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2017年2月の28件の記事

2017年2月28日 (火)

人事評価はもういらない/松丘啓司

Photo 「内的動機」とは、その人がどのようなときに充実感を感じたり、思わず熱中したりするかという、いわば個々人のモチベーションのスイッチだ。自分の内的動機が満たされているとき、人は最高に意欲的になれるのである。

いま、アメリカでは、年次評価を廃止する企業がでてきているという。

年次評価を廃止すると言ったとき、そこには2つの意味が含まれていることを理解しておく必要がある。

1つ目は、A・B・Cといった社員のランク付けを行わないということ。

2つ目は、年度単位で社員の評価を行うという業務を止めるということである。

年初に全員が一斉に目標設定を行うことは止める。

そのかわりに、期中においてタイムリーに目標を設定したり、変更したりすることが繰り返される。

中間レビューも廃止される。

しかしそれは、期の途中で何のフィードバックも行わないという意味ではない。

目標が臨機応変に設定されるように、その結果に対するフィードバックも随時、実施される。

これは、わざわざ中間面談や期末面談のタイミングまで待つのではなく、リアルタイムでフィードバックを行ったほうがはるかに有意義だからである。

アメリカ企業がパフォーマンスマネジメント変革を実施している理由は、一言で述べるとシンプルだ。

従来のパフォーマンスマネジメントが個人や組織のパフォーマンス向上につながっていないと見なされはじめたからである。

自分が知らないことを人に尋ねたり、間違ったことを述べたりすると非難され、評価が下がるような職場では、心理的安全が得られない。

したがって、年次評価によるランク付けの廃止は、職場の心理的安全を高めることによるコラボレーション促進を目的とした組織風土変革と捉えることができる。

脳科学の検証によると、数値によってランク付けされることによって、人は学習や成長に対してネガティブになる「硬直的なマインドセット」を強化させてしまう。

そのことによって、社員はフィードバックに耳を閉ざし、ストレッチゴールを危険と考え、学習に向けたモチベーションを低下させ、努力を避け、他人の成功を脅威に感じるようになると言われている。

そもそも、人事評価には2つの目的がある。

1つ目は、処遇を決めるため。

2つ目は、行動を改善し、人材育成するため。

ところが、成果主義の浸透により、1つ目の目的ばかりが強調されるようになった。

その結果、社員が後ろ向きになりパフォーマンスに悪影響が出てくるようになった。

今のアメリカ企業の年次評価廃止の動きは、人事評価の本来の目的に立ち返る動きとも言える。

給料を上げれば社員が頑張るとは限らない。

またこの手法には限界がある。

むしろ、社員一人一人の動機や価値観に着目することが大事。

人にはそれぞれ、モチベーションのスイッチがある。

それを探り当てること。

これが重要。

その意味で、カギを握るのはマネジャーの対話力である。

2017年2月27日 (月)

なぜ女は男のように自信をもてないのか/キャティ―・ケイ、 クレア・シップマン

Photo 自信は、失われた環なのだと私たちは信じている。頭ばかり働かせすぎている私たちを、行動という解放された領域に押し出してくれるのが、自信なのだ。

この本のタイトルを見て、興味がわいた。

著者二人はアメリカ人である。

しかもテレビ局のリポーターというどちらかといえば勝ち組と見られている人たちである。

そのような二人であっても、「女性は男性と比べて自信を持てない」と思っているのか?

非常に興味深く思った。

本書に、イギリスにある〈リーダーシップ・マネジメント研究所〉が2011年に女性たちに対して行なった調査結果が掲載されている。

それによると、「自分の仕事に対してどれだけ自信があるか」という質問に対して半数の女性が「自分のパフォーマンスとキャリアに対して自己不信を抱いている」と答えていたというのである。

男性回答者で同様に答えたのはわずか三分の一以下だった。

つまり、つまり欧米では、女性は自分の価値を、男性が自分にあると信じている価値よりも、事実上20%も低く見積もっているということなのだ。

欧米でさえそうならば、我が国ではどうなのか?

私たち日本人は、自己評価の低い国民として知られている。

たとえば、内閣府の平成26年版『子ども・若者白書』には、世界七カ国の13歳から29歳の若者を対象に行なった、こんな意識調査の結果が載っている。

自己肯定感に関する項目で、「自分自身に満足している」と答えたのは、

一位がアメリカで、86%。

二位のイギリスから、フランス、ドイツ、スウェーデンは約83%から74%でほぼ横並び。

六位の韓国は71.5%、

そして日本は45.8%と圧倒的に低く、最下位である。

おそらく女性だけを対象に調査すればさらに低い数字がでるだろう。

女性に能力がないわけではない。

むしろ足りないのは一歩を踏み出す勇気なのではないだろうか。

何か間違ったことをするのを恐れるあまりに、とにかくすべてを正しく行なおうと必死になる。

でも、失敗するリスクを取らなければ、次のレベルにはいけない。

私たちに必要なのは、行動を起こすこと、リスクを冒すこと、そして失敗をすることだ。

そして、必要以上に卑屈になったり、言葉を濁したりするのをやめること。

女性に成功する能力がないわけではない。

ただ自分が「成功できる」ということを信じていないように見える。

これは女性に限ったことではないのだが。

2017年2月26日 (日)

社長の入門書/川瀬博文

Photo 私はよく、三年先を目指せと言っています。投資にはいろいろな形がありますが、大事なのは自分に投資することです。どういうことかというと、将来必要とされるものに対してはケチらず、きちんとお金を使えということです。時間に投資する、と言い換えてもいいかもしれません。

私は社長ではないが、社労士事務所を経営している個人事業主の一人である。

もう、独立して14年になる。

その経験から言っても、大事なことは「自分への投資」だ思っている。

社労士事務所はモノを仕入れて売るわけではない。

だから、基本的に売り上げイコール粗利益である。

では何も仕入れなくてよいかというとそうではない。

ノウハウを仕入れる必要がある。

顧問先で様々な研修をする場合、多くのノウハウを仕入れる必要がある。

もちろん、自分で本を読んで研修を作り上げることは可能だ。

だがそれでは時間がかかる。

それよりお金でノウハウを買った方が速い。

お金で時間を買っているようなものである。

そしてそのノウハウを使って儲ける。

つまり投資と回収を繰り返しているというイメージである。

いかに上手に自分に投資してゆくのか?

