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2017年1月の31件の記事

2017年1月31日 (火)

アマゾンにも負けない、本当に強い会社が続けていること。/権成俊

Photo 競合と同じ土俵で勝負するのではなく、お客さまが求めている新しい価値を見つけ、それを自分たちがどのように提供していくかに知恵を絞る。これが、生き残っていくための唯一の道です。

一つの会社が勝ち続けるのが難しい時代になってきた。

たとえ斬新なビジネスモデルを作り、差別化を図ったとしても、数か月後にはすぐにマネされてしまい、優位性はなくなってしまう。

特に規模で劣る中小企業は価格競争では大企業と勝負にならない。

著者は、大事なことは「選ばれる理由」がある、ということだという。

言い換えれば、「選ばれる理由」を作り出し、維持し続けるための「戦略」があるかどうか。

しかし、すべての人に選ばれる必要はない。

ある特定な人に選ばれればよいのである。

つまり重要なポイントは、お客さまを絞り込む、ということ。

これは提供する価値を絞り込む、ということでもある。

この絞り込みが明確にできてこそ、他社と競合しない特徴づけが可能となる。

誰に対して、どんな価値を提供し、どのように儲けるのか?

中小企業はまずこの点を明確にすべきではないだろうか。

2017年1月30日 (月)

鬼速PDCA/冨田和成

Photo 当社で浸透している文化のひとつとして「行動ファースト」がある。
「悩んでいるならやってみよう。やることで課題が見える」という発想だ。
 この発想のベースは仮説思考である。

PDCAサイクルを回し続けている限り、その対象がなんであろうとゴールに到達するまでかならず前に進む。

また、人材が成長するかどうかのカギも自分でPDCAを回せるかどうかにかかってくる。

企業が求めているのはPDCAを回せる人材である。

採用面接のときに過去に直面した課題とそれをどう乗り越えたのかを必ず聞いてくるのは、それを確認するためだ。

ところがこれをやっている人は意外と少ない。

なぜなのか?

ほとんどの失敗の原因はPの部分、つまり計画のフェーズである。

つまりあまりにも計画をしっかり立てようとするために、かえって計画を立てられなくなってしまうのである。

そもそも計画に正解などそもそもないのだから、ある程度仮説を立てるしかない。

いくら調べてもわからないものはわからないし、不安を解消するための情報収集は往々にして莫大な時間を消費し、大した成果は得られない。

だとしたら最初から失敗しても擦り傷程度で終わる範囲で動けばいい。

そしてできるだけ短期間で数多くのPDCAをまわす。

PDCAは、そのPDCA自体も成長していくものであって終わりなどない。

さらに言えば、PDCAに慣れてくると同時に回すPDCAサイクルの数も増える。

質より量の発想である。

そしてある程度の量に達したとき、その量は質に転化する。

大事なポイントではないだろうか。

2017年1月29日 (日)

本当は怖ろしい韓国の歴史/豊田隆雄

Photo_2 このように、精神的に周辺民族を見下しながらも、物理的な侵略を受け続けるといういびつな構造は、国民性の形成に一役買っていると見ざるを得ない。

本書は嫌韓本でもなければ自虐本でもない。

先入観をできるだけ排し、韓国の歴史をきわめて客観的に記述している。

朝鮮の歴史は侵略されることの歴史でもある。

今の中国やロシアという大国に隣接するという地理的な条件から、属国関係を結ぶ状態が長く続いている。

それが国として生き延びる方法だったのだろう。

そして朝鮮半島の歴史上、自力で属国関係を終わらせたことなど、一度としてない。

歴史を振り返れば、1905年、「第二次日韓協約」が結ばれ、韓国を統治する統監府が設置され、伊藤博文が初代統監に就任。

これによって韓国の外交権は消滅し日本の保護国となった。

客観的に見れば、日本の統治は当時の欧米列強の植民地支配に比べ、ひどいものではない。

日本は韓国に対して強制栽培制度も強要しておらず、住民虐殺もせず、強制収容所も建設せず、移住も強要していない。

併合の手続きも戦争の勝利による強制ではなく、国際法に基づき合法的に行われたものだ。

ひいき目を抜きにしても、欧米列強の植民地政策と、日本のそれは一線を画すものだったと断言できる。

にもかかわらず、韓国の「反日」の材料に使われている。

明の時代、朝鮮は「中国こそが世界の中心である」という中華思想を持つ明を崇拝し、自らを「小中華」として誇っていた。

この関係は明と朝鮮の関係に限らず、今までの朝鮮半島の国家と大陸の強国との結びつきに共通しているものである。

ここから出てくるのは大国に物理的な侵略を受け続けることによる卑屈さと、自らを「小中華」として誇り、日本等の周辺国を見下すという精神構造である。

韓国の「反日」もこのようなところからきていると考えれば、理解できる。

2017年1月28日 (土)

今日は、心をみつめる日。/衛藤信之

Photo あなたがなにげなく過ごした今日という日は、昨日死んだ人にとってどうしても生きたかった明日であるのです。

一般的に、幸福を手にする方法は二とおり考えられる。

第一は、いまの幸せに感謝すること。

第二は、夢や目標を追い求め成功を獲得すること。

この二つである。

人生には成功もあれば失敗もある。

成功し続ければよいのだが、なかなかそうはいかない。

そうすると、振り子のように幸福と不幸の間を行ったり来たりする。

これではなかなか幸福にはなれないであろう。

それよりは「いま」に感謝することである。

そもそも夢や目標を追い求めるにしても、本当の幸福感はそのプロセスにあるのではないだろうか。

わからない、知らない、できない、足りない、そういう未知や不足があるから、人には前へ進もうとする力が生まれてくる。

また、そうした足りない部分を自分の手で克服しようとするところに、苦しみもあれば楽しみもあり、成長の喜びもある。

その意味で、「ない」こと、「不足していること」は、けっして不幸せにつながるマイナス要素ではない。

むしろ幸福の種子であり、人が成長するための力となる「のびしろ」だと考えるべきである。

幸せとは、何を手にしたかという結果よりも、何を目指したかという道のり、プロセスにこそ存在する。

ほんとうの幸福とは到達点でなく、「道のり」にあると知るべきだろう。

そして「いま」をどれだけ大事にして、いかに楽しむか。

いま、この瞬間をどれほど深く味わえるか。

それによって私たちの幸福の深さは決まってくるのではないだろうか。

2017年1月27日 (金)

