« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »

2017年3月の31件の記事

2017年3月31日 (金)

売る力/鈴木敏文

Photo 秋元さんによれば、お笑いの世界でも、「普遍的な笑い」と「飽きられる笑い」があるといいます。その年の流行語になるような言葉を生み出しても、それに頼っていると、その言葉が飽きられたら終わりです。それが「飽きられる笑い」です。
 一方、たけしさんなどは、そういう「飽きられる笑い」ではなく、いま話題になっていることを「ネタ」にして、それを自分の「視点」を通して、何か面白いことをいったり、やったりしてくれる。そのお笑いの「視点」が面白いので飽きられないというのです。

お笑いでも何でも、大事なことは「視点」なのだという。

中でも著者が強調しているのは「お客様の立場で」という視点である。

私たちはよく「お客様のために」という。

しかし、「お客様のために」と考える視点の問題点は、自分中心の視点の枠組みでしか考えられないということ。

「お客様のために」といいながら、自分たちのできる範囲内や、いまある仕組みの範囲内で考えたり、行っているにすぎないケースが多い。

つまり、どこかで売り手の都合が優先されていることが多いのである。

一方、「お客様の立場で」考えるときは、自分たちに不都合なことでも実行しなければならない。

自分たちにとって不都合なことでも、お客様の都合に合わせて実行する。

それが「お客様の立場で」考える仕事の仕方である。

コストがかかり、効率が悪くても、「お客様の立場で」仕事をする。

もちろん、その裏には、お客様が共感共鳴するものをつくっていけば、必ず、結果が出て、収益が確保できるようになるという確信があるのであろう。

売り手視点なのか、お客様視点なのか、これによって結果が大きく違ってくるということであろう。

2017年3月30日 (木)

上京物語/喜多川泰

Photo 他人との比較の中でしか幸せを見つけ出すことのできない人は、その考え方を捨てない限り、ますます人生に苦しむようになる。

「幸福の科学」という宗教団体があるが、そもそも幸福を科学することなどできない。

科学とは客観性を追究するもの、

対して幸福は極めて主観的なもの。

団体名そのものが矛盾に満ちている。

幸福とはきわめて主観的なものである。

傍から見て不幸に見えても、本人が幸せだと思っていれば、それは幸せである。

何らかの客観的な指標があるわけでもない。

お金持ちになれば幸せになれるわけではないし、ビジネスに成功すれば幸せになれるわけでもない。

ところが世の中の多くの人が、他人と比較することで幸せかどうかを判断する。

本当は不安定なものに依存して、それをもとに人生を設計する。

そして、成功してお金持ちになれば幸せになれると考え、お金をすべての行動の基準にして生きている。

断言しても良いが、この考え方を変えない限りは幸せになることはできない。

幸せの基準は、自分自身が決めるものである。

そしてその軸を持っていないことが、多くの人が幸福感を持てない原因ではないだろうか。

2017年3月29日 (水)

なぜ7割のエントリーシートは、読まずに捨てられるのか?/海老原嗣生

Photo 明らかに企業は学歴で選考を行っています。

昔と違って現在多くの企業は学歴では選考を行っていないと公表している。

しかし、それはあくまでも建前、

実態は学歴をしっかりと見ている。

ただ、これを差別と考えるのは短絡的すぎる。

これには企業なりの意味がある。

難関大学に入るには、以下のような力が必要になる。

第一に、地頭のよさ。

圧倒的に頭がいいから、難しい入試を乗り越えられるほどの頭脳を持つ。

第二に要領のよさ。

試験のツボや傾向を読み取り、うまく入試をかいくぐってしまう力を持つ。

第三に地道に継続して学習する力。

地頭や要領で劣っても努力を続けることで、難関を乗り越える力を持つ。

このどれもが、企業で大きな仕事をやり遂げるときには重要だから、入社後に活躍する可能性が高い。

つまり、俗に言う企業が求める「ポテンシャル(潜在能力)」にかなう可能性が高い、ということ。

学歴採用にはちゃんとした合理的理由があるのである。

企業は、応募者のうわべの語学や資格などを見ているわけではない。

それよりも、応募者が会社に入って、しっかり仕事ができるか、周りのみんなとうまくやれるか、を見ている。

就職活動をうまくいかせるためには、この企業の本音としっかり向き合うことが必要ということであろう。

2017年3月28日 (火)

心の病に薬はいらない!/内海聡

Photo 精神医学とは癒やしたり、よくしたり、解決したり、頼りにできるような存在ではいっさいないのです。しかも大半はなどというレベルではなく、絶対に必要のない存在なのです。

本書に記載されているデータによると、

東京都だけで843人の不審死の原因が医薬品、その大半が向精神薬となっている。

著者の個人的な予想で言えば、全国で5000人から8000人は向精神薬により中毒死している可能性がある。

全員が検死されていないことを考えれば、もっと多いかもしれないという。

この数字は衝撃的である。

それでなくても日本人は薬が好きな国民である。

風邪をひいた位で病院に行き薬をもらうのは日本人しかいないという。

風邪をひいて熱が出たり咳がでるのは、身体が風邪の菌と戦っているから。

睡眠を十分にとりゆっくり休んでいれば風は治る。

薬を飲む必要はないのである。

それに象徴されるように心の病気に薬は必要なのだろうか。

著者は、「すべての精神科における診断は嘘であり、その治療は治療行為とは呼ばない。また、すべての精神医学が勧めているものは嘘ばかり」と断言する。

精神を扱う以上根本的な解決方法とはただ一つ、

心と向き合うとか自らの思想を省みるとか哲学を追究するとか、そういう類のことでしかないと言っているが、その通りだと思う。

2017年3月27日 (月)

虚言癖、嘘つきは病気か/林公一

51s18hmlul 自分でも非常にショックを受けました。少なくとも、ショックを受けたような気がしています。虚言癖は自覚しているので、記憶の中の自分の感情が、本当にショックを受けたのか、それとも自分をかわいそうに見せるためにショックを受けたことにしているのか区別ができず、今ここで言っていることも、誇張して書いているのではと不安です。このように、自分の言っていることが嘘かどうかもよくわからなくなってしまうのです。

最近の森友学園問題、

話題となっているのはコロコロ変わる籠池氏の発言である。

それを見ていて、この人は自分が嘘をついているという自覚があるのだろうか、と思ってしまう。

実は、病的な虚言のある人は、世の中には想像以上に多いという。

そして外見からはそれとわからないことが多い。

まさかこの人がそんなひどい嘘をつくとはと、人は驚く。

まさかこの人がそんなにたくさんの嘘をつくとはと、人はさらに驚く。

まさかこの人が、ばれてもばれても嘘をつき続けるとはと、人は重ねて驚く。

そして、これはもしかすると病気なのではないかと考える。

確かに、自己愛性パーソナリティ障害や演技性パーソナリティ障害といった病名がある。

病気とは何か?

