ノモンハンの夏/半藤一利
若い参謀はなおねばる、「米英を相手に戦って、勝算があるのですか」。
辻参謀は断乎としていった。
「戦争というのは勝ち目があるからやる、ないから止めるというものではない。今や油が絶対だ。油をとり不敗の態勢を布くためには、勝敗を度外視してでも開戦にふみきらねばならぬ。いや、勝利を信じて開戦を決断するのみだ」
いつか、どこかで聞いたような辻参謀の啖呵である。
ノモハン事件とは1939年5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争のこと。
両国の後ろ盾となった日本とソ連が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった。
問題はこの紛争の目的である。
「事件」と名打っているが、その規模や死傷者を考えると戦争と変わりない。
戦争をする場合、前提として考えなければならないことがある。
それは第一に「何のために戦うのか」ということ。
次に「戦って勝てるのか」ということ。
目的のはっきりしない戦争はすべきでないし、負けると分かっている戦争もすべきではない。
ところがノモハン事件の場合、この二つとも全くあてはまらない。
例えば、長大なソ連と満州国境における兵力、戦力に相当の差があった。
飛行機は、日本の340機にたいしてソ連軍は6倍の2000機、
戦車は日本の170輛にたいしてソ連軍は11倍の1900輛、
日ソ両軍の圧倒的な戦力比の事実に、軍首脳は驚倒し、一時は浮き足立ったが、時間がたつとまた観念的なソ連戦力軽視へともどっていった。
情報がなかったわけでなく、「無視した」というほうが正確であろう。
紛争地に取材に来た外国人記者が若い日本人将校にこう聞いたという。
「この下にダイヤモンドがあるのか。石油があるのか。石炭があるのか」
「何もない」
「じゃ、何でこんなところで戦うのか」
「それは満洲国の国境を守るという日本の節義から戦っているんだ」
「節義? よくわからない。ほんとうにそれだけで戦うのか」
この記者とのやり取りがすべてを表している。
ノモハン事件を通して日本人の持つ欠落部分が見えてくる。
そして問題は、今も当時と変わらないものを日本人は持っているということである。
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