要。

つまり、人を恐れおののかせつつ敬意を抱かせる。

そのためには、周囲に流されたり同調せずに、自分の考えを貫き通すことが必要。

そして「孤独を恐れない気概」を持つことだと思う。

そんな生き方は「人を畏怖させる」

一方では「人から愛され」、もう一方では「人を畏怖させる」

この二面性が人の魅力となる。

「魅力があればほかに何もいらない。魅力がないなら、ほかに何があろうと役に立たない」

これはイギリスの劇作家ジェームズ・バリーの言葉。

成功者は、人を惹きつける魅力を持つ必要があるということであろう。

2016年12月15日 (木)

3D思考/泉本行志

Photo アインシュタインの有名な言葉に、 「いかなる問題も、それが発生したのと同じ次元で解決することはできない」 という言葉があります。
 これは、問題が起こっているのと同じレベルで考えても問題の本質は見えず、解決策が見出せないということです。

仕事の出発点にあるのは「思考」である。

「仕事の質」を高めるためには、まず「思考の質」を高めていくことが必要になる。

そのために必要なことは「視点」を変えること。

1つめの視点とは「レベル」、2つめが「ポジション」、3つめが「時間」。

この3つの視点を意識し、自在に操れるようになると、思考はパワフルに変わる。

よく、「全体を押さえてものごとを考えなさい」「お客様の立場で考えなさい」「長期的な視野でものごとを捉えなさい」という。

これらのフレーズの背後には、共通して「視点をうまく動かしなさい」というメッセージが込められている。

例えば、会社の部署で起こっている問題を、その部署の現場にどっぷりと浸かった状態で解決するのはむずかしい。

外から見れば、なんであんなおかしなことをしているんだろうと思うことも、その部署内にいる人たちには見えてこない。

問題を解決するためには、まず視点をそのシステムの外に持っていくことが必要。

つまり、問題解決策を検討するには「視点を同じレベルに固定させてはいけない」ということである。

自分の部署レベルだけで実行できる解決策を考えている間は、解決が困難に思われたとしても、レベルを1つ上に上げた視点で見てみると、いとも簡単に解決することは意外と多い。

問題に直面すると、つい「分解」してしまい、レベルを上げることを見逃しがち。

分解しても解決が見えない問題は、レベルを上げることで考えてみるといい。

レベルダウンして細分化する方向ではなく、レベルアップしてより大きな視点で捉えることで全体の構造を把握すると、新たに見えてくるものがある。

同様に、「ポジション」を変えてみる。

つまり、顧客の立場で考えてみる。

また、「時間」を変えてみる。

「今」だけを見るのでなく、時間軸を変え、5年後から今を見てみる。

或いは過去から今を見てみる。

このように視点を変えるだけでこれまで見えなかったものが見えてくる。

ビジネスにおいて重要な視点は「レベル」「ポジション」「時間」の3つ。

この3つの軸で視点を柔軟に動かせるようになると、いろいろなことが、相当柔軟に考えられるようになるのではないだろうか。

2016年12月14日 (水)

社員の見える化/長尾一洋

Photo_2 子曰はく、其の以す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉んぞ廋さんや、人焉んぞ廋さんや。
 孔子が人物評価の極意を弟子に教える。
 まずその人物の行為を客観的に見よ。これが「視」。
 次にその人物が過去から行なってきた経緯を振り返る。これが「観」。
 そしてその人物の意図や動機、目的を察してみよ。これが「察」。
 この「視・観・察」で人物を見れば、誰も本性を隠すことはできないのだ。

これはまさに「社員の見える化」の極意だろう。

そのとき、そのときの成果や行動を見るだけでなく、それを時系列に追いかけたり、内面に踏み込んだりしながら、「人」を見ていかなければ、「社員の見える化」はできない。

孔子はこのことを二千五百年前から言っている。

これこそ今も昔も変わらない原理原則であろう。

私たちはいろんな場面で人を見て判断する局面に直面する。

会社で人を昇進させる時、

人を採用する時、

結婚相手を決める時・・・等々、

その場合、出来るだけ避けたいのは一面的な見方をすることである。

人を見る場合、どうしても主観が入ってしまう。

好き嫌いで判断する人も多い。

一方方向から人を見るとどうしてもそうなってしまう。

そうならないためには、人をできるだけ多面的に見ることである。

「視」→「観」→「察」と進むにつれて、表面的なものから内面的なところへ深く入っていく。

まずある人の行為をありのまま視る。

次に、どのような経緯でそのような行為に至ったのか、過去にさかのぼって観る。

最後に、なぜそのようなことを行ったのか、想像力を働かせて察する。

そうすればその人を深いところから多面的にみることができる。

その意味で「視・観・察」は非常にバランスのとれた見方だと思う。

2016年12月13日 (火)