精神の病気とは何か?

心の病気とは何か?

曖昧だ。

ではもし脳に所見があれば、それは病気ということになるのか?

脳の検査手法が進歩すれば、うつでも、不安でも、妄想でも、性格でも、盗癖でも、放火癖でも、そして虚言癖でも、それぞれに対応する脳所見が見出されるであろう。

すると病気か病気でないかは、一体なにをもって定義するのか?

もし仮に、籠池氏が精神の病気だと診断されたら、あの発言は全て病気からきたものとし、全てを病気のせいにしてよいのか?

私たちは何を非難し、何を擁護すればいいのか?

精神の病とは何か?

虚言はこの問いの難しさを正面から人につきつける現象である。

2017年3月26日 (日)

ストレスゼロの伝え方/木村英一

Photo 私たちはつい、他人も同じように感じるだろうという前提で話をしてしまうのです。

人はそれぞれ違った価値観、考え方、受け止め方がある。

ところが多くの場合、この前提を無視して、あたかも他者が自分と同じ価値観や考え方で物事を考え、受け止めると思い込んで、何かを伝えようとする。

ここから「伝わらない」という現象がおこる。

実は、一見、誰しも同じように感じるだろうと思うようなことでさえ、人によって受け取り方はさまざまだ。

「あなたは純粋な人ですね」と相手を褒めても、人によっては自分のことをバカにしていると受け止める。

特に強さに固執している人は、その傾向が強い。

「あなたは変わった人ですね」という言葉も、人によっては最高の褒め言葉になる。

「自分らしさ」にこだわっている人は、その傾向が強い。

Aさんに伝わる言葉も、Bさんには伝わらない。

私たちは子供の頃、「自分のしてもらいたいことを人にもやってあげなさい」と教わってきた。

しかし、人によって「してもらいたいこと」は違う。

もっと深く人間を理解しなければならないということである。

大事なことは、相手に「伝える」ではなく、相手に「伝わる」ことがゴールだと理解し、伝達手段を考えることである。

2017年3月25日 (土)

超偏愛!映画の掟/荒木飛呂彦

Photo エンターテイメントの基本は「サスペンス」にある、というのが僕の持論です。
 サスペンスとは、その手の本を調べると「ラテン語の『吊るす』が語源で、気がかり、不安な状態をさし、読者をはらはらさせる緊張感の効果をいう」といった具合に説明されています。

サスペンスとは、ラテン語の『吊るす』が語源で、気がかり、不安な状態をさし、読者をはらはらさせる緊張感の効果、なのだという。

そう考えると、ミステリーという映画の一分野だけがサスペンスだとは限らない。

たとえばラブストーリー。

男女が出会って、男が女に恋をする。

でも同じタイミングで女を好きになった恋敵が現れて……。

もしくは不倫もの。

人目をはばかって男女があいびきを重ねる。

これらは立派なサスペンスである。

なぜなら「この後、どうなるんだ?」「見つかったりバレたりしたら、これはやばいぞ……」と観る者をドキドキさせて、先へと引っぱっていく「何か」があるから。

そう考えると、サスペンスはミステリーだけでなく、バカバカしいコメディの中にも、子供向けのアニメの中にも存在する。

サスペンスの要素がストーリーの下敷きになっていたり、スパイスとして盛りこまれている物語は、面白くなっていく。

よい物語には必ずサスペンスがあると言っても良い。

さらに考えるならば、サスペンスは映画だけではないともいえる。

商品やサービスを提供するにしても、「これを買ったらどうなるんだろう」「この店に行ったらどんなことを体験できるんだろう」と、ハラハラ、ドキドキさせられるなら、これらも立派なサスペンスだと言えよう。

更に考えるならば、私たちの人生そのものもサスペンスだ。

今年どんな人生が待っているのか?

誰にも分らない。

「映画は人生の縮図」だと言われるゆえんだろう。

2017年3月24日 (金)

人の心を一瞬でつかむ方法/ネフィンジャー・ジョン、コフート・マシュー

Photo 私たちは無意識にですが、常に「強さ」と「温かさ」、この二つを指標にして人を判断しているのです。

好むと好まざるとにかかわらず、人からの「評価」はついて回る。

しかも、その意味合いは非常に大きく、人生のあらゆる局面を左右していると言っても過言ではない。

「評価」の繰り返しによって、思春期を迎える頃には誰とデートできるかが決まり、最終的には結婚相手まで決まってしまう。

「評価」は私たちのキャリアも左右する。

会社であればどの志願者を入社させるのか、誰を昇進させるのか、不況時に誰をリストラするのか、

すべては「評価」にかかっている。

しかも「評価」はほんの一瞬で決まってしまう。

プリンストン大学のジャニン・ウィリスとアレックス・トドロフによれば、私たちは初対面の人に出会ってからわずか10分の1秒のうちに、相手が「温かい人」かどうかの判断を下しているという。

例えば、背筋を伸ばしてまっすぐに立ち、微笑みを浮かべるだけで、その人物の「評価」はがらりと変わる。

だから「評価」される技術は持っていて損はない。

著者によると、人が第三者に評価されるときは常に二つの観点、「強さ」と「温かさ」からはかられているという。

「強さ」は二つの基本要素、「能力」と「意志の力」から成り立っている。

人に「温かさ」を感じさせる感情は、主に「共感」「親しみ」「愛」の三つ。

これを一瞬で感じさせるようにすること。

確かに重要なことだと思う反面、「ここまでやるか」という感じもする。

これは私が日本人であるからかもしれない。

本書の著者はアメリカ人。

このような本が売れる事自体、アメリカの競争社会の反映ではないだろうか。

2017年3月23日 (木)

なぜ、あなたの仕事は終わらないのか/中島聡

Photo 私が仕事をするうえで最も大切だと考えている「あること」をきちんとこなせる人は100人人に1人もいませんでした。
 その「あること」とは、「常に締め切りを守ること」です。正確に言い換えれば、「常に締め切りを守れるような仕事の仕方をすること」です。

常に締切りを守っている人は10人に1人もいない、ということ。

ということは、常に締切りを守る仕事の仕方をすれば、10人に1人の人材になれるということ。

でも、何故締切りを守らない人がこれほど多いのだろう?

