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2017年4月の30件の記事

2017年4月30日 (日)

待つ力/春日武彦

Photo ものごとは、そう簡単に決着がついたり結論が出たりはしません。いくら努力したりアプローチを繰り返しても、機が熟さなければどうにもならないことのほうがむしろ多い。

私たちは、誰もが一人残らず、待つことに翻弄される人たちである。

そんなことは御免だと思っても、待つことからは決して逃れられない。

そこに苦しみや苛立ちと、たまに喜びが含まれる。

多くの場合、延々と待たされていると、人は疑い深くなっていく。

何かアクシデントや手違いがあったのではないのか、とか

相手の態度や姿勢に問題があるのではないか、とか

自分だけが不当な扱いを受けているのではないのか、とか

運気とか巡り合わせといった、人知を超えたところで、事態がおかしなことになっているのではないか、とか、疑い深くなっていく。

待つ、という受け身の状態は苦しい。

無力感に苛まれ、ときには精神が妄想モードに陥りかねない。

先が見えないことは、まことに辛いものである。

しかし、少し視点をずらしてみれば、待つことには、頭を冷やすとか再検討、再考といった働きも含まれていることに気づく。

次から次に願いや希望が速攻で叶ったら、私たちはかえって過ちを犯してしまいかねない。

人間性が深まらない。

内省を欠いた薄っぺらな人間になってしまう。

現代人は待つことが苦手だ。

だんだんせっかちになってしまっている。

しかし、待つことから逃れられない以上、その肯定的な面を見いだし、待つ力を身に付けることが必要なのではないだろうか。

2017年4月29日 (土)

知性を磨く/田坂広志

Photo 実は、「知性」と呼ばれる能力の核心は、「経験」を通じてしか身につかない、人間としての極めて高度な能力なのである。

学歴は一流。

偏差値の高い有名大学の卒業。

頭脳明晰で、論理思考に優れている。

頭の回転は速く、弁も立つ。

データにも強く、本もよく読む。

プレゼンをさせれば弁舌爽やか。

しかし、残念ながら、思考に、深みが無い。

そのため、接していて、違和感を感じる。

こんな人がいる。

この違和感の正体とは何だろうか、と思うことがある。

私はこれこそ、経験に裏打ちされた心の声だと思っている。

著者は「知能」と「知性」を明確に区別している。

「知能」とは、「答えの有る問い」に対して、早く正しい答えを見出す能力。

「知性」とは、「答えの無い問い」に対して、その問いを、問い続ける能力。

ナルホド、これが違和感の正体だったのかもしれない。

確かに、人生でも仕事でも、直面する多くの問題は「答えの無い問い」である。

それをわかったように理路整然と説明されると違和感を感じるのである。

一人の人間が生涯を賭けて問うても、その答えを得ることができない問い。

人類がこれから百年の歳月を賭けて問うても、容易に答えの得られぬ問い。

そうした問いを問い続ける力が、「知性」と呼ばれるものであろう。

人間は、歳を重ねると、肉体だけでなく、精神もエネルギーが衰えていく。

私たちは、意識と無意識の境界で、このような「固定観念」を抱いている。

しかし、実は、それは、「思い込み」と呼ぶべき「固定観念」にすぎない。

実は、人間の精神は、歳を重ねるにつれ、しなやかさや、軽やかさを増していく。

確かに年齢を重ねるにつれ、日々が充実してきたという実感がある。

そして、これからの人生が知性を磨く本当の旅だと言えるのかもしれない。

2017年4月28日 (金)

日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか/古荘純一

Photo 自尊感情が高ければ、逆境に負けずにやりたいことを行おうと考えるでしょうが、自尊感情が低ければ、さまざまな困難に打ち勝っていくことができにくいと言えます。

ユニセフの調査で、日本の子どもの主観的な幸福度は、他国と比べて突出して低いことが報告されている。

他の調査でも同様の結果が出ている。

日本の子供たちは、学力的にも優れており、物質的にも他国に比べれば恵まれている。

にもかかわらず日本の子供たちの主観的な幸福度は低い。

原因は何なのだろうか。

著者はその一つとして日本の子供たちの自尊感情の低さをあげている。

自分を肯定的にとらえる、ということは、人生のさまざまな困難を乗り越えて充実した人生を送るために必要だ。

それだけでなく、他人と協調していくためにも必要なことだと言える。

自分を否定的にとらえると、他人のことも否定的にとらえたり、他人からの言動を被害的にとらえたりすることで、関係がうまく成立しなくなってしまうからである。

そうなると、コミュニケーションをとること自体、難しくなってしまう。

ではなぜ日本の子供たちの自尊感情は低いのか。

自尊感情に影響を与える要因としては、母子関係の緊密さ、両親の受容的態度、両親からの一貫したしつけ、子どもの意見を尊重する態度、子どもの独立性を尊重する態度などが関与しているとされている。

両親から関心を向けられ、良好な関わりを持つことが、それを高めると、一般的には報告されている。

特に幼児期の母親との関係性が自尊感情に大きく影響を与えると言われている。

確かに、母親や周囲の大人が、子どもたちに、お前はだめな子だ、などと否定的なメッセージを送り続ければ、できないのは自分が悪いからだ、と思いこんで自分を受け入れることができず、自尊感情は低くなる。

まずは、子どもの存在をあるがままに認め、そして子どもを守り育む姿勢が重要だと思えてならない。

2017年4月27日 (木)

結果を出して定時に帰る時短仕事術/永田豊志

Photo 人生は価値を作り上げるプロセスそのものです。自分の求める価値を追い求め、社会が求める価値を提供することで、経済的にも豊かになります。

働き方改革の一環として長時間労働が問題になっている。

そのためには生産性を上げることが必要なのだが、一番簡単なのは「やらないこと」を決めることである。

80対20の法則というものがある。

成果の80パーセントは全体の仕事の20パーセントから生み出されるという考え方である。

何が成果に直結する仕事で何がやらなくてもよい仕事なのか。

それを明確にすればよい。

ではそのためには何が必要か。

それには価値を明確にすることである。

「自分にとっても、自分が大切にしたい人にとっても共通した価値」を見いだし、それを実現するために行動計画を練ることが、最短で最強の時間術につながっていく。

何のために、どのようなことを実現したくて、どのような活動が必要で、それに対して、どのくらい時間を割り当てるか、というタイムマネジメントである。

「やらない」を明確にし、「やるべきこと」を責任を持って必ず達成するほうが、結果的には信頼される。

すべての活動は直接的であろうと間接的であろうと、あるいは短期的であろうと長期的であろうと、「自分の求める価値」につながっていないといけないということではないだろうか。