全ての起業家に共通する課題なのではないだろうか。

2017年2月25日 (土)

「マーケティング」のきほん/庭山一郎

Photo「企業の最も重要な資産は顧客情報である」。これは40年以上も世界のマーケティングをリードしてきたセオドア・レビットの言葉です。
 企業が存在できるか否かを決めるのは経営者でも株主でもなく「市場と顧客」なのです。

先日、ある新聞販売店の社員が新聞の売り込みにやってきた。

「6ヶ月取ってくれたらこれを差し上げます」と洗剤やチケットを差し出す。

もうすでに2紙取っているので断ったのだが、考えてみたら今取っている新聞販売店からは何もサービスしてもらったことがない。

「釣った魚にエサはやらない」ということだろうが、これは悪しき慣習ではないだろうか。

長期継続の既存顧客は新聞社にとっては、まさに「釣れた魚」と映っているのかもしれない。

携帯電話も浮気性な人が優先的に良いサービスを受けられる。

同様に、既存顧客を大切にしない日本企業は多い。

新規開拓ばかりに血眼になっている。

顧客とはその企業にとっての存在基盤である。

顧客に見捨てられれば企業はたちまち倒産する。

極めて強固に見えた企業が、顧客を裏切ったためにあっという間に消えていった事例は枚挙にいとまがない。

しかし、残念なことに日本では既存顧客をあまり大事にしない企業がたくさんある。

わが社にとって「顧客は誰なのか?」

企業はまずこれを問うていく必要があるのではないだろうか。

2017年2月24日 (金)

折れない自分のつくり方/小倉広

Photo_2 強制はしない。だが、全員に反対されても、掲げた目標はおろさない。そして、一切、メンバーに迎合もしない。相手がわかってくれるまで一万回でも言い続ける。その信念の強さこそが、折れない自分をつくる鍵である。

リーダーには大きなプレッシャーがかかる。

だから折れてしまうリーダーも多い。

しかし、折れて当然の場面にもかかわらず、リーダーは折れてはいけない。

それがまた、リーダーに大きなプレッシャーとなって襲いかかる。

人は基本的に過去と相手を変えることはできない。

だから、リーダーは、メンバーに「強制」してはいけない。

だが「迎合」してもいけない。

こう考えると、かなり細い道を通らなければならないということになる。

そこで大事なことは信念である。

リーダーは、メンバーがそれを受け入れるかどうかにかかわらず、自らが正しいと思うことを愚直に伝え続ける。

それこそが、「強制」でもなく「迎合」でもない第三の道である。

ただし、この「信念」は独りよがりなものであってはならない。

それではお客様にも部下にも支持されない。

これをやれば絶対に、お客様に喜んでいただける。

これをやれば絶対に、部下は幸せになれる。

利己ではなく、利他の心から発せられている信念。

だからこそ、ブレない、揺れない、折れずに貫き通せる。

その意味で、どのようにぶれない「信念」を持つか、これかポイントだということになる

2017年2月23日 (木)

必笑小咄のテクニック/米原万里

Photo まず男はあわてることなく優しい手つきでスカートを下ろした。それからゆっくりとブラウスをはいだ。次にブラジャーのホックを外して引っ張ると、ブラジャーはそのまま男の足下にはらりと落ちた。それから男は一気にパンティーを引きずり下ろした。
 今や男の目の前には、むき出しの……洗濯ロープがあった。

本書は古今東西の、巷にゴマンと溢れる小咄を分類し、腑分けして、その仕組みを明らかにしたもの。

その過程で以前から何となく感じていたことを再確認することになったという。

それは、すべての傑作小咄のやり口が、詐欺の手口にソックリだということ。

もともと詐欺行為は、人間の欲や常識や権威にのっとった思考習慣の裏をかく犯罪だから、その手口は意表を突いているのは当たり前。

それを話しただけでそのまま小咄になる。

要するに、聞き手や読み手の常識や知識がそのまま、意表を突くために不可欠な文脈の役割を果たしていることになる。

この場合、小咄の外ですでに文脈ができていて、小咄そのものは意表を突く部分つまりオチだけで成り立つ、というのである。

ナルホドと思わされた。

確かにすべての小咄はこのパターンで構成されている。

そう考えると、詐欺師はみな優れた小咄作者になる素質を持っているかもしれない。

2017年2月22日 (水)

あぁ、監督/野村克也

Photo_2 監督は言葉を持つことがきわめて大切だ。ほとんどの選手は天才ではない。感覚だけでは理解できない。とすれば、言葉で伝えなければならないからである。
 ところが、野球選手というのは往々にして言葉を持たない。「理論よりも実践」を重視してきたからだ。「考える前に動け」というわけである。

アスリートは身体能力でその優劣を競う。

そのため現役時代には言葉の必要をあまり感じない。

ところが、現役を引退し、監督やコーチになると、これまでと違って言葉で表現する必要にかられる。

ところがこれがうまくいかない。

「言葉の壁」にぶつかるのである。

「名選手必ずしも名監督にあらず」という言葉があるが、まさにそのことをあらわしているのであろう。

野村氏は「評論家を経験しなかったらいまの私はない」と言っている。

元野球選手であっても、評論家をやってみればいやでも言葉の大切さに気づかされる。

なぜなら、評論家は野球のおもしろさや奥深さ、魅力を、野球の専門家ではないテレビ視聴者や新聞の読者が理解できるよう、わかりやすく平易に、かつ的確な言葉で表現しなければつとまらないからである。

野村氏も最初から言葉を持っていたわけではない。

もともと人前で話すのは苦手だったから、何を、どのように話せばいいのかわからなかったというのである。

そんな彼が活路を見出したのは、本を読むことだった。

政治経済や科学書から文学まで、ありとあらゆる書物を紐解いたという。

そうやって野村氏は言葉を獲得していった。

今のプロ野球の監督を見ていて、何か薄っぺらなものを感じてしまうのも、このような影の努力をしないまま監督になってしまったことからくるのかもしれない。

2017年2月21日 (火)

「やめる」習慣/古川武士

Photo このように、「何のために」という理由が強力であれば、目先の誘惑を乗り切りやすくなります。意志の強さ弱さではなく、「骨太の理由」をどう作るかが、「やめる習慣メソッド」を実践していく上で重要です。

ある意味「やめる」ことは「続ける」こと以上に難しいことだと思う。

悪い習慣とは目先の欲望や誘惑に負けてしまい、長期的に見るとデメリットをもたらす習慣である。

「悪貨は良貨を駆逐する」とよく言う。

これはグレシャムの法則。

悪い貨幣の流通を放置すると、よい貨幣を人々が手元に置いてしまい、市場から消えてなくなるという意味である。

習慣にもまったく同じことが言える。

せっかく努力して身に付けた良い習慣も、悪い習慣がその努力を帳消しにしてしまう。

しかし、分かってはいてもなかなかやめられないのが悪い習慣。

それは脳の性質にもよる。

つまり、人間の脳はその生存本能から、変化に抵抗し、現状を維持しようとする。

変化は危険であることが多いからである。

だから、脳にとって新しい行動は、よい習慣、悪い習慣の区別なく、変化である限りやめさせようとする。

それを乗り越えるためにはどうすればよいのか?

結論から言えば、無意識がいつもどおりと認識するまでやめ続ければいい。

悪い習慣をオフにした状態がいつもどおりと無意識が認定すれば、脳はそれを保とうとする。

これこそが「やめる習慣」のメカニズムである。

ではそのためにはどうすればよいのか?