模倣の経営学/井上達彦

Photo_2 フランスの作家のシャトーブリアンは、次のように述べてその本質を言い当てている。
「独自な作家とは、誰をも模倣しない者ではなく、誰にも模倣できない者である」

模倣というとあまりいいイメージは持たれない。

でも、本当の意味で独創的な商品やサービスはそれほどあるものではない。

一見、オリジナリティーあふれるものでも、実は模倣であったりすることは多い。

例えば、クロネコヤマトの宅急便のアイデアは、牛丼の吉野家から生まれた。

宅急便を立ち上げた小倉昌男氏は、当時、牛丼一筋に絞り込んで成長してきた吉野家を見て、「取り扱う荷物の絞り込み」というアイデアを思いついたと自著『小倉昌男 経営学』に書いている。

トヨタの生産システムにしても、セブン‐イレブンの流通システムにしても、お手本から原理原則を学び、実践の中で生まれた矛盾を解消しながら仕組みを整備することによって、ライバルから模倣され難い仕組みを築いていった。

模倣によって生まれた仕組みであっても、そのオリジナルを凌駕するに至ったのである。

模倣は悪いことではない。

むしろ、オリジナリティあふれるものを生み出すプロセスとして模倣があると考えた方がよい。

つまり、見倣う、真似るというところから出発することが何よりも手っ取り早い方法。

自分より優れた人物を捜して、その人から徹底して学び取る。

学び取って、学び取って、もう学び取るものがないようにしてしまう。

徹底してその人に見倣い、研究し、模倣する、その過程で個人の能力は相当高まる。

そして、その高まった能力によって個人のオリジナリティというものが生み出されることになる。

要は「守破離」である。

まず徹底的に倣い、その上で「お手本」の教えを破り、しかる後に自分独自のものを確立する。

個人の能力開発であっても、企業のビジネスモデルの確立であっても、基本になる考え方ではないだろうか。

2017年1月26日 (木)

脳が冴える15の習慣/築山節

Photo 多くの現代人が衰えさせているのは、おそらく前頭葉のテクニック的な部分よりも、指令を出し続ける体力です。
 脳の基礎体力は、日常的な雑用を面倒くさがらずに片付けることで鍛えられますが、現代ではその日常的な訓練の機会が減っている。

現代人は脳の基礎体力が衰えているという。

原因の一つは、日常的な雑用が減っているから。

考えてみれば確かにそうである。

便利な世の中になったということは、日常の雑用がどんどん減ってきたということ。

これは逆に言えば、脳の基礎体力を鍛える訓練の機会がどんどん減ってきているということでもある。

確かに、男性の場合、定年退職した後、急激に衰える人が多いと聞く。

女性の場合は、家事という仕事がずっと続くわけだが、男性の場合、仕事を辞めると何もしなくなる。

これは身体にも脳にも良いはずがない。

人間はどこかで、会社なり学校なり、自分以外の誰かに動かされている環境を持っていなければならないということであろう。

何も強制されていない環境に置かれると、人間はいつの間にか、生活リズムを失い、面倒なことを避けるようになる。

脳は基本的に怠け者であり、楽をしたがるようにできている、という。

だから、無理してでも雑用を作り、それをすることを習慣化することが必要ということであろう。

2017年1月25日 (水)

世界中のエリートの働き方を1冊にまとめてみた/ムーギー・キム

Photo トップエリートの共通点として真っ先に思い浮かぶのが、何事にも負けん気が強いうえに、完璧主義で細部にいたるまでじつにこだわりが強いことだ。

本書は、投資銀行、コンサル、資産運用会社、プライベート・エクイティ等で活躍するグローバルエリートの仕事の仕方や考え方を紹介したもの。

読んでみて感じたことは、グローバルエリートといっても、仕事の基本は全く変わらないということ。

いやむしろ、基本に驚くほど忠実である。

例えば、どんな優秀な人でも、見習いの時期がある。

どんな人材でも、最初から責任の大きなやりがいのある仕事を任せられることはない。

最初は雑用からスタートすることが多い。

この時、大切なのは、正確さとスピードと体力である。

目の前のつまらない小さな仕事を完璧にスピーディーにこなせてはじめて、より大きな、面白い、責任のある仕事を任せてもらえるようになる。

将来、グローバルリーダーとして活躍する人材は、このスタート時点での仕事のやり方が違う。

つまり、仕事へのこだわりが強く、徹底しているのである。

最近「グローバル」という言葉が頻繁に使われるようになってきた。

でも、グローバルリーダーとローカルリーダーとどこが違うのか。

リーダーという以上、基本は同じではないだろうか

例えば、著者は、部下の使い方がうまいグローバルリーダーの共通点として次の6つをあげている。

①部下の認知欲を満たして安心させ

②部下の成長を願っていることを言動で示して信頼を勝ち取り

③「役職上の権力」ではなく「人と人との信頼関係」で部下を動かし

④無駄な仕事をつくらず部下の仕事を減らし

⑤部下が失敗したときには盾になって守り

⑥自分の人脈やノウハウを積極的に部下とシェアする

以上の6つだが、これらは別にグローバルリーダーのみに必要とされるものではない。

リーダーとして立たされた以上、全員に求められるものである。

結局、結論としていえるのは、優秀な人は仕事の基本に驚くほど忠実だということではないだろうか。

2017年1月24日 (火)

会社は2年で辞めていい/山崎元

Photo 思い切って断定すると、会社の状況変化に対する読みの可能性や、自分の将来像に対する予測可能性を考えたときに、将来の具体的な計画が可能な期間は「二年」だ。もちろん、これは最大公約数的なものであり、事情によって、短縮されたり、長期化できたりする。