2017年4月26日 (水)

武器としての人口減社会/村上由美子

Photo 少子高齢化の波を短期間で反転させることは不可能ですが、逆にそれを強みとして、世界の国々と競争していくことは充分可能です。そのために必要な人的資源、社会インフラ、技術革新、財政基盤などの基本的な条件がここまで揃っている国は、日本以外に存在しないとも言えます。

日本はこれからどんどん人が減っていく。

そしてそのことをネガティブにとらえる論調が多い。

一方で、ICTやAIがどんどん進化し、人間の仕事を奪っていく。

このことに不安を覚えている人も多い。

しかし、ピンチはチャンスである。

これらのことは全てプラスの要素としてとらえることができる。

確かに今後、ルーチンワークはどんどんICTやAIにとって代わられるであろう。

一方、ICTやAIといった最先端技術との協業をできる限り効率的に行い、人間の判断力を必要とする領域の仕事を創造的に進められる人のニーズは高まってくるであろう。

つまりICTやAI技術がもたらす労働市場の変革は、労働力不足を解消するための妙案以外の何ものでもないということだ。

しかも日本は他の国には類を見ない〝急激な人口減少〟という、改革を後押しする追い風が吹いている。

ICTやAIに仕事を奪われる脅威より、いかにそれらに仕事を任せるかという議論のほうが、日本では必要だ。

日本の場合、少なくとも現在の完全雇用に近い労働市場は、オートメーション化を進める上で、強力な原動力となりえる。

まさに、「必要は発明の母」であるわけだ。

そう考えると、日本の未来は明るいといえるのではないだろうか。

2017年4月25日 (火)

それ、パワハラです/笹山尚人

Photo パワハラの立証においては、このICレコーダーによる録音記録の価値が極めて高い。

いじめや嫌がらせ、いわゆるパワハラの相談件数が年々増加傾向にある。

職場のパワーハラスメントとは、「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」をいう。

そして、裁判になった場合、パワハラにあったことを立証しなければならない。

立証責任はあくまで被害者側にある。

裁判では原告と被告の間で必ず「言った」「言わない」の争いになる。

その場合、決め手になるのは「動かぬ証拠」である。

最近はICレコーダーによる録音記録が多くなっている。

それを聞けば、リアルな当事者間の言葉のやり取りや雰囲気まで伝わってくる。

証拠としての価値は極めて高い。

最近のスマホにはレコーダーの機能が必ずついている。

パワハラの認定件数が近年うなぎ上りなのも、スマホの普及の影響と無関係ではないと思う。

ちなみに、あのの森友問題。

最近は少し下火になってきたが、国会の議論を聞いていて大切なことをないがしろにしているような気がする。

100万円を渡したかどうかが問題になっているが、それを立証する責任はもらった側にある。

そして、証明できない場合は、その事実はなかったことになる。

それは裁判では常識である。

その意味で、あの議論自体が茶番だと言えよう。

2017年4月24日 (月)

ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み/近藤宣之

Photo 社員数わずか55人の中小企業が、社員ひとりに年間百数十万円の教育費をかけるのは簡単ではありません。
 ですが、会社の存在理由は、「社員を成長させる」ことにあるのですから、そのための投資を惜しんではいけません。

日本は社員にかける教育費が先進国の中で最低であることは周知の事実となっている。

このことから言っても社員ひとりに年間百数十万円の教育費をかける会社は日本にはほとんどないであろう。

特に中小企業では異例であり、ありえないレベルである。

「人を大切にする経営」をうたっている会社は多くある。

しかし、そのような会社でもいざ赤字に陥ったらリストラする。

これでは本当の意味で「人を大切にする経営」とは言えない。

つまり、多くの場合、「もし会社が黒字ならば」という前提条件が付くのである。

「人を大切にしない経営」があとを絶たないのは、「背に腹は代えられない」という社長の思いがあるからだ。

建前として、「人を大切にしている」と言いながらも、内心では、「結局はお金だ、お金こそが企業の存在価値であり、存続条件だ」と考えている。

だから、目の前のお金を得るために、人を犠牲にする。

しかし、著者が社長を務める日本レーザーは違う。

「人を大切にする」というのは社長の決意である。

会社を変えるのは、社長の決意だ。

社長の心が変わったとき、会社も変わる。

「人を大切にする経営」の実践こそ、会社を再建・成長させるたったひとつの方法だと著者はいう。

雇用を守られる安心感があるからこそ、社員は一所懸命働くことができる。

社員の中に、「何があっても、どんな状況に陥っても、この会社は自分と家族を守ってくれる」という実感があるからこそ、安心して力を発揮できる。

結局、社長の強い思いが会社と社員を変えるということではないだろうか。

2017年4月23日 (日)

大麻ヒステリー/武田邦彦

Photo 結論としてWHOの委員会は「大麻は健康上は問題がない」としています。

大麻を所持したり使用することは日本では違法とされている。

しかし、そもそも大麻は有害なのか?

実は科学的にはもう答えが出ており、無害なのだという。

そもそも、太平洋戦争が終わるまで、日本は2000年にわたって大麻を普通の作物として利用していて、全国に大麻畑が広がっていた。

ではそれがどうして違法とされるようになったのか。

そしてその発端は悪名高いアメリカの禁酒法だという。

禁酒法は1920年から1933年まで施行され、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された。

法の施行のために大量の捜査員が採用された。

ところが、その後、禁酒法の廃止にともなって捜査員が大量に余るという事態が生じた。

仕事がなくなれば、クビになるしかない。

さらに、大麻課税法制定の裏側には、メキシコなどから移ってきたヒスパニック系の人たちに対する感情的な反発があった。

つまり、禁酒法で活躍してくれた捜査員の仕事先は見つかるし、もともとヒスパニック系の人たちが街に進出してくることを快く思わない人たちは、これ幸いとマリファナを敵にした。