ぷしゅ よなよなエールがお世話になります/井手直行

Photo 「リーダーにしか見えない景色」があるんです。リーダーは、時間軸で言えば10年後、20年後を考えなければならない。いまを見ている人とは視座が違うから、意見がかみ合わないんです。

リーダーとフォロワーでは見ている景色が違う。

それはその通りだと思う。

リーダーは10年後、20年後のことを考える。

しかし、フォロワーが見るのは「今」である。

見ているものが違うので意見がかみ合わない。

これも当然のことだと思う。

でも、リーダーはフォロワーの協力がなければ何事も成し遂げることはできない。

ではどうするのか?

一つは言葉の限りを尽くして自分の思いを説明し、説得すること。

その意味でリーダーは自分の言葉を持たねばならない。

しかし、どんなに言葉を尽くして説明しても限界がある。

やはり伝わらない部分は必ずある。

100%理解はあり得ない。

では、理解できない部分はどうするのか?

理解できなくても「この人の言うことだから」という信頼があれば、一歩を踏み出させることができる。

人間的な魅力、本気度、いわゆる人間力と言われるものである。

そして、部下一人一人を認め、その個性を伸ばすことも必要。

それをやって、初めてリーダー信頼され影響力を持つことができる。

リーダーが変われば、組織が変わる。

組織がチームに変わる。

個性を伸ばし、出る杭をどんどん伸ばし、同時にチーム化を進めると、常識を超えた企業文化が生まれる。

この企業文化はイノベーションを起こす。

イノベーションは、究極の差別化である。

本書に出てくる「よなよなエール」はその産物だと思う。

2016年12月12日 (月)

トランプ大統領とアメリカの真実/副島隆彦

Photo なぜ、私の予測が「トランプが勝ちそうだ」と急激に変化したのか。繰り返し書くが、それは、やはりトランプが、キッシンジャーに自ら出向いて頭を下げて会いに行ったからだ。

今回のアメリカ大統領選でほとんどのマスコミはクリントン勝利を予想した。

しかし、勝利したのはトランプ。

そんな中、大統領選の半年前からトランプ勝利を予測していたのが本書の著者、副島氏である。

この時期、トランプ氏勝利を予測したのは、ジャーナリストの木村太郎氏以外私は知らない。

では著者はどうしてトランプ氏勝利と予測できたのか?

その根拠はどこにあるのか?

本書によると、トランプがキッシンジャーに会いに行った時、著者はトランプ勝利を確信したという。

どうしてなのか?

トランプは外交の経験がない。

多くの共和党系の専門家の主張をひっくり返して、彼らを一気に黙らせるだけの方策は何か。

それは、やはり米外交政策の超大物であるキッシンジャー博士を味方につけること。

これしかない。

その判断ができたところがトランプのすごさ。

その意味でトランプは恐ろしいほどの機転が利く男である。

事態を一瞬のうちにひっくり返す能力がある。

このあたりの力はビジネスの世界で培ってきたものであろう。

そして、トランプがキッシンジャーと会ったということは、トランプを次の大統領にするということで、キッシンジャーとその親分であるロックフェラーが決断したということ。

そんな背景があった。

だからこの時点で著者はトランプ勝利を確信したという。

世の中の動きは必ず表と裏の部分がある。

しかし、多くのマスコミは表の部分しか報道しない。

来年大統領に就任した後、トランプはどんな政策を打ち出すのか?

