トランプ後の世界 第2幕/木村太郎
実際に、デモは行われました。
しかし、拍子抜けするほどに小規模で、事前に聞かされていた大規模な抗議行動の盛り上がりを、私は見ていません。
たとえば、大統領就任式の前日(2017年1月19日)に、ナショナルプレスセンタービルで取材の準備をしていたところ、すぐ近くの屋外をデモ隊が行進しているのが見えました。
規模は数十人で、その中の一人が紙に火をつけて気勢を上げようとしたら、すぐに警察官に取り囲まれ、その場から排除されました。
私たち日本の取材関係者は、この一連の出来事を目の前で見ていました。
大統領就任式の翌日の新聞を見ると、各紙は横並びで「ワシントンで大騒動」といった具合の刺激的な見出しで、大統領就任阻止のデモ行進が盛り上がっていたと〝センセーショナル〟に報道していた。
ところが現地取材した著者によると、いずれも小規模なものであったとのこと。
これは何を示しているのだろう。
トランプ大統領がよく口にする「フェイクニュース」といった類のものだろうか。
新聞の第一の使命は「事実を伝える」ことである。
確かに新聞社はそれぞれの主義主張があると思う。
しかし、それはあくまでも事実を伝えた上でのこと。
事実を曲げて伝えていたのでは、新聞はその使命を果たしているとは言えない。
ところが最近、その傾向が露骨になってきている。
たとえば、加計学園問題。
新聞各社は都合の良い情報はセンセーショナルに伝え、都合の悪い情報は伝えない。
それがあまりにも露骨で気持ちが悪い。
私は毎日と産経と日経をとっているのだが、特に毎日と産経は正反対と言ってよい。
権力を監視するのがマスコミの役割だとよく言われる。
しかし、自分たちこそが権力者であることを忘れてしまっているのではないだろうか。
マスコミは「第四の権力」と言われる。
こんなことを続けていると、ますますその信頼性は損なわれてくる。
いや、もうすでにマスコミは「裸の王様」状態になってしまっているのではないだろうか。
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