待つ力/春日武彦
ものごとは、そう簡単に決着がついたり結論が出たりはしません。いくら努力したりアプローチを繰り返しても、機が熟さなければどうにもならないことのほうがむしろ多い。
私たちは、誰もが一人残らず、待つことに翻弄される人たちである。
そんなことは御免だと思っても、待つことからは決して逃れられない。
そこに苦しみや苛立ちと、たまに喜びが含まれる。
多くの場合、延々と待たされていると、人は疑い深くなっていく。
何かアクシデントや手違いがあったのではないのか、とか
相手の態度や姿勢に問題があるのではないか、とか
自分だけが不当な扱いを受けているのではないのか、とか
運気とか巡り合わせといった、人知を超えたところで、事態がおかしなことになっているのではないか、とか、疑い深くなっていく。
待つ、という受け身の状態は苦しい。
無力感に苛まれ、ときには精神が妄想モードに陥りかねない。
先が見えないことは、まことに辛いものである。
しかし、少し視点をずらしてみれば、待つことには、頭を冷やすとか再検討、再考といった働きも含まれていることに気づく。
次から次に願いや希望が速攻で叶ったら、私たちはかえって過ちを犯してしまいかねない。
人間性が深まらない。
内省を欠いた薄っぺらな人間になってしまう。
現代人は待つことが苦手だ。
だんだんせっかちになってしまっている。
しかし、待つことから逃れられない以上、その肯定的な面を見いだし、待つ力を身に付けることが必要なのではないだろうか。
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