禁酒法の廃止から大麻課税法制定までの4年という期間には、そういう意味があった。

つまり、少し表現に問題はあるが、「失業対策のために大麻を悪者にした」という側面があった。

アメリカで1937年に成立した大麻課税法は、その後、約10年で日本に上陸する。

1945年、「ポツダム省令」が発せられる。

このGHQの指令によって日本列島では歴史上初めて「大麻は麻薬」であるとされた。

ところが、当のアメリカでは現在、大麻を合法としている州が数多くある。

ところが日本では以前、大麻は違法である。

実際、それによって逮捕され、一生を棒に振った人は多くいる。

科学的に無害であると結論が出ているにも関わらず法改正の動きが出てこないのか、どこかで日本人が思考停止の状態に陥っているからに他ならない。

豊洲移転の問題などでもそうだが、科学的に無害であるとしても、日本人は感情的にそれを受け入れられない。

日本人の思考停止の構図がこんなところに表れているのではないだろうか。

2017年4月22日 (土)

伸びる会社は「これ」をやらない!/安藤広大

Photo 評価を進めるうえで最も大切なのは、「上司が部下に対して何を求めているかを明確に伝えること」です。評価とは「求めている事柄に対する到達度を評価する」ものなので、「何を求めているか」が伝わっていない状況では、評価を始めることができません。

評価を進める上での大原則がある。

それは「要求がなければ評価もない」ということ。

評価をするのであれば、まず要求しなければならない。

何を要求するのか。

社長は社員に、上司は部下に、何をどのレベルでやってほしいのか、それを要求するのである。

この要求するレベルが明確であれば、あとはその達成度によって評価すればよいのである。

ところが、多くの企業はそれをやっていない。

評価のための評価になっている。

社員の給料やボーナスを決めるためには評価しなければならない。

だから仕方なく評価する。

こうなってしまっている。

これでうまくいかないのは明らかである。

評価で大切なことは、評価者が求める到達点をはっきりと定義することと、評価される人に対しても、それを明確に伝えること。

この当たり前のことができなければ、そこからすべてがずれてしまう。

このことを肝に命じるべきあろう。

2017年4月21日 (金)

〈勝負脳〉の鍛え方/林成之

Photo 九回裏、二死満塁、得点差は一点。こんな大ピンチを背負ってマウンドに立っているピッチャーに「リラックスして投げろ」と指示を飛ばす監督は、脳科学の見地からは監督失格といわざるをえません。

「勝負脳」という言葉は、著者の造語。

言語を話す知能、数を計算する知能、空間を認識する知能などとともに、人間の脳に本来そなわっている知能のひとつを、こういう言葉で表したもの。

人一倍の猛練習をして世界のトップレベルの実力を身につけた選手たちが、その力をまったく発揮できずに敗れ去っていく姿を見ることがよくある。

ここ一番というとき力を発揮するにはどうすればよいのか。

多くの人はこんなとき、出来るだけリラックスしようとする。

しかし、これは間違っているという。

リラックスして試合に臨むとどうなるか。

交感神経の機能が高まってこないので、戦うために必要なエネルギーが作られなくなる。

心臓や呼吸器の機能も高まってこないので、脳や手足に酸素が少ししか運ばれなくなる。

つまり、リラックスしていては勝負に勝てないのである。

いったん高まったテンションを勝負の最中に少し静めると、闘争心が消え、集中力が低下し、勝負に対する執着心も低下する。

試合がハードであればあるほど、脳と手足をうまく連動させて、持てる力を出し切った最高のプレーを繰り出さなくてはならない。

人間は命がけで集中すると、自分の立場を忘れ、人格まで変えて目的を達成しようとする。

このような状態にいながら緊張するということは、まだ自分の立場や評価を考えていて、集中しきれていないのだともいえる。

つまり、緊張するのは、集中していないからだというのである。

ナルホド、そうすると多くの人は全く間違ったやり方をしていたのだと言える。

私自身もそうなのだが。

2017年4月20日 (木)

まずは、「勝ちぐせ」をつけなさい/秋庭道博

Photo シェークスピアの『ロミオとジュリエット』には、愛する人が死んでしまったことを嘆いて、ロミオがいのちを絶つ場面があるが、じつは、愛するジュリエットは死んだのではなくて、眠り薬を飲んでいただけだったのだ。ロミオ(そして、この物語)の悲劇は、主人公の思い込みに大きな原因があったのだ。
 人生には、こういうことが意外と多い。

「もうダメだ」と、自分で勝手に思い込み、諦めてしまっている人は意外と多い。

しかし、可能性は直接目に見えなくても、かならずどこかに潜んでいるものだ。

永遠に続く好況がないように、永遠に続く不況もない。

いたずらに不安がることが、新たな不安を増殖させていることにも気がつくべきだ。

「もうダメだ」と弱気にならないことだ。

あらゆる勝負は負けたと思って諦めた時に負ける。

「もうダメだ」と、チャレンジすることを諦めた時に、すべての可能性がなくなる。

例えば、職業の選択や、能力を発揮する対象について。

ちょっと視点を変え、頭を柔らかくするだげで、自分が納得し、能力を発揮できる世界は、身近にもあるはずだ。

問題は、固定観念に支配されている固い頭である。

「大変だ」とか、競争社会とか、優勝劣敗という大状況は、まさに言葉通りだが、そういう大状況に打ちのめされないで生きていく知恵をもつことによって、明日に希望をつなぐことは、いくらでもできる。

ピンチはチャンスというが、大競争時代だからこそ、個性的に、スキマで生きるという知恵を生かすこともできる。

そういう生き方は、型通りの職業や人生を強要されるより、はるかに面白い。

「誰も助けてくれないからこそ、自分で生きるのだ」と思うと、前途が明るくなってくる。

私たちの抱いている不安感は、変化の時代を固定観念の中で生きなければならないと思い込んでいるからではないだろうか。

2017年4月19日 (水)

指揮者の知恵/藤野栄介

Photo 指揮者には、指揮台に立つだけでオーケストラの勇気を鼓舞するような「指揮者としての存在感」が欠かせません。そして、「指揮者の存在感」はその指揮者がどれだけ誠実に音楽に対峙して生きてきたか、もしくは、音楽的なセンス(音楽への強い想い)を持っているか、換言すれば、音楽とつながっているか、ということに関係しているのだと思います。

指揮者の仕事は一般の人にはよくわからない。

私自身、この方面のことについては全くの素人なので、指揮者がオーケストラにとってどんな存在なのか、全く分からない。

著者によると、指揮者の仕事は、肯定的に言えば、「理想とする音楽を追究し、音楽に自らの生を捧げる」というイメージだという。

どの世界にも、天国があれば現実も地獄もあるように、指揮者とオーケストラの世界にも、エゴとプライドが混在し、魑魅魍魎が跋扈するような世界が存在する。

天国をこの世につくる指揮者もいれば、地獄に君臨する魔王のような指揮者もいる。

すべての指揮者は独善的である。

オーケストラ指揮者の仕事は、「個性」の一言で片づけてしまうほど浅いものではなく、各々の人間の深い闇や、さらに深いところから発する光によって、音楽を毎瞬生まれ変わらせる仕事。