一つはスタットダッシュが遅いということ。

多くに仕事の仕方はスタートダッシュ型ではなくラストスパート型である。

締切り間近になってはじめてエンジンがかかるという人もいる。

しかし仕事では想定外のことが起こることがある。

そうすると、予定が狂い、結果として締切りに間に合わないということが起こる。

だから、最も良くないのが「ラストスパート志向」

多くの人が、「最初はのんびりしていても、最後に頑張ればなんとかなる」という根本的な誤ちを改めるところから始めないといけない。

著者は、仕事が終わらなくなる原因の9割は、締め切り間際の「ラストスパート」が原因でだといっている。

時間に余裕があるときにこそ全力疾走で仕事し、締め切りが近づいたら流す、これが正解だというのである。

もう一つの原因は完璧主義。

すべての仕事は必ずやり直しになる。

だから、70点でも80点でもいいから、まずは形にしてしまうことから始めること。

スマホアプリは購入してたときは不完全な状態。

しかし延々とアップデートを繰り返す。

このやり方がクレームになることは少なく、逆に多くの人から支持されている。

同様に100点の仕事など存在しない。

最速でいったん形にしてしまってから、余った時間でゆっくりと100点を目指して改良を続ける。

これが最もパフォーマンスを上げる仕事の仕方ではないだろうか。

2017年3月22日 (水)

脳を最適化すれば能力は2倍になる/樺沢紫苑

2 脳の仕組みに反する仕事術は、サイドブレーキをかけたままアクセルを踏んで、車を発進させるようなものです。百害あって一利なし。

脳科学の進化によって、脳内神経伝達物質の働きが明らかになってきた。

ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニン等である。

ドーパミンはモチベーションの源。

より高い目標、より困難な目標を立てると分泌される。

自分でしっかりと目標を設定し、それに向かって努力したり、工夫したりする過程で、ドーパミンは分泌される。

その上で、目標そのものも達成できれば、そこでまたドーパミンが出てくる。

そして幸福感をもたらす。

私たちの幸せはどこにあるのか?

脳科学的に考えれば、「幸せは脳の中にある」と言える。

幸福は誰かからもらうものではなく、どこかから手に入れるものではない。

私たちの脳の中に、幸福を発生させる物質が存在している。

脳内物質である「ドーパミン」が分泌されたとき、私たちは幸せを感じるのである。

ノルアドレナリンは「闘争と逃走のホルモン」とも呼ばれている。

闘うか、逃げるか。

そうした選択と行動が必要される危機的な状況で分泌される。

自動車で言えば、ハンドルやクラッチの役割を果たす。

ただし、ノルアドレナリン分泌は、あまりに長期に及ぶと「うつ病」になる。

セロトニンは癒し物質。

セロトニンがほどよく分泌された状態は、僧侶が座禅をしているときのように、心が静かな状態になる。

激しい情動をコントロールし、心に冷静と落ち着きをもたらす。

例えば、ドーパミンとノルアドレナリンとセロトニンは、脳の主要な機能を担っている。

ドーパミンは「快」を求め、ノルアドレナリンは「不快」を避け、セロトニンはそれらを調整している。

セロトニンは、ドーパミンが出過ぎたときに抑制的に働く。

また、ノルアドレナリンの分泌もコントロールする。

セロトニンは、ドーパミンやノルアドレナリンのバランスを調整する「支点」のような役割を担っている。

ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンは、バランスが取れた状態で最も脳のパフォーマンスが高まる。

脳内物質は、大量に分泌されればいいというものではない。

場合によっては、心身に害をなす。

いかにこれらを良い状態に持っていくのか。

それが大事ということであろう。

2017年3月21日 (火)

堂々と逃げる技術/中島輝

Photo 目の前のことから「逃げて」もいいのです。いや、あなたは今すぐ「逃げる」ほうがいいのです。

去年、ドラマ「逃げ恥」がヒットしたが、一般的に「逃げる」ということに、あまりいい印象はもたれない。

「逃げない」ことが人として立派なことのように思っている人が多い。

だから無意識のうちに人は「逃げてはいけない」と自らをがんじがらめにする。

しかし、そのような思い込みの故に多くの悲劇が繰り返されている。

例えば、自ら死を選んでしまう人たちがいる。

そのような人たちは、そこに命よりも大事なものがあると信じているからこそ、逃げ出すことができない。

つまり、人は「逃げられない」のではなく、「逃げない」ことを自然と選んでいるのである。

社会問題になった電通事件も、もしあの時、彼女が「逃げる」ことを選択していたら、明るい未来が開けていたのに、と思うと残念でならない。

命よりも大事なものが果たしてあるのだろうか。

命があるかぎり、何度でもやり直せる。

しかし死んでしまったらそれでおしまいである。

「逃げる」ことは、いったん撤退して再チャレンジをすること。

そのように「逃げる」ことの意味を再定義すれば、逃げやすくなるのではないだろうか。

2017年3月20日 (月)

クリエイティブ・マインドセット/デイヴィッド ケリー、トム ケリー

Photo たとえば、世界5カ国の5000人を対象とした最近の調査によると、日本以外の国の回答者たちは、日本が世界でいちばんクリエイティブな国だと答えました。ところが、日本がもっともクリエイティブだと回答した人の割合は、なんと日本人がいちばん低かったのです。

昔から日本人はモノマネは得意だが創造力はない、と言われてきた。

その影響なのか、日本人の自分自身に対する創造性に関する自己評価は極めて低い。

これが日本人の創造性に少なからず影響を与えているのではないだろうか。

自己評価の低さは、一歩踏み出す勇気の欠如に繋がる。

創造性を鍛えようと思ったら、数多くの失敗をすることである。

エジソンは歴史上もっとも有名で多才な発明家のひとりだが、失敗を創造プロセスの一部とみなしていた。

彼にとってみれば、タメになる教訓が得られるかぎり、結果的に失敗した実験は無益な実験ではなかった。

彼が白熱電球を発明できたのは、無数の失敗を繰り返し、学んだからだ。

「失敗は成功の母」という言葉があるが、失敗を繰り返さない限り、成功はない。

そして創造性も生まれない。

自分の創造力を信じ自信を持つこと、そして失敗を恐れず一歩を踏み出す勇気を持つこと。

これが日本人の課題ではないだろうか。

2017年3月19日 (日)

評価基準/西尾太

Photo 大事なことは、本当に「運用できるかどうか」です。人事制度というのは、「設計」よりも「運用」のほうが100倍大変です。体裁よく整った人事制度はたくさんありますが、適切に運用されている制度にお目にかかることは滅多にありません。

人事制度は設計よりも運用の方が100倍大変。

これはその通りである。

私自身、この仕事をやっていて実感している部分である。

また、経営者や人事担当者と話していて一番ギャップを感じるのもこの部分である。

多くの企業は人事制度をつくればすぐ機能すると思っている。

しかし、そんな甘いものではない。

人事制度を作ったとして、誰が社員を評価し、その評価結果を本人に面談でフィードバックし、動機付けし、育成していくのか?