おそらくその発言にも表と裏の部分があるはず。

問題はそれをどう読むかということであろう。

2016年12月11日 (日)

波の塔(下)/松本清張

Photo_3 法律的にはどうなる。小野木は今まで調べた事件で随分、法律の解釈が現実のものと遊離していることを、しばしば感じてきた。だが、法律はあくまでも常識の上に組み立てられていた。常識を一つの強権の中に規定したのが法律であろう。しかし、常識は、より公約数的なものであり、普遍的なものである。
 だが、普遍的なものは、個々の場合には適用されないことが多い。かえって普遍的なものに従うほうが、不自然なのである。現実の解釈を、もっとも常識的な法律で決めることの不当さを、何度か痛感してきた。

法律を持ち出すことによって、現実の問題がかえってややこしくなってくるということはよくある。

「法的にはどうなのか」というものを前面に出しすぎることによって、問題解決から遠ざかってしまうことはよくある。

法律ではなく、人間に知恵によって解決した方が双方にとってより良い方向にいくということもよくある。

この小説の主人公の一人、小野木は検事である。

法律に仕える身である。

小野木が愛した女の夫は政治家がらみの情報ブローカー。

省庁を舞台にした汚職事件に深く関わっていた。

そして小野木はその事件の担当検事となる。

当然、検事である小野木は法律と私情との板挟みになり苦しむことになる。

主人公の男を検事にしたこと自体、作者のなんらかの意図を感じる。

「法律は万能ではない」

もしかしたら清張は、このことを言おうとしていたのかもしれない。

2016年12月10日 (土)

波の塔(上)/松本清張

Photo_2 「どこにも出られない道って、あるのよ、小野木さん……」

この小説は何度か映画・テレビドラマ化されている。

そのため、ストーリーは読む前からわかっている。

小説を読む愉しみは、単にストーリー展開だけではない。

それを作者はどのように表現しているのか。

また、そこではどんな会話が交わされるのか。

そんなところが関心事である。

この小説には、謎めいた女性が登場する。

女は決して自分のことを語らない。

これまでどんな人生を歩んできたのか?

結婚しているようだが、どんな夫なのか?

一切語らない。

だから、ますます気になってくる。

そんな中で意味深な言葉を語る。

「どこにも出られない道って、あるのよ」・・・と。

この短いセリフ一つで、女は自分の過去・現在・未来を暗示的に語っている。

余韻の残る言葉である。

2016年12月 9日 (金)

あなたを苦しめる過去から自由になる本/石井希尚

Photo 人は、過去の日々との正しい付き合い方を身につけなければ、充足のともなう満ち足りた人生を歩むことができません。過去とどう向き合い、どう対応するかは、あなたの人生のクオリティを決するほど大事なことなのです。

過去のある出来事がトラウマになっている人は多い。

そして、それは現在の生き方にも影響を及ぼす。

だから、過去から自由になることは、そのまま現在を自由に生きることにつながる。

過去という情報には決定的な2つの特徴がある。

一つ目は「それはすでに起こってしまったこと」。

そして二つ目は「それは絶対に変えられないこと」。

この2つこそ、過去という情報が持っている重大な特徴である。

しかし、人の行動は、情報によって決定づけられているのではなく、情報に対してどのように応答することを選んだかという自分自身の選択によって、決定づけられる。

つまり、過去の受けとめ方が、私たちの行動に影響し、その行動が未来をつくる。

人生というのは、過去に対する正しい態度によって決まると言っても過言ではない。

過去は変えられない、しかし、過去の意味は変えられる。

私たちは、誰の奴隷でもなく、過去や記憶の虜にもならず、自由人として人生を満喫する権利を持っている。

過去にどんなにつらいことがあったとしても、自由人としての素晴らしい人生は自分自身のものなのである。

私たちがどんな人生を歩むか、それは誰のせいでもない、私たち自身の選択にかかっている。

当たり前のことなのだが、本書はそれに気づかせてくれる。

2016年12月 8日 (木)

怒らない伝え方/戸田久実

Photo 怒りの原因はその人の「ゆずれない価値観」=「べき!」

怒りの正体とは何なのか?

それは自分の中にある「べき」の通りに相手が動いていないから。

理想、期待を象徴する言葉が「べき」

「べき」は「ゆずれない価値観」「信条」に言い換えられる

そして、怒りは、自分の期待、理想が裏切られたとき、そのとおりにならなかったときに生まれる感情である。

例えば私が「始業10分前には着席しておくべき」という価値観を持っていたとする。

そうすると、相手が始業時刻ギリギリに出社してきたとすると怒りがこみ上げてくる。

場合によってはその怒りが暴言となって爆発する。

そうなってしまっては相手も自分も周りも嫌な気分になってしまう。

場合によってはパワハラ問題となってしまう。

ではこうならないためにはどうすればよいのか?