「何のために」という「骨太の理由」をつくることである。

悪い習慣が手放せないのは、その習慣には肯定的な意味もあるから。

例えば、たばこがやめられないのはそれによってリラックス効果があるから。

本来何かで満たされるべき欲求を、悪い習慣が満たしてくれていて、それが快感だからこそ、習慣として定着しているのである。

だからこそ、それを否定する「骨太の理由」が必要。

骨太の理由を作る際は、「危機感、快感、期待感」というキーワードを切り口にして考えるとよい。

1つめの「危機感」は、この習慣をやめなければ「こんな悪いことがある」というもの。

たとえば、タバコを吸い続けると肺ガンになる可能性がある。

そうなれば、家族を路頭に迷わせることになる。

このような危機感を抱くこと。

2つめの「快感」とは、この習慣をやめれば「こんなよいことがある」という目先のメリット。

たとえば、夜更かしをやめると、睡眠時間が7時間確保できて、昼は眠くならないし、朝起きるときにつらくなくなる。

快適な1日を送れるというようなもの。

3つめの「期待感」は、快感が目先のメリットであるのに対して、長期的なメリット。

やめ続けることでどんな効果があるか、仕事、人間関係、健康、家族への影響などに広げて考えていくとよい。

確かに、自分のことを振り返ってみても、「この程度のこと、どうってことない」と、悪い習慣を何となく容認しまっているところがある。

これに対して明確に「NO」ということ。

まずはここから始めるべきということだろう。

2017年2月20日 (月)

「続ける」習慣/古川武士

Photo イチロー選手はメジャーの年間最多安打記録を更新した際、次のようなコメントを残しました。
「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところに到達するただ1つの道」
 まさに「習慣化」の力を物語る名言です。

「続ける」ことが大事なことは誰もが知っている。

ただ、知っていてもなかなかできないのがこの「続ける」こと。

そして多くの人は「続ける」ことができないのは、自分の意思が弱いからだという。

しかし、それは間違いだと著者はいう。

習慣化する力とは、自分が続けたいと思っていることを、意思や根性に頼らず、毎日のハミガキのように楽々続く状態に導くこと、だというのである。

そもそも習慣とは何なのか?

それは、脳に作られたプログラム。

ということは、このプログラムを書き換えればよいということ。

人間には「新しい変化に抵抗し、いつもどおりを維持しようとする傾向」がある。

だから、習慣化のためには、まずこれを乗り越える必要がある。

ベストセラーとなった『7つの習慣』では、アポロ11号の発射について、次のように表現している。

「ロケットが上昇する最初の数分間、数キロで必要としたエネルギーは、それから後の数日間、約70万キロに及ぶ旅をするために使用したエネルギーをはるかに上回るものであった」
「習慣化のプロセス」は、このロケットの打ち上げと似ている。

ロケットを打ち上げる際の難関は大気圏を抜けること。

大気圏を抜けるのには膨大なエネルギーが必要。

それは重力が地上に引き戻そうとするから。

しかし、いったん宇宙空間に出てしまえば、重力の法則から解放され、少ないエネルギーで進むことが可能になる。

習慣化にもこの「重力」にあたる力が働く。

しかもそれは段階的に働く。

スタートして最初におとずれるのは「反発期」

この時期は、すぐにやめたくなる力が働く。

次に「不安定期」がおとずれる。

予定や人に振り回されることが多くなる。

最後の段階では「倦怠期」がおとずれる。

じょじょに飽きてくる。

習慣化するにはこの段階に応じた具体策を立て乗り越えてゆけばよい。

それは意思や根性に頼らないやりかた。

習慣化する力がある人は、ダイエットも勉強も、仕事も何でもうまくいく。

習慣化する力のない人は、何をやっても三日坊主に終わる。

習慣化する力は多くの壁を乗り越える力になるのではないだろうか。

2017年2月19日 (日)

残業しないのに給料が上がる人がやめた33のコト/俣野成敏

33 日経新聞によると、「あなたの会社にダラダラと長時間働く偽装バリバリはいますか?」との問いを50人にしたところ、半数が「いる」と答えたそうです。
「今月の残業代はだいたい○万円くらいになるな」
「そちらの部署は○時間まで残業を申請できるの?」
 社内でそんな話題を耳にしたことはないでしょうか。これが、残業代をあてにして遅くまで残っている人たちの価値観です。

いま、政府の「働き方改革」で、残業が問題になっている。

残業に上限を設けるべきだとか、いろいろ議論されているが、法律を変えても、働く人の価値観を変えなければ、なかなかこの問題は解決しないだろう。

欧米だと残業ばかりする人は無能という烙印を押されるが、日本人にはそのような価値観はない。

むしろ残業の多い人は真面目に一生懸命仕事をしている人という評価をされることがある。

同じ品質、同じ量の仕事なら、短時間で終わらせたほうが価値が高いことは言うまでもない。

ところが、同じ仕事を残業して終わらせた方が残業代がもらえるため給料が高くなる。

こんな矛盾が生じる。

毎日遅くまで残業している人は、自分の生産性の低さを周囲に宣伝しているようなものである。

しかし、それがおかしいと感じることができない人がいる。

そんな能率が悪くて余裕のない人に、重要な仕事を任せようと考える人はいないだろう。

しかし、その立場に甘んじ、むしろそこに居心地の良さを感じている人がいる。

これは非常に残念なことである。

また、企業の風土がそれを後押ししていることがある。

日本人の良い所でもあり、悪い所でもあるのだが、「みんなで一緒」という価値観が強いのが日本企業である。

そのため、上司や同僚が残っているのに、自分だけ颯爽と「それじゃあ、お先に!」と帰るのはなかなか勇気がいる。

しかし、そこは勇気を持って、席を立つべきだろう。

「お前一人だけ帰るとはなんだ」と小言を言われようが、「チームの和を乱す」と陰口をたたかれようが、思い切って行動すべきだろう。

おそらくこのような行動の積み重ねが企業の風土を変えることにつながるのではないだろうか。

2017年2月18日 (土)

ユーロの正体/安達誠司

Photo ユーロ圏の財政危機は、不動産バブル崩壊後に金融機関の抱える不良債権問題が深刻化する中、ユーロ導入によって各国の金融政策が縛られ、抜本的な経済の修復策が制度的にとられなかったことに起因します。