それは全て管理職である。

ところが、特に中小企業の場合、管理職のスキルが全くついて行っていない。

「評価できない」「面談できない」「育成できない」と、ないないづくしである。

こんな状態でどんなに立派な人事制度をつくっても機能しないのは明らかである。

残念ながら、日本の多くの会社では、上司の個人的な「好き嫌い」を含んだ主観的な人事評価が行なわれていることがほとんど。

改善点を気づかせ行動改善に結びつけるフィードバックがきちんとなされている会社もごくわずか。

これが現実である。

その意味で、世の中の人事制度に関する議論はすこしピント外れになっているというのが実感である。

2017年3月18日 (土)

日本3.0/佐々木紀彦

30_2020 歴史と世界最先端の動きに学びながら、新しい時代に合った教養の形をつくる。日本の歴史や文明論や文学といった、日本人が最低限知っておくべき教養を改めて定義し、日本オリジナルの教養プログラムを開発する。それこそが、「日本3.0」時代の高等教育を創るための最優先事項なのです。

ひとつの時代が終わる。

そう感じさせるニュースが国内外で相次いでいる。

2008年のリーマン・ショックから始まり、ギリシア危機、アラブの春、3.11、イスラム国誕生と続き、2016年には英国のEU離脱、トランプ大統領誕生などに世界が揺れている。

歴史が大きな転換点を迎えていると考えるべきである。

著者はこれを「日本3.0」と名付けている。

日本の近代が3段階目に入るというのである。

「日本1.0」とは明治改元(1868年)から敗戦(1945年)に至るまでの日本近代「第1のサイクル」を指す。

日本が近代国家として産声を上げ、日露戦争でピークを極めた後、敗戦という破滅を迎えていく「日本近代の第1のサイクル」である。

次に、「日本2・0」は、敗戦(1945年)から2020年までの日本近代「第2のサイクル」を指す。

そして、2020年前後から始まる「日本近代の第3ステージ」、通称「日本3.0」

ここでは、これまでとはまったく異なる思想、システム、人を必要とする。

では、この新しい時代、何が必要になってくるのか。

それは真の教養人だという。

歴史や文学、宗教、科学、これらを深く理解する者。

教養ある人間は、単に知識が豊富であるというだけでなく、物事の本質を理解する力を持つ。

変化の激しい時代だからこそ、表面的な変化に惑わされず、物事の本質から考えられる人。

こんな人材が求められるということであろう。

2017年3月17日 (金)

人生を変える習慣のつくり方/グレッチェン・ルービン

Photo 人はそれぞれ違うから、同じ習慣を身につけても、効果がある人とそうでない人が出てくる。

習慣に関する本は数多く出版されている。

ただ、本書のユニークさは、同じ習慣を身に付けるにしても、人はそれぞれ違うので、同じやり方だとうまくいかないという前提の上で書かれているという点である。

著者は、人は次の四つに分類している。

第一に、アップホルダー(約束を守る人)

外から課される期待と自分で課す期待の両方に進んで応えようとする人。

第二に、クエスチョナー(疑問をもつ人)

あらゆる期待を疑問視し、自分で正当だと判断した期待にだけ応えようとする人。

第三に、オブライジャー(義務を果たす人)

外からの期待には進んで応えるが、自分で課す期待にはうまく応えられない人。

第四に、レブル(抵抗する人)

外からの期待、自分で課す期待に関係なく、あらゆる期待に反発する人。

以上、四つである。

そして、それぞれのタイプに最も適した方法があるということである。

要は全ての人に有効なやり方は無いということであろう。

2017年3月16日 (木)

「やり残しゼロ!」の仕事術60/上村敏彦

60 ロジカルシンキングは、「考える力」を練る訓練にはとてもよいものです。
 しかし、ロジックをそのまま現実世界にあてはめようとすると失敗します。
 自戒をこめて言えるのは、現実世界はロジックでは動いていない、ということです。

いま、働き方改革が国会でもさかんに議論されている。

日本人の生産性が世界的に見ても低レベルであることは今や周知の事実となっている。

書店に行けば、ビジネススキルに関する本が平積みされている。

ではそれらのスキルを身に付ければ仕事の生産性があがり、仕事がうまくいくようになるのか?

実際にはそうはうまくいかない。

例えばロジカルシンキング、

確かにビジネスパーソンには必須のスキルだとは思う。

ではこのスキルを身に付ければすべてがうまくいくのか?

現実にはそうはならない。

なぜなら人間はロジカルでは動かないからである。

人は感情で動く。

人間関係は好き嫌いで決まる。

そして人と人とが協力し合わなければ仕事で成果をあげることはできない。

これが現実である。

頭の良い人が必ずしも仕事ができるとは限らないのもこのような理由からである。

そこで著者は歴史小説を読むことを勧めている。

例えば、司馬遼太郎が徳川家康を描いた三部作、『覇王の家』『関ヶ原』『城塞』は、いくら知識や戦略に長けていても、人を理解しなければ成果はおぼつかないということが、強烈に理解できる本である。

知識や戦略に長けた石田三成がなぜ敗れたのか?

人間関係を損なうことが、いかに怖い事なのかを如実にわからせてくれる。

結局は人を理解すること。

これが仕事の成果につながるということではないだろうか。

2017年3月15日 (水)

「君にまかせたい」と言われる部下になる51の考え方/岩田松雄

Photo 最も目指してほしくないのが、「仕事はできるが、性格が良くない」なのです。
 もちろん仕事ができるということは、大事なことです。しかし、それ以上に大事なことは人間としてちゃんとしていること。性格が良くて、人間性が優れていること。

理想な社員はどんな人か?

「仕事もできて、性格もよい人」これが理想である。

それは誰もが認めるだろう。

しかし、こんな社員はあまりいない。

そして、「仕事もできないし、性格も悪い人」は論外。

大多数を占めるのが「仕事はできるが、性格が悪い人」と「仕事はできないが、性格が良い人」

どちらが目指すべき存在なのか?

著者は「仕事はできるが、性格が良くない人」を目指すべきだという。

つまり、仕事ができる、できない以上に、部下には優れた人間性こそが求められているということ。

なぜなのか?