まず、自分の価値観、つまり「べき」を相手に伝えること。

こちらの「べき」を相手が知っているのか、言わなくてもわかるはずと思い込んでいないだろうかと振り返る。

そして、その「べき」が正しかどうかは別にして、まず、相手にそれを伝えることが第一歩。

それによって、相手は私の「べき」を理解し、守る可能性が出てくる。

実はこの自分の考えを相手に伝えるということを意外とやっていないことが多い。

では、それでも相手が守らない場合はどうするか?

それによって自分は怒っているということを相手に伝えることである。

怒りをぶちまけるのではなく、自分が怒っているという事実を「怒る」という形ではなく、伝えることである。

怒りが湧いて、その気持ちを伝えたいと思ったときには、相手を打ちのめそうとしないことがとても大切。

相手もこちらに意見のボールを投げられる余地を残す。

ドッヂボールになることだけは避けたい。

良いコミュニケーションとは会話のキャッチボールなのだから。

考えてみたら、私たちは感情の扱い方について教育を受けてきていない。

だから、怒りをどう表現していいかがわからない。

湧いてくる感情をどう扱えばいいのか、そしてそれをどう相手に伝えればいいのか、方法を知らないから、戸惑ってしまう。

そのスキルがアンガーマネジメントというもの。

アンガーマネジメントとは、1970年代にアメリカで開発された、怒りの感情をマネジメントするための感情理解教育プログラム。

是非身に付けておきたいスキルの一つである。

2016年12月 7日 (水)

一流の人はなぜそこまで、雑談にこだわるのか?/小川晋平、俣野成敏

Photo ボクシングで言えば会議や営業トークは相手が万全のガード体勢をとっている状態。かたや雑談中の相手はノーガードです。

できる営業マンに共通することは雑談がうまいということである。

成績の良い営業マンは最初から商品の話などしない。

雑談から入る。

雑談を通して相手は営業マンの人間性を知り、また営業マンも商談相手の人間性や興味・関心を知る。

「商品を売るな、自分を売れ」

これはセールスの鉄則だ。

いまの時代、価格だのスペックだのに対する商品説明で勝負がつくなら営業マンなどいらない。

差をつけるのは、いかに雑談で相手のニーズを引き出し、ときに人間的に好かれ、相手の価値観を覆せるかである。

さらに雑談中は相手のガードは下がっている。

ガードがら空きの状態で必殺のパンチを繰り出すことができれば、勝負に勝てる。

一般に雑談とは意味のない会話を言う。

しかし、もし、雑談の中に意味のある話を盛り込むことができれば、

それは最強の武器になる。

もっとも成果が出るのは「相手がノーガードのときに意味のある話をする」ことである。

これができるかどうかが勝負の分かれ目だと思う。

そしてこれは営業マンだけでなく、すべてのビジネスマンに共通して言えること。

なぜなら、全てのビジネスは人を介して行うものなのだから。

全てのビジネスマンはセールスマンである、と言ってよいのかもしれない。

2016年12月 6日 (火)

心に入り込む技術/レオ・マルティン

Photo ティホフがにやりと笑った。
 そして、僕が差し出した右手を弾みをつけて握った。その乾いた力強い手を、僕はしばらく感じていた。
「僕らのチームにようこそ」
 正式な挨拶だ。
「ダー」とティホフは答えた。

ドイツ情報局員の重要な仕事の一つにV人材へのスカウティングがある。

V人材とはいわば内通者。

V人材は、情報局の任務にとって欠かせない情報源だ。

情報収集の支柱ともいえる。

V人材のVは、ドイツ語で信頼を意味する〈Vertrauen〉の頭文字、つまりV人材とは信頼できる人のこと。

信頼はいろいろな意味で成功の土台であるため、組織内で揺るぎない信頼を得ている人でなければならない。

この信頼のおかげで、犯罪組織内を自由に活動することができる。

二役を演じることによって、V人材はとてつもない危険にさらされる。

組織にバレた場合、運がよければ破門になるだけで済むが、消される可能性がある。

V人材も、もちろんそのことを知っている。

だから情報員がV人材をスカウトするとき、クリアすべきハードルはとてつもなく高い。

それまで面識すらなかった人に、危険きわまりないゲームに加わる決心をさせることになるのだから。

困難な条件のもと、しかもなるべく短時間で、絶対的な信頼を築いて重大な内部秘密を打ち明けさせるのである。

ではどうやってV人材としてスカウトし、危険な任務につかせるのか?