石の上にも3年、という言葉がある。

最低3年は我慢しないと一人前にはなれない、という意味だ。

しかし著者は「会社は2年で辞めていい」という。

現代はそれほど変化が激しくなってきているということであろう。

具体的な計画を立て、目標と自分の達成度合いを詳細に比較するというような意味で、現実的な計画単位は、会社の状況変化との関係で、やはり2年くらいだというのである。

ただし、それだけに、この2年は相当密度の濃いものとする必要がある。

まず、28歳までの期間は、自分の「職決め」のための試行錯誤が可能な時期である。

この期間であれば、業種も職種もすっかり変えてしまうような転職を、比較的無理なく行うことができる。

そして28歳までは比較的なんにでも適応できる。

28歳の次に意識すべき年齢は35歳。

35歳は、目標として、これくらいの間に職業人としての自分の完成を目指し、何らかの仕事の実績を持つことを目指そう、という中間地点。

人材市場の商品としてビジネスパーソンを見る場合、35歳までの「一般的な部下」としても雇われやすい時期までに、ある程度の人材価値を確立しておきたい。

「転職年齢35歳限界説」は、かなり緩和されてきたが、それでも、マネジャーが部下を雇うと考えた場合、自分よりも低年齢な部下を雇いたいとイメージすることが多い。

35歳を過ぎると、「一般的な部下」の道は狭まるので、できれば「何かができる人材」である必要がある。

そのためには、30代の前半に仕事上の実績を作っておく必要があるという計算になる。

一応の人材価値が完成するのは35歳までだと考える必要がある。

と、これが著者が述べている内容なのだが、普通の人にはかなり高いハードルなのではないだろうか。

著者はこれまで12回、転職を繰り返してきたという。

相当上昇志向の高い人なのだろう。

でも、上昇志向の高い人は世の中を見渡した場合、ごく一部分である。

問題は、上昇志向の高くない人はどうすれば良いのか、ということである。

2017年1月23日 (月)

聞き出す力/吉田豪

Photo ボクは「人の話を聞くにはどうすればいいですか?」と質問されると「相手に本気で興味を持つこと」と答えるようにしているんだが、先日、「じゃあ、興味を持てない相手と話すときは?」と聞かれて、こう答えた。
 「そんなときは愚痴を聞けば大丈夫!」と。

数多くのインタビューをしてきた著者も相手に興味を持てないことがあるという。

ただ、それほど興味のないインタビューをやることになったとしても、その相手の著書なりブログなり雑誌記事なりを読み漁れば、どこか必ず好きになれるポイントが出てくるという。

やはりインタビューは事前準備が大事だということであろう。

インタビューで一番やっていけないことはウソをつくこと。

相手を好きでもないのに好きだと言えば、必ずボロが出る。

人間の本音は必ず表情や態度、しぐさに表れるもの。

相手に興味を持てれば、相手の話が面白かったら本気で笑える。

それがインタビューに命を与える。

しかし、どうしても興味を持てない相手もいるもの。

その場合には愚痴を聞けばよい、という。

人はみんな誰かに愚痴を聞いてほしいもの。

たとえその問題は解決しなくても、モヤモヤしていることを口に出すことで少しはスッキリできるはず。

そのうちに本音が出てくる。

一つは相手に興味を持つこと、次に相手の愚痴を聞くこと。

覚えておいてよいインタビューのコツである。

2017年1月22日 (日)

自分でつくるセーフティネット/佐々木俊尚

Photo 人間関係ってのは「鉄道から自動車へ」って変わっていくんじゃないかと思っています。
 いままでの人間関係は、鉄道だった。これからはこれが自動車になる。

ここで言っている「電車」とは、家族、友人、会社、地域社会等、これまでのリアルな人間関係を指す。

一方、「自動車」とはSNSに代表されるバーチャルなネットワークの中での人間関係。

前者は「強いつながり」、後者は「弱いつながり」

どちらが良い、悪いではなく、時代の流れの必然としてそうなってゆくということ。

また、必ずしも「強いつながり」が良いとは限らない。

例えば、「きずな」「きずな」とうるさくてスローガンの好きな会社は、ブラック企業の可能性が高い。

「強いつながり」は逆に窮屈な人間関係を助長する。

仕事を早く切り上げて定時に帰ろうと思っても、周りに気兼ねして帰れない。

その結果、過重労働になる。

逆に言うとこういう、ブラックな定められた人間関係から自由になれば、わたしたちはいちいち「きずな」とか言わないでもすむようになる。

そのほうが実は見せかけのきずなじゃない、本当のきずなをつくることができるようになる。

電車(会社)では、電車の中の人間関係ですんだ。

でも電車から降ろされて自分でクルマを運転すると、クルマとクルマの関係になる。

どこで誰と出会うのかわからない。

道を走っていれば無数の交差点があり、合流地点があり、横断歩道があり、いろんなところで見知らぬクルマと出会う。

見知らぬクルマとうまくコミュニケーションしないといけない。

しかし、弱いつながりのほうが、ずっと新鮮な情報が流れやすい。

なぜなら、弱いつながりということは、相手と自分の共通点が少ないわけだから、自分の知らない情報を相手が持ってる可能性は大きいのだから。

つまり、自分にとって本当のセーフティネットになるのは弱いつながりの方ではないかということ。

弱いつながりでは肩書は通用しない。

肩書きじゃなくて、中身そのもので勝負する時代になってくる。

これからの時代、弱いつながりを大切にして、多くの人とつながっていくことが求められてくるのかもしれない。

2017年1月21日 (土)

頭がよくなる逆説の思考術/白取春彦

Photo 日本の歴史の中で明治時代に大きな社会変化が起きたのは体制が変わったせいばかりではない。外国語文献の翻訳を通じて、概念を表現するための造語がたくさんつくられたからだ。その新しい言葉を使って人々が新しい考え方をするようになったからだ。

意識を変えるためにはまず言葉を変えることである。

新しい言葉を覚えたり使ってみたりすることによって自分のものにする。

それによって自分の意識や行動が変わってくる。

自分を変える一番簡単な方法とはこれではないだろうか。

新しい言葉が自分の中に入ってくると、今まで点々と孤立していた言葉や意味の間にいくつもの橋が渡される。

そこに意味というものが発生し、今まで曖昧だったもののつながりがはっきりと理解される。

そして、そこから新鮮な発想や斬新な打開策がおのずと生まれてくる。

言葉はそのようにして、わたしたちの頭に新しい関連性の光を点火してくれる。

その意味でボキャ貧は、発想の貧弱さにもつながる。

もっと言葉を大切にすべきだろう。

2017年1月20日 (金)