だから、ステージの上で意味のあることが何も起きていないオーケストラのコンサートは面白味に欠ける。

たとえ正しい音符に正しいリズム、美しい音があったとしても、そこに興奮や喜びを感じさせる「何か」がなければ、それは価値ある演奏とは言えない。

指揮者の役割は、作曲家が楽譜に託した「ビジョン(想念)」をオーケストラという楽器を使って、音として具現化することである。

と、まあそんなことが書かれている。

指揮者がリハーサル初日に指揮台に立って、唐突に「こうしてくれ」「ああしてくれ」とオーケストラに要求しても、「わかりました!」と心から従う音楽家はいない。

前に立っているのが指揮者だからというだけでは従う理由にはならない。

個性の強い音楽家を従わせるには指揮者としての存在感が必要である。

リーダーシップと言い換えても良い。

指揮者を通してそれを学ぶことができるのではないだろうか。

2017年4月18日 (火)

ストライカーのつくり方/藤坂ガルシア千鶴

Photo たとえば、アルゼンチンの往年の名センターバックで、現在はテレビの解説者を務めるロベルト・ペルフーモは、「優れたストライカーの美徳はエゴイズムである」と断言する。

サッカー日本代表の決定力不足が叫ばれて久しい。

ひと頃よりも改善されたものの、世界的なストライカーはなかなか生まれない。

一方、アルゼンチンはメッシ、バティストゥータ、マラドーナなど、世界的なストライカーが生まれている。

サッカーの歴史が違うと言ってしまえばそれまでなのだが、日本には何が欠けているのだろうか。

そんな中、「優れたストライカーの美徳はエゴイズムである」という言葉は印象的だ。

確かに、日本人に欠けているものの一つはこれかもしれない。

サッカーはチームスポーツである。

当然、チームワークが重視される。

またパスをつなぐスポーツでもある。

そして、ゴールの枠に向かって放つ最後のバスがシュートである。

ところが、日本代表の試合を見ていると、自分が打てばよい場面でわざわざパスをするシーンが何度か見られ、イライラさせられる。

「そこはパスじゃなくシュートだろう!」と叫びたくなる。

やはり、ストライカーはエゴイストである必要があるのだろう。

86年メキシコワールドカップで、イングランド戦でのマラドーナによる5人抜きゴールはマラドーナのエゴによって生まれたといっても良い。

個を殺してチームに尽くす。

この日本人の美徳が世界的なストライカーが生まれない背景になっているのかもしれない。

2017年4月17日 (月)

2000社の赤字会社を黒字にした社長のノート/長谷川和廣

2000 生き残りの方法は動物たちが知っている

ゴーイングコンサーンという言葉がある。

「継続企業」という意味。

会社は一度作られると、人間と違って「死ぬ」ことが予定されていない。

いや、許されない。

会社は貴重な雇用の場であり、社会に必要な商品やサービスを提供する生産活動の源である。

そのため会社が倒産や廃業をしないように、半永久的に継続していくことが会社の社会的責任だと言われてる。

では、会社が存続し続けるにはどうすればよいのか。

著者は、動物たちに学ぶと良いと言っている。

例えば、動物が敵から身を守って生き延びるための行動には主に4つのパターンがある

1つ目は積極的に敵を出し抜く方法。

素早く走り去ったり、イカのように墨を吐いたりすること。

2つ目は貝やエビのように硬い殻を持って攻撃から身を守る方法。

3つ目は再生力を持つという方法。

敵に身体の一部を食われても、ヒトデや多くのエビ、カニなどは再生し、生き延びる。

4つ目は捕食者が生息しないところに生息するという方法。

岩に穴をあけて中に棲んだり、他の生き物が来ないような深海で暮らしたりする。

これらは、競争相手からいかに会社を守るか、といった考え方にそっくり。

敵に対抗する長所を持つ。

いま持つパイを堅持する。

身を刻まれても我慢してゆっくり再生する。

相手が進出してこないニッチな市場を開拓する。

まさに企業の生き残り戦略そのもの。

問題意識さえ持てば、身近な動物からも学べるということであろう。

2017年4月16日 (日)

脳を最高に活かせる人の朝時間/茂木健一郎

Photo 脳の凄いところは、好奇心を失わずに挑戦すれば、何歳になっても新しい神経回路が強化されていく点です。脳の限界は誰にもわかりません。想像をはるかに超える可能性を、あなたの脳は秘めているのです。

最近の脳科学の進化によって、これまでの脳に関するいくつかの常識が間違っていたことが明らかになってきている。

その中の一つに、脳は年を取るとともに衰えてゆくという常識。

全く間違ってはいないのだが、それには「何もしなければ」という前提条件がつく。

年を取って脳が衰える人が多いのは、仕事を辞め、生活が単調になり、何の挑戦もしなくなるからである。

逆に言えば、好奇心を失わずに挑戦すれば、何歳になっても脳の新しい神経回路が強化されていく。

そのために、特に有効なのは朝時間の有効活用である。

朝、起きたばかりの脳が素晴らしいのは、前日までの記憶が整理され、フレッシュな状態にあるという点である。

同じ作業をするにしても、昼や夜の疲れた脳と比べれば、はるかに高いパフォーマンスを発揮する。

特に脳は退屈すると、ネガティブな思考に陥ってしまう悪い“クセ”がある。

脳はあらかじめ想定できることに、大して喜びを感じない。

自分がどのように対応したら良いかがわからないような状況に置かれると、喜び勇んでフル稼働する。

朝からワクワクドキドキするような生活をすることがいかに大事かということである。

例えば、朝時間に今まで一度も読んだことのない新しい本を読むことだけでも効果的だ。

本というモノには、恐ろしい魔力がある。

読み進めることで自分が知らない世界に誘ってくれる。

本は脳の“天敵”である退屈を撃退する有効な手段である。

文章を書くことも効果的である。

私自身は、朝起きたら、まず、このブログを書くことにしている。

もう何年も続けている朝の習慣である。

知らないうちに脳によいことをしていたと言えるのかもしれない。

2017年4月15日 (土)