仕事は一人ではできない。

多くの場合、人と人とが協力し合って仕事は成し遂げられる。

その場合、性格が悪いというのは致命的な負の要素になる。

「あの人とだけは一緒に仕事をしたくない」と言われたらおしまいである。

また、スキルと性格のどちらが変わりやすいのかという視点も重要である。

スキルは訓練と経験次第でいくらでも上達する。

最初は「仕事のできない人」であっても、数年で「仕事のできる人」に変身することは可能である。

反面、性格はそう変えられるものではない。

大病を患い、生死の境をさ迷った、と言ったその人の価値観を根本から変えるような経験をしない限りは性格は変わらない。

つまり、人を選ぶ場合には変わらないものに目を向けるべきということであろう。

2017年3月14日 (火)

ウケる!アイデア術/田中イデア

Photo お笑い芸人に物知りが多い理由の1つに、疑問力が高いということが挙げられます。彼らは職業柄、常識を疑い、違う角度から見ることで笑いを生んでいるのです。「なぜ?」「どうして?」と常に疑問を持ち、それを解決してきたからこそ、豊富な知識を得たのでしょう。

お笑い芸人には物知りが多い。

テレビのクイズ番組でも、知識人や東大生顔負けの知識を披露する芸人も数多くいる。

おそらくそれは、笑いとは常識を破ることから生まれるからである。

常識を知っているからこそ、常識を破った芸で笑いを取ることができる。

そのため、著者は「大喜利思考」を勧めている。

それは4つの力から成り立つ。

第一は疑問力。

常識を知りそれを疑うことで疑問が生まれる。

お題を作るときに必要な力である。

第二に、発想力。

幅広い発想ができる人ほど斬新な答えが出せる。

答えを導き出すときに必要な力である。

第三に、解決力。

疑問を解決するための最善の答えを見つけ出す。

数ある答えの中から1つを選ぶときに必要な力である。

第四に、表現力。

面白い発想は伝え方でより面白くなる。

自分の考えを発表するときに必要な力である。

これらを合わせたものが大喜利思考。

お笑い芸人を見ていて「なぜそんなに面白いことが毎回起こるの?」思うことがあるが、そうではない。

彼らは自然にそういう「面白い」ものを嗅ぎつける能力が働くようになっているのである。

そう考えると、テレビのバラエティ番組などで活躍しているお笑い芸人は、すごい知識労働者といえるのかもしれない。

2017年3月13日 (月)

プロフェッショナルアイディア。/小沢正光

Photo アイディア開発の原則は「3回3ラウンド」だ。
 「3回」は、「書き出す」「整理する」「チョイスする」の3つの作業を意味する。
 それを「3ラウンド」、つまり3度くり返す。そうすれば、まちがいなく納得のいくアイディアを生み出すことができる。

アイディアをだすことを仕事としている人たちがいる。

仕事であるいじょう、一定のクオリティを保ったアイディアを出し続ける必要がある。

ではそのためにはどうすればよいのか。

それに対して著者は、クオリティにばらつきが出るのは、ただやみくもに考えているからだ。

特定の手法にのっとって、きちんとした手順を踏み、意図的にアイディアを〝開発〟していけば、つねに一定レベル以上のものを生み出すことができるようになると言っている。

とくにアイディア出しで重要なポイントは書くこと。

あいまいな思考は、書くことで具体化する。

つまり、考えていることが目に見えるかたちになって、はじめてアイディアといえるのである。

その意味では、書くことが考えることだといってもいいかもしれない。

紙に「書き出す」ときには、頭のなかで考えていることをすべて吐き出す。

「これはだめかもしれないな」と思っても、浮かんだ考えはひとつ残らず書き出す。

とにかく「いまの自分のすべてを出し切った」と思えるまで頭をしぼって書く。

しかも、手で書くことが重要。

手で書くという動作は脳を活性化する。

アイディア開発の〝脳力〟もまた鍛えられる。

次々とクオリティの高いアイディアを出し続けるプロも、結局は普段の地道な積み重ねの上に成り立っているということであろう。

2017年3月12日 (日)

自信をもてないあなたへ/メラニー・ フェネル

Photo 「自分はだめだ」というのはかならず実現してしまう予言のようなもので、ある種の考え方のパターンによって「だめな」方向に導かれ、結局は「だめな」結果となって、それがまた同じパターンの考え方を生むという、悪循環の罠にはまってしまうのだということが解明されてきました。

自己評価のやたら高い人がいる。

世の中面白いもので、不思議なことに、そんな人の元、幸運が舞い込む。

逆に、自己評価のやたら低い人がいる。

そして、そのような人には不幸が舞い込むことが多い。

だとしたら、自己評価は高い方がよいに決まっている。

自己評価の中心には、自分について抱く主な見解や、自分がどんな人間かについての核となる考えがある。

それはふつう事実を述べるという形で表される。

一見、自分という人間を率直に考察したり、自分について真実をそのまま述べているように見える。

でも実際は、それは事実ではなく意見や判断であることが多い。

つまり自己評価が低い人は、そのような事実があるからそう評価しているのではなく、どこかで事実をまげ、現実を否定的にマイナス面ばかりを見ているのである。

だから、自分を否定的に見るようになったその源を理解し、有害な思考習慣や自滅的な行動パターンがその見方を存続させてきたことに気づくことである。

詳細な自己観察をし、それをもとにして、自分を否定する意識を改革し、もっと自分を尊重し、やさしく受け入れる見方を養うように変えていくこと。

そして、低い自己評価がどのようにして生まれるのかを理解することが、自分を変えるための第一歩となる。

端的に言えば、自己評価を高めるのに絶対必要なのは、自分の人生でうまくやりおおせたことやいいことを認め、喜ぶことである。

自己評価が低いのにはそれなりの理由があるということである。

そして、それを変える方法もあるということである。

2017年3月11日 (土)

キャリアショック/高橋俊介

Photo プランド・ハップンスタンス・セオリーとは、直訳すれば、「計画された偶然理論」ということになるが、ひとことでいえば、変化の激しい時代には、キャリアは基本的に予期しない偶然の出来事によってその八割が形成されるとする理論だ。そのため、個人が自律的にキャリアを切り開いていこうと思ったら、偶然を必然化する、つまり、偶然の出来事を自ら仕掛けていくことが必要になってくるというのだ。

AIやロボットの影響で、これから10年から20年後には現在の仕事の約半数がなくなってしまうという調査結果が出ている。

これは何を意味しているのか?