頭がよくなる思考術/白取春彦

Photo 一枚の紙を飛ばすことは不可能だ。しかし一枚の紙を何度か折り、紙飛行機の形にすると、それは屋根を越えて高く飛んでいくようになる。

多くのものが形を変えることによって不可能を可能にしている。

人間はどうなのだろう。

もしある人が髪型を変え、服装を変えたら、おそらくその人に対する周囲の見方が変わるだろう。

周りの接し方が変わることによって人間関係が変わり、その人の生き方も変わるかもしれない。

しかし、人を最も変えるのは内面の変化である。

ものの考え方や態度、言葉、行いを変えたらどうだろう。

それが周囲に影響を与えないはずがない。

その影響は伝播し、人を変え組織を変えるかもしれない。

人は人を変えることはできない。

そう思うことは傲慢であり思い上がりである。

変えることができるのは自分だけ。

でも自分を変えることによって周囲の人も変わるかもしれない。

そこには無限の可能性がある。

「原因自分論」の上に立つべきだろう。

2017年1月19日 (木)

仕事のミスが絶対なくなる頭の使い方/宇都出雅巳

Photo ワーキングメモリが貯蔵できる事象は、せいぜい7つ前後(7±2)と言われています。最近の研究ではもっと少なく、4±1という説もあるほどです。

人はミスをする動物である。

だからミスをゼロにするのは不可能なこと。

ただ、そうはいってもミスをできるだけなくすための努力はする必要がある。

実はそもそもわれわれの脳自体がミスを起こしやすいメカニズムになっている。

しかもそれは、「忘れた!」というミスに限らず、そのほかのミスも脳の「記憶」にほとんどの原因がある。

私たちは、そのことを知らないがために、ミスをしてしまう。

脳は思いのほか頼りにならない。

その脳に対して知らず知らずに悪影響を与えているのが私たちの記憶であるということが、最近の脳科学、認知科学の研究で急速に明らかになってきた。

私たちが目の前の事象に対して、ワーキングメモリーをもとに判断し、行動する。

ワーキングメモリーとは、パソコンのメモリーのようなもの。

一時的な記憶装置である。

パソコンでも、画面上でメモリーの容量を超えるソフトを動かそうとするとフリーズする。

それと同じようなことが人間のワーキングメモリーでも起こる

ワーキングメモリが貯蔵できる事象は、せいぜい7つ前後。

この許容量を超えると人間はミスを連発する。

つまり、メモリーミスは記憶に対する「期待」と「現実」のギャップから生まれるのである。

だからミスを減らすには、このワーキングメモリーの限界を前提に対策を立てるべきなのである。

こう考えると、単に「二度とミスをしないように気を付ける」と、意識レベルの問題としてとらえている限り、ミスが減らないのは明らかである。

ただ、実際にはそのようにやっている人がほとんどなのではないだろうか。

2017年1月18日 (水)

明日に疲れを持ち越さない プロフェッショナルの仕事術/渡部卓

Photo 睡眠時間と集中力の関連について調べた研究では、6時間睡眠を続けた人は、8時間睡眠の人に比べて、日を追うごとに集中力が衰え、2週間続けると、5倍も反応速度が遅くなるという結果が出ています。

睡眠と疲れには密接な関係がある。

特に最近、睡眠の重要性が科学の進歩とともに強調されるようになった。

確かに年齢を重ねると睡眠不足が仕事のパフォーマンスの低下に直結することを実感するようになった。

「早寝早起き」は昔から言われていたことだが、意外とこの言葉に人間の知恵が含まれていたのではないだろうか。

疲れやすい人と疲れにくい人というのは、体質よりも生活習慣の違いが大きいのだと思う。

特に最近、鬱を訴える人が増えてきている。

おそらくこれも睡眠と無関係ではないだろう。

いかに快適な睡眠を実現するか、ビジネスマンにとって重要な課題になってくるのではないだろうか。

2017年1月17日 (火)

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム/カレル・ヴァン・ウォルフレン

Photo 日本の首相がアメリカ大統領と同等の権力を持っていないことは、大半の人々が知っている。ところが日本の首相は、ヨーロッパやアジアでの真に独立した国のトップであれば、必ず持っているはずの権力さえも有していない。
 こうした諸国において本来、首相が行なうべきとされている決断を、日本の首相がしようとすれば、ほかの政治家たちから独裁者呼ばわりされるのである。特に有力紙などは、必ずと言っていいほどそれに調子を合わせて反首相キャンペーンを繰り広げる。

本書の主張は、官僚独裁の体制がこの国をダメにしている、というもの。

官僚は政治家と違い国民が選挙で選ばれた存在ではない。

だから、本来官僚は国民から選ばれた政治家のもと行政を行う機関であるべきである。

ところが実態はどうなのか?

官僚をこの国の意思決定から行政まで支配し、政治家には見た目ほどの権力は与えられていない。

政権を築く政治家たちは、たてまえ上は支配下にある省庁に対して、ほとんど影響力を持たない。

政策を立案し、それを調整するのは官僚たちである。

だがほかの官僚すべてを支配する権限を持ち、だれもが同意するような日本の政策を決定できる官僚グループなど、ひとつもない。

事実上の政府のトップとして行動できるような集団が日本にはいない。

つまり、どこにも意思決定に責任を持つ者や集団がいない。

かといって、日本の首相が強いリーダーシップを発揮しようとすると「独裁」だと批判される。

日本の一番の問題はここにあるのではないだろうか。

2017年1月16日 (月)

21世紀のビジネスにデザイン思考が必要な理由/佐宗邦威

21 デザイン思考においては、誰もが同意できる「客観的な正しさ」よりも、アイデアを生み出すためのユニークな「主観的だが面白いストーリー」を集めるという点に主眼が置かれます。

思考法というと、ロジカルシンキングやクリティカルシンキングなど左脳による論理思考が一般的だ。

一方、デザイナーが目指す思考スタイルは、左脳と右脳の両方を活用したハイブリッドな思考である。

それは、左脳の論理の力と、右脳のイメージの力を両方バランスよく使いう思考法。

英語では、デザインという言葉は「設計=創り出す」という意味を含んでいる。

ビジュアル情報は文章などのテキスト情報に比較して圧倒的な情報量がある。

新たな切り口の仮説を発想するやり方、これがデザイナーのリサーチの特徴。

確かに、論理思考では誰もが同じ答えを導き出すのがゴールである。

見方によっては面白味がない。

また、これだけではイノベーションは生まれないだろう。

まず、基本としての論理思考を身に付け、それにプラスアルファする形でデザイン思考を身に付ける必要があるのではないだろうか。

そのための訓練として、日々、イラストで描く癖をつけることを勧めている。

情報を理解して、その論理構造をビジュアルに翻訳するという作業を日々繰り返すため、自然に左脳と右脳の使い分けができるようになり、両方の脳を使えるようになってくるというのである。