「マネジャー」の基本&実践力がイチから身につく本/小倉広

Photo 「“人を通じて事を成す”のが、マネジャーの仕事です」

多くの場合、優秀なプレーヤーがマネジャーに抜擢される。

しかし、プレーヤーとして優秀である人がマネジャーとして優秀であるとは限らない。

むしろ、逆になることが多い。

自分が優秀であるがゆえに、部下に過大な要求をする。

部下がそれをできない場合、「そんなこともできないのか」と叱責する。

そして、「だったら俺がやる」と全部、自分でやってしまう。

確かに仕事は全部自分でやってしまった方がうまくいくことが多い。

しかし、それでは部下は育たない。

また、そのやり方には限界がくる。

長期的に見れば、業績も低迷する。

だからどっかで踏ん切りをつけて部下に仕事を任せることである。

そのタイミングなのだが、「できるようになってから任せよう」では、遅すぎる。

「できないけれど任せる」くらいでなければ、人は育たない。

優秀なマネジャーは、常に「次にどの仕事を任せればよいか」を考え、部下に多くの経験を用意する。

そのために、著者があげている次の3つのセルフチェックは参考になる。

第一に、部下へ教えるのが面倒で自分でやってしまっていないか?

第二に、部下ができるようになってから任せようとしていないか?

第三に、メンバーに失敗させるのが必要なことを忘れていないか?

仕事を任せるための重要なチェックポイントではないだろうか。

2017年4月14日 (金)

DREAM WORKPLACE/ロブ・ゴーフィー、ガレス・ジョーンズ

Dream_workplace 自分らしくあることを奨励する組織は、社員の創造性や革新性、生産性を高める努力を積極的に行う。

自分らしくあること、これを主張するとある組織ではわがままと受け止められる。

特に日本の企業では個性を殺し、組織の一員として働くことを求められることが多い。

しかし、そのような組織から生み出される商品やサービスは画一化された面白味のないものになってしまうことが多い。

また、働くものの満足度もどうしても低くなる。

これはひいては生産性の低下を招く。

本書では、自分らしくあることを奨励する組織には次のようなメリットがあると記されている

第一に、組織内で自己表現や自分らしくあることが可能になればなるほど、仕事に対する取り組みとコミットメントが高まる。

例えば、イタリア、トスカーナの小さな町のそれぞれのお店で、店員たちは役割に期待される以上のことをしていたことが紹介されていた。

「自ら進んで」仕事や役割にやる気を燃やす。

「本物の」組織で自然発生するのが、このような種類の行動だ。

第二に、個人の違いを表明できるまさにその能力が、社員の創造性を高める。

それにより、職場において明らかなメリットが、とりわけ革新性と生産性が促される。

逆に、人と同じであることが推奨され、個性が抑えつけられると、創造性は低下する。

第三に、個人が新たな異なる経験を求め、もっと自分らしくあり、そのために必要なスキルを得ることを奨励する組織は、リーダーシップの質を高める。

以上の三つである。

つまり、組織が果たすべきなのは、自由の度合いを最大にすることと、不必要な制約を完全になくすことである。

これはリーダーだけの仕事ではなく、組織全体のひとりひとりの仕事でもある。

今、日本人がこれまでよしとしてきた働き方に疑問符がつけられることが多くなってきている。

どんな働き方が個人にとっても組織にとっても価値をもたらすのか。

もしかしたら、これまでNOと言われていた働き方にその答えがあるのかもしれない。

2017年4月13日 (木)

有名企業からの脱出/冨山和彦

Photo 私は、政治家に限らず、人には〝与党型〟と〝野党型〟がいると思っています。〝野党型〟の典型例は、すぐに誰かや何かの責任にしようとする。夢見がちなユートピアばかり語る。与党はそれではやっていけないのです。

今の国会を見ていると、「野党って本当にどうしよもないな」と思ってしまう。

くだらない森友問題ばかりを取り上げ、揚げ足取りを繰り返す。

ただ、もともと日本人そのものが、本質的に野党的である。

「お上」と一般人という関係性を長く続けてきたのが日本。

自らが国のオーナーという意識は高くない。

こうしたなか、少数の与党型リーダー人材が率いてきたのが、日本の歴史だった。

他方、最もタチの悪い動きをしていたのが、何でもかんでも白黒はっきりつけようと言い張る野党型で声の大きい連中である。

もとより白黒つけろ、なんて言っていられるのは、野党だから。

最終的にギリギリのところで妥協点を見出すのが、与党的なリアリズムである。

テレビで好き放題言っている評論家なども、典型的なタチの悪い野党である。

会社でも、爽やかな弁舌で出世を遂げる〝白黒〟野党タイプの人がいる。

やたら声だけは大きく、役員会でも正しいことを言い張る。

しかし、与党的なリアリティのもとでは、不都合な真実も受け入れないといけない。

だから、いざ本当の勝負どころとなると、このタイプは真っ先に逃げ出す。

与党になって返り血を浴びる覚悟はないのである。

自分は与党型なのだろうか、野党型なのだろうか?

どんなに批判にさらされようが、自分は与党でありたい。

間違っても、民主党政権の最初のふたりの総理のようにはなりたくないものである。

2017年4月12日 (水)

ほとんどの社員が17時に帰る10年連続右肩上がりの会社/岩崎裕美子

1710 差別化した製品をつくる、それをわかりやすく伝える、そして購入したお客様に丁寧に対応する。
 たったこれだけのことですが、この3つを極めることで、他社とは圧倒的に差がつき、お客様がファンになり、安定した経営ができるようになるのです。そして、それが結果的に長時間労働を必要としないビジネスモデルになっていたのです。

長時間労働が問題になっている。

国は働き方改革と叫んでいるが、現場にはそれが反映されていない。

長時間労働がなくならないのには様々な原因がある。

例えば、どんな社員が評価されるかという問題。

本来は、長時間働くことよりも、どんな成果を出しているかを評価するべきなのだが、多くの会社では、毎日遅くまで働いている社員のほうが「努力している、がんばっている」と評価される。

たとえば、残業している人を上司はどう評価しているかのイメージでは、

上司が「がんばっている人」として評価するのは、1日あたりの労働時間が10時間未満の人の場合38%だったのに対し、12時間以上の人は53%。

「責任感が強い人」「仕事ができる人」などのポジティブイメージについても同じ傾向があるという調査結果がある。

そして何よりも問題なのは、会社が儲からないのを社員のせいにしているということ。

「お前たちの頑張らないから会社が儲からないんだ」と、儲からないことを社員のせいにしている。

そして「もっと頑張れ」と、社員を長時間労働へと駆り立てる。

しかし、儲ける仕組をつくるのは経営者の責任ではないだろうか。

会社が永続的に儲かるような仕組みをつくれば、社員の長時間労働は自ずから減っていくはずである。

大事なことは経営者の決意である。

2017年4月11日 (火)