将来的な目標に向けて、計画的に一つ一つキャリアを積み上げていくというキャリアデザインの考え方が、急速に成り立たなくなろうとしている、ということである。

古くは一生同じ仕事を続け、習熟することで、生涯を終える人たちが多かった。

しかし高度成長時代以後ホワイトカラーが急増した。

その世界は、仕事は数年毎に変化して、異動や転職で新たな仕事につけば、それを習得することで、キャリアアップし続け、一つのキャリアを全うするというものだった。

しかし変化の激しい現代、予定どおり一つのキャリアを生涯追求することは事実上困難になっている。

いつ何時、いままで積み上げてきたキャリアそのものが陳腐化し、ジョブチェンジではなく、キャリアチェンジが必要になるかもしれない。  

たとえていえば、従来のキャリアづくりは富士登山型だった。

頂上を目指して、一合目、二合目、三合目……と、数えながら登っていく。

そのための登山計画を立てる。

しかし、いまはその富士山がいつ大噴火しても不思議ではない時代なのだ。

これに対し、プランド・ハップンスタンス・セオリーに基づくキャリアづくりは、いわば北アルプスのような連山型。

峰がいくつも続く山の尾根を登っていく。

当面目指す頂上に向かって歩いていくにつれて、まわりの景色も刻々と変わっていき、その頂上に立ったとき、初めて次の稜線や次の頂上が見えてくる。

好奇心が旺盛でありながら、同時に、自分の基本的な考え方にはこだわりを持ち、柔軟かつ楽観的にものごとをとらえ、進んでリスクを取っていく。

こんな行動が求められているというのである。

変化の時代には、個人が自分のキャリアの将来像を明確に描くことは不可能であり、しかも、キャリア構築は予定どおりにはいかない。

であるならば、自分にとってより好ましい変化を仕掛け、キャリアショックに備える行動を取らなければならない。

大変な時代になってきたというのが実感だが、要はこのことを悲観的にとらえるのではなく、むしろ変化を楽しむ姿勢が必要なのではないだろうか。

2017年3月10日 (金)

大国の掟/佐藤優

Photo まず注目しなければならないのは、プーチンの論文や演説、コメントに「地政学」という言葉が頻繁に登場することです。
 たとえばクリミア問題について、「ロシアのような国には自国の地政学的な利益があることを、他の国々は理解しなければならない」と語り、新パイプライン構想について、「ギリシャの地政学的重要性を増すことになる」と述べています。

いま、国際情勢は目まぐるしく変わっている。

最新の情報であっても、すぐに陳腐化してしまう。

重要なのは、表面的な情勢がどう動いたとしても変動しない「本質」を把握すること。

言い換えれば、アメリカをはじめとする「大国を動かす掟」について理解を深めることだと著者はいう。

では、「掟」を把握するにはどうしたらよいか。

それは、国際情勢の背景にある「変わらないもの」に着目することである。

中東にせよアメリカにせよEU圏にせよ、過去に生じた出来事に規定されている。

そして、領土という物理的な空間を前提として動いている。

つまり「歴史」と「地理」、この二つの不変の要素が現下国際情勢を規定していると言える。

歴史的思考と地理的思考を掛け合わせて思考すること。

混迷を深める国際情勢を読み解くためには、歴史と地理両面の教養を身につけることが必須条件だというのである。

例えば、クリミア問題がどうして起こったのか。

プーチンはどうしてクリミアを手放さないのか。

ロシアの見方では、ウクライナはユーラシアに含まれる。

ロシアは、歴史的に見て、少なくとも自国国境周辺に自由に動ける緩衝地帯や衛星国がないと、安心できない。

したがって、EUの影響力がウクライナにまで拡大することは、ユーラシア主義の危機として認識される。

だからこそプーチンは強硬な姿勢で、ウクライナにおける自国の権益を守ろうとするのである。

そう考えると、北方領土をなかなか手放さないことも理解できる。

トランプ現象はどうなのか?

「メキシコとの国境に〝万里の長城〟を築き、不法移民は本国に強制送還する」

「過激派の流入を防ぐため、すべてのイスラム教徒のアメリカ入国を禁止する」

こうした過激な発言を連発するトランプの外交政策は、感情に任せて思いつきで物を言っているだけのように思える。

しかし、アメリカの地理的条件、そしてこれまでの歴史をふまえるならば、彼の立場は、それほど異常なものではない。

すなわちトランプは、かつてのアメリカ外交の基調であった「孤立主義」への回帰を主張しているのである。

トランプの主張の核にあるのは、アメリカを真珠湾奇襲以前の姿に戻すことだと理解できる。

ヨーロッパ、中東、アジアで何が起ころうと、それがアメリカに直接的かつ死活的な問題をもたらさないならば、干渉しない。

そして、アメリカに関する問題について、外部には絶対干渉させない。

まさにモンロー宣言の復活である。

歴史的思考×地理的思考

刻々と変化する世界情勢を読み解く、身に付ける必要のある教養だと思う。

2017年3月 9日 (木)

本当に残酷な中国史/麻生川静男

Photo 城中の食糧が底をついた。人々は土や泥(菫泥)を食べた。兵士は人肉を食べた。驢馬や馬はエサをもらえなくなったので、お互いのしっぽを噛みあった。守将の呂兗は男女の弱った者を選んで、酒粕や麺を食わせて太らせてから、殺して煮物にして、兵士に配給した。これを殺処理(宰殺務)と呼んだ。

本書は、大著「資治通鑑」を読み解き解説したもの。

資治通鑑は史実に忠実であることを旨としているため、悪事が数限りなく書き連ねられている。

次々と発生する盗賊や軍閥の理不尽な寇掠と暴行、それに引き続いて起こる大飢饉、まさに広大な生き地獄の世界が際限なく描かれている。

上記抜き書きも、その中の一節なのだが、人肉を食べる様が生々しく記述されている。

さすがにこのような残酷さは日本人にはない。

私たちは論語や三国志を読んで、その高い倫理性と、今の中国とのあまりの違いにとまどうことがある。

そのことについて本書ではこのように解説している。

論語や三国志の時代の中国は漢民族の倫理が支配していた。

しかし三国志の後の王朝である晋の時代に異民族が中国に大量に流れ込み国全体が大混乱に陥った。

異民族が力をつけ、五胡十六国という異民族の国家が中国の北部を支配した。

この結果、中国の徳治や仁義という政治倫理が全く地に落ちてしまった。

代わりに、詐術と武力が支配原理となった。

と、こういうのである。

そして中国の支配原理は、二度とかつての論語や三国志の時代に戻ることはなかった。

つまり、現在の中国の政治・社会を支配している基本理念は私たちがが知っている中国古典の世界ではないのである。

ただ、中国の本質を知ろうと思えば、悪の面だけ見たのでは一面的すぎる。

中国には善の実現をめざし、命がけの行動を起こした人が数多く存在する。

言い換えれば、中国人はとんでもない極悪人から、ウルトラ善人まで、善悪のレンジが極めて広いということであろう。

2017年3月 8日 (水)

プロフェッショナル・ネゴシエーターの頭の中/藤井一郎

Photo 自分がコントロールできるのはプロセスです。ここで言うプロセスとは、自分が何を考え、何を話し、どのように行動するかということです。

プロは結果を求められる。

また、結果に対するプレッシャーは計り知れないものがある。

ところがプロフェッショナル・ネゴシエーターである著者は、こだわるのはむしろプロセスだという。

結果を重視するとどうしても短期志向になる。

するとプロセスがおろそかになる。

手段を選ばず短期的な結果を重視すると、評判を落とし、長期的にはよい結果を得られなくなる。

逆にプロセスを重視すると、短期的な結果は必ずしもよいとは限らないが、全体として成功する確率が高まる。

また、相手からの信頼も高まる。

長期的にはよい結果をもたらす。

これは交渉ごとに限らず、すべてのことについていえるのではないだろうか。

プロセスにこだわり、プロセスを楽しむ。

変化が激しく、スピードが求められる現代だからこそ、このような姿勢が求められているのではないだろうか。

2017年3月 7日 (火)

