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2017年2月22日 (水)

あぁ、監督/野村克也

Photo_2 監督は言葉を持つことがきわめて大切だ。ほとんどの選手は天才ではない。感覚だけでは理解できない。とすれば、言葉で伝えなければならないからである。
 ところが、野球選手というのは往々にして言葉を持たない。「理論よりも実践」を重視してきたからだ。「考える前に動け」というわけである。

アスリートは身体能力でその優劣を競う。

そのため現役時代には言葉の必要をあまり感じない。

ところが、現役を引退し、監督やコーチになると、これまでと違って言葉で表現する必要にかられる。

ところがこれがうまくいかない。

「言葉の壁」にぶつかるのである。

「名選手必ずしも名監督にあらず」という言葉があるが、まさにそのことをあらわしているのであろう。

野村氏は「評論家を経験しなかったらいまの私はない」と言っている。

元野球選手であっても、評論家をやってみればいやでも言葉の大切さに気づかされる。

なぜなら、評論家は野球のおもしろさや奥深さ、魅力を、野球の専門家ではないテレビ視聴者や新聞の読者が理解できるよう、わかりやすく平易に、かつ的確な言葉で表現しなければつとまらないからである。

野村氏も最初から言葉を持っていたわけではない。

もともと人前で話すのは苦手だったから、何を、どのように話せばいいのかわからなかったというのである。

そんな彼が活路を見出したのは、本を読むことだった。

政治経済や科学書から文学まで、ありとあらゆる書物を紐解いたという。

そうやって野村氏は言葉を獲得していった。

今のプロ野球の監督を見ていて、何か薄っぺらなものを感じてしまうのも、このような影の努力をしないまま監督になってしまったことからくるのかもしれない。

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