世界で一番やさしい会議の教科書/榊巻亮

Photo 「三万時間」
 …あなたが一生涯で会議に費やす時間だ。
 この途方もない時間、想像してみたことはあるだろうか? 一日十時間活動できるとして、約八年分になる。大事なことなのでもう一度言う。〝貴重な人生の時間を、八年分も会議に捧げる〟ことになる。

日本人の生産性の低さは今や周知の事実となっているが、中でも会議の生産性の低さは際立つ。

多くの会議は、一部の人が発言し、結局一番地位の高い人や声の大きい人の意見が通る。

黙っていた者は、会議が終わった後、影でコソコソと不満を述べる。

そして、決まったこと自体も何日か経つとうやむやになる。

特に現場にとって都合の悪いことは実行されず闇から闇へと葬られる。

会議不要論が出るのもうなずける。

しかし、会議は本当にムダなのだろうか。

そうではない。

やり方が間違っているだけである。

例えば、会議の時、何のためにやるのか、明確になっていない会議がほとんどである。

だから、会議の冒頭で、目指すべき状態を共有しておく。

たったそれだけで、全員が勝手にその目標に向かってくれるようになる。

会議の時にはホワイトボードを有効に使い、空中戦を避ける。

ホワイトボードには発言をそのまま書く。

ただし、書く時には、〝意見〟、〝論点〟、〝決定事項〟を意識して書き分ける。

〝意見〟はそのまま発言を書く。

〝論点〟は、質問や議題などを『問』として明記する。

これによって、何を議論しているのか明確にできる。

議論は〝問(論点)〟に対する〝回答(意見)〟が積み重なって成立している。

そして、複数の問(論点)を同時に議論することはできない。

つまり〝たった今、何の問(論点)について話しているか?〟を明確にすることが、議論をかみ合わせるうえで極めて重要になる。

〝決定事項〟は、決まったこと、やるべきことを書く。

終了条件や時間配分なども決定事項になる。

これによって、議論が見えるようになる。

こうすると、全員の頭が整理される。

そして、会議が終わったタイミングで、〝決まったこと、やるべきこと〟を確認する。

やるべきことは、〝誰が、いつまでに、何をするか〟を明確にする。

これだけでも、実行される確率は格段に上がる。

やってみて損はないのではないだろうか。

2017年4月10日 (月)

ドキュメント 銀行/前田裕之

Photo 筆者はこれまで数多くの銀行の経営者や銀行員に接してきたが、銀行員のやりがい、使命、職業倫理といった話題になると、貸出業務を軸とした法人取引での経験を挙げる人が圧倒的に多い。「よちよち歩きの零細企業が銀行からの借入金をうまく活用して一人前に育った」、「経営難に陥った企業を支えて再建した」、「経営者と一緒になって新たな事業展開を考え、成功した」、「銀行が預金流出に苦しんでいた時に中小企業の経営者が大口預金を契約してくれた」……。こうした話をする時の銀行員は目を輝かせ、生き生きとしている。

本書はバブル崩壊後から現在までの銀行の歴史が記されている。

そもそも銀行業の中心は、預金を集め、その資金を元手に企業や個人に貸し出しを実行し、利益を上げる預金・貸出業務である。

これは法律にはっきり書かれている。

そして融資ほどおいしい商売はない。

貸出金利と預金金利の利ざやが決まっていれば、土日に銀行が休んでいても安定した金利収入が入ってくるのだから。

通常のビジネスなら営業を休めば、売り上げや利益の減少に直結する。

銀行業という特殊なビジネスだからこそ、休んでいても、もうけが出る。

しかし、現在の銀行の収益は多様化している。

預金で集めた資金を貸し出しや有価証券を運用して得られる「資金利益」、

外国為替手数料、投資信託や保険の販売手数料などからなる「役務取引等利益」、

デリバティブ(金融派生商品)取引などによる「特定取引利益」、

外国為替売買や国債等債券売買益などの「その他業務利益」、からなる。

しかし、手を広げすぎた結果、経営危機に陥った銀行も数多くある。

銀行の20年史を振り返って改めて感じたことは、経済環境がどれほど変化しようとも、銀行業のコアはやはり貸出業務しかないということである。

2017年4月 9日 (日)

雑談のトリセツ/山口直樹

Photo 日々の些細な出来事でも、自分の気持ち・行動を交えてやると、話題が広がりやすいものです。

営業でも、普段の友人、知人、同僚との関係でも、人間関係を築くカギは雑談にある。

雑談の上手い人は人間関係をつくるのもうまい。

盛り上がる雑談にはコツがある。

必ず守らなくてはいけないコツがあり、守った方がより盛り上がるコツがある。

では雑談を上手にするためにはどうすればよいのだろうか。

話題となる情報を普段から集めておくことや、相手の興味関心を事前につかんでおくこと等、いくつかのポイントがある。

その中でも意外と見落としがちなのが、感情を交えて話すということである。

人は感情で動く。

だから感情を共有できると相手との間柄は急速に接近する。

ではそのためにはどうすればよいのか。

自分の感情の動きに敏感になることである。

雑談の際に向いている話題は、適度に感情が動いた話である。

いつ、どんな時に、どのように感情が動いたのか?

一日の終りに1~2分、その日の感情の動いた出来事を思い出す。

これだけでも随分変わってくるのではないだろうか。

2017年4月 8日 (土)

ストレスと適応障害/岡田尊司

Photo 自分が最善と信じる行動をとるためには、日頃から自分で判断し、行動する習慣をつける必要がある。つまり、周囲の評価や結果にばかり左右されない生き方をすることになる。それは、心が折れることから自分を守るだけでなく、自分らしい本来の生き方にもつながるのだ。