相手の弱みを握り、あるいは、高額な見返りをエサにして寝返らせるのか?

そうではない。

相手の信頼を勝ち取ることである。

情報局員とV人材との揺るぎのない信頼関係。

これを築き上げること以外にない。

例えば、信頼関係を築いて揺るぎないものにするために、どんな小さな約束も必ず守る。

ちょっとした口約束や後ですると言った些細なことも、ここに含まれる。

この人なら当てにできるという気持ちは、そのまま信頼につながる。

その場にいない人を悪く言うことは絶対に避ける。

なぜなら、自分のいないときには自分の悪口も言うんだろうな、と相手は思うから。

相手にとってメリットとデメリットは何か、相手にプラスになるかどうかを必ず考慮する。

相手への敬意を忘れず、相手の価値を認め、正直かつ前向きな気持ちで相手と接する。

そうすれば、相手の信頼を獲得し、公平で好意的な関係を築くことができる。

このような細かいことの積み重ねが信頼感に繋がる。

これらはビジネスにおける信頼関係の築き方にそのまま通じる考え方である。

2016年12月 5日 (月)

アイデアのちから/チップ・ハース、ダン・ハース

Photo 成功するアイデアをつくるためのチェックリストは、
「単純明快で、意外性があり、具体的で、信頼性があって、感情に訴える物語(Simple Unexpected Concrete Credentialed Emotional Story)」
 かどうかなのだ。鋭い読者ならお気づきのように、これを省略するとSUCCESs(成功)となる

アイデアの面白さは、天性の素質か、それとも育て方次第なのか?

本書は、「育て方」の立場をとる。

こんな実験結果が載っている。

創造性の6つの原則の使い方について、2時間の訓練を受けたグループは、ずば抜けて高い創造性を示した。

創造性の評価は他の訓練を受けなかった二グループより50%も高く、製品に対する好意も55%高かった。

基本的な原則を2時間学んだだけにしては、驚くべき成長ぶりだ。

どうやら、創造的なアイデアの体系的な開発法は、本当に存在するようだ。

そして創造性の6つの原則とは次の通り。

原則1――単純明快である

原則2――意外性がある

原則3――具体的である

原則4――信頼性がある

原則5――感情に訴える

原則6――物語性がある

まず、この原則をモノサシとしてやってみると良いのではないだろうか。

アイデアを他人に広く伝えたいなら、他のアイデアが広く伝わるのに昔から役立ってきたルールの中で考えればいい。

作りたいのは新しいアイデアであって、新しいルールではないのだから。

2016年12月 4日 (日)

アイデアの出し方/ボブ田中

Photo アイデアを生み出すのに「センス」や「才能」は必要ありません!

アイデアというと「センス」や「才能」が問題だと考える人が多い。

確かにそのようなものを持っている人がいる。

しかしそれは一握りの人である。

ハッキリ言って、世の中のほんのひと握りの「天才」を除く、大多数の「凡人」は「センス」や「才能」なんてものは最初から持っていない。

ただ、世の中、アイデアを仕事にしている人は多い。

そのような人たちはどうしているのか?

アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない。

ということは、アイデアに必要な情報を集める事が大事になってくる。

そのためには情報が勝手に集まってくる状況をつくり出すこと。

そのためには、まずどんな情報が欲しいのか、その「テーマ」を決める。

それを著者は「セルフマグネット」と呼んでいる。

セルフマグネットとは情報が勝手に集まる仕組ということ。

そして、セルフマグネットの「核」となる「テーマ」を決めたら、そのテーマを自分の意識の中に深く刷り込む。

必要なのは、「○○の情報が欲しい」という確かな目的意識。

これが明確になると、情報は集まってくる。

そして、思い付いた瞬間にメモを取る。

そのようにして、これまでに蓄えてきた知識や、得た情報、データ等を様々な視点から分析・検証して、それらをどう組み合わせていくかを考える。

ここを自分なりに考えていくことが、アイデアを生み出すの最初のスタートになる。

つまり、「必要な情報のみを引き寄せる仕組み」「アイデアを生み出す仕組み」、この2つがキーであるということではないだろうか。

2016年12月 3日 (土)