大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争/辻田真佐憲

Photo 大本営発表の問題は、彼らの人格などに帰せられるべきではなく、その所属した組織の構造的な欠陥などを考慮に入れなければならない。もちろん、マスコミ関係者(本書に登場した記者の多くは戦後も順調に活躍し、出世した)が大本営発表の「共犯」だったことも見逃せない事実である。

虚偽報道の代名詞となている大本営発表。

軍部が劣勢をよそに「勝った、勝った」とデタラメな発表を行い、マスコミがそれを無批判に垂れ流す。

そして国民は捏造された報道に一喜一憂させられる。

本書を読むと、大本営発表のデタラメぶりは、実に想像を絶するものであったことが分かる。

大本営発表によれば、日本軍は太平洋戦争で連合軍の戦艦を43隻沈め、空母を84隻沈めたという。

だが実際のところ連合軍の喪失は、戦艦4隻、空母11隻にすぎなかった。

つまり、戦艦の戦果は10.75倍に、空母の戦果は約7.6倍に、水増しされた。

反対に、日本軍の喪失は、戦艦8隻が3隻が、空母19隻が4隻に圧縮された。

どうしてこのようなデタラメが成り立ったのか。

問題は当時の報道機関と軍部との関係である。

報道機関にとって、現役の軍人による戦況説明は何ものにも代えがたい情報源だった。

記者クラブ所属の記者たちは、なんの苦労もなく、日々この情報源にアクセスして記事を書くことができた。

これは記者クラブの特権でもあったが、同時にリスクでもあった。

なぜなら、特権を失うことを恐れるあまり、軍部に批判的な記事を書きにくくなるからである。

そのため、記者クラブ発のニュース記事は、常に軍部寄りになる危険性をはらんでいた。

また、報道合戦を勝ち抜くためには、軍部との協力が不可欠だった。

軍部もまた便宜を図ることで、報道への介入の糸口を作った。

記者を従軍させてやる代わりに、軍部に有利な記事を配信せよ、というわけだ。

こうして、大本営発表や軍部の行動を批判的に検証する、報道本来の役割は置き去りにされてしまった。

かくしてデタラメの代名詞としての大本営発表は完成した。

しかし、この報道機関と軍部との関係、いまもその構造は残っているのではないだろうか。

特に日本の記者クラブはその温床となっているのではないだろうか。

2017年3月 6日 (月)

偽りの戦後日本/白井聡、カレル・ヴァン・ウォルフレン

Photo 僕の実感からすれば、日本人から自由を奪っている最大の要素は、同調圧力の強さだと思うのです。ただし、同調圧力はどの社会にもあるので、それに抵抗する弱さと言った方が正確かもしれません。

本書は二人の対談形式で構成されている。

二人とも、どちらかといえばリベラルとか左翼とよばれる人たちである。

ただ、右であろうが左であろうが、根拠のある主張にはしっかりと耳を傾けるべきだと思っている。

そんな中で、日本人として憂慮すべきことは、日本人の同調圧力への抵抗力のなさである。

どうしても世論が一方方向に偏ってしまいがちになる。

そして一度その流れができてしまうと、それに抗うことが困難になり、反論は封鎖されてしまう。

報道にも問題がある。

日本の政治ジャーナリストというのは、「政策」にはほとんど関心を示さない。

常に誰と誰が喧嘩した、誰の政治資金の使い方に問題がある、といった「政局」ばかりを追いかける。

新聞の政治面も、たいていは「政局」の話で埋めつくされる。

一方で、政治家が新たな政策を始めようとすると、途端に批判の矛先を向ける。

報道機関に求めるのは、世論をあおる報道ではなく、キチンとした分析に基づいた論拠のある報道である。

例えば、いま、憲法改正が話題になっている。

左翼は護憲派として、それに反対する。

しかし、自衛隊の問題はどうなのか。

憲法9条は、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定している。

これを素直に読めば自衛隊は違憲である。

事実、憲法学者の7割近くは自衛隊は違憲だと言っている。

にもかかわらず、現実の日本には「自衛隊」という軍隊が存在する。

これを左翼はどう説明するのか。

日本の国民はもちろんのこと、海外に対しても説得力が全くない。

いつまでこんなごまかしを続けるのかと思ってしまう。

そしてこの矛盾をどの報道機関も真面目に取り上げない。

日本の問題はこんなところにあるのではないだろうか。

2017年3月 5日 (日)

殺人ライセンス/今野敏

Photo「殺人は二件のみ。そして、その二件に関して動機があると思われる人物にはアリバイがある」
「その両者には、『殺人ライセンス』という接点があります」
「つまり……」
「そう。交換殺人の可能性があります」

この小説は「殺人ライセンス」というサイトを中心に物語が展開する。

それは、ターゲットを殺害する危険なオンラインゲーム。

そのゲームの標的と同じような名前のストーカー公務員が殺害される。

そして、さらにもう1件、やはりターゲットとなった男が殺害される。

ネットを使った連続殺人としてマスコミでも話題となる。

捜査本部ではベテラン刑事の丸谷と若手刑事エイキチが組んで捜査にあたる。

最初、丸谷は何を考えれいるかわからないエイキチを頼りなげに感じる。

丸谷は昔ながらの刑事のイメージ、

それに対してエイキチは今どきの若者風の刑事だがネットには詳しい。

ところがこの事件の本質を探り当て、真犯人の逮捕のきっかけをつかんだのはエイキチの方だった。

結局、この事件は「殺人ライセンス」というネットを利用した連続殺人ではなく、それを装った交換殺人だった。

この展開を見て、これって今の世の中で起こっていることではないだろうか、と思ってしまった。

ネット社会になって以来、ITに無知な年長者と、ネット社会に生まれ、それを抵抗なく受け入れ活用している若者との間で、一部逆転現象がおこっているように感じる。

ベテラン社員の優位性がなくなってきている。

今やITが社会全体の構造を変えているということであり、今後この動きはますます顕著になるということではないだろうか。

2017年3月 4日 (土)

日産 驚異の会議/漆原次郎

Photo 「さまざまな無駄が生まれること」「環境変化で会議の重要性が変化すること」「モチベーションが下がること」。会議が長引くことによるこれらのデメリットがあるということは、裏返せば、会議でスピーディーに結論をだすことによって逆のメリットを得られることになる。つまり、スピーディーに結論が出る会議は、「さまざまな無駄を出さずに済む」「環境変化が起きるまえに対策を実行に移せる」「モチベーションを高める」という効果をもたらすわけだ。

いま、働き方改革が叫ばれている。

特に日本人の生産性が極めて低いことが問題になっている。

では会議はどうだろう。

会議の生産性とは何だろう?