そもそもEUもユーロという単一通貨も、景気のいい先進国が景気の悪い後進国を救うという意味が強かった。

その根底にあるのは、

第一に、戦争という過ちを二度と犯したくない、

第二に、国境のない社会を作り、人が行き来しやすいようにする、

第三に、共存共栄、だった。

「経済の平準化」が達成できれば、統一政府による「欧州合衆国」創設が容易になる。

「欧州合衆国」の成立によって、「欧州がアメリカや中国と並ぶ世界経済のリーダーとして、かつての栄光をとりもどす」

これがユーロのシナリオであったはず。

ところが、実際には、ユーロ導入にもかかわらず、不均衡がいっこうに是正されなかった。

さらに、統一通貨が発行されるということは、ユーロ加盟各国の金融政策は、一つの中央銀行の手に集約されることを意味する。

現にユーロ圏では、欧州中央銀行がユーロ圏の金融政策を一手に担っている。

ということは、金融政策が一つになったため、ユーロ参加各国は自国の景気がいくら悪化しようとも、独自の思惑で、景気を下支えするための金融緩和政策を実施することができなくなった、ということ。

ここにユーロ危機の本質がある。

EUもイギリスの国民投票による離脱決定にはじまり、それに続く国が出ることが懸念されている。

アメリカでは崇高な理想を語るオバマ大統領から超現実主義者であるトランプ大統領へとバトンタッチされた。

EUやユーロもそうなのだが、どうも世界中で理想主義と現実主義とのせめぎ合いが起こっているようだ。

そして今年はその分岐点になるかもしれない。

2017年2月17日 (金)

領土の常識/鍛冶俊樹

Photo「昔は領土を奪い合って戦争をしていたわけですが、今は経済の時代です。領土に固執するなんて馬鹿げている。シンガポールや香港を見なさい。面積は小さいのに経済性は極めて高い。領土なんてなくていいのです」
 こう断言する政治家に会ったことがある。保守政党所属のかなり高名な方だったが、このご意見にはさすがに唖然とさせられた。

確かに「日本が奪われた領土を諦めれば、波風立たずに平和に収まる」という話はよく聞く。

しかしこれは、かえって戦争を誘発しかねない危険な考えである。

世界史とは戦争の歴史でもある。

国家は必ず戦争から生まれる。

米国は独立戦争から生まれ、中華人民共和国は人民革命戦争から生まれた。

国家と軍隊の関係でいえば、まず軍隊があり、軍事制圧が完了した後に国家が出現し、統治が始まる。

軍隊が一般的に国家の中で他の行政機関と違った位置付けになっているのはこのためである。

国家より先に軍隊があるのである。

これは歴史を見れば明らかなことである。

そして国家には必ず領土があり国境がある。

日本は今、二つの領土問題を抱えている。

北方四島であり竹島である。

尖閣諸島は歴史上も日本の固有の領土であり領土問題は存在しないというのが日本の立場である。

竹島は1952年に不法占拠された。

にもかかわらず、1965年に不法占拠を許したまま日本は韓国と国交を開き多額の経済援助を行った。

日韓が国交正常化した1965年当時、海軍力は日本が圧倒的に優位であった。

従って日本政府が海上自衛隊を派遣すれば、韓国の警備員はほぼ無抵抗で竹島を引き渡したであろうことは確実であった。

北方領土についても同様で、ソ連崩壊後の1990年代には、北方領土を管轄するロシア軍は補給不足でほとんど動けない状態であったから、もし自衛隊が上陸すれば、一戦も交えることなく領土を明け渡したであろうと言われている。

しかし、日本は専守防衛を基本姿勢としているので、現実にはそれはできない。

外交交渉は軍事力という背景があって初めて有効に機能する。

そう考えると、日本人の軍事アレルギーがかえって領土問題をややこしくさせているということがわかる。

これは何も戦争をしろというのではなく、軍事力をチラつかせることによって、交渉を有利に進めることができるということである。

私自身は戦争は絶対やるべきではないと考えているのだが。

2017年2月16日 (木)

国防の常識/鍛冶俊樹

Photo 阪神淡路大震災での死者は約6000人だが、もっと迅速に救出が行われていれば少なくともあと1000人は助ける事が出来ただろう。自衛隊が軍隊として使用されなかったが故の犠牲者である。

国家は主権、領土、国民の三つの要素からなる。

従って国家を防衛することは、必然的に主権を防衛し領土を防衛し国民を防衛することになる。

そして、それを担うのが普通の国であれば軍隊だが、日本では自衛隊である。

これが大いなる矛盾を生んでいる。

自衛隊は24万人の巨大組織であり、小銃を持って軍事教練に励み戦車も戦闘機も潜水艦も擁している。

自衛隊は紛れもなく軍隊である。

現に、海外では自衛隊は軍隊と認知されている。

ところが、この明快な結論が国内ではすんなりと受け入れられない。

なぜなら「自衛隊を軍隊だ」と認めてしまうと、「自衛隊は違憲であり直ちに解散すべし」となる。

そこで「自衛隊は法律的には軍隊とはいえない」という奇妙な論理を展開する事になる。

この矛盾が様々な問題を引き起こす。

例えば、阪神淡路大震災では、自衛隊の出動が遅れた。

軍隊は緊急事態に即応する。

従って自衛隊は即応してはならなかった訳である。

また自衛隊は交通渋滞に巻き込まれてなかなか前に進めなかった。

軍隊は自ら交通規制を行い、従って交通渋滞に巻き込まれる事はない。

だから自衛隊は交通渋滞に巻き込まれて軍隊でない事を示さなければならなかった。

そのため、救われるべき命が救われなかった。

東日本大震災の時にはこの問題は少しは解消されたものの、矛盾を抱えた存在であることに変わりはない。

もうそろそろ、この問題、スッキリさせたらどうだろう。

2017年2月15日 (水)

日本にはびこる「トンデモ左翼」の病理/石平

Photo 私が不思議だったのは、日本にはとにかく国民の拠り所となる国家を否定し、国のやることはすべて悪で、とりわけ安全保障問題については国際情勢など関係なしに、日本の防衛力強化に断固NOと叫ぶリベラルや左翼が多数存在していたことである。

日本に帰化した石平氏が一番奇異に感じたのは日本の左翼やリベラルの存在だという。

リベラルや左翼はどこの国にも存在する。

ただ、欧米のリベラルであっても国歌や国旗を否定することはない。

国家や軍隊を否定することはしない。

それは国の根幹に属する問題だからである。

ところが、日本のリベラルや左翼は国歌や国旗を否定し、日本を守ることをも否定する。

日本のリベラルや左翼思想でとくに奇異に感じるのは、まるで現実を無視して、理想や理念ばかりに重点を置いている点である。

その象徴が、憲法9条である。

現在なお続く「憲法9条が日本の平和と安全を守ってきた」という、まるで神話のような話を信じ、堂々と主張している。

民進党代表選の記者会見で蓮舫氏は「平和主義を守る」と強調した。

守りたいのは「平和主義」であって平和そのものではない、といっている。

平和を守りたいなら外的脅威を取り除くための国防的・外交的努力が必要だ。

「平和主義」は単なる綺麗事のイデオロギー。

国家国民の安全とは何の関係もない。

この異常さを異常と感じないところに日本の問題があるのではないだろうか。

2017年2月14日 (火)