また、言葉をいったん具体的なイメージにしてみることで、理解も深まるというのである。

これはやってみても良いのではないだろうか。

絵を描くのが苦手な自分にとってはハードルが高いのだが。

2017年1月15日 (日)

人間は9タイプ 仕事と対人関係がはかどる人間説明書/坪田信貴

Photo_2 実際、多くの指導者の方は、部下が「自分の合わせるべき」という意識でおられるようです。そして、自分の方針に「合わない」となれば、「素直じゃない」、「使えない」、「気が利かない」、「こいつはダメだ」というレッテルを貼って、半ば切り捨ててしまう――それはすごくもったいないし、乱暴なことだと思うのです。

映画「ビリギャル」の原作者の著書である。

塾の講師である著者はまず子供たちのタイプを見分け、それにあった指導をすることによって、効果を上げてきたという。

そして、それはビジネスの場面でも全く同じことが言えるという。

多くの上司は「部下は自分に合わせるべき」と思っている。

いや、そう思っていなくとも、やっていることは、それと同じことをやっている。

そのような姿勢でいると、上司に合っている部下は成長するが、合わない部下は成長しない。

そして、成長しない部下は「あいつはダメな奴」と切り捨てる。

これから人口減少社会に突入し、特に若者が少なくなる時代に、これはモッタイナイ話である。

もっと人を大事にしなければならない。

「わが社は人を大事にする会社です」とうたっている会社は多くある。

しかし、実態が伴っている会社はほんのわずかである。

人を大事にするとはどういうことか?

それは、人にはそれぞれタイプと個性があり、それぞれ別々の言葉や接し方をしなければ動かないという前提に立つことである。

「夢をかなえるために頑張ろう」といって、燃える社員もいれば白けてしまったり、そっぽを向いてしまう社員もいる。

その反応を見て、「あいつは変わった奴だ」と切り捨ててはならない。

人はそれぞれ、受け入れられる言語が違うのだから。

相手が受け入れる言葉を使えなかった自分が悪い、未熟なのだと思わなければならない。

これからの時代、このような姿勢が上司に求められるのではないだろうか。

2017年1月14日 (土)

スポーツニュースは恐い/森田浩之

Photo 脅かしているわけではない。スポーツニュースは言葉の裏側で、私たちにいろんなことを教え込もうとする。「日本人として生きるうえで大切なこと」を教え、「日本人らしさ」とは何かを語り、私たちに「日本人であること」を忘れさせまいとする。
 スポーツニュースは私たちに〈日本人〉であることを刷り込んでいる。

本書の主題は、スポーツニュースによって、刷り込みが行われているということ。

例えば、サッカーの国際試合では、日本人はみんな日本チームを応援し、国家を歌い、国旗を抵抗なく受け入れる。

普段、国家や国旗を否定している左側の人もその時は抵抗なく受け入れる。

そして、女子選手にはやたら「ちゃん付け」する。

完全に「おやじ目線」である。

優勝した選手には、家族の応援や、生まれてから今に至るまでの苦労話を取り上げ、やたら感動物語をつくろうとする。

そもそもスポーツニュースは、スポーツそのものより「人」のことを伝えようとしている。

あのプレーのどこがすごかったか、この選手はなぜ勝てたかという競技そのものの話にはそれほど触れない。

それよりも、プレーする選手の決意や努力、喜びや失望、苦難と鍛錬といった「物語」に関心を向けさせようとする。

スポーツニュースは「人」のことを話していると、ときおりテンションが上がるらしく、よけいな物語を語りはじめる癖がある。

厄介なのは、スポーツニュースの描くヒーロー像がワンパターン、矮小化されているということ。

日本人の自画像が、ちんまりとスケールが小さくて、ちょっと時代に合っていないということ。

スポーツニュースはヒーローの理想像を無意識に頭のなかに描いており、そこへ向けて無意識のうちに紙面をつくっているように思える。

そう考えると、著者のいうように、スポーツニュースによって、無意識のうちに刷り込みが行われているという主張も分かる。

ヒトラーの時代からスポーツは刷り込みに利用されてきた。

政治に利用されてきた。

たかがスポーツされどスポーツ、ということではないだろうか。

2017年1月13日 (金)

大本営参謀の情報戦記/堀栄三

Photo 堀は、ピストでの報告を終って出てきた海軍パイロットたちを、片っ端から呼び止めて聞いた。
「どうして撃沈だとわかったか?」
「どうしてアリゾナとわかったか?」
「アリゾナはどんな艦型をしているか?」
「暗い夜の海の上だ、どうして自分の爆弾でやったと確信して言えるか?」
「雲量は?」
「友軍機や僚機はどうした?」
 矢継ぎ早やに出す堀の質問に、パイロットたちの答えはだんだん怪しくなってくる。

大本営といえば「大本営発表」という言葉が思い浮かぶ。

内容を全く信用できない虚飾的な公式発表の代名詞になっている。

ではどうしてこんなことが起こったのか。

意図的にそのような虚偽発表を行ったのか?

どうもそうではないらしい。

海軍の戦果は帰還したパイロットの報告によって確認していた。

パイロットは当然、自分たちの戦果を盛ってしまう傾向がある。

それはパイロットが悪いのではなく、人間とはそのようなものだという前提に立たなければならない。

ところが現場では、その検証が行われていなかった。

パイロットの報告を鵜呑みにして、それを大本営に伝えた。

それをそのまま大本営が発表した。

これが「大本営発表」の正体である。

これは情報に対する日本人の感度の低さが根底にある。

精神主義が横行し、正しい情報収集は下位に位置付けられていた。

結局、日本は、情報戦で負けたといえるのではないだろうか。

2017年1月12日 (木)

ノモンハンの夏/半藤一利

Photo_2 若い参謀はなおねばる、「米英を相手に戦って、勝算があるのですか」。
 辻参謀は断乎としていった。
「戦争というのは勝ち目があるからやる、ないから止めるというものではない。今や油が絶対だ。油をとり不敗の態勢を布くためには、勝敗を度外視してでも開戦にふみきらねばならぬ。いや、勝利を信じて開戦を決断するのみだ」
 いつか、どこかで聞いたような辻参謀の啖呵である。