アイデアは考えるな。/柳澤大輔

Photo ピカソは生涯2万点以上の絵をかいた。
 バッハは少なくとも週に1回は作曲していた。
 トーマス・エジソンの死後、アイデアメモがぎっしりかかれた3500冊あまりのノートが発見された。
 歴史に残る名作を創り出した芸術家には、多作な人がたくさんいます。そして発明王エジソンだって、誰よりもアイデアを出していたのです。

本書の言っていることは、アイデアは質より量が大事ということ。

アイデアが出ないという悩みを持つ人の共通点は、「すごいアイデア」を出そうとしてしまっていること。

でも、「すごいアイデア」を出している人は、その何倍も「すごくないアイデア」を出している。

だから、まずは「すごくないアイデア」をたくさん出すところから始めるべき。

「アイデアを1つ出してください」と言われるのと「アイデアを10出してください」と言われるのと、どちらが気が楽か。

それは「アイデアを10出す」方である。

「アイデアを1つ出して」と言われると、どうしても「すごいアイデア」を出そうとし妙に力が入ってしまう。

そのような状態ではかえってよいアイデアが出なくなってしまう。

良いアイデアは力が入った状態では決して出てこない。

まずは緊張を解き、解放された状態にマインドセットすること。

そのためには最初からすごいアイデアを出そうと思わないで、くだらなくてもよいので、たくさんのアイデアをだすこと。

そんな中からすごいアイデアが生まれる。

アイデアは質より量

これは覚えておくべきだろう。

2016年12月 2日 (金)

いちばんやさしい哲学の本/沢辺有司

Photo 最初の哲学は、「この世界はなにからできているのか?」というところから考えはじめます。

本書は哲学の入門書だが、読んでみると人間はこんなことを考えてきたのか、と考えさせられる。

そもそも哲学は必要なのか?

その答えはYesでありNoであろう。

というのは、単に食べていくためということを考えれば、哲学は必要ない。

食べてゆくためのノウハウがあればよい。

哲学はかえって邪魔になることすらある。

しかし、人間はただ食っていくために生きているのではない。

それだと他の動物と同じである。

誰もが人生の途上で立ち止まって「自分はなんのために生きているのだろう」と考えたことがあるのではないだろうか。

人間はどうして生きているのか?

そのような根源的な問いをするのは哲学の世界である。

そう考えると、哲学という学問が存在するということ自体、人の人たる証明なのかもしれない。

2016年12月 1日 (木)

必ず食える1%の人になる方法/藤原和博

Photo 「100人に1人」の人は、そのほかの99人よりも孤独です。「1万人に1人」になれば、もっと孤独さが増し、「100万人に1人」になれば、もっともっと孤独さが増すことを覚悟してください。
 その孤独にたえられないなら、「みんな一緒」の「100分の99」「1万分の9999」「100万分の99万9999」の人に甘んじるしかありません。

現代は誰でもできることをやっていたのではやがては食っていけなくなる時代である。

食っていくためには、「100人に1人」、できれば「1万人に1人」になる必要がある。

「100人に1人」なら努力すればなれる。

でも、これはあくまでもスタートライン。

その上にたって、さらにもう一つ、異なる分野で「100人に1人」になる。

そうすれば、それを掛け合わせれば「1万人に1人」になるというのがポイント。

たとえば、お笑い芸人の競争は非常に激しいので、「100人に1人」のレベルでは、お笑い一本で食べていくのは厳しいかもしれない。

さんまやタモリのような「100万人に1人」「1000万人に1人」の才能をもった人と同じ土俵で戦わなければいけないからである。

同じように、美容師の世界も競争が激しく、「100人に1人」のレベルでは独立してずっと食べていくのは難しいかもしれない。

表参道で「カリスマ美容師」と呼ばれるには、「100万人に1人」になる必要がある。

しかし、「100人に1人」のお笑いレベルの面白さの人が、修業を積んで「100人に1人」の美容師になれば、「お笑い美容師」という新機軸を打ち出すことができる。

このレアさは「100人に1人」×「100人に1人」=「1万人に1人」

町にひとりしかいない「お笑い美容師」ならば、お客様はきっとやってくるだろう。

掛け算することで、「1万人に1人」をめざせばよいのである。

どのような分野であれば「100人に1人」、ゆくゆくは「1万人に1人」になれるか?

新しい分野を開拓してゆけば、食いっぱぐれる心配はなくなるのではないだろうか。

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