見た目だけで人を見抜く技術/石丸 賢一

Photo 1920年代に裁判所の治安判事であったエドワード・ジョーンズ(Edward Vincent Jones)は、数千人もの犯罪者を観察して、その顔に共通の特徴があることに気がつき、法廷に立つ被告人がどういう種類の犯罪を犯したのかを、顔を見ただけでほぼ正確に推測できるようになっていました。

「人は見た目だけで判断してはいけない」と、よく言う。

一方、「人は見た目で見抜くことができる」というのもまた事実である。

パーソノロジー(人相科学)という学問がある。

エドワード・ジョーンズの業績を検証するために、今日まで2万人以上を対象に追跡調査を行い、85%以上の精度で正しいと分かっているものが150項目以上発見されている。

これが本書で紹介している、パーソノロジーである。

人間は、「思考」と「感情」と「本能」の3つの機能を基本としている。

「思考」には、前頭葉の細胞量と形が、 「感情」には、側頭葉の細胞量と形が、 「本能的行動」には、小脳の細胞量と形が、影響を与える。

ということは、

上部の額の形状から「思考の法則」を読み取り、

中部の耳・眉・目から「感情の法則」を読み取り、

下部の顎・鼻・口から「本能的行動の法則」を読み取れるということ。

大雑把に言えば、

上部の面積や体積が多いタイプの人は「思考派タイプ」

中部の面積や体積が多いタイプの人は「感情派タイプ」

下部の面積や体積が多いタイプの人は「本能的行動派タイプ」である。

これには科学的裏付けがある。

パーソノロジーが単なる人相学ではないといわれる所以であろう。

私たちの顔のパーツの一つ一つに意味があり、才能を表している。

一人一人は、ユニークで、そのユニークさが顔に表れている。

ただ、その意味が分からなかっただけなのである。

追究してみる価値のある学問だと思う。

2017年2月13日 (月)

ウェブニュース一億総バカ時代/三田ゾーマ

Photo あなたが〝ニュース〟や〝報道〟だと思って読んでいるものが実は〝広告〟かもしれない。多くのニュースサイトが、規制が入らないことをいいことに多くのユーザーを〝バカ〟にして食い物にしている。この状況を放置して本当に大丈夫なのか?

いま、ステマ記事が横行しているという。

「ステマ」とは「ステルスマーケティング」の略で、レーダーに映らないステルス戦闘機のように「消費者に分からないように宣伝活動を行うこと」。

ユーザーに分からないように宣伝活動を行うことで、さも「本当に」その商品の価値が高いように見せかける手法のことだ。

例えば、医療情報寄りの記事の中に「その記事の中で自社の栄養補助食品を紹介してほしい」みたいなステマ案件が混じっていることがある。

広告であることを隠して広告活動をする「ステマ」が横行していると何が起きるだろうか。

製品を褒める記事が載れば「これはステマかもしれない」と疑いたくなるし、逆に貶すような記事が載れば「競合による〝逆ステマ〟か?」と疑うであろう。

つまり、私たちは報道機関が発する情報を信じることができなくなってしまうのだ。

そうなれば、報道機関などは終わりである。

真偽不明の情報が玉石混交で掲載されているという点で言えば、匿名掲示板や個人のブログと全く同じ程度のものになってしまう。

紙媒体の時代の序列は、編集者、広告主、広告営業の順番だったという。

今のウェブニュースにおいての序列は、広告主、広告営業、編集者の順に変わってしまった。

それはなぜか。

雑誌は、広告だけでなく読者に直接販売することでも売上が発生する。

だが、ウェブは無料だから広告がないと成り立たない。

『誰が食わせてやってるんだ。広告がないとウチは潰れるんだぞ』と言われてしまうと編集も強く反論できず、あからさまなステマ記事であってもそのまま掲載せざるを得ないのが現状だ。

ウェブ記事の儲ける仕組みをよく理解した上で読む必要があるということであろう。

2017年2月12日 (日)

LIFE/麻生羽呂、篠原かをり

Life たとえばアリの場合、よく働くアリと怠け者のアリの割合はおよそ2:8だと言われる。さらに細かく分けると、よく働くアリ、それなりに働くアリ、怠け者のアリの比率は2:6:2になる。
 人間の目線で考えれば、怠け者は穀潰し。彼らをリストラして追い出したほうが効率がいいように感じるが、実はそうではない。すべてのアリが等しく働きすぎれば、その群れは寿命が短くなる。すべてのアリが同じタイミングで疲労死する可能性もあるのだ。確実に生き残るものがいなければ、群れの全滅につながるのである。

2:6:2の法則というものがある。

組織の構成について語ったものだが、実際、ほとんどの組織がそのようになっている。

つまり、組織の中で本当に貢献しているのは全体の2割、

6割はただ働いているだけで大した貢献はしていない、

そして残りの2割は足を引っ張る存在。

なぜか組織はほとんどこうなっているのである。

だから「人材」という漢字を、そのレベルによって「人財」「人在」「人罪」と書き換える人もいる。

2割の「人罪」を辞めさせれば、足を引っ張る存在がいなくなるのだから、全体のパフォーマンスは上がるのではないかと考えがちだが、実際にはそううまくはいかない。

残った人たちがまた2:6:2の構成をつくってしまう。

そしてこれはアリの世界でも同じだという。

アリの世界でも、よく働くアリ、それなりに働くアリ、怠け者のアリの比率は2:6:2になる、というのである。

そして、それは群れの生き残りのためだというのである。

全てのアリが同じように真面目に働いていたのでは、全てのアリが同じタイミングで疲労死する可能性もある。

確実に生き残るものがいなければ、群れの全滅につながる。

そのために怠け者のアリが存在する。

これもまた生き残りのための自然界の法則だという。

事実、怠け者のアリだけを集めた場合でも、不思議なことにその中から働き出すアリが出現して、結局同じくらいの割合に落ち着くというのである。

自然界の法則に従えば、組織ができれば、怠け者は必然的に生まれてくる。

その存在にどのような意義をつけ、活かすことができるか、人間の知恵が問われているのではないだろうか。

2017年2月11日 (土)

自分の頭で考えて動く部下の育て方/篠原信

Photo_3 「そんなに根を詰めて頑張りすぎると体をこわすよ。ほどほどにして休みなさいよ」と言われた時ほど、もっと頑張りたくなるのはなぜだろう?