ストレスによってウツになったりする人が増えている。

顧問先でもこのことの相談を受けることが多くなってきている。

そう考えると、この問題、放置してはいけない問題である。

著者によると、ストレスには4つの原理があるという。

第一の原理は、ストレスは自分でコントロールできると、小さくなるということ。

つまり、自分で比較的容易に対処できる方法を身につけることが、ストレスを減らすうえで重要だといえる。

第二の原理は、ストレスは抑えようとすればするほど、増大するということ。

ジグムント・フロイトから始まる精神分析の発見の一つは、抑圧された欲求が、症状を作り出すということ。

まったく同じように、抑え込まれた欲求はストレスになるといえる。

たとえば、無意識のうちに怒りや不満を感じているのに、それを言葉にしないで我慢していると、次第にストレスが溜まりやすくなる。

第三の原理は、ストレスが限界を超えてしまうと、ストレスに慣れるどころか、ストレスに対して過敏になってしまうということ。

それまでどうもなかった物質に対していったん感作が起き、アレルギーになると、まったく受けつけられなくなるように、ストレスに対しても同じように感作が起きる。

第四の原理は、ストレスを乗り越える力は、その人個人の力だけでなく、その人を支える力によっても左右されるということ。

つまり、問題を解決する能力における重要な要素は、他の人に相談できるかどうかであるということ。

以上の4つである。

では、どうすればよいのかというと、自分で考えて行動することである。

他者から言われて行動すると、どうしてもストレスが溜まる。

他者はコントロールできないからである。

しかし、自分はコントロールできる。

だから、自分で考え、判断し、行動することである。

またこのことは同時に自分らしい生き方にもつながり、自分の成長にもつながる。

いま、ウツの患者が増加しているのは、逆に考えれば、他者依存の人が増えていることの裏返しなのかもしれない。

2017年4月 7日 (金)

バカとブスこそ金稼げ!/泉忠司

Photo 超一流から学ぶこと、その師の教えを素直に聞くこと、それをそのまま実行すること。この3つを遵守すれば、誰であろうと確実に「学び」を「成果」に変えることができます。

随分刺激的なタイトルである。

ただ、著者が「バカ」と呼んでるのは、世の中の仕組みや真実を直視しようとせず、そこから目を背けてただ漫然と流されるだけの日々を過ごしている人のこと。

「どうでもいい」「どうせ無理」と投げ出して思考停止するから「バカ」なのだという。

ちなみに、「ブス」はもちろん外見のことを言ってるのではない。

世の中への関心も周囲への好奇心も持たず、何も考えずにただ流されて人生を浪費しているだけの人のこと。

そういう人は男も女も「ブス」。

分かりやすく言うと、「バカ」と「ブス」は同義。

では世の中の仕組みや真実とは何か?

多くのことは当たり前のことを当たり前にやることによって達成できる。

例えば、「守破離」という言葉がある。

まず、師匠から学んだ型を守る。

次に、そのうえで己が型を作り出す。

この段階まで来ると自分自身と技について完全に理解しているため、最終的には型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。

これが「守破離」が意味するところ。

ところが、師匠が教えてくれることを素直に受け取る。

この当たり前のことができない人がどれほど多いことか。

ゴールにたどり着いている人が「右に進め」と言ってるところで、「先生はそう言うけど、左に行ったほうがいい気がする」と考えて左に進む。

それでゴールにたどり着けるわけがない。

もし、何かを成し遂げようとするならば、もう一度このあたりを見直してみる必要があるのではないだろうか。

2017年4月 6日 (木)

左遷社員池田 リーダーになる/鈴木孝博

Photo ただ有能であるがゆえに否定され、警戒され、島流しにされているのが現実だ。これをどう考えたら良いか。簡単に言えば、良くないリーダーが上にいるということだ。自分の地位を脅かす「危険人物」をいち早く察知する「器量」はあるが、その価値を認め、力を発揮できるように導く「度量」はない。

本書は物語を通してリーダーのあり方を語っている。

物語は創業社長の急死から始まる。

ドレッシング製造を手がけるフリージアは、アットホームな中堅企業。

しかしカリスマ創業社長が急死すると社内は一変。

元銀行員の娘婿が新社長に就任したものの、

新社長のやり方に多くの社員が疑問を持ち、業績は低迷する。

そんな会社の危機に、前社長と二人三脚で会社を築き上げた「伝説のナンバー2」、近藤が立ち上がる。

近藤はまず、左遷され落ち込んでいた中堅社員・池田に目をつけ、リーダー修行が始まる。
と、このようなストーリーである。

この物語を通して教えられるのは、リーダーの求心力についてである。

リーダーはそのポジションパワーによってメンバーを従わせようとしても、面従腹背のメンバーを生むだけ。

そこに「本気」がないので会社は活力を失う。

リーダーは自分自身が主体的でなくてはいけない。

またメンバーの主体性を自然な形で引き出せるのが良いリーダーだ。

誰だって自分の価値を認め、より輝かせてくれる人になら、ついていきたいと思うだろう。

人は必要に迫られたり、ワクワクするような意義を見出した時、どんどん成長していく。

そのためには、まずは徹底的にあり方を考え、「目的」にこだわること。

そして現場の一人ひとりが、活き活きと行動できる環境をつくること。

それが自律的な強い組織風土づくりにつながる。

本書は、そんなことを教えてくれる小説である。

2017年4月 5日 (水)

NYの人気セラピストが教える 自分で心を手当てする方法/ガイ・ウィンチ

Ny 耐えがたい経験からうまく立ち直るためには、つらい経験を人生の物語のなかに正しく位置づけ、そこから自分にとって大事な意味を読みとることが不可欠なのです。

過去のある出来事がトラウマになって前に進めなくなっている人は、過去の意味づけを変えるとよい。

意味づけのプロセスは、2つの段階に分けられる。

理解の段階と、肯定の段階である。

理解とは、起こった出来事を人生の枠組みのなかにうまく配置し、筋の通った説明を見つけること。

平均的には、喪失やトラウマ体験から半年ほどで理解のプロセスが始まるという。

例えば、仕事上、大きな失敗をしたとする。

自分のやったことによって会社に大きな損失を与えたとか、お客様に多大な迷惑をかけたとか。

その直後は、その失敗経験があまりにも生々しく、それを直視することができない。

しかし、半年くらい経てば、ある程度客観的に事実を受け止めることができる。

そして理解不可能だった体験が理解可能になれば、心の回復が大いに助けられる。

一方、肯定とは、つらい出来事のなかに少しでもポジティブな面を見つけること。

たとえばそのつらい出来事を通して「自分が本当にやりたいことがわかった」などの気づきを得ることができる。

これによって、過去のトラウマから解放され、新しい道が開けるとしたら、実行してみる価値はある。

過去は変えられない、しかし、過去の意味は変えることができる、ということであろう。

2017年4月 4日 (火)