ノモハン事件とは1939年5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争のこと。

両国の後ろ盾となった日本とソ連が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった。

問題はこの紛争の目的である。

「事件」と名打っているが、その規模や死傷者を考えると戦争と変わりない。

戦争をする場合、前提として考えなければならないことがある。

それは第一に「何のために戦うのか」ということ。

次に「戦って勝てるのか」ということ。

目的のはっきりしない戦争はすべきでないし、負けると分かっている戦争もすべきではない。

ところがノモハン事件の場合、この二つとも全くあてはまらない。

例えば、長大なソ連と満州国境における兵力、戦力に相当の差があった。

飛行機は、日本の340機にたいしてソ連軍は6倍の2000機、

戦車は日本の170輛にたいしてソ連軍は11倍の1900輛、

日ソ両軍の圧倒的な戦力比の事実に、軍首脳は驚倒し、一時は浮き足立ったが、時間がたつとまた観念的なソ連戦力軽視へともどっていった。

情報がなかったわけでなく、「無視した」というほうが正確であろう。

紛争地に取材に来た外国人記者が若い日本人将校にこう聞いたという。

「この下にダイヤモンドがあるのか。石油があるのか。石炭があるのか」

「何もない」

「じゃ、何でこんなところで戦うのか」

「それは満洲国の国境を守るという日本の節義から戦っているんだ」

「節義? よくわからない。ほんとうにそれだけで戦うのか」

この記者とのやり取りがすべてを表している。

ノモハン事件を通して日本人の持つ欠落部分が見えてくる。

そして問題は、今も当時と変わらないものを日本人は持っているということである。

2017年1月11日 (水)

新エバンジェリスト養成講座/西脇資哲

Photo 一番最初にやらなくてはいけないのは、伝えたいことを決めるっていうことなんですね。

日本マイクロソフトのいちエンジニアはいかにして日本マイクロソフトのトップエバンジェリストにまでのぼりつめたのか?

成功の鍵はプレゼンテーションにあった、という。

いまは、同じことをやっていたのでは企業も個人の生き残れない時代。

それだけにプレゼンテーション力は必須のスキルといえる。

プレゼンテーションの目的は話すことでもなければ、作った資料を見せることでもない。

相手を動かすことである。

つまり、プレゼンテーションというのは、相手を動かすこと。

相手を動かす力である。

だとしたら、最初にやらなくてはいけないことは、「何を伝えるか」ということ。

そしてそれを「どのように伝えるか」が次に来る。

そのために様々なテクニックがある。

プレゼンというと、どのように資料を作り、どのように話すか、に重点を置きやすいが、「何を伝えるか」が明確になっていないことが多い。

また、聞いていても「何を伝えたいのか」が分からないプレゼンも多い。

意外と見落としてしまいがちな視点ではないだろうか。

2017年1月10日 (火)

口べたでも1時間で誰とでも仲良くなれる技術/平野敦士カール

Photo そもそも人は、物を食べているときは無防備になりやすいものです。ランチで会話をしながら、相手の食べている姿をさりげなく観察すれば、隠れた性格を知ることもできます。
 つまり、食事をともにすることで、本当に自分と「波長」が合う人かどうか、かなり正確に判定することができるというわけです。

著者はランチ・アライアンスを提唱している。

著者が提唱している「アライアンス」とは、「周囲の人から長期的な信頼を獲得し、その人たちの力を借りて成長していく」 という考え方を指している。

それをなぜ「ランチ」と組み合わせるのか?

人は食事をするときは気分が良くなる。

本音もでやすい。

そして何よりも大事なのは、その人と波長があうかどうかが分かるということ。

仕事上の付き合いであっても、個人的な付き合いであっても、波長が合わない人とは長続きしない。

長続きしなければアライアンスを組むことはできない。

それを見極めるための「ランチ」なのである。

さらに優秀な人ほど忙しい。

アポをとるのも大変である。

その点、ランチを一緒に、ということであれば、比較的時間を取りやすい。

つまり「ランチ・アライアンス」とは一石二鳥の考え方なのである。

試してみても良いのではないだろうか。

2017年1月 9日 (月)

面白いほど成功するツキの大原則/西田文郎

Photo 単刀直入にいおう。人間とは、脳に記録された記憶データである。記憶データの蓄積、それが人間である。

ツキや運というと、多くの人は「偶然」と考える。

しかし、ツキや運は偶然ではない。

生まれつきのものでもない。

じつは大脳生理学によって、ツキは科学的に解き明かすことができる。

人間の脳を理解するには、3階建ての家を想像すればよい。

大きく分けると、脳は3層構造になっていて、1階のほうから、「脳幹」「大脳辺縁系」「大脳新皮質」の順に積み重なっている。

「脳幹」は生命維持(本能)、「大脳辺縁系」は感情、「大脳新皮質」は思考をつかさどる。

そして、その要の位置に扁桃核が存在している。

こんな小さな神経組織が、なぜ脳の機能の中心に位置しているのか。

それは扁桃核の最大の仕事が、危険から自分の身を守り、安全に生存するために絶対必要な、「快不快」「好き嫌い」を判断し、記憶することだからである。

この扁桃核がツキや運を決めてしまう。

脳は高度にプログラミングされたソフトにたとえられる。

だから成功するためには、3つのスイッチを「プラス」側にオンにすればよい。

本能、思考、感情の3つがプラスに切り替われば、脳というスーパーコンピュータは、「成功するためのソフト」を自動的に実行し始める。

成功しようと思わなくても、たとえイヤでも成功してしまうのである。

「間違いなく成功する」と思える。「成功した自分」をリアルにイメージできる。

「成功の喜び」が感じられる。

心がウキウキワクワクし、夢や願望のほうへ現実をぐいぐい引き寄せずにはおかない。

モチベーションが高まり、やる気が驚くほど出てくる。

脳内の神経伝達物質や脳内ホルモンのバランスが変わってくるから、他のソフトでは考えられないようなひらめき、インスピレーションもどんどん湧いてくる。

確かに、成功者とは、確率など無視してかかる非常識な人間である。

誰が考えても「できるはずのない」ことを、「できる」と思ってしまう錯覚人間である。

状況がよくても悪くても、たとえ最悪最低の事態であったとしても、「自分はツイている」と思える人間である。

錯覚であろうが、誤解であろうがおかまいなしに、何でもかんでもプラスに考えられる。

これは扁桃核の働きであろう。

3つのスイッチがプラスになるか、マイナスになるか、そのカギを、扁桃核の「快不快」「好き嫌い」が握っている。

成功するためには、扁桃核が「快」「好き」と受け止めるよう自分を持っていくこと。

これがポイントだと言えよう。

2017年1月 8日 (日)

天職は寝て待て/山口周

Photo 「召命」と「天職」。日本語ではまったく異なるニュアンスを持つこの二つの言葉が、英語ではVocationという一つの言葉で表されるのです。つまり天職とは自己によって内発的に規定されるのではなく、本来は神から与えられるもの、と考えられていたということです。

キャリアへの関心が高まっている。

ところが、それと反比例するようにキャリア選択で失敗している人も増えているように感じる。

なぜか?