経営者に「どんな人材が欲しいですか?」と聞くと、判を押したように「自分の頭で考えて動く社員が欲しい」」という答えが返ってくる。

でもそのような会社に限って、マネジメントスタイルが指示命令型で社員が自ら考えることを阻害している。

むずかしいのはどんな言葉を投げかければ部下は自ら考え動くのかということである。

人はロボットではない。

「頑張れ」といえば頑張るとは限らない。

むしろ多くの場合、「もっと頑張れよ」と言われるとウンザリして、頑張りたくなくなる。

人間というのは本当にアマノジャクにできている。

「あんまり頑張りすぎないようにしてください」という言葉には、裏返せば「あなたが頑張っていることはよく承知している」という意味が含まれている。

「休んでくださいよ」と伝えれば「あなたは限界近くまでよく頑張っている」と認めていることが伝わる。

この言葉をかけてもらった側は、自分の頑張りをきちんと認めてもらえたといううれしさがあるから、「もっと頑張ろう」という意欲が逆に芽生える。

しかし「もっと頑張れよ」というのは「あなたは頑張っていない」ということを伝えたことになる。

私なりに頑張っているのに、という反発した気持ちが生まれる。

頑張りを認めてもらえなかったことで気持ちが腐ってしまい、意欲が失われてしまう。

つまり、人は「認められたい」とみんな思っているのである。

「認められたい症候群」という言葉もある。

ここにピンポイントに刺さる言葉を考え語る事である。

さらに人にはそれぞれタイプがある。

同じ言葉がA社員には有効だがB社員にはまったく効かないということがある。

その意味では、もっと深く人間を理解することが求められているのではないだろうか。

2017年2月10日 (金)

「できる人」の相談する技術/福田健

Photo_2 人間はその根底に、
・人と交わりたい
・成長したい、いい仕事をしたい
・人の役に立ちたい
 との思いを抱いている存在なのである。
 相談して、自分の力をつけたい。
 相談にのって、相手の役に立ちたい。
 これが、本来の姿なのだ。

「報連相」という言葉があるように、相談することは仕事の基本である。

ところが、これが苦手という人は意外と多い。

特に仕事ができるという人に限ってそういう人が多い。

仕事は、多くの場合、人と協力しながら行う。

相手に相談していくことによって、スムーズにことが運ぶ。

仕事のできる人、頭の回転の速い人、せっかちな人も、相談ずくでことを運ぶのが苦手なようである。

仲間を振り返らないまま、自分ひとり、どんどん先に進んでしまう。

独りよがりに仕事を進めた結果、大きな失敗を招くこともある。

「どうしてあの時、ひとこと相談してくれなかったの」と後から言われてしまう。

仕事そのものの出来具合にも影響があるが、同時に、自らの成長の機会の損失にもつながる。

相談しないのは、第一に「向上したい」という思いを、自分で抑えつけているのであり、第二に、「役に立ちたい」という相手の思いに応えていないのである。

相談は、する者とされる者との間にかわされるコミュニケーションである。

相談する者は、それによって仕事を円滑に進め、成長する。

相談にのる者は、相手の問題解決を支援すると共に、その過程で、自らも、人に信頼され、人を信頼する人間へと、伸びていく。

本当の「できる」人はそのことをよく知っている。

だから相談することをないがしろにはしない。

何でも相談しないでどんどん仕事を進める人は、ある意味、「自分は仕事ができる」と勘違いしている人なのではないだろうか。

人は一人では何もできないのだから。

2017年2月 9日 (木)

はじめてのサイエンス/池上彰

Photo 「STAP細胞はないんですか?」
 こう問われた科学者たちは、「ないとは言いきれない」と答えてきました。
 ここに、文系と理系の考え方の違いがあるように思われます。

STAP細胞騒動はマスコミの科学オンチも一因として考えられる。

マスコミの科学者への質問は、「悪魔の証明」と呼ばれるもの。

「何かが存在しないことを証明すること」を、一般に「悪魔の証明」という。

たとえば、ブラックスワンが存在しないことを証明できるのか。

もし、世界のどこかでブラックスワンが発見されたとすれば、その存在が証明されたことになる。

しかし、存在しないことを証明するためには、世界中を隈なく探さなければならない。

どれだけ探しても見つからなかったとする。

しかし、それでも「探し方が悪かっただけだろう」と言われてしまう恐れがある。

いくら努力をしても報われない。

だから「悪魔の証明」なのである。

その「悪魔の証明」をマスコミが求めたのだから、科学者は「「ないとは言いきれない」と言わざるを得ない。

理系の人たちにとって、STAP細胞が存在しないことを証明するのは「悪魔の証明」だからである。

一方、科学を苦手と考える人たちは、「科学者が否定しきれないでいるのだから、STAP細胞は、やっぱりあるらしい」と思ってしまう。

ここから大騒動が始まった。

こう考えてみると、最低限、科学全般の知識は身に付けた方がよいということは言える。

感染症対策のためにはウイルスの基本程度は知っておいた方がいい。

地震対策のためには地学の基礎的知識が求められる。

地球温暖化のメカニズムは科学全般の知識がないと理解できない。

もっと身近な天気予報も科学の知識は不可欠である。

現代に生きる私たちは、もはや「私は文系なので」などと尻込みしているわけにはいかない時代に生きている。

科学的な思考法に欠けていると、第二第三のSTAP細胞騒動が起こるかもしれない。

現代に生きる私たちの、大きな課題の一つであることは間違いない。

2017年2月 8日 (水)

安倍政権にひれ伏す日本のメディア/マーティン・ファクラー

Photo イギリスではガーディアンは左、デイリー・テレグラフは右と、左右の政治色の違いがはっきり分かれている。イギリスでも日本でも、新聞にイデオロギー色が強いことには特に問題はない。左寄りであろうが右寄りであろうが、政治権力からの圧力に屈せず調査報道を追究できるかどうかが問題だ。

著者はニューヨーク・タイムズ紙の元東京支局長。

ニューヨーク・タイムズといえばリベラルの代名詞だが、本書の内容も非常にリベラル色の強いものとなっている。

ただ、右であろうが左であろうが、事実を報道することにおいて、その役割は共通するものであろう。

権力は暴走するもの、それをチェックするのがメディアの役割だとよく言われる。

著者は、14年に朝日新聞が慰安婦関連の記事取り消しで紛糾しているとき、産経新聞や読売新聞が安倍政権と一緒になって朝日新聞を攻撃していることを批判している。

政権から攻撃されたとき、ジャーナリストはお互いに協力して守り合わなければならない、と。

しかし、これは違う。

朝日新聞の一連の慰安婦報道は明らかにねつ造だ。

事実を報道していない。

事実を報道するというジャーナリズムの本分からかけ離れた姿勢だ。

その姿勢を他のメディアが守る必要はない。

是は是、非は非であるべきだ。

そしてメディアもまた権力である。

もしかしたら、政治家以上の権力を持っているかもしれない。

権力をチェックするのがジャーナリズムの役割であるならば、他のメディアもその例外とすべきではない。

ただ、メディアは権力に屈すべきではないという基本的な考えには共感できる。

その姿勢においてはアメリカのメディアは強固なものがあるのだろう。

そしてそれは健全なものだと思う。

いま、トランプ大統領の暴走が注目を集めている。

しかし、アメリカのメディアが健全である限り、どこかで軌道修正するだろう。

また、それを期待したいと思う。

2017年2月 7日 (火)