おそらくその指標の一つとなるのは、短時間で結論をだすこと、になるのではないだろうか。

多くの会議は、ダラダラと長い時間をかけて行い、結局は結論がでず、継続審議ということで終わる。

結論が出たとしても、それは結局一人の人がしゃべり続け、その人の意見が決定事項になってしまったり、声の大きな人の意見が通ったりと、問題が多い。

「会議不要論」がでるのもそのような理由からだろう。

確かにダラダラと長いだけの会議をするのであれば会議は不要である。

しかし、逆に言えば、短時間で出席者全員の意見が反映された極めて実効性と効果性の高い結論が出る会議であれば、それは非常に意味のあることである、と言える。

本書に書いてあるのは、会議には一定のメソッドがあるということである。

そしてそれを取り入れれば、どんな会議でも効率的になるということ。

試してみる価値はあるのではないだろうか。

2017年3月 3日 (金)

病気を治したければ「睡眠」を変えなさい/白濱龍太郎

Photo 以前アメリカで、睡眠時間と寿命の関係を調べる大規模な調査が行われました。それによれば、男女ともに睡眠時間が6.5~7.5時間の人がもっとも死亡リスクが低く、それより短くても長くても、寿命が短くなる傾向にあることがわかりました。

人生において私たちは睡眠に多くの時間を費やす。

しかし、近年睡眠の量と質が、私たちの健康や能力に大きな影響を及ぼすことが分かってきた。

睡眠をないがしろにすれば、脳や身体の状態は確実にレベルダウンする。

例えば、毎日の睡眠時間が5時間をきると、動脈硬化の原因となる高血圧症のリスクが一気に上昇する。

たとえ健康な若者でも、4時間睡眠が1週間続けば、血糖値は初期の糖尿病患者と同じレベルにまで簡単に上昇してしまうというのである。

睡眠不足で発症リスクが高まる病気は今日、80種類以上あることがわかっており、そこにはがん、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病、精神疾患の「5大疾患」すべてが含まれる。

カナダのラバル大学とアメリカのウィスコンシン大学の研究チームが「睡眠が不足すると86もの病気にかかるリスクが生まれ、早死にする確率も高まる」と警鐘を鳴らしている。

では睡眠時間は長ければ長いほどよいのか?

実はそれも「ノー」なのである。

睡眠時間が長くてもまだ眠いという人は、睡眠の質に問題があることが多い。

例えば睡眠時無呼吸症候群である可能性を疑ったほうが良い。

10秒以上の呼吸停止が1時間に20回以上出現する睡眠を10年以上続けた場合、10人中、3~4人が死亡するといわれている。

怖い話である。

理想は6.5~7.5時間。

これ以上でも以下でも寿命は縮む。

これは新しい発見である。

たかが睡眠、されど睡眠、ということであろう。

2017年3月 2日 (木)

アメリカ海軍が実戦している「無敵の心」のつくり方/マーク・ディヴァイン

Photo 興味深いことに、ワシントン大学のデイヴィッド・ライケンとアーク・テレジェンの幸福の研究によれば、人を幸福にするものの半分以上は自分で変えられる範囲のものだという。不屈の精神とは、現状を外的な力によって左右されるのではなく、自分でコントロールするために、この事実を受け入れ、自らの責任で変化を起こすことでもあると考えよう。

心技体という言葉があるように、人の成長とは、ただ利口になるとか、認知知能が上がるという問題ではない。

「心」つまり「精神」とか「魂」と言われる部分の占める割合が大きい。

そして、最も困難なのがこの部分である。

著者はこれをシールズの訓練を通して身に付けたという。

戦士は一日で一生を経験するという。

なにしろ、戦士は何事も当たり前とは考えない。

一日一日が最後の日かもしれないという際どい経験をしながら生きている。

一瞬一瞬を無我夢中で、満ち足りて、目的を持って生きている。

人生の悲喜劇に巻き込まれることを避け、物事をシンプルで現実的に保つことで、できれば後悔や願望は回避したいと思っている。

一日で一生を経験するために、戦士はいつでも準備ができているように身体と精神と魂を鍛える。

そして一定の練習を続ければ、私たちでも自分の心をコントロールできるということだ。

つまり、心のなかを真の、完全な沈黙状態に保つ練習を続けること。

この沈黙の境地にたどり着いたら、そのとき初めて、心の動くさまを観察できる。

あくまで、不断の練習を続けるのなら、という話である。

これはかなりハードルが高い。

何かを得ようと思うなら、楽なことをしていてはダメということであろう。

2017年3月 1日 (水)

0秒リーダーシップ/ピョートル・フェリークス・グジバチ

Photo 残念ながら、そんな日本人にも1つ、足りないなと思うものがあります。これからの時代、グローバル標準で仕事をしていくためには、もちろん語学力も必要なのですが、それ以前にもっと大切なことがあるように思います。
 それが、自ら手を挙げて動き出すための力、「リーダーシップ」です。

日本人に足りないもの、それはリーダーシップであると著者はいう。

リーダーシップとは、リスクを取って新しく何かを始めることを意味する。

リーダーシップとは、従来の自分の枠を超えて、新たな一歩を踏み出すこと。

そして、リーダーシップを別の言葉に置き換えると「影響力の行使」である。

リーダーシップは、 リーダーの肩書を持つ者だけが発揮すればいい、というものではない。

年齢、肩書、職種、役割に関係なく、だれもが発揮できる力、それががリーダーシップである。

リーダーシップはもって生まれ持ったものではない。

リーダーシップはトレーニングによって鍛えることができる能力であり心構えである。

伸ばそうと思えば伸ばすことができるという意味で、生得的な資質とは違う。

その気になれば、誰でもリーダーシップを身につけることができる。

つまり、リーダーシップは、持って生まれた性格でもなければ、その人を特徴づける個性でもなく、選択の問題だということである。

発揮するか発揮しないか、取るか取らないかは、その人自身が決めることである。

いま世界はものすごい勢いで変化してきている。

ところが多くの日本人はこのことに目を向けようとしない。

日本人はともすると、こうした変化を「対岸の火事」とみなして、自分のこととは考えない傾向があるようだ。

日本人の問題は、この変化に目を閉ざし、リーダーシップを自ら選択し、身に付けようとしないということではないだろうか。

« 2017年2月 | トップページ | 2017年4月 »