キャリアについて勘違いしているからである。

キャリアを考えるアプローチとしてよく使われるアプローチとして、自分のこれまでの仕事人生を棚卸して、自己を内省的に振り返るという手法を使う。

しかし、「天職」を「召命」と同義語で考えると、この手法は間違っている。

なぜなら「召命」は自分が主体ではなく、神を主体とした考え方だからである。

自分で見出すものではなく、人生のある時に思いもかけぬ形で他者から与えられるもの、ということである。

これは「自分は世界に何を求めているのか」という、私たちがいつも抱えている問いを、「世界は自分に何を求めているのか」という問いへと180度切り替えることを意味する。

もしそうであれば、私たちがごく自然に考える「自己を省察することでキャリアを設計する」というアプローチは、非常にナンセンスだということになる。

スタンフォード大学の教育学・心理学の教授であるジョン・クランボルツは、米国のビジネスマン数百人を対象に調査を行い、キャリア形成のきっかけは、80%が「偶然」であるということを明らかにした。

彼はこの調査結果をもとに、キャリアは偶発的に生成される以上、中長期的なゴールを設定して頑張るのはナンセンスであり、努力はむしろ「いい偶然」を招き寄せるための計画と習慣にこそ向けられるべきだと主張した。

そして、それらの論考を「計画された偶発性」という理論にまとめた。

さらにクランボルツはこの「いい偶然」は単に待っているだけでは起こらず、招き寄せるための日々の習慣が重要である、と指摘している。

だから、「天職」を求めて「転職」を繰り返す人たちは、まったく間違っているということである。

自由になろうと思ったら、どこかで不自由を我慢しなければならない。

若いときから「自由が、自由が」と言って仕事を選んでいたら、いずれ自分の人生は不自由になりますよ、ということである。

会社に依存しないで生きていけるような「自由さ」を獲得するためには、人生の一時期において逆に隷属的に仕事に支配されることで、「自由に生きるための力」を獲得しておく必要がある。

「天職」へのアプローチは実はここからはじまるのではないだろうか。

2017年1月 7日 (土)

そもそも「論理的に考える」って何から始めればいいの?/深沢真太郎

Photo 「何これ? 『36=10』って、変じゃない??」

『考える』とはどういうことか?

例えば、『36=10』は論理的に考えれば確かにおかしい。

しかし、36と10を単なる数字として見るのでなく、その裏にある単位とかも考えたら、「36=10」の理屈が作れる。

例えば『36』は時速、『10』を秒速と考えればどうか?

つまり、速度の単位変換。

そうすると『36(km/時)=10(m/秒)』となる。

同様に、『1+1=2』は常識だが、この常識を疑ってみたら何が起こるか?

考えてみたら、世の中には『1+1=2』にならないものはいくらでもある。

論理的に考えること、プラス、常識を疑う発想力、

この組み合わせが「考える」ということではないだろうか。

2017年1月 6日 (金)

殻破りのインプロトレーニング/別役慎司

Photo 俳優は舞台上で、人生そのものを、人生のありとあらゆる側面をリアルに演じなければいけないので、俳優訓練は、人生の全てに応用できる人間力育成法にもなるのです。
 即興とは人生そのものです。
 人生は瞬間瞬間の創造であり、まさに即興こそ人生なのです。

企業では様々な研修が行われているが、効果が上がっていないものがあるのも事実である。

単なる知識の習得で終わってしまっているものも多くある。

ビジネスで成果を上げるためには、何を知っているかよりも、何ができるかが重要である。

しかも、必要な時、必要な行動を、より高いレベルで行ったとき、成果が生まれる。

それに直結するような研修ができればより効果的であろう。

著者は、そのために、研修に即興演技を取り入れることを勧めている。

仕事には正解はない。

その時その時で自由な発想で柔軟に発想し、自発的に個性的な新しいものを創造したとき成果が生まれる。

キーワードとして浮かんでくるのが「自由」「創造」「個性」「自発性」らである。

即興では、その場の発想力と判断力と反応力で、瞬間瞬間に言動を生み出すことが求められる。

それは瞬間瞬間を創造すること。

即興はとても人間的であり、人間力そのもの。

即興は、先が用意されていない。

シナリオのない状態から新しく創造していく。

瞬間瞬間を臨機応変に対応しなければいけないので、脳は追い込まれ、活発化する。

俳優訓練や即興訓練では、実は理性における判断力も鋭敏にすることができるし、直観における判断力も開拓していける。    

即興は、創造力、想像力、意志力、表現力、個性、自発性、状況判断力、反応力、瞬発力、緊張に負けない力、臨機応変力、脳力が伸ばされる。

まるで魔法のようなトレーニング。

あらゆる人のあらゆる可能性の扉を開く。

確かに、即興を研修に取り入れることは極めて効果的なことと考えられる。

本格的なものはその道のプロでないと難しいが、その真似ごとぐらいは出来るかもしれない。

2017年1月 5日 (木)

好きになられる能力/松崎久純

Photo 私たちは、いくら実力があっても、専門分野の能力が高くても、人から選ばれることがなければ、運のない人生を歩むことになる。

ライカビリティという言葉がある。

英語では「Likeability」

「好感度」「好きになられる能力」「人の気持ちを前向きにする能力」という意味。

私たちはどんな人と一緒に働きたいと思っているかといえば、特別に才能のある人ではない。

高い業績を上げている人でもない。

社会的地位の高い人でもない。

その代わりに、私たちは、自分のことを認めてくれる人、大事にしてくれる人、気にかけてくれる人と一緒に働きたいと思っている。

つまりライカビリティの高い人と働きたいと思っている。

人は誰でも、「認められたい」「大事にされたい」「気にかけてほしい」と望んでいる。

したがってライカビリティを高めるには、自分が相手を「認めている」「大事に思っている」「気にかけている」ことを上手に伝える必要がある。

成功したければ、ライカビリティについて学び、その能力を高める必要がある。

ライカビリティは、決して無視することのできない成功の必要条件と言えるのでないだろうか。

2017年1月 4日 (水)