トランプ大統領の衝撃/冷泉彰

Photo トランプの暴言・放言は、「文字通り」受け止めるべきものではなかった。あくまで「現状への不満」という感情を表現する「比喩」に過ぎなかったのである。

いま、書店に行けばトランプ関連本であふれている。

本書もその中の一つである。

いま、日本中、いや世界中の人々がその言動に振り回されている。

連発される大統領令、「指先介入」とも呼ばれているツイッターでの過激な発言、

これまでの歴代の大統領とは全く違う。

「この過激な発言は選挙用で、大統領になれば変わる」という論者も多くいたが、いまのところその兆候はない。

問題は、これをどう受け止めるのかということ。

一つ言えることは、トランプ大統領の暴言は、暴言による中傷や迫害によって対象を傷つけ、発言者が加虐的な喜びを得るためのものではない。

「政治的正しさ」を掲げ「知性と名誉と富」を独占してきたオバマ的なるもの、ヒラリー的なるものへの激しい抵抗の表現と理解すべきである。

また、これまでの政治的な手法が通用しないほど、今の世界は混迷を極めている、ということである。

少なくとも、トランプ大統領の発言は、これまでの既成の価値観や枠組みに、「本当にそれでよいのか」という疑問を投げかける。

考えるきっかけを与えてくれる。

それがプラスの面として働ければ、トランプ大統領の登場は、それはそれで良いことだったと評価できる。

でも、ドナルド・J・トランプという人物は、果たしてそのような指導者になれるのだろうか。

1980年、今から36年前に、同じように「俳優出身のタカ派に何ができる?」という疑問の声に囲まれつつ就任した大統領がいた。

ロナルド・レーガンである。

彼は、有能なブレーンを見事に活かして政権を成功させた。

今でもアメリカ国民にアンケートを取ると、歴代の偉大な大統領の一人として挙がってくる。

トランプ大統領はそのようになれるのだろうか?

いまのところ、ブレーンは優秀な人たちが名を連ねている。

もし、その有能なブレーンに仕事を任せることができれば、その可能性は出てくるかもしれない。

今はそれは分からない。

ただ、その可能性はあるということは言えるのではないだろうか。

政治は結果責任である。

オバマ前大統領は、その言葉は耳障りのよいものだった。

しかし、「アメリカはもはや世界の警察官ではない」との発言は世界を混乱に陥れた。

ISの勢力拡大のきっかけを作ったともいわれている。

世界中がテロの脅威にさらされている。

そして登場したのが、それとは真逆のキャラの大統領である。

これから、世界はどう変わってゆくのだろうか?

目が離せない。

2017年2月 6日 (月)

暗闘/山口敬之

Photo「ほとんどが雑談で、実質的な内容はなかった」
「トランプはほとんど発言せず、主にマイケル・フリンがやり取りした」
「イヴァンカやクシュナーがたびたび口を挟んだ」
「会談の後半にペンス次期副大統領が参加した」
 これらの情報はすべて間違っている。約90分の会談の間、安倍とトランプは、日米関係の現在と将来について、極めて実質的な意見交換を行った。

昨年12月の安倍・トランプ会談の直後、様々な情報が飛び交った。

しかし、そのほとんどが憶測の域を出ていない記事であった。

なかには明らかに悪意のこもったものもあった。

そもそも会談を行った当事者二人がその内容について固く口を閉ざしているのだから、正確な記事が書けるわけがない。

そんな中、著者の記事は安倍首相から直接聞いた情報である。

きわめて信ぴょう性が高い。

本書を読んでみて感じたのは、安倍首相の周りで様々な勢力が駆け引きを行っているということ。

まさに「暗闘」のタイトルに象徴されるような世界が繰り広げられているということである。

今年、安倍首相は内外の敵にどのように対してゆくのであろうか。

安倍首相はさまざまなリスクを承知で、日米、日露、日韓間の、これまでの政権が避けて通ってきた戦後の外交上の大きな課題に正面から取り組む姿勢を見せている。

どの問題にも、「兵器を使わない戦争」を仕掛けている中国の影がちらつく。

また、それは同時に、安倍首相本来の支持層である保守層からの批判という内政的リスクを伴っている。

2016年は、これまでの「ポスト冷戦」とでもいうべき社会秩序に大きな変化を与える事象が相次いだ。

英国のEU離脱の国民投票も、トランプ大統領誕生と同じく、地方の白人貧困層の反乱といわれた。

そして排外主義、超保守主義、ポピュリズムといった言葉が潮流を読み解くキーワードとして飛び交う。

英米の他にも、国益を前面に出す強いリーダーが世界には多く生まれている。

ロシアのプーチン大統領、インドのモディ首相、トルコのエルドアン大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領と、枚挙にいとまはない。

そして今年は欧州でもドイツ、フランス、オランダなどで重要な選挙が予定されているが、いずれの国でもナショナリスト勢力の拡大傾向が伝えられている。

今年は歴史上かつてないような激動の年になるのではないだろうか。

しっかりと見ていきたい。

2017年2月 5日 (日)

これからのマネジャーの教科書/田久保善彦、他

Photo 自己変革とは、単にスキルを身につけたとか、新しい考え方を手に入れたとか、そういう類のものではない。内省により自己を正しく認識し、自分はどうすべきかを真剣に考え行動し、そして自分ならではの持論を形成していくのだ。

常にイキイキと仕事に取り組み、周囲からの期待を超える活躍をしているマネジャーと、そうでないマネジャーの違いはどこから生まれるのか?

本書は10万人のビジネスパーソンが学んだグロービスの調査結果を初公開したもの。

プレイヤーとして優秀だった社員がマネジャーとして優秀とは限らない。

たとえて言うならば、昨日まで野球選手としてバッターボックスに立っていたプレイヤーが、次の日からは、昨日までの自分と同じことをしている選手たちを監督として管理する立場になるということ。

すべてがガラリと変わる。

それなのに、誰も手を差し伸べてくれず、自分だけでなんとか切り抜けていかなくてはならない。

途方に暮れるのも無理はない。

期待を超えるミドルマネジャーは、次の3つの力を持っていると本書には書かれている。

組織で成果を出す力(スキル)

仕事に対する想いの力(ウェイ)

周囲との考えの違いを乗り越える力(ギャップ)