PDCAプロフェッショナル/稲田将人

Photo 「私は、どこの会社でも経営できます。それは私がPDCAを廻せるからです」
 かつて「小泉純一郎のシティフォーラム」と題して2002年に開催されたタウンミーティングにおける、トヨタ自動車の奥田碩会長(当時)の最初の言葉です。

ビジネスマンであればだれもが知っているPDCA

仕事の基本ともいえる。

しかし、これを本当に廻している人はほとんどいない。

逆に言えば、これをキチンと廻せば、他者(他社)と差別化できるということである。

そして、その実例として本書ではトヨタとマッキンゼーが取り上げられている。

仕事ができるとされている人は、単に高学歴であるとか、IQが高いという人ではない。

未開拓な分野の仕事や、みなが避けたがるような修羅場ともいえる状態に、他の誰よりも数多く直面した経験、あるいは挑戦した経験をもっている。

つまり数多くの「計画」(P)と「実行」(D)をこなしている。

そしてそのような人は誰よりも多く失敗した人でもある。

でも、ただ失敗を重ねただけでは仕事のできる人になることはできない。

失敗から何を学ぶかが重要である。

仕事における学習とは、自らの経験を、汎用性をもたせて精度高く法則化することである。

失敗を経験則にする行為、それがPDCAの(C)と(A)の部分である。

たとえ失敗したとしても、「結果の検証」(C)を行なっているかぎり、場数を踏むたびに経験則が蓄積されていく。

そして「改善」や「進化」や「改革」(A)を行う。

PDCAの(A)は、方法論、やり方、考え方そのものを、PDCAを廻すたびに、さらに「進化」させることを意味する。

これを確実に廻すことが企業や個人の成長につながる。

これはいわば当たり前のことと言えよう。

2017年4月 3日 (月)

上に行く人が早くから徹底している仕事の習慣/中尾ゆうすけ

Photo そもそもなぜ会社は組織化するのでしょうか。
 端的に言えば、目的は次の2つです。
 ・統制と管理
 ・新たな価値創造

著者は会社が組織化する目的は2つだと述べている。

第一の目的は「統制と管理」

仕事は各々が勝手にやっていたのでは効率が悪くなる。

そのため、組織を統括するリーダーのもと、トップダウンで指示を出し、業務工程を管理する。

各ポジションに人員を配置し、リーダーの命令が一番下までスムーズに伝わるようにすることで、統制の取れた動きが可能になる。

それによって、業務のコントロール、効率化を図っていく。

第二の目的は「価値の創造」

ドラッカーは企業の成果とは「顧客の創造」であると言った。

そのためには「価値の創造」が必要となる。

でも一人の出すアイデアには限界がある。

そこで組織化する。

組織化することで、メンバーのアイデア、創意工夫を活かし、情報やノウハウを共有して、より大きな成果を生み出しやすくなる。

様々な人が意見を出し合うことによって化学反応がおこり、相乗効果が表れる。

現場からのさまざまな提案を形にしていくことで、顧客ニーズを満たした新たな価値を生み出していける。

業務の改善をしていくうえでも、現場の意見を取り入れ、集約していくことは非常に重要である。

「トップダウンで管理すること」と「ボトムアップで改善し、お客様の要望に応えること」は、一見、相矛盾するように見えるが、こうした複数の目的を達成するために組織化がなされている。

問題は組織化することによって、この目的が達成できているのか、ということである。

統制が取れていなかったり、全く価値の創造がなされていない会社はたくさんある。

逆に言えば、この2つの目的を達成すれば、かなり良い会社になるのではないだろうか。

2017年4月 2日 (日)

ディズニーの現場力/大住力

Photo ここで禁句となるのは「規則ですから」という言葉。ゲストとのコミュニケーションは、たとえそれがクレームでもマジカルチャンスです。きちんと耳を傾け、あなたと私という関係を築くことで解決の糸口を見つけることができます。

お客様が企業の対応で一番カチンとくるのは「規則ですから」ということば。

この言葉は思考停止の言葉であると同時に、機会損失をもたらす言葉でもある。

例えば企業のサービスに対して何らかの問い合わせをした時「規則ですから」という返答がきたらどうだろうか。

当然、頭にくる。

その後、その企業の顧客になることはないであろう。

と、同時に企業は大切なお客様との関係性の再構築の機会を損失したことになる。

対応する担当社員も、「規則ですから」といえばよいということになると、お客様との人間関係構築能力はいつまで経っても向上しない。

でも、もし「規則ですから」は禁句ということになっていたとすれば、担当社員はあらゆる言葉を尽くして説明しようとするだろう。

その積み重ねが説明能力の向上につながる。

最初は出来なくても、積み重ねによってできるようになる。

このようなヒューマンスキルをもった社員は企業にとって貴重な戦力になる。

さらにお客様と真摯に向き合うことによって、貴重な情報を得ることができる。

たった一つの言葉を禁句にすることによってこれだけの効果が見込めるのである。

その意味で、NGワードについて、もっと考えても良いのかもしれない。

2017年4月 1日 (土)

とにかくすぐやる人の仕事の習慣/富田圭一

Photo 脳科学者の茂木健一郎さんは著書『脳を活かす仕事術』の中で、「勉強と違って、仕事には『正解』がありません。ですから、完璧を目指そうとすると、ついだらだらと続けてしまうことがあります。しかしそれでは、いつまで経ってもアウトプットができないため、自分の仕事が「よいのか悪いのか」を判断できないし、何よりもちっとも前に進まないことが多いのです」と言っています。
 つまり、「完璧を目指さないでいいや」と思うことで、すぐにアクションが起こせるのです。

今はスピードが求められる時代である。

また同時に正解のない時代でもある。

ということは、「完璧主義」は今の時代はマイナス要因だということ。

完璧主義に陥ると、まずスタートが遅れる。

完璧な仕事をしようとするなら、念には念を入れて計画をたてるので、どうしてもスタートが遅れる。

それだけでなく、仕上がりも遅れる。

仕事はやればやるほど、その仕事が完璧でないことが見えてくる。

「あれもやらなければ」「これもやらなければ」と思っているうちに仕事はどんどん増えてゆく。

結局、肝心なアウトプットがなかなかでないということになる。

アウトプットがなければ周囲の評価にもさらされない。

そのため、得てして完璧主義の結果、出てきたものは極めて独りよがりなものになりがちとなる。

つまり完璧主義の結果は皮肉にも非完璧である。

そしてそのような完璧主義による悪循環に陥っている人は意外と多い。

今の時代、完璧主義はマイナス要因であることはしっかりと覚えておく必要があるのではないだろうか。

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