相手を変える習慣力/三浦将

Photo 相手を変える習慣力を考えるにおいて、最も大事なことは相手との関係性です。

昨今、コミュニケーションというものがますます重要視されてきている。

このコミュニケーションの真の目的の1つは、関係性の構築にあると言える。

人と人は、基本として対等関係である。

上下関係があるのは、上司・部下の関係など、あくまで仕組みの中のこと。

この認識をはっきりと持つことが、相手との関係性の構築の基本である。

この認識が甘いと、相手をポジションパワーで変えようとする。

しかし、これでは相手は変わらない。

しかも、人から強制されてやることには、持続力がない。

外発的モチベーションは、持続力がなく、根本的な変化にはつながりにくい。

逆に、内発的モチベーションは、持続力があり、根本的変化につながりやすい。

相手に変わってもらうことの前提は、相手のモチベーションを下げるような行為を繰り返さないことである。

そのためには、相手との関係は対等関係だとの認識をはっきりと持つことである。

その上で、まず自分が変わり、それを習慣化する。

次に、相手の気づきを促すような会話をする。

自分のことをわかっていない状態というのは、意識化されていない状態。

そのことが、意識下になく、潜在意識に留まっている状態。

変化を習慣化した自分が対話することにより、相手のなかに気付きが起こる。

この“気付き”によって人は変わっていく。

人が自らの問題を解決するための、そして変化するための“気付き”が起こる。

キーワードは、「潜在意識」と「習慣化」。

潜在意識を味方につける習慣化によって、無理なく、自然にこの「相手を変える力」を身に付けることができる。

その構造を簡単に言うと、

自分の習慣が変わる→それによって、相手の潜在意識に影響を与えることができるようになる→相手が変わる

という流れになる。

この順番を間違えないことである。

2017年1月 3日 (火)

自分を変える習慣力/三浦将

Photo サッカーのブラジル代表フォワードにネイマールという選手がいます。独立行政法人・情報通信研究機構のチームの研究によると、ネイマール選手がドリブルなどで足を動かす際、脳の活動範囲がアマチュア選手の1割以下であるということがわかりました。

ネイマールの場合、アマチュア選手の10分の1以下の脳を動かすだけで、あのすごいドリブルをすることができるということである。

おそらく、ほぼ無意識的にドリブルをしている感じなのだろう。

ここでのポイントは「脳をほとんど使わない」という点。

ドリブル自体に意識がほとんど行っていないので、脳は他の多くの情報を同時に処理する余裕があるということ。

敵のディフェンダーたちがどこにいるのか?

ゴールキーパーはどんな動きをしているのか?

一緒に攻める味方はどの位置にいて、どう動こうとしているのか?

さまざまな情報を動きながら一斉に処理し判断する余裕が、他の選手より圧倒的にあるということである。

その余裕がネイマール選手の脳にはあるので、あの芸術的なシュートや、味方への絶妙なスルーパスを繰り出せるのだろう。

良い習慣をたくさん身に付けているというのは、これに近い感覚だと思う。

習慣化された重要な行動が、あまり意識や意志を使わず、自動操作モードで実行されていくので、脳が他の情報を処理する余裕が出て来るのである。

良い習慣を身に付けることがいかに重要かを示す好事例ではないだろうか。

2017年1月 2日 (月)

企業内学習入門/シュロモ・ベンハー

Photo 企業経営という観点にたったとき、「人を育てる」ということは、とても大切ではありますが、一つの「手段」です。ビジネスの成果という目的につながってこそ意味を持つのであり、ただ「人が育つ」だけで終わってはいけないのです。変転する環境の中で、どのように「業績を持続的に向上させるか」を念頭におき、その目標に向けて行動を変革し、その行動を持続させ、必要な知識や文化を組織として獲得し活用していかなければなりません。それが「企業内学習(Corporate Learning)」の考え方なのです。

企業内学習について論じた本である。

翻訳本であり、しかも対象は大企業なので、私が関与している中小企業には当てはまらない部分もかなりあるが、企業内学習の基本的な考え方は非常に参考になる。

企業内学習が目指しているものはいわゆる「学習」ではない。

むしろ行動の変化や業績の向上であるべきだ。

知識やスキルの習得ももちろん重要である。

だがそれは企業内学習の最終目的ではないし、そのテーマでもない。

企業に価値をもたらすのは知識やスキルそのものではなく、その応用だということ。

つまり、多くの企業内学習の目的は、人々の行動を変え、彼らが企業に価値をもたらすように仕向けることなのである。

今やビジネスモデルだけで差別化することは難しくなってきた。

どんな画期的なモデルをつくっても、すぐに他社が真似をしてくる。

これほど変化の激しい時代である。

しかし、人材能力で差別化したらどうだろうか。

そうそう簡単には真似できない。

人材育成には時間がかかるからである。

そのように考えると、人材育成こそ長期的な差別化戦略であるといえるのではないだろうか。

特に優秀な人材が入ってくることの少ない中小企業こそ、企業内学習に力を入れるべきではないだろうか。

2017年1月 1日 (日)

点と線/松本清張

Photo「あれは、九州の博多行の特急だよ。あさかぜ号だ」
 安田は、女二人にそう教えた。
 列車の前には、乗客や見送り人が動いていた。あわただしい旅情のようなものが、すでに 向かい側のホームにはただよっていた。
 このとき、安田は、
「おや」
 と言った。
「あれは、お時さんじゃないか?」
 え、と二人の女は目をむいた。安田の指さす方向に瞳を集めた。
「あら、ほんとうだ。お時さんだわ」
 と、八重子が声を上げた。

本書は40年位前に読んだ初めての松本清張の小説である。

40年ぶりに再読し、改めてストーリーの巧みな組み立てに感心させられた。

謎解きのキーになるのは、東京駅の13番線のホームから15番線のホームを見渡せる4分間。

この4分間が犯人のアリバイ作りに利用される。

偶然を装った必然である。

この時の目撃証言が事件を迷宮へと誘い込む。

偶然と必然、人間の先入観、愛と性、権力と欲、

こんなものから逃れられない人間の業が描かれている。

清張ワールドの原点がここにある、と思わされた。

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