この3つである。

彼らは、単に「組織として成果を出す力」に秀でているというだけではなく、「仕事に対する想いの力」持っているというのだ。

そして、彼らはこの想いを、自分の言葉で、熱く語れる人たちでもある。

「語る」ということを通じて、熱い想いが伝播し、周りの人間をも突き動かす。

そして「仕事に対する想いの力」を獲得するために必要なこと、それは「節目となる過去の経験」である。

つまり、「あのときのあの経験が今の自分に影響を与えている」と感じられるだけの、自分にとって強烈で意義深い経験である。

自らを振り返り、「仕事に対する意味づけ」をするための節目は自分でつくらなければいけない。

こうした節目となる経験と、仕事に対する想いとがストーリーとなって重なり合ったときに、自身の中で「想いの力」となる。

「想いの力」を獲得したマネジャーは、心の底から自然と湧き上がる強い想いを自分の言葉でストーリーとして語るのことができる。

それが「周囲との考えの違いを乗り越える力」となる。

こそがマネジャーに最も求められる力だというのである。

つまり、人生における「節目」を自らつくり、内省することを通し、自分なりの持論にまで昇華させた者。

このような者が期待を超えるマネジャーになるのだという。

これは多くのマネジャーにとってかなり高いハードルになるのではないだろうか。

2017年2月 4日 (土)

銀河鉄道の夜/宮沢賢治

Photo_2「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでもいっしょに行こう。僕はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」
「うん。僕だってそうだ」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。

本書は孤独な少年ジョバンニが親友カムパネルラと銀河鉄道に乗って夜空の旅をするという物語。

そして、この会話が鉄道内でジョバンニとカムパネルラが交わす最後の言葉。

この言葉が、ジョバンニとカムパネルラが見つけた人生への答え、ということだろう。

孤独で心優しい青年の言った言葉だからこそ、そのピュアな気持ちが胸にしみる。

そして事実、カムパネルラは子供を救うために命を投げ出す。

壮大で、美しく、幻想的で、そして何とも物悲しくて、一度読み終えると、その後、ずっと心の中に物語の一場面一場面の印象が刻みこまれてしまう。

なんとも不思議な読後感である。

2017年2月 3日 (金)

安売りするな!「価値」を売れ!/藤村正宏

Photo 独自の価値を見つけるために、
「あなたの商品のターゲットは誰ですか」
「誰を幸せにしますか」
「お客さまはそれによってどんな体験ができますか」
 を考えるわけです。

今は変化の激しい時代である。

しかし、どんなに時代が変わっても、ビジネスの真理は変わらない。

お客さまが必要としているもの、お客さまが欲しいものを提供して、その結果、お客さまに喜んでもらう。

そしてお客さまとの友好的な関係性を構築して、一生自分たちの商品やサービスを選んでもらうこと。

こういう基本は変わらない。

そのためには、それぞれのお客様の独自の価値をつくって、その価値をお客さまに伝わるかたちで発信することが大事。

自分の商品・サービス・ブランドが、お客さまにどんな体験をもたらすか?

それが「独自の価値」。

人間は価値を知らないものは選ばない。

興味ももたない。

選んでもらえない、買ってもらえない。

その原因の多くは、ちゃんと価値を伝えていないということ。

つまり、売れる商品があるのではなく、「売れる売り方」があるだけ。

ではそのためにはどうすればよいのか。

ターゲットを絞り込むことである。

ターゲットを絞るだけで、提供価値が明確になり、明確なターゲットに対する、明確なメッセージを、明確な言葉で、表現することができるようになり、伝わりやすくなる。

つまり「誰に対して、どんな価値を提供し、どうやって儲けるか」を明確にすることである。

特に規模で劣る中小企業にとって大事なことではないだろうか。

2017年2月 2日 (木)

小さな会社の経営革新、7つの成功法則/久保田章市

Photo 私は、ここ何年か長寿企業の研究をしています。その結果、分かったことは、長く継続している企業では、「伝統を継承しつつ、革新に取り組む」経営が行われていたことです。

帝国データバンクの調査によると、創業後5年目に生存している企業は創業時の82%、10年目が70%、15年目が61%、そして20年目が52%。

つまり、企業は、創業して20年経つと、その数は半分になっているということ。

この調査で分かったことは、「企業の半分は寿命が20年以下」ということ。

そして創業100年以上の長寿企業は、約5万社あるという。

長寿企業の秘訣は「伝統を継承しつつ、革新に取り組む」経営。

相反するものを同時に取り組むことにポイントがある。

経営革新が不可欠な理由は、時代とともに市場や顧客が変わり、技術が進歩するからである。

そして、経営革新に取り組むのは後継者の場合が多い。

私自身、経営革新のワンパーツである人事制度改革を依頼されることが多いのだが、依頼してくる経営者のほとんどが二代目、三代目である。

ただ、その場合、多くの壁が立ちはだかる。

後継者は、企業の将来を考えて経営革新に取り組もうとするが、周りの人々は、実はそういう意識を持っていないのが普通である。

人は、本来的には変わりたくないもの。

仕事も、これまでと同じやり方でしたいと思っている。

それに、経営革新には、未知の部分があり、不安もある。

ひょっとしたら、自分や家族の生活が大きく変わるかも知れないという心配もある。

だから従業員の抵抗があるのは、むしろ、当然だと言える。

さらに自分の実父である元社長が頑なに反対することもある。

わたしもそれに巻き込まれたこともあるのだが、革新を成功させる原動力は本書に書いてある「危機感」と「意地」だと思う。

企業を存続させようとするなら、経営革新は避けて通れない。

いま、多くの中小企業がそのような局面に立たされているのではないだろうか。

2017年2月 1日 (水)

群れない生き方/桜井章一

Photo 人はよく、〝自分探しの旅〟に行くなどと言ったりするが、旅に出てもそこに土壇場がなければ本当の自分など見つかるわけがない。

人は一人では生きていけない。

だから孤独を恐れる。

孤独を恐れる人の根本にあるのは、群れからはぐれ、ひとりぼっちになってしまうという不安である。

だから「嫌われたくない」とか「変なヤツと思われたくない」という気持ちが強くなり、まわりの人たちの顔色ばかりをうかがって生きるようになる。

いつの間にか自分が自分でなくなってしまう。

これが「群れる」という現象である。

では、群れずに等身大の自分で生きていくにはどうしたらいいのか。

「自分に素直になる」ことである。

自分から素直という匂いを発散していけば、自分も気持ちいいし、その匂いを嗅ぎつけていい仲間も集まってくる。

当然、意味もなく群れることもなくなる。

ところが「自分に素直になる」ことは難しい。

そもそも「自分」というものがどんな存在なのか、それが分かっていない。

ほんとうの自分、等身大の自分とはいったい何なのか?

それが分からなくなり、ある人は「自分探しの旅」に出かける。

旅に出かけ、未知の地を訪れ、いろんな人と出会いうことによって、自分を探そうとする。

しかし、それで自分を探し当てたという話はあまり聞いたことがない。

では、自分を知るためにはどんなアプローチが有効なのか。

それは困難に直面した時の自分の反応を知ることである。

人はプレッシャーを受けたとき、隠れていた内なる自分が表面に出てくる。

その出てきた部分が本当の自分である。

人生ではいろんな試練に直面する。

それに逃げずに挑み続ける。

これが自分を知る一番の近道ではないだろうか。

そして、これは「群れる」とは正反対の生き方である。

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